はてなキーワード: 発注者とは
茅野市民館の平面図を見て、併せて「市民館管理運営計画」を走り読みして推察してみた。間違ってたらごめんなさい。
組織計画の基本方針で「3部門」=ホール機能、美術館機能、コミュニティ機能が挙げられており、図書室は挙げられていない(設計概要の建築用途には図書室の記載あり)。
美術館部門には、付属する収蔵庫があり、展示室と同じくらいの面積が確保され、コンクリートらしき壁で閉鎖されている。対して、近い機能が求められる閉架式書庫は(作ろうと思えば可能だったはずが)見当たらない。
普通の図書館では、日焼けや虫食いを避ける貴重本は閉架式の書庫で保存し、貸し出しも制限される。また開架式の書庫でも、閲覧ゾーンは日当たりの良い窓辺に計画されることも多いが、本棚自体は空間の中央付近に固められるのが一般的。
美術館には収蔵庫という似たような機能の設備を付属させたのに、図書室にまともな書庫が見当たらないのは、発注者・設計者とも書庫は不要だと判断したと考えられる。というか、そもそも図書館を造るつもりが無かったのだと。
図書「館」の機能:収集・整理・保存・提供のうち、ココの図書室では提供だけが行われている、つまり図書「館」の機能は当初から求められていないと考えられる。ガラスの箱の部屋に本棚を作っている時点で、図書館としての保存機能は切り捨てたのだろう。
開かれたコミュニティを目指し、開放感のあるガラスの箱が造られ、その中で本に自由に触れられるスペース=図書室が設けられた、と考えるべき。
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。
■30半ばで年収900万円達成したんだけど、向上心が失われて行って辛い
新卒時は大手SIer(プライムコントラクター)に就職、30手前でユーザ企業に転職して今は上流・下流工程を知ってるITシステムの発注者側の立場にいる。
新卒でIT企業に就職した時はまだ自分がこれからどうなっていくのか明解なキャリアパスは描けていなかったが、
30歳に近づくにつれ、ユーザ側(発注側)に転職してITエンジニアを指揮する立場にならなきゃダメだと思い転職活動を頑張り、結果望み通りユーザ側の企業に転職して現在に至る。
新卒当初はSIerの中でチームメンバー(システム設計・実装・テストをする人) → チームリーダー → PM → 統括PMのようなキャリアパスを描くのが王道だと思っていた。
だが、元請けとは言えどんなに非合理なシステムでも客に言われた通りに作らなきゃいけない下請け企業でPMになったところで大して意味がないことに気づく。
自分に裁量などほとんどなく、理不尽な客に怒られたりバカにされたりする頻度が増えるのに比べて給料は大して上がらない。
担当していたプロジェクトは超大企業のサービス開発。なのだが、ユーザ側の担当者のレベルがびっくりするほど低い。発注担当者は中学生の作文みたいなクソRFP書いてよこしてくる。納期も費用も工数もめちゃくちゃ。しかもやりたいことが全く分からない。多分発注担当の上の奴がテキトーに言ったことをそのまんま真に受けて左から右に流してるだけなんだろうが、有名な大企業にもこんなおバカな社員が堂々と給料もらって平気で定年まで安泰なんだなと思ったら複雑な気持ちになっていた。
だけど、幸か不幸か、そのダメな担当のおかげで20代のうちにユーザ側へ転職しないと仕事のレベルも上がらないしスキルも上がらないことに気づけた。30半ばになって思い返すと、本当に感謝しかない。
まだ30半ばで成功とか失敗とか書くのは時期尚早だとは思うが、給料も大幅に増えてフルリモート・フルフレックス・コアタイム無しの環境を手にしている現状は控えめにいっても成功だと思わざるをえない。
年収も30半ばにして900万円を超えた。
ユーザ企業に転職して思うのだが、ユーザ企業ではITのスペシャリストというのは新卒ではほとんどいない。ゼロとは言わないがSIerのレベルから見ても平均から下のレベルしかない。
なので業務を改善する社内システムの開発や、売り上げに直結するWebサービスのバックエンド・フロントエンドの開発プロジェクトが検討され始めると必ず声がかかり、システムのアーキテクチャを選定する段階から意思決定で主導権を握れる。
こちらとしてもそういう役割を期待されて中途採用されたというのもあるし、何よりこういう会社は新卒採用時にITのスペシャリストを採用することもないので、社内の新卒の誰かと争って主導権をようやく握る、などのようなこともなく、自然と企画、設計、実装、運用まで全て意思決定に関われる。
まさかSIerから転職した身で、自分でTypescript, React, Firebase, Java, C#, C++, SQL, Python, TensorFlowを駆使してゴリゴリ開発して企画を実現し、それがプレスリリースされて正式に会社のサービスとして世に出るようなことになるとは20代の頃は想像していなかった。
ここまでは20代の頃に目指していた理想の30代のキャリアパスそのものだと自負していて大変満足している。
だが、30半ばにして20代の頃ギラギラとした向上心が次第に失われつつあるのを日々実感している。
30前半までは自分で目標設定してそれを達成するのが楽しかったが、30半ば以降は金と評価が欲しくなってくる
30代前半までは日々成長し、技術の選択肢も勉強する度に着実に増え、サービスの企画が持ち込まれるとそれを実現するためには~すればいい、などとパッと浮かんで日夜シミュレーションしてPoCして…というサイクルが楽しくしょうがなかった。
今でも楽しくはあるのだが、これまでとは違って「ただ楽しい」だけでは到底満足できなくなっている自分に最近気づいた。
これまでは金になろうがなるまいが、依頼された仕事は自然と全力で取り組むことができた。報酬はやりがい、のようなところは正直あった。
だが、30半ばを超えてくると物の価値がだんだんとわかってくる。
仕事が忙しくなった時に皆さんはタスクに順位付けをするだろう。
これまではその優先度は難易度で昇順ソートかけて上から順に消化していく方式をとっていた。
すぐできるものから片づけることで、仕事の見かけのスループットが上がる。客観的には仕事が早く進んでいるように見える。
だが、今では、そのタスク・プロジェクトが将来金になるかならないかでタスクの優先順位を検討するようになりつつある。
結果が魅力的でなければそもそも仕事のやる気すら湧き上がってこない。
年収900万円
これは30代半ば、理想のキャリアを追い求めて突っ走ってきた人間の向上心が奪われてしまうような大きな金額なんだろうか。
このへんで満足してあと20数年まったり定年まで過ごすべきなんだろうか。
20代の頃あれだけ将来のキャリアについて真面目に考えていたのに、30代になって40代の理想のキャリアパスが描けない。
うちの会社は年功序列なので、年収も40代になれば自動で1000万円を超える。
このへんで走るのをやめてジョギングに切り替えても、多分未来はそう暗くない。
なのに、アクセルが減速しかかっている自分を冷静に見つめると、何か、本当はもっとできるのに手を抜いている、みたいな罪悪感が湧き上がって止まらない。
はてなを読んでいると、自分と同じ30半ばくらいの年代の人が多くいるように感じる。
30半ばでようやく安定を手にしつつある自分と似たような境遇の人がいれば、
40代に向かってどのような準備をしているのか、さらに上を目指しているのかそれとも今のポジションでの安定を取るのか、それとも会社を辞めて起業を考えているか、など、
恐縮ではあるが共有してほしい。
30半ばでクズになりかかっている自分に、勝手ながら発破と刺激を与えてやってほしい。
よろしくお願いしたい。
はてなーは政府は何もしないって言ってるが、そういう奴は各省庁のホームページ見たことないんだろう。コロナ支援策てんこ盛りだぜ。正確には経済対策だけどな。
都内で正社員5人、アルバイト含めて総勢10名ぐらいの零細企業を経営しているが、この半年で給付金や休業の助成金、コロナ対策の補助金等々で1000万以上貰った。
今年度の売上は3割ほど減る見込みだけど、補助金のお陰でリストラせずに済んだし、給与も休業分含めて9割以上を維持してる。
それとは別に微々たる利息で2000万も貸してもらえたし(返済は2年後からで、それまでは毎月数千円の利息のみ支払い)、これでたとえ売上が半分になっても2〜3年は運転資金回るはず。
自分はGotoは関係ない分野だけど、取引先がGotoの恩恵を受けているから、そっちからの受注もぼちぼち回復して来た。電話口から聞こえた発注者の嬉しそうな声は忘れられない。
友人の社長連中も、これだけ手厚い支援策は過去に無かったって驚いてる。自民党と民主党の無策のせいで、企業が潰れまくったリーマンショックの時とは隔世の感があるよ。たまに「政府は何もしない」って憤ってる社長がいるけど、助成金申請してないんですか?って聞くと、驚いたように「申請してる」って言うのが笑える。頭の中で政府と行政が繋がってないんだろうな。
これだけ手厚い支援策貰ってるんだから、正直学術会議でどれだけ批判されても、俺は次の選挙でも自民党に入れるよ。コロナ落ち着いたら地場の与党議員にも「適切に税金を使ってくれてありがとう」ってお礼を言いに行きたい。さすがに党員にはならないと思うけど。
はてなーから見ると、俺も自民党から恩恵受けている点で「おともだち」に入るんだろうけどな。自分や社員の人生かかってる時点で「おともだち」でもなんでもいいや。だから選挙で負けるんだよ。勝手に言ってろ、って感じだわ。
似たような流れにPERACON炎上の時もなったので貼っておく
単なる感想の粋を超えていると思ったら弁護士にご相談ください。
PERACONの主催者が許されないならゲームのレビューで批判的なの書くのも良くないと思う
「お客様は神様です」って思ってるのか?
顧客体験(Customer experience)の取り扱いを
「お客様は神様です」は、ゲームに限らず、フツーにマーケティングの話だし、大きくなればなるほど現実はサボってる
現場は給料が貰えれば怒られなければそれでよく、CX以前に顧客満足度(CS)がどうでもいい
批判的なレビューに関しても、明らかに営業妨害なら法務の仕事だし、
営業妨害以外なら、カスタマーサポート・営業・広報・製品担当の対応すべき仕事で
小規模事業者は、情熱や趣味の延長で仕事してるので、お客様は神様ですには絶対にならない
メンヘラアーティストも同様で活動を放り投げて引き籠るとか起こりがち
レビューアーは営業妨害以外なら自由にレビューする権利があるが、ファン的にはハラハラする
発注者がアホな発注をしてアホな態度を見せたら、顧客でもなんでも無いので、アホなのって言われる
個人的な美術や美大への思い入れによってか独特な読み方をしているのでは?
作中ではイメージの説明、解説はン拒否したまま作品は仕上がっているし発注者のOKが出ているのだからそこは問題でないと読み取れるはずでは?
作中のメッセージがコミュ能力の問題にあるのなら「やっぱり説明お願いします」などと改心して、それによって成功した描写とするのでは?
「当時のテストはどうだったか」を調査するために使う。もちろんExcelで作られたテスト仕様書とセットである。
これは実際にいろんな客がやっている。SIゼネコンじゃなくてその先に居る発注者の担当者が、受け入れ試験を「やったことにする」ために、SIerが納品したExcelスクリーンショットの資料を流用するのだ。著作権は納品時点で発注者に帰属するから流用しても法的には問題ない。なお増田は外資系の客がこの行動をやっているのを目にしたことがあるので、国内のダメな事業会社情シスだけの傾向ではないようだ。
顧客体験(Customer experience)の取り扱いを
「お客様は神様です」は、ゲームに限らず、フツーにマーケティングの話だし、大きくなればなるほど現実はサボってる
現場は給料が貰えれば怒られなければそれでよく、CX以前に顧客満足度(CS)がどうでもいい
批判的なレビューに関しても、明らかに営業妨害なら法務の仕事だし、
営業妨害以外なら、カスタマーサポート・営業・広報・製品担当の対応すべき仕事で
小規模事業者は、情熱や趣味の延長で仕事してるので、お客様は神様ですには絶対にならない
メンヘラアーティストも同様で活動を放り投げて引き籠るとか起こりがち
レビューアーは営業妨害以外なら自由にレビューする権利があるが、ファン的にはハラハラする
その短期間で作るもののライフサイクルが完結するなら、ありかもね。
仕様を詰めるのに時間の大半を費やすから、あるいは本当に製作・テストに注力した人員として、とか。
ただ、仕事をお願いする立場からすると、スキルレベルが判らない人に対しては慎重にならざるを得なく、
できれば実力の判っている人、フォローがしっかりしている人(組織)にお願いしたい。
でないと仕事の見積もりや人の調達がしにくいし、発注者として責任を取るにしても納得できない。
結果として、派遣会社を通した契約というのでフォローを担保するとしても、仕事が貰える人と貰えない人の格差が大きくなるような
Webサイトなり最近の流行りであればYouTubeの動画なり、クラウドソーシングで外注・受注してる人って制作物の著作権をどう明記してるの?どう締結するの?
例えば募集要項に「作成された制作物の著作権は弊社に帰属されます」とか「使用の全権が譲渡されます」とか予め取り決めておくのはわかるんだけど、動画の編集を請け負ったらフリー素材のBGMとかフリーの効果音とか入れますでしょう?他にもフリーの挿絵とかフリーの画像とか、前提はフリー素材を使った場合。
当然フリー素材であってもその著作権は元の作成者にあることがほとんどだし、一方で受注者と発注者の間で契約を取り決めておかないと後々面倒なことになることもあるし。
フリー素材の著作権は誰かに移るなんてことはないっていうのが当たり前の共通認識で、「制作物の著作権が弊社に帰属される・譲渡される」っていうのはそれら以外の「受注者が権利を持つ部分のこと」を指しているのが普通なの?
皆さんが普段どうしているのか聞きたい。明記の仕方とか。「動画の著作権が弊社に帰属する」だとグレーだけど「制作物の著作権は弊社に譲渡される」なら問題ないとか。こういう書き方にしたらトラブルにならないってあるんですかね。
https://priconne-redive.jp/news/information/9170/
これのブクマに著作権的な疑義が入ってたので、ソシャゲ会社に勤めてた経験から書く。なお、トレスの事実と発生経緯は真とみなす。
みんなの疑問への答えを先に書くと、「引用のつもりで参考画像渡すのは特段おかしなことではないと見なされてる筈、でも引用の要件満たしてるかは千差万別」です。