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はてなキーワード: 一定の評価とは

2017-03-17

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-01-17

娘がすっかりアニメおたくになってしまった関係で一緒にアニメを見る機会が増えたんだが。

なぜに最近アニメはこうも屁理屈をこねた駄文長文セリフの羅列垂れ流し系が多いのか??

自分たちで作った設定世界観を都合よく解釈させるためだけのセリフの羅列、垂れ流し。

あと、くだらないアイドルもの乱発。

お粗末な作画キャラ設定脚本声優が歌ってBL臭がすればそれでオッケーみたいな風潮。

粗悪品の乱発。それでも一山当てればデカから、乾いた雑巾を絞るように周辺の人間含めリソースを消費し疲弊させていくだけの大量生産

特に海外一定の評価を得るようになってから、一攫千金を夢見ての乱発がより一層ひどくなってきたような気がする。

アニメとはもはや洗脳装置で、自分たち世界業界)を存続させるために、ほどよい幻覚を見せて次の犠牲者

アニメ作りたいとか声優になりたいとかい人間を集めるための仕組みでしかないような気がしてきた。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161204235404

邦画和ゲーアニメドメスティックさの観点でそんな受けてる?

任天堂はいつも、丁度良いもの(と程よいケレン味のあるもの)を作ろうとしてるんであって、ドメスティックさを狙ってるとは思えないのだけど。

今度出すゼルダ新作は完全に海外オープンワールドだし、そのフォーマットの中での、任天堂が施してくるであろう丁度良いチューニングの上手さに期待と信頼がある。

相当にドメスティックペルソナ一定の評価を受けつつも、やはり売れてはいない。

日本らしさは混沌(WTF?!な。)に見出す人も多いし、混沌は丁度良いものと対極に在ることが多い。

極めてドメスティック渡辺謙マコノヒーの映画はあの顔ぶれでコケた。

などなど、必中足れとは勿論言わないけど、ドメスティック特化が正解なんて、まだまだ何とも言えない。

2016-12-01

若い人間は欲しいものなんか無いのかもしれない

最近競争率が高そうなゼミに受かったっぽくてよかった。

個人的に何よりも嬉しかったのは、他の人が落ちて自分が受かったことである

ポイント自分がそのゼミでやることに思い入れなど無いということである

自分の書いた志願書が合格が貰えるかというしょうもないゲームをやった印象はある。

ここに格差問題が考えられる。

モノよりもステータスで今の人間格差を感じているのかもしれないと。

若い人間は欲しいものなんかないのかもしれないと感じる。

ある授業でコスプレイベントの体のいいイベントスタッフをやらされた。

コスプレイヤー自販機飲み物を買っているような様子は自分が見る限りでは見受けなかった。

彼女たちは衣装、そして持っている人はカメラには金を使いまくっているはずである

ただ、それ以外は切り詰めまくっている。

ここから考えられることというのは、モノよりも体験ステータスを重視する人間が多いということだ。

自分コスプレをしていることや、SNS一定の評価を貰うことに快感を覚えるのだろう。

友人からお前はいつもカネとセックスの話に収拾すると言われるが、極端な話をすると現代人の格差はモノの量よりも見てくれとヘルス問題であると考えている。

現代において見てくれやら、その他もろもろで承認というもの他人よりも優位に立つことが一番の勝ちなのかもしれない。

2016-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20161031174124

文化レベルが変化しても一定の評価に耐えられるだけの作品完成度を持つもの

この発想って基本的未来人間頼みで、

未来人に見せて面白かったら良いもの、という発想はあっても、

原始人に見せて面白かったら良いもの、と考える人はほぼいない気がするんだよね。

古今東西異文化に通じるかどうかより、優れた未来人に通じるかどうかを気にする価値観だと思う。

根底進歩思想価値観がありそうなの。

「良いもの」を決めることにどんな「良いこと」があるのか。

http://anond.hatelabo.jp/20161031173211

文化レベルが変化しても一定の評価に耐えられるだけの作品完成度を持つもの

もしくは新しい分野の開拓者としての役目を果たし後世に名を遺したもの

 

って感じだろう

例えばミケランジェロ作品ダビデ像とか最初から現代まで評価高めだし

ベルサイユ宮殿最初から現代までずっと評価高い

キュビズム代表ゴッホとかその他音楽ジャンルを切り開いた者や大きくした者など

 

その点に関して言えば

例えばジブリ作品の行ったアニメ映画を季節の思い出にするくらいの文化を作り上げた開拓に並ぶくらい

現行のアニメ映画、君の名とかが歴史に傷跡を残したかというと疑問しかない

2016-10-29

久保ミツロウ浅野いにおなど、この辺を括るいい言葉ない?

正統派でないけれども世間一定の評価を受けている奴ら。

それが本人のセンスではなく時代に乗っかっちゃったというか。

久保ミツロウ浅野いにおSEKAI NO OWARI二階堂ふみ、森野マサヒコ、花沢健吾

サブカルで括るのもいいんだが、サブカルじゃない奴もいるし。

こういうあたりのやつらを纏めて括るいい言葉ない?

終末のイゼッタ」の面白さと影に隠されたヤバさ

始まる前の予想では、どうせ美少女が銃に載って戦うだけなんでしょって思った。

このマンネリ感をいい意味で覆してくれたので、イゼッタを見るのを楽しみにしている。

まず、お姫様が良い。最近斜に構えたポンコツ姫やツンデレ姫ばかりが多い中で、責任感の強そうな正統派金髪姫が見ていて清々しい。物語女の子中心に進展していくのは、戦争モノで緊張感があるのに食後の一服のような安心感を思えるほど。つぎに、兵器描写ミリオタ一定の評価をウケれているらしい(自分は詳しくないので評価できないけど)。戦闘アクションシーンとかも、きちんと言いたいことの伝わるいい絵が見れました。

で、このアニメを見ていて思ったことがある。イゼッタはWW2のドイツ軍とそれに抗するヨーロッパ小国を描いている訳なんだけど、日本人って本当にヨーロッパ好きだよね。アニメ絵ヨーロッパ風景を描くと、現実味より異世界感が満載になって歴史元ネタにした暗さを全く感じさせないのが素晴らしいよなと思う。

これが、もしWW2のドイツではなく、日本だったらゼッタイアニメにはならないに違いない。例えば、ミッドウェー皇族美少女)が戦線に立ち、幼なじみ巫女さんが神通力戦艦空母を次々となぎたおして日本軍勝利へと導く。兵士たちは建国神話神武東征の再来じゃーということになって、万歳三唱。これは八紘一宇エンド待ったなし!やばいでしょ、これは。

2016-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20161012121024

プラセボとしてのホメオパシー一定の評価を得てるよ。

問題なのはマジで薬を与えるべきときに、ホメオパシーに頼って患者を殺すこと。

サプリはそんな危機的な状況で飲むようなもんじゃないし。

2016-07-04

Hearts of Iron

はぁつ おぶ あいあん

心を無くした鉄仮面を優しく暖める物語

ほっこりゲームの筆頭だが

蹂躙コマンドや豚も出てくることから

そちら界隈にも一定の評価がある

2016-05-30

パナマ文書 ぜんぶ実名 週刊現代

講談社週刊現代2016年5月21日号で日本人2人、

5月28日号で日本人10人の実名掲載した。

 

【ぜんぶ実名パナマ文書に出てくる「日本の億万長者」大公開! 国税よ、もっとちゃんと調べてくれ

週刊現代」2106年5月28日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48745

エマ・ワトソン
ソフトバンクグループ社長孫正義
楽天会長社長三木谷浩史
丸紅
伊藤忠商事
神戸大富豪島田文六(シマブンコーポレーション社長)
事務機器リース大手光通信創業者重田康光
生鮮食料品店「アルス松下孝明
金沢医科大名教授ベンチャー社長友杉直久
医師久保伸夫
オーバスネイチメディカルジャパン代表大場佐川印刷役員SGチャンギ社元会長村橋郁徳
宮本敏幸
 
日本企業タックスヘイブンを「合法的」に活用してきた
影響もあって、'89年には19兆円あった法人税収入は、
'14年には11兆円にまで落ち込んだ。
一方で消費税収入は3.3兆円から16兆円へと激増している。
法人富裕層節税した分の税収をカバーするために、
海外資産を逃がすことなどできない庶民が、
税金を絞り取られているのである

パナマ文書大公開! これが税金を払わない日本人大金持ち」リストだ セコム創業者,UCC代表の他にもいた

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48640

UCCホールディングス社長UCC上島珈琲グループCEO上島豪太
セコム創業者最高顧問飯田亮
アイスランド首相グンロイグソン
キャメロン英国首相の父
プロゴルファーニック・ファルド
ウクライナ大統領ポロシェンコ
ロシアプーチン大統領の「友人」
中国国家主席習近平の義兄
元サッカー選手ラティニ
パキスタン首相シャリの子
香港ジャッキー・チェン
サッカー選手メッシ
伊藤忠商事
丸紅
スターバックスアップル

 

やっと雑誌レベル実名公開フェーズ突入したが

まだ人名「量」の不足感や単発感は否めない。

もっとあるだろうというのが率直な感想だが

記事を作った方々には一定の評価をしておく。

 

2016-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20160518122600

丸投げ・外注依存無責任体質発注企業意識が変わらないと無理。

自社で何も出来ないんだよ。世の中の企画キャンペーン販促物なんて殆ど代理店等の他社が全部作ってるんだぞ。

自社で何も考えず、これくらいの予算で何かしてくれませんか?アイデア出して下さい。それが良いんですね。それでお願いしますってさ。

企業同士の共依存関係なんだよ。直接電通に対して攻撃しても意味が無い。

まぁ、やるなら毒をぶつける感じで、シールズ連中とか焚きつけて騒いでもらうのが一番効果あると思うぞ。

一定の評価と意義の元、注目浴びて騒げれば良いみたいだし。彼らは異次元なほどの知識不足により不可解な行動が多いが、根底にある日本を良くしたいという気持ちだけは理解できる。

電通反対!電通発注している企業同族だ!日本評価は地に落とされた!」「電通にこれだけ払って、自社の社員には給料全然わず奴隷として扱う企業を許すな!」とかさ。センセーショナルネタも多く騒ぎやすいだろう。

そして、電通発注している企業リスト作成し、不買運動ブランド価値低下運動、歪な関係性やお金の流れの周知、という感じかな。まずは。

今まで電通を叩いていたネット人達は、彼らにネタ資料等をどんどん提供していけばいい。

彼らはそれを使って騒いでくれるだけでいい。というか流れが出来れば情勢的にネタありすぎて無限に騒げ支持もされるだろう。殆どネタ電通を絡めて発信でき、大衆の敵として立て続けられる。

利害は一致していて、後は両者を繋げるきっかけがあればいい。

2016-04-28

頑張ってる人に「がんばれ」って言うのってどの辺りが問題なんだろ

最近叫ばれるようになった頑張ってる人に「がんばれ」って言ったら駄目論。

自分普段頑張らないのでこの発想がよく分からない。

頑張らなくても片付く仕事しかしてないので周囲から「がんばれよ!」って言われると頑張ろうという気持ちになる。

多分それが普通の反応なんだろう。

問題は頑張ってる人に対して同じ言葉を使うのは辞めた方が良いと言う人が

最近やたら増えた事。

CMとかテレビ番組でも「がんばれ」を使ってはならないとした強迫観念を無理に押し付けてる様な

そんな圧迫感を与える内容が放送されると何だこれ?と思う。

うつ病になる人の多くはきっと普段頑張ってる人なんだろうけど、

からって俺は頑張ってるから「がんばれ」なんて軽々しく言ってくれるな!と抗議の気持ちから

「がんばれ」が周囲から忌避される様になったのだとしたら残念至極という他ない。

だって、頑張ってる事に対して一定の評価を得てはならないと言ってる様なものじゃない。

俺は「がんばれ」って言われたら嬉しいな。

そりゃ女の子に言われるとか友達上司仕事仲間に言われる「がんばれ」も嫌いじゃない。

がんばれ!がんばれ!←これの一体何が問題なのか、正直言って本当の所は分からないままで、

テレビとかネットのいつもの言葉狩りなんじゃないかと思えてならない訳ですよ。

「がんばれ」が言葉狩りに遭って、遂には頑張ろうとしてる人にまで適用されるようになったら

多分日本社会は壊れますよ。

2016-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20160124230856

俺は若いころ自意識過剰自分にはそれしか掛けるものがないと思い込んで3流美大に飛び込んだ。

結局打ちひしがれて今にいたるけれどそこで言われた言葉で印象に残ってるものが2つある。

一つは「君のこれは作品とは呼べない」。

どんなに持論をこねくり回したり拘りを突き詰めたりしようが、

結局それを評価価値を決めるのは、それを観る人間なのだ

どんなに素晴らしく個性的感性を持っていても、

マジョリティに拒絶され表現することを正当化するバックグラウンドを失ってしまえばただの変人として嘲笑されるしかない。

二つ目は「褒められたくてあえて奇抜なことをやってるんだろうけど〜」

本当にこれは衝撃的だった。当時僕は愚直にしていれば誠実でいられると思っていたからだ。

僕の誠実さは教授に一声で否定され証明するすべを失い、自分個性が強みになるなんてことは幻想だと思い知った。

周りの評価も気にせず思ったように自由に振る舞っとしても、結局評価されなければそれが個性だと規定されることもない。

評価されないということは無価値であり、価値が見いだせないということは本能感情に従った素直さも思想も見受けられないということではなかろうか。

万人にとって価値がないというのであれば当人意思など外部からみても存在しないに等しい。

では他人は何を基に評価を下すのかということになるが、これは共感できるか否かという点によって判断しているのだと思う。

人間は結局己のレリジオンを補完するために、社会との交流のあり方を模索している。

もし自らの考えに反するものを受け入れてしまったとすればたちまち破錠してしまうのは目に見えている。

からそぐわないものを受け入れることが出来ない。

どれだけ自分の素晴らしさを説こうが、人々の共感が得られなければ各々の思考の中で無価値化され

「愚かで浅はかで見るに堪えない」というレッテルを貼られ黙殺されるということだ。

媚びたからといってそれが非難されるとは限らないのだ。それが観る側にとって心地よければどうでもいい問題であり、

逆に不快もの対峙したときは、それを拒絶する正当性を欲し、表現者人格までも批判し出す。

僕は結局その大学を辞めた。誰が悪いわけでもなく僕自身が愚かだったというだけだ。

しかしながら評価されることを意識しつつ創作活動を行うことが美大生活の意義だという観念ジレンマを抱いていた。

自分感性さらけ出すという表現のあるべき姿を成り立たせる前提として、既に評価されているという事実必要。」

「だが良い評価をもらうために制作したもの協調性しか持ちあわせておらず、理想的表現者としての定義矛盾が広がっていく。」

このように小賢しさを気取った馬鹿者にならず兎角無心で制作に励めばよかったと反省はしているし、

さっくりとウケのいいものを作り一定の評価を経てから作家性をささやかに出すような器用さにかけていたのも事実だ。

理想主義なんぞ田舎の3流大学生には無用の長物だと今では自分にあきれてしまう。

はいえ未だに当時の自分が抱いていた鬱屈もっともなんじゃないかと思う。

増田はA子や家族等が自分の美を確立している才能ある人物だとしているが、

それは増田主観であり、そう考えるに至らしめるのは

「賞をとった」「選出された」「絵を描くことが生業として成立している」といった既成事実しかない。

もしもA子じゃなくて増田が全国に選出されていれば、

高校時代増田自分には才能がないと思うこともなかったしA子は馬鹿にされたままだったはず。

なおかつ高校卒業後によほど劇的なことが起こらない限り、

A子より増田のほうがポテンシャルが高いということが紛れもない事実として誰も疑いはしなかっただろう。

要は結果論だ。増田よりA子のほうが評価された、増田の絵は酷評されたという事実増田自身が受け入れるために「才能がなかった」という結論を用意しただけだ。

多分周囲の人々もあなたに才能がないとおもっている。才能がないということは自認ではどうすることもできないソーシャルでの自分の位置づけになっているのだ。

憶測だが内心そんな状況に増田は納得していないのだと思う。

もう自分には才能がないというほかない状況にすっぽりはまって、自分自身自分をどう認識しようがお構いなしの現状。

それを拒絶したところで何にもならないから、受容するのが一番マシだから「才能がない」というほかない。

僕は何も「才能がないなんて思い込みだ。可能性は無限大」みたいな自己啓発のなりぞこないを啓蒙したいわけじゃない。

お気に入り納豆外国人PRするように、一見客観的ポテンシャルがあるように思えてもそんな物の影響力なんて全くなくて、

他人認知を意のまま変えることなんざ真っ当には到底無理なのだから

これはただただ勝手あなた共感し、踏まえて違和を感じたことを提示したいと思ったまでだ。

釣りにひっかかる有様になろうが稚拙文章晒すことになろうがなんでもいいからかいってやりたいとおもわせた増田は素晴らしい。

2016-01-23

「良いアニメーションとは何か」もしくは「キンプリを観てくれ」

ここ半年で見たアニメ映画のなかで、強く印象に残る作品が2つある。「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」と「KING OF PRISM by PrettyRhythm」だ。

どちらも非常に優れた作品なので、知らない人は覚えて帰ってほしい。

キンプリことKING OF PRISMは好評上映中で、リトルウィッチアカデミアNetflixで配信しているはずだ。

それぞれ1時間程度の短編映画なので、あまり身構えずに見ていただきたい。

これら2つの作品が優れているのは、ひとえに制作スタッフの熱意によるものだ。

しか監督方向性の違いにより、その特質が大きく異なっている。

端的に言うと、「リトルウィッチアカデミア」は作画を楽しむアニメであり、「KING OF PRISM」は演出を楽しむアニメである

リトルウィッチアカデミアは教えてくれる。アニメーションとは「動く絵」のことだと。

キンプリは教えてくれる。アニメーションとは「実写ではないもの」のことだと。

リトルウィッチアカデミア作画は凄い。人が、物が、本物よりも本物らしく色づき、動き、生きている。

キンプリ演出は凄い。非現実的かつ過剰な演出を繰り返しつつも、誰もが作品にのめり込み、主人公と共に驚き、笑い、泣くことができる。

リトルウィッチアカデミアメイキング映像では、監督原画マンの提出したラフに対して、人体はどう動くか、それをアニメーションとしてどう表現するかを微に入り細に入り修正している。

キンプリの(劇場先行DVDの)オーディオコメンタリーでは、監督があらゆるシーンに対して、キャラクタが何を考えているか、裏で何が起こっているかを微に入り細に入り語ってくれる。

アニメ映画という同じ枠組みにありながら全く異質の価値提供してくれるこれらの作品は、作成の経緯もまた異なる。

リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」は前作「リトルウィッチアカデミア」の人気を受け、クラウドファウンディングにより制作資金調達した。既存ファンが先行してお金を払った。

KING OF PRISM by PrettyRhythm」は原作プリティーリズム レインボーライブ」の人気を受け、主要スタッフ会社上層部を説き伏せ、半ば騙すように制作した。監督は公開直前に内部事情さらけ出し「どうか劇場に足を運んでほしい」とファンに対して頭を下げた。

どちらが良いという訳でもなく、どちらも非常に優れた作品であり、アニメーションという形でしか表現できない。

アニメーションはこうあるべきだ」という正解を感じることができる作品である

クラウドファウンディングにより一定の評価を終え、BDの発売も行われているリトルウィッチアカデミアに対し、

キンプリは今が評価の真っ最中である。少しでも気になった方は今すぐ劇場に行って、この作品をより長く続ける助けになってほしい。

キンプリを観てくれ。

2016-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20160115012021

女だけど。

仕事に生きれば結婚を捨てざるを得ず(仕事まじめにやってたら産休取りたくないし、そうなると結婚も相手に申し訳ないからできない)

仕事に行きているのに「女は人生イージーモード」だとかそういう偏見に晒され

35歳過ぎたら子供の産めない産業廃棄物扱いされ

男みたいに若い女の子結婚して人生挽回するような裏技もなく

いくら化粧こそ頑張っても容色は衰える一方。

男みたいに、仕事さえできていれば一定の評価が得られる世界に生きていたかった。

ちなみに、95%勝てる時期に無事結婚できても、

上に書いたように「男は若い女と結婚すれば人生挽回できる」信者が多いからあとからあっさり捨てられるよ。

2016-01-14

増田サッカー似て非なるもの

いくらブクマがついても、結局最後は一番ブクマを稼いだやつが勝ち

サッカーだったらシュートにつながるお膳立てをしたプレイヤーも、

サッカーオタクから一定の評価があるけど、

増田だと、そのエントリを引き出した元増田なりトラバにはほとんど目も向けられない

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160108152506

何言ってるか判らん

刹那的な物だから刹那的表現が使われた、そしてそれは一定の評価を受けたって話だけど、判っている?

2015-11-11

スーチーさんのミャンマーまずいな。

こりゃまずい。と感じたので匿名だけど証拠として書いておく。

今回、ミャンマー総選挙でアウンサン・スーチーさんの率いる野党圧勝して政権を取ることになったそうだ。これ自体民主化として、めでたい話に異論はない。

ただし、不安なのは

 1.政権を作る野党側、特にスーチーさんに行政経験がないこと。

 2.であるのに報道によると、すべての権力自分に集中させると、おっしゃってるらしい。

今の与党は確かに軍事政権の延長だが、経済運営などに一定の評価はあるらしい。実際、経済成長が始まっているし。スーチーさん達がこの経済成長をぶち壊す結果にならないか不安

選挙での勝利は勝利として、勝った側が、負けた側の行政経験者や官僚を使って政策を望む方向にソフトランディングさせて行くのは難しいのかもしれない。特に民主主義の勝利と熱狂している国民自身がそれを許さないだろう。

と、言うことは政策ハードランディングが避けられない。どうなるかわならないけど皆が不幸になる結果が考えられる。

国民的な期待を背景に野党圧勝して、経験のない理想主義者政権を握って

全てをぶち壊すなんて、日本人にはデジャブ感ありあり。

別に自分ミャンマーと絡みはないけど、この予測が外れて、

民主化したミャンマーの将来に幸があることを祈る。

2015-10-31

調べる方法などないのに過去偉人発達障害認定するな、という主張は一見正しく思える。しかし本当にそうだろうか?

何故ならば現代に生きる人間においては、脳をMRIなどで調べる事すらなく、単に人付き合いが苦手だというだけの根拠発達障害認定を受けるからだ。なぜ過去の人間に同じ基準を当てはめてはいけないのだろうか?

発達障害から人付き合いが苦手なのではない、人付き合いが苦手だから発達障害と呼ばれるのだ。

そして障碍が本当に障碍であるのならば、それは社会的成功の度合いに左右されない筈だ。

本がベストセラーであっても乙武さんは五体不満足であるし、点字が読めてもヘレン・ケラーは盲聾唖だ。

一定の評価を得た成功者発達障害と呼んではならないというのならば、発達障害なる概念が偽科学で作られた偏見産物である事を認める事に他ならないのではないか。

2015-10-19

win10は今持ってるPCには入れない

そのうち買い換えたくなった頃合に その頃にはもう一定の評価修正がなされているだろうから最初から10が入っているやつを買う

2015-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20151009041254

すべてが平均より一定以上レベルが高いってだけで魅力的な人間になるっていうそれだけだと思う

めちゃくちゃイケメンじゃないし外人には及ばないと思うけど、上の下か上の中くらいのルックス

めちゃくちゃいい声じゃないけど、かなりいい声

背は日本人としては高い→標準より上

小顔→標準より上

ハゲじゃない→標準より上

下ネタも言うけど下品にならないチャーミングさ→標準より上

しゃべり→普通より上

歌→うまい下手、曲のよしあしはともかく歌手としても成功している。桜坂ミリオン超え

カネ→いっぱいもってる

体型→スリム普通より上

俳優として→歌手でありながら俳優としても一定の評価を得ている

年→年上で大人のおじさんなのに全体的にかっこいい→標準より上

こんだけ揃ってるんだよ。

大抵の一般人でもピンポイントならいくらでも福山雅治に勝ってるやつはいるだろうけど、

こんだけ「同時に持ってる」やつはそうそういないよ

そりゃ女はあこがれるわ

普通の46歳のおっさんイメージとどんだけ乖離しててすごいかとかそんな考えなくてもわかるだろ

俺男だけど福山がもてるのはわかるよ

から自分がもてないのもわかる

悲しいこと自覚させてくれてるんじゃねえよ!!!!!!!!!!!!!1

2015-08-03

町山智浩氏について引っかかったことが

進撃の巨人脚本担当したことで、まぁいろいろ評論家としての命脈を絶たれるんじゃないかと心配されていて

とりあえず興行的には一定の評価が出そうなので胸をなで下ろしていると思われる町山智浩さんですが

評論家として信頼をする人がいる一方で蛇蝎の如く嫌う人も一定数いるということが浮き彫りになってきたなぁと。

しかに、拗れた映画会社広報パイを投げつけて、それを武勇伝として会社を退社してアメリカ移住するあたり

正直サブカル業界とは言えまともな社会人なのかと問われるとかなり首をかしげるようなエピソードの持ち主でして。

今更脚本家仕事を始めたのも、映画評論家としての需要が先細りになってきて、新規開拓しようとしているんだろうか…

で、ここ数年ずっと引っかかってることなんですが

唐沢俊一唐突罵倒しはじめたことがあったんですよね。盗作騒動があった頃なんですが。

一時期は秘宝にライターとしてお願いしてたり、一緒にCS番組に出ていたりと仕事していた時期もあったし、まぁ嗜好も似てる感じだし、

それでもあの罵倒っプリなのでよほど腹に据えかねたことがあったのかなと当時は思ってたんですよ。

ただ、なんかここ数年の振る舞いを見ていて「ここで唐沢を叩いておいて、自分に矛先が向かないように仕向けた」って計算が無くも無いのかなと。

腹に据えかねたことがあったとして、それなら無頼というか無茶なキャラで売っていた町山さんなので、

別に盗作騒動勃発に便乗してた叩きはじめなくても、腹に据えかねたタイミングで叩けば良かったんですよ。

でも敢えてあのタイミングで、ってのが今思うと引っかかりを感じまして。

…あれかな、相当同じ穴の狢というか、売文屋として似たポジションにいたか

ここでクソミソに叩いて自分に火の粉が降りかからないようにしたかったとか。

そう考えると、なんかこぉ人として信頼できるのかどうなのかってね。そう思った次第で。

2015-06-15

青二才氏に送る文

http://togetter.com/li/834557

散々罵倒した相手が「はてな」の古参ユーザーだと知った途端に掌返しをしたときも驚いたが、今度のはそれ以上に驚き、悲しい気持ちになった。

青二才氏よ、あなたは今後、自分自身をどのように育て、売り込んでいくつもりなのだろうか?

今回の件で青二才氏との接触を避けるようになるのは、なにも女性に限った話ではない。女性に嫌われる人間と親しくすることは、男性にとっても少なからぬ負荷となる。そのことは、あなたが今後どのような道に進んでいくとしてもマイナスになるはずだ。実績もなく、会いたくもない人に仕事を頼むことなどありえないのだから

思うに、20代半ばを過ぎて青二才を「自称」することの歪さを自覚するべき時期が来たのではないだろうか。

挑戦を未来先延ばししながら「僕はブログを書くとき自分時間制限を設けて、プロ執筆家になる練習をしているんだ」(笑)などという寝言が許される場には、あなたはもう立っていない。ひとつひとつの言動が、取り返しのつかない形で評価対象になるような、タクティカル勝負の場にあなたはもう立たされている。そう思った方がいい。

もちろん「ブログけが生きがいの無職」というのも一つの生き方ではあるのだけど、20代後半、30代になればだんだん苦しくなるのは目に見えているので、そろそろ本気で自分が身を立てていくための戦略を考える必要があるのではないだろうか。

はてな」は幼稚さに対して寛容であり、ディレッタント一定の評価を集める、現代においては希少な場であると思う。

幼稚なディレッタントである青二才氏が存在感をもつのは「はてな」ならではの現象なのだろう。それはそれでいいことだ。

だが、乏しい知識はやがて枯渇し、「わたしの感覚」を過大視し、批判を受け流すようになるのはディレッタント宿命である青二才氏が何者かになろうというのであれば、自らの「専門」を打ち立て、それを深めていくことが必要なのではないか。「専門」の深みを知ることは、とりもなおさず自らの浅さを知ることでもある。そのとき初めて、あなたは本当の「青二才」になる。

青二才氏が今回の騒動を機に、ブログ執筆よりも、専門性確立に向けた勉強思索により多くの時間を費やすよう方向転換することを願ってやまない。

2015-05-12

私が日本研究者187名の声明違和感を感じた理由

先日、日本をよく知る欧米日本在住の日本研究者187名から声明が発表された。


詳しい内容は以下の声明を見ていただければよい。


https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf

基本的には


民族主義者へのけん制日本に限らず中国韓国も含まれる)

安部総理への演説一定の評価をしつつ、歴史修正主義的な政治方向への苦言


といった内容だろうか。

もちろんこの解釈には異論もあるだろう。

実際あの声明はかなり抽象的であり、ある種宣誓のようなものであったのでかなり多様な解釈が可能になっているように思える。

ただ、この声明を私なりによく読んだうえで大きな違和感を覚えた。

端的に言えばこの声明は学問放棄イデオロギー唾棄してしまたからだ。

これだけではなかなか伝わらない部分もあるのでもう少し詳しく説明したいと思う。

正直なところ安部政権の過度な歴史学への介入は私も快くは思わない。

多くの人が言うように過去から存在した資料への誠実な向き合い方を阻害しかねないからだ。

この声明はそういった対応への苦言のようにも見える。

だが、それ以上に異常な状況だと思ってしまったのはこの声自体がその安部政権への鏡になってしまっているからだ。

声明の後半部分には以下のような記述がある。


・確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり・・・

日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。


これははっきり言っててしまうと資料や細かい積み重ねなどどうでもよく被害者がいるのだから

そうでなければならないというある種の偏った視点からメッセージからだ。

安部政権批判しているつもりが自分たちで全く同じことをしようとしているのだ。

もしこのような考え方が歴史学全体を覆っているのであれば今後日本の歴史安部政権ではなくとも様々な形でゆがめられるだろう。

なぜなら歴史学者達そのもの真実の追及を放棄しているのだから

※まぁ、「歴史学者」を応援する「日本研究者」達であって彼らは「歴史学者」じゃないのかもしれませんが。

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