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はてなキーワード: 自己犠牲とは

2024-04-08

サウナ推し活、筋トレ

最近は、時間ができると「サウナ行きたい」と思うことが多くなった。

中年にさしかかった年齢のせいなのかもしれないが、最近世間的にもブームになっているから、きっとみんな、昔より、サウナに行きたがっているということなのだろう。だが「行きたがっている」というのは本当だろうか。みんなただ単に、やることがないだけではないのか。

現代自分を含めたある種の人々には、やるべきこと、欲しいもの価値のある行為が何もない。SNS時代にはすべてが細分化され、相対化されてしまう。映画音楽文学も、たくさんの人がそれを見たり聞いたり読んだりすることで名作になるのではないかしかし、そういうことはもう望むべくもない。あらゆることは、単なる好みの問題しかない。

それが楽しめるなら、幸せだろう。しかし誰も自分の好みだけで生きていけるはずがない。「推す」なんていうのも、すべてが相対化されてしまったあとに何かを信じるために、自分を「推し」に明け渡す、ある意味宗教的自己犠牲のような行為だと思う。

「推す」というのは、自分を信じられない人間が考え出した、自己否定による「好み」の止揚だ。

そして、現代におけるサウナとは「推す」ことの裏面ではないだろうか。

「推す」が、自己否定から他者を経て創造される「生きる意味であるとすれば、「サウナ」は、自己否定自体の緩やかな肯定である

あらゆる価値が相対化され、何も信じられなくなった人間には、本当の意味欲望がない。やりたいことも、欲しいものも、行きたい場所もない。しかし、そのことに向き合ってしまうのはとても危険だ。それ自体フィクションに過ぎないとはいえ「生きる意味」がなくなってしまうからだ。

そこでサウナとは「何もしない」ということであり、サウナに行くとはつまり「どこにも行かない」ことだ。つまり欲望すべきものがないということを、「何もしない」をすることで、無理なく肯定する。「すべきことがないので、何もしたくない」という恐ろしい事実に目を背けつつ、何もしないままで何かしたような安心感が得られる。そういう効果サウナにはあると思う。

自分は縁がないけれど、おそらく筋トレにも近いものがあるだろう。「筋肉は裏切らない」というキャッチコピーがあるが、それは、ほかに確かなものが何もないという絶望しか聞こえない。

信じるに値する価値がないということを、他者を通じた自己犠牲で埋め合わせるのが「推し」、信じないこと自体を信じることによってやりすごすのが「サウナ」、自己をモノとして信じようとするのが「筋トレ」といった感じだろうか。

なんでもいいから何かを信じて生きたいと思っているが、とても難しい。

2024-04-07

すずめの戸締りの手つきの雑さ

すずめの戸締りを金ローでみた。

終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。

以下、ネタバレ注意。

見てて気になったところ。

震災人間がとめれるという無神経さ

震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。

人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災操作できるものにすることで、個人責任帰結してしまう。あまり自然災害本質とかけ離れている。

・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ

じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしま

・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ

あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。

いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォー独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?

そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。

ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?

つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。

叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女意志でなければ前に進める訳ないだろ。

ダイジン震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ

ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛自己犠牲選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリー安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?

・結局世界は何も変わらない

すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジン解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。

世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去自分を抱きしめられた」だけだ。

いやそれは別にいいよ、内面の成長を描く物語もすきだよ。

でもじゃあ、この震災テーマ、いる??

今辛く苦しくても生きていけるよ、って、一人の女の子ストーリーとして描けばよかった。

震災というモチーフを取り扱う必要あったか? こんなに雑にとりあつかうならさぁ、なくてよかったでしょ。

2024-03-31

自己犠牲を選ぶタイプ主人公

最初の時点でドラクエ3父親見つけるみたいなはっきりした目的もなく冒険に巻き込まれて、

本人の欲求(仲間を救いたいとか)がラスボスを倒すことでしか満たされないようなときは、追い込まれて最終的に自己犠牲にはしりがち?

 クロノ : クロノトリガー

 主人公 (キタロー) : ペルソナ3

 ティーダ : FF10

2024-03-26

『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』

単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。

その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である

たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジム所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。

対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイド生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。

でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。

持つ者はいいよな~?

それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから

畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガン綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。

金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。

じゃあどうする?

正攻法じゃ勝てねぇから、腹を決めてぶっ壊れるしかない。

そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――

とても悲しい事だが、持たざる者努力をすると、自律神経が乱れ、情緒不安定になり、ノルアドレナリン闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキー毎日突入やすい。

怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。

そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。

しかしながら、試行錯誤――破壊再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。

そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。

一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップワードだろう。

ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生でろでろに腐ってゆく。

からこそ、ファイトクラブ名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしくフルスイングで開き直って、「人生自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫びハイリスクな一歩を踏み出すしかない。

というのも、代表的弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。

そんな絶望境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギー必要になってくる。

寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。

そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。

であるからハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。

いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。

その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。

その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。

そして、精神コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。

やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズ人生渡り歩ける訳じゃない。

人類社会に立ち向かって、一所懸命努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。

とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。

すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。

そうなれば必然的に、こちらの心も殺伐としてしまう。

そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である

といった流れで、『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』という、悲しき物語が広がってゆく。

2024-03-24

anond:20240324151949

公僕の家に生まれたのなら、国家の礎となるため自己犠牲

侍の家の子ならみな出来ていたことに候。

公僕とは侍なり。

民草のため己を捧げることに生きがいを見出す侍なり。

2024-03-22

anond:20240322152945

「待たせてごめんなさい」がホラーすぎる

増田恋愛のこと本心で話せる友達少ないか親との折り合いあんま良くないんやろか

度を超えた自己犠牲精神と、外付けセキュリティ(友人・家族)があまり機能してなさそうなのが気になった、実家には帰れてるみたいやけど

2024-03-12

anond:20240312141813

ロキキレイすぎるくらい綺麗にマルチバース問題解決してくれたから、カーンもお役御免でいいかな、という気はする。

ここでまたカーンが大物ヅラして出てきても、ロキ自己犠牲台無しになりかねない。

2024-03-01

FF16の一体何にもやもやするのかを言語化してみた

FF16のネタバレあり批判記事です。プレイ済でFF16に思い入れのない方向けです。

ゲームシステムより、シナリオ面にフォーカスしています

FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。

いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラスト米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。

思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。

だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。

ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。

本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。

良かった点・悪かった点の箇条書き

以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。

この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。

悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。

FF16の良かった点】

映像がきれい

・サブキャラ人間味がよい(ベネディクタフーゴディオンあたり)

・先代シド「誰もが人として死ね場所」を引き継ぎながら、

  主人公さらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)

・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)

ラストのクライブ清濁併せ呑む決断|<

じゃあ悪かった点って何なの?

FF16の悪かった点】

1.緩急がない

・クスッと笑えるようなネタほとんどない

チョコボ音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)

・ていうか音楽が終始暗め

ミニゲームない

・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動シナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない

2.シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い

テーマの根幹であるベアラー奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力ロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。

ジョシュアがなんで主人公自分生存を隠していたのかが意味不明物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!

あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ

アルテマバルナバスも主人公に甘い。ディオンあんなに狡猾精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。

思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに


・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)

3.メインキャラの設定がペラペラに薄すぎる

主人公キャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった


主人公ジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……


・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃん愛情深く飼ってくれ

ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。

愛する主人公ピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。

性格的に自己犠牲っぽい割に基本的受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……

本当はもっともっとかいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛

結局、何が面白くなかったのか

悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。

1 緩急がない

いいコンテンツには緩急がある。

例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットデートできてしまったり、
戦いの日々の中にも思わず笑ってしまセリフちゃんとあるメテオ無視してスノボしまくることもできる。

FF7リメイクエレベーターの中でのバレットクラウドの会話
バレット「お前いくつだ?」クラウドファーストだ」
バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。
クラウド自意識過剰バレット調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。

FF16は音楽キャラシナリオシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しい叔父さんくらい。(砂漠叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターみえたが)周回するのも辛い。

お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!!
メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオ面白くないと無理ある。


2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い



語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。
1つ2つなら許せるけど、続くと
キツい。


好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものネット考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)



なんというか、シナリオキャラ自然に動いてない感じがある。

作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなたキャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。



RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像リアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。

3 メインのキャラ作りがペラペラに薄すぎる



もう、一番はこれ。薄い。クライヴジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。

全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックス葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。



クライヴ騎士気質ベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。



クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。



ジョシュア健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。



ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。


そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴ自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?

ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??



一言でいうと3人とも「こんな人間いねーよ」なのである



良いところでも書いたように、サブキャラちゃんキャラがあるんだよ。ディオン父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。


「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPG主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。



ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラペラ映像技術キャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。



キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。
1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。


例えばだけど、FF10のメンバークレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。
FF7なんて、どん兵衛コラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観キャラを置いてもちゃんキャラが動くからすごい。荒唐無稽舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。



が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。



2も性格設定に基づいてキャラ自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる

いいコンテンツとは何か?



荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦漫画術』の中で、以下のように語っている。

>

実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。

重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。


この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらセリフという「言葉」でそれを補う図式となります


つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつ世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。



2015年 荒木飛呂彦荒木飛呂彦漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用



漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームアニメにおいても同じだと思う。


FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いかストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマ説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。

で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。



漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくら絶妙バランス宇宙をつくっているのがいいコンテンツコードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。 

別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。
完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。

ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。



なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこ伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。
特にFFみたいな巨大タイトルナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。



さ、これでようやくずっとくすぶっていたFF16に対する気持ちの供養が終わったので、FFリバースやります!!!!!

2024-02-19

とにかく承認欲求を満たしたいんだけど何がオススメ

ゆーて水商売相手に金使いまくって褒めてもらうとかではなくな。

なんかこう凄いことを成し遂げたいんだよね。

けん玉ギネスに載るみたいなどーでもいいゴミみたいなことじゃなくてね。

なんかこう人類に貢献したって感じで行きたいんだよね。

ボランティアとか寄付とかの結局は時間と金を捧げているだけのじゃなくてね。

なんかこう自分の優れた能力努力の賜物みたいなのが欲しいんだよね。

轢かれそうな犬をトラックから助けるみたいな自己犠牲じゃなくてね。

なんかこうある意味で血迷っただけの人じゃとても出来ないことがいいんだよね。

なんかあるかい

anond:20240219212140

いや全然わかってないな。

オタクは、単に自分お金をかけたくないだけで、自分というか男の身体みたいな毛むくじゃらで本質的に醜いものを取り繕うことに金をかけてるくらいなら、「趣味=好きなこと」にお金を使いたいと思っているだけ。

重要なのは推しお金をかけたい、お金をあげたいという貢ぐクンな発想は主流ではないこと。推し商業的に成功することは喜ぶが、それはコンテンツが盤石になるから

その意味お布施ビジネス方向性に対する「いいね」なの。女性オタクのように自己犠牲的な献身布施推しに愛を示してる感覚ではなく、酔狂自覚しつつも「いいぞもっとやれ」で運営に金をばら撒いてる感じ。

推し金持ちセレブになってほしいわけじゃない。むしろそういうセレブ風吹かす我の強そうな女性オタクは嫌う。

から推し3次元ならその人自身が富むことより、その事務所が富んでよりリッチ商業展開をしてくれるようになることを望む。

なんなら、タレント本人は親近感が湧くような生活レベルであったほうが好ましく、雑で男っぽい趣味嗜好だとなお良いと思う人が多いくらい。

そしてそれを理解してる女性タレントは自ら親しみやすアピールをするようになるし、セレブ感をちらつかせることが男性ファン商売では悪手だと気づいていく。

女性女性タレントに求めるのは洗練されたセレブロールモデルかもしれないが、男性女性タレントに求めるのは手が出せそうな身近な女性っぽさなんだよ。

そうやって男性芸能ファンは、お金の払い方によって疑似恋愛ごっこに向いた人材商業モデルを選別しているわけ。

2024-02-05

anond:20240205152335

かにおじちゃんの口は酸っぱい匂いがするよね。自己犠牲精神からだったのか・・・

でもリステリンマウスウォッシュしましょうね。

あれほど口を酸っぱくして言ってるのに

2024-02-04

ブラザーペナルティ」という用語が広まるきっかけになったのってどうもこの写真っぽいけれど、

この家庭の場合四人きょうだいで、一番上の姉には弟だけじゃなくて妹もいるって事だよね。

なのになんで「弟のいる姉」だけの問題にされるのか

上手い事美味しい汁を吸ってる妹の存在は透明化されるのか

女同士の格差っていつも巧妙に覆い隠されるよな

https://twitter.com/kiyoneko0214/status/1753045132755271860/quotes

@cowb5ar0kxr3

·

22時間

下の3人きょうだいのために自身の進学を諦めたお姉さんの自己犠牲献身が「派手な学歴」を並べるために覆い隠されてるのグロすぎるな

TADA

@kiyoneko0214

この写真エモい

から藝大、藝大、東大

私が生まれた時からシングルマザーで育ててくれた母親。ここまで育て上げてくれてありがとう。貧しい中で好きなことやらせてくれてありがとう

末っ子学生生活が無事終わります

藝大修了作品展明日最終日です。よろしくお願いします。

2024-01-21

[B! 生物] 母イカの究極の自己犠牲映像に収められる、卵を抱いたまま9カ月絶食して死ぬまで泳ぎ続ける

https://l.pg1x.com/1ou1HPg8dPXaFWiq8


theatrical 自己犠牲っていうか、ただの本能だし、多分食欲も感じないし、苦痛特に無いと思うよ。こう言う育児で子孫残せてきたから種が残ってるだけで、感情でやってると思うのはアホだなと。

mutou_yaji 単刀直入自己犠牲してまで生きようとするのは無駄しか思えませんね。そんな事をしたって神も宇宙人も何も感じないし考えてない。


こういうの読む度に「やっぱネットメインで生きてる奴はバカだな(笑)」ってしか思わえんわ。何にもなれない。何億稼げていようが何者でもない。そういう人。

2024-01-05

anond:20240105121604

準備にお金かかるから

なんて、単なる作られた方便しか過ぎんでしょ。

から見た「ロジックという概念」は、単なる人を動かすためのツールしか過ぎない訳だし。

筋が通ってるか、真理を突いているかどうかは関係ないよ。

男の自己犠牲のものを欲するのが、女にとってのエロス

今後の子育てにあたって、妻とともに自分の身を削る覚悟を試しているんだよな。

2024-01-01

Netflixウィッシュドラゴン

・良かった

恋愛もの、苦手だけど今回は

最初看板前でリハやる一連の流れで

主人公君、本当にリナちゃんのこと好きなんやな…

そして身分差の恋萌えるな…」と思わせてくれたので

そんなに抵抗なくみれた

・とにかく悪役の足技ボス萌え萌えだった

顔がイケメンとかじゃないけど

とにかく足を使ったモーションが艶っぼくていい

歩く動きだけでもなんか骨盤から動きがセクシーやった

アニメーションってすげー!ってなった

・足技キャラには足元油ぶちまけるんだよ!には

シンプルながら的確な攻略法…!ってなった

・「大筋は高度成長期時期中国舞台アラジンやろ」と思ってたけど

足技ボスの最終戦、「金を望んで触れたもの全てを金にするようにして詰んだ人の話は

知ってるよね?」から自己犠牲友達を救う→見えるようになった→悲しき別れ…

の流れ、脚本家の人すげえぜ!ってなった

ライオン少年で予習してたか獅子舞バトルシーン、進研ゼミになった

・これドラゴンさんが本編100年〜200年後位に出会った主が

主人公君とリナちゃんの孫かひ孫で別れる前に判明して一瞬もしかして…ってなって

やっぱりおじいちゃんおばあちゃんと同じく爽やかないい人で

変わらんな…的な感じで懐かしさを感じ表に出さずにお別れするやつじゃん…

・リナちゃんとお別れした時に「えび煎餅?は本物のえびは入ってないらしいぞ!」っていう

慰めいうやさしさ

2023-12-27

昔の化学者エピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる

アスパルテームはそのなかでも有名なエピソードかもしれない

アスパルテーム - Wikipedia

1965年アメリカ製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味発見した[8][114][115]。トルン・アテラスガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。

いわゆる化学者によるセルフ人体実験、すなわち自己実験

うん年前は私も大学学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった

まあ、私の場合重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが

アスパルテーム場合製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……

スクラロースエピソードもなかなか凄い

Sucralose - Wikipedia

Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]

スクラロース1976年、テート&ライルの科学者が、クィーンエリザベスカレッジ現在キングスカレッジロンドンの一部)の研究レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体新規用途研究していたときファドニス塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。

testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……

スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか

Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……

科学者倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験歴史』という本を買って読んでいる

少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険実験やりまくっていたようだ

自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験1945年くらいか

戦前学者倫理規定どうなっとんねんとしみじみ思う

前述の本を読んでいると「申請すると許可下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)

カール・ヴィルヘルム・シェーレ - Wikipedia

シェーレが若死にしたのは同時代化学者の例に漏れず、危険実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。

18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが

イギリスとある医師ニトログリセリン舐めて心臓まりそうになって死にかけたのが19世紀出来事

21世紀になっても舐める人はどこかにいるのだろうな

舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで

有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた

現代日本大学研究室で、教授学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?

流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界

まあ味の素研究所なら舐めても不思議じゃないかもか……

畑が違うと全然感覚違う、ということか

でも薬学系とか食品会社研究所でも一度動物摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……

日記

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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく

ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記

ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリン発見したという出来事幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで

そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~

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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団

なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた

20世紀初頭にイギリス火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。

それというのも、原料であるニトログリセリン粉塵工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。

痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息月曜日になったこから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。

blue Monday語源ニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど

これを調べるのも面白そうだ

……ん?時系列矛盾がある

『世にも奇妙な人体実験歴史』によると1858年フィールドという名のイギリス医師がニトロを舐めたとある

その後1878年ウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果確認し、狭心症治療薬として自分患者に試した

火薬工場エピソード20世紀初頭……1901年頃ということになる

発見されたのか?だとすると最初に舐めたフィールドって医師は推測無しに舐めた好奇心旺盛な人ってことになる

火薬工場エピソードのしっかりとした出典を探すべきだな

原典だと20世紀初頭じゃなく19世紀末~20世紀初頭みたいな書き方になっているのかもしれない

2023-12-26

anond:20231226203204

アニメの影響なんて “そのとき気分が良くなる” 程度だぞ。

アンパンマンを思い出せ。

男の子たちは、成長の真っ只中、精神形成される最中に、アンパンマンを観たはず。

だけど、女性意識を失って倒れてるとき

心臓マッサージでは「アンパンマンのマーチ」のリズムがいい、と聞いてさえ

自己犠牲精神を思い出そうとはしない。

男性の大半が、女性AEDを使ってあげようとは、しない。訴訟されるリスクが怖いから。

「そうだ、怖れないで 皆んなのために」

口をポカーンと開けて聞き流してただけ

男の子こころには何一つ刻まれていやしない。

アニメなんて沼にハマりすぎれば身を持ち崩すとこまで含めて、タバコパチンコと変わらん。

anond:20231226201517

他人自己犠牲による美談や「ほっこり」「微笑ましい」を期待する奴って潜在的ハラッサーだよね

2023-12-24

大谷契約金インフレ率考えたら実際には半分の価値しかないらしいが

これってもう後払いを前提として「俺たちは凄い額で契約したぜ!マジ凄い球団だぞ!俺たちはド級ジャース!ドジャースだ!」したかっただけなんじゃねーか最初から

税の回避云々とか自己犠牲とかじゃなくて、「契約金を玩具にしたアホみたいなパファーマンス。祖国日本)の通貨に当てはめて100億の大台に載せて新聞の一面を狙っただけのアホみたいな金持ち自慢」みたいな言い方をすべきなのでは?

まあ別に俺は「大谷年収10億円!パワーカップルとかドヤってる家庭の生涯給与より多くて草www」みたいな騒ぎ方出来たか別にいいんだけどさ。

元々契約金って見せ金としての側面強いしな。

上野動物園パンダ持ってくるのに使った金額のもの集客の道具に使ったりするのと一緒だし資本主義ってこういうもんよね

2023-12-19

社会理不尽

自分なりの理想から外れる権力者悪者として見ていた。

けれど、実は一見理不尽わがままに見える権力者こそ、誰よりも一生懸命社会を引っ張ってるのかな…と。

一生懸命すぎるからこそ、そんな自己犠牲一般人理解されない。

そんな気がする。

2023-12-14

エンドゲームめっちゃ面白いから見ろって言われて見たのに!

なんだこれ!!!

ダメじゃん!ダメダメじゃん!

 

インフィニティ・ウォーではサノスがこれまでのヒーロー映画ヒーローポジションで描かれてたよな?

大いなる大義のために世界中に散らばるストーン邪魔する敵を倒しながら集め、

その中で苦渋の選択で愛する者を喪って!そして最終的に、その大義を果たす!!!

もちろん、その大義はサノスが一方的に感じているだけの大義一方的に全世界押し付けるってやり方は多分間違ってる。

からこそ!

エンドゲームでは、サノスがなぜ間違っているのか。

なぜサノスはヒーローじゃなくてヴィランで、アベンジャーズはなぜヒーロなのかが描かれると思ってた!ら!

 

なんもなかったわ。

アベンジャーズアベンジャーズから勝ちました。終わり。

 

なんか誰よりも傲慢自分勝手だった男、トニーが自分の命も顧みず自己犠牲精神指パッチンたから勝った!みたいなこと言われたけど

サノスだってそうだったじゃん!

サノスは私利私欲のために全宇宙人口を半分にしたわけじゃない。

元々、自分の星が人口爆発で資源がなくなって滅亡しちゃったから、宇宙がその轍を踏むことのないように考えた結果がアレだったわけじゃん!

人口を半分にすることで、残った半分を救えると信じてやったわけじゃん。

それこそ、自分の命も顧みずに。

から人口を半分にした後サノスは世界征服せずに、農家になってサステナブル生活を送ってたわけじゃん。

 

エンドゲームではインフィニティ・ウォーでアベンジャーズに足りなかった部分が補われて、サノスを"越える"ことでサノスに勝つ話だと思ってたのに別にそういうのはなーんもなかった。

前回は負けて、今回は勝ったことに映画上の論理的理由がなんもない。

ドクストが言ってたように、アベンジャーズが勝つ運命ラッキーで引いたから勝ったってだけじゃん?

運命力があるからヒーローだってこち!?結果論じゃねーか。

ちドクストが「1400万605分の1」って言ってたの、アントマンが偶然助かる確率だったらしい。

俺はもっとなんていうかそこに"成長"があってほしかったよ。

なんならハルクとかソーとか後退しとるし。バカなのか。

 

つーか、サノスは自分と仲間たちとで堂々と正面から敵を打ち破って石を集めたのに、

アベンジャーズがやったことは過去に帰って騒ぎを起こしてどさくさに紛れて石を"盗み出す"っていう、コソ泥じゃねーか!

それがヒーローのやることか!恥を知れ恥を!

 

なんでこの映画ヒーロー映画の完成系、最高峰!って言われてるのかよくわからん

明らかにヒーロー映画としてめちゃくちゃだと思うんだが。

2023-12-11

自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実存在したのかどうか気になる

気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ

ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼイメージしている

兵士独断による英雄自己犠牲自殺攻撃ではなく

組織的に行われた自殺攻撃

「戦列歩兵とか?」

戦列歩兵……マスケット銃を担いで隊列を組んで前進するアレね

何割かは撃たれて脱落することは承知戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない

ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな

自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので

絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い

捨て奸とか?」

薩摩死ぬこと前提の足止め戦術

うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあるが……

捨て奸って敗走するときに「成果」は挙げたかもしれないけど、捨て奸のおかげで「勝利」することはないからなあ

勝ってる時にしない戦術なんだわ

そう、「自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」ってのが見つからない理由ってそれなんだよな

勝ってる側ってそもそも自殺攻撃をする必要がないんだわ

そういう意味では前述の戦列歩兵はいい線いってた

「そういうこと言うと戦争ほとんどすべての戦術って自殺攻撃精神を持ってない?」

そうではあるが

それを言ってしまうと自分が知りたい内容から話がずれてしま

自殺攻撃戦死率が高い戦術成功体験を得た人々がどのような価値観を持つかを知りたいので

枢軸国勝利IF小説読めば?」

枢軸国が勝ったIFの物語を読めば価値観を推察することもできるかもしれない、ということね

一理ある

意外とこの線が一番筋が良いか史実ではなくなってしまったが

注意すべきは「枢軸国が勝つ≠自殺攻撃が成果を上げた」ということ

そう考えると一理はあるが、やはり筋は良くないかもしれない

枢軸国勝利IFというテーマは語るべきことが多すぎるから、上手いこと探さないと結局小説の海に溺れてしまいそうだ

もうちょっと検索ワードの選定を試みよう

センシティブテーマから変な資料を読んでしまうと変な先入観が身についてしまいそうで怖い

案外、戦争から離れて考えた方が筋がいいかもしれない

戦死率が高い戦術成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか→人的資源を軽視するノウハウ成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか

一気にビジネスの話になってきたぞ、これはこれでセンシティブだなあ

聞く人によっては連想ゲームが始まってしまうかもしれない 不毛

日記

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Wikipediaの「自殺攻撃」のページで出典にされているこの本おもしろそうだから読んでみるか

自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」にも「自殺攻撃戦死率が高い戦術成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか」にもあまり関係ないけど

ヒトラー特攻隊歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』

近所の図書館に蔵書あり、助かるね

2023-12-01

子供を持ちたくないのは「子供を持ちたくないから」じゃないか

早いもので私も20代の後半にさしかかり、恋人が後々結婚と子作りを希望しているためそりゃ~どんなもんかねと将来を思い描いてみた。が、育児をする自分想像するだけで寝込むほど鬱になった。

元々子供特別好きだということはないが嫌いというほどでもないと思っていたので、床に臥す程かと少々自分人間性に自信を喪失した。

ミノムシのように布団にくるまりうーんうーんと思考を巡らせた結果、子供のものではなく、子供育児)に付随するアレコレが嫌なのかもしれない事に思い至った。

思考の整理もかねて下記書き連ねる。

子供好きな人から見たら不快になりそうなことが書いてあると思うので自己責任で読み進めてほしい。


私が子供を持つことに抱くマイナスイメージは下記のようなもの

時間的自由がなくなりやりたいことができない。

・寝られない。

・うるさい。

・好き勝手に動いてコントロールできない。

自己犠牲万歳精神

など。

こうして書き連ねるとわかるが、これは別に主語が「子供」ではなくても普通に不快になることばかりだ。

まり原因は子供ではなく状況にある。

子供のもの不快なわけではない。対処のしようがある。

具体的にはこうだ。

-

時間的自由がなくなりやりたいことができない。

辛くなったら適度に他人に協力を仰ぐ。もしくは外的サービスの利用を検討する。(パートナーの協力は前提だけどまだ足りないと想定しうるので)

恋人が「俺の収入だけで生活できる」と言っているので、自分収入サービスに充てることはできそう。

-

・寝られない。

上記と同じ解決法で睡眠時間の確保が可能

完全母乳とかの神話を捨てれば母親以外も授乳できるはずなので夜間にまとめて寝ることもできる。

私は完全粉ミルクだった(母親母乳が出ず)らしいけど健康に育ったので大丈夫だろう。

-

・うるさい。

よく考えたらそもそも大きい音が苦手なことに気づいた。(クラブ映画館、耳の遠い高齢者も苦手だった)

全く聞こえないのは問題だが、静かにしてもらえないなら騒音の軽減のために音量調節機能のある耳栓使用したい。

子供の声に耳栓なんて、、、子供の声が騒音だと思うなんて、、、という神話は忘れることにする。

-

・好き勝手に動いてコントロールできない。

好き勝手動いてコントロールできないのは大人であれ動物であれ同じなのでそこについては諦めるべきだが、ならなぜ子供のことだけコントロールしたくなるかというと、子供が何か問題を起こしたときに親である私の責任になってしまうからということがある。

責任からの罪悪感がキツく精神的に参るであろう想像がつく。

例えば公共の場所で子供が騒いだ時に睨まれるのは親のほうだ。親としては静かにさせたいだろうがそううまくいく時ばかりではない。

解決方法について「公共の子供の粗相はある程度は自然災害のように思って自衛するしかないのだとの共通認識で皆が生き、親が必要以上に自分を責めなくていい雰囲気にする」、、、と言いたいところだが、それは「空き巣に入られたのは鍵をかけなかったほうが悪い」と言っているようなヤバさも感じないではない。難しい。

鳴き声くらい出させてしまっても気にしないタフさも必要かもしれないが、より建設的な解決方法としては、「問題行動が子供本人にとってメリットがない状態」を作るよりほかはないと思われる。

私の幼少期は癇癪がほとんどなかったらしいと母から聞いた。

当時幼心に「泣きわめいてもなんの意味もない」と思っていた記憶があるため、メリットがなければその行動をおこさないのではないだろうか。そんなに簡単問題ではないかもしれないが。

だとして「この行動は本人に何のメリットが?」という問いかけは問題行動の解決に役に立ちそうな気がする。

必要なのはコントロールより寄り添いかもしれない。

-

自己犠牲万歳精神

正直これが一番きつい。

好きでやっている趣味や好きな仕事だって気乗りしないときにやるのはつらいのだから、気乗りしようがしまいが毎日こなさなければならない育児がつらくないわけないが、「思ってはいけない、その大変さすら貴ばなければならない」という母性神話に呪われている。

このご時世「身を粉にして働くことが素晴らしい」なんて言おうもんならド・ブラック企業認定されてしまうと思うが、子育てに関しては「親なら自分が飢えてでも子供に食わすもんだ」とか本気で言う人間がいるのだから驚く。

まともに聞いていたら呪い殺されてしまう。

好きで生んだとしても嫌なものは嫌、つらいものはつらいと言っていいのだと自分に言い聞かせるしかない。

時々パートナー共感してもらうとなお、解呪が早まる。

理解していても解呪に大変な労力を要しているので、こんな馬鹿げた神話は金輪際誰も口にしてはいけない。

「好きで生んだんだろう」という言葉ナンセンスさよ。アーメン


ざっと洗い出すとこんな感じになった。

状況的に解決可能なことばかりだし、一部自分思い込みのせいだったりするので「子供という存在」そのもののせいではないことが分かる。

上記問題さえクリアできるなら子供を持つこともいいことだなと素直に思える。愛する人の子、両親の孫は見てみたい。

私は現在未婚小無しなの想像範疇を出ず、経験からしたらつっこみたいことが山ほどあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。

懸念材料をとっぱらって健全子供が産みたいと思えるようになりたいだけなので。

その一方で、上記に書いたことは「子供のせい」ではないにしろ子供がいると発生いしやすい状況になる」ことは間違いないと思うので、それをふまえてして子供を持たないという選択も全く大アリだと思っている。

解決できても解決のもの価値を見出せないんじゃ意味がない。

どんな価値観、選択も間違いではないので、後悔の無いようにしていけたらいいよね~と思う。

ここまで読んでくれてありがとう

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