はてなキーワード: 募金とは
この10連休は、LGBTプライドウィークになっていて、今日は代々木公園でプライドパレードもあるらしい。
何年か前までは、自分(もしくは誰か)の環境を変える一助になればと思ってパレードも歩いたし、募金とかもしてたんだけど、ある時から急に行かなくなってしまった。
1番の原因は、LGBTムーブメントに近い場所にいると心底疲れる、ってことだったと思う。
同性愛者やトランスの人、結婚したい人、過激派の人、活動家の人、ゲイやオネエなどのコンテンツとして捉えてる人、真剣にセクシャリティについて悩んでる人、ファッションセクマイの人、性に奔放な人、アライの人、新宿二丁目(などのゲイタウン)で飲むのが好きな人...。
いろんな人がいて、そんな、いろんな人たちを理解したり、存在を認めたり、場合によってはスルーしたりする事でより良く共存しようね、みたいな感じがあったかくて嬉しかった時期もあったけど、気が付いたら全方位に過剰な気遣いが強いられていて、コミュニティでパワーを持ってる人にペコペコして、繊細すぎてすぐに暴れちゃうような人にヒヤヒヤしていた。
より良く共存するためには、ヒステリックに怒り散らす人に過剰に気遣いしないと輪に入れない雰囲気になっていて息苦しかった。
自分のカテゴリを示すために、パワーのある人や発言力のある人、顔の広い人気のある人、人脈のある人に嫌われないかヒヤヒヤしながらコミュニケーションを取り続けなければならなかった。
LGBTコミュニティに顔を出していた時期もあったから、生きにくさを感じている人も沢山見てきたし、そんな友人達にとって生きやすい世界をつくる活動(署名とか、募金とか、居るということを拒絶しない姿勢を示すとか)をやってきたけど、その「変えたい気持ち」を、LGBTコミュニティ内での"生きづらさ"が上回ってしまった。
差別発言をした人に対する激しい暴言とか、バイセクシャルはストレートに戻る論とか、いつ何時も色恋に目をギラつかせている人とかにも晒され過ぎて疲れちゃった。
状況がより良くなったり、選択肢が増えることは望んでいるし、セクシャルマイノリティに限らないマイノリティ(障害者とか)も少数派だからと虐げられることのないようになればいいとは思っているけど、そう思う気持ちがこれ以上削がれるような不快な場面に直面したくなくて、離れることを選択した。
わたし不妊様。妊活5年目。原因不明。いい知らせが全く来ない。心底辛い。
無駄に規則正しく来る生理に毎月死にたくなる。無駄に来るくせにアホほど痛い。数値上は健康。そんな30代中盤。
30代中盤なので、最近周りに子持ちが増えた。と言っても周りってほとんどTwitterだったりする。何故ならオタクだから。
数年前は普通に趣味で繋がった人達が子持ちというパターンが多い。
赤ちゃんが産まれるとどうしても皆余裕が無くなる。だから育児の愚痴は増える。
Twitterだから自分が会話に参加しなくてもフォロー同士のやり取りは目に入る。
それはいい。どんどん愚痴るといい。ただ、気になる事が一つある。
たまに目に入る「不妊の人も居るなか無事に授かって幸せなのは解ってるのに愚痴る罪悪感」的なやつ。
これ何?
マウンティングだったらいいよ。そうだったら不愉快だけど。でもそうじゃないならそんな事考えるのやめてよ。
大変なのは多分本当の意味では解っちゃいないけど、とりあえずは解ってるつもりだよ。それを愚痴りたくなるのも当然なんだよ。
別にこちとらそちらの幸せの踏み台でもなんでもないんだわ。私がこの件で不幸なのとおたくの幸せは全く関係無いんだわ。
なんでそんな関係無い奴のために君達が我慢するんだ。あほらしくないか。
こっちは毎月絶望してんだわ。お金と年齢と睨めっこして、あと何回チャンスがあるのかってドキドキなんだわ。
それだけで嫌になるのに、自分の存在が他人様に我慢強いてるなんて耐えたくないんだわ。
そんな罪背負わせないでよ。こっちが勝手に不幸になってるだけなんだからそっちは勝手に幸せになってよ。
大体誰?そういう事言う奴。まぁ大体想像できる。本当お前らロクなことしないな。
当時は震源地からは離れたところに住んでいて、揺れも小さいものだった。
しかし、「地震怖いね」なんて言いながら帰った家で見たニュースは衝撃的だった。
忘れたくても忘れられない、私が経験した中で一番ショッキングで大きな出来事だ。
しかし、それからもう8年も経ったらしい。いや、まだ8年というべきだろうか。
確か、Yahoo!はすぐに震災義援金を募り、自らも支援していた気がする。
そして今も、各「3.11」検索ごとに10円募金する、という取り組みを行っている。
各著名人がこぞってSNSでこれをシェアしているのをよく見かける。YouTuberが多い気がするのは偏見だろうか。
「もちろん私も検索しました。震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。」
私はこれに違和感を覚える。
確かに今私たちがすぐできることは、検索することなのかもしれない。
たかが10円、されど10円。1万人が検索すれば10万円になる。
それが復興のために役立たれるならそんなに嬉しいことはない。
いやでも待ってよ。
それは、わたしが払った10円ではなく、Yahoo!が払った10円じゃん。
え、なんでそれで「今年も募金した!」って言えるの?
確かに8年経っても震災を風化させず、まだ義援金が必要な現実に目を向け、1人でも多くの若者の意識を変えることは立派だ。
ヒカキンさんとか、これに限らず多様な支援方法を昔シェアしてたしね。
いやでもそんなに「ご冥福をお祈り」するなら自分の財布から出せばいいのに。
YouTuber、金稼いでんなら(実際は募金してると思うけど)自分の財布から出せばいいのに。
間違ってない。でもこれで褒められるのはYahoo!のみだよ、Yahoo!が応援してるんだもん。
応援してるYahoo!を応援してる立場で、応援した気になってるの不思議。
Yahoo!の財布に頼って支援したって胸を張ってるのが謎だなって思い投稿しました。
ごめんなさい。
結論から言うと、かなりの確率で、収入の大小にかかわらず広告やアフィリエイトやっていると商用利用と見做される。だから、広告貼ってアフィリエイトブログやっている人は、自分のやっている事が商用利用、営利行為だという前提で色々と動くべきだと思う。知ってさえいれば対処はいくらでもできるし。
たとえば、ソフトウエアライセンスなどには商用利用を禁止した上で安価に販売しているものがあるけど(アカデミック版とか)、そう言うのを使って広告やアフィリエイトを貼ったブログやそのネタを作るとライセンス違反になっちゃったりする。
ちょっと前に、画像引用/転載/流用の件について色々と言われている件あったよね。ちょっと気になって調べてみた。
と言う見解が多く見られる。けど、これは結論から言うと間違いだと思う。一般には通用しない。ネット民、それも、サイト経営などをやっている人が多いとされるはてな周辺における感覚のズレだと思う。
いろいろな所の規約を調べたけど、収入を得る契約の広告(アフィリエイトを含む)があれば商用利用、営利で、少量で個人なら営利目的で無い、とする一般的な根拠は出てこなかった。ふわっとしたイメージによる解釈だと危険。
一応ネットで創作活動をしている1人として、自衛のためにどうするべきかを考えたって話です。
どちらの主張を支持するとかではありません。それから、どこまでが引用か、と言う話についても別ね。
まず「商用利用」の辞書的な、そして一般的な法律用語的な意味を調べると
「営利を追求して同種の行為を反復継続する活動」(大辞林より)のための利用、と言うことでよさそう。そして事業規模の大小が問題になるケースはある様だけど、基本的には旅館業法など、特定の法律を解釈するときに使われる例外っぽい。
辞書で調べると
とある。このまた「商用」とは
② 商業上用いること。
ここで気付くのは
というところ。
で、法律で言うところの営業とは?と調べると、こんなページが出てきた。
【業法の『業・事業・営業』の基本的な解釈(反復継続意思・事業規模・不特定多数)】
ざっとまとめると
営利とは「金銭的な利益を得ようとすること」で「反復継続性がある」と言うのは、例えば知り合いに頼まれたから100円で買った物を1000円で売った、みたいなのは「業」にならない、と言うことのよう。
で、広告収入やアフィリエイトは「金銭的な収益をえる」ための契約そのものだし、違う目的のために広告が必須と言うケースは少ないと思うので営利目的そのものだ。設置したらそのまま継続的に行うものなので、素直に判断すると商用ってことで解釈は固いと思う。
ただ、ここで「事業規模で判断する」と言う場合もあるらしい。これは民泊の解釈で出てくるものらしいのだけど、地方で大きなイベントをやるときに、年に数回、地元農家がお金をいただいて旅行客を泊める、と言う場合も旅行業法や民泊関連の許可が必要なのか? と言う場合には「社会通念的に考えて」営業では無い、と判断するらしい。ただ、古物営業法みたいに一回でもやったら営利だという厳しい解釈もあってよくわからない。
著作権法で、そのままずばりの商用の定義はない。ただ、営利という概念は出て来る。そして、やっぱり事業の大小は出てこないので、広告やアフィリエイトを貼ったら駄目そう。
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
まずは前項で説明した「営利」の考え方をそのまま流用できそうなのと、さらに「営利を目的としない上映等」として「営利」とそれ以降を分離せず条件として扱っているケースが多いっぽい。
ということで、この解釈でも金額の大小とか、実施している人が個人である場合は可、といった解釈はでてこず、営利、あるいは金銭の授受の有無のみになっているので、広告を貼っている、アフィリエイトをやっている、と言う事は商用とみて良いと思われる。
ちなみにこれ、結構問題になるやつ。これ山ほど判例があって、かなり厳格に解釈されていてめんどくさい奴です。
https://business.bengo4.com/practices/517
イベントなんかする人は気をつけてくれ。ほぼ身内だけだけど会場費にするからと実費で入場料とったりするとひっかかる
「運営費にするので、目標お一人300円募金ご協力お願いします」と紙を貼って箱置いておくのは問題無いらしい。
これも、上記法律の解釈論と同じ。広告やアフィリエイトは営業。広告やアフィリエイトを貼ったら駄目そう。
国税局はそれが商用なのかそうじゃないのかとかはあんまり関係なく、金が入ったらちゃんと申告して払え、と言うスタンスっぽい。
利益を得る目的で、同種の行為を継続的、反復的に行うことをいいます。営利目的がある限り、現実に利益を得ることができなかったとしても、また、当初、継続、反復の意思がある限り、1回でやめたとしても営業に該当します。
と言うわけで、上記法律の解釈論と同じ。広告やアフィリエイトは営業であり、ただこちらでは「事業規模」という概念が全く出てこない所がポイントっぽい。
ちなみに、このページは印紙税法に関連する文脈からの質問なので、そのあと商法上の解釈について踏み込んでいくけどそこはちょっと話が違うようだ。
この他に、NPO法人や一般社団法人の「収益事業」ってやつの解釈を見たんだけど、こっちはあんまり参考になりそうに無かった。定型的に上げられた業務に入っていれば収益事業で納税対象、そうじゃなけりゃいらん、みたいな感じでNPO法人以外には適応できそうにない。
ただ、ここでNPO法人の場合いくらアフィリエイトをやっても納税対象にはならないっぽい解釈をみつけて、そういえば最近やたらとNPO法人がやっているアフィリエイトブログみるのはこのせいなのかなとか、これはこれで調べるとおもしろそう。
みんな大好きWeb上のパブリックエネミーでお馴染みJASRACはこう定義していて、何らかの収入があれば営利目的と明確に書いている。
情報料または広告料等収入を得て行う配信、および収入の有無にかかわらず営利を目的とする者が行う配信をいいます。
※非営利団体または個人の方が、広告収入のみを得てダウンロード配信を行う場合は、例外的に非商用配信の取扱いとなります(商用配信の特例)。
ポイントは「何らかの収入があるWebサイトでの音楽利用」は商用配信だが「個人の人が広告のみなら特例で非商用扱いにする」と言うこと。だからどちらにしても、広告あり、アフィリエイトありは商用利用になるみたいだ。
JASRACの規約は文化庁に届け出て認可を得るものなので、法解釈よりも営利目的の範囲が広いということはあまり考えられないのもちょっと頭においておくといい。
新聞や一部の雑誌などをコピーする時にまとめて窓口になってくれる団体。
いろいろと調べたのだが、ここはそもそも「私的利用の範囲に含まれないのならば、金を払え」というスタンスのようで、非営利だろうと営利だろうと個人だろうと、料金の別の区分がないようだった。ボリューム割引はあるようだけど。
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
と言うことになるんだけど、この解釈では「利益を得ようとして複製したら個人的利用では無い」という解釈が普通。たとえば「限られた範囲」というのは、数人のグループのよく知った仲間うち、みたいなのも含まれるらしいのだが、そこで無料で配るならともかく、その中であっても金をとったら私的複製の範囲から超えるようだ。ここでも金額の大小は出てこない。
実際にはWebに不特定多数で上げた時点で私的利用じゃないんで、こんなシーンが実在するかわからんけども、商用利用とはどう解釈されるか?と言うがかりとして。
MicrosoftのLicenseの中には「商用利用権」という概念があって述べている。ここも「営利を得る事を目的」としていて、個人などに対して特例を儲けてない。
例えばOfficeなどは、Academic版などを買うと商用利用権がついてこない。これに関連して定義を確認すると
商用利用とは
と定義している。ここで、素直に読むと「収益を得る事を目的」たとえば「少額なら」とか「個人利用ならよい」という様な概念はない。
アフィリエイト契約は明らかに収益を得る目的になるので、営利目的とされるっぽい。
そのほかいろいろな所を確認してみたけども、少額、あるいは広告収入のみの場合は商用利用とみなさないと言う規約がある所は見当たらなかった。いや、昔はそう言う規約があった記憶があるのだけれど、見当たらない。だれか見かけたら教えて欲しい。
Webが広告収入を中心に莫大な利益を上げる時代になった今、そのような例外事項は時代遅れと見做されているみたいだった。
クリエイティブコモンズライセンスにはND,非営利のみ許可というライセンスが存在する。で、これは非営利の定義が出てきて営利を「主たる目的としない」場合には非営利とみなすことができそうだけどわざわざ特別にそうしているみたい。
「非営利」とは、商業的な利得や金銭的報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないことを意味します。本パブリック・ライセンスにおいては、デジタル・ファイル共有または類似した手段による、ライセンス対象物と、著作権およびそれに類する権利の対象となるその他のマテリアルとの交換は、その交換に関連して金銭的報酬の支払いがない場合は、非営利に該当します。
ここでようやく「商業的な利得や金銭的報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないこと」と言う解釈が出てきている。おお、ついに、と思ったのだが、これについてこういう解説記事がある。
https://wiki.creativecommons.org/wiki/NonCommercial_interpretation
ざっくり言うと、意図的に柔軟に緩く解釈ができるようにしてある、グレーの領域が多くて解釈には議論がある、と言う事が書いてある。
つまり一般的な解釈だと厳格になるから、CCではわざと緩くした、と言う事のようだ。だからこの解釈は一般的な非商用の考え方として適用は出来ないと思われる。
この他に、他の解釈では、一般的に営利団体にいる上で使用すると営利だと言う所は揺るがないのだが、ここでは営利団体にいても使用する行為が営利で無ければ使える、と書かれていたりするので、ちょっと特殊っぽい。
ただ、最終的に迷ったらNCが付いてない奴にしといた方がいいよ、とも言われている。
広告収入がごく僅かしか無い私のようなブロガーは、広告剥を剥がした方が色々と面倒が無くてよさそう。
出世ってほどじゃないんだけどアラサー終盤でやっとリーダー職になって、社会人になって初めてお給料が増えた!ちょーーーうれしい!!
今まではずっと貧乏専門職で、いつもTシャツジーパンスニーカーみたいな恰好のままPCの前でだけ仕事してたけど、立場が変わることにより生活も結構変わってきた。
まず、お客さんのところへ行くことがいきなり増えたので、ある程度ちゃんとした服を買わなきゃいけなくなった。今までファストファッション中心のペラペラな服ばっかり着てたから知らなかったんだけど、(物にもよるが)1万円代後半の服って皺がつきにくい!なんか生地がちがう!ピーンとしてる!!あとかわいい!!!
ワンピースなんかは帰宅したらファブリーズ吹きかけて、何回か着たらクリーニング出せばいいから、洗濯物の量が随分減ってラクになった。いつも平日にた溜め込んだ洗濯物を休日にまとめて洗ってたので、土曜日が洗濯機回して干してだけで終わる、絶望…ってことが格段に減って嬉しい。あと高い服はかわいい!さいこう!!
お客さんに対してもそうだけど、後輩たちにちゃんとした大人として見てもらいたいと思うようになったので、化粧品もちょっとだけ気を使えるようになった。知らなかったんだけどファンデーションって使うと減るんだね。一生使いきれないと思ってた(そもそもほぼ使ってなかった)。
中でも今まで面倒であんまりやってなかったネイルがすごく楽しい。これまですぐにハゲてたのは安いやつばかり使ってたからだったんだ。思い切ってデパートのカウンター(これまであんまり縁がなかったから緊張した)で買ってみたら、ムラになりにくいし長持ちもするじゃん、まじかよ。
爪がキレイでぴかぴかしてるって全然気分が違う!仕事中、自分の爪に落ち着いた色のネイルがきちんと塗ってあるのを見ると、自分は大人なのだ!しっかりせねば!という気持ちになれていいね。ただジェルネイルはメンテが大変そうだからまだ挑戦する勇気がない。
若い頃はそれなりに美容に興味があって頑張ってた頃もあったけど、20代の終わりごろ、自分には「結婚して家族と和やか暮らす」ことが実現できないと気付いてからは、仕事と趣味に没頭していて化粧もスキンケアも服選びもかなりおざなりになってた。宝石みたいなデパートのコスメやショーウインドーの中の綺麗な服は、どう頑張ったって自分には手に入らないんだから、視界に入っても「私には関係ない」って自動的に判断して無視してた。
でもやっと歳相応のメイクやファッションに手が届いて「頑張れば自分にも買えるんだ~」と思えるようになてから、目に映るものがみんな自分に関係あるんだと思えるようになった。今まで本屋くらいにしか用事のなかった駅ビルに、行ってみたいお店がいきなり増えた。なんかもう、何見てもすんごくキラキラして見える。
すごくいろいろあって結婚も子供もあきらめたけど、周囲は着々に結婚したり、子どもが産まれたりしている。そんな中私も容姿だけは彼らと同じスピードで着々と中年になっているのに、自分だけが幼稚な精神のまま成長せず、周囲から置いてけぼりにされてる気がしてた。
それでも、自分なりにようやく「大人になった」って自覚できるようになれたから、貧乏でも孤独でも約10年間好きな仕事を続けていてよかった。ワープアはマジで死ぬほどつらかったけどね…。
独身女は何かと風当たりが強いけど、他人に何を言われようが、私がめちゃくちゃ楽しく生きてればそれでいい。これからも私が楽しく生きていけば、これから歳を重ねてゆく女の子たちがいつか独身中年になる頃には、独り身の女だってもっと生きやすくなってるはずだ。
男も女も、結婚するひともしない人も、病気や障害がある人も。みんなが生きやすくて、他人に文句なんか言ってられないくらい楽しく生きられればいいのになーーーって言ってるそばから「子供産まない女はゴミ」みたいな雑音が毎日毎日目に入るのであった。うるせー!子供育ててないぶん経済に貢献するし、年金も収めるし募金もするし、子供いる友達んちに料理作りにいったりもするわ!!私が結婚&子育てしてないぶんのエネルギーでそれなりに世界回してるから!!!そんなことより何より私が!!!!私が幸せだからそれでいいんだ!!!!!
とにかく今がいちばん人生楽しいし仕事もめっちゃやる気だし(普通に客はムカつくよ)、高いお洋服や化粧品はかわいいでーーーす!!!私が買うからメーカーの皆様も頑張って素敵なものいっぱい売ってください!!!!!!!!以上!!!!!!!!!!!!!!!!
当方、地味な人間で人間関係もあまり良くなく楽しい学校生活は送れなかった。
T先生という人がいた。
数学を受け持つ先生だけど、数学の授業は、できる生徒、まあまあできる生徒、数学が苦手な生徒の3クラスで分けられていて自分はまあまあできるクラスで数学の授業を受けていたが、T先生は数学が苦手な生徒の授業を受け持っていて、自分とT先生は中学校の3年間で一切の関わりがなかった。
中学校の卒業式の日、卒業証書授与とかの一連のプログラムが終わって、自分も含めた卒業生たちが出席番号順に体育館から外へ出ていく。玄関に在校生と先生たちが出迎えてくれている。
みんなそこで仲が良かった人同士で記念写真をとったり思い出話をしている。
自分は他の学年の人とは関わることがなかったし、そこにいても特にやることもなかったので、そのまますぐ帰ろうと思って、ただ歩いて在校生の間を抜けていく。
突然後ろから誰かが僕の肩に手を添えて来た。振り向いたらT先生だった。「頑張れよ」と言っていた。
自分はT先生と関わりがなかったからなぜ嫌われていたのか本当の理由かはわからないが、おそらく嫌われていた原因はT先生の外見ではないかと思う。
太っていて、脂ぎってるくせ毛で、なんとなく中学生ぐらいの年齢だとそういう人を集団で嫌う現象があることに心当たりのある人も多いと思う。
自分は一切面識のなかったT先生に卒業式で話しかけれて、驚きもあり、そのまま何も言わずにT先生から離れた。
離れてT先生の様子を見てみたが、特に他の生徒に話しかける様子もなかった。T先生はなぜか僕にだけ親密だった風な言い方で話しかけて来たようだった。
「一切関わりがなかったのに、なぜ僕にだけ話しかけて来たんだろう」
ちなみにこの時思った↑の疑問の答えはその時も、今現在もわからないし、もう一生謎が解けることはなさそう。
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T先生はみんなから嫌われていたから、「自分のことを嫌わなさそうな大人しそうで地味な生徒に「頑張れよ」と言っておけばきっといい先生としてポイントアップする」と思っていたのではないか。
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僕のことを地味なやつと思って接してくるなんて、ショックだ、なんてひどい先生だ
↓
それだけでは飽き足らず人をいい先生の押し売りの道具として扱うなんて、最低だ。
↓
それもそんな最低なことを卒業式という最終日にやってくるなんて。そもそも面識にないのになぜか話しかけれて怖い。自分はT先生に対して殺意まで湧いていた。
今の年齢になって思うのは、あの時に思った↑のような考えは、全く自分本位な勘違いだとわかる。
地味でつまらない学校生活を送ってしまった自分。それを受け入れられない、見合わない高いプライドを持ってしまっていた学生時代の自分。
そんな中、嫌われ物の先生が僕を利用して、他のイケてる生徒から好かれようとしてくる。そんな勘違い。
だがもう、自分も卒業してT先生と会うこともなく、考えても仕方がないのでT先生のことは忘れていた。
T先生は僕が殺意を持っていることも知らないし、僕が辛い思いだけすれば、それはそれで良かったのだが僕が高校生になった時にT先生を傷つけてしまう。
僕は3年間バイトしていたが、2回ほどコンビニにT先生が買い物に来ているのを見かけた。
向こうは僕に気づいていたようだった、距離は5メートルほど離れていた、僕はT先生を見た瞬間に、卒業式の日の殺意がよみがえる。
顔に出てしまった、ものすごい形相でキレた顔をしてしまった。そんな僕の顔を見てT先生の顔が曇る。ショックだったろう、ごめんなさい先生。
そんな僕の様子を察してか、T先生は僕に話しかけるようなことはせず帰っていった。
1回目の遭遇から1,2習慣後、T先生がコンビニに来ているのを見かけた。僕がレジにいるのに気づいたT先生からは、ショック、または怖がっているような雰囲気がした。
T先生からしたらなぜ僕が嫌っているのか全く意味不明だろうから、そうなるのも無理はないと思う。
これは僕の予想だけど、なぜ僕が嫌いなのかの理由が知りたくて、2回目来たのではないかと、ちょっと思ったりしている。
2回目も僕はT先生に対して思いっきり嫌悪感を持った態度を出してしまった。それは別にT先生にやり返そうとかいう感情ではなく、ただ単に心の底からT先生を嫌っていて自然と態度にも出てしまったものだった。
先生を傷つけてしまったことを、今の年齢になって後悔しています。
ここまで読んでくれた方なら、なんとなくわかると思うが、僕は頭のおかしな人間だ。だからT先生、僕に嫌われても何も気にするようなことじゃないんですよ、僕が人間として至らないだけなんですよ、先生は何も悪いことをしていないんですよ。
もう何年も昔のことでT先生がどこで何してるかもわからないし、そのことを伝えることはできないわけだけど。
そして自分のこの性格で他にもたくさんの人を傷つけて来てしまった。
後悔の念ばかり、もし人生がやり直せるなら、誰も傷つけずに生きて行きたい。
もし、同じ時代に自分とは別の人間として生まれ変われるなら、僕が誰かを傷つける前に殺しに行きたい。
どうしていいかわからないので、とりあえずユニセフに毎月募金を始めた。
この世には募金ビジネス超儲かるウハウハなんて人もいるだろうけど、そんな人も含めて、僕の金で誰かが喜んでくれるなら本望な気がする。
僕が中学生の頃から、自分の驕りたかぶる性格と向き合って、後悔する努力すれば何か変わっただろうか。
この世に無数にいる人間の中で、自我を感じられるのはたった一人、自分だけ → 自分は特別という勘違い。
全ての人に主観があることに気づけない想像力のなさ、頭の悪さ、出来損ないの自分が恥ずかしい。
自分で考えても間違いだらけだった、今の僕に何ができるか、誰か頼む教えてくれ。
ソシャゲーは人の金を奪う.
この糞煮込み鍋の如きソフトウェアどもはプレイするためにあらゆる手段でリアルマネーを使わせる.基本無料だから云々という文句は受け付けない.なぜならこいつらが行っているのは実質第一種価格差別であり,それは最も効率よく企業が金を吸い上げるシステムであるからだ.
要するに500円で売り切れば500円以上出してもいいと思う人だけがきっちり500円払うのに対して,基本無料で無限に課金させるようにしておけば,100円くらいなら払ってもいいかなという人が0円ではなく100円払ってくれ,5000兆円課金して全部の絵柄が欲しいとぬかす豚は500円でなくちゃんと5000兆円払ってくれるのだ.500円の価値のものに5000兆円.そういうことだ.
おれはゲームが大好きだ.これまでの人生の少なくとも1割はゲームをしている時間だと思う.それくらいに好きだ.
ゲームのプラットフォームは時代とともに移り変わってきた.昔と比べればPCでゲームをするという行為も日本に馴染んできたと思う.しかしそれ以上に,スマートフォンでゲームをするという文化は日本の奥深くまで浸透している.
おれはスマホゲーを批判したいわけじゃあない.スマートフォンの携帯性や利便性とちょっとしたミニゲームの相性は抜群だし,指一本でプレイできる戦略性の高いゲームもたくさんある.
しかしスマートフォンというハードウェアの制約上,そこには間違いなく限界がある.全てのゲームが,スマホがスマホである範疇で快適にプレイできるわけではないのだ.少なくとも今の技術では.格ゲーやFPSをタッチパネルと指でまともに操作できるとは思えない.おまえらはどうせこの一文に対して「ボクたちはできるもん!ぷんぷん!」などと怒りを顕わにするだろうが,トッププレイヤーがスマホ対CS,スマホ対PCで同じゲームを対戦してスマホプレイヤーが勝つと本気で思っているなら病院に行った方が良い.プレイヤースキルは操作性の不自由を絶対に覆さない.
要するに,スマホでゲームを作る以上実現可能なことには限界があって,それを逸脱しようとしてもまがい物にしかならないということだ.
問題は,この国ではまがい物の方が売れてしまうということである.
ソシャゲー.他のゲームから丸パクリした取ってつけたようなゲームに,いつでも制作サイドで換装可能な絵を適当にひっつけ,あとは0.00000000001%の当たりを仕込んだゴミのような宝くじを実装した,それはもうまがい物としか言いようのない廃棄物に対して消費者が金を払うというシステムがこの国では完成している.笑えるような低コストで笑えるほどに利潤が得られるのだから,近視眼的に金を得たい企業が飛びつくのは必然である.
だがそれは逆に,真にゲームを愛し,真にクオリティの高い作品を世に送ろうとする者を殺す.苦労して作ったゲームが売れない.ふざけんじゃねぇよ.
おまえらがドブに捨てた金で本当に楽しく価値のあるゲームをプレイしようという気になっていたならば,もっとたくさんのゲームがその価値を認められていたに違いない.その機会を奪ったのはソシャゲーという巨悪であり,頭を使わず楽して金儲けをする企業であり,それに金を垂れ流すおまえらだ.
ここ数年この国では毎年E-Sports元年を迎えている.競技的にゲームをすることが毎年毎年毎年毎年ちょっとずつちょっとずつちょっとずつちょっとずつ市民権を得てきた.プロゲーマーの処遇に関してもまあ色々と問題があると思うが,それはまあ本題ではないので誰か詳しい人が語ればよい.
何がダメなのか.ソシャゲーとゲームが同値であるこの国において,ゲームの競技性が向上する余地が存在しないということである.
この存在する価値のないデジタルデブリ達は金さえ払えばゲームをクリアさせてくれる.意味が分からない.お前らは何のためにゲームをしているのか.
おれは人生において金に物を言わせショートカットをすることを批判したいんじゃあない.だがこれはゲームである.敢えて言うがたかがゲームである.たかがゲームで楽をして何が嬉しいんだ.
ゲームの目的は何だ.ゲーム体験の楽しさ,クリアによる達成感,ライバルとの切磋琢磨,プレイヤー内でのランキング,そういったものだろう.その過程にリアルマネーの入る余地があってはいけない.Pay2Winはゲームバランスを崩壊させるし,課金による近道はゲームというシステム自体を否定する.金を払うことが気持ちいいなら募金でもしてろ.
しかしながら,金を払うことでゲームをクリアするのが常識になったこの国では「自らの技を磨き,実力一本で強くなろう,人に勝とう」という意識が欠如してしまうのは必然である.
実際には,日本でも少なくない数のプレイヤーが上のようなマインドでゲームをプレイしているだろう.だがその数は,日本という国のゲーム人口や市場規模と比べると驚くほどに矮小だ.なぜなら未だに大多数が,げーむにまじになることを貶め,金の力で達成感を得ることを生業にしているからだ.これでは優秀な競技プレイヤーが一向に増えないのも当たり前だ.どれだけよい品種でも,畑が干からびているなら育つべくもない.
それでもお前らはお目当てのかわいいおんなのこのために金を貢ぎたいと言うかもしれない.だがその貢いだ金はどこに行くのか.クリエイターではない.制作会社だ.お前がかわいいおんなのこにいくら払おうが,そのかわいいおんなのこに魂を吹き込んだ偉大なるクリエイターはびた一文も儲からない.お前がこれまでに失ってきた巨額の資産は,直接クリエイターに絵を描いてもらうために使ったほうが良かったんじゃないか?
はっきり言って,ソシャゲーを根こそぎ刈り取るのは不可能と言っていい.パチンコに貧乏人どもが狂喜乱舞する国で,ソシャゲーとかいう脳を眠らせたまま金を垂れ流しているだけで快楽を得られるカスのような娯楽が流行るのは致し方ない.
ならばギャンブルに倣って規制を行ってはどうか,となるわけだが,ソシャゲーに対してそれを実行するのは非常に難しい.なぜならソシャゲーとそれ以外のゲームの線引きは非常に難しいからだ.
おれは課金制度を批判したいわけじゃあない.世の中には優良な有料DLC()が多数存在するし,それらには追加的に私財を投じる価値がある.だがそれらとソシャゲーの区別は余りに曖昧だ.個々のゲームを見て「これはソシャゲー」「これはソシャゲーではない」を論ずることはできるが,演繹的にソシャゲーの定義付けを行ったとして多数の例外が出ることはまず間違いない.結果的に課金制度そのものの規制につながりかねない.それはよくない.
そもそも一部を除いてソシャゲーは法に背いていない.お前らは自らの意思で合法的にじゃぶじゃぶ金を落としているのであって,それを理に適った大義名分で規制する術などありはしない.そしてそれらと優良なゲームの追加DLCとの間に線を引くことは,実質不可能である.
ご覧の通り,ソシャゲーはまごうことなきクソである.しかしそれと同時に,おれはそのクソをどうにかする術を何一つ提示できなかった.
結局,ソシャゲーという日本にはびこる病霜に対して,おれはほとんど無力だ.だからこうやって叫ぶしかない.
おまえらは、
今すぐ、
ソシャゲーをやめろ。