「感情移入」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感情移入とは

2017-04-25

今と「この世界の片隅にネタバレ

ネタバレだぞ。

この世界の片隅に」の主人公のすずさんは、普通に暮らしている。

この点で日常アニメなのだが、徐々に戦争の影が忍び込んでくる…というとこの映画のあらすじになる。

しか映画を見ていても、正直主人公のすずさんは火が広がるまで戦争がやってきたことに気付いていない。

すずさんの親世代は「おかしくなった」と気付いているが、すずさんは常に外国と戦っている日本に生きてきた。

これは観客側、読者には理解できるのだが、情報など入ってこない状態のなか

言われるがまま地雷の授業を受けさせられている。

授業を受けているときは、すずさんは本気と言うわけではない。まだ身近には感じなかったからだ。

誰もこんな授業を受けていることに違和感が無い。

まるでミサイルが飛んでくるので避難方法を教えますと言われたかのように、敵国の爆弾について学ばされている。

この作品は長期の期間を描いているように思うが、その授業から爆弾によって大切な命を失うまでは短期である

こんなことを教えられている時点で、もう平和ではないし、なにかがおかしいと思わないといけない。

だとして何をしろと言うのかと考えると、結局のところ初期のすずさんのようにヘラヘラと流していくしか無いのかもしれない。

とりあえず飯を食べることを続けていくことしかできないのかもしれない。

だけど、すずさんが望むように、なにも知らんまま死んでいくことなんて人間できないのだろう。

戦争回避することだけが、今一番望むことだ。

すずさんは、戦争で勝つために耐えていた。戦争をして勝つことがみんなのためになる、という考え方の時代なので仕方がないことだ。

すずさんは日本一般人から感情移入やすいが、この点ですずさんと現代日本に住む自分たちは全く違う。

今はその時代じゃない。じゃあ、まず戦争をしたくない。それを強く望まないと駄目な気が、そんな気がする。

2017-04-23

アニメ内の喫煙率が高すぎ

現実喫煙者割合って少ないのに、アニメにでてくる大人キャラって高確率喫煙してる印象がある。

登場人物喫煙してると、そのキャラには感情移入できなくなるし、ちょっと距離をおいて見てしまう感じになるので、漫画アニメキャラには喫煙させないで欲しい。

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170418210543

天才キャラだろうが平凡キャラだろうが底辺キャラだろうが共感して感情移入できるのが普通の読者。

実際に、最近漫画ラノベは、いずれのタイプ主人公も取り揃えている。

え、君は自分より少しだけ劣ったキャラでないと感情移入できないの?

難儀な性癖だね!

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418140639

奴隷乙ってのは単にお前の極端な感想だろ

仮に奴隷主人公だとしてもアンパンマン自分の顔食わせるヒーローですけど?

何言ってんのこいつ、キモ

感情移入できないと成り立たないっていうのは完全にお前の感想ですからキモ

ガラスの仮面を読む女子男子)はマヤ感情移入できるのかよ、お前本当にキモい

2017-04-17

基本的人権の尊重

大学人権論という授業があって、ハンセン病患者さんについて「感染力が低く殆ど感染する恐れはないのに不当に差別されてきた」と述べられていた。

ハンセン病現代では完治する病気感染力も非常に低いというのは事実であるからその人たちが未だに冷遇されているのであればひどい話だし是正されてほしいと思う。でも俺はその話を聞きながら「本当にうつる病気だったら差別されても仕方がないということだろうか」とも考えた。差別されることの不当さが「うつる病気ではないこと」に起因しているのなら、うつる病気を持っている人たちやあるいは持病が遺伝するとわかっている人たちは、差別されてしまったときどうやって戦うのだろう。

フィクションノンフィクションわず、何かの媒体障害もつ人が取り上げられるとき、それが「健常者(という言い方もあんまり正しくないとは思うんだけど、少なくとも障害のあるなしにボーダーがあるならそこに含まれない人たち)にない特別な才能」によって許される、みたいな演出になっていることがよくある。例えば障害もつ人々が描いた絵について、私たちにはない素晴らしい色彩感覚があると語るような。そういうのを聞くと、障害があることはマイナスで、そのマイナス音楽の才とか絵の才とかでプラマイゼロもしくはプラスになっている、という捉え方なんだなあと思う。

障害のある人がみんな健常者よりも秀でた才能があるとは限らない。そういうのがなくて、ただ「障害をもっている」だけの人は、どうするんだろうなと考える。どうするんだろうというか、そんな捉え方の中ではどう、見られるんだろう、というか。

いつもそんなことばかり考えている。大義名分が救ってくれない人たち、その辺のボーダーの少しだけ外側にいる人たちが一番しんどいんじゃないかと思う。自分自身が色々な理由カテゴリー狭間にいる人間なので、語られない人たちに感情移入してしまう。差別される不当さや幸せになる妥当性に理由をつけると、その理由に当てはまらない人々にとってはつらい。

今これを書いていて、俺みたいなボーダーちょっと外の人もボーダー内側の人もそれに関係ない人もみんなまるっと幸せになれるように、っていう考え方こそが「基本的人権の尊重」か、と気づいた。

なんにもなくても仮にマイナスでも生きることが許されていてほしい。でも気持ちとして「うつる病気なのに表に出てくるんじゃねえ」とか「作業効率の悪い人にいてもらうと困る(から一般業務じゃない別の分野でやってて)」とかも、わかるんだよなあ。どうしたらいいんだろう。なんにもない人なんていないっていうのも、本当かよ、って感じするし。

2017-04-14

音楽を聴いて泣ける人生がうらやましい

あてこすりじゃなくてね。

からも分かってはもらえない人生だった。誰にも感情移入できないまま40を迎える。

タクシーに乗る。会話はない。ラジオから音楽が流れている。ドラマ主題歌だったということは知っている。有名な中島みゆきの曲であることも知っている。この曲を聴いて泣く人はたくさんいるのだろう。自分人生に照らし合わせたり、近い人を思い出したり、歌手人生を思ったりするのだろう。そうして泣くのだろう。

俺にはできない。何も響いてはこない。どんな曲も響くことはない。タクシーを降りて思う。泣ける曲がほしかった。音楽を聴いて泣ける、そんな人生を送ってみたかった。

2017-04-12

幽遊白書で泣いた日

先日、千葉テレビ再放送された幽遊白書を見た。

リアルタイムで見ていて、漫画リアルタイムで読んでいて、それこそいわゆる青春の1ページみたいな存在だった。

1話の内容もよく覚えていて、多少記憶と違う部分もあるけれども、懐かしさもあって思わず見入ってた。

で、だ。

子供のころは何とも思わなかったのに、大人になって見たら、第1話まさかの泣くことになった。

しかも2回。

最初のうちは何ともなかった。

でも葬儀のシーンでだめだった。

螢子が泣いたシーンでもうきつかった。なんとか我慢した。

桑原のシーンでだめだった。もう泣いた。1回泣いた。

でもね、母親である温子が泣き出すシーン、あれがこたえた。

もうね、母親への感情移入半端ない別に子供いないのに。しか独身男なのに。

自分子供を持ってもおかしくない年齢になって、周りに子供がいる状況になって、

はじめてその感覚が、感情理解できたんだと思う。

桑原のシーンが先か、温子のシーンが先かはもう覚えてない。

でも、その瞬間の自分気持ちが動いた瞬間はよく覚えてる。

なんだろうね、年齢を重ねたらわかることがあるのは、年齢を重ねないとわからないんだね。

当たり前のことだけど、それがわかるようになった。

2017-04-11

そもそもの話、神になったやつの前例もないのに神になることが悪いみたいに言えるのが食わず嫌いしかいか感情移入できない

神になれるなら人間に戻ることも可能なのであって神に飽きたら人間に戻ればいい

2017-04-09

オリキャラ投入二次創作に変化を感じる

 二次創作という世界があることを知ったのは今から十年以上も前だ。原作の枠を飛び越えた物語ファンが綴る行為に魅力を感じ、その中でも特に夢小説という界隈に入り浸るようになった。

 原作に登場しない人物が登場する二次創作。彼または彼女名前を読者が設定し、一般的には彼または彼女感情移入をした状態になることで物語世界に入り込む、文字列を読む行為を超越した体験を与えてくれる創作形態に感銘を覚えた。夢小説定義書き手によって異なり、その多様性面白さの一つであると長年考えているがそれについての言及割愛する。

 オリジナルキャラクターが出てくる二次創作は多く存在する。彼または彼女名前を持つか、明確な設定を持つか、物語の中でどれほどの意味を持つかは書き手に委ねられる。夢小説はそのカテゴリーの中で、オリジナルキャラクター名前を読者に決めさせることで読み方や受け取り方の幅を広げていると私は解釈している。

 前置きが長くなった。この二次創作におけるオリジナルキャラクターの扱いが十年前と現在でかなり変わったことがこの文書趣旨だ。

 夢小説を読む人を非常に大雑把に分類すると、登場するオリジナルキャラクター自己投影しながら読む人とオリジナルキャラクター物語として俯瞰して読む人の二つに分かれる。特に書き手後者場合オリジナルキャラクターには名前所謂デフォルト名)や詳細な設定が付与されうる。

 私はオリキャラ創作と夢創作のどちらも経験したが、オリジナルキャラクターを出す場合名前変換がある場合とない場合では読んでもらえる確率が大きく異なっていた。オリジナルキャラクター原作に絡めた話を書きたくても名前変換を設置しなければ見向きもされない、そのような印象を抱いていた。

 しか現在原作の中に登場しうる名前や設定の薄い人物を、書き手好みにカスタマイズして創作に登場させることが複数流行ジャンルで発生し、それが夢創作か否かの議論が度々交わされているのを目にするようになった。名前変換が設置されていると見向きもされないというケースさえ存在するらしい。

 二次創作に投入されるオリジナルキャラクターへの感触が大きく変わったと感じている。私の活動範囲の狭さに起因するn数が少なく、他に自作が読まれなかった原因を考察しない偏見バイアス等が存在し、この変化は私の内なる感覚に過ぎない。考察もできていない。ただ一つ言えることは、何が流行っている時代であってもオリキャラ投入二次創作楽しい、ただそれだけである

2017-04-08

学園モノのアニメはいい加減つらくないか

俺は30代に入ったぐらいから全く見れなくなった。SFとかファンタジーなら全然見れるんだが、学園モノとなると…。ファンタジーでもベースが学園モノになってるとキツイ。前期最後まで見たのはアッカとこのすばとオルフェンズとデミちゃん、デミちゃんは学園モノだが主人公大人先生先生視点から見れた。もう中高生主人公で学園生活やってるのはキツいんだわ、政宗くんとか全く無理だった。感情移入できないっていうのとはまた違うんだよな。感情移入なんか他のもできないから。なんだろうな、この感じ。わかるだろ?誰か説明してくれよ。BL好きの腐女子ってもしかしてこんな気持なのかな?

2017-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20170331120918

ていうか、ぱにぽにやキルミーの時と似た様な流れを感じる

○ 真面目に見ても面白くないけど、ネタとしていじると面白い

○ 最初は笑いながら斜め読みしていたけど、見ているうちに作品感情移入して真面目に面白いと思うようになった

○ 自分最初から本気で面白いと思っていたけど、周りには受けないと思っていた。だけど、思ったより周りで受けているので、とてもうれしい

○ 作品なんかどうでもいいけど、こういうやりとりを煽るのが面白い


成分の違いはあれ、それの混合物

2017-03-17

宅配運転手ありがとう~とか言うのキモくない?

だって、そのおっさん普通に自己選択決断で、対価を貰ってその仕事に就いてるわけでしょ?

ありがとう~って言う人ってさ、要はキツくて底辺で安い給料仕事をだれかに押しつけているんだ、という自覚があるわけだよね?

奴隷さんが底辺仕事をしてくれているおかげで、優雅に暮らせてるわ~と認識してないと、ありがとうとか言わないよね。

生活人質に取られた哀れな配達員とみなしてるからこそ、

配達員が大変だ~って言ったら、感情移入しまくりで再配達させないようにします!とか言い出したりするんでしょ笑

配達員企業契約問題なのに、罪悪感が湧き出ちゃったんだろうね笑

え、お客様神様ってアホなの?笑単純に対価として契約してる+一人の個人選択として尊重してるだけなんだが?

ありがとう~って言う方こそ、

生活人質に取られて底辺仕事をイヤイヤせざるを得ない可哀想奴隷さん俺の優雅生活のためにありがとう~とみなしてる時点で、

違う形での「お客様神様」をやってるクズじゃん。

炎上狙いとか言ってるやつは自分偏見差別にきちんと向き合えないクズなんだろうなぁ。

育ちの問題とか言ってるバカいるけどさ、むしろ底辺の方こそ底辺に同情することを強いるよね。

ちゃんと育ったら底辺自己選択の結果であり自己責任だとわかるからありがとう~とか言ったりしないわ。

ありがとうという感情を対価として頑張れ頑張れと追い込むクズよりは、チップ制度をあげるのは妥当だわ。

○億ってあのくっそつまらないオリジナリティの欠片もないザコのくせにクリエイター気取ってるイタい青二才的な人でしょ?一緒にされてもね~。

底辺に同情するのは底辺というのはわかるw底辺に同情する偏差値65以上の大学出身者ってめったにいないでしょw

対等・上下関係に至っては個別の事案を抽象度高めて一般化して当てはまらない~とかわめいてるだけのアホだな~w

配達員自己判断で対価をもらってやってる仕事なのに、無報酬善意比較ちゃうとか、

それこそ配達員生活人質に取られてこんな仕事我慢してやってるんだ~とみなしてる証拠だよね。

とりあえずありがとうで頑張れる!頑張れた!という人たちは、やりがい労働感情労働をおしつける社会に見事に飲み込まれてる。ブラック労働を強化する屑だという自覚を持とう。

ちょっと注目集めてて自分が気に食わないか反論できない文章炎上狙いだと思考停止するのが流行りなんですかね~?笑

bfms350 釣られるのも馬鹿馬鹿しい。こんなゴミみたいな記事ブコメするのやめようよ。http://b.hatena.ne.jp/entry/327571442/comment/bfms350

2017-03-16

何でオタクって演説好きなの?

なんか知らんけど、やたら演説きじゃない?

演説してる側に感情移入して上から目線な気分が気持ちいいとか、指導力ある存在に酔ってるとか、そういうのなのかな。

それとも偉大な人の演説に聴き入って「うおおお!」とか一体感を感じるの?

アニメにはやたら演説が出てくるし、演説気分で長文書いたり、普段の会話でも突然演説の一部分の台詞みたいなの喋り出して「うおおお!」ってなってるし。

日本人って演説上手い人ほとんどいないよね?なのに何でアニメだとやたら演説多いの?

演説上手い人多い海外の、たとえば洋画でも演説シーンってあんまり無いよね。演説下手な国が演説シーン多くて。演説上手い国が演説シーン多くない。この比率おかしくない?

どうして日本アニメ演説好きなのよ。アニメだけじゃないか。実写もか。

なんか、そういう演説シーン見てるとちょっとゾワゾワするんだけど。だ、だせぇって。

演説するのって、かっこいい人ばっかりだし。かっこいいというか、かっこいいキャラ付けされているキャラ

で、演説の内容はやっぱり上手くない。そりゃそうだよね、演説が下手な国なんだし。自分理想を高らかに宣言してるのばっかりで。あとなんか、すげぇどうでもいい自分事情を語り始めたりとか。おまえは質問コーナーで延々と自分語りするジジイかよって思うんだよね。演じてる声優さんは大変だよ。演説っぽくない台本演説っぽく演じなきゃいけないんだから

たぶん一番有名な、ガンダム演説もさ、あれも酷い演説だよ。あれを演説のひな形にしちゃダメだよね。

まぁ、「創作物における演説演説として優れているか否か」っていうのは本題じゃないんだけど。

なんでみんな演説好きなの?

稲田さんが一日で手のひら返ししたことについて胸が痛い

つい先日自分も同じようなことをやってしまたか

できます→できません

ってのをすっげー短いスパンで手のひらクルーしてしもうた

いやレベルが違うってのはわかってるんだけど、なんというか変に感情移入してしまってどうも素直に正義面してたたけない

自分が恥ずかしい・・・

2017-03-13

感情移入するタイプからラブコメが読めない

でもトラブルは読める

いちごも読める

アイズはだめ

高木さんもダメ

まりにも現実離れしてるのはいいけど中途半端現実への期待をさせてしまうようなものダメなんだと思う

自分とのギャップを感じすぎてその漫画自体というよりかはみじめな自分自体への怒りや苛立ちムカつきが抑えられなくなって自暴自棄になって死にたくなるから

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308014909

「なぜいきなりそうなる?」という風に見ている側を置いてけぼりにするような行動をとったり感情を見せたりするものだと思うんだよなぁ。

心情を言語化できるレベルのわかりやすい行動を取るキャラしか許容できない、は正しいのかね。

心情の推測が容易な作品否定するわけではないけど、

「心情を言語不可能のわかりにくい人間」には興味を持たないのがあたりまえ、

まらない、見なくていい、存在しなくていい、という態度や、それを追認するのは悪でしょう。

説明不可能な行動を取りうるのが人間であり、そのような現実存在する、というスタンスは、純文学にはある。カフカとかもそうだね。

うまくキャラを作ったり伏線を入れて説得力があればOKだという思想も、

結局はご都合主義キャラバックグラウンドにまで拡張しただけにすぎないのでは、という批判もできるね。

話は逸れたけど、結局元増田の言う「感情移入できなかった」というのは、「キャラに魅力を感じられなかった」くらいの意味だろうと思うんだが、見ている側を引き込むようなキャラ作りや人物描写というのは、ブコメバカにされるほど陳腐ではないと思うんだよな。評価軸に持ってくるのはアレだけど。

キャラ作りや人物描写重要性を、評価軸のひとつとして使っていい場合もあるとは私は思うよ。

バカにされるほどではない。

ただ、それだけで作品として正しいか裁こうとするのは間違いだろう。

PV稼ぎライター、または大塚英志シナリオライティングを学んだ人が

○○をしてないからこの作品ダメ、と安易に決めるのをよく見る。

たとえば、「序盤でキャラの紹介が詳しくなされないと感情移入できない、だからダメ」とか。

一部の評価軸ですべてを決定づけるのがおかしい。

それからパプリカ原作を読んだことがあるんだけど、フロイト無意識が基盤の作品だ。

映画も、無意識カオス性や系譜であるシュールレアリスムのような表現が多いと予想している。

そういう作品に対して「感情移入できるキャラがいないからつまらない、だからダメ」とか言うと、

偏った知識価値観で楽しみ方を狭めてる、くっそつまらないヤツだとみなされるよ。と思う。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307222326

「没入すること」は「感情移入」だが「「劇中で一貫性だったり背景を上手く描写させていて、見ている側に「このキャラクターはどうなるのだろう」と興味を持たせる」」はやはり別の概念なのでは。

興味を持たせるようなキャラ作りができたとしても、すべての人にフックをかけられるわけじゃないでしょ。

感情移入という結果に至る原因のひとつにすぎないのでは、という。

共感という言葉に対してはhttps://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F-477908#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29

共感はまず他人感情体験が前提であるのに対して、感情移入はまず自分現在における感情体験が前提になっているなど、両者を区別して定義づけようとしているものの、実際には混同して用いられることも多い。

という点では正しいけど

ある人とともに悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要ともいえる。親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるというように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験必要条件ということができる。

という点で間違ってるよね。

混同して使われる可能性が高いのであれば、やはり「キャラに読者が引っ張られる」的な概念必要だろうね。

この表現も引っ張られるについての知識がないと誤解を招きそうなので。

例として挙げられてるキャラでも感情移入しにくいだけであって、感情移入する人はいるんじゃないの。

人物描写がめちゃくちゃでキャラもブレブレで行動原理理解できないし矛盾があるみたいなキャラクター

だけど人間としてはまぁいるよね、という形で理解・没入できる可能性は十分にある。

しろこういうキャラクター存在否定的ということが元増田の主張なのだとしたら、

キャラクターは配置や役割においてなんらかの貢献をしなければならない、という価値観を持っているように思う。

これって大塚英志好きやシナリオライター的な人間ありがちな発想。

http://anond.hatelabo.jp/20170307202400

おまえの言ってるのは「感情移入」ではなく、そのまんま「読者にキャラへの興味をもたせる」っていうだけじゃないの。

「魅力がある」とかその程度のことではだめなら、「展開で読者を引っ張る」(=展開のおもしろさで次のページを、この先を読ませたいと思わせる)という言葉があるので「キャラで読者を引っ張る」とでも言えばいいだろうか。

世間一般的な「感情移入」とは、

貧乏なXくんに感情移入できる金持ちのAさんもいれば同じく金持ちでも感情移入できないBさんがいる、というように個々人の感想としてみなされてるだけじゃないの。

ついでに言うとそれ以外の批評が雑すぎて信用はしていない。

たとえば増田の言うご都合主義的みたいな表現をする批判があまり好きではない。

気に食わなければなんでもかんでもご都合主義といえてしま説得力のないものからね。

なんというか、ラノベ好きが純文学は難しくてよくわからない、と言ってるレベル批評しか見えない。

感情移入よりキャラ面白さだけで興味をひいたのがドラゴンボールなら、仲間意識連帯感などで気を引いたのがワンピース

後者感情移入の部分で読者を獲得しようとした。

感情移入を仕組みとして取り入れるには共感性を獲得することが大事で、共感性のターゲットは研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど狭くなりがち。

マイヤンが刺さる人にはワンピはいいけど、マイヤンが鼻につく人にとってワンピ唾棄すべき存在なわけで。

そこで共感できる普遍的感情を入れてくるわけだけど、普遍的感情ってわかりやすければわかり易いほど陳腐化してしまう。

なにが言いたいのかといえば、感情移入ってターゲッティングありきのテクニックだってこと。

なのでシナリオの各所に移入箇所を散りばめることはできるのだけど、ターゲッティングされていない、

普遍的感情移入があまり考慮されていない今敏アニメを見て感情移入できない、なんて意見を述べてしまうのは、

メロスを読んだけど走って王にあって友人と再会するだけじゃん、何が面白いの、と言ってることとそう変わらない。

http://anond.hatelabo.jp/20170307202400

文化人種国境、あるいは時間を超えたら理解するのが難しくなる、

実に主観的普遍性の無い概念が「感情移入」なんだわ

その主観的感情移入

もし万人に通用するものを作ろうとしたら

「よわいひとをたすけましょう」的な酷くローコンテクストで幼稚なものになる

そんなつまらない道徳めいたもので縛られるくらいなら、

最初から評価勘定から無視した方が良いと言うのが評論家コンセンサスなんだろう

http://anond.hatelabo.jp/20170306235007

登場人物への感情移入とかストーリー面白さや説得力を求めているんならそういう評価をされている映画を観ればいいと思う。

面白い、つまらないの尺度で測れない作品ってアニメ実写問わず、というか映画に限らずたくさんあるよ。

2017-02-27

この世界の片隅に (ネタバレなし)

観てきました。

君の名はの次は、この世界の片隅にがキテる」という噂を聞いてから、はや数ヶ月。

まだやっててよかったユーロスペース

結構重い話だということは聞いていたのですが、広島舞台戦時モノだとはつい知らず…

だんだん展開の悪い方向が見えてきてヒヤヒヤして観てました。

この映画の素敵なところは、

戦争ってこんなに悲惨なんだよ。そんな"犠牲"の上に成り立ってる現代を大切にしようよ!!』

という押しつけがましさが全くないところ。

悲惨な部分は一部分で、大部分は主人公すずの日常を幼少期から丁寧に描いてある。

からこそ積み上がっていたものが崩れる悲惨さがあるし、日常感情移入している分、こちらまで痛々しく感じる。

かといって絶望して終わりでもなく、楽しいことも温かみもある日々が続いていく。

そしてボクらの現代は、そんな"日常"の先にあるのだと、決して"犠牲"一色の上にあるわけではないのだと気付かせてくれる。

ここら辺のアンバイがゼツミョウというか、

登場人物たちに体温を感じるし、同じ人間として共感出来るから戦争の記録映像の何倍もリアリティのある恐怖を、アニメーションの爆撃の中に感じました。

戦争で帰ってこなくて悲しむ対象の人もいれば、喜ぶ対象の人もいた。

終戦宣言の時にキョトンとする人もいれば、怒る人もいた。

アメリカ人残飯の美味しさに感動し、

自宅の白米の無味に落胆することもあった。

きっと本当にそうだったはずだ。

少なくとも、僕があの時代を生きていたらそうだったはずなのだ

戦争が本当はどんなものだったのか。人間はその時どう生きていたのか。

その一端を見れた気がしました。

今の日常一生懸命生きたいと思います




nekoich

2017-02-25

ここぞという重要局面で、感情に任せて理性的判断が出来ず更なる事態悪化を招いてしま登場人物について。

たとえば敵にトドメをさせないで躊躇してしま主人公とか(逆に生かしておくべき敵を個人的怨恨で殺してしまったりも)、隠れてろと言われたのに仲間が心配とかで外に出てきてしまって攫われるヒロインとか。

昔はすごく嫌いだった。お前がそこで個人的感情を優先させたせいでどんだけの人間迷惑がかかる(かかった)と思ってるんだよとイライラした。

なのに最近、逆にそういった登場人物こそ好きになれるかもしれないと思うようになった。

自分自身が常に理性的な行動を取る登場人物共感しにくくなってしまったというのはある。

人間舞い上がってしまうと周囲が見えなくなるし、心配になれば居てもたってもいられなくなるし、惚れ込んでしまった相手には盲目になるだろう。少なくとも自分はそうだ。そこに論理的理由あんまり存在しない。辛い時は辛い。

感情とは厄介なもので、時に理不尽だ。理性でねじ伏せた上で最善の行動を取ったらそれは物凄い盛り上がるが、逆に感情に振り回されて誤った選択をしても、それはそれでどうにもならないものへの無力さを感じさせられて面白い文字通り人間そんなもんだよなとどこかで安堵し、そしてその誤った選択を取ってしまったキャラクター共感してしまう。

逆にどんな事態でも冷静に状況を把握し、最善手を取ろうとするキャラクターには、むしろ近寄りがたさのようなものを感じるようになってしまった。登場人物全てが理性的な行動を取ることでスムーズに進んでいく物語となると、むしろ自分なんかが読んではならないのではないかというレベルで畏怖を感じる。こうありたい、ありたかったという憧れを越えて、劣等感を抱かされてしまう。

ただ単に自分が、現実のあらゆる(という訳でもないけれど)局面感情に任せて失敗してきたから、そういったキャラクター感情移入というか自己投影するようになったというだけの話なのだが。

だが、だからこそ個人感情的な失敗がある程度許容される物語が好きだし、たとえその結果理不尽なバッドエンドを迎えたとしても、自分はその物語を通して癒されているという自覚がある。これから感情的でどこか不安定物語出会いたいなあと、そんなことを考えている。他者が本当に他者として存在している現実ではあまり許されることではないから。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん