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はてなキーワード: 晩年とは

2017-01-22

貧乏意識が抜けない

子供の頃から家族悪口ばかり聞かされていた。

父親は、お前の祖父母は定年後に働かない無能だ、それゆえにうちは貧乏だ、お前は貧乏人の家の子供だから贅沢などするなと常々言っていた。

小学生の頃は、夜中は酒を飲んだ父の吐き出す恨みつらみをひたすら聞かされていた。自分の部屋などないから逃げ場はなかった。

高学年の頃、貰った小遣いで友人とガスト外食したら酔った父親が夜中に怒って暴れ出したので、それ以来友人付き合いで金を使うのは控えるようになった。


祖父母は、お前の父親無能で稼ぎが少ないからうちは貧乏だと言っていた。

確かにバブルの頃、年収300万円台の男性というのは低収入だったに違いない。

自分無能の子供だという劣等感を抱えながら育つ羽目になった。彼らは60前に早期退職し、趣味年金を費やして晩年を送った。


今はみんな亡くなってしまい、自分は新しい家族とともに暮らしている。

幸運なことに、日本人の平均収入よりはいくぶんか多めにもらえているのだが、節約癖が抜けずに思い切った金の使い方ができない。

生育環境のせいにして立ち止まっていてはいけないけれども、どうも子供の頃に受けた影響から抜け出せてないみたいだ。

2017-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20170118020549

ツイート主の赤城毅大木毅)は1961年まれ西洋史の院生時代が長く、その後どうやらアカポスに就けずにライターになったっぽい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E6%AF%85

院生だったのは1990年代から西川正雄の晩年とも一致する。

院生時代に同じヨーロッパ現代史の分野で学会にいた「(アカポス就けなかった自分よりも)駄目な奴」の話を、ここぞとばかり吹聴したかったんだろう。

ツイートのメンション先の呉座勇一は1980年まれだし専門も日本史なので、この話は赤城毅共通話題というわけではない。

赤城一方的に吹聴したかっただけなのがこの点からもわかる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%BA%A7%E5%8B%87%E4%B8%80

赤城言及してる院生とは誰なのか、西洋史学会の過去プログラムから割り出せないかと思ったけど、2003年以降のものしか載っていなかったので無理かも。

http://www.seiyoushigakkai.org/

まぁ、言及相手特定できようができまいが、hokusyuと赤城の同年輩辺りの元院生の両方の名誉を毀損している赤城が最悪なのは確定的。

っていうか55歳にもなってネットでこんな噂話を振りまいて憂さ晴らししているってどんだけよっていう。

名探偵コナンラストガチで予想する。当たりすぎて青山豪商を驚嘆させてオチを変えさせてコナンが、あのコナンがだぞ、あの国民的漫画ラストが、つまらなくなる覚悟で俺は書く。



まずコナンは復活する解毒剤の副作用で新一とコナンに分裂する。

新一は蘭と結婚する。コナンのほうは灰原とくっつく。

灰原も分裂する。小さい方がコナンとくっつくのは先述のとおりで、お姉さんの方は光彦とくっつく。



新一と蘭の子である工藤久作は黒の組織を復活させる。

コナンと灰原は新生黒の組織により葬られる。ここまで第二部未来少年探偵コナンザグレート(100巻)。



毛利小五郎と妃英理との晩年の子である毛利太郎が、新生黒の組織ボス工藤久作を滅ぼす。

太郎は、光彦と灰原の子である円谷有栖とくっつく。

指輪フィリピンルソン島にあるピナトゥボ火山に投げられ、永遠に失われる。

円谷と毛利西方浄土に旅立ち、第三紀は終わりを告げる。ここまで第三部アリス探偵局(100巻)。

2017-01-02

元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ

あんたは、なにちゃんだったっけか?」

である僕の顔を覗き込む祖母

まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは…

驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。

本当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。

年末年始、母方の実家に帰ったときのことである

「けんちゃんだったかしら」

・・・そうだよ」

引きつりながら笑って頷く。

なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。

これは一本食わされた。はっはっは。

最初のやり取りはそんな感じだった。

これが本当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。

 

おばあちゃんがボケた。

これまでとは違い、決定的に。

名前を聞いてきたことが、冗談ではなく本気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。

本当にボケていたのだと最初確信した時、今まで感じたどれとも違う絶望感が、舌の奥の方から全身に広がった気がした。

今までと同じ人が目の前にいるのに、自分の知っているその人は目の前にいないような違和感

体裁はそのままに、じわじわ形骸化していく未来が見えてしまった残酷さ。

一気に失う絶望感と、どちらがより深いのだろうか。

 

祖母は今年84歳だ。

ボケたっておかしくない。

ダイアモンド婚。むしろ夫婦共々、ここまでよく元気でいてくれたと思う。

だが一般論とか数字で考えるのは他人なら簡単だが、当事者は辛い。

別におばあちゃん子だったわけじゃない。

初孫という点でも、従兄弟の方が可愛がられていたような気がする。

それでもそれなりの思い出も思い入れもあるんだ。家族なんだから

 

そんな大切な家族から、忘れられる。覚えてもらえない。

「みんな見上げるくらい大きくなっちゃったから、わからなくなっちゃって」

まるでおばあちゃんは僕らが十年ぶりに来たかのようなことをいう。

僕らがおばあちゃんの身長を超えたのは、ここ2、3年の話じゃない。去年だって来てる。

どうやらボケると、新しい記憶から順に消えていっているようだった。

その上、更に新しい記憶は書き加えられない。メモリショートした回路。

おじいちゃんの会社皇太子が来たのだと話していた。

お話出来て、これ以上のことはない、本望だと思ったと。

まりにも鮮明に話すものから先週の出来事かと思った。20年も前の話だった。

その一方で、みんなが今朝起きて、そして挨拶をして帰っていったことを全く覚えていなかった。

「まだ上に誰かいるのかしら」

そう聞かれる度に、他の孫達がきちんと挨拶をして帰っていったことを何度も説明した。

ひどい時には、その孫達が来たことすら忘れてしまっているようだった。

 

しかしたら、と思う。

僕が今日ここに来て、戸惑いながらも家事を手伝って、他愛のない話をして、

いつもと少し違う正月を、いつもと同じように楽しもうとしたこの一日も、

明日になったら忘れてしまっているんじゃないだろうか。

だとしたら、この人にとって僕らは今日ちゃんと一緒にいれているんだろうか。

ちゃんと一緒に、新年を迎えられたんだろうか。

 

「ごめんね、もてなすことも出来なくて…」

買い物を忘れたからと、夕食にインスタント麺とおせちの残りを用意していたおばあちゃんが言う。

「ほんとはもっともてなしたかったんだけどね」

家事を手伝う度、ボケでささいな迷惑かかる度に、何度も聞いた謝罪言葉

ほんとうに悲しそうな顔をするおばあちゃん。

丸まった小さな背中

きっとおせっかいなおばあちゃんは、自分が孫すらもてなすことの出来ない正月がみじめだったのだと思う。

 

「それでもよかったんだよ」 僕はそう伝えたかった。

でも何度言葉にしても、おばあちゃんは忘れてしまって、届かない。

自分の中で祖母謝罪言葉けが、淋しげに今もこだましている。

しかったことがある

幼稚園に通っていた頃

駄々をこねた僕を自転車の後ろに乗せて、何件もはしごして、おまけ付きのお菓子を探してくれたこと。

もう一回お礼を言いたかったのだけれど、おばあちゃんは忘れてしまっていた。

しかったことがある

僕が受験勉強を頑張って、志望大学合格したこと。

そのことをおばあちゃんは、ちゃんと覚えてくれていた。

何度も何度も褒めてくれた。誇りだと言ってくれた。

なんでそんなこと覚えてくれてるんだよ…

久しぶりに、泣いた。

きっとどんな人だって晩年は多くのモノは持っていないのだ。それは、思い出も含めて。

その時どんな物に、人に、思い出に、囲まれていたいだろうか。

僕はおばあちゃんのように、家族に囲まれていたいなと思った。

そして何度話しても色あせることのない思い出話を、これからもっと作って生きたい。

折を見てまた祖父母に会いに来ようと思う。

その結果多少悲しい気持ちになることがあったとしても、今の自分しか出来ない恩返しもあるはずだと、そう信じて。

2016-12-10

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三ヶ月ぶり二度目の中山道広重美術館リターンズですわ!

前回が「絵師広重の歩み」前編で、今回は後編ですわ。

中編なんてありませんでしたわ。いいですわね?



解説を読む読むと晩年広重風景画にはめずらしい紙を縦に使った大胆な構図に

挑戦しているそうですわ。

浮世絵を見慣れていないので、その辺りはわかりませんけど、

「名所江戸百景」の至近距離に「月のまつ」や鯉のぼりを配置して、

後方に得意の風景をおく画面構成は刺激的でした。

わたくしの想像するところでは歌川広重最終形態風景への

絶対的な自信が生まれたからこそ、あん作品が発表できたのだと思います

人物画の浮世絵師コラボレーションした経験も役に立っていそうです。



二階の版画体験では前回よりも綺麗に印刷ができて、

我ながら御満悦でしたわ。しかも別の絵が用意されていましたわ。

角を丁寧にあわせることが肝要です。

うまく進むほど後半がドキドキしてしまます

いえ、わたくしはサバサバした女。鰭先の細かい作業もお任せですわ。

何故か二階にいたペッパーレスポンスが悪いので無視していたら、

肩を落としてため息をついていましたわ。



紙を縦に使うのが大胆なら、正方形の紙を使えばもっと大胆かしら?と

少し考えましたけれど、浮世絵でそれをやると印刷事故が多発することが、

体験からも予想できましたわ。



前回ですわ

http://anond.hatelabo.jp/20160914220045



教授感謝ですわ

http://anond.hatelabo.jp/20161205224107

2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161128190113

わかる。

ま~チャゲアスは俺は世代ではあるんだがそんな興味ないんでいいだけど。

マイケル・ジャクソン晩年~急死が俺にはつらかった。

俺にはキレッキレのスーパースターだったんだが、晩年児童性的虐待訴訟とか、

実子をベランダから吊り下げたりする奇行、整形の崩壊かばかりが目立って、

一般(というか、最盛期を知らない若い人たち)からは、なんというか、

変人奇人って感じの存在だったと思う。

まぁそんで死んだら死んだで、美点、偉業ばかりを挙げるようなドキュメントばっかりで

なんだかなーだったけどな。

2016-11-27

東京大学総合図書館書庫をさまよう―中島敦「斗南先生」によせて―

東京大学総合図書館を、平成29年度の一年間閉館する計画が決定されたという。

図書館の開館に合わせ旧図書館改修工事を進めるという段階的な予定が、なぜか、いつのまにか前倒されたらしい。

人々が書き残した文章から過去社会に迫る。そうした人文学を志す私にとって、何よりも思考の源泉となる場所がこの図書館であった。


一年間閉館という自己否定暴挙を取ろうとするのは、畢竟、図書館大学当局内ですら図書館価値が共有されていないからだろう。

議論になるような大きなことを言うのは苦手なので、ここでは私が総合図書館書庫をさまよった話を記したい。



ある日、昼食から総合図書館に戻った私は、三島由紀夫が「灯台のようだ」と表現した階段を4階まで登った。

進まない研究から目を背けようと手に取ったのは、『中島敦全集第一巻(筑摩書房1977年)。

山月記」や「名人伝」といった誰もが知る短編を読むつもりだったが、「斗南先生」という作品が目に入った。



斗南先生とは、中島敦の伯父にあたる無名漢詩中島端のことである

幼少より秀才の誉れ高く、「にもかゝはらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を得ないで、世を罵り人を罵りながら死んで行つた」。

その遺稿集『斗南存稿』(文求堂書店1932年)を帝大・一高の図書館に寄贈するよう、中島敦は親戚に頼まれる。

気質が似ているとも言われた伯父の晩年の姿を思い出し、躊躇しながらも、遺稿は郵便小包で寄贈することにした、という私記の体をとっている。



一通り読み終えた私は、寄贈されたというその遺稿を確かめに、がたがたのエレベーターで一階に下り書庫に分け入った。

私の歩みに合わせて明りの点く書庫を、請求記号を書きとめた紙をたよりにさまよう。

書庫のなかでもとりわけ人気のない、和装本の並ぶ一角でそれを見つけた。

中島敦が寄贈してから80年余が経つその本は、周りの本とともにわずかに埃っぽく並んでいた。

案に違い、他人が頻繁に開いたような跡も、ましてや書き込みもない。

それと知らねば目立つこともない一冊の本にも、一篇の物語がある。ろくに読めない漢詩に目を通しながら、そんなことを思った。



もし反対運動が実って来年度の閉館が撤回されたとしても、数年もすればあの暗い書庫をさまようことはできなくなる。

本を求めてさまよい、手にとって過去を思うといった行いは、ありふれていながら何と贅沢なものだったのだろうか。

知に触れる日々を、願わくは、私から奪わないで欲しい。

2016-11-24

松坂大輔一言言いたい

そもそも松坂ホークス選んだことが1番の間違いだったと思う。これは活躍できていたとしてもそう。ホークス入った時点で色々な歯車が狂いだした。松坂ヒーローだった。憧れの存在で、スーパーマンだった。当時野球をやっていた少年はみんな松坂活躍一喜一憂していた。

ヒーローに対して、ファン絶対に像を思い浮かべると思う。こうあってほしい。こうあるべき。みたいな。

それをやり遂げ続けるからヒーローなんだと思う。イチローだって年とともに衰えるし、野茂松井晩年は本当に衰えてた。それでも彼らが未だにヒーローであり続けられるのは、成績云々でなくて、ファンに対しての像を裏切らなかったから。清原なんてある種はその像を裏切ってないと思う。あれは彼に抱かれていた一種ヒーロー像だったかもしれない。

2014年オフ松坂ホークス入ると聞いて、僕はその瞬間に「何やってんだよ」と思った。その理由は、ホークスに入った松坂が、たぶんヒーローでなくなると思ったから。

さっき書いたように、ファンヒーローに対して像を重ねる。こうあってほしいと。そして同時にストーリーを語る。「ここまで来る道のりにはこんなことがあった」と。そのストーリーが太いものからヒーローになる。もちろん結果も伴うけど、それと同じく文脈ものすごく色々な要素を含んでいて、それがみんなに語られる。

もし松坂ホークス活躍していたとしても、活躍の度合いによるけど、たぶん多く語られるものでもない。それはたぶん望まれているストーリーではないから。

日本に帰ってくるという話がでたときベイスターズオファーを出したという記事を見て、ベイスターズに入った松坂想像した。ベイスターズに行けば間違いなくスターであり続けられたと思っている。というかそれを見たかった。今と同じく故障で働けなくても、もっと応援されてんじゃないかって思う。それは望まれている像に当てはまっていたはずだったから。

松坂はその時代においては、常に最高の選手だった。そして同時に、常に逆境に相対する選手だった。

高校2年生では自身暴投で先輩の夏を終わらせた。乗り越えて春を制覇、夏はPL相手に延長17回を投げ切り、敗戦濃厚の準決勝奇跡的に逆転勝ち。最後ノーヒットノーランで優勝。プロに入って最初話題となったのは「リベンジ」。語られやすい話は逆境ばかり。でもそれを乗り越えて頂点に立ち続けたかヒーローだった。

松坂ホークスに入ったとき、既にホークスは頂点のチームだった。そして何の縁もゆかりもない。どちらかというとライバルのはずだった球団だ。ベイスターズに入れば、まず横浜高校時代活躍を思い起こさせる。「ベイスターズ松坂が帰ってきてくれた!」と。そして松坂高校時代にはベイスターズへ入りたいと話していた。ベイスターズには同級生の盟友、後藤武敏もいる。また、ベイスターズには優勝経験のある選手は少ない。メジャー帰りの経験豊かなベテランもいない。色んなものが伝えられることが想像できた。仮に選手として活躍できなくても、貢献できることが多く想像できる。

それでも松坂ホークスに入った。いまや常勝球団であり、もはや巨人並のヒールになりつつもあるそんな球団に。そこで生え抜きスターを育てていくべきホークス松坂のような選手を取ったこと、松坂のようなヒーロー像を重ねられている選手がそれと全く反する選択肢を選んでしまったこと。全てが悪手だったと思う。そして今この惨状である

それでもここまで堕ちたからこそ、期待される部分がでてきた。とりあえず来年少しでも投げられる兆しを見せて、あわよくばクビになって横浜に入ってほしい。今なら西武でも良いと思う。そして活躍してくれたらと思う。そしたら松坂が、もう一度ヒーローに戻れる気がする。早くクビになってくれ。頼む。そして次を見せてくれ。そう願っている。

このままでは疲れてなめてやってた奴で終わる。そんな松坂で終わってほしくない。

2016-09-28

彼の主張が私を殺す

例の記事についてようやく語れるところまで落ち着いた。ただまだ記事のものは読めていない。

祖母は私が物心ついた頃には透析に通っていた。

今日はおばあちゃんの透析の日だから

というのが当たり前に交わされていた。

透析といっても祖母糖尿病ではなく腎疾患による通院であった。

痩せぎすの、骨と皮だけのような腕には注射痕がいくつも残っており、晩年は腕からは出来ないとのことで足の甲、腹部とその位置は変わっていった。

祖母の息子である父も近年透析に通うようになった。

祖母姉妹である大伯母も晩年透析をしながらの入院であった。

明確に遺伝するというものではないようであるが、状況から私もいつかは、と漠然とした不安は抱えている。

そこにきてあの記事の、あのタイトルである

うそれだけで駄目だった。祖母も父も大伯母も、いつかの私も殺されるということなのだろうか。

ブコメなどを見ると糖尿病による透析患者に対してということであるようだが、それでもタイトルを目にした瞬間の感情は決して消えはしない。

2016-09-09

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横浜にある記念船日本丸横浜みなと博物館に行って参りましたわ。

みなとみらい駅エスカレーターが長くておそろしいおろそしいですわ。むきゅー。

みなと博物館の展示は、ほぼ黒船来航から始まったといえる横浜歴史を伝えています



まず黒船艦隊9隻の中にサラトガレキシントンがあって驚きましたわ。

レキシントンを沈めたのは東京湾のかたきを珊瑚海海戦で討つですわね。

まぁ、エセックス級になって復活しますけど。

後世と同名の船ではミシシッピも3隻の蒸気船の1隻として来ていました。



博物館ライブラリー横浜と船に関する本が集まっていて、名高いジェーン年鑑がないか探したのですけど、

横浜資料の「ちんちん電車の本に目を奪われてしまって、雑魚ナメクジに終わりましたわ。

そして、横浜に造られた大さん橋の展示には「大さん」という方が造った橋と勘違いしました。

音声解説によれば大桟橋のことでしたわ……そこは非常用漢字でも桟を使ってほしいですわ。



みなと博物館は船の復元模型が非常に多くて目を楽しませてくれました。

ですが、ガントリークレーンの動く模型は、吊り荷の下に人形が入る配置になっていて×ですわ。

ヒヤリハット報告書提出ですわ。

それと遠足のお子さまがたくさん見えられていたのでアクリルが脂地獄でした。

掃除の方の苦労が思いやられますわ。



特別展では2015年になくなった柳原先生絵画が展示されていて、

アンクル船長をみたら、あの人だとすぐに分かりました。

切り絵から油絵リトグラフ晩年まで新しい画材積極的に試している姿勢が素晴らしかったですわ。



博物館のとなりに係留されている日本丸入り口スロープをみて

バリアフリーかと思いきや、内部は急な階段に満ちていました。

車いすの方は甲板だけみるのでしょうか。

うっかり船にあがった鯖になりましたけど、さばかれはいしません、さばかれはいしませんですわ。



日本丸のあのマストに登って帆を広げたり畳んだりすると言われても、

悪い冗談しか思えませんでした。

しかも、船が動いていて傾いていて風や波をかぶっていて太陽がでていない場合でも

帆の操作をしているわけです。

日本丸をみて人間業の到達できる高さを知りました。

いまでも毎朝船内にある真鍮の部品が磨かれているそうで、記念船を維持するための

地元の方の営為にも頭が下がる思いでした。

2016-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20160907231846

同じく子無し夫婦だが、別に何にも感じてないな。普通に税金払ってるし、すみませんとは思わない。

子供いない分、今は楽して遊べても晩年は寂しいと思うし、それは等価交換だしな。

それ、言い出したらキリがないもんな。お互いに。

子供たくさん産んで、税金使って学校行かせてすみません

病気医療保険たくさん使ってすみません

子供産まずに年金受給してすみません

自動車毎日乗って、環境破壊してすみません

お肉たべて沢山の家畜を殺してすみません

何に対しての「すみません」なのか?

究極的には、個人問題からなんともできんし。

すみません」って思うのって、結局「こうあるべき」って価値観が強いタイプなんだろうな。

もちろん、その「すみません」を「こうなったらいいな」って理想を追求するのはいいと思うけど。

2016-09-03

シン・ゴジラ東宝庵野秀明円谷プロに引導を渡した作品

やっとシン・ゴジラを見たのだけど、VFXがすべてCGなんだな。

着ぐるみミニチュアもない。

最初ゴジラ特技監督円谷英二映画だった。ミニチュアのセットを着ぐるみ怪獣破壊して回るのを如何にも巨大怪獣いるかのようなアングル映像合成で見せる映画だった。ゴジラの爆発的ヒットを受けて、東宝怪獣映画シリーズ化を決め、それは同時に円谷の職人芸を見せる為のシリーズとなった。円谷は特撮専門の制作プロダクション設立予算糸目をつけずに職人芸のこだわりを突き詰める場となった。

シン・ゴジラには大量のクレジットロールが流れるが、円谷の文字はない(はずだ)。

東宝ゴジラを再創造する仕事庵野に託した。その目論見は当たったようだ。円谷晩年作品帰ってきたウルトラマン」へのオマージュクリエイターとして知られるようになった庵野が何を考えてこの仕事を請けたのか、知るところではない。結果がすべてだ。

一方の円谷プロは、今もウルトラシリーズの新作を作り続けているが、基本的過去ウルトラマン作品知的財産権管理で食べているようなものだ。円谷の特撮日本お家芸と言われた時代は完全に終わったな、というのがシン・ゴジラ最初感想だった。

2016-08-17

NHKスペシャル捏造・虚言を肯定 はてな民激怒

先日放送されたNHKスペシャルふたり贖罪(しょくざい)〜日本アメリカ・憎しみを越えて」が面白かった。

内容は、太平洋戦争で敵国への憎しみを募らせる経験をした日米の軍人2人が、戦後それぞれキリスト教宣教師となり、米軍人は日本で、旧日本軍人はアメリカで、「憎しみはいけない」と布教した人生を追ったもの



その中で、旧日本軍宣教師が話していた自身経験談とされるエピソード捏造されたものがあり、晩年アメリカで追及された、と触れていた。

NHKはそのエピソードについて、「憎しみはいけない」というメッセージを分かりやすく伝えたくて、善意で作ってしまったものだろう、と結論づけて流していた。



この手の、自身を良く見せるために捏造した虚言は、現代ネットでは炎上対象になっており、袋叩きにあって糞味噌にけなされるものだが、おいおいNHK大丈夫かよ

はてな民激怒ちゃうぞと、この内容に笑ってしまった。

2016-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20160814121956

うちも認知症祖母結構な期間介護してたか気持ちは良くわかる。2年くらい前に死んじゃったけけどね。



介護は母と独身の叔母が付きっきりだった。

経口補水液ゼリーとか、赤ん坊用の離乳食とかイヤイヤって拒否する祖母の口に流し込んでた。

トイレも出来なくなってるから、家で介護してた時もそこらじゅうに糞尿垂れ流してた。

普段下ネタ嫌いな母が片付けながら「これがホントのクソババアだわ」って言ってた。

これくらい愚痴らないとやってられないらしかった。



食事を与えたり着替えさせたり世話するたびに、なんでも嫌がってよく助けて助けてってわめいたらしい。

自分が誰なのかも、目の前の娘たちのこともわからないし、何故自分がこんな状況になってるのかも

本当に何もわからない。



晩年祖母を見舞った時の印象はとにかく不安そうでおどおどしてて

怖い目に会いたくないからかずっと愛想笑いみたいに引きつった笑顔をしてた。

まるで精神年齢は3歳程度の女の子って感じだった。



自分はというと、その時期もう実家出てたし年に数回帰るくらいだった。

母は、もっと帰ってきてくれとか、今の仕事辞めて実家に帰ってこいとか無責任なこと言ってたな。

それだけ心身ともに母もキツかったんだろうけど、それでも自分は往復8時間かけて帰省する機会を増やす気にもならなかったし

ただ生き長らえさせられてる祖母に会うのも嫌だったし、あってもどうせ祖母自分のことは分からない。



から当時はそういう時間自分生活のために使ったし、今もそのことを後悔したりとかは特にない。

比較的近くに住んでいた弟は頻繁に帰ってたみたいだけど、俺のいないところで薄情野郎って思ってたろうな。別にいいけど。





はいえ、必死祖母の世話をする母たちにもうやめなよとはいえない。

何故なら、母たちにとって祖母けが本当の意味での肉親だからだ。

祖父はもう10年以上前に死んだが、その祖父の無茶に振り回されながらも必死子どもたちを祖母は守り続けてきた。

どんな時も味方であり続けた。その無償の愛の重みは他の人間には分からない。俺ら家族でも全部は分からない。



祖母葬儀で母たちや弟が涙を流す中、自分は涙ひとつ流さず

やっと終わったんだなって、当事者でもないのにホッとしてしまっていた。

最後棺桶閉める時も手を合わせて、今まで大変ご苦労様でしたってそれだけ言った。



葬式は生きて残された人のためにやるってよくいうけど、終末介護も同じだよ。

今まで散々苦労かけて育ててくれた親だもの最後くらいは自分の好きなように世話して、

寝たきりでもなんでもいいから生き続けて欲しいって思っちゃうんだよ。

もはや祖母自我とか意思とかどうでもいいんだよ、ただ死んでほしくないから世話し続けるんだよ。

理屈とか合理性とは全く逆の判断だよね、でも人間から最後感情で動くんだよ。



自分ならどうするかな。介護にかかるお金時間

今の自分なら子どもを育てることが最優先になっちゃうな。薄情と言われても自分の妻子の方が守りたいもの

でも20年後ならまた違うんだろうなあ。

2016-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20160811181117

若いころ派手に遊んだ人ほど

晩年若者に対して道徳的あれと唱えるらしいぞ

石原慎太郎とか典型

2016-08-04

ホントに本を読まなくなった。


読まなくなった理由を挙げると......




本を愉しむなら小中校の学生時代

人生を本に託すなら、若年の社会人時代

中高年になると、子供の世話でハラハラして落ち着かないし、晩年は目がかすんだりそもそも見えなくなったり、病気骨粗しょう症からくる疲労骨折や膝の痛みリハビリ介護の日常になるので、本を読むどころではなくなります

2016-07-15

貧乏ブサメン中年童貞になると

周囲に「そろそろ結婚しろ」とプレッシャーかけてくる人すらいないので気楽。

あと30年後くらいには孤独死してそうだけど、まあアパート大家さんに迷惑からないように

晩年は無人の山中で野人生活しようと思ってる。

2016-07-06

祖父競馬と私

祖父が亡くなってから今年で3年が経った。

晩年祖父病院で寝たきりだったが、元気だった頃(亡くなる時から4〜5年ぐらい前か)は、専ら競馬駅伝TV観戦が趣味だった。

特に競馬が好きで、自分物心ついた頃から祖父の机には競馬マークシートが積み上げてあり、1日競馬新聞を見てボールペン新聞に書き込んだり、マークしていた。それを見ながら小さい自分白紙マークシートに絵を描いて遊んだり、マネして適当マークしてみたり、よくわからない競馬を一緒に見ていた。

そしてしばらくすると祖父は「散歩に行く」とだけ言って出かけて、近くの場外馬券売り場で馬券を買って帰ってくるのだった。

祖父が買う馬券子供自分は見てもいつもよくわからなかった。

単勝だとかワイドだとかボックスだとかながしだとか書いてあったが、いつもだいたい右下に「100円」としか書いていなかった。(もしかしたら最低額が300円の馬券とかあるかもしれないが、とりあえず最低額しか買っていなかった)

祖父は今でも謎が多い。シベリア抑留の数少ない生き残りだとか、東海の生まれだとか、色々言われているが、最期まで真相を語らなかった。

祖母にも聞こうと思ったが、祖父が亡くなった直後に老人ホームにてかろうじて「静岡出身」ということを聞き出しただけだった。(その後祖母もぼけていき、亡くなったし、親に聞くのもなんか恥ずかしいので今もわからない)

まあそのへんは知りたいが、ここでは重要ではない。

この間、初めて馬券を買った。単に最近友達がやっているので、自分もやってみようと独学で基礎を調べた。

そして即PAT楽天競馬ではなく、実物の馬券を買ってやりたいと思い、いざ意気揚々と近くの場外馬券売り場に行き、スマホで馬柱を見ながら予想して、マークシートを取って記入した。

場外馬券売り場は老人というか、言い方は悪いが掃き溜めのような感じで正直怖かった。

スリに遭いそうだ、刺されそうだと、壁に背中を向けてマークシートを書いて、とりあえず手近なレースを予想して馬券を買った。

馬券を手にとって、あとはレースの展開を見守るだけ、と思ったその時気がついた。

自分祖父と同じ道を無意識に歩んでいたのだった。

自分祖父の影が重なったのがわかったのだった。

祖父散歩馬券を買う場所と同じ場所大人になった自分は今、馬券を買っている。同じ場所の場外馬券売り場で、同じように。

祖父と違って読むもの競馬新聞ではなくスマホだし、予想の仕方は祖父と違って手探り。レースの経過は自宅のテレビではなく帰宅途中に見るネットストリーミングだが、決して欲張らず、どんなに自信があっても最低額しか賭けていない。

自宅で、結果の出たレーススマホ確認した後、決して大きくない1枚だけの「単勝」と書いてある小さな当たり馬券を見て、祖父との思い出を振り返っていた。

おじいちゃんっ子でよかったなとか、祖父自分に小さい頃からよく言い聞かせていた

「真面目にコツコツやっていれば結果はついてくるんだ」とかを思い出して、祖父のような生き方を心がけよう、と思った。

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627200348

それもあるが、そもそも秀吉は(夭逝した子を除くと)晩年まで子なしで、茶々子どもを産めたことが本人には何よりも価値があったので、側室としては異例なほどの特別待遇になった。

逆に秀忠(家康の子)は下女に長子を産ませたけど、その下女は(江姫の意向もあって)遠方の寺に追いやられている。

2016-06-26

友達によくメンヘラと言われるJKひとりごと

メンヘラだな〜って言われるけど自覚がない。メンヘラってアレでしょ手首切って止まらない〜ってTwitterにあげる人でしょ??(偏見)わたしはそんなことはしないけど自他共に認める死にたがりだし病んでる自覚もあるのでもしかしたらそうかもしれないなあとさいきん思う。書くと落ち着いて精神安定するからぼろぼろだと思うしひとりごとしか聞こえないかもだけど書くね。生理前なのも手伝ってかここ2日あたりやばいので書く。

なんかもう首がむずむずするというかなんというか圧迫感?違和感?があって、肩を上げてなきゃ気持ち悪いのであげてたら傍から見たら変な人だし猫背になったしさらに暗く見える。しかも調べたら精神的なものとか出てきてマジモンのメンヘラやないか自分ドン引きしてる。もうかれこれ3年くらいこの癖?精神的アレ?知らないけどこれが抜けないのでさいきん肩がバッキバキでつらい。なんやねん。

ていうかなんかもう辛すぎてはやくどうにかしてほしい。死ぬでもこの性格を治すでも転生するでもなんでもいいから神よなんとかしてくれ。ていうかはやく死んで妹にわたしのこれから人生に親が使ってくれるはずだったお金を譲ってしあわせに暮らしてほしい。妹は頭が良いし顔もそっくりだと言われるけどわたしにはあんまり似てなくて可愛く見えるし、この子が1人っ子だったらどんなに良かったかと思ってしまう。わたし私立バカ大学への進学代に使うくらいならこの子大学院やら有名私立やらに使ってやってほしい。常に申し訳なく生きてるくせに物欲だけは人並み以上にあって、娯楽がなければ死んでしま人種なので、親の金をばりばり食う金食い虫になってるし早く死んだほうがいい。とか言ってなんで死ねないのか自分でも不思議であるわたしが死んだら臓器でも角膜でも挙げられるものならなんでも求めている人にあげたい。わたし他人の役に立てると考えただけで嬉しくて信じられなくてちょっと泣く。たぶん大きい病気はしたことないし精神はアレでも肉体は健康的だと思う。わたしがいるせいで妹に使うお金が少しでも少なくなっていると思うと申し訳ないしもったいないなと思う。それにほらうちの両親なんていうか晩年婚っていうのかな若くないから老後にも当ててくれよ……。でも姉が自殺とか家のメンツ立たなくね?どうなの?事故とかでいいんだけどな……でもこんな残念すぎるわたしだったらコインロッカーに捨ててるようなコインロッカーベイビーズにも愛情を持ってくれている父と母は泣くだろうか。なんやかんや言いつつもわたしをたすけてくれる妹も泣くのだろうか。わたし記憶に残るのだろうか。

頭も顔も残念な女子高生に!未来はあるのか!明日はあるのか!いやない!俺達に明日はない!明日には死ぬ勇気が溜まってるといいなと思いながら寝る。自分でも文まとまってないしやばいと思う。まあいいや。おやすみなさい。

2016-06-24

anond:20160623165038

待ってー徳川勢はむしろ駿河の国静岡へ戻ってきてー

家康ケイキ様も晩年静岡でしょ?

海あり山あり、食べ物いろいろあるし穏やかでいいとこじゃん?

どうかよろしくお願いしますー

2016-06-23

生活水準尊厳を守るということ

恒例(笑)の「痛いニュース」より、こんな記事がまたはてブで上がっていた。

痛いニュース(ノ∀`) : 貧困の“実相” 「毎日毎日おなかがすいて、敗戦時と同じ状況」…年金22万でも家賃13万円 - ライブドアブログ

これでふと思い出したのが(そんなに関連性はないのだが)、ある知り合いのお爺さん。私は孫のような年齢だから、そこまで話したことがなかったが、私の父と仲がよかった。

裕福な家庭に生まれ、ずっと一等地に暮らしていたが、今で言う「老後破産」的状況に陥り、晩年バイトで食いつないでいた。人前では気丈に振る舞っていたが、独身で、親戚との関係が悪く身寄りがおらず、相当困窮していたという話を後々聞いている。

それでも彼は、もっと家賃物価の安い場所に、という判断ができなかった。プライドもあったろうし、そもそも人間の本性として、いままでの生活レベルを下げる、というのは相当の意志必要だ。生活水準がその人の人としての価値尊厳に直結している、というのは多かれ少なかれ多くの人が考えてしまうことだ。経済学的には、収入の減少にあわせて自分生活も抵抗なく変えられる人と、そうでない人がおり、この人は完全に後者の方だったのだろう。

ある日彼は早朝バイトへの通勤途中、踏切電車にはねられ亡くなった。彼は足が悪かった。警察渡りきることができず「事故」に至ったと結論づけたようだ。(「自殺」と判断され、身寄りのない当人賠償請求が課せられるのはあまりに酷だという配慮もあったかもしれない。)しかし私が噂に聞いた話では、目撃者がおり、それによると、彼は線路の真ん中で立ち止まり、その場でへたり込んでしまったのだという。

真相はどうあれ、人として生きる、しか尊厳を抱いて生きる、というのは如何に難しいことか。彼が自らの尊厳を守ろうと、意識的にか無意識的にか、線路の上に立ったのだとしたら、それはあまりにも悲しい「尊厳死」だ。そしてきっと、全国でそんなような「尊厳死」のケースはあるのだろう。今20代の私も、我が行く末、そしてこの社会の行く末を思うと胸が苦しい。

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