実際に起きた話だと、そのツイッターや増田に対する評価がプラスになるんだろうか。
そもそも、実話が常に創作を超えるのであれば、小説など需要が無いわけで、創作or実話の判定をすることにあまり意義を感じない。
リアリティを突き詰めた話は、社会的活動の中でいっぱい聞いてるでしょ。
そんな方向の話より、少なくとも増田の中では、創作話で楽しんでたらいいじゃんって思う。
というか、実話が創作より偉いというわけではないだろう。
実話を語る当事者が間違ったことを言い、事象をうまく表現できない(例えば、当事者ゆえに一面的な見方になるなど)なんてことはよくあるわけで。
だから、当事者こそ正しいことを言い、素晴らしいことを記すという「当事者の優位」みたいな素朴な信仰から、創作話を下に見るのであれば、それはおかしいと思う。
むしろ、創作によって実際にあった事象を再構成して、当事者よりも物事を正しく伝えてくれるかもしれないのだ。
あと、創作であるというの指摘は、実話らしく描くことの道義的問題を問うのが本丸なのかもしれないが、これでさえも、一読者としては本当にどうでもいい。
それがまるっきりの創作であったとしても、それが良い(楽しい、面白い…)文章ならば、それを糾弾する意味が感じられない。
読者として打算的に言うなら、創作であることを指摘して書き手の機嫌を損ね、次作の創作意欲を妨げるよりは、
その嘘を看過して、むしろ誉めまくって、再度同じような良い文章を味わわせてほしいと思うわけで、一読者としては、おかしいこととは思えない。
(追記)
道徳的にダメな話(中傷とか)は、実話でも創作でもダメだとは思うよ。
騙すことで誰かが困るような文章は勿論いけないと思うが、小説的な体験談であれば、それがリアル(実話)かフィクション(創作)かを判定することに意味が感じられないという意味ね。
あなたが犯罪を犯したことがあるという話を今度アップしておきますね。 性犯罪と殺人罪で。
嘘松はチャック丸見えの着ぐるみみたいなもんで 嘘つくにしても創作臭でむせ返らないようにリアリティ出してくれって事やで
これはこれで面白いから放置すればいいのにって思うけどなぁ
命題を主張するためには論拠がいる。 論拠の確からしさとは権威(IFが高い学術誌への掲載、一流の専門家の合議体による結論など)であったり、統計的な確からしさであったりする。 ...