はてなキーワード: 初老とは
7万円。
①ネットで調べる
店内も高級仕様ってことらしい。
前にネットで人生辛い、死にたいって相談したら、「高級ソープに行けば人生かわるぞ」とアドバイスをもらい、
2年越しで行ってみた。
②店内~顔見せ
周りは、農家でトラクターでもそうさしてそうな、中年~初老の腹が出たおじさんばかり。
正直、死にたい気持ちだったので、別にプレイとかどうでもいいから、ハイハイ聞いてた。
10分ほどで案内される。
呼ばれて、階段を上ると、片膝ついた姿勢で嬢が待ち受ける。パンチラ
嬢「おトイレいいですか?」
増田「したいです」
③入室~風呂
部屋は、普通のソープよりかは綺麗だけど、そこまで広くもない。
部屋に入り。
嬢もまだ京都から来て5日目。この辺の料理はまだ食べたことない、あそこの料理はおいしかったよトウトウ。
で、服を脱がされて、嬢も服を脱ぐ。
最初のテンプレトーク等から、調子を作ってくれている。一級整備士みたいな嬢だなと思う。
顔は、う~ん、まあブスではないけど。目立たない新入社員みたいな。おっぱいはちょっとあるかな。
顔面偏差値で言うと、53くらい?顔面偏差値50とは言わないけど。
でも、不快感が全く無いという意味では凄い。少しだけ顔からファンデーションの粉が浮いている。
すると、キスをしてこようとする。
と思ったが。自分は昨日、諸事情があり、風呂に入れなかったため、怖くなった。
増田「あ、ごめん、そういうの風呂に入ってからでいいですか?」
嬢「あ、分かったお風呂行こうか」
④体洗い~マット準備
ゼンゼン準備せずに、出勤して、入ったのかなーって感じ。
黙って体を洗われる。やたらアナルを念入りに洗われる。
面白いのが、皿洗い用みたいな、使い捨てのスポンジを使って洗うこと。
普通の大衆ソープは、もうチョイ使い古しの泡立てみたいなのを使うイメージだ。
実は、増田は医者なのだが。患者さんの手術前の前処置で体を使い捨てのスポンジで拭いたりするんだけど。
それと同じレベルだなあと思った。
一通り体をあらい、お風呂へ。
嬢が、キスをし、耳をなめようとする。
耳は洗っていない。
増田「あ、耳は自信ないんで、やめてね」
嬢「わかったー」
なんとか脳内で好きなアイドルを思い浮かべて、いい感じでたった。
増田「じゃあ、せっかくだし、マットで」
嬢「じゃあ準備するねー」
⑤マット
マットを準備しながら、嬢が台湾出身だと言う。
台湾語にはいくつかある。台湾語と日本語と中国語を話せるなどと聞く。
驚いたのが、嬢が、「ルソー」について語った。
驚いて、突っ込んで聞いたが、ちゃんとルソーのことを知っている。
今まで、ソープ嬢やデリ嬢にあまり知的さを感じたことがなかったが。
この子は、『まとも』らしい。
ドストエフスキーの『罪と罰』では、風俗嬢の女の子に聖書を読んでもらって、主人公が感動して、「君の声で読まれる聖書は全然違うね」と言う場面がある。
何たる感動だろうか。
僕は、今まで風俗では、ある意味「教養がない女性」しか抱いたことがなかった。
僕が普段付き合いがあるような『ハイソな人格の女性』からは一生相手されないと思っていた。
しかし、この目の前の風俗嬢は、「僕の感じる人間性の前提となる知性」がハッキリとある。
それを感じ興奮してしまった。
マットについては、まあうまかった。福原の高級ソープや、熊本のブルーシャトー(裏の会員制の芸能人とか行くソープ)で働いていたということで、すごかった。
アナル舐めが、やたら舌を突っ込んでくるというか、加速度をつけてくる感じで、これは体験したことがなかった。
当たり前のように、ナマで入れて、当たり前のように出してしまった。
ブルーシャトーでの「90分で3発が基本、1回2マンで、6人相手して12万円できついのに、全然もらえなかった」みたいな話を流し聞きしていた。
⑥ベッド
ベッドで、美術について話をする
増田「パウルクレーって、子供のころはシュルレアリスムなのに、全然すごくないなって思ってた」
嬢「私も。全然すごいと思わない」
増田「でもさ、疲れた時に、見ると。なるほど、楽に見ることができる楽しみがあるんだなって。童心で見ることができる良さをこの前いきなり理解できたよ」
みたいな。
嬢も、村上隆のカイカイキキの台湾の会社を見たことがあるだとか、そういう話をしてくれた。
高級ソープも、8万くらいの吉原のピカソって店とかは、会社経営とかフリーのカメラマンとか金持ちバカリで、6万くらいだと会社員もくるらしい。8万くらいだと、身長が160後半以上の女の子しか採用されないらしい。モデルっぽい女性と、恋人みたいにトークが中心となるらしい。
話をしながら、僕は怖くなっていた。
25歳の嬢だと言う(もちろんもう少し上かもだが)。僕は20後半。
この嬢に、僕は全てのプレイをされた。僕の体で、この嬢がやっていないプレイは無い。
考えてみれば、今までの嬢には、僕は、『気を使っていた』。
相手の知的レベルに合わせて、会話しており。相手をコントロールして、プレイを『やってもらっていた』。
僕にはもうコントロールしてやってほしいことは無い。しかし、嬢はまだまだ色々やってくれるんだろう。
それが怖かった。自分の底を晒終えて、もう何もない。食われるなと。
こんな、1回7万もするようなものに、ハマってしまったら、怖いなと。
嬢がフェラして、くる。
僕は驚いたフリをして、嬢が、「高級店なら3回は当たり前だよー」。
僕はベッドに座って、嬢は床にひざまずいている。
このプレイは予想しておらず、また支配欲がそそられる。素晴らしいものだ。
嬢「え?え?ありがとー」
嬢「そうだよーw」
それで、ベットに嬢が寝て、僕が上に。
欲望のままにしていいよとのこと。
僕は、分からないと言い。嬢に教えを請うた。自分の本能を出すのが嫌というか、死にたい気持ちが強まっていた。
嬢におっぱい舐めろと言われて、舐めている。しばらく舐めると、チンチンもしょぼしょぼ。
嬢 「なんか、緊張してるのかな、マッサージしてあげる」
で、残りの30分くらいマッサージ。
⑦アフター~さよなら
マッサージが終わり
嬢 「ねえ、楽しんでくれた?なんか、悪いなーって」と言いながら、服を着せてくれる嬢。
増田 「うん、メッチャ楽しかった。あのさ、僕、死にたいとかネットで相談したら、高級ソープ行けって言われて。で来てみたんだけど。僕、台湾ハーフの女の子を抱けて。で、僕、美術系の女性が好きでさ。てか芸術とかに憧れがものすごく強くて、そんで、そういう人に中出しできたのがすごくうれしい。自分の劣等遺伝子を受け入れてもらえたのがうれしい」
嬢 「えー?そう。確かに、中年くらいだと、『妊娠してー』っていうと喜んでくれる人が多いな」
そういう感じのトーク。
サヨなら
⑧帰宅
風俗帰り。
久しぶりの友人と会って、飲みながら昔話に花を咲かせていたら、
自分では絡まれて困っていたという記憶が、どうやら長いモテ期だったようだ、
ということに改めて気づいたので自慢する。
10歳 バレンタインデーに同じクラスの女の子にこっそりチョコレートを貰う(1人)
11歳 バレンタインデーもチョコレートをたくさんもらっていたユージ君にチョコをお裾分けしてもらう
12歳 学校の帰りに知らない大人が食べものを買ってくれる(5人程度)
14歳 友人の告白の代理を頼まれる(手紙を渡す、伝言を伝える)ようになり、結果、相手に告白されてしまう(3人程度)
14歳 学校の廊下を歩いていると女子生徒が名前を叫びながら抱きついてくる(3人程度)
14歳 1つ下の後輩と同級生の女子生徒がクリスマスに家に泊まるイベントを計画し、勝手に組み込まれ参加(2人)
14歳 知らない他校の女子生徒から好かれ、結果その彼氏(ヤンキー)に駐車場に呼び出され絡まれるも会うと皆やさしい(3人)
14歳 部活(サッカー)で他校に練習試合で遠征、ディフェンダーで何ら目立つ活躍もしていないのにMVPのような扱いを受け女子生徒に囲まれる(約10人)
14歳 部活の先輩が彼女といるところを見かけただけで、その彼女がずっと見ていた、という理由により後日殴られた(1人)
14歳 英語の先生が話を聞かない、という理由だけで号泣する(1名)
14歳 音楽の先生が話を聞かない、という理由だけで授業を中断し、授業終わりまでしつこく絡んでくる(1名)
15歳 中学1年生の後輩から告白され、身に着けている物を何か渡す事で我慢してもらうが足りなくなって整理券のようなものを配る(約20名)
15歳 バレンタインデーにヤンキーの女子生徒が、自分にチョコレートを渡したいために万引きしてしまう(1人)
16歳 クラスの席で後ろの席の女子生徒にプリントを配った事で、その女子生徒が女子から嫌われてしまう(1人)
16歳 女子生徒からの告白のきっかけとして仕組まれた、下駄箱等へのいたずらが多く発生する(6人程度)
17歳 週に2回は、他校の女子生徒または男子生徒が駅で待ち伏せている(不特定多数)
17歳 彼女の弟に好かれてしまい、彼女を分かれた後にも彼女の家に遊びにいくことになってしまった(1人)
18歳 家の前に食べ物が置かれている恐怖を感じる(3人)
18歳 彼氏持ちの女子生徒からの(肉体的な)アプローチを受ける(2人)
19歳 1週間、毎日違う女が家に泊まりにきていたのを友人に見つかり、面識の無い大学4年の先輩等から女性を紹介してほしいと頼まれるようになる(不特定多数)
19歳 バイト先の女子高生、女子大生とその弟から告白される(4人)
19歳 学食のおばちゃんに気に入られ、おばちゃんの自宅で夕飯をごちそうになる(1名)
19歳 友人の実家に遊びにいくと、その妹が彼氏と別れ、母親が父親と喧嘩になった(2人)
19歳 ブラジル人に好かれ、いろいろな所に連れて行かれ、いろいろな人に紹介される(4人程度)
19歳 バイト先の社員の女性または男性が皆で交替で夕飯をご馳走してくれる(3人)
19歳 バイト先の同僚である姉妹の両方から告白される(2人)
19歳 宗教の勧誘に来た女性が勧誘しないのに定期的に家に来るようになる(5人)
19歳 教授の家に何かを取りにいかなければならない、という状況が多くなった(1人)
・・・・棚卸しが面倒になったので、そこそこのエピソードに絞る
20代 池袋で東急ハンズからの買い物帰り、なぜか女子高生に追いかけられる(15人程度)
生後3ヶ月から大学病院で経過を見てもらっていたけど、主治医に早めた方がいいと勧められ、1歳を待たずに手術することになった。
朝の9時に採血して、それが終わったら他の検査をして、午後になったら入院。
検査結果が問題なければ、次の日の朝イチで手術というスケジュール。
でも旦那に、平日朝の車移動は時間が読めない。それに事故渋滞が起きたら、確実に検査に間に合わない。
電車なら他の路線に乗り換えできるだろと言われ、しぶしぶ電車を選ぶことにした。
選んだは選んだけど、せめてベビーカーを回避しようとして荷物を整理してみた。
患部以外は問題なく、すくすくぷくぷく育った我が子は約10kg。
それからお気に入りのおもちゃと絵本を持って、徒歩で30~40分。(最寄り駅までと、ターミナル駅から病院まで)
もし途中で転んだら目もあてられないと考えて、さすがに断念した。
それで朝早く出ようとして、利用可能な路線の混雑率をチェックしたら、6時に家を出るよりも、8時台の方がむしろ空いているくらいだった。
季節は真冬。
5時台に出ても、居場所はどこにもない。
入れてファミレス。
でも電車やバス内で過ごす10分でさえ、いつ泣き出すかとハラハラしているのに、あのスペースで3時間も過ごせない。
往生際悪くも調べに調べた挙句、やや混みの電車にベビーカーで乗ることにした。
世間が電車のベビーカーに厳しいのは知っていたから、気分は憂鬱なんてものじゃなかった。
少しでも空いている分数と車両を、鉄オタさんのサイトで調べ。(めっちゃ参考になった)
一番ましな場所に乗り込むために、駅構内図を見ながら、頭の中で何度もシミュレーションした。
当日。
定刻通りにやってきた電車は、想像していたより混んでいる印象だった。
パッと見た感じ、ギリギリ入れるかな…というくらい。
でも、これを逃せば次はもっと混んでいる。
もうどうしようもないから、すみませんを連呼しながら乗り込んだ。
乗り込んだ瞬間、周囲の視線がベビーカーに集中したのがわかった。
いたたまれなくなって、誰に言うでもなく小声で謝り続けていたら、逆側のドア付近に立っていた初老のサラリーマンと目があった。
その人は手招きをして、真ん中は危ないよって言いながらベビーカーの前の方を持って、うまいこと角に収めてくれた。
ありがとうございますって伝えたら、お母さん大変だねえって言って次の駅で降りていった。
ベビーカーが収まったすぐそばに、ゲームをしてる若いサラリーマンがいた。
画面は明らかにモンハンだった。
熱中してるみたいだったから声かけるタイミングがなくて、ずっと謝りそびれてた。
どうしようかと悩んで、何駅か過ぎてチラッと見てみたら、いつの間にかゲームをやめて窓を見ていた。
どうやらそっぽを向いたまま鞄につけていたキーホルダーを揺らし、うちの子をあやしてくれているようだった。
その人はイヤホンをしていたので会釈でお礼を伝えると、ペコッと頭を下げてくれた。
ついに駅について降りようとしたら、ホーム側にいた人が、何も言わずベビーカーを降ろすのを手伝ってくれた。
あんなに悩んでたのに。
ブラウザのタブをいっぱい開いて、何日も何日も調べたのに。
気がついたら、病院までの通い慣れた道を歩いていた。
助かったと思いながら歩いているうちに、通院中のいろんなことを思い出した。
大学病院に行くたび見知らぬ人に話しかけられて、こんなに小さいのに病院通いなんてかわいそうと言われたり。
その人の元気な孫の昔話を聞かされたり。
手術を親に知らせたら、赤ちゃんが手術して本当に大丈夫なの?って聞かれたり。
万が一が起きた場合の免責事項が書かれている、手術用と全身麻酔用の同意書に署名したり。
公園で数回しか会ったことないママさんに、麻酔は猛毒だって書いてある謎の紙を渡されたり。
そんな記憶と、電車で助けてもらった出来事がグチャグチャに混ざって、頭がいっぱいになった。
しばらく目と鼻を熱くしたまま歩いていたら、ベビーカーの方から大人顔負けのおならの音がした。
思わず笑って、それで熱いのが一気に消えていった。
ベビーカー論争を目にすると、魔法のような出来事と、あの立派なおならの音が一緒になって返ってくる。
この体験を元に、電車のベビーカーについて良いの悪いのと語るつもりはない。
子供がしゃべるようになって、おならをすると「ブーした」と報告するようになったから、なんとなく思い出話をしたくなっただけ。
https://anond.hatelabo.jp/20170829154930
半年ほど前のある日、普段通りにマスをかくといつもより黄色かった。
翌日マスをかくと、鼻血出始めの鼻水のような、ほんのりピンク色だった。
さらにその翌日マスをかくと、今度はイチゴジャムのように真っ赤だった。
さすがに不安になりかかりつけの内科に行き、「精子に血が混じった」と言うと、「血精液症といって、99%心配いりません」と言われた。
ロビーでお会計を待っていると診察してくれた初老の院長先生が出てきて、俺の肩に手を置き「不安だと思うけど、本当に心配いらないからね。1週間以上続いたらまた来てね」と優しく目を見ながら言った。
先月、母が亡くなった。
母を亡くしてからとても寂しくて時々私も死にたくなる。
早く死んでしまいたい。
私には父がいない。いないというより、いるにはいるが私が生まれる頃から別々に暮らしていて、あまり面識がない。あまり会ったことのない人を父親だと思えないので、父がいないということにしている。
私は昔から内弁慶で外では大人しく良い子のように振る舞うのに家ではワガママ自己中だ。母には何度もワガママを言った。母が私を生んだ歳は初老に近い歳と言ってもいいと思う。その為、私が小学生に上がる頃には母は子育てだけではなく、更年期とも戦っていた。更年期で気分の下がる中、私のワガママはうっとおしかっただろう。更に気分の下がった母はよく、「死ぬ」ということを口にしていた。その母の口癖がうつったのか、中学に上がる前には「死にたい」とよく言う子供になっていた。
小学校高学年のとき、私はいじめにあった。今思うと、いじめではないのかもしれない。ただ、「からかい」の延長線なのかもしれない。クラスの男の子から見た目のことをよくからかわれ、それが嫌で嫌でたまらなく、自殺をした。「死ぬ」という言葉が身近だったからつらいことがあれば死ねばいいのだと思った。でも自殺は失敗した。遺書まで書いたのに、首を吊ろうとしたロープは途中で千切れ、ただ首に痣を残しただけだった。死ねなかったことがあまりにも惨めで寂しく感じ、母に、男子にいじめられてること、自殺しようとしたことを伝えたら母は泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね」と言いながら泣いた。なんだか余計に自分が惨めだと感じた。
中学の頃もいじめられた。これももしかしたらいじめられてはないのかもしれない。ただ、私は人付き合いが苦手で上手くクラスの子と話せず、完全にクラスで浮いてた。親友だった子は他の子といっぱい喋っていた。親友を取られたように感じた。
私は被害妄想が激しい方なのでもしかしたらそれは妄想かもしれない。でも、私を菌扱いしてる男子がいたことは事実だし妄想じゃないことははっきりしている。
この時も死にたくなった。でももう失敗はしたくないし、あんな惨めな思いはしたくなくて、なんとか学校に行って生きてた。
学校から帰ってきて、家の庭で何度も泣いた。家の中で泣いたらいじめられてることが母や姉にバレるから。なぜか家族にバレたくなかった。理由はよく覚えてないけど、とにかくバレたくなかった。
でも精神は不安定だから家の中で横暴な態度を取り続け、母に当たっていた。何かを察した母は「またいじめられたの?」と聞いてきた。私が母に当たる度に母はそれを聞いてきた。私はそれに腹がたって更に母に強く当たった。
そんなことが続いて、ある日母と大げんかをした。私は何かを言った。言った内容は覚えてないけど、何か、母をとても傷付けることを言った。それを聞いて母は私に「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言った。私は泣いた。産まなきゃ良かったと言われたことではなく、母にそんなことを言わせてしまったことに泣いた。私があの時母に言った言葉は覚えていないが、私が母に「産まなきゃ良かった」と言わせるような、誘導するような言葉を言った気がする。私は母をすごく傷つけただろう。
私が高校にあがり、しばらく経った時、母は癌になった。家族でいっぱい泣いた。みんなで頑張ろうと言いながら泣いた。
何度か入退院を繰り返し、発症から約1年後、母は頑張って癌を治した。
それで安心したのも束の間、私が高校を卒業する頃には母の癌が再発した。脳腫瘍だった。
私は高校を卒業した後、短大に通うために少し遠くで一人暮らしをした。母が再び闘病する姿は近くでは見ていない。姉や母がたまにかけてくる電話で母の様子を知っていた。
私が短大を卒業し、地元に戻って来る頃、二度目の闘病を母は乗り越えた。
でも、後遺症は残っていた。
身体の左半分は思うように動かないし、少し認知症のような感じの言動も見られた。
母の闘病を間近で見ていない私は認知症のように幼児退行した言動を時々起こしたり、理不尽なことを言う母を自分の母と思えなかった。
別人のように感じた。
どうしても受け入れられず、また、キツく当たってしまった。
最低だ。恥ずかしい。そんな思いはあったが、気付くとキツく当たっていた。本当にバカだと思う。
母の脳腫瘍はまた再発したのだ。
もうこれで三度目の闘病だ。担当医は「もうダメだ」というようなことを言った。
そのことは母には伝えなかった。だからなのかわからないが、母は、担当医が予想するよりも長く生きた。最後の方は意識はほとんどなかったがそれでも生きていた。
それでも私はバカだから母との残された時間を大事にしていなかった。
母が死んだのは朝方だった。病院は家から車で1時間ほどかかるところにある。寝起きの姉と私は母の最後に間に合わず、看取ることができなかった。私達が病室に着いた時、母はもう冷たかった。
「なんで私達のことを待ってくれなかったんだろう」そう思ったとき、母の「あんたなんか産まなきゃ良かった」という声が頭の中に響いた。
姉は献身的に母のことを見てたが、私は違う。バカだから母を沢山傷付けたし、悲しませた。
もしかしたら母は死に際に私の顔なんて見たくなかったのかもしれない。
周りの、親戚や母の知り合いはそんな私のことを慰めた。
ありがたい言葉だ。でも、そんなの他人の予想でしかない。母の本心はわからない。私にあんなに傷付けられ、本当に幸せだったのだろうか。自分が授けた命を無駄にしようとし、酷い言葉を投げるような娘など本当は大嫌いなのかもしれない。
だって、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言わせてしまった。
母の本心が知りたい。
私はバカだからまた、母を傷付けるようなことを口にしてしまう。死にたい。
また命を無駄にしたいと思っている。
今夜眠りに着いたら明日の朝、目が覚めなければいいのにと思う。
死んで、母に会いたい。母に会って母に謝りたい。沢山傷付けた分、沢山沢山謝りたい。
そして母の本心を知りたい。私のことを許さなくてもいい。私のことが嫌いなら罵倒されたって構わない。「あんたなんか産まなきゃ良かった」ともう一度言ってくれたっていい。なんで私達を待たずに死んでしまったのか聞きたい。
母の本心を聞いたら私のこの不安定な気持ちは落ち着く気がする。早く死にたいという漠然とした不安も無くなる気がする。
さっさと死んで、母に会いたい。
明日の朝、目が覚めなきゃいいのに。
もう辞めてだいぶ経つが、俺が客先常駐で某SIerの運用現場にいた頃に見たものである
派遣社員の事前面談は法律違反だが現場では「顔合わせ」と称して行われていたのはもう感覚がマヒしてどうでもよくなっていたが1つだけ気になることがあった。
それは「派遣社員カタログ」である、現場にいる手配師と暗に呼ばれている初老のおっさん技術者やPL宛に派遣会社から送られる社員の紹介書集である
中身は
・派遣社員の氏名
・年齢
・性別
・最終学歴
・実務経歴
・取得資格
・元寄り駅
・趣味
と言った内容が書かれた、これを見て違法な事前面談をする相手を決める
「派遣社員カタログ」と言う名称は自分で独自に付けた名前だがそういったリストがホチキスでまとめられているため、まさにカタログだった
その存在を知ったのは雑務でいらない書類のシュレッダーを頼まれたからだが「派遣社員カタログ」を見てPLが「欲しい」「いらない」と言う様は
まさに商品カタログを見て一喜一憂している人のような印象を受けた
こわい。なぜこわいって、それが僕に一切向けられてない、と少なくとも僕が感じているから。
僕は誰かれかまわず性欲を感じて向けてしまっているんだ。申し訳ないと思いながら。きもいと思いながら。
そこらでめについた尻に、ブラチラに、うなじに、欲情してしまっていて本当に自己嫌悪なのに。
僕は誰彼かまわず性欲を向けてしまっているしそれに罪悪感を感じていて、それと同じ世界で
たくさんの女性が僕以外の誰かに対して性欲を持て余しているんだ。これの怖さ、わかってくれる人いるかな?
妬ましいとか羨ましいとかじゃないよ、こわいんだよ。
だれも、性欲も愛情も向けない。少なくとも向けてるように見えない。なぜだ、いやわかっている僕に魅力がないからだろ。
財産の偏り、文化資本の偏りについては最近わりと言及されてるでしょ。でもさ、うまれつきのもてなさについては
どうやったって自己責任なんだよこの社会は。ツイッターにおけるキモくて金のないおっさんについての議論って
結局資本を与えられなかった貧乏人の話のはずなのにな。モテ度の配分は政治マターじゃないかも知らんが
すごくおおきな実存的世代的問題なんだとおもうんだぜ。承認の手段が一個だけ提示されてそれが絶対手に入らないのだもの。
これについてフェミニストと共闘ってのも無理だよ。だって、もう欲しちゃってるんだもの。
手に入らないもの、社会的に作られた欲求だとしても、求める心はすでにここにある。
ああ、みんなの幸せをいのりたいよ、。でも祈っている間に僕の人生は終わる呪詛にまみれながら。
俺のことを好きになれとは言わないよ。言わないけど、すげーいいたいんだよ!
そして、いえるやつが彼女作ってるのもわかってる
読み返さないし下書きもしないしよみづらいだろ
いいんだよ、どうせわかりやすく書けたら恋愛関係が気付けるってわけでもなし。いや、コミュニケーションがどうこうとかうっせーよ
ああ。愛したり愛されたり、してみたいなあ。くそ。しね。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/29/news118.html
おっさんで、元公人で、傲慢無礼で、そのくせわきが甘くて、100%自分のせいでやらかして
タレント性があって、冗談が通じそうだからってハラスメントしてOKなわけがない
うっかり漏れた性癖(たぶん)を本人に凸ってネットメディアの記事にするというのは
ツイッターで茶化すくらいならともかく、本人にむりやりコメントさせるのはないわ
これ、相手が小池都知事だったらとか、なよなよキャラだったらとか、若い女性だったら
と考えると気持ち悪さが伝わると思う。年齢や性別でセクハラOK/NGが変わるわけではないし
公人が不倫したりとかするのは、まあ報道されてもしょうがない面もあるが
いまはただの初老男性の、被害者もいない、法的にも道義的にも外れているわけでもない
プライベートな性について(原因は本人にあるにしろ)ことさら取り上げる気持ち悪さがある
pixiv BL小説のさわぎがあったばかりなのに、同じことやってる
さらに気持ち悪いのは、異性のライターが自分は絶対安全な場所から
男の一番の弱みである性について無神経に茶化しているところで
とにかく気持ち悪い
仕事が終わり、最寄り駅を降りて帰宅中の出来事だった。事務所内で起きたトラブルに翻弄され、極度の疲労を抱えつつ自宅までの遠い道を歩いた。いつもならばバスをつかまえることができるが、その時間はとうに過ぎていた。
自宅は住宅街の外れにあり、家までの道のりには護岸工事を施された川に架かった橋を渡る必要があった。
橋上の歩道には、等身大の裸婦像とベンチが設置されている。休日にジョギングがてら休憩に立ち寄るにはちょうどよかった。
仕事で精神的にやられた帰り道など、深夜ではあったが、やはりこの場所で小休止することがあった。真っ暗な川面に目をやると、胸の中のどす黒い感情がゆるゆると流されていく。かわりに気持ちよい風が頬をかすめ、しがらみや思いこみがほどけていく。
その日も橋に差し掛かろうという時だった。裸婦像の傍に人影がかすかに動くのを認めた。
手の甲を腰にあてて、半歩前進するポーズで遠くを見つめる裸婦像の周囲を、LED街灯がスポットライトのように照らす。街灯が旧式から替わってから、真下の眩しさと引き換えに周囲の暗さが増したためか、傍の人物は憫然としない。その人物以外、あたりはとうに人影が絶えている。
歩みを止めて、しばし見入る。
その人物(着古したジャージ姿の初老の男性)が、街灯が作る光の輪に半身を晒しつつ裸婦像の足下にしゃがみ込んでいる。
男性の左手が像のふくらはぎに優しく触れる。右手は闇に紛れて見えない。
太腿をゆっくりと這い、この時代にはふくよかに過ぎる臀部を撫で、横腹に手をすべらす。
そこから胸のふくらみを両手で撫で上げようというとき、声かけを行なった。
「こんばんは」
以前にも、自宅が分からなくなり空き地で転倒を繰り返す男性を保護したことがあった。
口調のなかに、大丈夫ですか、というニュアンスをこめつつ、気遣い4割、警戒3割、観察3割の目を向けた。
男性が跳ね起きるようにして僕を見る。
その正気に戻った顔を見て、すぐに後悔した。
私的な領域に無遠慮に踏み込んだ気まずさを落ち着かせる言葉を探す。
動揺を隠しつつ、「大丈夫ですか」と続けた。
少しの間のあと、男性が
「ああ」
と返事をした。
「体温が」
男性がぼそっと言う。
「え。感じますか、体温」
「全然」
吐き捨てるように言い、少し俯く。
「そうですか、でもリアルですよね」
「いや、全然」
次の言葉を探していると、泣き笑いの顔を上げてぽつりと言った。
「カミさんの肌にはかなわねえよ」
男性が照れたようにしてそっぽを向いた。
その時、僕の全身を、しばし味わったことのない感情が走った。
男性の胸のうちにある持っていきようの無い闇と、僕の胸のうちの屈託が、束の間に交わした言葉と風に紛れて、ゆるゆると解けていくのを感じた。
真夜中の路上で、男性は明らかに不審であったが、かく言う僕もまた、その男性にとっては見知らぬ他人であり、かつ人の領域を踏み荒らす行為は日常を逸脱した不審な行動とられても仕方なかった。
その2人が、束の間に交わす言葉で、互いの顔を取り戻した。
僕たちの間には、暗い川の上でこれから船頭のいない舟に乗せられる者同士が出会ったような、密やかな気持ちの交換があった。
「お気をつけて」
ひと言かけると
「おお、じゃあな」
と返ってきた。
僕にはそれでじゅうぶんだった。
休日の晴れ間、散歩がてら橋上に立ち寄った。あたりに人影が無いのを確かめて、裸婦像の腰を手のひらでそっと叩くと、ぬるんだ風の中で左手がぺたんと間抜けな音を立てた。
自分の後ろに並んだ女が何故か「私があなたの後ろに並んでます!最後尾です!」とアピールしてきた。
頭おかしい。
ってなってると思う。
と怒鳴られた。
「そうです……」
と困惑しつつ返答。
けれど相手は横入りしたままなので、こちらが先に並んでいたのに気づいてらっしゃらないのかな?と思いもう一度、
「あの、私たち先に並んでまして……」
と恐る恐るもう一度声をかけたところ、
え?何言ってるのこの人?
「え?ええ、並んでますよ?」
「はあ!?gfsdjiigcttjk」←もうなにを言っているかわからない日本語の文句。
「どうしたの?」
「ああ!このおばさんがわけわかんないこといってよ!」
びっくりする私たち。
子供〜高校生からおばさんといわれるなら年齢的にわかるけれど私たち女友達全員20代。
「おばさんが〜〜何何で〜〜わけわかんなくてよ」
「おばさんだからよ〜〜」
初老男性は尊重され承認されたかったのだろう、たとえ自身が横入りし相手を尊重していなくても。
失敗した。
最初にこちらをちらっと見た時の侮りを私は見逃してしまって、横入りしたことに気づいていないのかしら?と思い声をかけてしまった。
これが声をかけたのが私たちではなく初老男性と同じ男性だったならもっと違っただろうと感じた。
なぜなら初老男性は私たちをやたら「おばさん」呼ばわりする。
初老男性が若い男性に「横入りしてますよ」と声掛けされても、
「このおじさんがおかしくてよ〜〜おじさんだからよ〜〜」なんて自分より若い男性に向かって言わないだろう。
しかしながら初老男性は20代女性を「おばさん」と呼んで自身の正当性を高めざるおえなかった。
一家の主としては20代の女性達に注意されるようなことは彼にはあってはならないことだったのだろう。
初老男性の世界観では、20代の小娘が並んでいても横入りしてもよい存在であり20代の女性を罵倒しても良いのだろう。
いまあなたの周りにいる家族のうち奥さん、子供3人の女の子はあなたの言った女性差別、年齢差別を聞いている。
「女は俺を敬え」
「俺は悪くない」
「あの"おばさん"が悪い」
それでどうして尊重されるだろうか。
元増田です。前回の投稿を真摯に受け止め、ブコメ等してくださった方申し訳ございません。嘘をつきました
デブスも処女なのも彼氏いない歴=年齢なのも付き合ってくださいとか言われたことがないのも本当ですが
定年間際の、父よりだいぶ年上の上司と飲みの席で
「私犬飼ってるんですよねー」と言ったら「んん?バター犬かな?」とニヤニヤしながら言われました。それだけです
もうひとつ省いていたことがあるのですが、大学生の時、学内で他学部の見知らぬ男性に声をかけられたことがあります
友達になりたいのでメールアドレスを交換してほしいと言われ、ま、まじかよナンパってやつか?デブスのこの私に?と困惑しながら
とりあえずアドレスを交換したのですが、その日帰宅してから数時間、夜遅くまでメールに付き合わされ、
最初は「明日学食で一緒にご飯を食べよう」だったのが、「誰もいない空き教室で二人で過ごそう」という小木の提案に同意する流れになり、
小木は重度のデブス専でデブスの私と出会って即校内中出しレイプワンチャンキメようとしているか、
私の所持金とカード&通帳を狙っているかどちらかではないか?と不安になり、
いくら私が選ぶ権利のないキモヲタデブスとはいえ知り合ったばかりの小木と何か起こるのはちょっと……ゴッドタン毎週見てるから小木耐性はあるけど……と、思っていたのですが
ひょんなことから小木が学内のデブスをヤり捨てまくっている、知ってる人は知っているデブスハンターということが発覚し、アドレス拒否させていただきました。男性から異性として見られたのはこの2回だけです
この2件はいつか個別に詳しく書く予定だったので、前回は取り急ぎ「60歳近い人が相手でも異性として見られたらモテにカウントするのか+こんな体験でも非モテ男性はうらやましがるのか」確認したくなって、フェイクを交えつつ例え話として投稿させていただきました
結論としては、おおむね「モテにカウントする」「女は恵まれている」でしょうか
ほほ~~~~……では非モテ男性は60歳近くのお局や大久保佳代子さん似の童貞チンポハンターに迫られたことがあったら、
たとえ相手が初老の女性でも大久保さんでもモテはモテだから非モテを名乗ることをやめるわけですね。うらやましい体験をした、恵まれている選ばれし者として非モテを騙ることをやめるんですね。おみそれしました。非モテ男性の非モテっぷりを舐めていました
私は婚活イベントに行く予定はないですし職場の男性は親くらいの年齢で既婚者の方ばかりなのでおそらく一生デブスの喪女でしょうが、非モテ男性よりとても恵まれていてうらやましがられる経験をしたことを自覚しながらよりいっそうつつましく生きていこうと思います。ありがとうございました