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はてなキーワード: 感情移入とは

2016-05-24

[]テッド・チャンあなたの人生の物語」その2

あなたの人生の物語

満を持しての表題作

異星人とコミュニケーションするために言語学者の女性がいろんなアプローチを試みる中で、ところどころに女性の娘へ話しかけるような描写が入る

一見何の関係もないように見えるのに、最後最後でその構成意味がわかったときめっちゃ感動して鳥肌たった

SFお話としてのオチがすごく綺麗につながってて、しかもそれが読みやすさにも寄与する構成になっているという、何重にも考え尽くされた構成

脱帽どころか頭蓋骨外して脳みそ取り出すレベルで恐れいった

どーゆーことかっつーと、娘へ語りかける描写言語解析アプローチフェーズ→の繰り返しなんだけど、言語解析のところはぶっちゃけ読んでて結構きついのよ

からないわけじゃないけど(ここもテッド・チャンのすごいところ。自己満じゃなくて、読者にわかレベルで丁寧に書いてくれる。この話にかぎらず)、

細かすぎて疲れるっつーか、ずっとこの調子で書かれるとちょっとうんざりするなあという感じ

それが娘への語りかけ(これも平易だけど細かいディテールに凝った、感情移入やす描写)がはさまることで、かなり緩和されてるのよ

そんでその構成も、ただの読みやすさのためだけじゃなくて、ちゃんと意味があるの

それが最後最後で明らかになるのよ

もうファーーーーーーーwwwwwwww

ッて感じとうっわまじかよ・・・って感じで思わず本を置いてしまった

SF作家じゃなくて言語学者が書いたのかとばかりに凝りに凝ったディテールの、異星人の言語解析描写は、ほんとやばい

子育てエッセイかな?というくらいの子育てフェーズやばい

全部やばい

いまんとこ面白さは、

あなたの人生の物語>=理解バビロンの塔>ゼロで割る

かな

マジすげえ

もっと早く読んどくんだった

星を継ぐものとか夏への扉なんかより、こっちを先に読むべきんだった

お話としての面白さ・エンタメ性がないとSF小説」と名乗る資格はないと思ってる自分が、まさに求めているものだった

自分が求めていたものテッド・チャンだったんだ

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-05-18

なろう主人公の凡人化問題

最近なろうの主人公が少しずつ凡人になっている。

かってのなろう小説ではお兄さま(魔法科高校の劣等生)に代表されるような圧倒的チートスペック主人公雑魚をなぎ払いながらやれやれしてハーレムを築いていた。

しか現在のなろう小説では主人公の凡人かが進行している。

たとえば今絶賛アニメ化中のRE:ゼロから始める異世界生活主人公は元ヒッキーである

ただしホーリーランドよろしく引きこもり鍛錬法により膂力はそれなりにあるのでそこら辺のヒッキーよりは強い。

はいえ彼の戦闘力チートクラスかといえば全くそんなことはない。

引きこもり100人集めて殴りあわせたらトップ10に入れるかもしれないが健康男子100人を集めたら30位程度だろう。

とてもチートとは呼べない。

死んだら特定時間まで自動的リセットされるコンティニュー能力を持っていることを含めてもとてもお兄様クラスには歯がたたないだろう。

100億回殺されても勝てないと確信を持って言える。



なろう小説主人公の凡人化は現代っ子の目標と自信の低さを表しているといえるだろう。

かっての現代っ子は自分が実は特別な力を持っている可能性を信じることが出来たのでお兄様に感情移入が出来た。

また自分が実際それなりに頭がいいと思っていたりその気になれば努力できると思っていたので策士や努力家にも感情移入できた。

しかし今の子は出来ないのだ。

自分努力できるなんて信じられないし頭がいいなんて思ってない可能性なんて感じない。

頑張ってわずかな可能性を開花させるなんてとてもじゃないけど無理なので降って湧いたちょっとした幸運大事にするぐらいが関の山

そんな心境が今のなろう主人公に現れているのだ。

若者根拠の無い自身を持っている姿は実際滑稽ではあるし、後に黒歴史とした笑い者になるのも目に見えている。

それが人生ネタバレ加速によって幼少期から刷り込まれ根拠の無い自信=人間の恥」とインプットされていったのだ。

そうして若いながら自信もなければ高い目標ももたない「賢い」子供達であふれたのが今の時代なのだ

ミクロで考えればこれは賢い選択なのだろう。

だが国全体で見れば挑戦心のある若者の減少は国の将来性が縮められている状態に他ならない。

「恥を知れ」と叫んで回るのをテレビネット現実で繰り返し続けた果てにあるのがこれである

1億人が手斧を振りかざす現代社会病理がいよいよ形になって現れてきた。

日本の行く末が私は心配でならない。

2016-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20160513115639

まりお前が本当に言いたいことは

漫画主人公現代人に共感されやすモデルになっている」

ではなくて

大衆感情移入やすモデル主人公はその時代背景の流行り廃りが反映されている」

ってことだよ。

何か新しく発見した論理法則ルールがあるんじゃなくて、

任天堂マリオをみればその時代ゲームコンピュータ技術レベルが分かる」

こんな感じのことを言いたかったんだろ?

「その時代流行ったバンドジャケットをみれば服の流行が分かる」

どうだ?ぐっと近づいた感じかな。

 

追記:

「シンイチをメガネかけさせて大人しめの印象を与え、視聴者にすり寄らせた」

これはその通りだと思う。

子ども主人公にしていて時代背景とのギャップがあると余計なツッコミが入りかねないか製作側の配慮として正しい変更だと思う。

2016-05-12

漫画主人公像は時代を表していることが多い そして今

例えば寄生獣のシンイチ。原作のシンイチが爽やかヤンキーなのは、その時代での普遍な人像or理想像を取り入れているのかなと思う。ちょっと当時の普遍理想像が分からいからなんとも言えないけど。そしてアニメシンイチがメガネを掛けた弱々しい一般人になったのは現代普遍な人像を取り入れたからだろう。確かに現代ヤンキー主人公ではリアリティに欠けてしまう。それでは寄生獣の生々しさが欠けてしまうから英断だったのかもしれない。現代では喧嘩物事解決したり友情を育んだりするのは二次元の話だけとなってしまっている。アニメのシンイチは今の視聴者が受け入れやすい、感情移入やすい人物像にしたかったのだろう。


他の例で言うと、GALS!という漫画がある。りぼん2000年頃連載していたタイトル通りギャル女の子達の話だ。舞台渋谷で懐かしのヤマンバギャルとかも登場している。おそらくヤマンバギャルなんて今の子供達なんかは漫画世界しか存在しないと思うだろう。だが連載当時はギャル女の子渋谷にいることも、ヤマンバギャルリアル存在だったのだ。

ブルマ存在もか。昔は当たり前のものとしてリアル存在し、漫画の中にも度々登場していたものだ。らんまとかでよく見た。けど今は現実ブルマの名を聞くことはない。多分今の子供に聞いても全く知らないだろう。漫画の中で登場しているのを見て、本当にこの体操着存在したの?と疑問を抱くぐらいに現実味を感じないシロモノかもしれない。

後半主人公の話からズレてるが、要は漫画とか創作物にはその時代普遍が取り入れられている。特に主人公にはそれが表れやすい、何故なら主人公は読者を作品世界に没入させる役割のため、読者と近い存在になりやすい、ということが言いたかった。

そして今さっき、「ブラック企業に勤めている若者」が主人公漫画を見かけてしまったのだ。このような主人公が生まれしまったことに少し辛くなった。

追記

ちょっと主人公現実像が表れやすいは言い過ぎたかもしれない…すまない。少年漫画系の主人公現実ではなくどちらかというと理想像キャラが作られることが多いしね。ワンピースだってあれは理想像冒険する少年像が現れた主人公だし。少年漫画系は共感ではなく読者が憧れるかっこいい主人公が多い気がするけど。俺TUEE系。コナンもそうだと思うんだけど。

ただ一例としては言えると思うんだよなあ。特に現実の生々しさとかを題材にした描いた作品とかに多い気がする。20年前だったらブラック企業に勤めてる奴が主人公として読者に共感される存在とはならなかっただろう。逆に20年前なら幽遊白書からヤンキー主人公になりえた、それは読者にとってヤンキーリアル存在だったからで。


更に追記

http://anond.hatelabo.jp/20160513120413

俺の雑文を簡潔に解説してくれた方がいたので。

そうか…「その時代流行ったバンドジャケットをみれば服の流行が分かる」…俺はこういうことが言いたかったんだな。

最初漫画主人公なんて限定してしなければ良かったな。的外れになってしまった。

後シンイチに関しては初期はそんなにオラついてなかったんだっけ?…最近中盤だけ読み返したかミギー同化してからのシンイチのイメージに寄ってしまった…ちょっと初期読み返してみる

アニメメガネな感じ程大人しい雰囲気では無かった…と思ったんだけど記憶いかもしれない…

2016-05-05

車の運転ってミスったら一発で死ぬのに皆よく平気でやってるよな

老若男女全国各地で毎日のように車の運転をしてるけど、俺は運転にコンプレックスというか恐怖心があるんだよなぁ。

だって、車の運転って少しでも気を抜いたりミスをしたら、死んだり多額の倍賞を払ったり誰かを殺めたりするじゃん?

俺はもうそういうことを想像するだけで緊張して汗をかくし、運転してる時はそういうことが頭をよぎって、脇汗や手汗や足汗が止まらないんだよね。

免許更新の時に見せられる交通事故映像加害者被害者両方にめちゃめちゃ感情移入ちゃう。恐ろしい。

特に高速道路なんてヤバすぎる。何かの間違いで気を抜いたら絶対死ぬし、迂闊に休憩もできないから一定時間走り続けなければいけないし絶対に集中を切らしてはいけない。そうしないと死ぬ。怖すぎる。

高速道路を走ってると、カイジとかそういう漫画にある感じの、止まったら死ぬレースに参加させられているみたいな感覚を覚える。

昔は親や他人が運転する車に乗ってても何も感じなかったけど、自分免許をとってからは、運転の恐ろしさが身にしみて、他人が運転する車でも高速道路ではおちおちリラックスもできなくなった。

高速道路だけじゃなくて街中で運転してる時も、全く気が抜けないし、もしも他の車とぶつかったりしたらと思うと気が気じゃない。

人通りの多いところや駐車場は緊張するし、見通しの悪いところではい子どもが飛び出してくるのかとビクビクしながら運転している。

あと、法定速度をみんな軽く超えているのもビビる。俺にとっては法定速度くらいがちょうどいいスピードなのに、みんな10キロくらいはオーバーして走ってて遅いと怒られる。それも気が気じゃない。怖い。特に怖い人ほど怒りそうだから怖い。

そんな俺からしたらトラック運転手なんて凄すぎる。あんな重量のある車を深夜の見通しが悪い中、猛スピード毎日運転しているなんて凄すぎる。高速バスとかも凄い。集中力とかどうなってんだろ。頭が下がる。憧れる。

でも世間を見渡すと、こういう俺が運転しながら感じるモヤモヤをみんなあまり考えてないのか知らないけど、みんな運転に慣れている。

老いも若きも男も女も普通に運転というアクロバティックでフィジカル行為をやってのけている。すごい。

こんなに(俺が思う)リスキーな物が移動手段として使われている。確かに便利だけれども。車の便利さの前ではリスクなんて小さいものなのか。

よく「頻繁に運転すれば慣れる」と言われているが、こんな俺でも脂汗をかかずに運転できるようになるのだろうかとコンプレックスに思っている。

物理的死・社会的死が隣り合わせな運転という行為をこなすにはやはり技術以前に、精神的な訓練が必要なのだろうか。

まあ運転しなけりゃいいんだろうけどさ、やっぱり運転ぐらいは出来るようになりたいよ……だって便利じゃん…。

2016-05-01

日本では大人はかっこよくない

その代わり無限の可能性を秘めた少年少女像が信仰されている。

日本漫画映画などの創作物ではあまり格好いい大人主人公を見ない。冒険活劇の主人公高校生までの少年少女が多く、大人はサブキャラ役割が多い。一方洋画アクション物などのジャンルはかっこいい大人がニヒルなセリフを放ってる場合が多い。漫画だって古くはスーパーマンといった大人ヒーロー主人公として活躍している。勿論ハリポタとか子供主人公創作物もないわけじゃないが、日本では圧倒的に大人が格好良く活躍する創作物が少ない。特に近年。

それは何故か?日本では大人は格好良くも希望に満ち溢れてもいないイメージが定着してしまっているからではないか。特に近年。

日本では大学生までが楽しい期間である考える人が多い。対照的社会人以降は40年間社畜として生きなければならない…人生墓場…なんてイメージだ。日本ではバリバリかっこいい仕事して自己実現なんてイメージは弱い。大体不況とかブラック企業とか精神病認知されてきたとか就職難とかその辺のせいなんだろう。勿論楽しく働いて成果も出しまくってる人もいるだろうが、大多数の人が仕事をイヤイヤしてる人ではなかろうか。

日本社会人ルール偏重とかしきたりとかを気にする。それもまた堅苦しいイメージに繋がっているのだろう。

日本では大人はかっこいいものではない。だから大人特に会社員活躍する物語は作られにくい。(探偵刑事活躍する物語はあるがあれは大人でないと出来ない話だからなー、その探偵物も少年探偵コナン金田一少年が強いし)現実とかけ離れ過ぎて皆がイメージしにくいからだ。

子供自分と年齢の近い主人公に想いを馳せる。大人は逆に自分遠い存在であるが故に感情移入することが出来る。自分と近い立場キャラ活躍なんて身につまされてしまうのだ。

勝手妄想を殴り書いたか検討外れなことを書いた気がする。でもこれから世代がかっこいい大人として働ける社会になればいいと思う。

あ、あともう1つ少年少女主人公が多い理由として日本人ロリコンショタコンが多いからだと思う。

大人主人公として活躍してる漫画最近だとトネガワとか…?

[]3DS体験版

まとめて書く

総じてスマホゲーっぽいのばっかで、なおかつレスポンス操作性が悪いクソゲーばっかだった

極めろ瞬間ジャンプ検定

★★☆☆☆

ステージクリア

制限時間内にジャンプでゴールを目指す

スーパードンキーコングシリーズボーナスステージ

スマホゲー的

新鮮さや中毒性はなかった

微妙操作性とギミックレスポンスが悪くてストレスたまる

ナナミと一緒に学ぼ!English日常会話

★☆☆☆☆

クソみたいな英語学習ソフトに、流行声優つければ声オタが買うだろうっていうあまりにも安易な思惑がスケスケでいっそ清々しいレベル

萌えゲーとしてもクソだし学習ソフトとしてもクソ

ピンチ50連発

★★☆☆☆

歩いたり走ったりジャンプしたりロープ登ったり降りたりしてゴールを目指す

スマホゲー的

新鮮さや中毒性はなかった

微妙操作性が悪くてストレスたまる

ぷよぷよテトリス

★★☆☆☆

キャラはまあいつもどおりでかわいい

ただぷよぷよテトリスがバトるってのはゲームバランス的にどうなんだろ・・・

ぷよぷよ連鎖考えるのが苦手だからテトリス選べるのはありがたいけど、それならテトリスやるわってなるし

EDGE

★★☆☆☆

IQみたいにキューブを転がしてゴールを目指す

ステージクリア

スマホゲーから移植

カメラが固定で斜め視点しかないけど操作十字キーから方向感覚がすごくわかりづらい

あとグラフィックが荒くてどうなってるのか見えづらいところがたまにある

動くブロックにくっついて移動しないといけないところで、段差を登る微妙操作要求されるのがすっげーストレス

レスポンスが悪くて思ったようにキューブを動かせないのがすっごくストレス

イルベロデりんじゃ

★☆☆☆☆

製作者の自己満みたいなわかりにくいインターフェイス

まったく爽快感のないシューティング

斬新さも何もないクソゲー

DRAGON Ⅲ CODE:VFO

★★★☆☆

セブンスドラゴンの3作めだって

前2作は未プレイ

主人公NPCっぽくて感情移入できるようになってるっぽい

逆に浮いてる感じがするからどうも苦手だ

バランス世界樹をもうちょいライトにした感じか

オートバトるもあるから

ボスは硬いけど

王道すぎて面白みはなかった

仲間も絵柄はかわいいけど誰もしゃべんないし

体験版だけで十分でした

SWORDS & DARKNESS

★★☆☆☆

ファイナルファイト系の騎士版みたいな

上下移動がめっちゃ遅い

成長は自分で考えられて楽しい

ザクザク進めて強くなれるからいいかなと思うけど、敵がワンパターンすぎる

シンプルで強くなるのを体感できるから個人的には好きだけど地味だしワンパすぎるのはちょっとなあ・・・

ストーリーもだらだらボイス付きで語るのはマイナス

他の体験版もそうだけど、最初世界観とか語りすぎてるのばっかだわ

そんなん知らんでも楽しめるようにすりゃいいのに

最初から設定とか押し付けられてもそんなん知らんがなってなるのが多すぎる

魔神少女エピソード

★☆☆☆☆

エピソード1があるのかとか何もしらん

最初にだらだらボイスつきで説明されるのもうざい

その割にキャラ世界観マッチしてない

ロックマン的なステージクリアシューティング

声優素人っぽい

何のために何をやってるのかが結局全然伝わってこないから全然おもしろくなかった

シューティングヌルすぎるし

何がウリなのかが見えてこない

プロジェクトクロスゾーン

★★★★☆

シャオムウかわいいよシャオムウ

調べたら無限のフロンティアシリーズだったのね

ナムカプセガキャラがいろいろ出てきて2D簡単ボタン操作でド派手な格ゲーチックなアクションを出して敵を倒す

シンプルだけどさすがに手堅いなあと感じさせる

ストーリー微妙っぽかったけど、まあそれ以外がいいから★3.5で四捨五入ちゃう

激働アルバイターKOJI

★☆☆☆☆

バイトゲー

ラーメン作りだけが体験できた

客の要望に合ったスープ選んでお湯入れて混ぜて麺入れてトッピングを選んで客に提供するっていう

ガラケー時代フラッシュげーでかき氷で同じゲームあったわ・・・

単純作業の繰り返しでキャラに魅力あるわけでもなく、つまら

The Keep

★★☆☆☆

劣化キングスフィールドっぽいやつ

キングスフィールドやったことないけど

地味で自分の好みではなかった

戦闘リアルタイム性があんまないし、微妙・・・

ソリティ馬

★★★★★

競馬ソリティアでやるゲーム

ソリティアシンプルに考えていいから

キャラかわいい

シンプルなのにどんどんやっちゃう

クソ面白い

製品欲しくなる

ゲームデザインめっちゃよく考えられててすごい

他のクソみたいなスマホゲーもどきばっかのなかだと、ダントツで図抜けてる

2016-04-27

ワールドトリガーって漫画はどうなってるんだろう

普通に読んだのは一話目だけ。あとはたまに立ち読みパラパラと見るだけでストーリーは把握してない。

で、いつ見ても、モブっぽいキャラ同士で戦っていて、一話目で登場した主人公っぽいキャラがでてない。

今週パラパラと見たらかろうじて一コマだけでてた。

読者が感情移入やすいだろうと思われるもう一人の主人公っぽいキャラはまったく見ない。

あのキャラは話の導入で使われただけで主人公ではなかったのかな。

ストーリーも一話目は異次元から敵が攻めてきてるみたいな話だったけど、いつも人間同士で試合っぽいことをやってるし、どういう状況なのかよくわからん

2016-04-25

少年漫画青年漫画誌に描く女性作家って必ずそれやるじゃん

主人公の男が無茶苦茶みっともない場面の連続

悪いことしてるイケメンにはみっともないシーン一切無い勝ち逃げみたいな

主人公にはサドみたいにしつこく惨めな思いさせていじめるのに悪役のイケメンには一切かっこ悪い場面与えないから

「あ、これ女性作家だな」って感づいて調べてみると必ず当たり

しばらく読んできてからその女性作者が好きなのは悪のイケメンのほうだったんだって気づくんだけど

男性読者が主人公感情移入して読んできちゃってるとストレスだけ溜まる構造




モテ期

マギ

結界師

聲の形

まだまだあるよね咄嗟に思い出せないけど




女性作家がわざわざ男性向けの雑誌で連載を勝ち得てまで

男性憎悪イケメン萌えを発露するメチャクチャ気持ち悪い露出狂みたいなあの行動なんなの?

男女逆なら超気持ち悪いって袋叩きなのにね

少女漫画誌に乗り込んでミソジニー漫画描く男がいたら俺だって叩くよきもちわりいから

ミソジニー捨てられなくてもせめて男性誌でやれって思う




はっきり言ってモテなさそうな・男性関係でしょっぱい思い出ある(マギの作者とか)人ほどそれやるよね

荒川弘ジョージ朝倉少年誌青年誌でそんなことやらないもん

http://anond.hatelabo.jp/20160425095434

実写版ちはやふる上の句みた ひどかった

ネタバレになる部分もあるのでご注意ください。念のため。










ネット含め各所で評判良いってみたし、なんなら増田やらはてブでも悪くなかったっての見たから見に行ったのにさー…まんまと騙されたよね




個人的に良いかも?と引っかかった部分はキャストそれぞれがどこか絶妙に合っている部分があったくらい

机くんは外見似てないけどなんかアニメの声に若干寄せてるような声出すなぁとか、かなちゃんのげっ歯類感…地味めな造形とかヒョロくんも見た目かなりそっくりで良かった

役者個人的好みは別として(好みとしては全体的に嫌いな顔が多かった)イメージはそんなにズレてなかったと思う




演技については、別に誰かが飛び抜けて良いとかは感じなかったけど特別ひどくもなかった…

もしくは、そんな事気にしていられないくらい他の部分がひどすぎて気にならなかった




ストーリー構成について、多少の改変なり詰めるのは良いにしても全体的に唐突・ご都合なのが多かった

結果に至るまでの理由過程動機などが存在しなかったり弱かったり共感できない物ばかり

机くんが部に真面目に参加するようになった理由とかラストで机くんが戦意を取り戻す過程とかさー…




全員で肩ポンポン叩いて行ってなんか回復してるって意味わからんけど?

原作読んでて補完してると仮定したって雑すぎ…

始終ちょろすぎにもほどがあるんじゃ…?





他にも構成的に合宿中の大会で新と太一肉まんが遭遇する部分

どっちがどれだけ距離時間転移したのか分からんけど、別地方同士だよね?

距離移動したとか近いならその描写ないと不自然(眠すぎて見落としたか




あとこれは好みもあるかも知れないけど、ここで千早差し置いて再開とかありがたみ?下がるし白ける

それより前に家電で通じてるんだから必要性もなし(大会太一と決戦とかの重要度高いイベントあったわけでもないし)


ラスト演出ももう下の句へのヒキが見えてるんだからダラダラ会話して通話相手変わって~とかやってないで、

一言「もうかるたやらん」ってのでヒキにすれば良いのにクドクドクドクド…無駄だし衝撃度下がるしで酷い演出

構成演出脚本については他にもキリがないくらいにヘボが多かったし

大事な所軽々とすっとばし、どうでもいいシーンや会話を長々やるおかげで中盤クソ眠くなったし…ホントひどいなと





ただひどいのは上の構成やら何やらだけじゃすまない

音もひどい ただただ爆音出せばいいってもんじゃないだろ!?って感じで何から何までバシンバシンうるさい

最初映画館でみてるからか?とも思ったけどこれも中盤の合宿中の試合あたり具体的にはそのあと太一肉まんが会話する当たりでやっぱおかしいなと確信

まり帰ったロビーで神妙な?感じで会話してるのに足音やら椅子に座る音がドスンバスドン! なに?巨人なの?

SE・BGのチョイスもひどかった、千早試合後寝る所で「しんでるー!?」のギャグ(?)ここも音量が無駄にでかい

台詞かぶりすぎててギャグであろう「しんでるー!?」の台詞が埋もれてるしうるさいしうるさいしうるさい




あとカメラアングル

何?撮影玩具ドローン)でも手に入れて遊びたくなったのかな?!

無意味中途半端俯瞰の図ばかり(特に学校)でキャラに寄れない(感情移入し辛い)し、迫力もない

かるたの床面からの絵以外で煽り図だったのって序盤のスカートみえるかみえないかー!?あたりくらいじゃなの?




で、肝心の競技かるた…これもひどい

横顔のアップ・手元アップ・札が跳んでる絵のワンパターン構図ばかり

加えてかるたに対する解説などもおざなり 競技かるたの題材が完全に死んでる

原作かるたから~というだけで、別に野球だってサッカーだって、なんなら団体競技じゃなくたってなりたつような構成と絵作りだった

原作では途中団体戦はチーム競技だ!みたいな描写があるがこの映画だとその辺も雑だった)

大体、設定的にもそうだけど画面に「お静かに」の札上げてる図写した直後に台詞叫んでるキャラとかなんなの?

わず「いや、黙れよ」ってツッコミそうになったよ

あとスローの挟み所もよく分からん もっと他に挟む所あるだろと思った 尺伸ばしの手段じゃないんだぞ

ああ 更に前述の音響のせいもあって素振りのバシンバシンが本当にうるさい そういうものだとしたって限度があるでしょ…。





もう兎に角ホントにひどい…というか雑だった

これ見て本気で面白いとか悪くなかったとか原作再現とか言ってるの大丈夫か?と心配に…というかこっちが目眩する

それとも原作アニメのお陰で映画では途中すっとばされてる文脈脳内補完増幅されまくってるって事なの?

何より感動!泣きました!とか一番分からん

眠気こらえて滲む涙はあっても、事象因果過程がすっ飛ばされすぎて感動の涙の余地ミリもない…





素晴らしい原作、ついでアニメにもなってるのになんでこんなひどいことになってるのかワケガワカラナイヨ

とにかく雑!色々なところの描写が雑!これできっと下の句では大なり小なり恋愛方面にも振るんでしょ!?

こんな雑な作りので恋愛やられても一ミリ共感できないんじゃないかなー―ーーー!?





まりに良かった派の意見があふれているので書きました

下の句は見に行きません というか存在を早々に忘れるでしょう

ぶっ飛んだひどさなら逆に怖いものみたさで行くのもありかなーと思える分、昨日今日始まったテラフォが前後編だった方が良かったんじゃないかな!?

あっちもあっちで原作素晴らしいのに早々にクソミソ言われてましたね。

2016-04-24

フィクションで嫌なキャラが突然綺麗になったりするの嫌い

しかもその理由が「主人公(読者主観)が嫌な奴と決め付けただけでほんとは嫌な人なんかいないんだよ」みたいな

やっすいエセヒューマニズムだと滅茶苦茶いらいらする




読者・視聴者フィクションを鑑賞するうえで

本来自分生活関係ない話なのに一旦感情移入をして、

主人公に嫌なことをしてくるキャラに本当に嫌な気分を持ったわけでしょ。

それは作品を鑑賞するための作法としてそうしてるんだよ。

本来必要無かったストレスまで貯めて。




なのにそれを

相手を決めつけて人を憎む心が良くないんだよ」

自分世界を狭くしてるんだよ」

みたいな作者からのやっすいやっすい説教でまとめられると本気で憎悪が巻き起こるんですけど!




こっちはあんたの作った無理のある話にも敢えて冷めずに乗って、

あんたのフィクションに没入するために自分とは全然違う主人公境遇に身を重ねたんだよ。

それをなんで作者のあんたに上から目線説教されなきゃならんわけ???

しかも「お前のその魂が良くない」みたいに???

ごっこ遊び自分から持ち掛けておいて付き合った相手に「何真面目にやってるの?」って言うのとどう違うの?




それで、嫌なキャラの行動に繊細な伏線が張り巡らされてあって、

種明かしをしたら確かにどこにも悪意は無かったーみたいな

読者がアハ体験出来る仕組みになってるとかなら楽しいからあいいよ。

でもそういうんではない。

確かに凄い悪意を持って実害与えてるし。




もしくは、綺麗になる過程が「改心」として扱われて

嫌なキャラの嫌な行動の理由とそこから考えを変える切欠になった事件反省辛酸が丹念に描かれるならまあいいよ。

ちょっと古いけど、悪役セキュリティサービスで登場して正義を目指す政治家で終わったプリズンブレイクケラーマンみたいにね。




そういうのどっちもなくて、

ろくな説明も無く突然何故か綺麗になるという雑な仕事のうえ

「え?なにこれ?」って混乱する読者に対して

「人を決めつけて憎む心が良くないんですよ?ん?」って説教してくる作品マジで氏ねと思う。

そっちの用意した主人公に心を重ねて鑑賞してたのにそこを非難てどういうこと。

もう当たり屋じゃんただの。

そういうフィクションが近年増えてきたし話題作にもそういうのがある。

ユージュアルサスペクツが軽んじられる原因について※完全ネタバレ注意

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2016/04/24/005535

おおむね記事内容同意した上で。

ユージュアルサスペクツの問題は、テクニックとか以前に新規で観た人が面白くない(あえて断言)ところだと思う。(好きな人ごめんなさい)

公開当時の印象は全く異なるのだろうが、今の観客からたらこうだろうという観点で以下書いています。あと自分自身、そんなに好きな作品ではないです。以下本文。

まず有名なあのオチだが、残念なことに作品の知名度とあらすじからして、今の観客が真っ先に思いつくのがあのオチなのだ。逆に言えばパイオニアなのだが、そんなもの関係ない新規観客にとってこれはかなり辛い。

そしてドラマ部分が決定的に弱い。あのオチを想定している観客にとって、キントの主観のみで語られる取り調べ室のストーリーはそもそも怪しすぎる。一応キントとキートン友情ものに見せかけて…というネタなのだが、観客が疑った状態では感情移入し辛くドラマとして苦しい。

さらに、映画のオープニングは事実部分の映像なのだが、そこにキートンが殺されるシーンが入っているのが完全に失敗。取り調べ室のストーリーが嘘もしくは間違いだと観客にわからせてしまっている。

またドラマが弱い要因として、キャラクターの魅力の乏しさもある。前記の二人はいいが、他のメンツは如何にもモブという枠を出ないため、こいつが犯人では…と想像する楽しみや余地がない。犯人でありそうなのはキントか刑事かコバヤシくらいだよな、って印象だ。

キャラクターの弱さを補うためか、妙に大袈裟な設定が取り入れられているが(伝説悪人カイザー・ソゼとか謎の日本人弁護士とか)、これがまた地味な作品内容から浮いていて、余計な疑いを観客にもたらす。

あとホラ話のくせに、終わってみればなんかセコい話なんだ。ソゼ、セコッ!て印象を持っちゃうんだ。

シックスセンスが早くも古典と化しているのと比較すると、こういったドラマ部分の差が大きいと思われる。良くも悪くもシックスセンスはわかりやすドラマで牽引し、幽霊という見せ物要素で観客を飽きさせず、オチの目くらましとしてのドラマがそれ単体でも十分観れるものに出来上がっているのだ。対してユージュアルサスペクツはオチ一点勝負に走りすぎたきらいがある。ここで一般的評価に差が出てきたのだと思う。

また、この映画演出というか見せ方にも難がある。オープニングの映像で、カイザーソゼは左手で銃を横にして撃つ。セリフでの説明ではなく映像でソゼのくせを描き、左半身麻痺のキントを容疑者から外すための演出だ。それ自体はいいのだが、残念なのはこの映像が妙に思わせぶりで映画好きにはあからさまに怪しく映るし、普通の観客は左効きにあまり気付かない、という困ったシーンになっていること。銃を水平にして撃つくせはキートンなのだが(右利きだが)、前述の通りここでキートン殺害されるため二重にトリックを阻害しているのだ。

また、ここは好みが別れるところだろうが、この映画クライマックスオチは「キントがソゼだった」ではなく、「取り調べ室の話はホラでした」なのだ。この違いはデカく、オチの爽快感を削いでいると個人的には思う。実は刑事はキントがソゼだったとは気付いていないし、深読みすれば本当はキントがソゼでない可能性もある。想像が広がるという意味はいいのだろうが、受けるインパクトという意味ではかなり大きさに差が出る。

どうもここら辺のちぐはぐさを踏まえるに、新味を抜きにして脚本演出などの技術的な観点から見るとそこまで完成度の高い映画ではないように個人的には思えるのだ。キントとソゼの演じわけなどケビンスペイシーの名演技はあったが、あとから見ればこの映画評価ほとんどは彼一人が担った印象を持つ。いや、パイオニア作品なんてそんなものなんだろうけれど、後一歩足りてない感は否めない。

から、この映画現在の観客にあまり歓迎されないとしたら、それは結構健全なことであるとも思う。ユージュアルサスペクツが過去映画になったとしたら、それは映画進化してるってことだ。

2016-04-13

めもてきなかきちらし

コンテンツ思い入れがなければダメだという日本商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつ創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。

日本場合自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。

そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。

アメコミヒーロー社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本あるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツ超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。

ドラゴンボール孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボール鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体社会性は得られない、鳥山明個人的世界を描いた作品しかない。日本作品はそういうものしかないと思われる。

どんなにクールジャパンだとか政策として日本作品世界に輸出しようといっても、作られる物自体社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンスーパーマンのように80年近く愛されはしない。

日本人世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデント作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的ものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートルしか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。

クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウン国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。

から、この環境適応できるとサイコー楽園なんだけどね。

自分自分で終われるから。今の日本が苦しいのは、外部的な存在をきちんと認識できているのかもしれない。

BL同人のこと

最近まれて初めて腐ってしまったというかBL二次創作しかエロ)を読むのにハマってしまったんだけど何というか新しい世界すぎてドハマリしている

今までは男女カップル物で

自分の性に目覚める前から読んでいた少年誌エロ観点から主人公感情移入/モブ攻めも含めてヒロインハァハァする

・もしくは、少女漫画観点からスパダリ相手役にときめきながらふわっふわのエロで楽しむ

…とかそういう感じだった

自分場合少年誌エロ観点男性理屈)に性欲を委託する感じでそういう意味で既に一部解放されてたか腐女子解放感とか必要なかった

それは「男に成り代わって女体をまなざしちゃえば楽!快楽!受け止める側の絶望とか関係ない!」とかいう感じのファンタジーだったし、

マグロ願望と相まって女体を愛でるのに慣れてたし

少女漫画観点ティーンズラブ的に「平凡な自分が愛される」(マグロ願望込み)というアレだった

ところがまあBLは「受」が男…ていうか性別:「受」、プラスして「好きな男キャラが、愛したり/愛される ※性的な意味で

ハマってみて「感情移入とかじゃなく自分=壁なんだよ!」と力説するお姉様方の気持ちを初めて心で理解した

今まで使用してきた少年誌エロ観点不要というか使えなくなった…だって相手は男の身体。でも委託引用しなくても「そういう世界」でまなざせる。

今まで使用してきた少女漫画観点不要というか使えなくなった…だって「受」は自分の身体とは違う。でも男の身体もエロいんだよって作品に教えられる。

そして「好きなキャラ×好きなキャラ」じゃん!!!って立ち返ってみたら

今までだって好きな男女カップルだったけど、BLにハマった時の「壁」の性の重荷を負わない他人事感とそれによる解放感はものすごかった。

ついでに一般作品ハブられがち、少女漫画ティーンズラブですら削られがちな「男の身体はエロイ」もあるのが新世界だった。意外と無いんだ。腐女子万歳



ところでまだ新米すぎるのと根本原作厨すぎて

「いやいやいやいや、この二人がホモとかねーーーーーよ!!!」って3作ぐらい読んだあとに正気に戻っては

書いた人への失礼さに苦しんでいるので人様に迷惑をかけない程度に「それはそれ、これはこれ」としてもっと綺麗に腐り堕ちていきたい所存です。

2016-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20160412123911

>「主人公美少女だと感情移入できねーんだよ!フィクションの中でも結局顔かよ!」ってならないの?




いや、なるよなるなる。めちゃくちゃなる

から男向けや、特にどちら向けと限定しない一般向けの漫画を読んでるのよ

http://anond.hatelabo.jp/20160412123911

シチュエーションにアガるから女側の容姿あんまり関係ない イケメンにこんなことされたらたまんねえ~って話 感情移入はするけど、自分をそのキャラクターに当てはめるんじゃなくてそのキャラクターの置かれている状況とか心情に移入するのでただの器である外見はあんまり関係ない

もしくはそいつらが恋愛してるのを近場の第三者視点から見てるのでこの場合容姿とかまったく関係ない

女性向け作品主人公って美少女ばっかだよな

いや男性向けラブコメとかでもまあまあ見れる容姿の男が主人公だけどさ

エロに限ればそうでもないだろ

嫌悪感抱くレベルキモい男が美少女エロいしまくる作品って結構あるだろ

汚いもの美少女が犯されるということに興奮するという需要もあるだろうけど

主人公イケメンだと感情移入できない」

という意見もよく聞く

まりキモい自分感情移入やすくするためにキモい男を主人公にするって需要一定数あるわけだ


で、女性向けだとどうだろう

キモい女がイケメンエロいしまくるって作品あるか?

仮にあったとしても(男性向けエロ全体のうちのキモ主人公割合比較して女性向けエロ全体の中のキモ主人公作品の)割合はかなり少ないんじゃないのか?

女は「主人公美少女だと感情移入できねーんだよ!フィクションの中でも結局顔かよ!」ってならないの?

それとも女は口では自分のことブスとかいときながら本心では

「それほどブスじゃねーし、ちゃんとわかってるイケメンがいれば逆ハーレム築けるし」とか思ってるの?

2016-04-07

痔になってしまって、フィクションアナルセックスを見ても、ああこいつも後でトイレ困るんだろうなと思って感情移入できなくなった

2016-03-21

3年前に書いたかもしれない感想

これだけ大人気でありながら、自分ラブライブ!をチェックするようになったのはかなり最近である

一応「Wonderful Rush」や「夏色えがおで1,2,Jump!」でその印象的な歌やPVもどきアニメに触れて惹かれてはいた。ライブ映像も見てみたけど、「皆歌上手いなー」と素直に思ったっけ。

そしてその流れで公式提供TV版一期二期ダイジェストだけyoutubeでチェックし、とりあえず劇場版を見て、そこで初めて本格的に興味を抱いたのだからにわかどころの騒ぎではなく、超スロースターターと言っていい。

以下、そんなノロマが昨日までEテレで見ていた第一期(2013冬アニメ)の感想である


結論から言うと、「この筋書きで、あれだけの人気が出たのが不思議で仕方がない」という感じである

そもそも、あまりに人気がなければその時点で二期など作られようがない。でも実際には人気も人気、中の人が「ここまで人気になるなんて思わなかった」と言うレベルである

そりゃそうだよ、だって企画2010年、電撃G'sマガジンという、完全にオタク紳士向けの雑誌の紙面上でひっそり始まったんだし。

それが今や、地元ショッピングモールヴィレッジヴァンガードでさえ扱っていて、そんな店頭の前を家族連れが通りかかった時、その中にいた中学生くらいの女子が「私あれ欲しいんだよねー」と普通に家族に話しかけていて、心底仰天してしまった。

この話に限らず、ラブライブ!が一部の男オタだけの内輪受けじゃなく、少なくない数の女性ファンも取り込んでいるのはpixivを見れば一目瞭然。艦これとどっちが多いんだ?ってくらいの投稿である

そして、企画自体は上述のように2010年から続いているものの、一気にファンが増えたきっかけがTVアニメ第一期なのだそうだから、本当に驚きである


そんなTVアニメ第一期の問題は、ラスト3話に集約される。正直あれダメだろ。なんであんな展開入れたんだって感じ。

逆に言えば10話までは良かった。現実ここまで上手くは行かないというか、どう見てもフィクションですって話だけど、それでも、メンバー手作り思い入れを込めてメンバーを増やし、グループを形作っていった感が伝わってきて、多分これが本作における一番の魅力だろう。

しかラスト3話は…巷で言われる「ラストで無理やりシリアス展開を入れて作品台無しにする花田脚本」まんまだったと言っていい。

でも話はそう簡単ではない。もし花田氏の脚本が「百害あって一利なしレベルだったら「もうお前はホン書くな」で終わりだが、実際には「49の利と51の害」くらいだろうか、作品による当たり外れがあって、例えば昨年放映の「響け!ユーフォニアム」では大当たりだったわけで。

で、本作ではどうだったかというと、これ(自分含む)穂乃果ファン怒るでしょ。ついでに「ラブアロービンタ」が第一期最大のインパクトになってしまった海未ファンも怒っていいと思う。

穂乃果の性格だと、あのダブルパンチは相当堪える筈で、辞めます発言も頷けるのだが、その見せ方が絶望的に下手なのだ

あれでは穂乃果が自分本位自己中な人にしか見えない。校舎屋上で穂乃果がああ言い出す理由を頭では理解出来てもイマイチ感情移入できず、見ていて「えー…」となってしまった。

後述のように、そんなラスト3話の中にも良い意味での見せ場はあったので、もうちょっとなんとかして欲しかたかな。


ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。

彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。

特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である

結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。

もう一つの注目株は、花陽役のシカコ氏。

同時期にやっていた琴浦さんの出演で知っていたけど、元ファッションモデルなのにあれだけ芝居や歌が上手いのは嬉しい驚きである

何より最近声優さん新人であっても「上手く演れて当たり前」になっている。専門的にプロ指導を受け、その中で見どころのある人がオーディションを勝ち抜いてマイクの前に立っているのだから、そりゃそうだろう。

そして、そんな新人・若手がひしめく中にあってもなお、彼女は上手である

この調子で頑張って欲しいし、今後が楽しみである(最近だとオルフェンズにチョイ役で出てる)。

一方で、本職声優でありながら芝居も歌も…という人も残念ながらいる。まあでも「最初はヘボでも出撃を繰り返せばベテラン」なんて話もあるし、二期以降もう少し上手くなっていることを願いたい。


というわけで、Eテレの第二期再放送の告知マダー?

えっもしかしてやらないとか?

2016-03-01

コミュ障アトピーハゲ無職引きこもり童貞37歳が主人公の異世界に転生しないハーレムラノベがない

この状態感情移入がどうとか俺TSUEE系だとか語られてもお前はアホかとしか

2016-02-29

サクラノ詩かいエロゲ

全部やったわけじゃないけど、なんであれがエロゲランキング1位を乱取りしてるかわからん

天才天才天才天才の話でしょ。とにかく感情移入全く出来なくて辛い。昨今のオレツエーものもあれだけど、こっちもあれ。

プレイヤーが4歩くらい離れたところから物語を見つめてる感があるんだけど、エロゲに求めてるのってそういうのじゃないんだよなぁ。

2016-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20160227030926

テクニックとか具体的状況を参考にしてるんじゃないでしょ

小説漫画映画主人公はみな困難に挑戦してる

仕事の上で困難にあたったときの踏ん切りの付け方、心の持って行き方とかそういう抽象的な部分をトレースしたり心情に感情移入して背中を押してもらってるんだよ

それとテクニックとして参考にしようとする場合でも、描かれる内容が「ご都合主義」の分目的ははっきりしてる

整理された状況がアウトプットされてるわけで、それを参考に現状の問題点分析したりシミュレートすることもできる

こういうのってデキる社員の真似とか簿記勉強ではできないことじゃないの

ひとつふたつのやり方に固執したり馬鹿にする奴より柔軟性もあるし手段も多くもててよっぽどマシだろ