はてなキーワード: 市民とは
今回の衆院選で東京のとある選挙区の立憲民主党候補のボランティア支援をした。
数年に一回ただの紙っ切れに人の名前書くだけで国が変わるわけねーだろ、と最近思ったので少しでも政治に参加しようと思って立憲のホームページからボランティア登録して参加した。
そこで思ったことがいくつかある。
立憲の候補者は、基本的に「みなさん、自民党の○○がこう発言したことを知っていますか?」「安倍元総理が~と言いました。皆さん、これでいいんでしょうか」など、
特に聴衆に向かって言いたいことが思いつかなかった時に、英語のWell...やYou know..., のごとく「自民党は~」がつなぎ言葉にしてしまっている。
自民党、と最初に言うことでそこからすらすら連鎖反応的に言葉がつながっていって演説っぽい文章が口からでてくる、そんな印象を持った。
立憲民主党の候補者自体は、それぞれ個人個人色んなモチベーションがあって選挙に立候補しているわけだから、おそらく何も考えてないということはないと思う。
だけど、それにしても演説の度に「自民党」という言葉を使わないと演説にならない今の現状は明らかにおかしい。
これじゃまるで自民党がいなかったら自分達に存在意義が無いとでも言えるような状態だ。
もちろん、LGBTやワーキングプア問題、格差の問題など、自身が特に興味を持っている分野について訴えかけをしたいという本心はあるのだろう。
だけど、そういう個別の問題を駅前で訴えても、その問題の当事者以外は関心がないわけだからどうしても共通の関心ごとをテーマに演説を組み立てないと話を聞いてもらえない事情もあるのだろう。
それは理解できる。
それでも、「自民党」という言葉を使わなければ演説が成り立たない今の立憲民主党の現状は若干残念に思う。
維新を参考にしろ、とまでは言わないが、せめて国民の極一部ではなく大多数がこれは変えないといけない、と感じていることを掬い取って演説としてまとめられないものだろうか。
LGBTや、自民党政治では声を聞いてもらえないマイノリティの意見を私たちは聞きます!と演説でもよく言っているが、これはよくよく考えてみると、経済や外交、防衛等のメジャーな問題については自民党に言ってくれ、私たちはそういう問題ではないもっとマイノリティの少数派が抱える問題に対する意見を優先して聞く、ということだ。
立憲候補の辻立ち演説にも数回参加して話を聞いていたが、こうした印象はさらに補強された。
この態度が彼らの本心であるならば、むしろ今回の衆院選で立憲民主党は実は議席を余分に取りすぎているということになる。彼らは今回おおよそ衆議院の議席の1/5を獲得した。
だが、彼らが相手にしているLGBTや特殊な事情を持つマイノリティの数を考えたら、本来の適正議席数は衆議院議席の1/10に満たないのではないか。
国民の10%に満たないマイノリティの声を聞く政党、彼ら少数派の意見を国会に届ける政党が彼らの本分であるならば、彼らは自民党のライバル、最大野党になれるはずがない。
そういう意味で言えば、2大政党制を目指すのであれば自民党vs立憲民主党という構図にはなりえないと思う。マジョリティ政党vsマイノリティ政党などという構図が生まれる訳が無いからだ。
それでも1/5の議席を獲得したということは、それはつまり彼らが相手にしていない層からの票を自民党批判によって得たということだ。
マイノリティを重視する政党なのに、議席ではマジョリティを目指す。これはやはり構造的に矛盾している。
マイノリティ重視政党が議席でマジョリティを取りたいがために、自民党批判を繰り返すことによって、彼らが自身の党のターゲットとしていない層からの票をかさ増ししている、そう言われても仕方がないのではないか。
上にはつらつらと立憲民主党への批判を書きはしたが、立憲候補の選挙ボランティアを初めてやってみて、支援した候補には愛着というか、応援する気持ちは生まれた。
選挙ボランティアに参加するのも初めてだったし、最初は普段の生活では目にしないような濃い人たちがたくさんいて面白いかも、という好奇心が動機だったが、そういう意味では参加して良かったと思っている。
彼らの良いところを上げると、やはり他人に優しい人が多い点があげられる。自民党候補の演説と比較すると、自民党候補の場合は演説内容が若干攻撃的で危機感を煽り、いわゆる扇動するような印象が強かった。
そういう演説は傍から見ると心強くもあり、決意や覚悟を伺わせるものがある。こうしたことから基本的には自民党候補はエグゼクティブ、取締役クラスというイメージが強まる。
実際、立憲民主党候補と自民党候補の印象を眺めると、自民党候補の場合は会社員をやっていても役員クラス以上までのし上がりそうな我の強いタイプが多く、立憲民主党候補は組合員クラスというか、取締役にはいなさそうな人が多い、という印象になる。自民党候補のエグゼクティブ感は、正直言って洗練されていると感じた。やはり一定規模の組織で組織構造の上部にいるような人間はある程度のカリスマ性というか何等かのテクニックを持っているような印象だ。エグゼクティブ感のある強者をサポートしているジブン、取締役クラスの大物の子分であるオレ、というポジションは多くの小市民にとっては心地の良いものであるに違いない。
それとは異なり、立憲民主党候補は、言葉自体は強い言葉を使って批判したりすることは多いが、やはり「優しい」雰囲気がある。しかし、この雰囲気自体は私は非常に好きだと感じたし、こういう優しい人達がマジョリティである世界で生きていきたいと思う自分に気づいた。「取締役クラスの大物の子分であるオレ」というポジションとは異なり、他人に優しい、いわゆる弱い奴と舐められがちな候補を支援するジブンというのは人によっては受け入れられないだろうな、とも強く感じる。
学校生活で例えると、学年を牛耳っている大物がいるグループに入りたいか、そういう大物を批判して抵抗を続ける小グループに入って生活をしたいか、どちらを選ぶか、といった問題と共通すると思う。
その結果、後者のグループに入っても良いと考える国民の概数は1/5だったと考えると、なんとなくこの例えも的を遠く外しているわけではなさそうだとも感じる。
対案という言葉が流行しているので、建設的な意見も残しておきたい。
とにかく立憲民主党の議員と国民との接点をマスコミ以外の場で作ることが必要だ。現状大多数の一般国民にとって、国会議員というのはテレビでしか見ない存在だ。
だが選挙ボランティアに参加してみて思ったのは、国会議員も普通の人間、そこらへんの日本人と99.999%以上同じDNAを持った同種族のおじさんおばさんだということだ。
選挙演説では一方方向で候補者が自分の決意を流すだけだが、もし自分達の発言が直接議員に届く場があるならば、国民の選挙や政治に関する意識も私みたいに大きく変わる可能性が高い。
もちろん、そういう生の意見をフィルタリング無しに直接ぶつける機会を作るというのは、あらゆる意味で高いコストがかかるものだということは承知している。
想定外の質問にあたふたすることだってあるだろうし、個人的な怒りを個人情報織り交ぜてぶつけだすヤバい奴に絡まれる可能性だってある。
そうだとしても、タジタジになった姿を仮に見せることになったとしても、それでもそういう場を設けるべきだ。想定外の質問なんだから、痛いところを突かれることだってある。そうだとして、答えに窮するようなことになったとしても、
我々国民は国会議員という人間が遠い世界のアイドルではなく、我々と同じように高校や大学に通って同じ空気を吸って物事考えてきた人間だと実感することはできる。
彼らのエグゼクティブなイメージは、その偶像崇拝的なイメージ戦略によって支えられていることが多い。想定外の質問に窮する姿を支持者に絶対に見せられない大きな制約を抱えていると言ってもいい。
幸か不幸か、自民党議員と比較すると立憲民主党の議員には偶像崇拝的な「強い個人」というイメージが無い。これは長所と捉えて最大限活用すべきだ。
選挙ボランティアに参加してみて強く感じたのは、我々ボランティアは立憲民主党の議員達の目には名前も顔も知らないよく知らないおっさんおばさんとしてしか認識されていないんだな、ということだ。
ボランティアでビラを配ったりするのに使った時間は1日1~2時間程度だったが、いくら愛想よくビラを配ったり声掛けをしたりしても、通行人から悪態をつかれたり嫌な絡み方をされても基本は放置だった。
つまり良い仕事をしたら評価するという姿勢も無ければ、不慣れな仕事に対して指導やサポートをするといった体制が無い。
せっかくボランティアとして選挙のお手伝いをしに行ったのだが、正直これは何とかしてほしい。議員さんたちは議員さん達で話しかけられたり声を出したりするという自分の仕事があるのでそちらにある程度集中するのは
しょうがない。だけど議員はリーダーになるべき人物であるわけで、選挙ボランティアを集めておいて何の説明も無しにビラや立憲民主党のジャンパーを渡して、あとはいい感じによろしく、ではあまりにも仕事ができなさすぎる。まともな継続性のある組織であれば、新人がチームに入ってきたときは気持ちよく動いてもらえるよう丹念に説明をしてから仕事をしてもらうのが普通だ。この説明が無いと、新人はてんでんばらばらな仕事の理解のまま、組織の活動としてやっているのに個人の責任で活動することになってしまい、まともな組織にならない。
加えて気になったのは、ボランティアの数名が議員に名刺を渡していたことだ。つまりもしかしたら議員側の人達はボランティアというのはボランティアがコネ作りのために下心をもってやってきているのであって、議員に気をかけて欲しかったら自分達が議員になるためにしてきたように秘書として仕事をしたり無償ボランティアで名刺渡して顔を売って仲間に入れてもらえるようにそっちで努力しろ、と暗に思っているのかもしれないと感じた。
彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし(※訂正あり。文末参照)、次回のボランティアもお手伝いお願いします!と言うことすらなかった。
特に選挙最終日の日の最後の練り歩きで、次回のボランティアについても協力をお願いするのでもなく、なあなあで自然解散して締めの挨拶すら無かった点は、政党活動を市民ボランティアから拡大していこうと日頃から口にしている態度とは大きく矛盾していると感じる。
これに関しては悪意があるというわけではなく、自分のことで精一杯でボランティアや他の重要でないスタッフに気をかける余裕が無かったのだと思う。しかしそれはそれで政党という一組織を作り上げる能力に少し欠けていると評価せざるをえない。せっかく支援しに来てくれている10人程度のボランティアすらまともに組織化できない国会議員が、どうやって政府与党になって何十万人もの官僚が属する組織を作り変えることができるんだ。
現在の立憲民主党は、サポートを言明している有権者の1/10にも満たないマイノリティ層+自民批判の浮動票という形で議席を獲得している。
立憲民主党が明日からでもやらなければいけないことは、この浮動票を順次立憲民主党の固定票へと変換していくことだ。そのためには、前者の特定マイノリティ層との対話だけを繰り返すのではなく、浮動票を立憲民主党に投票してくれたマス層に対して、党員になってもらうよう日頃から呼びかける活動をもっと積極的に行わなければならない。
そのためには外交や経済、国防についてのメジャーな政策についてだって国民一人一人と意見交換しなければならないが、立憲民主党がもしまだ少しでも与党として日本を率いていきたいと願う気持ちがあるのであれば、ぜひそうしてほしい。もし立憲民主党の議員が特定の少数団体の意見のみを重視しマス層の国民の意見を軽視するというのであれば、それは自民党に陳情した方がよっぽど自分達の意見が国政に反映されることになるので、俺は支持することはできない。
ビラ配り、練り歩き時に通行人のおっさんから「お前、立憲民主党の奴なのか?だったらもっと大きい声出してちゃんとやんなきゃダメじゃない。こんなんだから民主党はダメなんだ」と言われたことが強く記憶に残っている。
いや、俺は別に立憲民主党の党員でも支持者でもない通りすがりのただのボランティアなんだわ。お前はただ街に出て候補者にしょーもねーヤジ飛ばして投票するだけで終わりなんだろ?こっちは投票程度じゃ大して意味ねーと思ってるからこうやって政治活動にあくまで無報酬のボランティアで手伝いしにきてるんだわ。なんで自分では政治活動全然しない奴が無給ボランティアで政治参加してる俺らに高圧的に出るわけ?
「民主党はちゃんとやれよ」じゃねーんだわ。そう思うんならお前もなんか手伝えや。なんか、俺は税金払ってるお客様、お前らは俺らの税金で飯食ってる株式会社立憲民主党の社員、って勘違いして図に乗ってるオッサンに腹が立ってしょうがない。
お前は、アホか。
この件に関してもっと長文で思いの丈を吐き出してスッキリしたいのだが、本当に長くなりそうなのでここらへんでやめておく。
「彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし」
この部分だが、これは「ボランティアに来てやってるんだからもっとありがたく思ってほしい」という私の主観、エゴが少なからず含まれている。
この部分に関して、立憲候補者側の落ち度のように書いてしまった点は訂正するとともに謝罪したい。
選挙当日の焦燥感や最後の一押しといった高揚感の中で最優先で気を配る相手は聴衆・通行人であって、ボランティアを最優先で丁重に扱うべきという主張は後から考えると書きすぎだった。
また候補者側のスタッフからは感謝の意は受け取っており、「感謝がない」というのは誇張でした。大変申し訳ございません。
どこか別の機会にまとめようと思うが、政党政治である日本の国会で選択すべき政党というのは、イデオロギーではなく「システムの優秀さ」なのではないかと考えつつある。
システムとは、国民が自分の意見を国政に反映するための組織体制、仕組みだ。そういう意味では、日本中から批判にさらされた自民党の二階元幹事長の構築した「陳情」という仕組みは
日本の国政史上かなり高いレベルで有権者(一部の、だが)の利益を実現する仕組みだったかもしれないと感じつつある。(具体的な検証はしていないので、誤りかもしれない)
「ある文化の何かを、別の文化に属する人が自分のものにする事」が広義の意味で、その中で狭義的な意味の「支配力を持つ人間が、同意を得ずにマイノリティ文化の重要な文脈を奪う事」だぞ。
彼は自分の思っていることを一切言わなかった。というより何も思っていなかったので、主張して伝えることが一切存在しなかった。
お前の考えていることがわからんと口々に言われた。実際何も考えていなかった。
持ち前の勘の良さと運の良さだけでもって生れてから現在までの時間を流されてきた。
ある時オズの魔法使いの劇を観た。自分も何かが欲しいような気がしたが、何かを記憶するのは彼にとっては大変難しいことだったので、家路を歩いている間に劇を観に行ったことすら忘れていた。
彼は17の時に兄に連れられ風俗街で童貞を捨てた。と言っても、娼婦の思わず賞賛の拍手が巻き起こるほどの意地の力でわずかにそれに使える硬さを得た逸物を強引にねじ込まされ、そしてそのまま引っこ抜くついでに突き飛ばされただけだったが。
彼の仕事はといえば、市長の代理で議会の椅子に座らされ、だれが作ったかわからない台本に書かれたYESやNOやSUREなどのごくごく短い文字を誰だか知らない連中からの質問に対して上から順に読み上げていくことだった。なぜこんな役職についているのか彼自身も周囲の人々も知らなかったが、ただ彼の第六感が粛々とすべての運命を決めていた。
彼の22歳の誕生日の日、その茶番を終わらせるべく怒れる市民たちが議会になだれ込んできたが、その凶兆を10年前から受け取っていた彼だけはその日自宅で妹相手にカメムシの触角を使ってでっちあげた数学を教えることで免れていた。
30歳の春の日、彼は妹の結婚式の最中に、突然走って出て行って、町の西側にある断崖をよじ登り、そのままそこで暮らし始めた。誰にもその行動の意味は分からなかったが、とにかく何かの前触れだということで、町はそっくりそのまま断崖の上に移動した。
その頃ようやく彼の頭の中に記憶を留めておくための文鎮や何かを感じたり思ったりするための風見鶏が置かれ始めた。それをこしらえたのも第六感の仕事だった。
彼は言った。
「この崖は町の重さに耐えきれずもうすぐ崩壊する。皆必要なものだけ持ってできるだけそっと降りるように。」
そうして断崖は乗せていた家々もろとも粉々になった。崩れる土砂からくる風で、彼はオズの魔法使いのことを思い出した。夜になって家を失った人々が肩を寄せ合ってふて寝しているのを横目に、崩れた土砂を登って姿を消した。
それで共産は?というと、大阪のアカ嫌いは舐めたらあかん。これは行政と団体の問題をずっと見てきたらアレルギーあってしかたない。
ただ、大阪の一般ピープルは反権力志向もあるから、ここのとこブイブイいわせてる自民にもお灸を…てなったとき、維新しかないんよ。
それに維新はまだまだ市民の票次第に依らざるをえんから、自分らの意見を反映してくれるって感覚があるんよね。
youtubeでラッパーのダースレイダーと芸人のプチ鹿島がやってる「ヒルカラナンデス」って番組とか、選挙取材でたびたび話題になるフリーライターの畠山理仁の影響だよ。
ちなみに筆者こと増田の選挙へのスタンスは前回からようやく選挙公報を見るようになった程度で、演説にわざわざ足を運ぶのは初めてだよ。
選挙区は岐阜5区(多治見市、土岐市、恵那市、中津川市)で、県南東部の東濃地方と呼ばれるところ。
南西部の西濃地方(県庁所在地の岐阜市はここ)に次ぐ人口密集地。
陶器、焼き物が伝統産業(アニメ「やくも」まったく話題にならなかったね)で、西部は愛知県、東部は長野県の文化が混ざる感じの地域。
広域名古屋圏のベッドタウンの印象が強く、若干トヨタ経済圏にも属し、近年は中津川市のリニア駅建設も話題になりがち。
候補者は以下の通り。
古屋圭司(68) 現職 自民(公明推薦) 党政調会長代行(ちな総裁選で高市早苗の選対委員長) 12年に拉致問題・防災の各担当大臣
今井瑠々(25) 新人 立民 党岐阜5区総支部長 政治経験なし
この4人についてのイベントを回って感想を書きたかったのだが、結果的にメディアが本命とみる前2人のイベントしか行けなかった。
山田候補についてはツイッターやってなくて演説会とかの情報もつかめず。増田の力不足のせいだよ、ごめんね。
ついでにいうと増田はただのヒマなし会社員なので奇跡的に連休とれたここ2日間しか行ってないよ。ごめんね。
10月29日(金)
・参加者は大半がスーツまたは作業着を着た男性、一部女性。年齢層は下40上80ぐらいで、分布はやや上より。100名ぐらい?
・みんな近い業界でそろって来ているのか、関係者や参加者同士であいさつを交わす場面多し。
・選対本部長、多治見市長、自民市議、公明市議らがあいさつ。公明は女性。演説者の名簿とか掲示がなかったので覚えてないよ。
誰だったか、今井候補をさして「25歳に何ができる」的な発言、拍手起こってゲンナリ。
でも「性別は関係ないですが」とはわざわざ言いつつ「女に何が…」とは言わなかったあたり思ったよりまともな印象。
・古屋候補本人は他選挙区へ応援演説のためリモートで参加。その場にいないからかしゃべりが早口かつ一方的でよくわからず。
党の公約を高市さんと一緒に、他総裁候補みんなの思いを盛り込んで作ったって言ってたかな。でもそれ高市さんの話と矛盾してない?
・参加者は年配の男性、次いで年配の女性多め。とはいえ30代くらいもチラホラ見える感じ。200名弱?
・選挙スタッフは明らかに若い人多めで、どっちかといえば文化祭のようなノリを感じた。
・山下八州夫・選対本部長(元参議)、赤松広隆・元衆議、連合岐阜副本部長、今井候補と同級生の選挙スタッフ、高木貴行・岐阜県議(選対)が演説。
赤松さんは若者を応援するのはいいが関係ない話長すぎ。同級生は緊張しつつもラフな話と本気の語りが混ざっていて虚実の被膜!と思った。
高木県議は今井氏立候補のきっかけを作った張本人らしく、現職有利の情勢を見て悲壮感を漂わせつつも泣きながら大熱弁をふるう名役者ではあったが、
でもこれあなたの選挙じゃないんですよ感はどうしてもあった。長いよ。
・今井候補本人は非常に演説がうまく、立民の労働政策、育児・若者政策の掲げる理想と自らの地域への思いを冷静かつ熱意をもって話していた。
先の同級生を指して「~さん」と呼んでいたのが途中「~ちゃん」に変わることでまたしても虚実の被膜が揺らいだ。
参加者の年齢層を考えると妥当だが、比較的年齢の近い増田からすると「若者」「若輩者」と自ら連呼しすぎて卑下しているような印象を受けた。
10月30日(土)
・ここは増田が時間を間違えてて30分遅れで到着した結果やってなかったよ。これでも高速乗って急いだよ。ごめんね
・小関候補は元土岐市議なので最終日は土岐市内でちゃんと集会やってほしかったなと思うよ。
・前日の集会と似た感じの人たちが挨拶を交わしている。50名くらい?
・恵那市長が応援演説。地域のことを忘れない人だと太鼓判。あと恵那市議が複数
・本人の演説は堂々たる横綱相撲といった趣き。政調会長代行として高市さんとがんばりますとか、
リニア駅で地域に雇用とか、岐阜大学と名古屋大学が合体したので東濃地方に大学院作って地域に雇用とか。
中枢にいることのアピールや政策の具体性はさすがベテラン現職という印象だが、政策が地域に寄りすぎて国政選挙から離れている気がする。
あと物事を変えたり批判したりすることには意味がない(それよりも今の生活を守る)って言ってたのはわからなくもないけど残念。変化は対立軸ではないと思うよ。
・選挙スタッフと一部近所の方々のみ。全部で20名くらい?あとカメラ複数
・山下選対本部長、候補者の父、高木県議が演説。山下氏と父は簡潔で内容もよかったが、高木県議はここでも熱意のあまり話が長い。
今井候補は疲れからか下向いたり余所見したりする場面があって、カメラも入ってるのに選対のケアやフォロー体制が気になった。
・今井候補は最後の最後でも自分の演説になると内容も発声もうまく、このあたりの周到さは現職よりもすごい。
でも「いまだかつてこの地域でここまで若者が参加した選挙はあったか」というのはちょっと買いかぶりな気がした。
今政治参加する中高年もかつては若者だったわけだし、そこはちょっと内輪で盛り上がった感があった(確かに身内ばかりの状況だったけど)。
全体の感想
・2世議員の現職がどうにも有利な構図。これは建築・土木系が発展を支えた昭和からの変わらなさを感じるが、
でも今でもその仕事をしている人たちは各地方に存在する以上一理はあるわけで、一概に切り捨てられるものでもないよなあ。
・若手が大規模政党から公認を得て出馬しようとすると、どうしても支える側は元議員とか先輩議員(地方含め)になってしまう。
例えば25歳の今井候補の選対本部長である山下氏はは79歳。これだけ年齢差があるといくら山下氏ががんばっても今井候補は顎で使うの無理じゃない?
25歳なんて一般企業ならようやく30代の先輩と対等に話せるようになるくらいじゃないか。若い人が出馬するのは「厳しいお声」以外にもこういうハードルあるよなあと思う。
その点で人を使い慣れているしそれが普通に見える年配の現職はますます有利になっていくの、本当に難しいな。
・アメリカのような選挙コンサルタントが一般的になるか、本当に若者たちだけで団結する必要がある気がするが、
やっぱりそれだと地盤看板なしの戦いだし、若者は国会議員1期務める間に(若者たちから見て)そんなに若者でもなくなってしまうしなあ。
・どの候補も結局演説に集まるのは高齢者が多い。そりゃあ「若者」は朝から夕方まで仕事や学校に行ってるからな。
これでは候補者の年齢関係なく、若者政策に舵を切るのが難しいと思う。見えてないし、見えようがないからだ。
選挙に投票しない人を重視するインセンティブの働く仕組みを作れればよいのだが、それこそ難しいし、現行の制度で議員になった人はそれを支持するはずがないのでなあ。
・がんばろう三唱は通算3回やったけど、「テレビで見たやつだ!」って興奮した。
ようこそようこそって言われてこんなに一体感を感じるの、増田は奇跡的にクラスの陽キャグループに入ったときか教会の礼拝行ったとき以来だよ。
選挙戦そのものが行くと楽しく興味深いものであると同時に、使いようによっては非常に危険なものだなと感じたよ。
以上レポっす。
https://anond.hatelabo.jp/20210901112015
スペインインフルエンザの流行期間は1918〜1919年。文章を読み間違えてます。
元の文章には「いつ収束した」とははっきり書かれていませんが、前段に「1918-19年、1957-58年、1968-69年と3回のパンデミックが記録されています。」とあって、見出しにも「スペインインフルエンザ(1918-1919)」とありますから、落ち着いて読めばだいたい察しがつくでしょう。
「インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかった」と書かれてはいますが、これは「1933年までパンデミックが続いた」という意味ではありません。
この段落の趣旨は「当時の医学の水準では隔離や行動制限といった方法に頼るしかなく、一部の国では市民生活に大きな制約を課したが、感染者数は減らせなかった。」です。「当時の医学の水準」の具体的な例示としてインフルエンザウイルスが初めて分離された時期を示しているだけです。パンデミックの収束時期とは関係ありません。
横浜市長選で山中が勝って野党系が鬼の首を取ったかのように騒いだけど、
市民としては特にこれで生活が変わったとか、横浜市の政策が大きく転換したようには感じていない。
保守だろうがリベラルだろうが結局何も変わんないんだろうな、というのを身をもって実感してしまった。
だから神奈川で立憲の支持率や比例投票先が伸びてると言っても、
俺と同じように「林だろうが山中だろうが誰がやっても政治が変わらないなら自民である必要は特にないな」と思ってるだけの可能性がある。
https://togetter.com/li/1791856
たとえ「リョナ」という言葉を用いている市民に返信するという文脈にせよ、
「リョナ」をそのまま用いるのではなく、「猟奇もの」「過剰にグロテスクな表現」等の、従来からある言葉に置き換えるべきだろう。
こんなの軽率どころじゃない。一般的なSNSで淫夢ネタを使ってスリルを愉しんでいる子供と同様の下世話な好奇心を感じるよ。
話は変わるが、リョナには一段階上のゾーニングが必要だと思う。
十月の執務室は寒い。老朽化した庁舎は、あちらこちらで感染者が出た為トイレが封鎖され使用不可能になっていた。事件現場のごとく黄色いテープが貼られ、仕方なく別の建物まで足を運び用を足す。そこには、かつて共に働いた正規職員がいる。電話番号を交換した間柄の相手は二三度こちらを確認したが、顔を見合わせただけで同僚との会話に戻った。自席へと戻ると職員と市民が唸りながら攻防を続けている。ゆらゆらと垂れ下がるビニールシート。課名を掲げたプレートがだらしなくさがっている。
時折、倉庫整理を指示された。お偉方が使う立派な椅子を昇降機で運搬するのだ。真っ暗な倉庫は雨漏りし書類が濡れないようビニールに覆われていた。換気扇はある物の全体的に黴臭く湿気で蒸れる。鍵を取りに行くと一人でそこで作業する事になった。
私はピラミッド型の階層構造の最底辺で働いていた。空調は全く意味を成さず、仕方なく自宅から持ち込んだストールは偉い人に揶揄された。冬場、コートを脱がずにいたらホッカイロを手渡された事もある。ヒートテックにダサいセーター。周囲は見栄を張ってミニ・スカートで出勤していた。電気ポットはあるが、熱湯を使うにはパワハラ上司の前を通る必要があった。電子レンジは当然ない、誰も彼もマイボトルを持参する事を推奨され、私は毎朝6時半に起床し紅茶を作ることを習慣にしていた。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。
Excelや専用ソフトを用いた書類作成、それから電話応対が主な仕事であり、封筒の発注雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。コロナ禍にも関わらずパーティションはボロボロで頼りなかった。そのパーティションから顔を突き出すようにして同僚たちはお喋りに励む。
そこに常駐しているのは私一人も同然だった。時たま爆破予告があった際も、同じ島の職員は打ち合わせと称して別棟に趣き、私を残して仕事をしていた。
スマートフォンは常に手元に置いていた。心細さも多分にあったが、新卒で入社した会社の同期が励ますようなメッセージを送ってくれていた。立場が違う私の連絡先を今の職場で知る人は少ない。メールでやり取りがしたいです、と言ったところすげなく断られた。しかし職員同士ではメッセージ、メールの交換、業後の飲み会などで頻繁にやり取りは続いていた。
そんな環境で半月ほど働いた。たったの半月。その半月で、私の心は駄目になった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と電話を入れた。受話器の向こうの職員は「予約番号は?」と頓珍漢な受け答えをした。そのまましばらくぼんやりしていた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなどなかった。通常非正規の立場では任されないというバッチを効率化の為に作成しどんな環境でも瞬時に業務が終わるよう調整を繰り返した。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく昼休憩中。私は近場のショッピングセンターでストレスチェックを受けた。結果は散々で疲労度が群を抜いていた。
そんな折、結婚して職を辞した友人が気になりメールをする事にした。ワクチンは打ったのか?と確認すると無職である自分にはまだ早いと言われた。同時期、コロナの煽りを受けて業績が悪化し退職した友人が旅行中の写真を送付してきた。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この人間関係と、冷え切った体だった。
全ては心の背骨が、音を立てて折れる前の話だ。
体調を崩し病院に行くと、腰痛症と診断された。姿勢が悪いと医師に言われ、接種が義務だと伝えると絶句された。
それでも働き続けたのは、皆頑張っていたからだ。トラブルでチームの一員が異動されて少人数で回すしかなくなった。感謝の言葉は誰の口からも聞かれず、ふとした瞬間、市民からの怒号が飛び交う。その中で私はピエロになろうとした。そして、雨が連日降り続け気温は低下の一途を辿った。遂に防寒着ヒートテックで武装するしかない冬が来た。
大阪四区は魔の選挙区だなんて言われてるそうだが、前回は自民42%維新38%で8割の得票を集めてる。
今回立憲が候補たてて共産と競合したのも、一本化してもほぼ勝ち目がないからだろう。
自民維新の候補は前回と同じ。ネームバリューは政治家3代目の自民候補が圧倒的だが、維新候補は維新の追い風がある。
コロナで大失態演じたはずの維新に追い風があるのが一ミリも理解できないが、何故かあるのが大阪だ。
普通に考えれば立憲か共産に入れるなんだろうが、自民維新のどちらかの比例復活阻止のために、勝ちそうな方に入れる選択肢も浮上してくる。
でも、ただの1市民にどっちが勝つかなんてわかんないんだよな。
余計な事して落ちるはずだった奴が通る羽目になったら自分への怒りがおさまらないだろうから、おとなしく自民維新以外にいれるか……