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はてなキーワード: 邪推とは

2017-04-29

あの漫画家トラバ反論してるみたいだけど(?)

自分プライドがあって、前例固執して間違った努力を続けるタイプ典型なんだよなあ。

いや俺は間違ってないし俺が売れないのはおかしい、みたいなものを感じるんだよ。

事実出版経由では売れない人間だったが、在野のクラウドファンディングでは売れると思い込んでたわけじゃん。

普通に考えたら商業でだめなら在野ではなおさらだめと考えると思うんだよな。自分ひとりで商売するんだから

そういう行動になる背景には自惚れがあったんじゃないか邪推してしまうんだよな。あの頑なさだと。

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417084357

うーん、事前に「言い訳通用すると思って」行為に至るのであれば、もう少しうまくごまかすこともできると思うのよ

もっと用意周到に準備したり、殺すにしても遺体処分を見つからないようにするなりさ

今回の事件みたいに杜撰犯行であっさり露見しちゃうのはむしろ衝動的で場当たり的な犯行なのではないか

まあ単なる憶測というか邪推だけれども

後先のことを考えてたら当然犯行をとどまることもできたはずだろうと思うのはこちらが冷静だから

犯行を実際にやらかす人間はそういうブレーキが効かなくなっている状態なのではないのかなあ

2017-04-15

又吉直樹火花』の浅い感想

物語殆ど神谷氏との会話に割くという体裁を取る。

述べられていることは彼が自我を譲らぬように見えて融通無碍であり、かといってこだわりがないわけではない、という描写

ある意味では一貫してこだわりを見せ続ける神谷常識を破り、面白がることだけに意識を注力させている。

この神谷氏に振り回される、プライドが捨てきれず定式化された発想で生きる平凡な主人公という構図だ。

アイディアノートに書いたもの逐次載せていったことを想起させる構成であり、部品意味はあるが全体的に散漫な印象を受ける。

これはおそらく又吉自身神谷伝記という形をとって楽しようとしたのではないか、という邪推につながっている。

もっと神谷という人物像を考えると、一切の妥協をしないがゆえに売れない芸人である、という意識には注視すべきだ。

これ故文体稚拙さはさておき、構成力のなさは妥協しない神谷伝記としての体裁だという見方も「一応できなくもない」。

そのせいかは知らないが、ラストまで漫才世界TV世界地方巡業などのリアリティは一切担保されない。

芸人についてWikipediaを見ながら執筆したレベルしかなく、漫才世界イメージは切り取られていない。

例えば相方片方だけ売れるだとか、展開の変化を入れる気配もない。

このあたりですらP119、P120で説明的に済ませており、配分を明らかに間違っている。

漫才世界の総和として神谷の感動があるのだ。

神谷の魅力を伝えたいならば、神谷以外の相対的世界のあり方を描写しなければならない。

神谷だけを語って神谷の魅力に翻弄される主人公を描ききれるはずはない。不可能ではないが、それには相当な理屈必要だ。

あるいは純度の高い神谷伝記としてそうしたものは不純だとでも言うのだろうか。

仮にそうだとすれば神谷ありがちなドンキホーテ型の人物であり、学ぶべきところは何もないのではないか

少なくとも自分漫才メタフィクションで知りたかったのは、掛け合いに置ける空気の読み方や受け方、突っ込み方などである

P124以降の掛け合いにおいても心理描写は全く省かれており、小説の利点を失っている。

そればかりかこのくだりは極めて相方愛に満ち溢れたポエジーな構成に終止しており、

さながらアニメ監督実写映画を撮ったかのような体である。つまり背伸びしか見えない胡散臭さを感じる。

作者はお笑い芸人だろう。ならばお笑い芸人しか出来ないことを作品内でやるのが武器の使い方というものだ。

それともその胡散臭さが笑いなのだろうか。狙ってやっているのかという思惑すら頭をよぎる。

芸の一生を書くにはページ数が圧倒的に足りないし、増やしても当たり前のことしかいえないしで、読み方に困ってしまう。

世界的な住民とのふれあい尊敬を描く、という構図は案外とオーソドクスで、神谷はさしずめ無銭の仙人という役割である

相関構図が狭い以上、神谷の異常性に対する崇拝か反発という二元的意味しか出てこなくなるのは当然だ。

本来ならば相方お笑い業界師匠ライバルなどの多面性をから神谷を浮き彫りにすべきなのだ

ここで神谷に味付けするとすれば、まるでブッダのように元来金持ちであったなどの相反する性質を入れることだろうか。

それとも実がないのにコネで売れる、偉そうな口先芸人というポジションのほうが描きやすいかもしれない。

まり世界設定どころか、神谷個人の背景設定もフィクションとしては単調なのである

仮に平凡な成功者と失敗した求道者という対比があったとしても単なる王道である

その他の要素に手抜かりがあれば大したテーマにはならない。

総和があってこそ初めて痛みとともに受け入れるものからだ。

今作は主張が先走っていると取られても仕方がないだろう。

読後感は薄味という他ない。

http://anond.hatelabo.jp/20170414235405

手足が自在に動かせるからと言って誰もが空手の達人というわけではない、、、、と似たものを感じるが、

だがしかしプログラミング言語単体に道具としてのうまみが少ない

でもアプリを作るにはそれしかないので、

プログラマ友達を作って、おねだりして作ってもらうのが一番簡単確実。

とか考えてんだろとか邪推してたら友達がいなくなりました(超天才プログラマより)

2017-04-14

名探偵コナン反日か?

昨年の大ヒットした「純黒の悪夢」が地上波放送され、今年の劇場版から紅の恋歌」が公開間近な国民アニメ名探偵コナン

しか原作を読んでいると、もしかしたら親米反日思想なのかと思われる点がいくつも出てくるのでざっくりまとめてみました。

急いで書いたので、出典などを省略しています。気が向いたら後で補足したものをアップします。

コナン世界でのFBI

コナンにはFBIが出てきます。他にも日本警察刑事警察だけでなく、組織を追っている公安警察も)やCIAが出てきています映画では他国諜報機関も出ていましたね。

このFBI、作中でベルモットから違法捜査等を指摘され、安室からビザが切れそうなことを指摘され、更には現実組織機構と同一の募集要項提示されているのです。

まりコナン世界においてもFBI現実機関と同一視をしているということにほかなりません。

公式捜査権はなく滞在期間を見ても観光ビザジョディ高校教師として潜入していたので、恐らく就労ビザ)で入国しています

そんなFBI所属する赤井秀一は、銃刀法違反道交法違反、発砲、ストーカー規制法抵触しそうな盗聴と監視ハッキング死体損壊証拠隠滅など法に抵触する所業を繰り返しています

それなのに彼は責められることなく、主人公であるコナンがこれらの犯罪行為サポートし、時には検挙に来た警察を追い払うのに力を貸します。

アメリカ捜査機関であるFBIが、許可なく日本でこんなことをしています治外法権がまかり通るなど、開国直後や戦後日本のようです。コナン世界では、日本アメリカ属国もしくは米花町や杯戸町はアメリカ植民地なのでしょうか。

そう考えないと不自然なくらいFBI特に赤井日本蹂躙しているのです。

不遇の日本警察

探偵漫画において警察が頼りなく描かれたり、創作において公安警察が悪に描かれたりするのはよくあることです。

しかコナン世界での公安安室スコッチ安室の部下・上司)は作中に描かれている限り、真面目に仕事をしているだけです。

日本という国を守るのが仕事警察庁警備局警備企画所属安室が、「緋色シリーズ」と呼ばれる長編赤井の死亡偽装を暴きます

その死亡偽装も、コナンの思惑を無視して勝手に動いた結果、たまたま目の前で自殺した組織構成員日本人)の死体を用いています。その経緯でコナンが辿り着いた信念である犯人推理で追い詰めてみすみす自殺させちまう探偵殺人者と変わらねーよ」を無かったことにして捻じ曲げているのですが、それは一旦置いておきましょう。

とにかく日本にとって脅威でしかない、考えようによっては黒の組織安室が潜入捜査によってある程度コントロール可能)よりよほど危険で悪質なFBI悪事を暴きに来たわけです。

しか赤井公安警察車両に発砲、公安責任転嫁をしてきます。「ああでもしなければ死人が出かねなかった」と言っていますが、公安特に危険手段は使っていません。現場は崖ですから赤井の発砲により玉突き事故が発生していますがそれによって死人が出る可能性の方がはるかに高いのです。

でも何故か、正当性赤井にある。

それだけでは終わりません。工藤一家総出で安室への対応を行い、更には潜入中の捜査である安室本名を盾に脅迫し、彼らを撤退させます。完全に公務執行妨害です。

公安警察敵対する為に工藤一家を総動員ということは、初期の頃にコナンが「やだね!これはオレの事件だ!オレが解く!父さん達は手を出すな!」と啖呵を切っていたのも、今は昔となったようです。

ちなみに安室撤退させる際、赤井は彼の同僚であるスコッチを殺した(自称)ことを唐突に謝っていますしか安室赤井に言われるまで四年間その件に関しては一切動いておらず、バーボンとしても降谷としても当時を含めて冷静に仕事を続けていただけです。

そんな状況で、安室スコッチの件で赤井を恨んでいる・だから赤井組織に売って自分が中枢に食い込む算段だ、などというのは無理があります公安警察安室の指揮で動いていましたが、それはつまり許可を得ているということです。安室さらに、赤井の捜索に関しても組織ボス許可を得ています許可を得て連携していることを私怨と呼ぶのも、違和感しかありません。

潜入していた時期にジンと会えなかった赤井と違い、安室ジン仕事ぶりは評価されているし、ボス許可も得られる立場です。ベルモットの弱みを握って協力関係を結び、ある程度組織の動きも掌握できているわけです。組織人間としては相当な地位に既にいるので、中枢に食い込むために赤井を売る必要が見出せません。組織を裏切れば一族郎党消されるという組織で、赤井だけはスパイであることがバレて逃げたのに一家全員元気に生活しています。世良は堂々と高校に通い目立つことをしているし、秀吉はそもそも有名人です。組織赤井一家には優しいのでしょうかね。

余談ですが、キールもあの方からの信頼が篤く、それ故にFBIに落ちたのではと疑われています。だけど彼女がCIAの諜報員だということはベルモットが少し疑ったくらいで、誰にも知られていません。もし組織の中枢に食い込むなら、情報を全く持っておらず組織から家族くるみ放置されている赤井より、キールの正体の方が確実に重要です。

諜報機関を追い詰める赤井

赤井はじめ、FBIおかしな行動をとっている相手は、日本だけではありません。FBIが属するアメリカ諜報機関、CIAにすらアメリカ国内問題になりそうなことをしています

CIAの諜報員、本堂瑛海(水無怜奈、キール)が事故に遭ったのは、FBIの追跡によるものです。たまたま捉えた組織員がCIAのキールだったなら、多少は仕方ないといえますしか赤井は本堂瑛海とその父親で同じくCIAの諜報員であったイーサン・本堂の死の真相を何故か知っていました。つまりキールのことを知っているはずなのです。

勿論それだけにはとどまらず、緋色シリーズではキールからメールが来たことで

キールが殺されていない=赤井が生きてることがバレていない

というバロメータに使うだけという仕打ちでした。

キール組織とのパイプに使う為に再潜入の指示を出したのはFBIですし、その時の約束であるキールの弟を保護するという条件は弟(本堂瑛祐)本人の辞退があったとはいえ、とっくに反故にしています

CIAは国外FBI国内担当だった筈なのに領分を侵した上でのこの仕打ちは、本来ならばCIAや大統領を巻き込んで大問題になるほどの事態です。

FBIによる潜入捜査の成果

赤井の潜入による成果でFBI内で情報共有がなされていると確認されていることは、赤井と明美の恋愛のみです。

赤井バーボンの顔やラムという名前も知っていたと言っているのに、FBIメンバーはそのことを知りませんでした。組織員に関する情報共有は一切ないようです。

そもそも赤井ジンを捕まえようとした作戦も、情報共有や報連相などの連携がなかったから失敗に終わったといえます。潜入捜査で初対面の組織幹部をいきなり捕えようとする時点で、作戦としてはどう見ても破綻していますが。

そもそも、ジン組織への忠誠心が強いキャラです。そんなジンを急に捕まえたところで、情報を吐くとは思えません。それに初任務で既にジンからしまれていたからこその、作戦失敗です。

宮野明美の改変

明美も当初は妹思いの姉でした。妹を組織から抜けさせるために殺されるのも承知の上で強盗をし、成功させたしたたか女性だったのです。

しか赤井声優決定後、赤井恋人設定が急に浮上しました。妹のシェリーを抜けさせようとした為ではなく、スパイである赤井組織に引き込んだ為に殺されたことに変わりました。

これでは理不尽に殺されたわけではなくなり、組織側に正当性ができてしまったのです。

はいえ、赤井FBI日本から引き揚げてから二年間、明美は妹の灰原とファミレスお茶をしたり、結構自由生活していました。なのに急に赤井を引き入れたか組織に殺されたことになったのです。

ちなみにその間FBIは、スパイを引き入れた宮野姉妹保護することは一切ありませんでした。作戦開始前に保護しなかったのは、日本人を守る義務はないということかもしれませんね。ちなみに宮野姉妹赤井の従姉妹のようです。従姉妹にハニトラをして組織に潜入したということですね。

しか赤井は、明美を二年間放置していたのに彼女が死んだら急にジンを宿敵扱いし始めます赤井の落ち度で明美は死んだのだし、灰原もそのせいで自殺を試みています責任赤井にもあるのに、これでは完全に逆恨みです。

逆恨みで狩るべき相手を見誤っているのは、一体誰なんですかね。

スコッチの一件

スコッチが死んだ件では、そもそも何故あの場に赤井がいたのかという疑問が残りますが、それも一旦置いておきます

現場に辿り着いた赤井は、何故かスコッチを投げ飛ばそうとし、拳銃を奪われます拳銃を向けられると突然「命乞いをするわけではないが(中略)俺はFBIから潜入している赤井秀一」と名乗ります。その状況では普通は命乞いにしか見えません。

スコッチにも、赤井を信用する素振りがなく、赤井シリンダーを掴む手の緩んだ隙をついて自殺します。安室足音赤井シリンダーを離したので、普通に考えたら赤井の過失の方が明らかに大きいのです。

拳銃赤井のものですし、彼があの場にいなかったらスコッチは死ななかった可能性もありますね。少なくとも、赤井が来なければ命を絶つ前に安室と落ち合うことができた可能性は高いです。

赤井安室スコッチ自分が殺したと説明しますが、一瞬で自殺であるという真相を見抜かれています。一瞬動揺しても、安室が冷静さは保っていることの現れです。

この状況で安室足音が悪いという風潮は印象操作に思えてきますし、緋色シリーズ赤井の言った「自分を売って中枢に行くつもりだ」という発想は、彼自身スコッチを売って中枢に行こうとした経験に基づいているのでは?と邪推したくなります

このスコッチの死から赤井特に何も学ばなかったようで、その後も明美を死なせ灰原も死にかけさせ、カルバドスも死なせ、楠田を死なせて死体を利用します。後悔の一つでもできていれば、カルバドスくらいは拘束に持ち込めたのではないでしょうか。

純黒の悪夢

当の赤井純黒の悪夢では素顔で組織に近づき、あまつさえ感熱レーダではあるが捕捉されています。どう見ても赤井のシルエットでしたが、まあ何故かバレないでしょう。

赤井生存が明るみに出れば、キールは殺されますキールの命をなんだと思っているのか。

そもそもあのストーリー自体赤井が何故か首都高キュラソーでなく安室の車にぶつかってきたり、勝手ライフルを発砲したりしなければ起きなかった悲劇がいくつもあります。完全にスパイ殺しの赤井です。

赤井が壊した首都高の件も公安が処理していますし。キールバーボン、そして他国NOCの身を危険晒し最終的にはスナイパーなのに一つしかない暗視スコープ故障させ、コナン安室にお膳立てしてもらって一発撃ったものオスプレイを落とせなかったがそれもまた別の話。

まとめ?

結局青山先生赤井というか池田さんの声贔屓なので、池田さんに言わせたい台詞先行で描いているか赤井が出ると物語が破たんするのでは、という見解もありますが…

今のところ、名探偵コナンFBI捜査官・赤井秀一という漫画にすり替わっているのかと見まがうほどです。

赤井イギリス出身アメリカ人FBI捜査官だからFBI大正義日本蹂躙してもそれは「いいこと」になってしま気持ち悪さ。日本人としては公安安室応援したくなりますが、日本警察には赤井がいないから、理不尽に虐げられてしまます

舞台日本でなく、それこそGHQ占領時代であれば納得できますが、どう見ても現代日本です。ここが日本であることを思い出してほしいですし、今までの伏線キャラの信念、生い立ち、因縁等がこれ以上赤井の為に破壊されていくのを見るのはつらいところです。

この記事には主観も混じっていますが、きちんとした記事はまた後で書くかもしれません。

2017-04-06

http://b.hatena.ne.jp/entry/330752360/comment/seiyuDB

今回のお詫びみたいな、通常の記事でないページにはいもついてるで

ついてなけりゃつけろと文句言う、ついてりゃついてるで邪推する

本当お前ら面倒くさいな

2017-04-03

落語心中は落ち着いた年にならないと理解できない部分もあるだろうなと邪推

歳食ってるとしみる。

2017-04-02

国会議員国家運営してね

森友学園系の不正金銭で攻める道は筋悪だし、

「金」っていう共通ワードこじつけ寄付金ネタイメージつけようとワイワイ騒いで、

まあ別に何の問題もないけどなんか問題らしいぞっていう印象は植え付けられたんじゃないかな、

はてな界隈でも普段いないようなやつ送り込んではてサナチュラルに協力して★つけてある程度強調できた気がするし、

カシコぶってバカにもアピールできたんじゃないかな、あれ思ったより支持率変わらないな、

やっぱはてななんてマニアックなところで騒いでも母数に全然影響しないななんだこのサービス意味ないじゃん、

さて他の議員に飛び火したけどネットの中だけで騒いでる分には植え付けたイメージに影響ないだろうし、

マスでそういう話になる前に店じまいして別の話題ぶちあげて大衆の矛先変えましょう、

今度は「偏った教育」つながりで「戦前回帰路線で行ってみっかっていう関連で

道徳和菓子屋とか銃剣道とか教育勅語を取り上げ始めたようにしか見えないんですけど

お前そもそも教育勅語に何書いてあるのか知ってんのかおい、

字面だけでなんとなく戦前教育から洗脳教育だ悪いことだとか思わせたいだけだろ、

これって邪推ネトウヨ妄想ですかねクソが、


政治家政局関連でそういう手段とることもあろうが

マスコミの皆さんはどんなメリットがあってやってんですかねそんなこと、

総理としてもしくは与党としての適切な代替案用意されてるとこ見せたほうが簡単だと思うんですけどね、

用意できないんだったら総理政権も変えんなよめんどくせえ

2017-03-29

けものフレンズ最終話が予想と違った

http://anond.hatelabo.jp/20170329213020

あっれー?

そこは話の流れ的に、人間に戻ったかばんちゃんは実はミライさんでしたという展開だろ?と私も思った。

 

そんでミライさんを見たサーバルちゃんは過去記憶が蘇って、ラッキービースト映像記録にサーバルちゃんが出てきた伏線が回収されるとこだろ?

あとついでに「サーバルちゃん」→「跳躍の狩人 サーバルちゃん」(レア度6)に進化して新スキルセルリアンを倒す、という展開だと思ったのに。

 

「新作映像制作決定!」とか言ってるから続きのために予定されてたエンディングが捻じ曲げられてるのではと邪推してしまう。

# 紙飛行機演出は素晴らしいと思ったけどさ

邪推にすぎないけど、スペダン紹介しといてけなされた(わけじゃないんだけど)

とみなしたらせっかく見始めた視聴者まで排斥すんのがアニオタの性なの?

狂ってんじゃないの

2017-03-27

中程度って言ってるやつも大体のケースで大した事ないんだろうなと邪推

2017-03-17

籠池氏は、たくさん嘘をついてきたようだ。

籠池氏が嘘をついてきたと思われる場所が、主に公的書類だったりするところが、しみじみ「信仰簡単に人を狂わせるなぁ」と思うのだが

要するに、日本会議極右の念願であった極右小学校の開校のためなら、という滅私の心が、彼に嘘をつかせてきたわけだ。

信仰のための自己犠牲的な嘘。

籠池氏が国会証人喚問に出席したがっている、というオモシロニュース普通は誰だってそんな場所には出たくないもんなのに

特に、ついた嘘(籠池氏からみたら必要な嘘というか方便なのだろうが)が取り繕えなくなっている人なら逃げ回るはずの場に

本来であれば敵であるはずの野党の協力を得て、本来であれば味方だったはずの自民党の反対を押し切る形で出たがった。

その理由はやはり彼自身の信念、というか信仰を踏みにじられたくないことが理由だと考えるのが自然だ。

実は二重スパイで、守勢一方の自民党を後押しするために「証拠がない強弁」を携えたカミカゼ特攻隊である可能性もあるが。

まぁそれはともかく、「信仰の具現化のためならなんだってやる」「極右の同志は協力し合うのが当然」といった風情の

籠池氏の言動パターンから素直に考えれば、証人喚問では自民党閣僚の大物との密接な繋がり(と忖度的な黒い便宜)を

証明せざるを得ないと考えるのが順当だと思う。

なぜなら、極右トモダチの大物閣僚とのつながりこそが、籠池氏個人存在意義というか社会的立場を保つ最大唯一のカードからだ。

個人的には彼が本格的に暴走を決意したのは、稲田から切られたことが心理的に影響しているのではと勘繰っている。

下等種別である女ごときに己の立場を危うくされたという理不尽に、体面が耐えられなくなったのではという邪推である

そういえば、籠池氏が経営している塚本幼稚園では、女は家を守れという方針だったようだが、

実際は彼の妻や娘も経営保育園運営に関与していたようだし、幼稚園教諭女性も少なからずいただろうに

本当に彼らの言ってることとやってることって、ばらばらで面白いなとしみじみ思う。

からしみじみしてばかりである

さらにそういえば、安倍政権極右のオトモダチたちは、北朝鮮中国への過剰な敵視が不安レベルである

言動、行動を見ていると北朝鮮のような状態になっているというのも、本当にしみじみとする。

これは、極右思想宗教という存在自体が、現代社会と著しく矛盾しているから起こるねじれだと思うんだが、

まぁそこも含めて信仰って強いな。しみじみ

狂信力でいったら、公明党なんかよりよほどひどいのではないか。目くそ鼻くそ感はあるけれども。

2017-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20170305190935

はてブはまとめ媒体という感じはしないけど

つの問題に執着してろくに事実確認せずなんでもホットエントリに入れたり、

しかブクマコメント邪推したものばかりで大量の星付いてたりとか

別の意味で糞であることはよくわかる。

 

それとidコールなしのコメントへのブクマとか

こっそりと二階建てやってる奴らは卑怯で嫌いだ。

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304014545

http://www.morinaga.co.jp/products/list.php?id=0101

森永サイトを見ると分かるけど、板チョコ以外の森永製のチョコはよく見かけてると思う。

そして、それらのチョコにはお菓子名前に「森永」はついておらず、

板チョコけが森永チョコレート」になってるんよね。

森永ヒ素ミルク事件があったから、

表立って森永と書いてあるお菓子は扱いたくない業者が少なからずいるんじゃないかなぁと邪推

2017-02-28

わがままを言っている自覚はある

 先日、とあるタグTwitterトレンドに入った。

 私もその盛り上がりを楽しく拝見したのだけれど(楽しそうにしている人を見る、というのはそれだけで楽しいものだ)。

 邪推かもしれない。というか、邪推であってほしい。

 ただ、確実に、あの盛り上がりの中に「こういうことで盛り上がれる自分たちはすごいんだ」という人がいたように思う。

 私でさえそう感じたのだから、まったくの部外者からはどのように見えたのだろう。

 

 私は、今ハマっているコンテンツを十年先も好きでいたいと思う。

 同時に、同じコンテンツを好きでいる人たちのことだって十年先も好きでいたい。

 胸を張ってこのコンテンツが好きだと言いたい。

 

 Twitter自分の好きなことを好きなようにつぶやくツールと言われたらそうなのだけれど。

 私があなたツイートに口出しする権利なんてないのだけれど。

 理解していても、不特定多数の人があなたつぶやきを見ていることを忘れないでいてほしいと願わずにいられない。

 お願いだからナチュラル上から目線で呟かないで。他のコンテンツをさげることで好きを語らないで。

 

 ……なんてね!

 ほんとうに素敵なコンテンツだし、基本的雰囲気は優しいと思うからフォローフォロワー数ともに0の完全鎖国を貫いている私が言うのもなんだけれど)

 こういうことでコンテンツのもの心証が悪くなってしまったら悲しいなって。

 匿名投稿すること、それからコンテンツ名を出さないことは完全に逃げなので謝っておきます。ごめんなさい。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。


まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。

もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ

なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。

本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。

「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)

原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。

そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。

また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。

最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。


それでははじめます。

導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。


まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。

そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。

しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業


解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。

同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。

同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?

『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。

諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。

『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。

『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。

すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。


解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。

不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」

感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。(Permalink | トラックバック(0) | 22:47

2017-02-12

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今回は裏サンデー

LiLy 20

後半の漆原と心葉のやり取りがディスコミニケーションのお手本みたいで、不覚にも笑った。

円滑なコミニケーションにおいて重要なのは多義渡りやす言葉解釈当事者たちで同じにしたり、軌道修正を細かにすること。

やり取りをする人たちで個人事情だとか価値観だとか、前提の共有が成されている必要があるんだけれども、それをすっ飛ばすとグダグダになりやすかったり不和を生じやすい。

大雑把に言えば、伝える努力理解する努力の両立が大事なんだよね(もちろん当事者たちがコミニケーションを求めていなければ話にならないけれども)。

漆原と心葉は互いのバックボーンを知らない上、その状態で話を進めたもんだから、ああなるのは必然だった。

モデルの件で心象が悪くなっているから、解釈軌道修正をする余裕が心葉にはなくなっているし、漆原は言葉足らずなせいもあって逆なでするような発言を繰り返すし。

いろはと僕と 12

ラブコメっぽい感じは出しつつ、妙な警戒心を抱く描写がちょいちょい入るのは、あくまでスカしだってスタンスで読んでいいのだろうか。

穿った見方をするなら、ラブコメ差別化を図った結果よく分かんないことになっているのかと邪推してしまう。

そのあたりの方向性が定まっていないせいなのか、テーマ構成は一貫しているのに、表現だとか演出何だかチグハグさを感じる。

DOG END 第22話

前回も思ったけれども、正味キャラ付けとしては安易だよなあ。

エセ関西弁しかネットスラングよりだからね。

当然、意図してさせているってのは分かるんだけれども、そのキャラがなぜそういう喋り方かっていう説明がないから軽薄だと感じてしまう。

例えば、吹き替えとかで日本地方の訛りで喋っている登場人物がいたら、その役者登場人物の元の喋りが訛っているが故の意訳とか、そういう妥当性はともかくにしても何らかの理屈が欲しい。

後に説明されるんだろうかね。日本語学んだ媒体の偏りがだとか。

2017-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20170210135511

「〜〜のようにしか見えない」って言う奴の9割は邪推だよな。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-02-04

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今回はとなりのヤングジャンプ

ワンパンマン 109

試合勝敗は、まあ予想通り。

その上で続行してくれた展開は不完全燃焼にならなくてよかった。

サイタマが強いことは分かりきっているから、スイリューがどのレベルの強さかってことは知りたかったしね。

S級ヒーロー相当なのは予想していたけれども、A級ヒーローレベルの強さとの違いを明確にしてきた描写だ。

サイタマ武術の心得がないってことが指摘されるのは、原作の怪人協会での最終戦で明確に描かれているけれども、それは当然サイタマ必要いからなんだよね。

ガロウのいくつかの戦いを見ても、武術の皆無による実力差というものは強調されていて、本作において武術の持つ意義はむしろ贔屓されている。

それでなおサイタマには意味がないってことで、その強さを表しているわけだ。

サイタマにとっては武術を介していようがいなかろうが受けた攻撃本質的には同じだから、表面的にしか理解できないためにああいった結論になってしまう。

しをちゃんとぼく 第14話

挫折という一見するとネガティブな要素が、そのとき世界が動いたかのような歴史の一ページになりうるっていうね。

才能のあるなしを判断するのは慎重であるべきなんだけれども、教える相手1世紀にも渡って何一つ上達しなくて、指南役が何度も代替わりしているからこそ説得力が増すわけだ。

そして、その向き不向きは自分自身が気づくことで意義あるものとなっている。

きみ×××ることなかれ 第7話

今に始まったことではないけれども、本作は恋愛模様以上にアイドルというテーマがどちらかというとポイントだよね。

現実世界の情勢もあって、よりセンセーショナルテーマになってしまった感がある。

連載時点では思いもよらなかっただろうし、作者も編集もどうするか苦悩したんじゃないかなあと邪推したり。

本編の話は、成熟した大人ファンだったり、割り切ったことを言う人だったり、理屈の上では分かっていても気持ちの複雑さを明確に言語化できない子だったりが登場して。

と同時にアイドルにそこまで関心のない美容師の「そんなことがスクープ対象なんてアイドルは大変だな~」みたいなセリフさらりと入れてくる冷静さというか。

マスコミ報道姿勢批判するクダリはやや安易にも感じたが、側面的には誰も望まないスキャンダルにわざわざ仕立てあげているわけだから、その観点無視はできないだろうな。

まあ報道観点から見れば、知らないほうがいい情報区別せず発信するという点では、姿勢はともかく在り方そのものはフェアなわけで、客観的に見て是非を決めることは難しいわけだけれども。

で、最終的には受け手が思い思いにそんなの関係ない、どうでもいいと割り切れることも大事なことが作中で描かれているわけか。

2017-02-03

巨顔の美女欲情する性癖について詳しく追記 その7(完)

いい加減最後です。

巨顔の美女欲情する性癖について詳しく追記 その6

http://anond.hatelabo.jp/20170202164740

からだらだら続いています

でもYouTubeコメントしてるのは俺じゃない!

id:onasussu

YOUTUBECM動画に神CMありがとうございます、とかコメントしてるの君?高く評価した動画キャプションで色んな人の顔が浮いてる完全個人結婚式ビデオがあってこいつマジだなって思ったぜ。頑張れよ

id:GiveMeChocolate

YouTubeコメントってもしかして……?

id:renu

Youtube見たが、「神CM」とコメントを入れているのは増田本人なのか同じ趣味の人なのか

id:kaminokee

ブコメ人気トップに貼られているのyoutubeコメントが例の何らかの性癖の人っぽくておもしろいね

id:Ocknamo_crypt

匿名なのにyoutubeコメント書いたらアカウントがバレちゃうよ……

id:tyoro_ge

YouTubeコメントに本人らしきコメントがあるのが仕込み感あるなぁ

断じて違う! これは俺じゃない! 企業公式アカウントに「SKEやほかの女優アイドルでもこんなCMやっていただけませんか?」なんて堂々とコメントできるほど図太くないし、それで自分希望が通ると思えるほどおめでたい頭はしてない。しかし、彼もまた自分と同種のフェティッシュであることは認めざるをえない。たぶん、Yahoo!知恵袋ときどきオカズクレクレ君してるのはこいつなんじゃないか邪推してみたりするわけだが、まさかこういう形で自分の訴えが裏付けられるとは思ってもみなかった。

最後に未分類のコメントをまとめて

id:Cujo

昨年だったか、顔だけ大きく見せるレンズっていう記事どっかで見た記憶。。。。。。(フレネルレンズかぶるやつ)

id:tsubo1

デイリーポータルZで顔が大きくなる箱、という企画をやっていたが、ああいうのがいいってことと思われる http://portal.nifty.com/kiji-smp/160825197264_1.htm

見つけた時、あっこれいいかもって思ったけど、そうでもなかった。

id:pbnc

可愛らしいとは思うが欲情理解できん。あと、顔を大きく加工じゃなくて、小さい体の方をくっつけたと考えないか普通

普通、顔デカでしょ。いや、でも確かに英語圏では「Big Head, Small Body」と並列表記される場合もあるので、きっとどちらも正解なんだと思います

id:QJV97FCr

鼻の穴をじっくり見てると興奮することはあるけど、そういうのは違うのかな

すまないがその趣味はよくわからない。

id:yarukimedesu

切った爪をビンに保存してそう。

してません。

id:technocutzero

80年代広告ではよくあった

本当にうらやましい。この手の表現黄金期は80年代後半から90年代初頭だったように思う。もっと技術的にはCGが発達した現代のほうがいろんなことができるので、今回のような恩恵にあずかれたりもするわけだが。

id:zomy

これはトヨタの巧妙なステマ

だったらいいんだけどな。かわいい女の子を使ってこれからジャンジャンやってほしいですよ。

最後までお読み頂きましてありがとうございまず。このマイナー性癖にようやく光を当てられたうれしさもあって、自分が感じたり知ったことを詰め込んだら、超大作になってしまいました。「絶対人に言えないカルトフェティッシュ大図鑑」にタイトルを変えたほうがいいかもしれないな。ほかにも真面目に分析をしていただいたい人のコメントや、ストライク動画をご紹介いただいたコメントもありましたが、それのお返事はまた次の機会とさせてください。気になることがあったらまたコメントください。それではまた。

相手の要素を決めつける論法

いい加減、「相手の要素を決めつける」をやめらたらどうか、って思う。

お前は専業主婦だと思うからとか中年だと思うだからだとか、どう思われたか知らないけど

根拠なく相手属性なり要素なりを決めつけるのが果たして論理的なのか。


はっきり言って、リアルでの会話ですら、相手がどういう属性を持ってるかなんて完全にはわかりっこないんだから

いちいち細かいところまで邪推して、それを言いまくるなんてしたって不毛ではないんですかね。

なんか勝利宣言できる属性を無理矢理でも認定すればいい、ってのはもはや議論の体をなしてないし

そもそもその属性果たして勝利宣言になるのか怪しい場合も多いし。

所詮はっきりさせることの出来ない属性なんかを想像して色々言うより、意見のものをどうこうした方がいいのでは。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130202322

いやだから竜王連盟の事前の公式発表「休場の意志を示したのに休場届を出さなかった」を超えて文春で三浦クロを煽ってたのはおかしいだろ?

おかしいんじゃないか?って行動に理屈つけてるだけで、邪推といってる部分が無くたって、ただのおかしい人で、将棋ファンが叩くのは当たり前だろ?

http://anond.hatelabo.jp/20170130201801

それらは邪推しかないし、邪推を既成事実化して渡辺攻撃するのは協会と同じ過ちだろ?

というのが元増田記事だよ。

将棋ファンたちがどうして渡辺竜王憎しで吹き上がってんのか

分からんのだけど、棋士ファンも無菌室に置かれ続けて耐性がなかったのが今回の問題なのかね。

この件に関しては、

「もともと何人かの棋士三浦を怪しんでいて→文春がその疑惑を嗅ぎつけて→それを耳にした渡辺が真に受けて連盟対処を迫り→連盟が焦って強行採決

という流れだと理解しているんだけど、

将棋ファンたちのあいだでは、

三浦に勝てない渡辺が→疑惑捏造して文春にリークして→渡辺の言いなりになっている連盟は→渡辺に言われるまま三浦処分を下した」

といったシナリオ流通しているらしい。

邪推邪推を呼んで陰謀論が既成事実化していくのはネット民の悪い癖だなあと思うけど、

さらには「三浦は無実だったんだから誤った告発をした渡辺追放しろ!」といった、

おまえら中世に生きてんのかよというような主張が、むしろ正論とされて受け入れられているようだ。

まあ、竜王という立場から矢面に立たされて、

それで結果として無実だったんだから、ある程度の批判を受けるのは仕方ないだろうが、

からって陰謀論ボコボコに叩くのは間違ってるよなあ。

というか、陰謀論ボコボコに叩いて大失敗したのが当の連盟なわけじゃん。

結局は同じ穴の狢なんだねえ。

(こう書くと「渡辺連盟に何も問題がなかったとでも言うのか!」とクソリプ送ってくる奴がいそう。)

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