「トラック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: トラックとは

2016-12-04

死の収容所へ 2

http://anond.hatelabo.jp/20161204224426

強制連行

 全ヨーロッパユダヤ人ドイツ領ポーランド絶滅収容所移送する−これは、途方もない作戦である遂行にあたっては詳細な計画、広域にわたって組織化された設備施設、そして輸送補給宿営のための大がかりな兵站機構必要だった。連行作戦にはドイツの広範にわたる政府機関組織が巻き込まれている。ハイドリヒが作戦の指揮を執り、1942年5月の彼の暗殺後はハイドリヒの後継者帝国中央保安局エルンストカルテンブルンナーがこれにあたった。あらゆるSS機関支配地域の様々な民間権威ドイツ国防軍、そしてナチ衛星各国政府連行作戦に動員された。特にドイツ鉄道組織連行されたユダヤ人集団絶滅収容所まで輸送する手段提供し、強制連行に加担した。次のことは特筆に値するであろう。何よりも軍隊鉄道必要としていたにもかかわらず優先順位を記したナチリストによれば、ユダヤ人鉄道輸送の割り当ては、軍隊のそれよりも優先されていたのだ。

 全ヨーロッパからユダヤ人連行するということは当然、5つの絶滅収容所に彼らが到着するということでもある。列車同士の「かちあわせ」を防ぐため、正確な時間割必要となった。時間割りにあたっては、それぞれの収容所絶滅施設能力考慮に入れなければならなかった。ガス室があるといっても、全員を短時間でガス殺できない収容所列車を付けるわけにはいかなかったかである

 ユダヤ人連行秘密裏に進められたので、大がかりな隠ぺいと偽装工作が行われることになった。連行される人びとに対しては、東方のどこかへ労働に行くのだという情報が流されていた。このためポーランド在住ユダヤ人ソ連領内のナチ占領地域に連れて行かれるのだろうと考え、他国ユダヤ人たちはナチポーランド労働のために送られると信じていた。ナチは、嘘がほころび連行不審感や不安感を持たれないよう、念の入ったことをした。 連行の途中あるいは収容所到着後何人かに対して、故国に残した家族あてに葉書を書くよう強要したのだ。家族が受け取ることになる葉書にはこうしたためてあった−「自分たちは元気に生きている。ここはただの労働収容所で、快適だ」− 差出人は数時間後にはもう生きてはいなかったのだが。

 強制連行の手順と方法は大体決まっていた。連行が迫っているという噂が数週間前から広まることもあったが多くの場合連行命令は予告なしに突然執行された。連行される人びとに与えられた猶予はきわめて短く、2、3時間かあるいは数分だった。まず、ユダヤ人たちは家を出て指定された場所に集合するよう命じられた。集合場所は大抵駅の近くだった。所持品は手荷物以外許されず、彼らは自分財産ほとんどを置き去りにするしかなかった。手荷物の重さは一人当り10~15キログラム制限されることもあった。荷物の中身は主に衣服、炊事用品、寝具などだったが、そこには仕事に使うための道具類も加えられていた。働きに行くだけだと信じていたかである

 重い荷物を背負い、包みを抱え、子どもも年よりも、ユダヤ人たちは駅までの何キロもの道のりを行進させられた。年寄り病人が荷馬車やトラックで隣村から運ばれてくることもあったが、行進は基本的には徒歩だった。行進から脱落した者はその場で射殺され、歩けない病人や隠れていた者も同様に見つかり次第射殺された。複数の小規模ゲットーで同時に連行が行われた場合、それぞれのゲットーの人びとは一つの集団にまとめられることもあった。こうした集団の隊列は長さ数キロメートルにも及んだ。天候は考慮されなかった。凍てつく冬の雨の中、焼けるような夏の太陽の下、隊列の行進は絶えることがなかった。

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツグルペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-12-01

オーオタって男性ボーカル聞かなすぎだろ

HPSPのレヴューを漁っていたら大抵聴いているのは女性ボーカルばかりである

オーオタの比率が男が多いか男性ボーカルを聞かないのだろうか?

いやいや男だって男性ボーカル聞くだろ

あの頃俺達が聞いていたナイストラックはいだって男性ボーカルだったじゃねえか

から男だから男性ボーカルを聞かないなんてありえない

ということは男性ボーカルというのはわざわざ明言することじゃないのだろうか

まあ確かに男性ボーカルの息づかいがどうのこうのとレヴューに書かれていても困るけど

つーか女性ボーカルって分け方雑じゃないのか?

やくしまるえつこjanis joplin女性ボーカルだが同じジャンルでいいのか?

よくわからなくなってきたかDALIのZENSOR1っていうのを買っとくわ

2016-11-30

北海道の美味しいお店

http://anond.hatelabo.jp/20161130113432

試される大地へようこそ! 1月にいらっしゃるとのことで、お勧めのお店を紹介します。


芦別市芦別「新宝来軒」

ここの「ガタタン」を食え。「ガタタンラーメン」がスタンダードだが、個人的には「ガタタン」をチャーハンにかけたものが好み。

「ガタタン」は塩味あんかけなのだが、ほとんどこの芦別しか食べられない。戦後満州から引き揚げてきた人が中国料理アレンジした料理を蘆別で始めた。これが「ガタタン」。

炭鉱で栄えた芦別炭鉱マンをあったかくする為に「ガタタン」は食べられてきた。そして近年ではご当地グルメに。

そんじょそこら粗製乱造されたご当地グルメには叶わない、引き揚げ~炭鉱労働という、戦後北海道歴史のド真ん中を歩いた食べ物といえる。

これを味わいながら、北海道近代史というものに思いを馳せてほしい。



足寄町本町「あさの食堂

今ではめっきり少なくなった、ただの食堂ラーメンがメインで、二人のばあさんが作っている。

化学調味料主体の、懐かしいラーメンを食べたかたらここ。醤油を頼め。チャーシューが激烈に、懐かしい。

昼時に行ってみてほしい。近くの道の駅に大型トラックを止めた運転手さんや、地元の昼間っから道楽してるおっさんを眼にすることができるだろう。

ここから北見に抜ける運ちゃん、阿寒に抜ける運ちゃん、帯広に抜ける運ちゃん。今も昔も、足寄は人間交差点なのだ



札幌市北24条元祖美唄焼き鳥 三船」(居酒屋

いか北24条の「三船」に行くんだぞ。「三船」を冠する店は何件かある。美唄焼き鳥元祖三船福太郎氏にあやかったものだ。

由緒論はえてして混迷を極める。ここは伝統だとかじゃなく、純粋うまいところを紹介する。それが24の三船だ。

ここ、メインメニュー美唄焼き鳥の鳥串で、サイドメニューも大変豊富。そしてどれもとっても美味しい……のだが、サイドメニューは頼みすぎないほうがいい。

鳥串が美味しすぎて、何本でも食べられてしまうのだ。6人で行って、一時間半でお通しと串120本と酒だけで帰ったことがある。それだけ串がめちゃくちゃ美味い。



札幌市駅前和風パブ 松」(居酒屋

札幌ザンギを食べたいならここ。ザンギって鳥の空揚げの親戚みたいな北海道グルメだが、その王道典型と言えば松のザンギ

ただしここはまっとうな居酒屋なので、酒もちゃんと頼むべきだし、注文しないでずっと居座るようなことをしてはならん。

食事メインなら正直いかないほうがいい。あと和風パブっていってるが普通居酒屋から気負うことはない。



士別市多寄「淳真」

道北道東のいなかには美味しい蕎麦屋が点在しているが、ここは士別市の郡部にあるお蕎麦屋さんだ。

田舎ロードサイドってのがどんなものが味わうに格別の場所。②のあさの食堂と似てるんだけど、こっちのほうが人の往来が多い気がする。

ここの主人は、道外からやってきた人。多寄の食材に惚れ込んで移り住んだ。この多寄、蕎麦生産するが、それはどこか遠くへ運ばれるだけだった。地元産の店を、超田舎提供する試みが始まった。新しい移住・挑戦の歴史を感じたいならばここだ。



岩内町本町「北緯43度」

焼き魚を食べたいならここだ。目の前で焼いてくれる感じだ。私は山育ちなので、豊富な魚メニューのどれが旬なのかさっぱりわからない。けれど、いつも頼んだもの絶対に激烈においしい。

近くに道の駅があるから、そこも見学しよう。そしてこの界隈には美術館がたくさんありますわ。いずれも郷土画家ですの。お嬢鯖も大満足間違いなしですわよ!




羽幌町本町渋谷水産直売所・北のニシン屋さん」

ニシン時代は遠くなった。最近はまた増えてるらしいが。では漁村では何が行われているのか。それは、ニシンが群来(くき:大量にやってくること)ていた時代から培われた「水産加工業」だ! そんな歴史はともかくだ。札幌から200キロ程。ここまで離れると海鮮丼が安い! 「羽幌丼」を食べよう。地元産にこだわりたいなら「甘エビ丼」だ。食べ終わって満足したら、付設の直売所を見に行こう。水産加工テクニックを直に感じて、お土産を買って帰ろう。





2000年代以降に生み出された軟派なご当地グルメに絆されるなよ。

2016-11-29

田舎労働争議は足場工かトラック運転手ばかり

サービス業が多い中、この手のガテン系案件が多い。内容は賃金未払い、低賃金労災

大企業の統制が効かない、低賃金を脱するため独立して低賃金で雇うのループあたりが原因かと予想。

最近見る足場やトラック運転手が儲かってるみたいのは末端労働者意見ではない。

2016-11-28

[]ファイアパンチ30話

ぞのケツ女は味方だった

家族がいてアグニ教に入りたいっつってきた

トガタはカメラまわしながら「面白い」ってほくそえんで、「戦ってくれたらアグニ教に入れてあげる」って言う

そんでケツ女は槍を追手にぶっさす方法で戦い始める

その後追手のボストラックに追いついて、逃走側のボスとケツ女という二人の祝福者対峙する

来週は決闘だー!




やりでずぼずぼ追手が殺されるところ、なんか微妙だった

カタルシスがまったくないっていうか

追手ボスも炎の能力者なんだよな

ドマの炎とは違うんだろうか

前に出てきてたのかもだけどもう覚えてない

2016-11-25

権太はなぜ二度死んだのか?~この世界の片隅に狸を見出す

先日「この世界の片隅に」の感想を書いたけど、その際引き合いに出した「平成狸合戦ぽんぽこ」について、

せっかくだから何となぁーく感じてたことをだらだら記してみるよ。



「この世界の片隅に」を観て、眠れる狸が目を覚ました



自分の書いたもので恐縮だけど、自分は「ぽんぽこ」のテーマは「(それでも)生きていく」だと思っている。

自分たちを取り巻く世界環境価値観社会文化)の変化の中で、人はどう生きていくのか、

またどう生きてきたのかを、狸に託して描いているのがあの映画だと考えてるよ。

学生運動とかの風刺ってのはその通りだと思うけど、少なくとも自分もっと普遍的ものを描いていると思う。)



自分たちを取り巻く世界の変化(この映画では迫りくるニュータウンの開発だけど)に対して、

狸たちはいろんな立場をとるんだけど、この映画場合はそれぞれ分かりやすく、



権太=世界の変化に抵抗する者。原理主義強硬派

化けられない狸=世界の変化についていけない、取り残される弱者

正吉(主人公)=世界の変化に(望む望まざるを問わず適応する、適応せざるを得ない者。



てな感じで描かれていると思う。

別にどれが良くてどれが悪いとかじゃなくて、それぞれが世界の変化に対して「(それでも)生きて」

いこうとした形の現れ方の違いなんだろう。(人間もそうじゃないすか?)



で、本題に戻るけど、映画で権太率いる強硬派機動隊ガチンコでやりあうわけ。

そしてそのやりあう場面の視点が変わり銃声がした後、画面が切り替わって、機動隊が狸の死骸を

山積みにする場面がくる。これ、映画の見せ方としては明らかに「死」を意味するもの

権太たちは確かにここで死んだはずなんだが・・・



しかし、狸の死骸はその後むくむくと動き出し、権太たちは復活して、最後に大きな首(釣瓶落とし)と

なって工事現場で再び暴れるのである。そして迫ってきたトラックの前に立ちふさがり、キッと睨みつけるのだが、

無惨やなそのまま轢き殺されるのだ。これで本当に死んじゃったわけ。



正直なんでわざわざ復活させてまた殺すのかよく分からなかった。

狸寝入り」の伏線を回収するためなのか、「特攻」のメタファーなのか…。



ただ、この映画を「自分たちを取り巻く世界の変化に対する云々」という視点で見れば、

きっとこんなじゃないかなぁ~と思うんだけど、つまりあれはもう互いに相容れない世界同士のぶつかり合い、

原理主義同士の争いってなわけ。そういうものはどっちかが滅ぶまで戦い続けます



それまでの狸vs人間の戦いは、狸が化かして人間が驚くって構図だったんだけど、

狸と人間対立していても、狸も人間も化け物は「怖いもの、驚くもの」という価値観を共有してたわけ。

対立はしてるけど共有もしている、ある意味矛盾を抱えながらバランスとってた関係

機動隊との戦いはまだその段階だったってこと。



でも、最後トラックは、あれは価値観の共有ができない完全に対立した存在

から、化け物をみても怖いという反応がない。今までだったらトラック側が「うわぁーー」とか言って

ハンドルを切っちゃうんだけど、こいつはそのまま突っ込んじゃう。

そして権太はこの相容れない存在同士の文字通りの死闘に破れ、本当の死を向かえることになる。



って考えてます。もちろんこじつけもいいとこなんだけど。



でも、これは映画の話だけど、同じような構図は、グローバル化だとか移民だとか領土争いだとか格差社会だとか、

まさに今の世の中のいろんなものに当てはまるんじゃないかなぁ~。

凄まじい勢いで身の回り世界が変化していって、いたるところで侵食や衝突が起きている。

そんな中で自分たちはどう生きていくかってことを、実は無意識にみんな不安に思ってるんじゃない?



そして、かつて戦争という、それこそ圧倒的に自分たち支配し大きな変化を強いてきた存在があった。

そんな時代に「(それでも)生きて」いた人たちがいた。

この世界の片隅に」を観て、なんかよく分からないけど心にグッと来るものがあるのは、そんな無意識に訴えかける何かがあるからじゃないか

から、「この世界の片隅に」をたくさんの人が求めているんじゃないか

2016-11-23

今日見た夢。


若いころ僕はジョージルーカス映画学校に通ってて、

当時クラスの授業ではスターウォーズプロップ作りのお手伝いがあった。

でも僕は人より才能が乏しく、すぐにやることがなくなっていた。

(才能のある人たちはどんどん仕事が与えられた)

僕のテーブルにはスーザンという女の子がいて、彼女もやることがなくなった組の一人だ。

僕らはやることがないのでテーブルに散らばったプロップ材料掃除することにしたんだけど、

メンバー作業に応じた配置になってるから材料を移動させるな、作業中なのに触るな、余計なことするなとめちゃくちゃ怒られる結果になった。

時は流れ僕とスーザンは結婚し、小さなホテルオーナーになっていた。

何十年かぶりに当時のスクール同窓会があるとのことで、僕らのホテルが会場に設定された。

僕は当時の同級生たちと雑談をして、掃除してすごく怒られた話をした。

今となっては雑談として話できるけど、スーザンはあのことがとてもショックだったらしく、今でもスターウォーズは見てなしい、話だってできないから注意してね、と説明した。

その後ホテルスタッフと裏庭にある焼却炉に向かった。

ゴミを運ぶのにトラックがいるなと会話をした。

ここで目が覚めた。

2016-11-22

JR北海道について思ったこと。

廃線路線は、これでいいと思います

なぜなら、安全のためだからです。

なぜなら、JR北海道利益の向上になるからです。

なぜなら、JR北海道赤字を抑えるためになるからです。

貨物については、JR貨物トラックで運べばいいと思います

乗客については、JRバス運行すればいいと思います

石勝線全線(南千歳駅新得駅と新夕張駅~夕張駅

根室本線全線(滝川駅根室駅)

留萌本線全線(深川駅~増毛駅)

釧網本線全線(東釧路駅~網走駅)

富良野線全線(富良野駅旭川駅

宗谷本線全線(旭川駅稚内駅)

石北本線全線(新旭川駅~網走駅)

日高本線全線(苫小牧駅様似駅

室蘭本線沼ノ端駅岩見沢駅)

札沼線(北海道医療大学駅~新十津川駅)

2016-11-21

[]ファイアパンチ29話

トラック逃走中

バイクでおっかけて来てる

アグニ様どこーでもトラックには乗ってないから今ここにはいない

トラック運転手バイクの追手にコロッケされたりしてる

そこにまた新たな英語をしゃべる下着?ビキニ?の祝福者登場!

敵か味方か!?



物語ほとんど進まない

最後煽り文句は相変わらず編集センスない

また新キャラぶっこんでくるとかしゅうしゅうつくのかよこれ

こないだ教祖死んだ代わりってか

アクションシーンの絵的に全然ジャンプっぽくなかったけど見応えある画でよかった

2016-11-18

久保帯人探偵ナイトスクープへの依頼を強く薦める理由

話題ツイートにリプ欄を覗くとナイトスクープへの熱い信頼(ほぼ関西人だと思われる)が寄せられていた。

ネタ不謹慎番組普段見ない人はそう思うのかもしれない。

しかしあの番組を見て育った関西人として、「本気で薦めている」ことがよくわかる。

そこで探偵!ナイトスクープの信頼と実績一覧(本年度分)をご覧いただこう。

尚、番組アーカイブを使わせていただいた。



先月結婚式福岡に。独身親族にいじられ、べろべろになるまで飲み、居酒屋で見知らぬ人たちに励まされた。

気付くとホテルの自室で、肩にホークスユニフォームがかけられていた。

→結果:返却成功

メキシカンバー開店の日、シェフが「ゴミ箱を買いに行く」と言って失踪

あれから10年。探し出してもらえないか

→再会。10年前の当日、急に体調が悪くなった。その後難病指定の病が発覚し戻ることもできず。4回目の結婚をしていることも発覚。

広島県男性(56)から。私には50年来「実のお兄さん」のように慕い続けてきた方がいる。50年前に放送されていた「なかよしリズム」という子供番組の「初代・歌のお兄さん」の中山克己さん。

発見。74歳と56歳おじさんたちの初々しい対面。

20年前の夏、大型トラックの僕のトラックの後ろにベッタリとつく大型トラックがいた。気持ち悪いので無視していると、横に並走してクラクションの嵐。恐る恐る見ると、運転手さんが身振り手振りで僕に何かを伝えていた。それは僕のトラックの後輪タイヤパンクしているという内容だった。そして一緒にパーキングに入り、真夏炎天下の中、タイヤ交換を手伝ってくれた。そのまま走っていたら大事故に繋がっていたかと思うと本当に命の恩人。お礼がしたくても、自販機すらないパーキングだったため財布から5千円を取り出して「これで飯でも食ってください」と渡したが、「そんなものが欲しくて手伝ったんじゃねえ」とブチ切れ出した。押し問答の末、最後運転手さんが折れてくれ「次に会ったら一緒に飯を食おう。その時はご馳走になるから」と言ってくれた。そして「次はお前が困っている運転手を助けるんだぞ。それがトラック野郎からな」

→再会

東京都女性(29)からアメリカボストン出身留学生代理で依頼をする。彼は10年前におばあちゃんから譲り受けた、沖縄の人が書いたであろう日記帳を、持ち主の家族に返したいと願っている。それは1928年・昭和3年の日記で、300ページ以上にもわたってぎっしり文字で埋め尽くされている。達筆すぎて内容はよくわからないが、持ち主であろう方の名前沖縄の住所が書かれていた。なぜ、アメリカの彼の家に保管されていたのか、はっきりした理由はわからない。彼の推察では今は亡きおじいちゃんが、第2次世界大戦の時に沖縄に行ったことがあるので、その時に持ち帰ったのではないか、ということだ。彼は日本語が少ししか話せないが、日記帳を返せるように協力してもらえないか、というもの

子供たちを発見子ども12人いた。子供は存命で、日記の持ち主は70歳で亡くなっていた。「日記をつけろ」と子どもたちにも伝えていたそうです。

33年前。中3の夏休みに友人たちと3人で大阪から自転車琵琶湖一周の旅をした。雨風が強くなったので、田んぼの中にポツンと現れたバス停横の小屋避難した。そこで雨風がおさまるまで寝ることにしたが、目が覚めると激しい暴風雨。民家を見つけたが、何軒も断られて諦めかけた時にようやく受け入れてくれるご夫婦出会った。寒さに震える僕たちを風呂に入れてくれただけでなく、豪勢な晩ご飯とふかふかの布団まで用意してくれた。本当に涙が出るほどうれしく、子どもながらに人の温かさに心が震えた。大阪に帰ったらきちんとお礼しようと、住所が書かれた表札の写真を撮ったがその写真を失くしてしまった。

→結果夫婦と再会。思い出話に花を咲かせる。

2016-11-17

溶接職人トラック運転手建設作業員が高所得だと嘘ついてるやつ

腕一本で自営業やってて一戸建てに住んでハイエース乗り回せるくらい金持ってるんだっけ。本当はてなー職業感は狂ってて無責任だなあ。

そういう実力主義ガテン(?)に憧れてたやつほとんど地元企業転職たか、ただの下請けなのに気づいて真の実力主義だといわれる年収200の果樹園に就農とかしてるよ。

あと、ハイエース個人事業主で乗り回してるのはごく少数なので。

2016-11-13

ポケモンGO規制

現状の規制をまずは理解してから

速度制限実装されいる。

一定速度を超えたと判定されると、

1.アラート画面が出る。

ただし、ワンタッチアラート画面の解除は可能

2.ポケモンが湧かなくなる。

3.ポケストップにはアクセス可能

通り過ぎるまでにスワイプすればいい。

4.距離カウントされない(卵、相棒

運転中にポケモンGOをやるのは基本はポケストップアクセスしてアイテム稼ぎをするという理由主体となるはずだ。

まずは、運転する仕事してる人、会社運転手に明確な制限指導をしているのかということ。少なくとも職業運転手に徹底していれば、バストラック、大型系が事故を起こす可能性は減る。

2016-11-12

日中鼻水ズルズル啜ってるやつがいて本当にイライラする

薬飲めよクソ低脳が

口呼吸酸素が脳に回ってないんだろボケ

おまけになんか臭えし

自分臭いも判らないんだろ

トラックに轢かれて死ね

これを読んだ

われわれも、すでに「分断」されているのだ。

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/11/11/110000

ここに引用されている中川淳一郎文章吐き気がした。引用引用をさせて貰う。

 人間はそう簡単に分かり合えるものではない。どう頑張っても、分かり合えない相手存在するのだ。人生は短い。絶対に分かり合えない人と分かり合う努力をするより、分かり合えそうな可能性のある人を選んで、その人を大切にしていくことが重要なのだ

(中略)

 決して分かり合えない人間がいると悟ったもう一つの契機は、1993年3月日本帰国して、大学合格した直後のことだった。「大学入学したら何かとお金必要だ」と考えた私は、自宅からすぐ近くにある引越し屋バイトを始めた。私はその引越し屋で、RとKという2人の社員との組み合わせで仕事をすることが多かったが、RとKが語る話の内容は「焼肉」「風俗」「借金」「競馬」「パチンコ」「会社へのグチ」がほとんどだった。

 引越し屋で初めて彼らに会った瞬間、私はKから「お前、何でウチで働くんだ?」と聞かれた。「4月から大学に入るので、その前に働いてお金を用意しようと思っています」と答えたところ、「ケッ、エリートさんかよ」という答えが返ってきた。そして、

「あのよぅ、ウチはエリートさんなんていらねぇんだよ、バーカ」

と続けざまに言われた。私はなぜか「すみません」と謝った。トラックの中でRとKと一緒にいる時間は辛かった。話しかけられるのは、「缶コーヒー買って来い」「お前、さっきの家でチップいくらもらった?」「さっさと外に出ろ」「次のバイト代、お前を世話してやってるオレに半分よこせ」だけである

 他の時間は、RとKが「焼肉」「風俗」「借金」「競馬」「パチンコ」「会社へのグチ」について語っているだけで、私は会話に参加できなかった。ある時、冷蔵庫を運んでいて、あまりの重さに私が「ヒーッ!」と声を上げたところ、Kは、

「ケッ、これだからエリートさんは使えねぇんだよ」

と舌打ちした。

企業引越しのように大規模な作業をする際は、応援人間現場で待っている。中国人留学生が多かったのだが、RとKはその現場に向かう時、「なんか今日はニイハオだらけらしいぜ」「うぜえな、ニイハオかよ」などと言っていた。「ニイハオ」とは、言うまでもなく中国語の「こんにちは」だが、彼らにとっては「中国人アルバイト」の意味であり、明らかに差別意識を込めて使っていた。彼らは現場に行っても、

「おい、ニイハオ、てめえさっさと働け。日本語分かってんのかよ、バカヤロウ」

などと平気で口にする。そして私には、

「おい、エリートさんよぅ、お前、これまでお勉強ばっかしてきたんだから中国語くらい分かるだろ。ニイハオのバカどもに、グータラするなと伝えとけ」

と言った。この時は一瞬だけ、ついに自分もRとKから認められたかと思って嬉しくなったが、もちろんそれは錯覚だった。実は当時の私は、現場で会う中国人留学生たちと話が合った。彼らは大学生だったので、私は大学生活で必要なことをいろいろと教えてもらい、RとKとの会話よりもはるかに実りが多く、共感する部分も多かった。

 しばらくそ引越し屋バイトを続けたものの、RとKから飛んでくるのは万事、「てめえ、さっさとやれ!」だの「エリートさんは使えねえ」といったセリフばかりだった。当時の私は、極端な考えだとは思いながらも、「引越し屋とは分かり合えない」と割り切ってバイトを辞めた。もちろん、今の私は、引っ越し業をしている人にいい人が多くいることも知っているし、RとK以外で仲良くなれた社員もいた。

 しかし、この経験きっかけで、前からうすうす感じていた「人類兄弟というのはウソだ」という思いが確信に変わった。そして、人生の限られた時間、全員と分かり合う努力をするよりも、自分に合った人を求めることに時間をかける方が重要だと考えるようになった。

 それから始めたバイトは、私の通っていた一橋大学学生が代々継承していた植木屋での助手業務である家族経営植木屋で、学生たちが数人一緒に、朝から夕方まで、職人が刈った芝や伐採した枝をビニールシートに移し、トラックの荷台に載せていく。このバイト卒業するまでの3年半、気持ち良く続けることができた。

 もともとその植木屋は、伝統的に一橋学生を雇い続けており、バイト学生卒業する時には「誰か後輩を紹介してよ」と頼んで、その流れを脈々と続けていた。したがって、「こいつはウチに合う」と判断された人間けが紹介・採用されるため、「分かり合える人同士」の世界になり、心地良く仕事ができる。

中川淳一郎はこの文章に出てくるKとRを心の底から憎んでいる。「私は憎しみのような感情は持っていませんよ」という体で文章を綴っているが、その行間から憎悪が滲み出ている。それをなんとか打ち消す為に冷静な口調で書き記しているがそれは隠し切れていない。

昔、香港スプラッター映画を見て、昔の映画なのでレーティグなんてうるさいものはなかったわけです。だからこれでもかというくらいのエログロと残虐を表現した映画で心の底から吐き気がするような映画だった。今時のスプラッター映画じゃないから。本当に嫌悪感しか湧いてこないような類いの映画だった。

けれど映画最後に「人は憎み合うべきではない」というテロップが出てきて笑ってしまった。ギャグなのか、そうとでも書いておかなければ公開できなかったのか、それは分からない。しかしあの残酷描写がたったその一言でチャラにできると思ってるのか、と思えて笑ってしまった。


中川文章

引っ越し業をしている人にいい人が多くいることも知っている」

とか

「RとK以外で仲良くなれた社員もいた」

なんて書いているが香港製スプラッター映画と同じだ。憎しみをぶちまけておいて最後おためごかしの良い人アピールで終わる。この手の文章インターネットには山のように転がっている。


嫌悪感を吐き出したいという欲望がありありと伝わるのに最後正論や建前、私は気にしていない、彼等を責めるつもりはない、そういった言葉文章を締めくくってそれで良しとしている。それは自己弁護しかない。その「私は少なくとも正しい人間です」という主張は「彼等は間違っている」というだめ押しにしかならない。

憎しみを吐き出すのなら自己弁護をせず堂々とぶちまけろ。それができないのなら黙ってろ。そしてenterキーを押す前にその文章の中に、己の中に差別侮蔑感情が込められていないのか推敲しろ

2016-11-11

交通事故が目の前で起きた

自分交差点を渡ろうとしたところトラックが左から曲がってきたため一旦立ち止まったら、そのトラックが急停止した。ブレーキの音だけでなくなんか嫌な音がした。

トラックから運転手が急に降りた。何かと思ってまず道路渡りきろうと自分横断歩道を進んだら女性が倒れていた。流血の跡もなく幸い目立った外傷はないようだ。「青信号だったでしょう、あなた」と介抱に向かったトラック運転手に話しているが、段々ぐったりしてきている。そもそも立ち上がることもできずにいる。

トラック運転手20代前半の若い人のようで、衝突した女性に「大丈夫ですか」と手を握って言う以外できず、周りが見えなくなっているようだ。

偶々鉢合わせ自分スーツ姿の男性と二人で警察消防にそれぞれ連絡。交差点トラックの立ち往生で通行止め状態になってしまっていた。とりあえず女性救急車で運ばれ、トラック運転手警察と一緒にどこかへ移動した。

8月免許更新の際お約束交通安全VTRあくびをしていた自分も、やはり今回のように事故を目の前にしてしまうと、交通安全」を意識せざるを得なくなった。

また事故が起きても冷静な自分に驚く一方、冷静だった割に内面ではアタフタして何もできず、例えば発煙筒で事故を周囲に知らせること或いはトラック運転手にまずは車を移動させ交差点交通回復するといったことが提案できなかったのが悔しい。

まさか事態は身近にも潜んでいる、そう思った休日の夕暮れであった。

2016-11-08

日本全国の労働基準監督署職員全員に言いたいことがある。

日本全国の厚生労働省地方厚生局労働局労働基準監督署公共職業安定所ハローワーク)の職員全員たちよ、年中無休で24時間営業でやれよ。

日本全国の、国の機関職員全員と都道府県庁機関職員全員と区役所機関職員全員と市役所機関職員全員と町役場機関職員全員と村役場機関職員全員たちよ、年中無休で24時間営業でやれよ。

日本全国の24時間営業飲食店公共交通機関(深夜は、線路点検バスの整備点検夜行バス)やトラック運送業トラック運輸業や一部の郵便局コンビニでも頑張ってるぞ。

日本全国の労働基準監督署職員全員(労働基準監督官職員全員)も見習えや。

から日本全国で自殺者が増加するんだよ。

2016-11-05

ポケモンGO規制騒動周りのメモ

現状の規制をまずは理解してから

速度制限実装されいる。(アップデートしながら実装されてきている)

一定速度を超えたと判定されると、

1.アラート画面が出る。

ただし、ワンタッチアラート画面の解除は可能

2.ポケモンが湧かなくなる。

3.ポケストップにはアクセス可能

通り過ぎるまでにスワイプすればいい。

4.距離カウントされない(卵、相棒

運転中にポケモンGOをやるのは基本はポケストップアクセスしてアイテム稼ぎをするという理由主体となるはずだ。


制限の精度や制限の仕方についての異論があるとはと思うが、まったく制限してない、と断定するのはどうかと思う。


制限を解除して操作しながら運転してた人が事故を起こした事実から規制についての議論が巻き起こっている。


1.運転中のポケモンGOアプリ起動はできないようにすべき。

制限を解除するバカがいるのでアプリ側で対応してください、ということ。

運転中にしない選択肢を取らせるにはアプリ側で起動できないのが、一番確実だ。

が、移動速度判定なんぞ完璧には実装できない。

抜け道があるものダメならば、抜け道を完全には塞げない。

速度制限の低速度側に寄せた時は起動できる、減速時に解除できればそのとき操作可能


2.制限実装する義務がある。

実際の場所ポケストップがあり、速く移動して複数ポケストップアクセスできるという車の利点があるので、車の運転中にするバカを想定してないといけない。

3.移動中判定になるのは運転手以外(車、電車バス)の乗客も同じであり、完全な制限を食らうのは納得がいかない。

移動時間の暇潰しはアイテム整理とかしてんだから邪魔すんな論。

4.そもそも運転中に操作するのがダメなだけ。

本来ダメなこと。

ポケストップクリックして、スワイプして、アイテムを取る一連の作業をして安全運転できるわけがないのにどうしてそんなバカなことをするのか。

5.実際の場所に行く必要があり、中毒性が高いアプリなんで制限は確実に必要。他のアプリとは違う。

中毒性が高い、射幸心を煽るというのは個人的感想であって断定できる事象ではない。

ポケストップ特定場所にあり、ずっと画面を見ている必要はない。

6.カーナビスマホ

車側のシステム統合された作りのカーナビスマホを同列に語るのはさすがに。

車側のブレーキ検出とか諸々での実装スマートフォンの性能、制限での実装を同じにできないことくらい理解しようか。


7.規制必要性は?

まずは、運転する仕事してる人、会社運転手に明確な制限指導をしているのかということ。少なくとも職業運転手に徹底していれば、バストラック、大型系が事故を起こす可能性は減る。

会社へのダメージを考えればどこの会社もするだろ。

無料アプリに対して完全に規制しろというのであれば、それりの理由がなければならない。

規制により、本来規制されてなかった行動が規制された場合、現ユーザから批判離脱もあるだろう。それを受け入れるべきだという合理的理由がなければ実装しないだろう。

規制することが目的ではなく、事故をなくすことが目的ということは誰しもわかっていることだと思うが、つまらない貶しあいにパワーを使うのは時間無駄である

2016-10-31

[]ファイアパンチ27話

サンとかトガタ(映画基地外)もアグニ信者トラックにのって逃げる

信者ボスおっさんも祝福者で人の心が読める能力持ってるらしい

ユダアグニに、

・ドマは牢屋に閉じ込めてた

・さっきの激しい戦いで牢屋壊れたからドマはもう死んだ

って伝えてアグニはショックを受ける



思ったこと

信者ボスアグニの心読んだら一気に逆恨みしてきそう

・相変わらず編集の安っぽい煽り邪魔。「すべてを焼き尽くしてしまったのか・・・!?」ってダサすぎだろもっと他になんかあんだろ

2016-10-29

運転者のプレーを防ぐ機能を解除

愛知県一宮市の市道交差点で26日、小学4年生の則竹敬太君(9)がトラックにはねられて死亡した事故で、「ポケモンGOを使いながら運転した」と供述したトラック運転手事故当時、運転者のプレーを防ぐ機能を解除してゲームを起動したとみられることが、県警への取材でわかった。

ハッキングスキルのあるトラック運転手っぽい。

2016-10-28

はてなーの中ではタクシー運転手年収1000万いくらしい

溶接職人年収1000万だし、

トラック運転手年収1000万、

建設作業員も年収1000万だ。

がんばれば年収1000万いく職業のなんと多いことか。

ソースはもちろん信頼できるはてなーの知人である

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025042539

あいうえおってやつだよな

晒してる奴は4んでほしい

あいうえおの家行く間にトラックに轢かれて4なないか

障害者ムービーで撮って晒し

何が楽しいんだか

そういう奴はLANケーブルで今すぐ首吊って4ね

健常者ランドの住人の遊びはほんとゲス

ゲスの極みなんてかわいいもんだよ

あと最近では性の喜びおじさんってのが

動画で晒され者になっている

本当にあの人かわいそう

障害者動画で撮って笑い者にする時代がついにきた

いずれアトピーゾンビ動画晒し者にされて

1万8千リツイート 3万いいねを押されるのだろう

もしそんなことが起きたら精神が狂う

もしそんなことが起きたらとりあえず

片っ端から特定するかな

特定した後のことは考え中

電車に乗っている時は気をつけよう

携帯カメラが明らかにこっちを向いていたら移動しよう

2016-10-24

世界に選ばれたかった

アーこの世界に選ばれなかったなと街を歩いている健常者たちをみてよく思う。

健常者は人生を楽しんでいるのに非健常者であるアトピーゾンビ苦痛しかない人生だ。

虐待されて脳が委縮し、アトピーゾンビウイルスのことで幼少期からからかわれ精神障害者になり、アトピーゾンビウイルスの痒みと痛みに苦しみ、低能無能ゴミゾンビの完成だ。社会人として生きられる自信なんて全くないし、ニートになったら親にぼこぼこにされるから将来はホームレスかな。

ホームレスになって中学生金属バットでぼこぼこにされて死ぬんかな。まぁそれもありかな。ごみじんせいはごみ人生らしい終わり方をしたほうが宇宙を読んでいる読者も納得するだろう。


めんへらくそぽえむをこんな糞サイトに書いている間に恵まれている健常者や国から認定されている障碍者幸せに生きているのだろう。

デザイナーベイビーの時代に生まれてこれたらアトピーゾンビウイルスに苦しめられるようなことはなかったのだろう。

遺伝子治療が当たり前の時代に生まれて来たら健康体の健常者として生きて行けただろう。

世界に選ばれた健常者は痒みにたえたこともないし理不尽な目にあって精神障害者になったこともない。

誇りをもって働いているのだろう。アトピーゾンビ人生には埃がかぶっている。もう何十年も苦しみの中で生きている。

終わりのない真っ暗なトンネルだと思っていたが気が付いたら光が差し込んできましたみたいなことは起こらない。

夏休みも散々だった。健常者が楽しそうにしているのを横目に友達恋人いたことのない恋愛青春負け組ゾンビは一人でつまんなそうに花火を見たり祭りに行ったりしていた。

つかこの暗闇から抜け出せるはずだと四歳のころから考えて頑張っていたがいつまでたっても光が差さない。


幼稚園に行く途中に踏切があって、そこで電車が通り過ぎるのを待ってた時に、「あー今電車にひかれればこの人生を終わりにできるのか」って毎日考えてたんだけど、結局実行しなかったんだよね。今のアトピーゾンビからあのときゾンビに一つアドバイスするなら、「今が死に時だ。今死なないと後悔するぞ」と言おうと思う。

親が迎えに来なくて一人で帰ったこともあったな。

アトピーゾンビウイルスきもいと虐められるから小学校いきたくなくて神社に行くための階段で横になって寝てたことがあったな。カラスの鳴き声で目が覚めたな。

家に帰ると両親に殴られたり結婚相手悪口を聞かされるから帰りたくなくて、家の近くにある公園土管で寝てたな。

誕生日を祝ってもらうのが当たり前だと知ったのは小4。友達いたことがないか情報貧困者になりやすいんだろうね。

夏休み後の教室クラスメイト達が家族夏休みに行った場所経験したことを自慢しあうのを指加えてみてた。

家族旅行というものがあるのか。家族旅行なんてものがあるのかとおもった。

まぁ、こんな話はいいんだ。


今はメンヘラポエムしか書けないけど将来的にはアンチラノベ小説を書きたい。

トラックにひかれて異世界に行くんだけど、ヒロインはいなくて女から第一印象キモがられて、仕事をしようにも容姿が悪くて門前払い

何の才能も能力もなく、スライムすらまともに倒せない。

それでもゴミ捨て場ごみを食べて何とか生き延びて、年老いて路上で苦しみながら死ぬ

こういう作品を書きたいと思っている。

創作欲はある。友達恋人もいないし人生経験に乏しいけど、何かを自分の手で生み出したいという欲求はある。

ラノベ作家になる!

[]ファイアパンチ26話

先週ラストアグニと戦うために準備された囚人の一人をぶっ殺したレジスタンスの男が、アグニのところにやってくる

アグニ奴隷を逃してくれと頼み、レジスタンスの男は奴隷トラックにのせて逃げる

(「アグニ様が俺に話しかけてくれた!」狂信者っぽい)

一方、作られた神、ユダアグニの妹ルナに顔が似てる女)は、父親から「終わるまで」神の声がきこえるふりをするように言われていた

終わるまで・・・

そこでユダアグニの炎にふれて死のうとする

ナルトの中忍試験試験月光ハヤテに似た、敵側の事実上リーダーアグニを追っかけようとする

アグニは逃げるがユダは「自分を殺せ」と言いながらついてくる

そしてラストユダアグニに「殺して 兄さん」と懇願する



んーと奴隷逃がすのはいいけどアグニの敵討ちはどうなったんだろ