はてなキーワード: 権威とは
反ワクでも宗教でもなんでも「私達は真実を知ってるんです」系の人たちの中でも特に、学力なのか知能なのかが足りない人たちを見ると悲しくなる
例えばトヨタの社長が会見を開いてワクチンは人口削減のための毒だと言ったみたいなデマが流れたらしいけどさ、普通に考えたら色々やってるでかい会社のトップとは言え、ただの製造業の人間が医療に関しては何の権威でもないわけじゃん
せいぜい底辺とは付き合う人が変わるから耳に入る情報が違うくらいで
仮に特別な情報を得たとして、それこそ馬鹿じゃないんだから会見だの無意味なことする訳ないし
世の中の上の方の人は自分たちと違う魔法みたいな何かやズルをしてるとでも思ってるのかな
まさか子供向けのホビー漫画みたいに、特別な悪が世界を牛耳るとでも信じているのかな
知識や社会感覚があればおかしい話だデマだってわかるし、多少なりどこかの経営者とか上層と付き合ったことがあれば彼らがわけわからんプロトコルでなんて動いてないこともわかるだろうに
なんだかなあ
根絶とまではいかなくとも
今後政治家を権威付けに使うことや新しいカモを捕まえることに関しては
さすがに致命的にやりづらくなったんじゃないか?
もう十分じゃないか?
結論を先に書く、
「健康で長生きしたければタバコを吸え、統計的に実証されました」
今すぐコンビニに走りタバコを買ってこい、素人はメンソールの軽いやつから始めろ。
最初はムセたり不快感があるが、2,3日頑張ってみろ。すぐに慣れる。
良薬口に苦しだ。
国家統計から導き出された事実だから仕方がない、諦めろ。抵抗は無意味だ。
以下、信じられないバカのために論じるが長文なので読む必要は無い、結論は上の一行で終わってる。
よく見るセンテンス、人は権威っぽい数字を出されると簡単に騙される。
禁煙したら、あるいは喫煙習慣が無ければ寿命が10年伸びる(喫煙者は10年縮む)と仮定するなら。
50年後に喫煙率が20%まで下がりました、
平均寿命は何年になるでしょうか。
(他の要因は無視するとして)
喫煙率80%の時は
つまり
0.8*63 + 0.2*73 = 65
では
その後8割の喫煙者のうち6割が禁煙に成功し10年長寿グループに移動したとする。
0.2*63 + 0.8*73 = 71
全体の平均寿命は6歳伸びることになる。
計算を続ける。
女性の喫煙率は50年で2割から1割に変化したと仮定する、平均寿命は70歳スタート
0.2*62 + 0.8*72 = 70
これが50年経って
0.1*62 + 0.9*72 = 71
というか、50年前の男女の平均寿命の差は 65歳と70歳で5年の差があったのに
50年の喫煙率の変化で寿命差がなくなった事になる、どちらも71歳。
ここまではわかるかな?
上の計算はわかりやすく数字を丸めたもの、ほぼ現実社会の数字なんだが
疑り深いキミのため、実際の数字で見てみよう
ちなみに同じ日本人の男女だから自然環境、社会環境、医療制度は同じであることを先に書いておく。
1970年→2020年
女 74.66歳 → 87.45歳 「+12.79」
男 69.31歳 → 81.41歳 「+12.10」
1970年→2020年
女15.4% → 7.6%
男78.5% → 27.1%
男女の寿命の差は半世紀で変化が無い。
喫煙率は大きく変わったのに。
あれれ?計算合わないよね
それはどこに消えたの?
喫煙で10年寿命が縮むという条件モデルで辻褄の合う方程式を出してくれ。
無理だろ?
無理なんです。
どんな係数を入れても計算の辻褄が合わない。
つまり10年縮むはファクト。嘘でした。そんな結果になってません。
現実の数字から推察されるのは、喫煙はむしろ健康に有益という結果にしかならない。
意味わかる?
バカにはわかんないよね。
女は平均寿命が12.79年伸びた
男は12.10年しか伸びてない。
0.69年の差はどこから出てくるのか。
喫煙率低下が寿命に対してより大きくネガティブな影響を与えたことになる。
つまり男女とも喫煙率が50年で変化が無ければ寿命の差にも変化が生じなかったと仮定するなら
現実はネガティブ側に振っているのだから、逆に考えると喫煙が有益であったと推定される。
バカは
他の要因がぁ
と反論するだろう。
そうなの、人の死なんて無数の要因がある
俺が言いたいのはそれ。
健康に良い習慣や食事を取り入れて長寿を目指す。そりゃ悪いことではない。
アレが悪いらしい、ならば避けよう
コレが良いらしい、ならば取り入れよう
悪いものを捨て、良いものを取り入れれば結果は良くなるに決まってる。
ならねぇのよ。
社会や人体はそんな単純で直線的な方程式で解けるものではない。
良いと思ってたものを取り入れても相互干渉で副作用を起こすこともある。
単純なハナシ、結果だけ見りゃいいの
一方でヒステリックな禁煙正義を振り回してきた健康ヲタクアメリカ。
平均寿命を見てみようか
フランス 82.5(11位)
アメリカ 78.5(40位)
あれ?
でも、アレもダメこれもダメで許さえる快楽が脂肪か糖分しか残ってなけりゃ肥満大国になる。
それも全部ひっくるめて社会が作られてる、喫煙が与える影響なんて微々たるものだし、プラスかマイナスかもわからない。
それなのに
マクロな観察で見える有害をヒステリックに排除する社会が個々人の健康にポジティブな影響を残すのか。
そりゃ否定せんよ、でもね、
タバコを毛嫌うキミは人畜無害な生活をしてパーソナルで完結する趣味しかないかもしれない
例えば漫画、アメリカでは社会的抑圧で大人が嗜むことは憚れる。
漫画なんて他人に迷惑もなけりゃプライベートなのに、なんとなく許されない。
俺がタバコを完全に取り上げられたら、俺は八つ当たりで他人の趣味、生活習慣に難癖つけて迫害に回るぜ。
それっぽい正義を振り回してやんよ。どんなものにも理由付けはできる。
ちなみに俺は漫画は読まん。
とりあえず一服して考えてみ
いや、フェミ議連とか大学教授とか女救済活動者とか権威あるものがめちゃくちゃ言ってるからそれだけじゃ通らんよ
つかツイフェミという便利な言葉があるんだから、フェミニスト側から積極的にそういうのは切り離せば中身が誰だろうが別物で済むだろ、なんでそれをしないんだ
「何が問題か分からない」自民党議員に教えよう、統一教会と関係する意味を 宗教団体でありながら反社会的行為を繰り返してきた組織をまだ賞賛するのか(1/5) | JBpress (ジェイビープレス)
を読んだが、それでも全然分からない。どうやらサル未満のようだ。
❶ 自民党自身が名誉毀損裁判で「反社会的な団体であるとの印象を抱く者が少なくない」と認めてる
→ ならば謝罪のことばは「印象を悪化させてしまって申し訳ない」になるはずだ。しかし、自民党のイメージを悪化させたのを問題視してるのか?
❷ 人の弱みに付け込んで、言葉巧みに脅し、献金を持ちかけるのは人の心への恫喝だ
→ 暴力団の暴力に比べて程度が低いように思えてしまうが、脅迫や恫喝の実態があるのなら、破防法を適用して消滅を計るのが法治主義だと思う。
❸ 「不幸なのは先祖の因縁だ」「死者の霊が地獄で苦しんでいる」「供養しなくてはいけない」「このままではあなたも地獄に堕ちる」
❹ ボランティアに協力してもらうのは「貸し」を作る行為。人間は、他人から助けられたり優しくされたり良くされると、お礼やお返しをしたいと思うようになる。これは「返報性の原理」というマインドコントロールに用いられる手法
→ それで言われるままに欲しいものを上げちゃうならマインドが心配だが、返すもの自体を問題視すれば済む。
❺ 有名人や社会的立場にある人が関係している・推薦しているから、この団体は信じられる、と思ってしまう「権威の原理」
→ 団体が問題を起こしたらその時点でパブリシティ権侵害で訴えて差し止めさせればいいやん。
根本的に間違ってるんだよね。
MTGは「トレカに能力値をつけてカード型ボードゲームみたいに遊べるようにしたもの」で、そこから派生した多くのTCGは「MTGっぽいゲーム」として存在してるっていう歴史がまずあるの。
んで遊戯王は漫画の中でまさにその「MTGっぽいゲーム」としてモロにMTGっぽいゲームであるマジックアンドウィザーズを登場させたんだが、そこには「漫画的に面白くないシーンをなくす」っていう調整が行われたわけ。
マナという概念の削除はまさにそれで、正直漫画で読むと今何マナ出てるのかって全然分からないの。
これはまさにMTGをそのまま漫画に使ったデュエルマスターズを読んでもらうと分かりやすい。
[第1話]デュエル・マスターズ - 松本しげのぶ | 週刊コロコロコミック
マナを削除した変わりに遊戯王が導入したのが「大型モンスターの召喚には生贄が必要」「一番強いモンスターを倒さないと相手を直接攻撃できない」というシステムなんだけど、これは漫画的にもかなり分かりやすい。
お互いが守りを固めれば「このあと出てくる大型モンスターで勝負が決まる」と分かるし、相手が生贄用のモンスターを大量展開すれば「このあと切り札が出てくる」と把握できる。
なによりこの状況を逆転するのにどれぐらいの手数がいるのかが「相手の一番強いモンスターの突破しにくさ」を見れば8割方把握できる。
MTGだとこれが「残りLP・お互いのクリーチャーの数・マナ・手札」とやたら大量の情報を処理する必要があるが、遊戯王はシンプルに「相手より強いモンスターをこっちが出せば良い」に集約されていて漫画的にとてもテンポがいい。
遊戯王OCGはそんな遊戯王の中のマジック・アンド・ウィザーズを「再現して遊ぶこと」に比重が置かれているゲームなわけ。
つまり商品価値は「遊戯王に登場したプレイヤーのようにデュエルが出来ること」なの。
「MTGよりシンプルなTCG」だとか「プレイヤー数の多いTCG」だとかはあとから生えてきた付加価値であって、本質的には「テレビや漫画のヒーローの真似をするグッズ」なんだよ。
つまりは遊戯王OCGもまた「相手より強いモンスターをこっちが出せるかどうか」を競い合うゲームなわけで、そこに細やかなリソース管理を求めるようなマナなんかは邪魔なの。
客が求めるのはアニメや漫画のキャラクターっぽい「ド派手な盤面の転換」「相手に絶望を与え愉悦で高笑いできるような展開」を引き起こせるカードなわけ。
それにOCG側が答えてきた結果、いつだってパワーバランスは崩壊しまくってるし、意味不明な強さのカードが多すぎてもう皆念仏みたいなことを唱えてソリティアしあうようになってるわけよ。
でもそれは「遊戯王がゲームバランスを取るのが下手なゲーム」だからじゃなくて、「アニメのキャラクターみたいに次々カードを出しまくって相手に超凶悪な盤面を押し付けられるゲーム」だとか「そんな最悪な盤面を跳ね返して逆にマウントを取ってねえねえどんな気持ち♫できるゲーム」を求めるユーザーの声に従ってきたという背景があるわけ。
いつの間にかアニメと比べてOCGでの展開が複雑奇怪なものになってるのは、ユーザーの中で「凄いデュエリストはこれぐらいの戦い方をする」のハードルが上がってきてるから。
でもそれが段々アニメでの描写とゲームでの描写にズレを起こしてるのは事実なんだが、そこにあるのは「世界トップランクのデュエリストみたいな超高レベルな頭脳戦を繰り広げてる缶を味わいたい」ってユーザーの思いが先鋭化したものなのよ。
MTGのプレイヤーが求めるのは「世界的な大会の優勝が確かな権威を持てるような緻密な作りのゲーム」だろうけど、遊戯王のプレイヤーが求めてるのは実際に緻密なゲームなのかではなくて「緻密な頭脳戦を繰り広げてるっぽさが味わえるか」なわけでそれはもう全くの別のものなのよ。
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06