はてなキーワード: 苦痛とは
男は自分がすべての異性からから恋愛や結婚の対象にされないという事実を受け入れるのが気が狂うほど苦痛
当時無名だったたぬかな(30歳)の30人同接配信を吊し上げて無数の男さんが怒り狂い炎上し続けるという女では考えられない粘着性もそれが原動力なんだよね
共同親権の話題とDVの問題がほぼ同列で語られてるのは何でだろう。
https://news.allabout.co.jp/articles/o/27719/#google_vignette
なお僕の親は離婚して僕は父と住んだけど、母は早々に再婚して親からの遺産で別荘もらったりと僕から見ると恵まれてたけど、こちらに養育費は払ってなかったと思う。
夏休みとか長い休みに母の所に行かなくちゃいけない事もあったけど、宗教の会合に連れてかれたり、再婚者やその子供と過ごすのもも正直苦痛だった。なんでこいつらうちより幸せそうなんだろう?と思ってた。
共同親権ということになれば、もっと口挟まれただろうけど、養育費だって当然払うことになるんだよね?
あと、Xでは当事者じゃなくて離婚もしてないし、DV被害も私は受けてないとかいう人が大声を上げてるように(観測範囲では)思える。
※もちろんDVが嫌で離婚というケースもあるだろうけど、”DVや虐待があると裁判所が認めた場合、単独親権”と言う要項もあったと思う。
しないよりして良かった?
相談所で活動してるんだけど、お見合い相手と手を繋いだりキスしたいって思えなくて
もう35歳6ヶ月だからずーっとこんな感じどころか、相手はますます条件が悪くなると思うと‥
妥協して結婚して、一緒に暮らすのって苦痛じゃないのかなって気になってたまらない
ツイッターで30台後半で出産に焦って妥協して結婚して、夫が不快!ってアカウントを3つくらい見つけて、
私もこれになるのかな うわーーーーー!今すぐ婚活やめた〜〜〜〜い!って傾いてきてる
良かった結果も悪かった結果も聞きたい
当時、私はとあるカップリングにのめり込んでおりました。マイナーなカップリングです。仮に受けをA、攻めをBとします。公式からの供給も少なく、十数人の方がカップリングについてせっせとツイートしたり、絵を描いておりました。
私は厭に行動力だけがある人間でした。私は専用のアカウントを作って、そのカップリングについてのツイートをしていました。思えば、そんな事なぞせずに暫くネットというものをよく学んでからそういう事をすれば良かったのです。それなのに私はアカウントを作りました。
そのうち、そのカップリングの絵を描いている人達にフォローバックされました。当然、私は浮かれました。相互フォロワーです。それも、フォロワーが100人以上いるような絵師さんとです。彼女を、仮にCさんと呼びます。わたしは友達ができたとばかりに喜びました。
当時は公式からの供給も少なく、各々が行間を読んでキャラクターの人格をそれぞれ定義していました。時折、「もくり」と呼ばれる通話アプリで会話なんかをして各々の見識を深めたりしていました。
ある日、妙なムーブメントが起こりました。
各々の解釈のAを交流させるというものです。今思えば、荒唐無稽な話です。しかし、他人との交流というものは存外楽しいものです。皆各々のAはこうなるだろう、こういう反応をするだろうとツイートをしていました。内輪でしか通じないような、そんなムーブメントです。それでも私は楽しかったのです。多くの人のいいねよりもその人達からの肯定の方が、私には暖かかったのです。
そのうち、「壁打ちアカウント」という物を作りました。その「壁打ちアカウント」にリプライを送る形として、そのA達の交流についての話をツイートするというものです。
当時の私は、突然出てきた知らない概念に、暫し困惑をしておりました。よく調べていれば、そこで済んだのです。
そのうちCさんからDMが届きました。「壁打ちアカウント」についての説明と補足、使い方についてです。それでも、私は分かっていませんでした。フォロワーさんの1人がとりあえず様子見をすると言いました。TLに不安が広がっていました。
その晩、私は通話アプリを開きました。すると、1人のフォロワーさんが通話に参加しました。彼女も、ムーブメントに参加していた人でした。
昔の出来事なので、会話の詳細な内容も、そうなった流れも覚えてはいません。ただ、「一回壁打ちアカウントを作った人達と話し合ってみよう」という流れになった事は覚えています。
Cさんとその関係者が呼び出されました。
何故そうなったのかは覚えていません。フォロワーさんは強い口調でCさんを、まるで自分が正しいのだと言わんばかりに罵りました。内容はよく覚えていません。怖い、と罵られる側で無い私でも感じていました。私は何も言えませんでした。今考えれば、止めれば良かったのです。懇々垂れる罵倒は1時間ほど続きました。
次の日、Cさんはアカウントを消す、との旨のツイートをしました。アカウントを消す事になった流れを画像でツイートしていました。
多くのフォロワーさんの嘆くツイートでTLが溢れかえりました。その人の作品が好きだった絵師さんもアカウントを消しました。
削除してほしく無いと、アカウント削除を重く受け止めていた私はDMで我儘を言いました。いつも話していた誰かがTLからいなくなる寂しさは、当時の私には耐え難い苦痛でした。どうしたら今までの関係に戻れるのだろうとばかり思っていました。もう戻れるはずがないのです。
目くらになった私は、通話アプリを開きました。誰でも良いから相談がしたかったのです。この気持ちをぶつける拠り所が、このアプリくらいしか無かったのです。入室したのは、件の罵倒したフォロワーさんでした。私は、頼れるよすががもはや彼女しか無いように感じていました。目くらな私は、まだ今までの関係に戻れるかもしれないと思っていました。
そのうちCさんはアカウントを作り直しました。私はまたフォローをしても良いかと直接掛け合いました。しかし、件のフォロワーさんと私が通話している所を見た、とCさんは言います。そして、件のフォロワーさんと繋がってしまう恐れがあるからフォローしないで欲しいと私に言いました。
今までみたいにみんなで仲良く、というのはもう到底出来ない事のようでした。
思えば、私があのフォロワーさんに相談なんかしてしまったからそんな事になったのです。当時のことはよく覚えていませんが、その事だけははっきりと分かっています。罵倒を止められなかった小心者で、判断を誤った愚かな若輩者のせいで件の出来事が起こったのです。
女性で管理職になる奴はいても男性は専業主夫やパート主夫になりたがらない
生物学上ヒトはそうなってる
専業主夫やパート主夫に納得づくでなったとしても男はすぐに自分の同期や妻と比べてしまう
他人と比較して優劣を決めたがるのは不毛で馬鹿馬鹿しい行為なのだが男はなぜか人より上に立ちたがる生き物なのだ
昼間からスーパーで買い物をし公園で子供を遊ばせても他者からの「目」が気になってしょうがない
俺はどんな風に見られているのか、昼間から子供と遊んでいるダメ人間と思われているのではないか
そんなことばかり気になってしまう
だから専業主夫になった男はそのうち主夫の仕事をやる気がしなくなる
主婦仕事そのものが男のプライドを削り続けるものだから仕事を放棄することで己のプライドを保ち妻にマウントを取るわけだ
でも収入は妻の方が多い事実は厳然としてあるから妻に怒られるとどうしようもない
女からすると、告白されると思ってない男に告白されたらビックリする。
でも、好意を寄せてる男の人に好きになってもらえたら普通に嬉しい。
もちろん告白してくれたら喜ぶよ。
嫌々でも付き合ってもらえるから、なんかギリギリのところでセーブはしててそれが逆にストレスになったりもしてるんだろうな
スリルを楽しんでるのかもしれないが
謎に権力あるだけとかほんとに断るのが苦手な相手を選び抜いてるとかってだけなら最悪だが
自分(や最終的に仲良くなりがちな人)は逆に、誘うのが苦手で、基本相手が自分なんて求めてないってところから始まるからこっちはこっちで面倒で
上手くマッチングできたらええのになぁ でもすり合わせるのが面倒で合わない可能性も高いだろなぁ
鑑かもしれないので検証
・なぜ基本嫌われている前提なのか
相手をハッピーに出来てない(自分のために苦痛を感じさせる)という状況がクソほど嫌
「相手をハッピーにできない」自分を受け入れるコストが高すぎる ところはあるかもしれない
「あいつ俺と距離置きたがってる感じだったけど普通に笑顔で挨拶返してくれるし、雑談も相変わらずしてくれた」
「俺より明らかに優先順位高いであろう家族や恋人の話とか、プライベートで困ったことの話とかを普通に会話のなかで出してくれる」
頂き系でも普通の知り合いでも、これを感じることでギリギリ耐えてたり、たまに調子に乗って誘ったりはできる。反対でもなんでもない
そこで安心得て、もうちょっと一人で頑張ろうと趣味とかに没頭したり、寂しさをSNSにぶつけたりしてる
そっちがある程度はけ口になってるから、突き進めなくなってる
後ひょっとしたら若い頃に勢いでそれなりに成功体験得て、そこがピークで頑張ってもそこを超えられない自分になってるのを自覚するのが辛いとかもあるかも
・キャバクラ等
考えるだけで悲しくなるけど、相手の手の内がある程度わかってるので、
百戦錬磨にうまいこと転がされてるロールプレイしてると思って、基本的には楽しめる
実際よっぽどの戦力差がないかぎり、勝ちつ勝たれつだし、
他のおぢには切らないカードを切らせて時点で自尊心満たされるし
完全に立場が下の人、誰にでも優しい人にそれほど興味を感じない
他の人間より若干でも「尊重される」側の人間で居られないと生きていけない(と思って色々食いしばってる
ビーチの話はぜんぜんわからん
祭りは好きだ
アイアム40過ぎの独身おじさん。
数時間くらいなら別に大丈夫なんだけど、半日くらいで限界が来て一人になりたくなる。
家族ですら無理。
そして一人で何かする訳でもなくマンガ読んだりゲームしたり、ぼーっとしてる時間が気楽で好き。
色々と考えた結果、自分は超ワガママで自らのペースで動けない事に苦痛を感じるダメ人間なのだろうという事が理解出来た。
若い内は「こんなんじゃダメだ」と何人か付き合ったが、マジで些細な事が嫌になって別れたり、本当は私の事が好きじゃないんでしょと言われて振られたり、ってのばかり。
実際、相手を本当に好きだったかと問われたら即座に「はい」とは言えない。
単に世間体だったり自分勝手な性欲目的で付き合っていたと思う。
絶望的に向いてないんだ、誰かと一緒に居ることが。
ひっそり生きてひっそり孤独死するべきだ。
年増だけど、相手は38歳以下じゃないと絶対に嫌なので、相手の年収低めに設定してる
年収がマシなのとそこそこ顔がいいのでこの条件だとそこそこ見合いは組める
でも、「運よく子供が生まれたら、お金は私が稼ぐので、あなたに育休取得と時短勤務をお願いしたい」というと絶対に誰もうんって言わない
自分より年収高い相手と結婚しといて、育児もしてもらうつもりなのかな
■追記---------------
私が相手に専業を求めてると読み取る投稿が結構多いがそんなことは書いてない タイトルと最初の3行くらいしか読んでないのだろう 全部読んだうえで専業云々言ってるのはだいぶ読解力がまずい
300万程度稼いでくれやって感じ
男→女なら要求としてはありふれたものだが、予想通り反発が大きい
これで女は下方婚しない!とは笑わせる
男は大企業しか時短認められないんです!ってなら仕事辞めてパートするしかないんじゃない?そしてある程度子供が大きくなったら派遣として働いて下さいよ
まるで女ならみんな時短できるとでも言いたげだが、そんなことないからな できない会社に勤務してた女は仕事辞めてんだよ
ちなみに増田の会社は中小 増田の年収が高いのは管理職だから 会社には男も一応時短取る制度はあるけど使われてない 腹立たしい
パートが一日六時間、時給1100円、稼働22日で14万6千円 年収で170万ちょい超えるくらい
派遣が一日八時間、時給1500、稼働22日で26万ちょい 年収で316万ちょい
安いね 屈弱的だ 離婚されたら困っちゃうね 女だってそうだよ
話は変わるが、そもそも下方婚とやらの上下の基準が年収だけなのもおかしな話だと思う
妊孕力、年齢、容姿 それらのほうが努力でどうにもならない分貴重だ 年収なんて転職や失業でなど簡単に上がることも0になることもある
多少の年収を盾にエラソーナ事を言ったが、寝集なんて脆い
はてなやXのバカは20代年収300万の女が40歳で年収1000万の男と結婚することを女の上方婚だと思ってるらしいが、総合すれば女の価値のほうが高いので、これも女の下方婚だ
(私は若さこそがもっと価値があるという価値観なのでこうなる 当然人によって同じ婚姻を見ても女の下方婚なのか上方婚なのか異なる)
■現実には---------------
ただこの投稿はミラーリングの釣りってわけではなく、本当の年収は800、年齢は34 男性の年齢は37歳以下で探してるので、本当より荒れそうな値を設定したが、ほぼそのまんまだ
こんな感じなのでほぼ確実に年収下方婚はしないと思うが、自分より年収が上の男は探してないので、未婚のまま生涯を終えると思う
■生涯独身---------------
ある程度自由になる金があっても、家族がいないのは相当に不便や孤独がある
いまは親も健在で、体も健康で頭も働くので何でもできる 今の仕事を首にされても食いっぱぐれる心配もしてない 何某かでやっていける自信はある 一人暮らしでも寂しいと思ったことも一度もない
親亡き後、老いさらばえた体での孤独を思うと、たとえ貯金が一億あろうと足がすくむ
趣味があるから、家族と仲がいいから独身でも大丈夫!というアラサー女性の独身肯定発言を見てると、甘いなと思う
私も趣味はいっぱいある それなりに友達もいる でも、年老いた一人きりの人間の立場は、若い人が思うより弱い
賃貸だって借りづらいし、入院するにもかなり苦労する 老人ホームだって身元引受人がいないと入れない
後見人制度もあるが、後見人が悪用するケースがよくある 発見してくれる家族もないので、おそらくわかってるよりも悪用ケースはかなり多いはずだ
でも少数ながら幸福な老後を送った天涯孤独のとしよりも知ってるから、婚活するよりエリート老人目指して邁進すべきなんだろうなと婚活してて思う
行政書士の資格を取って先に述べた後見人となり孤独な年寄の財産を守ってもいいし、立場を悪用するような事例を防ぐサービス考てもいい、若いうちにやれることはたくさんあると思う
幼少期よりある身体症状に悩まされていた私は、保険のきかない薬という高度な医療科学の力を借りて元気になった。まるで魔法のように困りごとは消え、人生を楽しむための障壁はすべて消え去った。
ところが最近、その魔法を使いすぎて血が固まってきたらしい。血液検査の結果を見た医師に薬を控えるよう言われ、処方箋は当然ながら貰えなかった。断薬期間を設け、それから血液検査をしてみようとのこと。納得して帰った。
断薬期間は大変だった。すっかり忘れていた苦しみを思い出し、しかし対処法を忘れていたので昔より苦痛だった。魔法のない生活に慣れた頃、再度病院に行った。そこで聞いたのは思いがけない言葉だった。再投薬は難しいという。医師が検討した結果、薬の影響力が強かったので、専門家として処方するわけにはいかないとのことだった。
てっきり薬をもらえる気でいたのでびっくり、そしてガッカリだった。どうにか処方してもらえないかと食い下がってみたものの、医師の意思は固かった。代わりになる薬を提案され、それを処方してもらうことで決着した。
寝返りをする度に痛みが走る
結局朝になってしまう
軽く朝食とったら眠くなってしまう
在宅勤務なので直前まで寝てもいいけど、業務開始まで2時間程度
目を覚ますためにコーヒーを飲むも、寝不足で胃の調子が悪いのか具合が悪くなる
書類に目を通しているがさっぱり頭に入らない
体が軋む
心身ともに不調…
何か嫌な事が立て続けに起こるな…
高次脳機能障害の人消しちゃったな。
いい文章だったが消すだろうと思った。いやまったく非難してない。思うようにすればいい。
俺が増田で見た中で一番好きな、実直な兵士のような葬祭場勤めの人の文章を並べて眺めて人間のプライドということについて考える。
それはよく誂えた装具のように身体に馴染みもすれば、風化して動くそばから崩れようともする。
プライドと言葉が自分と現実世界との間の媒質として存在している。
いずれ誰もが負ける。老いに追いつかれ恐怖と苦痛でボロボロになって死ぬ。
その混乱した退却戦において、あああのことについてもっとよく考えよく験してしっかりと握りしめておくんだったと思うであろうことは自分の場合プライドと言葉についてだろう。
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
産まれてから言葉を話し始めるのが遅かった時点で気づくべきだった。検査したら発達障害。今は5歳だが、既にアトピーで皮膚はボロボロ。意思疎通が下手で情緒も安定していない。
私も配偶者もお世辞にも頭も容姿もいいとは言えないし、息子は将来成長しても弱者男性まっしぐらだろう。まさか自分が末代を作ってしまうなんて思ってもみなかった。
いくら実子だとしても、実子だからこそ、見たくないものを直視しなければいけない苦痛がある。愛情がないわけではないけど、自分の子供が、世間一般で見れば平均以下だと認めざるを得ない。
こんなことなら病院が間違って隣の子供と取り違えていて欲しかった。せめて自分の子じゃなければ、そういう性質を持っていても優しい気持ちで受け入れられたのにと思う。
例えば増田はその昔Comicoで連載していたももくりという漫画が好きではない
ストーカー気味のヒロインと年下の主人公のラブコメだったはずだ
中盤くらいまでは面白く読んでいた記憶はあるが、如何せん昔過ぎて内容はもうあまり覚えていない
ともあれ、嫌いになった要因として、その中盤で突然、全く魅力のないサブキャラクターが主軸に置かれラブコメが始まったからだ
出てきて、放課後に主人公を遊びに誘う程度、教室内でも二、三言話はするが内面描写などほとんど無いキャラクター
それがいきなり主役面をして、これまたヒロインの友人という描写の少ないキャラクターと恋愛をしだして、なんだこれはと思ったものだ
主人公とヒロインのラブコメが目当てだってのに、魅力の表現がされていないキャラクターの話をされても苦痛なだけだった
と、嫌いな理由はまだまだ書けるのだが、好きな作品に関しては熱量を持って書ける気がしない
例えば、同時期にComico連載していたネト充のススメが好きなのだが、これはオンラインゲームで交流を深めていた人間とリアルで出会い、人間関係が発展していくラブコメだが
主人公がどんくさ可愛い、ヒーローの顔が良い、といった酷く表面的な、なんとなく好きを語ることしか出来なくなってしまう
明らかにネガティブを語るよりはポジティブを語った方が良いと思うのだが
嫌いを語るエネルギーをどうして好きを語る熱量に変えられないのか
分からない
三島由紀夫は日本を代表する文豪・憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。
三島由紀夫はかなり多作な作家で、小説・戯曲だけでおそらく200作を超える。
新潮社の三島由紀夫全集はバカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間は三島の専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。
三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白、潮騒、美徳のよろめき、鏡子の家、憂国、豊饒の海がある。
私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまらぬ観念を語るだけの作品、あまりに紋切り型の恋愛作品が多すぎて、読むのが時間の無駄・苦痛だ。
2021年に『三島由紀夫vs東大全共闘』という映画が公開された。三島由紀夫 = 憂国の士という共通認識を前提とした筋書きのようだ。
しかし当時(1969年)の共通認識は「ややこしい人がクビを突っ込んだな」である。
当時の三島由紀夫はボディービルディングに熱中したり、鍛えた裸を披露するために自分の映画や写真集を作ってみたりと、脇道にそれる活動が多く、作家としての存在感が薄らいでいた。
それどころかいい年したおじさんなのにUFO・超能力の探求にハマったり、ハタチそこそこの若者を誘って私兵部隊を結成したり(後に市ヶ谷駐屯地に突入した楯の会である)と、お騒がせキャラクターを確立していた。
つまりUFO・超能力に興味があり、自分の映画・写真集をつくり、若者を集めて軍事訓練を積ませている40過ぎのおじさんが、ソ連・マルクス主義の嵐が吹きすさぶ東大に入って論戦しようというのである。いくらなんでもツッコミどころが多すぎるよ。
当時は同性愛・天皇礼賛主義への偏見が強かったこともマイナスイメージを形成しており、三島由紀夫は"へんなおじさん"であった。
散々語られていることだが計画性がなさすぎる。拡声器すら用意していなかったとは…。
偉い人を人質にとって吠えれば自衛隊が動くと思ったのだろうか。組織とはそのような属人的なものではない。
ずさんな計画のわりに、割腹自殺の準備だけはキッチリしていたらしいが。
派手に割腹したかっただけでしょ。割と当たっていると思う。三島由紀夫がエッセイや映像インタビューで度々語っているお気に入りのエピソードに、終戦の日に夏の静かな日差しを見ていると自分は"生き残ってしまった、後に残されてしまった"という強い感覚を持ち、それ以来死に場所を探しているという話があり、その"死に場所"を選んだということなのだろう。
三島由紀夫はエッセイストとして優秀だとおもう。"高貴なる野蛮人たれ"という言葉を残した。上品で、教養があり、裕福な人間は一見洗練されているようではあるが、実は個性がなく退屈で、柔順で、脆弱な人間なのである種の誇り高き野蛮さを備えておくべきだという三島由紀夫の主張。この主張は私の人生の指針にもなってきた。
ただ文豪・憂国の士というのは過大評価であり、観念に引きこもるあまり最期は周りに迷惑をかけて死んだへんてこ作家、くらいが妥当な評価だと思う。
わたしは少し前までとある男性声優Aを応援していた。アニメコンテンツに声優が強く結びつけられ売り出されている今、キャラクターからそれを演じている人を好きになって他の作品も観るようになって個人イベントなどにも参加して〜、とまあよくある話だと思う。
が結果、色々と疲れて降りてしまった。またとんでもなく苦手な人Bができていまだに自衛(本人はなにも悪くなく全く身勝手な言い方だが、わたしにとってBを避けることは自衛としか言いようがないためそのような語を使わせて欲しい)に苦労している。
ここでは特定の個人を批判したいのではなく、またこの先声優を好きになるかもしれない人への注意喚起などという大それた目的があるわけでもなく、ただ自分のどういうところが問題でこうなってしまったのか整理をしたい一心でこの文章を綴っている。色々と未練がひどく見苦しいので、「降りたければ勝手に降りろ、後からごちゃごちゃ言うな」という考えの人はこの先読まないことをおすすめしたい。
最も根本的な問題は、声優はとっても競争の厳しい業界だということである。
なんだ、そんなことか。まあそんなことである。アニメや吹き替え、ナレーションなどぽんぽん新たな仕事が入るような人間はごく僅かで、さらにそのように売れて見える人でもオーディションをものすごい数受けてようやくひとつ掴み取っているくらいの競争率の激しさだという話は有名である。そのため、まあそこそこアニメオタクに名が知られている程度の声優だと、アニメや映画の吹き替えよりイベントがメインの仕事になることもざらであった。ちなみに声優のイベントとは、キャラクターを背負わずに本人がそのオタク向けにトークをし、場合によっては企画をこなしたり朗読劇を行ったりするというものである。
わたしが応援していたAもそんな感じだったので、ある程度情報を追うようになってからはイベントに参加すべく遠征するようになった。しかしここで(わたしの中で)問題が発生する。
第一に、イベント仕事はわたしにとって望ましい(見たい)仕事ではなかった。わたしはAの声と演技に惹かれてファンになったので、特別イベントで動いたり喋ったりしているところが見たいわけではなかった。本当はもっとアニメに出たり映画に出たりして欲しい。しかしオーディションに受からなければ仕方のない話なので、せめてイベントの売り上げに貢献して次の仕事に繋がれば、という気持ちで参加していた。とはいえ、初めの頃はAの話を聞けるのが興味深くまた生朗読などもあったためそれなりに楽しんでいたと思う。それでも、あまりにもイベントの仕事ばかりが入ると次第に不満に思うようになっていく。はあ? またイベント? ということはこの時期の収録の仕事はないのか。来期は期待できない? このように、イベント仕事が入る=その日のスケジュールが空いていた=きっと何らかの作品のオーディションに落ちたのだろう、という思考になり、イベント仕事の予告を受けるのが苦痛になった。
そもそもどうしてこんなに事務所はイベント仕事を詰め込むのか。もっとオーディションに力を入れたら。あるいはオフを作ってでも演技に繋がるようなインプットをすべきでは。お喋りをして既存のファンの相手をするイベント仕事では演技力が向上し次の仕事に繋がるとは到底思えなかった。
さらに金銭面。遠征費、イベントのチケ代、グッズ代などは決してバカにならない。ただでさえ積極的に参加しているわけではないイベントなのに、こんなに出費がかさむなんて。もっと売れっ子の声優のオタクは無銭でも十分な供給があるのに(というか気楽に口を開けて待っているだけで新たな出演作を次々享受できるのに)? わたしはAの声と演技がもっと見たい(聞きたい)だけなのに。こんな風にしてどんどん不満は大きくなっていった。それじゃ、興味のないイベントには参加しなければ良いのでは。この話を聞けば誰だってそう思うだろう。でも当時のわたしはそうするわけにもいかなかった。とにかくイベントの席が埋まっていなかったからだ。
ここに第二の問題がある。イベントに行くと、ひとりで応援していただけの時は知らなかったような情報が嫌でも入ってくる。例えば、Aの熱心なオタクがどの程度いて、Aにどのくらいの動員力があるか。例えば古参のオタクの人間関係がどんな感じで誰が疎まれているか。わたしはイベントに行った結果、応援しているAがなかなかイベントを埋められず他の共演者の力を借りてようやくチケットがはけたという話や、煙たがられている古参がいることを知った(ちなみにこの古参オタクにグッズへの金銭のかけ方でマウントを取られるなどしたが、それでも他のオタクたちに陰口を言われているのは可哀想だと思った)。正直ショックだった。好きな声優を応援する上でこんな余計なモヤモヤを覚えることがあるとは想像もしていなかった。特に人間関係については深く首を突っ込まなければスルーできたかもしれなかったので、ちょっとでも社交的に振る舞おうとした自分はバカだったと思うし普通に後悔している。ただし声優イベントは昼夜公演の間に数時間程度の空き時間が挟まることが多く、この時間で交流が生まれやすいというのが罠だと思う。
とまあこんな感じで、いつしかわたしはAの仕事にものすごい不満を覚えるようになっていった。なんでオーディションに受からないのか。イベント仕事ばかりで、そのイベントの席さえ埋められないとはどういうことなの。イベントを埋めるためには知名度と熱心な新規ファンの獲得が必要で、そのためにはやっぱり作品に出演するしかない。それなのに作品の仕事がないからといってイベントばかり出て、それで肝心のオーディションには落ち、やっぱり空いたスケジュールの穴をイベントで埋める(かといって席は埋まらないが)という悪循環に陥っている気がした。さらにファンの関係だって、新規がいないから過度に煮詰まってしまって疲弊したり拗れたりしているところがあったように思う。ここでも、新規ファンがいないために固定のファンダムが形成され、それによって新規ファンがより参加しづらくなりさらにファンダムが固定化され、結果としてただただ現在の固定層が金銭、体力的に疲弊していくという悪循環がある気がした。とにかく何でもいい、作品に出て、お願い。そういった気持ちで新しくアニメ化する作品に望みをかけ、このキャラクター演じてくれないかなあと公式発表日をドキドキして待ち、玉砕。こうやって勝手に裏切られるような気持ちになることが増えていった(個人的にかなり期待していた一大プロジェクトのキャスト発表を2年近く待ち、結果そこに名前はなくてショックで4kg痩せたこともあった)。
このように現状へ不満を持つと次第にどのような感情が生まれるか。他の声優への嫉妬である。これは第三の問題であると同時に最も厄介な問題だった。
先述の通り、声優は多くの場合、作品出演権利をオーディションで勝ち取ることが求められる。つまり、わたしのようなただひとりをがむしゃらに応援している人間にとっては、同じ業界の人間は全員ライバルに見えるのである。さらに実はこの役を受けていて(落ちた)〜、のような裏話は意外と聞こえてくるものであり、だんだんと同じような声質で同じポジションの役柄を争っている人たちがどういったメンツかということなどが分かってきてしまう。Aを応援する気持ちが大きくなればなるほど、その他の同業の人への複雑な気持ちも堪えられなくなっていった。
また声優は共演した相手と仲良し売りをすることがしばしばあり、他の声優と掛け持ちするオタクがかなり多いように見受けられた。わたしのようなアンチオンリー(Aしか好きじゃない、むしろA以外はうっすら嫌い)状態と化した人間にとって、同じスタンスのオタクを探すことはなかなか難しく愚痴や鬱々とした気持ちを共有することもできない。
さらにそのような状況で、とっても苦手(マイルドに言えば苦手だが本当は嫌いと言いたい)な声優Bができてしまった。苦手になった詳しい経緯は省略するが、主に以下である。
・応援していた声優Aと同世代、かつめちゃくちゃ活躍しておりそしてわたしにはその良さが分からない
・応援していた声優Aと仲良しアピしていたくせに自分が売れた途端もっと売れている声優にすり寄るようになった(ようにわたしには見える)
・応援していた声優Aの演技を幾度となくイジる、Aのオタクも集まっている個人イベントでAの過去のやらかしエピ(大御所に演技のことでガチ怒られしたというあまり笑えないもの)をなぜか話すなど、気のおけない仲良しアピにしても度が過ぎているのでは?という発言が目立った
・わたしがAがらみで唯一仲良くなったオタクがBに担降り、しかも顔から入ったリアコらしくAを応援していた時とは明らかに違う応援の仕方(Bくゅよちよち、みたいな感じ)をしている
つまり嫉妬である。100%見苦しい嫉妬だ。自分でも分かっている。なのに一度苦手意識を待ってしまった今、本当に苦しくなってしまった。
結局、わたしは好きだった声優Aを応援するのを辞めた。費やしたお金や時間が無駄だったとは思わないし楽しい瞬間もそれなりにあったが、これ以上新規の仕事に勝手に期待して勝手に裏切られる気持ちになる、あの感じを繰り返すことに耐えられなかった。何よりAのこれ以上の活躍を信じられなくなった。
そして、Bへの強い嫉妬心と苦手意識だけが残った。Bの出演作や関連するもののSNSアカウントは全てブロックしているしワードも出来るだけミュートしている。もちろん悪口などを書き込んだことなどなく、誰にも迷惑はかけない形で最大限自衛しているつもりだ。それでも、Bを思い出させるもの(出演作の主題歌とそのアーティスト、キャラクターのグッズ、コマーシャルなど)は日常の中で幾度となくすり抜けてわたしの目の前に現れ、その度に鬱々とした気持ちになる。また新たな出演作が決まった時が最もひどい気分で、Aへの熱量はもう手放したはずなのにどうしていまだにこんなに落ち込むのだろうと泣きたくなる。現在は声優オタク界隈から離れAもBも関係ない作品にハマっていて以前よりも心穏やかにいるのだが、これから万が一にもBが関わってきたら本当にどうしようか、ということが心底恐ろしい。いっそもう何もアニメにならないで欲しい。声がつかないで欲しい。どうか、わたしの好きなものをノイズなく好きなままでいさせて欲しい。
とはいえ全てわたしが異常なのでありAもBもその他のオタクたちも誰ひとり悪くない、ということは十二分に分かっている。結論としてわたしの反省すべきところと学びを記してまとめにしたい。
・生身の人間は文字通り人格のある生きている人間であってわたしの思い通りにはならない。そりゃ仕事のない時期だってある。生きた人間に理想を重ねて夢を見るときはそのことに自覚的にあるべきだ
・お金を払うのは常にその時に受けるサービスへの対価である。例えば虚無のイベント代を払うことを将来の投資と思ってはいけない
・生身の人間たったひとりに自分の人生レベルで体重を乗せて応援することは危険。せめてそのような相手をふたり以上作り、テンションの浮き沈みに対応できるようにした方が良い。あるいは他にも趣味を作ろう
・アンチオンリータイプの人間に声優のオタクは向いていない(目に見えて競争の世界、イベントなどで嫌でも絡みを見せられるなどの理由から)
【余談】
最後に、キャラと声優を同一視することについて補足するが、もちろんその問題点については理解している。ただ一度声優のオタクになるとキャラを見てどうしても声優がチラつくという頭になってしまい、これは普通に嫌だな〜と今になって思う。本当に自分勝手な話だが、キャラクターを見ているはずなのに中の人の雑念みたいなものが入ってきてしまいアニメが苦手になった。もっとフラットにアニメを見ていたあの頃に戻りたいよう。