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はてなキーワード: 感情移入とは

2016-09-25

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-09-24

駅員飛び降りの件。

何件かのツイートで、乗客に対して「人が死んでるのに遅延したことへの文句しかないのか」と。

でも、都心部電車通勤してる人なら言わずもがな人身事故はもはや日常

年間3万件を超えるという自殺のうち、何割が電車で処理されてるのか知らないが、全くもって珍しくない。

私は列車トラブルを聞き逃すと困るからウォークマンは使わない。

車内放送聞き取りずらいし、第一報が聞けていたら、振替輸送で遅延回避できることもある。

で、振替可能ポイント第一報をキャッチしたら、いつもとは違う駅で降りて、振替用の券もらって、いつもとは違う列車に乗って会社に向かう。

列車通勤だと振替輸送も何度もお世話になるから、そんなに特別なことじゃないけど、

「いつもとは違う」ことで少し落ち着かない。


どうにもならないのは、振替不可ポイント第一報を聞いたとき

最短で40分は待ちぼうけ。

遅刻確定、会社に連絡。

乗り換え待ちでホームにいたなら、冬は寒くて夏は暑い

から出て、カフェにでもいればいい?

ホームの列に並んでないと、遅刻時間が長引くでしょ…

やっと電車が動き出しても、一本目にはまず乗れない。

運が良ければ二本目で。

でもすごい混んでる、ホントに混んでる。

まっすぐなんて、当然立てない。

座ってるおっさんの足が膝の間に割り込んでくる、信じられない、でも痴漢じゃない!

乗ってるだけで疲れるくらい混んでる…

会社の最寄り駅に到着した頃には、まちぼうけのイライラと混雑電車でもみくちゃにされたせいで、

すっかり疲れてる。

でもまだ一銭にもならない、仕事はこれからだ。

マジか?


そんなこんなで仕事を終えて、駅構内に入ったら真っ先に注目するのは電光掲示板

遅延発生の路線通勤路線でなければ、しめたもの

〇〇線はいつも大変だなーって思いながら、スイカで改札通ります

ちゃんと数えたことはないけど、電車使ってると人身事故ニュースを一か月聞かないで過ごすことはできない。

そしてその事故は一日限りとはいえ、ダイレクト生活に影響してくる。

一回一回は一時間程度でも、それは何度も起こり繰り返す。

多分、人身事故ニュースを聞いて一瞬でも気持ちが暗くならない人はほとんどいないんじゃないかな。

でも、何度も何度も繰り返すそれに、やっぱり慣れも生じてくる。

たか、って思ってこれから自分が起こすべきアクションを想定する。

今の自分が出来るよりよい行動の変更を。

人身事故に無感動な自分に、嫌悪感がないわけじゃない。

でも、日常に何度も何度も割り込んでくる、「見知らぬ人の死」に感情移入し続けることはできない。

からといって、駅員に八つ当たりしようとは思わないけど。

普段電車を使ってる人なら、人身事故が起きたら30分は復旧しないことは分かってると思う。(路線によるかもだけど)

から、遅延で駅員に絡んでる人は、

自分の行動が狂わされたことの収まらない腹立ちを当たりやすい人にぶつけてるだけだと思う。

イライラしてんのはお前だけじゃないよ…と思ってうんざりする。

その駅員が解放されれば、振替でまごついてる他のお客さんの対応ができて、

たまった人がスムーズに流れるというのに。

一度だけ、自分の乗っている電車事故の該当車だったことがある。

事故が起きた」といって、列車が止まった。

ほとんどホームに入っていたから、該当車であることにすぐに気づかなかった。

でも、ドアが開かないしなんだかおかしいな…と思っていたら、事故が起きたのはこの駅だという。

5両目くらいに乗っていた。

特に変わった音は聞かなかったと思う。

降車したい客は一両目のドアを開けるから、そこから降りろという。

電気が止められて暑くなってきたから、移動して電車を降りた。

ここしか開けられなかったのは、「救助活動」の現場を人目にさらさぬためだったかもしれない。

遠目に担架らしきものが運ばれていくのが見えた。

やがて運転再開アナウンスが流れ、該当車がこのまま運転を続けることに軽い驚きを覚えながら、

そのまま出勤した。

遅刻出勤しても、該当車に乗り合わせたことを仕事仲間には言わなかった。

救助された人が無事だったかどうか、私は知らない。

2016-09-21

映像作品のいいところ・悪いところ

映画のいいところは音楽があるところだ。最高のシーンに最高の音楽があればそれだけで最高だ。映画というかアニメでもなんでも映像表現ではそうか。とにかく音楽があるのが最高。

しかしこの音楽があるところが逆に悪いところでもある。映像描写されている世界に完全に入り込めないのは音楽があるからにほかならない。音楽がかかると、それは人の手によって作り出されたものだと意識させられてしまう。自分のものではない感じ。誰かが準備した映像に誰かのタイミングによって音楽がかかる。比較すると、マンガ小説のほうが感情移入出来る度合いが大きい気がする。完全に物語の中に入り込めるのは、映像よりもマンガ小説のほうが純度が高いように思える。人の手が介入していないように感じられるのだ。何言ってんだマンガなんて絵だし小説なんて文字だろ、人の手がかかってるなんて丸わかりだろと思われるかもしれないが、その作品感情的感覚的に入りこんだ時、マンガ小説場合はそこの空気感完璧脳内イメージ出来ているので結果的には感情移入の純度が高くなるのだ。そういった意味では音楽なんかも感情移入するときの純度が高い。

まり私は、映像作品作品を鑑賞するように楽しんでいて、小説音楽ある意味、疑似体験というか脳的なところで楽しんでいるようだ。違いをさらに考えると、自分のペースで物事を運べるかというところも違うかもしれない。映像は完全に用意された世界で誰かに用意された時間きっちりに物事が起こっていくが、小説などは自分のペースで読めるし、音楽は聴きたい時に聴ける。

2016-09-20

モバマスあんスタへ移行した感想備忘録

増田キノ子P。女性。総額7桁いかいくらいの微課金勢。アニメシンデレラガールズはとても良い出来だと思っているが、声優さんキャラクターに扮してライブイベントを行う風潮が好きでないので、毒茸伝説を生で聞いたことはない。

スクフェスを頑張っていた時期にデレステリリースがあり、操作感の違う音ゲーやりこみきれずにデレステにしっかり移行できなかった。(μ's解散につきスクフェス引退したので、Android版の操作感が向上していればデレステ再開してもいいかな…と思っている)

昨今あまりないポチポチするだけのゲーム

モバマスの良いところは何も考えずに時間つぶしのようにポチポチするだけでなんとかなったところだった。

一曲集中して叩かなければならないリズムゲームや、戦略性のあるゲームは頭を使わなくてはいけないが

仕事の合間にぼーっとしながらこなせるものの方が嬉しい。

モバマスが完全に「デレステのしいよ、やろうよ」と押しに押しまくってくるプレッシャーから逃れるためにあんスタをはじめたのが3ケ月前。

解像度の高い初期モバマスという感じ。最近デレマスというんだっけ?


イベント

なんとマラソンイベント一種しかない。簡単

スタミナ等の回復アイテムに時限がついていて、プレゼントボックスで受け取れる期間および受け取ってから使用できる期限が

かなり短く定められている。これによって貯蓄をぶっ放してイベント上位に食い込むことが難しく、都度都度の微課金有効に働く仕組みをとっている。

また、同システムのお陰で後発ユーザが損をしづらい、いつでも入って来やす構造になっている。

課金でもガチャアイテムがかなり貰えるため微課金、無課金であれば一年続けている人も先週はじめた人も同じくらいの強さ。

また、ユーザ同士での直接対決イベントプロダクションマッチフェスのような)ものがなく、ランキング報酬と完走報酬にあまり差がないため、色々とストレスフリー


復刻イベントシステム

イベント期間外のアイドルタイムを使い過去開催の任意イベントに参加出来るシステム

但し前述の回復アイテム賞味期限制により、かなりはしりづらい。

復刻イベント自体最近実装されたものらしく、回復アイテム賞味期限制との相性を良く考慮されないままだと思われる。

過去イベントストーリー、スチル等の回収が可能なので全体的にはとても親切。


キャラクター

アイドル」と「高校生」という2つで縛ってしまっているためバリエーションが少ない。

女性向けなので関係性が重視されているが、「幼馴染」や「過去友人であったが現在確執がある」等の(おそらく人気なのであろう)設定がある組み合わせが重複してしまっている。


ストーリー

メインのライターさんが二人いるらしく、キャラクターの口調がぶれる

また、アイマスシリーズにおけるPのように、主人公がどのような仕事をする役割なのかはっきりしていない。

乙女ゲー要素+アイドル関連だと良くある事態だが作中の設定を信じれば主人公のやっていることは

10ユニット分の仕事を取ってくる、仕事現場に同行する、その合間に全員分の衣装を縫う、更にその合間に差し入れ食事を作る等高校生とは思えないハードワーカーだ。全く感情移入出来ない。

ちょっとしかやったことないけど、うたプリに触れたとき主人公ちゃんはつんくさん並に曲を書くスーパー作曲家という印象が強い)

シリーズ作品との連携

作中キャラクターの妹が出て来るあんさんぶるガールズ!!リリース予定とのこと。

正直期待している。

総評

目新しさは全くないが電車ポチポチしたりするにはすごく丁度いい。

改善して欲しい点はストーリーもっと緻密に作ってもらわないと(これはシナリオライターさんの問題と思われるが)

数人のキャラクターヘイトが溜まりやすい。

女性アイドルもののようなみんなで頑張ろう系でなく、同じ学園内での足の引っ張り合い劇場なので、本気で推すキャラが出てしまったら精神的に辛いだろうなと思う。


またなんか面白そうなポチポチゲーがあれば手を出していこう。モバマスはもう色々複雑化しすぎて今更走るのは無理。

2016-09-19

映画 君はゴジラの聲

みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想

君の名は。

良いところ

・くっついた

新海誠は、恋愛映画最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。

・人以外の絵が綺麗

彗星とか。ご神体盆地の外縁から景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。

悪いところ

・隣の席のカップルおっさんの方

上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。

・手の動き

金麦の生まれ変わりが板書してるところ超キモい

主題歌

前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議

シン・ゴジラ

良いところ

行政機関の内部描写

実態に即しているか不明だがリアリティを感じた。各人物無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートあんまりにも面白かったので、特別事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存作品を教えて欲しい。

自分東京在住

各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。

ゴジラが怖い

今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程作品リアリティレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。

悪いところ

石原さとみ

石原さとみ別に悪くない。通勤中東メトロ看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。

聲の形

良いところ

OP

冒頭は石田カレンダーカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田島田島田じゃないやつの関係性をモンタージュ表現しながら右から左ジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。

・永束

一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使

・結絃

みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス

・取捨選択

この映画石田主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者恋愛ジャンル標榜していないが、映画さらにその手の描写オミットしている。例えば植野石田に対する感情原作と変わりないのだが露骨表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマフォーカスすることに成功していると思う。恋愛コミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態しか過ぎないので。石田西宮の行動についても、原作では読者が意図解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプ映画川井描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。

悪いところ

・鯉

パンを食べさせ過ぎて怒られそう。

聲の形」の登場人物共感できない

聴覚障害のある女を物理的/精神イジメの標的にし、主犯格になる主人公

主人公に対し「お前の気持ちも分かる」「外れクジだ」などと言う本音と建前の使い分けもできない担任教師

・一転して主人公男がイジメの標的になった際に、ひっそりと庇い続けるヒロイン

ヒロイン妹が家出しても心配しない、ヒロインが居なくなると心配して探し回る、手話も覚えていないヒロイン

・酷いイジメをした主人公をすぐに許す、さらに好きになるヒロイン

主人公が好きだという理由人間関係を引っ掻き回して暴れまわる黒髪ロングの女



もうどいつもこいつも気に入らない。とにかく共感できない。感情移入できない。登場人物全員クズばっかじゃねえか。

唯一評価できる点は贖罪のため主人公手話を覚えたってところだが、それにしても性格変わりすぎだろう。小学校時代にあれだけド屑だったのに何で常識人風になってんだよ。

ついでに言えば京アニ作画も気に入らない。あそこが作るとけいおん!しか見えねえんだよ。

ほんと胸糞悪いわ。まあ評判もそこそこ悪いようなのでそこは安心したが。

セカイ系なんて嘘さ

セカイ系」という言葉の由来を調べると、個人ブログ記事に載った幾原邦彦発言にたどり着く

http://blog.livedoor.jp/personap21/archives/53990398.html

http://kanshari.blog.fc2.com/blog-entry-15.html

幾原 何をもって漫画というのかっていうのははっきり言えないんだけど、ひとつには、ものすごい近いところと、ものすごく遠いところしか描かないって事があげられる。最近歌謡曲って、みんなそうじゃない。彼のYシャツがどうとかという身近なところか、あとは宇宙の果てとかっていう、想像しか語れない遠いところしか歌わない。中間やばい距離の部分は絶対に歌わない。それは漫画世界だろうって思う。



セカイ系と呼ばれる二大アニメエヴァ」と「ウテナ」を作った監督たちが、まず初めにセカイ系定義を語っていたのだ

しかしその定義はもちろんセカイ系という言葉に向けて語られたのではない

その定義は「漫画」に向けて使われている

ここでいう「漫画」とは当然コミックのことを言うのではなく、そこから派生した文化であるアニメなども含めた意味だろう

もっと言えば「いわゆるオタクコンテンツ」のことで、劇画だとかアートアニメーションは含まれない。


そう、エヴァウテナ以前から漫画アニメセカイ系だったのだ

そりゃそうだ

元来漫画アニメ対象であった子供達には、ややっこしい社会の部分など分からず、

求めるのは感情移入できる魅力的なキャラクターと、画面を覆う大スペクタクルである

極端な話、東映大長編時代からこちら、アニメの大半は「子供世界を救う話」なのだ


この言葉を使ってポストエヴァゼロ年代などと批評していた連中は

「都会のカラスは黒い!」とか「女には目が二つある!」などと喚いていたようなものなのである

2016-09-17

君の名は。」見てきた。自分感性死ぬ前に見れて良かった。

君の名は。」見てきた。よかった。

隣のアラサー仲良しグループが途中で笑っていた以外は最高によかった。


僕、26歳。男。独身


君の名は。面白いと感じるかどうか、見に行くまでは不安だった。それは杞憂だった。

僕にとってはよかった。見てて鳥肌がたった映画は久しぶりだ。というかこんなに鳥肌がたった映画は初めてだったかもしれない。


それだけに、隣で、自分にとっては大事なシーンで、アラサー仲良し男女グループが笑っていたときは頭に血が上った。

こんな奴らにアドレナリンを分泌するだけ資源無駄だと思って自分映画世界に集中しようとしたけど、ほんとに難しかった。


ただ、わかる。僕も結婚して、30過ぎてたらきっと今のような感覚映画を見ることはできなかっただろう。


わかる。僕も映画の途中で、さすがにつっこみたくなった箇所もあった。速攻で意識の外に追い出したけど。

それまでの内容が、僕にそうさせてくれたのだけれど。


上映後駅までの道のりを歩いていると、30代40代カップルもしくはグループできてる人たちには、同じように途中の展開につっこんだり、

笑ったりしている人たちがいた。


もう感性が死んでしまっているのだろう。

ただ、だからといってその自分たち感想を上映中や帰り道に外に漏らすのはやめてくれ。

僕にとってはすごくよかったんだ。上映中や帰り道ぐらい、その余韻に浸っていたかった。


感性が死んでしまっている」というのは強い言葉かもしれない。

ただ、そのこと自体非難はない。(非難されるベきは、上映中に笑ったりしてること)

個人のことで言えば、もう子ども向けのアニメを楽しめる感性は死んでしまっているし、

ねるねるねるね」に対する感性も死んでしまっている。(子どものうち、つまり感性が生きているうちに、1回ぐらいネルときたかったというのは心残り)

個人のことで言えば、僕は「君の名は。」に対する自分感性の旬を逃さなくてよかった。むしろ最高の時期に見れた感すらある。


高校ときだったら、割と擦れた感じだったから、上述のグループと表面上は同じように「なんやねんこれ」と思ってたと思う。

30過ぎてたら?「ふーん」ぐらいだったと思う。これは個人的観測に基づく個人的な予想でしかないけど。

しろ見に行ってすらなかったかもしれない。


今、26歳。よかった。


物語を斜に構えて見るように擦れてはいないし、

かといって感情移入が出来ない経験がないわけではない。

自分から遠すぎる物語でもなく、かといって近すぎる物語でもない。



よかった。もう語彙が無い人みたいになってるんだけど、よかった。

自分感性死ぬ前に見てこれて良かった。





で、それ自体の話は一旦終わりで。


僕、過去映画とかの帰り道に「つまんねー」とか言ってたことあった。


今回、「君の名は。」見て、そういう経験して、猛省した。


自分にとっては何ともないものであっても、他の人にとっては、その他の人の個人的背景やいろいろな要因にとって、とても大切なものであるかもしれない。


この歳までそういうことを学んでなかったのが恥ずかしいかもしれないが、学んだ。

自分にとっては大切でないものでも、人が大切にしてるもの尊重していこうと思う。

2016-09-16

ギリギリじゃないと僕だめなんだよ〜♪

ぼっちかつ趣味に対する情熱も薄いやつは、ギリギリじゃないとツライと言う話

 

これまで5年くらい社畜やら掛け持ちやらしてきたんだが 

最近時間に余裕が出てきた

  

また、ここ10年くらい借金を抱えていたが

給料が3倍くらいになったので来年には完済できそうだ

 

そういう風にいい方向に向かっているはずなのに、何故か気持ちはどんどん落ち込んでいく

まるで定年退職してやることが見つからないおっさんみたいだ(私はまだアラサー

 

埋没費用サンクコスト)」という概念がある

最近はよくソシャゲ業界で耳にするが

「ここまで投資したんだから、見返りが期待できなくても投資し続ける」という話で、「もったいない効果」とか言ったりする

私の状態も、これに近いのかもしれない

スキルアップの術も金の稼ぎ方も頭打ちが近く、これ以上そこに注力しても大した効果は得られない

しかしずっとそこに注力してきたため、酷い喪失感を覚えるのだ

 

これが行き過ぎると、今度は「中毒財」となるらしい(この前テレビで見た)

残業しすぎるのもこれだそうだ

 

例えばRPGゲームなんかでも同じだ

レベルアップのテクニックをひたすら磨いたあとに、Lvカンストしたり、クリアしてしまって

そのテクニックが無価値となったときの、何とも言えない喪失感

他のゲームをやらず、ついつい二周目に突入したりする

 

創作なんかでも、そういうことに執着してしまキャラはよく出てくる

「殺し合いゲームの生き残りが、なぜかまた殺し合いゲームに戻ってくる」ようなやつ

成長した主人公に「お前は俺と同じだあああ!」とか言いながら散っていくのがお約束

私はああ言うのを見て「こいつバカだ」と軽蔑していたが、私も同類だったようだ

 

艱難辛苦というのは当たり前だが苦しい

苦しいが、そこからの脱却は”ちょっとだけ”楽しい

幸福度マイナス100から0にする過程は、幸福度プラス100を知らない人にとって魅力的に感じてしま

 

幸福度プラスというのは、家族恋人、仲間、あるいは趣味なんかで得られると思う

中毒財ではなく、地位財でもないもの、と言う感じだろうか

エキサイティングではなく、幸福というやつだ

 

そういうものを持たない奴は、マイナス100から0まで戻ったあと、プラ転させるのが非常に難しい

マイナス100から0への回帰には必死努力しなければならない

すると心身共に荒むし、「必死努力」が癖になってしま

 

でも実際にプラスにもっていくには、心身ともに朗らかで、「適度な努力共感」が必要なのではないかと思う

そうしないと「あいついつも怖い顔して怖い。いつも必死で何か嫌。笑わない」と思われてしま

でもでも、無理に取り繕うように笑ったり明るく振る舞うのは、それも「必死努力」に違いない

自然に笑えない時点で詰んでるのだ

 

ちなみに、0からプラスにしてくれるサービスというものは案外少ない

ギャンブルソシャゲは当たり前だが中毒財だし、風俗も実はテクニックに対する中毒財だと思う

あるとすればせいぜい漫画シミュレーション系のゲームだろうか。ギャルゲとかね

そういう意味で、金を無尽蔵に貯めても大した意味がない。これはRPGと似ている

 

そんなわけで、こういう輩が取れる選択肢はとても少ない

しまとめてみる

 

前提:ぼっち趣味に打ち込めない、必死癖で根暗

ぼっち → 幸福度が0から増えない

趣味に打ち込めない → 幸福度が0から増えない

必死癖で根暗 → ぼっちが解消されない

 

思いつく選択肢

 

【頑張る】

・無理やりどっかに属してみる

・無理やり趣味を作ってみる

必死趣味創作に打ち込み、そこからから楽しめる人脈形成する

 

【諦める】

・諦めてボーっとする

・諦めてはてブをボーっと見る

・諦めてブコメでさっさと死ねとか言ってみる

 

【ズブズブ】

・再び中毒剤を求めて仕事ギャンブルに打ち込む

 

サービスコンテンツに身を委ねる】

日常系アニメを見て「ああ^〜」とか言う

 

【強行パターン

・「さすがに飽きた」とつぶやいて死ぬ

ハッピーターン気持ちよくなる

 

どれもこれもキツイし先がない

そしてできれば、多幸感に包まれるようなサービスコンテンツもっとほしいね

猫カフェとかどうなんだろ

 

つかそもそも何でこんなことになったんだっけ・・・あ、生まれつきか

 

しあわせになりたいね

 

______

追記:

俺なんかがペット幸せにできるわけないじゃないか!w

感情移入しすぎてだめなのよ、かわいそうになる

ペットを飼うには広い一戸建て家族子供と婆ちゃんが必要

 

ちなみに野良ネコは家の前にうじゃうじゃいるけど、すごい勢いで逃げられるから、すごい遠回りで避けていくようにしてる

2016-09-15

日本映画ポスター馬鹿っぽいのは女のせい

全ては女に無料or格安映画を見せるための戦略

 

子供が見る映画は親も見に来るから興行成績2倍みたいな感じで

女が見る映画彼氏も見に来るから興行成績2倍になります

 

しか彼氏のおごりだから女は気軽に映画館に来れる。

ケチ彼氏を持った女はディースデーに映画デートすれば安くなる。

安くて来やすいから2倍以上の興行成績になりうる。

 

恋の病で頭がおかしい女と尻軽ビッチ女を映画館に呼び込むために

あるいは男が女のために買うプレゼントとして

映画ポスター恋愛脳の馬鹿女向けっぽくなるのは当然です。

 

たとえば社会派映画なんて見てもエッチに持ち込めるような良い雰囲気にならんし

最悪社会のやるせなさで何日も気分が落ち込む可能性が有るから

軽い雰囲気映画として商品艤装して売り込むのが短期的には得策です。

(リア充死ね社会派映画いいぞもっとやれ!望まぬ妊娠の末路とか見せてやれ!)

 

特に外国社会派映画なんて社会状況や文化が違うんだから感情移入できるとも限らない。

女だけ泣いてて男はどうとも思っていないとかだと破局しかねない。

 

また、フェミ系の社会派映画ですよって丸わかりのポスターなんて貼ったら

女に誘われた男は「うわー、こいつフェミ臭のする女だな。面倒くさそう。」て引く。

男に引かれたくない女は選択肢から除外せざるを得ない。

 

それに熱心な映画ファン自分から情報収集するし

ツイッタータイムライン勝手に流れてくるから

ポスターなんてどんなデザインでも良いですよね。

 

ただ馬鹿女向けっぽいポスターがいっぱい貼ってあったら

男一人身としては映画館チケット買い難いわ。

要するに彼女のいない男なんかいたら女の目線で見ると雰囲気悪くなるから

映画業界としては一人身の男が入り難いポスター作ってるわけだな。

 

見逃した名作も見つかるかも…? #女性映画日本に来るとこうなる が「どうしてこうなった」続出 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1024317

 

==以下追記=================================================================

 

↓みたいなのは男向けっぽいけど思春期には見に行けないし

今はネットもっと過激なのが転がってるのに何したいんだろう?

 

なぜか日本ではエロ推しに… #文芸エロ映画 として売られている映画は元はこんな感じです - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1024552

君の名は。アラサーが見たけど刺さらなかった

ネタバレを多分に含んでおりますので、ご注意ください。







全体的に錆び付いてしまった私の感性では泣くほど感動できませんでした。

2016-09-14

極度の恥ずかしがり屋で他人に見てみてー!ができないんだけどどうすれば克服できる?


自分自分作品RTするのとか恥ずかしいの極みすぎてつらい

他人が見てみてー!してるの見ると普通にできて羨ましいのと同時に

他人RT見てても何故か感情移入して見ちゃって恥ずかしいって思ってしま


褒められると恥ずかしくて何も返事できない

今の自分クール装って構ってちゃんができない可愛くない人間

可愛くなりたい


見てみてーしてても普通に見てられるようになりたい

心を広く持ちたい

どうすればいいんだ

君の名はマジよかったよ!

シンゴジラ面白すぎて青春映画なんて見ても

やっぱシンゴジラだよねみたいな再評価に落ち着くかと思ってたけど裏切られたよ!

新海誠いいよ!

おっさんだろうけどすごいよ!

おれもおっさんだけど尊敬するよ!

レビューで年取った人が見ても所詮主人公感情移入できなくてヘコんで虚しいだけみたいなこと言ってたけど、全然そんなこよないよ!

おっさんの思い出も掘り起こされたよ!

甘酸っぱい青春なんてなかったけど

むりやりないものを掘り起こされたよ!

そしてなんか見つかっちゃよ!

捏造だよ!

土足でおっさんの思い出にズカズカ入って来られたよ!

アメリカ人だよ!ハリウッドだよ!

もう国籍アメリカだよ!

三葉生きててよかったよ!

四葉もだよ!

ここはちょっとネタばれだよ!

おっさん毎日生きてるよ!

ラッドもよかったよ!

ラッドよかったってレビューで書いてあるの見たか

歌詞に集中して映画見てたけどあんまりよくわかんなくて

でも雰囲気でなんかよさそうだってのはすごく伝わってきたよ!

それで満足しちゃったよ!

applemusicでラッドDLしようと思ったけどなんか日本対応とか言って怒られたよ!

おっさんが住んでるのはバリバリ日本だよ!

しょうがいからなんかベストバン聞いてるよ!

映画みたてで興奮してるよ!

シンゴジラで盛り上がったおっさんたちも君の名は見ようよ!

ネットに持論展開しておっさんを楽しませてよ!

圧倒的にレビュー数少ないよ!

君の名が知りたいよ!

おっさんの前に座ってるザワンのおっさんの降りる駅が知りたいよ!

おっさんの名はまさおだよ!

まず自分から名乗るよ!

匿名だけど名乗っちゃうよ!

明日早朝リリースだよ!

帰ったら早く寝るよ!

起きて事務のおばさんと入れ替わってたら困るよ!

2016-09-11

僕がシン・ゴジラについて「はいはい庵野庵野」と言ったのは、庵野秀明作品の中ではあからさまな様式美の詰め合わせでかつ、他作品でやったことのやきうつしだったからだし、そこに熱狂する人はオタクとして強度が… / “東浩紀氏「シン・ゴジ…”

典型的学者気取りのオタクが書いた、わっかりにくい日本語と、エビデンスで取り繕ったクソみたいな文章の好例。こういう文章自己満足でつくることを評論だ、批評だと言う人が嫌いで俺は評論同人への寄稿をやめた / “『君の名は。』の大ヒ…”

アニメについての評論批評を見ても作品面白くなる解釈ができるようになるわけでもなきゃ、アニメの見どころや作画的な技術論がわかるわけでもないことに気づいた途端に急に冷めてしまったのです。あー僕がやりたいのは作品紹介や楽しく見るために抑えておきたい情報であって評論じゃないな~と

オタク文化リア充色や社会派色を帯びて一般化して、オタク時代は終わった」とか言ってる東浩紀に心底言いたいのは「今の20代子どもの頃に押井守アニメエヴァみたいな要素を含んだ冒頭からスタートするミュウツーの逆襲からアニメを見始めてそれがおとなになっただけ」ってことさ!!

支援ブクマ。いいぞ~ころしあえ~ / “「『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか」はどこがまちがっているか - 赤目無冠のぶろぐ” (2

オタク論」は学者ごっこでしかなくて、実際にコンテンツ好きな人コンテンツの話をするためにやってることではないからなぁ~。「評論ごっこ」「論文的なエビデンス漫才ごっこ」であって、もしこれを人文系学問というならこんなもんに国がカネ出してる方が異常。憧れて同人作るのも狂気

オタクという自意識を持たない人をリア充だというならそれってどうなんだろうって感じはあるし、ジブリアニメで育った世代オタクじゃなくてもあんなこじらせたもの国民的娯楽だと言って幼いうちから見せられてるんだからオタクじゃなくてもその基礎的な土台はオタクなんだと思うぜ?


@tm2501 いやだからその事実自体が「オタク時代は終わった」なのでは


@kimiterary だったら、それは20年前(もののけ姫や、ミュウツー邦画歴代ランキングで上位に食い込んで、アニメ映画オタク以外が見に行く時代になった時)に約束された話だから、今それを言うこと自体が遅すぎない?…とは思う。

まぁ、その辺は記事にしたので夜に出すけど.それはね、多分「表面上の言葉でこの言い方をしたら絶対に誤解されるから、俺なら絶対こんな言い方をしないわ」っていうレトリック問題であり、ある種の(正直言って、納得行かないけど)同族嫌悪なんだと解釈してるよ…うん



@tm2501 確かにもののけ姫ミュウツーに「オタク特有グダグダした心理」の描写はないんだけど、その二十年分の変化の集大成として、節目の年と感じてるって話じゃないのこれ。その二十年前にいるのがまさにエヴァなわけでさ。



@kimiterary 東浩紀文脈オタク定義動ポモで扱ったものやそれを論じたゼロ年代ゲンロンとした上で)あるものエヴァでありエロゲなんだろうと思うけど、世の中の人ターニングポイントが本当にエヴァだったのかと言われるとそこにはとても疑問を感じるかなぁ…数字問題として



というか、うちのブログやそのスタンス自体が、「哲学者批評家の言ってることを噛み砕いて、アカデミック言葉を使わないで書く」という部分(本人すらアカデミックでそれをもっとシンプルに言い表した言葉があったことを知らずに書くことは多い)があるからねぇ~うん。


@tm2501 「誰しも土台にオタク的部分がある」のは普遍的にそう。ただ、それを突き詰めても「だからみんなオタクであり同時にオタクではない」みたいなところに帰結するだけで、そこからこぼれ落ちる人間、こぼれ落ちる想像力は確実にあって、で、それらはもはや力を持てないって話なんかなと。


@tm2501 世の中のターニングポイントエヴァだったのかが問題なのではなくてシンゴジラ監督庵野であることがこの文脈では問題なのでは?



@kimiterary あー…直感的には理解したけど、いいアクションを持ち合わせない部分がある話やなぁ~。

@kimiterary あー…うん。(概ね納得)

だとするとすげー個人的な話を主語がでかいままネットに書き込んだ系のことやなぁ~。「お前はそうかもしらんが、一般的分岐はそこじゃないだろ」的なモヤモヤ個人的な話である時点ですでに意味を持たないというかその人の手を離れるわな…



@tm2501 つまりアニメマンガ文化愛好者」としてのオタクと「少数派としてのグダグダメンタリティ所有者」としてのオタク問題。前者がもはやメインストリームに取り込まれた(皆オタクであり非オタ世界)として、後者想像力が表出してくる余地果たしてあるのか、でしょ。

@tm2501 そもそもアレ個人の感想だけどな?



@kimiterary それな(盛り上がってるから真夜中にがんばって記事を書いたけど、結局東浩紀との対立というよりも、EXILEまでオタク的になったという話までの道のりを自分ポケモンとかジブリを使って補填するようなすごく説明的な記事からいいんだけどさ…)


@kimiterary 「後者はそもそもオタクなのか」とはてなブログにいるとすげー思うけどなぁ~。結局、何を議題にしてもグダグダにグズグズに揉めてる印象があるからオタク論争だけでなく、人間関係でも、サイトブログアルゴリズムテクニカルな話でも



@tm2501 ちなみにこんなこと言っておいて難だけどセカイ系とは相性が悪いマンからさほど感慨はない……w



@kimiterary あ、僕もそこはどうでもいい派。15年以上前オタク同士でランデブーしてろ派だし、安易に話に入ると誰も幸せにならないか意図的スルーする



@tm2501 端的に言って本人の能力値がどこでいいからどこかに向けて高くない限り救いようがない人種だけど、わりとそれオタクの本質の1つだと思うんだよな。










@tm2501 てゆーか貴方だしすっげえ雑なこと言うけど、要は1つのテンプレとしては太宰に感情移入ちゃうタイプメンタリティが挙げられるんじゃないの、後者ファウスト系に人生曲げられたマンとしてはこの辺他人事ではない



@kimiterary それ、私には発達障害問題IQの低さと高さが混在した人間宿命や悩み)の話に聞こえるから哲学案件ではなく、精神科案件か臨床寄りな心理学案件な感じがあるかなぁ…。個人的な話でもあると同時に、それらを病気や克服すべき問題定義したのはそっちだし。



@kimiterary そこまで広くくくっていい話だとすると、それは確かに哲学案件




@tm2501 俺としては「病気が治ってしまったら病気が治る前の自分は死んでしまう」みたいな感慨があるからいかに病を抱え続けていけるかの問題自己肯定問題なんだけどなそれ。戯言遣いが言う「変わりたいって気持ち自殺だよね」に未だに取り憑かれてる感。



@tm2501 「太宰に感情移入ちゃうタイプ」の「太宰」に代入出来る解としての庵野なり新海ではもはやなくなった、ってことだと俺は理解してるし、なんならそこに代入できる解って今の世界にいるのか?そもそも求められているのか?ってところで一般化していけそうではある。




はてなブログ投稿しました #はてなブログ

オタク時代が終わったのではなく、リア充オタクな影響を受けた世代大人になっただけじゃないの? - かくいう私もでね

http://www.tm2501.com/entry/2016/09/11/204500

2016-09-09

どこにでもいる地味な人間主人公っていう図自体感情移入のし易さを優先した王道設定としか思わないな

家族愛恋愛モノをテーマにした邦画少女漫画を見て

「泣いた。家族恋人を大切にしようと思った」

と仲間同士で前向きに話してる女子高生リア充カップル自己投影スイーツの私スゴイアピールノロケと叩き

アニメゲームスタッフキャラクター神聖視して宗教のように勧誘拡散するのが男女問わずキモヲタってイメージ

2016-09-08

ヒネたおっさんが「君の名は。」を見て感動した話。(ネタバレあり)

先日来各所で絶賛されているのを見て小馬鹿にするつもりで映画館に足を運んだ。

馬鹿にするつもりと言ったらなんだが、聞けば主人公高校生ラブストーリーらしい。良い歳のおっさん感情移入出来る気はしない。

己の高校時代のことを思い出してみても、当時好きだった子の事など遠い記憶の彼方であるし、今思えばあの頃の自分他人の事など本当には好きではなかった。ただ己の欲望と願望を他人にぶつけようと踠いていただけだ。大体の高校生はそんなものだろう。

そんな未成熟感情の発露を崇高なもののように扱われて感情移入出来るわけがない。

実際に鑑賞した感想としても、主人公の瀧くんとヒロインの三葉ちゃんがお互いをなぜ好きになるのかさっぱり理解できなかったし、そもそも二人のパーソナリティもあまり掴めないままだった。喧嘩っ早い、都会に憧れているなど、所謂どこにでもいそうな少年少女と言う程度の描写を逸脱するようなものは皆無。そんな二人がファンタジックな要素による出会いと別れを経て、ずっと想い続けていた、しか記憶もおぼろげな名前も忘れてしまった相手に五年も経ってから再会を果たすと言う展開になるのだが、高校生時代の好いた惚れたを五年も引き摺る人の気持ちは正直さっぱりである。あと主人公が序盤密かに想いを寄せていたイケてる(死後の世界)お姉さんのイケっぷりも非常に幼稚に思えた。これ見よがしに婚約指輪をチラ見せさせながら「貴方幸せになりなさいよ」とか就活中のガキに言い出す女、「アイタタタタタ」。

とまあ、実にこんな具合だったのだが、しかし凄く感動させられた。何故か?

主人公たちの相手への想いが茫洋として定かではなく、別れねばならぬ理由も状況に由来するもので、しかし逢いたいという気持ちだけは残っており、ついに巡り会える。この構造により見ている俺は己の人生於いて別れてしまったがしかし逢いたい気持ちの残っている誰かのことを想起させられてしまった、この映画を見て感動している人の多くは似たような感覚があるのではなかろうか?瀧くんも三葉ちゃんも感情移入やすキャラではない、実際俺は先述のように全く感情移入していない。だがこの作品重要モチーフになっている組紐が表している"縁"というものは、つまり出会いと別れの結びは、誰もが心に抱えているもので、おっさんおばさんこそ特に思い当たる節がある類の事柄だと思う。

まり今作は中年向け映画だということを主張したい。

まりフィクションを見ている時に自分体験が想起させられることはない、飽くまでフィクションとして、作者の狙いや他の物事と照らし合わせてその作品が持つ意味を読解するのが常だが、今作では見事にしてやられてしまった。

これは作り手の狙い通りなのだろうか?

2016-09-06

浜崎あゆみトレンディエンジェル

の対談がLINELIVEでやっていたので観た。

よく考えたらあゆがこんなに長い時間喋ってるのを初めて観る。

んで観てたらあゆ斎藤恋人並みの対応をしていて驚いた。つまらないギャグでも大声で笑ってあげる、あーんしてあげる、自宅にカレーを作りに行く約束をする、下の名前で呼んであげる、等々。

あれで惚れない男は居ないだろう。視聴者斎藤感情移入してニヤニヤしていたに違いない。斎藤も終始デレデレで何にもできていなかった。

歌詞から想像していたイメージとかなり乖離していたので驚いた。こんなに恋愛肉食女子的な感じだったとは。



んでその後GACKTとの対談をニコ生でやっているのを見たら、今度は浜崎あゆみの方が終始デレデレで、すさまじいヒエラルキーだな、と思った。

2016-09-03

感動ポルノに感動できる人と嫌悪する人の差

直観だけど、共感羞恥共感羞恥)を感じる人は嫌悪派だったりしないか



怒り新党】『共感羞恥』というあの現象→分かる分からないで盛り上がる人々「ツイッター民に多い気がするのはなぜだ」

http://togetter.com/li/1016242



要は「相手気持ちになって考えちゃう人」とか「感情移入し過ぎて考えすぎる奴」なんだけど

自分脳内相手障害者側・その親族番組側)のシャドーを作ってしまって、その気持ち無駄に察して「うわぁ」ってなるんだよね



ゲッペルドンガーなんかもそんな感じ

http://i.imgur.com/SKBW89c.jpg



こういう人は、ペットショップの中で狭いケージに入れられている動物なんか見ても辛くなるタイプ



面白いのが「とても共感はするけど、素直に受け止めるタイプ」も居て、こっちは感動派だと思う

感動派は相手体験自分事のように置き換えて考えるんじゃないか

誰かが頑張ってると、応援されたような気持ちになるし、応援されると頑張れる



俺なんかはスポーツ応援をする時に、ゲッペルさんと、周囲の人と、応援される側と、対戦相手シャドー脳内でゴチャゴチャ言ってくるから、素直に「頑張れ」とか言えない

応援ソングとかはその点いいよね)



ちなみに感動派の人は嫌悪派のことを全然理解できないと思うが

嫌悪派も感動派のことを「この人は本当は嫌がってるに違いない」なんて傲慢に決めつけてる節がある

そして全部理解した達観野郎は「本人が良いって言ってるならいいだろ」とか言い始める



あと蛇足だけど

嫌悪派は登場人物の行動と心理が不一致な点が面白い作品とか好きなんじゃないか

感動派は複雑な不一致とかよりも、分かりやすい方が好きそう

ツンデレで言えば、前者がツン:デレ=9:1 後者がツン:デレ=5:5


___


さら蛇足だけど

テレビで、ストレスについての動物実験を見て

A:猿が自分ケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス

B:猿が、隣の猿のケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス

を測ったらBの方が長くストレス下に置かれるみたいな内容だった

まり猿は、相手の猿の気持ちになって強いストレスを受けたことになるわけで

大分本能に近い脳の機能なんだよね



と同時に、感動ポルノが感動と一緒に、いかストレスをばら撒いてるかもわかると思う

2016-09-02

君の名は。見てきた

君の名は。見た。

ネタバレはないとおもうですよ。

結論から言うと、見ても見なくてもいい映画だった。毒にも薬にもならないかんじ。

あと個人的には「恋愛映画としては共感できる(感情移入する)フェーズが足りなくて、エンタメ映画としては盛り上がりがいまひとつ足りない」という印象。おびにみじかしたすきになんちゃら。

時かけとかの他の青春エンタメに比べて力強さがないというか、薄い気がする。スパートかけるところで妙にサラーッとしてる。もっと焦らせたりドキドキさせたりして欲しいところで綺麗な映像です〜美しいやろ〜って感じになるから拍子抜け。

Yahoo!映画評価4.6と高いし、友人におすすめされたので見てみたけど、正直真新しさはなかった。

相変わらず美しい背景(パワーアップしてる)と心象映像?はものすごくて結構楽しめるけど、夢中になったりワクワクドキドキする感じはほぼない。若い子ががんばってんなーって感想になる。

あんまり映画見てない人や中高生なら十分楽しめるだろうなーというのもわかる。でも残念ながらこのパターンなんべんも見てるから、うまく乗せてくれないと乗れないんだよアラサーは…。予告編見たときから大体の展開は読めているんだよ…。

ピクサーの、展開がある程度わかっていてもうまく乗せてくれる上、テーマ性も毎度バッチリ脚本演出は凄まじいものがあるなと再確認。あとシンゴジラはそうきたか!って切り口の新しさやパワーがあってワクワクした。

なんで君の名は。あん評価高いんだろ?3/5点くらいでは…。おもしろいけどそれなりの恋愛映画、それなりのエンタメ映画といった雰囲気でした。迷ってる人はBD待ちでいいんじゃないかな…大画面で素晴らしい美術動画が見たい人は行ったほうがよいと思うけど。

生々しく心を動かされたい!って人にとっては微妙なんじゃないかなー。

2016-09-01

ゴジラ見て悲しくなった

あの映画さぁ、出てくる人がみんなエリートじゃん

はぐれものとか鼻つまみ者って言われても官僚だったり大学准教授だったりするわけだろ?

こういう人が国を動かしてるんだなー、自分には手が届かない世界だなーって思っちゃうんだよね、感情移入の前に

せいぜい自分なんてゴジラが来たら逃げ遅れて死ぬくらいしか役割ないわ

http://anond.hatelabo.jp/20160901162758

わかる。

お前とはもう少し深い話がしたい。

二次元百合エッチ別になんでもいい。穂乃果と真姫ちゃんとか)を見ながらオナニーしている時、

自分立ち位置はどこなんだろうなって思う。そこにはまったく感情移入が無い。

感情移入自分と置き換えられる男の存在)は必須ではないのかもしれない。

あるいは、俺は真姫ちゃんになっているのだろうか。

うーむ。

元ネタ知らずにたのしめる薄い本って実はすごく貴重だったんだなと気づいた

好きな作家が俺の知らない(興味ない)アニメのウスイホン書いてたから読んでみたけど、まったく興奮しなかったんだよ

絵は自分の好きな作家の絵柄なのに

俺にとっては感情移入度がかなり大きい

客観的に見てすごく絵がうまくてエロくても、どっかの知らん誰かがセックスしてるだけに見えて、なんか入り込めない

AVに似てる

二次元だけで抜くようになってだいぶたつけど、AV見たらそんな感じになる

完全に自分とは関係ないとこでパコパコやってるだけみたいな

伝わるかな―

http://anond.hatelabo.jp/20160901094133

気付いてしまった?

あの人は、人を弱らせたり殺したりすることでしか感動させられない。

それなりに登場して感情移入した人が病気になったり死んだりすれば、そりゃ誰だってじんとするさ。

春が来てずっと春ならそりゃいいさ。

30歳にもなれば、身近で悲しい出来事もいっぱい出て来る。

二次元でそういうのが要らなくなったのだろう。俺はそうだ。

二次元ではせめて明るく楽しい感動がほしい。だーまえは要らない。

だーまえが楽しめなくなった自分が悲しい

はじめてエロゲやった次がAIRだったか最初は大好きだった

中3だった

インストールしたはいいけど、

当時よくあるCDDAによるBGM再生CD持ってなかったらBGMがでなかった

それでも面白かった

Kanon大人になったら絶対やる!って思ってたけど、高校在学中に友達が持ってたから借りてプレイした

AIRほどのインパクトはなかったけど面白かった

タイトル画面から一気に心をぎゅーっと持ってかれる朝影好きだった

大学ではAIRの完全版が出たから買って初めて音楽付きでやった

最初プレイより別に感動しなかった

音がなかったからこその感動・若い時の体験の鮮烈さのほうが大きかったんだろう

それからクラナドを借りてプレイした

だいたいは楽しめたけど、長すぎてちょっとしんどかったのと、最後グランドエンディングっていうんかね、あれで子どものともやが父親と手を繋いでる一枚絵の感動がやばい!!!ってのが世の感想の大半を占めてたけど、自分はまったく感動できなかった

唐突に感じられて、は?としか思えなかった

ちゃんと感情移入してプレイしてればそうはならなかったのかもだけど

そこから

世間一般鍵っ子感覚がズレてきたのは

その後リトバス買ってプレイしたけど、徹頭徹尾まったく合わなかった

薄ら寒いギャグだーまえ野球ネタおしつけ、友達グループ馴れ合い・・・

とってつけたようなネタばらしと感動の押し付け

もう自分だーまえ卒業していた

少しセルフ擁護するなら、リトバス普通恋愛ゲー、ハーレムゲーというよりかは同性の友達多数がいるってのもでかかった気がする

kanonnairクラなどはなんだかんだで同性ほとんどいなかったし、東鳩から始まる親友一人だけ、もしくは同性ゼロとかもザラだったし

こんなゲームをやる人間にとってリトバスはまぶしすぎただけなのかもしれない

そんでリトバスの頃には、それを楽しむオタクライト化・リア充化してて、教室の隅っこで固まってるオタクグループしかプレイしないものではなくなっていたのかもしれない

まあそんなのはどうでもいい

年をとったせいか、他にもいろんなえろげーしたせいかラノベ深夜アニメをよく見るようになったせいか、とにかくだーまえ感性に合わなくなってしまった

AB!のアニメも一応全部みたけど、最初から最後までいまいちだった

おふざけとかギャグレベルがことごとく低く感じられてしまった

リライトプレイしていない

俺の中のだーまえKanonAIRクラナドで終わった

あ、智代アフターは一応やった

ラストラストトンデモな終わり方する以外は空気作品だった

でもこれをきっかけにマルマルアフターってのが一時期増えてた気がする

ああ語れば語るほど思いがあふれてくる

自分にとって大きな影響を与えてくれたのは確かだった

ただ世間ずれしてしまった自分はあまりも無邪気すぎる世界は受け付けなくなってしまった

one同棲MOONも、大学ときに買ったけど結局プレイしないまま終わってしまった

今やるエロゲーといえばたまに出るランスくらいだ

普通恋愛エロゲー深夜アニメラノベマンガ境界ほとんど無いに等しくなってしまった今では、

多くの著名なライター一般に行ってしまい、エロゲーというフォーマット以外で彼らの作品に触れることができるようになってしまった今では、

陵辱とか一部のジャンルのためにしか、わざわざエロゲーをやる意味がなくなってしまった

そして自分は陵辱とかはそんなに興味がない

30で独身なのにこんなこと書いてる場合じゃないのに俺何やってるんだろう

こんなんだからいつまでたってもダメ人間なのに

今はマンガばかり読んでる