はてなキーワード: 麻痺とは
http://anond.hatelabo.jp/20130914231818を読んで、自分はここ五年くらいずっと葬式の度に泣いているのに気付いた。
三十路を超えてこれまでに百回以上親戚・恩人・知り合いの葬式に参列している。
親戚の数が多いので葬式の回数も多い。
自分が小学生の頃に死んだ父の葬儀は自分にとって何回目の葬式だったのかは忘れたが、二十何回目かだったと思う。
その時期はあまりに葬式が続いて人の死に麻痺していたからか全く泣けなかった。
葬式で泣けるようになったのは八十何回目かに行った葬式から。自分は二十代半ばだった。
それから親戚だろうが知り合いだろうが誰の葬式でも泣いてしまうようになった。
昔お世話になった人の葬式ではご遺族の泣き顔につられて泣いてしまった。
あまり世話になってない人の葬式でもご遺族の言葉についほろりと涙が出た。
葬儀が終わった後でも、喪主さんやご遺族の言葉などを思い返して涙が浮かぶことがある。
歳をとったということなのかと思っていたが、回数の問題だったのかもしれない。
49 ソーゾー君 [] 2013/09/09(月) 06:21:25 ID:SQd/eIaY Be:
「皆殺しだぜ?福島を超えるトラフ地震?東海地方壊滅?警告されてるね・・このままお前等が何もしなければやるよ?」
「東海地方は産業が集中している日本の要所だよね?稼働させるだけで爆発するポンコツの浜岡原発もあるよね?」
「東海地方が福島を超える地震と津波で破壊されてポンコツ浜岡原発から放射能が撒き散らされたらどうなると思う?」
「日本の産業は麻痺するよね?こうなったら日本は終わりだぞ?食いもん買えなくなるぜ?自給率1%ねーんだぞ?」
「放射能に汚染されると人間も隔離されるぜ?安全な所=汚染されてない所に行かせねーよ?
お前自身が核廃棄物なんだから当然の措置だろ?物資もこねーよ?誰も被爆したくねーだろ?」
これが恐らく浜岡から始まって日本全国で起きる・・このままお前等が何もしなければ必ず起こされる・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
童貞っておそらく心の問題なので、その点俺は完全に童貞と言っていいのではないかと自分では思っています。
女性と触れた経験をほとんど持たない童貞は、ちょっとしたことで女性に惚れてしまう。
なんでもない会話やメールのやり取りだけでも好意を抱いてしまう。
それだけなら良いことなのですが、拗らせた童貞だと、惚れると同時に相手も自分に対して好意を持っているような錯覚に陥ってしまう。
ちょっとした会話なら訓練された童貞であれば凌ぐことが出来るのだが、ボディタッチともなるとそうはいかない。
身体をベタベタ触られた日には、正常な判断能力が完全に麻痺する。
俺を童貞たらしめている積極性のなさと、童貞ゆえの自信の無さがそんな勘違いはよせと訴える一方で、
ぼぼぼぼボディタッたっっちなんて間違いなくぼくのこと好きだろぉおお!!と舞い上がってしまうDTハート。
実際のところどうなんでしょうか。
腕、背中、頭、ほっぺた。距離も近いです。
パーソナル・スペースで言うところの密接距離圏内です。
密接距離…ごく親しい人に許される空間
近接相(0~15cm)
抱きしめられる距離
遠方相(15~45cm)
頭や腰、脚が簡単に触れ合うことはないが、手で相手に触れるくらいの距離
インド人じゃあるまいし、やはりこれは彼女にとっても僕は特別ということになるのではないでしょうか。
ここにはいろんな人がいる。
無口でほとんどしゃべらない人、饒舌でのべつまくなしにしゃべる人、
黙もくとパソコン作業に打ちこむ人や、なんのあてもなくネットサーフィンに興じる人。
一応、日ごとのカリキュラムはあるのだけど、自習のときは個々人の裁量で好きなことをする。
かくいう僕も、実習時間を利用してこの文章をつづっているのだが。
ここでの訓練は、おもに軽作業訓練(ボルトにナットをはめる作業や、紙にクリップを挟む作業)
に、データ入力訓練(タイピング練習や、アンケートはがきの入力など)
こういうのは、健常者向けの訓練とさほど変わらないと思う。
ただ、その内容は健常者向けのものに比べるとだいぶん簡単だ。
僕も以前、障害が発覚する前に健常者向けの就職訓練を受けたけれど、
あっちの方が何倍もきつかった。
途中で休憩できる雰囲気じゃないし、毎日毎日、コミュニケーションに特化した訓練がある。
その点、ここは気楽だ。週に一回、フリートークタイムがあるくらいで、
まあ、そのぬるま湯加減のせいで、早期就職への熱意も失われつつあるのだけど。
障害者とひとくちに言ってもさまざまだ。
足が悪い人もいるし、目が悪い人もいる。体に麻痺のある人もいる。
重度の障害があるのも不幸だが、一般人と区別がつきにくい障害者もそれはそれで不幸だ。
うん、やばいよね。実際あれだけヘビーユーザーだった自分も全然使わなくなった。
ブクマしない、コメントも書かない、そもそもアクセスしてない。
何でこうなったんじゃろ、あんなに愛してたのになあと10分ほど思案した結果、今のはてブの暗い雰囲気を嫌って離れたという結論に至ったのでメモがてら書いてみる。
Facebook等の外的な要因は確実に影響しているでしょうが、ここではあくまではてブ内部についての要因を探ってます。
例えば。
橋本大阪市長や前石原都知事に対して毎回蔑称タグをつけて反発する人達。
こういう(言葉はちょっと悪いけど)低俗なユーザーがこの3年ほどで極めて目立つようになってきた。
全体に占める低俗ユーザーの割合が確実に増えてるし、彼らの蔑称タギングのスキルも年々向上して匠の領域に入ってきた。タグだけで人をイラつかせる匠の業。凄い。
はてブのトップページを開くとすぐに蔑称タグが目に入ってくるけど、それって異常だよ。もう慣れた人もいるかもしれないけど、それは感覚が麻痺してると思った方がいい。はてブが好調だった~'09ぐらいまでも当然この手のユーザーはいたのですがそこまで目立ってなかったなあ。
この手のユーザーに共通している性癖は、自分が敵認定している対象(中韓、自民党、橋本市長、マスコミ、警察、ブラック企業etc)に関係する情報であれば、それが例えどんな情報であろうとも蔑称使って反応する点。発言の中身や、思想などは二の次。敵視対象が絡んだ瞬間に頭が沸騰して蔑称を使って否定に走る性癖があるわけです。これはもう知能の多寡の問題ではなく性癖なんだろうと思う。
坊主が嫌いなら袈裟も憎しみの対象になってしまうようなユーザーが近年間違いなく増えてる。
絶好調だった頃のはてブはコメント欄が大変有用な場になってた。たったの100文字を駆使して議論が交わされる事も。気付き、ひらめき、バランス、そういったものが溢れてた。理性的で本質をえぐるコメントがキラ星のように煌めいてたし、感情的なコメントは逆に埋もれる傾向にあった。
今のブコメはヘイト(hate)だらけ。ヘイヘイホー状態。ヘイト丸出しの扇情的なコメントが人気コメントの上位を占めちゃってるわけです。そこには以前のように気付きもひらめきもバランスも無く、ただただ感情的で扇情的でヘイト丸出しのコメントが溢れかえってる。これじゃあ段々と場が荒んで荒廃するのも無理は無いでしょう。事実自分もほとんど見なくなった。一部の技術系タグをRSSで補足してるぐらい。
今のはてブって見れば見るほど気分が荒む。ネガティブになるというか、何か創ろうとか何か新しい事を探そうとか何か議論しようとか、そういう生産的な雰囲気が全く無くなったよね。偏執狂な人が扇情的なヘイトコメントを付けて、そこに似た趣向のユーザーが涎垂らしながらスターをつけてる。あかん。あかんよ。コメント欄を見れば見るほど自分が馬鹿になるんじゃないかっていうレベル。
あとさ、netwatch系のブログも人気過ぎる。家入とかイケダハヤトの動向を一挙一動観察して馬鹿にするようなnetwatchブログを、自分の貴重な人生の貴重な時間を割いて読んで、それ10年後に何が残るのって思う。いや確かに面白いんだけどね。誰かを馬鹿にして気分はスッとするのかもしれないけどさ。でもそんなんばっかりネットで読んで時間潰すのってそれ異常だよ。神経麻痺してるよみんな。
例えば去年はてサとか呼ばれる人達がバッシング浴びてて大人しくなるかと思ったら、ほとぼりが醒めたら相も変わらずヘイトコメント連発してるじゃないですか。ネットで敵視対象に対してヘイトコメントで鬱憤を晴らすっていう生活習慣が、右な人も左な人も同じように骨の随まで染み付いちゃってるんだろうなと。それが性癖なんでしょう。性癖は治せませんからね。もう彼らのような連中が居着いている限り、はてブの再成長フェーズなんてものは望めないと諦めるしかないんじゃないですか中の人。UIとか全然関係無い。ユーザー側の問題。残念。
の続き。長い。
メロディー最後集め終わったときに小さかった主人公に対して親がネスって名前にしようとか帽子かぶせてぶかぶかだけど似合ってるじゃないかみたいに話してて裏で完成した音楽が流れてるところではぐっときた。
クロノトリガーの遠い約束に似てるけど、ああいうオルゴール系→盛り上がっていくような感じのちょっとノスタルジックな感じのBGMに弱いわ。
1よりはメロディーの頭にこびりつく感はなかったかな。1のエイトメロディーズが有名すぎたってだけだと思うけど。
でも冷静に考えると敵を倒す=地球のちからをもらう=小さい時の記憶とか思い出とか自分の存在の再確認とか母親とかマジカントで自分の心の汚さがどうとかってところとつながる意味とか必要性が正直よくわからんかった。
1と違ってメロディーを歌ってギーグ倒すってわけでもなくなったし。
プレイヤーの祈りっていうメタネタは、あーコンシューマってマザーからこんなことやってたんだなって思った。
エンディングの名前が出る演出は正直2回めだから冷めた目で見てたけど、最後にこっちに向けてシャッターを切ったところは不意打ちで不覚にもちょっと感動してしまった。
あそこでネスも後ろ向いてプレイヤーとツーショットとったってことを意識させてたらもっとよかったと思うけど。
たこはいいとして、こけしって海外版だと何になってるんだろうと気になって調べたら、たこ→鉛筆、こけし→消しゴムになってるらしい。後者はEraser Eraserというシャレにもなってるらしい。ふーん。
細かいとこだけど、ジェフの戦闘メニューの「うつ」っていうのがクスリかよwwと思ってちょっとおもしろかった。世界観が世界観だけに、クスリでパワーアップってのはとてもお子様向けじゃないなーとか。
んー。あと最後ロボットにならないと過去に戻れないって設定・演出は必要だったのか?
覚悟みたいなものを強調するにしてもちょっと超展開すぎるとおもったんだけど。
結局苦労せずに戻れちゃうし。
そのまま戻れずに星空に浮かぶネスたちの顔でENDとかならまだ意味もあるけども。
過去から攻撃を仕掛けてきてるとかマジイミフなんだけど。未来にいるんじゃねーのかよ。未来からちょっかいだしてきてたのになぜ急に過去?
その割に強い。4回くらい全滅した。
いや、第3形態になってからネスとポーラばっかり即死させられたり残りのジェフとプーも麻痺にさせられたりしたらそりゃ無理ですよ。
ポーキーは嫌がらせばっかりするけどてっきり途中で仲間になるんだと思ってたら結局最後までおじゃまキャラでラスボス化っていうのは想像してなかった。
むしろギーグがかわいそうにすら感じた。
あとプー空気。4人めとして追加する必要性を感じられなかったキャラナンバーワン。
1と同じく女の子キャラと貧弱メガネキャラだけでよかったじゃん。
トンズラブラザーズがいちばんすき。
女の子キャラのテレパシーでの語りかけっていうストーリー上で演出が入ったのはよかった。
1だと唐突に「夢であなたがくるのはわかっていました」みたいな悟りきったこと言われて置いてけぼり感満載だったから。
「あなたがくるであろうことを、この私はあらかじめ予測していました」ってヒトクイマジカルの木ケ峰約かよ(西尾維新の戯言シリーズ知らない人すみません)。
木のシミだと思ってたら顔だったってのをリアルにやられてたことに気づいてぞっとしたよ。
あとあんまり大きな声で言えないけど、ラスボスのフィールド上でぐねぐね動いてるやつ、腸を歩いていって辿り着いた最後の場所の真ん中。
あれ、ぶっちゃけ女陰だよね。パクパク動いてるし。マザーだからってことだとしても生々しすぎないか? 考えすぎ? うわグロ・・・とおもったんだけど。俺だけですかね。
消化不良も甚だしすぎるだろ。後味悪すぎ。クソみてえな手紙を最後のエンディングで見せられるしさー。
3が評判悪いのは2-2を期待してたファンから評判悪かったからってのをどっかで見たけど、それってつまりポーキーの後味の悪さがそのまま放置されたってこと?
それともポーキーは出てくるけど後味が悪かったってだけ?
http://www.youtube.com/watch?v=tQi3l4Jnv_I
ガジェット通信:みのもんたが『朝ズバ!』番組中に女子アナのお尻を触る? 過去の行為も反省せず
http://getnews.jp/archives/408604
なぜなら、「過去において、どうせ、そうだったろう」、「未来において、どうせ、そうなるだろう」という決め付けがある。
まず、みのもんたがセクハラをしたなら、これが最初のケースだったとは考えづらい。
そこで起こっているのは、セクハラであると同時に、手がでている以上、痴漢と同じ性犯罪だ。
きっちり司法の手にかかるべきだ。
犯罪者なのに。
でも、みのもんたと同じか、それ以上に憤りを感じるのは、TBSという会社に対してだ。
しかし、これが過去日常的に行われていたなら、現場のスタッフの目に入ったことがないと信じることは不可能だ。
それは、目の前で、性犯罪が行われているのに、だれも被害者の女性を助けない組織だということを意味する。
自分のキャリアのためか、性犯罪に堪える女性を、ずうぅぅぅぅぅぅぅっと、誰も助けない組織である。
でも、それは犯罪だ。
被害者がそこにいるのだ。
本来であれば、
・みのもんたは、司直の手にかかり、
っというのが、当然だと思う。
でもそうならない。
TBSは、みのもんたは、他者には似たようなことを求めるのに、そうはならない。
TBSのすることは、せいぜい、YouTubeに上がった動画を削除申請し、抗議のエントリーが上がれば、名誉棄損で訴えると脅しながらブログを削除させることぐらいではないか。
それは、まさしく下衆の所業だ。
生きることは流れていくようだとおもう。流されていくようだとおもう。ずっとそのかんじが嫌いだった。流されてはいけないっておもっていた、なにかしなくてはいけない、怠惰に過してはいけないってずっとおもっていた。まあ、いいんじゃないかなあと最近はおもう。
けれどもやはり、生きることは流されることだとおもう。ああ、なんというか、べつにいいんだ、有意義であったり、向上心があったり、学習したりとか、そんなことはどうでもよくって、そんなことなくて、ただ生きているだけでいいんだとおもう。しかし生きていると様々な苦しみがあって、そう、苦しみがある。人の自慢話がきもちわるいとか、太っているのが嫌だとか、オンナにモテないとか、この世界にはそもそも苦しみなんて存在しないのに、ぼくらの心は苦しみを感じとる、感じる、存在しないものを感じて勝手に苦しむ。だから何も感じなければそれは救いだとおもう。
ぼくはそういった様々な苦しみから目をそむけて生きている。なるべく感じすぎないように生きている。目をそむけて生きている。何も感じなければ幸せなのだ。だから死にたいっておもうことはとても自然だ。
一方で、死にたいと言うことはちょっとやばいかんじがする。生き物としてそれってどうなのっておもう。生存こそが本能なのに、なぜ死をのぞむのか、それはなにかが狂っている気がする。
苦しみを回避しようと、努めてなにも感じないようにすることはなんとも思わない、それはとても自然であたりまえなことだ、いつも寝惚けたように生きている、いつも少しだけ麻痺して生きている。そうしたほうが楽だからだ。
何も感じないように生きるのは結局、死のうとしているのと同じではないか。
ぼくは生きることが好きなのだ、生きてるって感じが好きなのだ。生きてる感じにずっと包まれていたい。それは静寂と孤独だ。あと挑戦。心を開いて、肩の力をぬいて、勇気をもって飛びこむ。そんな日常。散歩の途中でみつけた怪しい店にふらりと入れるとか、そんな程度でいい、挑戦することがあたりまえの生活。孤独と静寂の時間をいつでも呼び出せること。倦怠と覚醒の間をいったりきたりできる。身軽さ。精神も肉体も身軽でしなやかで開かれていること。何ものにも囚われることなく、好きなものに集中できるということ。全てが無価値であることを知りながら、心の叫びをちゃんと聞きとれる。そしてその叫びに従える。そういう幸せが欲しい。
お盆で帰省中の人が多いと思うので、ついでにご両親の様子をチェックしたらいいんじゃないかと思って書きました。
なんか親の様子がいつもと違うな、と思ったら用心です。
・怒りっぽい
・言動が矛盾する
・忘れっぽい
・無気力
曖昧で申し訳ない。でもいつもとなんか違う!と思ったらほんと要注意です。
もし嫌がったりしたら、費用も出してあげて、無理矢理にでも連れて行ってください。
うちの親は、お盆に自分が帰って、なんかいつもと様子が変だな、と思った一カ月後に脳出血、半身麻痺になりました。
半年かかってようやく会話ができるようになりましたが、手術費用とかその後の介護問題とかで家族は疲弊します。自分は家族に介護を任せ、お金で援助することにしましたが、それでも正直きついです。
(できるだけ介護士さんに任せ、家族の負担を減らすようにしている)
いずれは親の介護に直面すること、そうなる可能性があるのだということを心に留めておくと、いざという時、多少はダメージが少なくなるかもしれません。
ずっとスマホをいじっていて、ふと顔を上げると目の前に見知らぬおじいさんが立っていた。
そのおじいさんは「優先席の近くで携帯電話を使うな」と文句を言ってきた。
うっとうしく思いながら「そんなの迷信ですよ」と言って取り合わなかった。
すると、おじいさんはいきなり俺の手を握りしめ、ぞっとするような声で言った。
「ほら、こんなに冷たい」
その時、車両に飛び込んできた男が、おじいさんの手を振り払った。
「そこまでだ」
聞いたことのある声。
「破ァ!!」
Tさんが叫ぶと、おじいさんは血色がみるみる良くなって昇天していった。
後から聞いた話では、何年か前に電車に乗っているときに心臓麻痺で亡くなった老人がいたらしい。
やっぱり寺生まれは凄い。俺は改めてそう思った。
あと1年ほどで30歳になります。
気になる異性ができたのですが、声をかけることができません。
私には生まれつき知的障害をもった兄がいて、
父と私の二人で、兄と母を支えるようになりました。
私は幼いころから兄が大好きで、
その兄を懸命に育てた母のことも好きです。
母が倒れた時、私は職場の人間関係でボロボロになっていましたが、
不謹慎ですが、私のために母が犠牲になってくれたんだと思いました。
今の職場では申し訳ないほど配慮していただいて、
ただこの数年、平日も土日も、母と兄のために時間を割く日々が続いて、
その間に友人たちは次々と好きな人と結ばれて、
嬉しい気持ちと同時に、置いて行かれたような寂しさも積もっています。
お付き合いという形でなくていいので、
「今日は〇時に帰ってくるよね」「明日は××に連れて行ってね」という母の悪気のない言葉に、
将来。と考えたら、いっそう重みがあって、もう諦めているところもあると思います。
母や兄を、人付き合いを避けるための言い訳にしている面もあるかもしれません。
何だか考えすぎて動けなくなってしまった、というのが今の状態です。
さまざまな思いが入り混じって、
冒頭のとおり、気になる人に声をかけられません。
その人は少し前の職場で会った人で、
恋愛感情というよりは、もっと話してみたいというライトな気持ちですが。
ただ、ここに書くことで
読んでくださった方、ありがとうございました。
あばら骨折・脊髄損傷…マッサージ店「けが人」続々 背景に無資格施術
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130805-00000074-san-soci
無資格者が~とか言ってるが、よく読んだら6割以上が有資格者による施術。
そもそも筋肉をほぐすって、一瞬麻痺させてるだけで痛めつけてるのと同じだからな?
それどころか神経を圧迫して傷つけてるケースも多い。
その場だけ良くなって、あとから痛んだ筋肉がより酷くなるケースだって多い。
つーか知り合いに勧められて半ば強引にいった整骨院で、
頚椎とか坐骨神経損傷させられたってやついっぱいいるぞ?
「安いから」とか「気持ちいいから」って理由で整骨院やらマッサージとかいくな。
行くにしてもきちんとレントゲンを撮ったり、整形外科的な治療を説明してくれるとこにいけ。
つーかまず整形外科か神経内科にいけ。そっちのほうが確実だし、長い目で見たら効果があって安くすむから。
今行ってる奴は、ガチで取り返しがつかなくなる前に行くのを辞めろ。
一生ずっと首や背中や神経の痛みに悩まされることになるぞ。
安易な値引きに応じなかったという点では元増田は正しいよ。安くすれば誰だってモノは売れるけど、ぎりぎりまで値崩しを防いで適正利潤を維持するのも営業の重要な仕事。
ただ、ルートセールスで廻ってる得意先との取引をロストしかねないような物言いをしてしまって先方の機嫌を損ねたのは、結果的には明らかな「失敗」だよね。どんなに義が自分の側にあっても、数字を落としたら営業はダメだから。
そもそもルートセールスというのは相手からは単なるルーティーンワークに見え、こちらの日頃の苦労には麻痺してくるものなんだよ。相手の購買担当者も「仕事してる」感を出すために、定期的に取引先セールスを価格交渉したり、その他の部分でより有利な条件を求めてかけあってくるのがむしろ当たり前。ルート営業ならほとんどの業種で起こりうる事態だよ。
その「当たり前のこと」に備える予防線を張ったり、いざその事態が起きたときに丸く収めるトークスクリプトを持っていなかった、という時点で、元増田は営業として弱かった。【いつ戦場になるかわからないところを、いつも巡回してて特に身の危険を感じなかったからという理由だけで、武器も防具も持たないまま漫然とうろついていた】のと同じだよ。
の両立で、必要なのはそのためのトークスキルだった。元増田がその場でやった反論はロジカルではあるけど、それはやり方としては決定的にうまくない。ロジカルな反論はそのまま「あなたの言っていることは非論理的だ」というふうに、相手の否定、相手のバカさや図々しさの指摘になってしまうから。そりゃ相手も立腹します。
そうならないために、営業の拒否トークは基本的に「無罰的」か「自罰的」でないといけない。あなたは悪くない、私も悪くない、でもあなたの望むような変化は不可抗力によって起こらない、という落とし所を見据えて話さないといけない。
事態をアドリブで丸め込むスキルに自信がないなら、「御社が弊社にとって重要な上得意先であること」「それゆえに、すでに破格の値引き額を提示していること」「現在のギリギリの設定価格を割り込むような決裁権は自分にないこと」「一旦持ち帰って上司決裁を仰がなければならないこと」までを、決して相手を責めずに、もっともらしく、スムーズに話してやればいい。
先方がどれだけ大事な得意先であるか、特別扱いされているか、ということを交えながら話せば相手も悪い気はしないし、こちらの上司をひっぱりだすほど大きな話になってしまうと、軽い気持ちでつっかけてみた相手はびびる。価格とは別の次元で、相手に満足感を与えてやったり、心理的負担を感じさせたりしてやることで、顧客を操作するわけ。
人はそこそこ入ってると思う。でも巷で見るような1ヶ月何百万PVとかには全然遠く及ばない、知ってる人しか知らないような弱小なブログだ。
会ったことは無いが、共通の知り合いを通して話は聞いた事がある程度。
ブログを更新したり、Facebookを更新したりするとその発言内容について嘲ったり、上から目線でこちらの人格を評価してくる。
如何せんブログ用のFacebookなので非公開にすることもできないし、全部目に入る。
いい加減腹が立ったのでブロックしたら、多分別垢を作ったんだろう。同じ事を言い出すアカウントが出現した。
またブロックをきっかけに、共通の知り合い複数名も自分のこと嫌ってたんだなと判明する事が色々と発覚した。
時を同じくしてブログにも嫌がらせと思われるコメントが幾つか書かれるようになった。
大多数の意見はきっと、粘着や煽りに耐えられないならウェブになんか公開するな。だろう。
その意見も分かるけど、だからといって粘着していいという理由にはならないと思う。粘着する方が悪い。いじめと同じだ。
けど耐えられないならやめろってのも正しいんだろう。
批判が集中する有名人や政治家は本当によくこんな状態で「悪くいうのは少数の人でほとんどが応援してくれています」なんて言えるもんだなと思う。
批判も数が多いと麻痺するんだろうか。それとも本当に応援する人の声のほうが強く届くのかもしれない。
自分の所は「多分心のなかでは応援してくれているんだろう」と自ら信じるしか無い程度だ。
仕事上の都合で2回の転居があり、学生時代の友人もブログを通して仲良くなれた人ともリアルの距離は遠い。現実はぼっち生活だ。
これがないと、毎日起きて飯喰って仕事して寝るだけの人生になるんだろう。
多分外出もしなくなると思う。金は溜まりそうだけど時間が余って仕方ないだろうな。
また、ここでやめたら粘着野郎や自分が消えることを願っていた人達が喜ぶんだろうなと思うと悔しくて仕方ない。
でも粘着野郎の事を考えると怒りが収まらないし、粘着野郎を庇ってこっちを悪者にする人達へのショック、大きな溝ができてしまった人間関係なんかを考えると続けるのも苦しい。
多分これからも粘着されるし、何よりも応援したり味方になってくれる人が居ない事が辛い。
「辞める」って言ったらようやく「実は応援してました」と言ってくれるんだろう。辞める辞める詐欺の気持ちがちょっとだけ分かる。
辞めたら楽になるね。
さあてどうしようかな
「教育を受けない者の全般がそうだ」と元増田が主張している以上、基本的に例外は認められないだろう。
例外がいた場合、その(殺害を躊躇する)理性がどこから生まれたのか、元増田の主張では説明できない。
また、飢えや繁殖のような「生存のため」というのは、かなり強力な動機であり、
本当に「教育を受けないと殺害に躊躇をしない」と言うなら、野生動物はもっと安易に他者を殺害するはずである。
実際のところ、これは判断や証明が非常に難しい問題だ。
戦争に明け暮れる国の子供が躊躇なく他者を殺すのは、元々理性が存在しないからかもしれないし、戦争によって理性が麻痺しているからかもしれない。
まだ教育を受けていない子供が無邪気にペットを殺したとき、子供が殺害を悪だと感じていないのか、それとも死というものを理解していないだけなのかは、なかなか区別できないだろう。
俺の場合、下の歯が完全に寝た状態で生えてて、
大学病院だったからそのうち先輩的な人がHelpに来て(そんなのありかよ!と思ったけど)
グラグラやってるうちに麻酔切れ始めて、最初は歯医者で痛いとか言えないだろwwwとか思ってたけど
さすが無理になってきてごめんなさい痛いです!って手で止めて麻酔追加してもらった...
取った歯は原型をとどめてなかったね...
事前に神経傷つけて麻痺が残るかも、とか言われて(親知らずの抜歯は必ず言うだけなんだけど)
それ結構怖かったけど、抜いてる間はもうそれでもいいから早くしろ、って感じでそれどころじゃなかったもんな。
でも切れたら汗だらだら寒気はするは痛いのもどうしようもない切ない痛みだわで。
勿論鎮痛剤はもらって使うけど、切れたらほんとにやってられないから直ぐ飲んでたら足りなくなって
その間ずっと体弱ってる感じだから常に風邪ひいてる様な状態だしまじで3週間くらい何も手につかなかった。
そしてこれはまだ1本目で、後3本同じ様に寝た状態のが残ってるという...
http://anond.hatelabo.jp/20130708005320
これはごく当たり前のことなんだけど、今のお前が応募するであろう求人の労働条件を、働く当人であるお前自身が、冷静に吟味したとするよな?
そしたら、そういう拒絶反応が出るのが普通だから。悲しい現実だから。
仮に職場がブラックだろうが何だろうかどうしたって働かなきゃいけない俺らは、ただ単に、そのへんの感覚を麻痺させてるだけだから。
まともなのはお前の方で、おかしいのは働いてる俺らの方だから。
賃金労働はあくまでも必要に迫られて行うべきものであって、好んで進んで行うようなイイものじゃないんだから、どうしても労働する必要が生じた時になってからしぶしぶ働く覚悟を決めればいいから。
実際は民間の給与が底下げられているため、ただでさえ激務薄給の公務員が、あたかも高給であるかのような錯覚を覚えてしまう。
そう、高給取りの代名詞と叫ばれる大阪市役所ですら特定部署かつ上級役職というほんの一握りの高給取りを上げてさも全体が高給取りであるかのように訴える輩が出てくる始末だ。
本当はそれ自体が錯覚だということに気付けていない金銭感覚の麻痺が民間で働く会社員の間で高まってしまってるのが問題。
そして物事の虚実を知りながら一場面だけを抜き取って高給取りであるかのように捏造し煽動するマスコミ。
実はマスコミの平均年収は1000万近く行く高給取りだったりするのだが、マスコミ内では公務員が高給取りであるかのように摩り替えているわけで、
そこに乗りかかってるのが、日本維新の会もとい大阪維新の会という構図だから笑ってしまう。
しかも、大阪維新の会のメンバーの殆どはそのほんの一握りいる高給取りであるから笑い草にもならない。
彼らは自分たちにとって害のない地方公務員などの下級公務員職を徹底的に叩く事で上級公務員である自分たちに火の粉が上がらないよう気を配っているのだから面白い。
民間と同じく、一種のピラミッドを形成していて一握りの高給取りを大多数の薄給取りが支えている。
その現実に気付くべきだ。
義祖母が老人ホームに入っている。
それはそれはそれはピカピカで豪華なホームで、
清潔だし個室なのでプライバシーもあるし、
各種レクレーションもあり、食事もでて、
これだけの生活が出来る若者がどれだけいるだろう、ってくらい素敵なところ。
義両親は両方共働いているので、付ききりで面倒は見られない。
義祖母は帰宅したい。
義母がホームに行くと、帰りたいとしょぼくれているそうで、
義父は帰宅に反対。
夫も帰宅に反対。
なので、食事に行くと、わたしに対して義母が
「第三者の意見としてどう思う?」
と聞いてくる。
義父か夫が帰宅させようと言ったら、
おそらく私に聞いたりしないのだろうから、
第三者の意見が聞きたいのではなく、自分寄りの意見が引き出したいのは明白。
現時点で義祖母がけっして不幸な環境に置かれているとも思っていない。
したいなら自己責任ですればいいし、
みんなの反対を押し切ってまでの責任が負えないというなら、諦めるしかない。
自分だけがやりたいことを、みんなの総意みたくすすめたい、というのは虫がいい。
もう何回目だろう。このやりとり。
義母との食事がしんどい。
いい加減このやりとりがイヤになってきたので、
次から義両親との食事は断る。
義母は良い人で、実親よりよっぽど好きなのだけど、
このままでは嫌いになってしまう。
「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059
障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716
両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります。
子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。
これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要な観点であると思われます。
この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。
特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います。
というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。
よ く 考 え て く だ さ い。
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。
そして、実際に交尾をして作るわけだ。
では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。
交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供が幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。
可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。
その辺は理解出来るよな?
例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ。日本人の男女が子供を作る場合、その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップルが子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えばこの世では、病気、障碍、事故、犯罪、災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。
子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」
と思って子供を作るわけだ。
「子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険を子供に「無理やり」背負わせるのだ。
子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。
人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから」子供は死ぬ。
出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。
人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。
だが、親はその時期に子供が死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。
そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
「子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。
しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。
どんなに悲惨な状況であっても
その通り。逆に言うならば、
どんなに恵まれた状況であっても
それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。
「子供が不幸になる可能性」とは、
エゴですよ。
ここではそういう話をしているのだ。
まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。
「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。
本人の主観に依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである。
強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である。
絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。
つまり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。
将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。
だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で
他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。
「子供でも産めば何か変わるかもしれない」という
手っ取り早い一人前扱いにすがる。
ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで
これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。
駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。
いくら期待をかけても、結果も親そっくり。
子供は自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ。
自分の趣味を押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ。
彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である。
上記のような理由だけではかっこ悪いから
社会貢献などを持ち出して、さも自分が先見の明があったかのように装い
という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、
「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ。
なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?
人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに
何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う
頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても
最期は大半の人間が病気やなんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う
こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己中
自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない
でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。
別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任。
でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。
助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。
支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。
親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。
その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。
傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います。
そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。
とも言われました。
自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います。
そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。
そもそも子供を産まなければ何も起きなかった
頼んでもいないし産む必要もない
親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?
この世界の地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな
自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると
心底怨みがこみ上げてくる
親が産まなければこんなことしなくても良かったのに
「どうして私の子がこんな目に」
という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。
”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。
何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。
運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。
”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像、覚悟するべきだ。
でもこれらを全て受け入れて
それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。
・そういう考えはネガティブ思考だ
・人間苦労して成長する
・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの
・うつ病じゃないの
と、偉そうなことを言うのである。
「どうして私の子がこんな目に」
「どうして私がこんな目に」
とこうである。
子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。
「ポジティブ思考で苦しんでください」
「人間苦労して成長する」
と言ってやればいい。
いつ子供に自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。
自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合は
親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。
子供が自分で死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。
生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。
両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。
「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。
最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。
それで何の問題も無い。
生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。
生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。
ただ、言える事は、
生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。
人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、
子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。
何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。
この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。
美化などしなくていい。
「子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」
子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。
この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。
その点が異なる。
と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?
どんな心理でか考えて見ればいい。
の都合しか出てこない。
子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。
そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。
子供を作るなと書いてる訳でもない。
これがあるよね、ってだけだ。
それだけ
矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿は勝手にすればいいだけ
不条理も込みでね