はてなキーワード: 初老とは
以前、ひっどいかつら被ってる人を、電車の中で見たことがある。
一人は初老かな、若くても50代後半で、部分かつらなんだけど、
人口毛のほとんどが抜けてて、プラスチックのベース部分(マス目が正方形なグレーチングみたいなもん)が、
丸々見えてて、しかも禿げの面積と合っていない、意味の無いような物を載せてるおっさん。
頭も洗ってない、とにかく不潔な感じしかしない、無い方がまだましな状況。
もう一人はまだ30前後だったかな、変な被りもんしてるなーと思って数秒間見てたら、
頭に合ってないというのかヘアスタイルとして合ってないものが、
それに気付いた俺が逆恨みされたような感じ。
そんな変なもん載せるなよ、もう少し合ったもの探してもらえよ。
清潔にしてるんだったら、あーかつらだなこの人(黙っとこう)ってなるけど、
不潔なヤツや全く持って理解できないかつらは、止めりゃーいいのに(黙ってなきゃ)っていう表情が、
どうしても出てしまうよ。
だいたい生え際や、地肌が透けて見えないような不自然な頭髪(というのかその状況)だと、
それはまあやってるよ。老人じゃなく初老な。
銀座線の浅草駅でおりて浅草演芸場でひとつ小話を聞いてから、のんびり北へ向かうとちょうどよい時間帯になっていた。
ボランティアに行っていた頃から数えれば、もう二十年程になっている。風景は変わっていない様でいて、やっぱり変わっていると感じた。
ボランティアでお世話になったおっちゃんが半年程前に亡くなっていた、と伝え聞いたからだ。
あの頃にお世話になっていたメンバーにその話をしたところ、線香のひとつでもあげようとなったのだ。
集合場所に行くと、先に何人かが線香を上げていた。
時折移動はしていたが、大体の場所はこの橋の下と決まっていた。
ちょうど寒気がきつい時だったので、驚く程寒かったが、ちょうどよく風が通らないようになっていて、なるほど橋の上よりはマシだった。
何度か缶ビールを持ってみんなでここで飲んだ話をしていると、誰かが「じゃあ、今日もひとつ飲むか」と言い出した。
だが、流石に寒かったし、新しくできた保育園付マンションが近くにあったので、迷惑かもしれないと思い、浅草の飲み屋へと移動した。
色々な話をした。
「おっちゃん、今だったら事案だったよな」と誰かが言った。
確かに、公園で水行を行っていたりしたから、まぁ、ダメだったろう。
一人で歩いている子どもに、「迷子か?」と声を掛けていたが、まぁ、警察案件だったろう。
実際、当時でも何度か警察に注意されていた。
炊き出しの責任者の人も、やんわりと止めていたが、そういった行為のいくつかは結局やめることはなかった。
「面白いおっちゃんだったよなぁ」と誰かが言って、みんなが頷いたけれども。
今の、みんなの、本当のところはどうだったのだろう。
「そろそろお開きにするか」と誰かが言って、机を片付け始めると、初老のメンバーが「ちょっと待ってな」といってポケットからスマホを取り出した。
「何、毎回電源落としてるの?」「電池がもったいなかろうが」などと笑いながら言い合った。
立ち上がった後、スマホに向かって「もう帰ります」と言って、また電源を落とした。
「こうしておくと、俺がどうしたか音声が届くんだと。息子が設定してくれた」と笑った。
「いい世の中になったよナァ。これなら息子の嫁に世話かけずに別居できるんだから、マッタクありがたいよ」と笑った。
店の前で一本締めをして、手を挙げてみんな帰って行った。
検察と警察とか被告と被告人とかよくわかってないし、知識教養なしで書いてるからわかってる人が読むとイライラする日記になってそう。すまん。
平日に時間があったので前々から気になってはいた傍聴に行ってきた。
事前にネットで軽く下調べした。
・高裁以降は「地裁の続き」の話になる。地裁の「新件」のものが事件の話を最初からするのでわかりやすい
・地裁の作りや傍聴の流れは趣味の人や専門家などの個人のブログなどで予習ができる
という感じ。
午後は13時からと聞いていたので、12:45ぐらいに着いたのだけれど、開廷表と言う「今日のスケジュール」を見たら、刑事事件は実際は13:30くらいから始まりだすようだった。民事も傍聴できるみたいだったけど、ほとんど5分くらいしか枠がないやつだったり、そうじゃなくてもなんとなく傍聴者ほかに居るのかなって思って行きづらかったのでスルー。
「新件」は1事件50分が基本のようで、ただ授業の時間割表と異なり、興味のある複数事件を同日にハシゴしたくても、効率よく繋がるとは限らず、間が40〜90分程度開くことが多くなりそうだ。
開始時間の5分前くらいに傍聴席に着席する人が多そうだった。柵の内側の関係者で10分前くらい。傍聴席に入るドアや関係者席に入るドアに、目線の高さに小さい扉付きののぞき窓(外から中の様子が観れる)があるのが面白かった。
傍聴者は、常連っぽい私服の中高年のオッサン(失礼だがギャンブルとか好きそうな感じ)が各数人、被告や被害者の関係者っぽいスーツのリーマンが各数人、ひそひそきゃっきゃした女子大生二人組、修学旅行か課外授業かの中学生(私服だったから小学生か?)など。
道路交通法の方は、「ごく普通の一般人が、安易な気持ちで違反行為をしたら大事故になり、免許も取り消され、ついに今日、被告人と呼ばれて裁判に…」みたいな感じだった。
こんなこと本当にあるんだなぁと思った。被告人はわざとじゃなさそうだったけれど、しらじらしいくらいに最後まで「被告人は○○してください」の呼びかけに気づかず、えっ自分呼ばれました? みたいなもたつきがあった(毎回、弁護士さんが背後から小声で呼びかけてジェスチャーしてやっと動いた。)
検察が手元の紙を見ながらすごい早口で「したがってこの行為は○○法○条および○条に該当し被告人の行為は極めて悪質かつ重大と考えられます。」みたいなことをまくしたてるのがドラマっぽ〜いと思った。無駄に長い定例文だからあんなに早口になるんだろうな。
あの日はなんでそんなことしちゃったんですか? と、弁護士や裁判官、検察(警察?)から質問があって、被告人が青い顔でしどろもどろに答えるのを、素人ながらにそれ誤魔化して嘘ついてるだろって感じだったけど、裁判官も検察も、ねちっこく問い詰めたりは全然しないで、いや、それはないだろ…と内心思ってそうな間がちょっとあるだけでスルーしてたのが正直意外だった。悪い奴をバッシングして叩きのめす・いじめるんでなくて、どうすればよかった? これからはどう改めればいい? を、皆で考えましょうね、被告人はそれこそを心に刻もうね、みたいな。もしかしたらこの裁判は傍聴に中学生(小学生?)が沢山いたから、そういう傾向がひときわ強かったのかもしれないけど、(性質としても悪巧みじゃなくて事故だし)、自分の思い込みに気付かされた。
あと、弁護士からの被告への質問は、ヤラセというか、打ち合わせ済みなんだろうけど、被告が弁護士の誘導と違うことを答えちゃってそうな場面がいくつかあって、緊張するんだろうなぁ素人っぽいなあ(?)とハラハラした。なんなら検察側も、しおらしく反省してもうこんなことは二度と起こしませんそのためにはこういう風にします、という言葉を言わせようとしているんだけど、なかなか被告がそれに乗らなくて、聞かれてもないことをペチャクチャ喋っちゃって、見ていて大変に歯がゆかったです。被告人、事故は辛く思ってやらかした認識はあれど、道交法違反の方の、自分は犯罪を犯したんだって意識はあんま無さそうだったな…。
求刑って最後の最後に言われるものなんだね。最初かと思っていた。この裁判は求刑の直後くらいに判決があって閉廷だった。道交法の初犯テンプレ事件だったからかな。
判決では執行猶予について、小学生や素人被告を意識してか、裁判官から丁寧な説明があった。牢屋の中じゃなく社会の中にいながらの更生期間ということらしい。意識したことがなかったので勉強になった。
2件目は窃盗。被告の両サイドを制服の警官が挟んでいて、おおおーと思った。
開廷表からは罪名の「窃盗」と被告の氏名しかわからないんだけど、最初に検察?警察?から、詳しい説明があった。スーパーの万引き常習犯の被告はもともと警備員にマークされていて、ある日、酒とツマミを万引きして店から出た瞬間に警備員に肩を叩かれ、カバンを捨てて逃走。監視カメラの映像と、カバンの中の私物から後日警察が来て逮捕。窃盗と公務執行妨害で前科があるし、犯行は前回の裁判が終わった直後で執行猶予中。とのこと。
途端に傍聴常連っぽい人が何人か「なーんだ万引きかぁ」という感じでぞろぞろ離席したのが面白かった。
さっきの道交法といろいろ対照的だった。席もなんか左右逆だったし。さっきのは検察側が3人いたけど今度は1人。かわり?に、被告側に制服警官。下世話な話だけど、被告の身なりもホームレスみたいなヒゲ伸び放題のくたびれた初老で、弁護士が若くて化粧濃いめのお姉様で、検察がスポーツやってそうなアゴヒゲ青年で、キャラ濃かった。
ちなみに裁判官は2件ともなんかお医者さんっぽかった。熱が出たのは何時頃ですか?とかここ押すと痛いですか?みたいな感じで、スーパーに行ったとき手持ちの現金はいくらでしたか?とか訊いていた。インフルエンザは陰性でしたみたいな感じでアナタの執行猶予は何年ですと言った。
窃盗の方も、なんでそんなことしたんですか? 同じ過ちを繰り返さないためにはどうすれば? を詰めていく流れはだいたい同じ。被告は淡々と、とつとつと反省の思いを挟みながら適切に答えていった。慣れている。進行もスムーズ。ただしこちらは、嘘っぽくねそれ?という供述はつぶさに突っ込まれたいた。ただし被告の受け答えも短く適切。面接で受かるやつ。突っ込みに対しても予習済みだったのかなという感じでそれっぽく言い訳できていた。判決は数週間後の後日だった。
全体として、まあなんていうか、下世話な楽しさがあった。他人の本物の人生の、やばいことになってる部分を切り抜いて生で見ているわけで。ネットの炎上とか小町とかコピペブログの胸糞悪かったりスカッとしたりの話を見ちゃうタイプの面白さがあって、楽しいし刺激的だけど、悪趣味な楽しさだなとちょっと後ろめたい。
社会勉強になったなぁという気持ちもある。一回見といて良かったなという感じ。今回の二件とも、そういうことがあると知っていながらも、関わりはなかったので、「本当にこういうことってあるんだ…」と体験できたのは、漠然と経験値積んだというか、実績解除したぜ感がある。
本当にこんなことあるんだといえば、今回は2件とも、被告のプロフィールがわりといかにもそういうことしそうな感じというか世間的な偏見通りだったのが印象的。被告の生い立ちだ家族だ仕事だって裁判の場で言われちゃうのも個人的にはコレつらいなと思ったし、聞いて正直、あ〜ぽいわ〜と思ったし。偏見で決めつけるのはよくないと今でも思ってるけど、偏見が存在するだけのことはあるもんなんだなあと。
またいくかは微妙。平日に暇になったらタダで楽しめる…とも思うけど、時間割が当日朝現地でしかわからないし。組織的なプロの犯罪とか裁判員裁判みたいな重大なものならまた違った印象があるかもしれない。裁判員裁判は事前に日程がわかるけど傍聴は抽選制(当日朝抽選券配布)なので行けるかどうか一長一短。
当方おっさん。つーか初老。外見がおもしろい。どれくらいおもしろいかというと、鏡を見た瞬間に「ああ、これは俺に好意を抱く女性はいないですね」と、怒るでもなく絶望するでもなく、ふつうに納得するレベル。そんな人間でもなんかのまちがいで結婚できたので、人間どうなるかはだれにもわからん。ただそれは結果としてそうなったというだけであって、女性と縁のなかった年月のほうがはるかに長い。
子供のころから自分が男性であるということに強い違和感があった。といっても女子小学生になりたいとかそういうことではなくて、というか本当は女子になりたかったのだが、なりたすぎて「現実的に女性になるにはどうしたらいいのか」というようなことを考えていた。その結果、顔面がおもしろいので女性になるのは諦めた。というのが小学生のころの話である。
そこで、女性になれないのであれば、男性として生きるしかなくなったわけだが、なら、なぜ男性であることがここまでいやなのかと考えた。そもそも性別ってなんだ。ちんこついてるから男なのか。ちんこごときで俺を男扱いするのはやめてもらおうか。などと考えていて気づいた。なるほど、俺は「男性として扱われる」ことそのものがいやであったらしい。
俺が子供のころはまだまだ「男は男らしく」という価値観が相当に支配的な時代だった。「男のくせに」「女のくせに」とかがわりと平然とまかりとおった時代である。つまり俺はいろんな人たちが押し付けてくる「男性」が気に入らなかったのだ。そう気づいたのは、高校くらいになってフェミニズム関連の書籍を読んでからである。どうやら俺が気に入らなかった「これ」はジェンダーと呼ばれるものであるらしい。いやだったのは自分にちんこがついていることではなかった。フェミニズムの思想は、俺を救った。
しかしちんこついていても排尿くらいにしか使いみちがない。なぜなら俺はもてないからである。この「もてない」というのは子供のころからわりと決定的な条件だった。しかしここで「俺を愛さない女が悪い」とかはまちがっても思えないのである。なぜなら、鏡を見るとそこにおもしろい顔があるから。だれよりも最初に自分が納得しているのである。なるほど、この顔面はいかん。これはどうにもならねえ。
でまあ、最初から女性となんらかの関係を持つのは諦めていた。諦めたというか、恋愛とかそういうのは魔法やら超能力と同じようなものだと思うようになった。不思議なもので、こうなると恋愛は異世界ファンタジーである。「俺はそこには行けないが、ここではないどこかには、美しい世界があるに違いない」などと思いはじめる。実際、クリスマスの町中を歩くのが好きだった。俺には関係ない世界だが、だれかは幸せであるに違いない。そうしたものが町にあふれているのは決して悪いことではないじゃないか。
とはいえ、性欲はあるのである。幸いなことにこの世にはポルノというものがあった。まじちんこ助かる。しかし現実の女性というものをあまりに俺とは無関係なものであると判断した結果、二次以外では反応しない体質とちんこになった。そもそもが女性と性的な関係をもつ可能性を想定していないのである。ならば、その肉体は男性と同じである。俺にとって男性も女性もひとしく「人間」でしかない。青年誌とかのグラビアを見てもなにも感じない。そのころのグラビアの記憶として残っているのは、小倉優子が表紙のヤングアニマルかなにかを見たときに「これはすごい。胴が長い」と驚いたことくらいである。
こうした価値観は、俺の内部に相当の歪みとか恨みみたいのを蓄積させているらしい。個人としてはわりとさまざまな不都合があった。ただまあ、これは結婚できたからこそ言えるのかもしれないが、にもかかわらず、よかったと思っていることもある。
それは、仕事やらなんやらで出会う人間について、男と女で区別することが絶無であることだ。本当に男女の違いは心の底からどうでもいいのである。具体的には、ある特徴があったとして、それを「性別」という場所に落ち着かせることがない。というかその発想が出てこない。すべて単なる個性である。仮に巨乳だとして「なんか胸のあたりが大きい人間」でしかない。それは俺にとって二の腕がものすごい太い男性と似たような意味しか持たない。結婚してからは、女体を性的な目線でみることの意味合いが多少は理解できてきたのだが、しょせん後天的な学習の成果である。油断しているとすぐに忘れる。
もちろんこうした価値観は、どう隠したってかならず漏れる(隠そうとする知恵くらいはついた)。おもしろいのは、このスタンスで生きていると、一定数の女性からは蛇蝎のごとく嫌われることだ。理由は単純で、その人が依拠しているものを完全に否定してしまっているからだと思う。俺にとって救いのは、世代が下になるにつれ、このようなやりかたで俺を嫌う人間が減ってきていることである。まあこっちがおっさんになったという観察者問題もあるかもしれない。
フェミ関連で荒れるようなもんがホッテントリに上がってくるたびに、俺は自分がそれに救われた経験から「違う。フェミニズムってのはそういうものじゃないんだ」と叫びたいような気分になる。男とか女とかそういうの別にいい。ちんことまんこに代表されるものはそれが必要とされる場面以外では出さなくていい。まず人間だ。みんな人間だ。みんなメシ食ってうんこする。その程度のものだ。俺はアゼルバイジャンの人間よりもカレーを嫌いな人間のほうが理解できない。しかしだからといってカレーを嫌いな人間をそれだけで嫌ったりはしない。なぜうんこの話のあとにカレーの話題を持ち出した。さっきカレー食ったからだ。よけいタチが悪い。
おもしろい顔面は、俺にもてないという運命を与えた。もちろん外見だけが人間を決定するわけではない。そんなことはいやってほど理解してる。それでも「顔がダメ=もてない」という図式をかつて俺は完全に受け入れた。いまにして思えば、俺があれほど自分の性別に違和感を持ったのは「自分ではどうしようもない身体的な条件に対して、なにか義務を与える」というこの性別というものの構造そのものに対する抗議だったのかもしれない。
具体的な抗議行動として、今期は斉藤さんになって志摩リンのことを「かわいいなあ」「ほんとにかわいいなあ」「ずっとこのままでいてほしいなあ」などと思いつつ、たまにその感情が閾値を越えて友情のふりして抱きしめるという暴挙に出たい。あとあんまり関係ないけど、俺のことをキモいとか言った女子よりも、もてないことを理由に嘲笑した男たちのほうが許せない。いまでも許す気ない。
なぜ辞めたいと思ったのかというと、窓口事務がしんどいから。ワガママすぎる、とは自分でも思う、でもこれを一生の仕事にするのは、自分には無理。
窓口事務は、本当にストレスが溜まる。自分は割と温厚だと思っていたのだが、仕事が終わった後のイラつき具合に罪悪感を覚えるレベル。中でも、苦情がつらい。特に初老の男性。キレ方が尋常じゃない。最初はその剣幕に泣きまくった。今はただただ無である。もちろんいいお客さんの方が圧倒的に多い。そんなことは分かっている。(ちなみに、テラーにとってのいいお客さんとは、処理を過剰に急かさない人。書類を預けて勝手にどこかに行かない人。書類不備がない人。こういう当たり前のことを当たり前にこなしてくれる人のことである。)そんでもって、こっちが悪ければ、なるべくお客さんの都合に合わせて、訪問なり郵送なりで迅速に手続きを進められるよう尽力する。
でも、「できないものは、ただのテラーである自分に何を言われたって、できない」。例えば、委任状で他人の口座からお金を引き出す手続きは、その最たるものである。印鑑相違。名義相違。記入漏れ。本人確認書類不備。これは究極的にはお客さんの過失であって、こちらがどうこうできるわけじゃない。それなのに、「今日中に引き出さないといけない」「家族のお金なのにどうして」って、マジかよって感じである。せっかく来たのに、とか、めんどくさすぎるんだよ、とか、言いたいことはたくさんあるだろう。自分が客だったとしたら、そう感じると思う。でもあくまで、「口座にあるお金は全て口座名義人のもの」だということを分かってほしい。それ以外の人が引き出すことが、どちらかといえば例外である。
忙しいと思うけど名義人がきてくれ。それが一番めんどくないから。
あと手続きについて問い合わせたんだったらその支店に行ってくれ。お互いのために。
辞めたい理由はまだある。ミステリーショッパーとか営業目標とか転勤ありきの異動とか事務ミス発表会とか厳しい身だしなみとか。書いてたらキリがない。そして報酬が見合っていない。人間関係はとてもとてもいいけど、なんだか命を削っている感があって、疲れてしまった。最近は色々銀行関連のニュースや特集が流れているし、昔とは違うということが分かってもらえると思うが、もうなんか、語ることすらめんどい。今までいいお客さんだった人が、引き続きいいお客さんでいてくれることが願い。
家でダラダラと駅伝を見ながら、昼寝をさせていた子供を起こした。
少し子供を外で歩かせないとなーと考えながらスマホで某スーパーの電子チラシをチェックしていたら、ほしいものがあったので出かけることに。
買い物をしていたら子供が疲れたと言うので、店内にある飲食店に入り、ポテトとジュースを注文して他愛のない話をしていた。
「私は子供も社会の一員だと思っています。私の三年間の子育てを、あなたはずっとそばで見てきたんですか?!」
たしか、こんな内容だったと思う。
店員さんが声の大きくなった女性に対して、もう少しお静かに……とたしなめた。
女性と口論していたのは60くらいの女性で、そそくさと会計を済ませ店を出ていった。
と、つっけんどんに言い捨てて、これまたそそくさと会計を済ませ店を出ていった。
責められた女性はお子さんに対して「ごめんね、ごめんね」と、何度も何度も繰り返しながら、身支度を済ませて会計へ向かった。お子さんは男の子で、女性の腕にぶら下がっていた。
「この子は体はこんなに大きいのに中身が半分なんです」
店員さんはただうなずきながら話をきき、言いたいことを言い終えた女性は、お子さんを腕にぶら下げたまま店を出た。
私はただ、自分の子供の気をそらしながらその一部始終をきいていた。
女性の様子は、完全に追い詰められたような感じに見えた。
私も子供の持病があったり発達に不安があったり、専門家にかかるなど余裕がない時もあるのだけれど、そんなものとは比べ物にならないものだった。
何もできない私に、彼女に対して心ない何かをぶつけた初老の女性や男性を非難する権利はない。
ただ、発達に不安のある子を育てる心労や苦労を何もわかっていないなら黙っててくれと、そう思う。
若い男だった。
メガネをかけていて神経質そうというか、ナードっぽいというか、あたしの中の記者のイメージとは違っていた。
あたしが頷くと、彼は向かいの席に座り、タブレットをテーブルに立てた。
タブレットにはツインテールで派手な髪の色の女の子のコンピューターグラフィックが写っていた。
さすがのあたしもコンピューターグラフィックの触らない女の子のお山には興味はない……
いや、なくもないが、この会話を録音するためなのだろうが、このようなアシスタントAIを表示させておく彼の記者らしくなさの方が気になってしまう。
「いきなり本題ですいません。宇宙世紀130年ごろに見たというモビルスーツの話を聞かせてもらえますか?」
もう40年近く前だ。
それでも、あたしにとってあれは忘れられない大切な思い出だ。
ただ、それはあたしにとって大切なだけで、あたしと彼女以外の誰かにとって聞くに値する話でもない。
彼も、あたしが見たモビルスーツが気になるだけで、あの時の会話に興味があるわけではないだろう。
だけど、あたしは彼女のことをどうしても自慢したくなり、口を開く。
宇宙世紀が進むにつれ、資源の採取や工業のためのコロニーでなく、観光コロニーという有り方が生まれ始めた。
宇宙に余暇を過ごしに来るアースノイドや、商売で財をなしたスペースノイドたちを、コロニー内で作った地球より地球らしい自然で持て成すのが、あたしの住んでいた観光コロニーのお題目だった。
もちろん、この地球より地球らしいというのは、人がそう感じる、というだけで、地球や地球に住む人以外の動物にとっては、宇宙世紀以前のフィルムに現れる「間違った宇宙」のような居心地の悪さを感じるのだろう。
地球も地球に住む人以外の動物も、言葉を介さないからわからないけど。
そんな観光コロニーのホテルでマッサージ師として、あたしは働いていた。
同業者には、自分の屋号を持ち、複数のホテルを掛け持ちするような業務を行なっているものもいたが、あたしはそのホテルの専属マッサージ師だった。
その日は、ヘリウムを運ぶ木星船団の方達が地球と木星を行き来する途中に、慰安でこのコロニーに遊びに来ていた。
大通りには軽食を出す屋台なんかも出ていて、ずっと暮らしているのに少し見栄えが変わるだけで楽しくなってきた。
ぷにょふわで柔らかそうなお饅頭などを買って、食べながら職場に向かう。
「夜の時間」にコロニーが調整された時分、地球より地球らしい自然を唄う割に夕焼けみたいな表現がないのは良く上がる不満点だ、路地裏の方から男女の声が聞こえてきた。
「お姉さんいいおっぱいしとるなー」
「ありがとうございますであります、ですがその勘弁してほしいでありますが」
女性はずいぶん体格がよく、なにより健康的で圧倒的スイカをお持ちだった。
可愛いより格好良いと言われそうな雰囲気だ、豊満なお山は男性受けするだろう。
「いいだろ?
金は…… ねえな、俺ら貧乏だから、こんなコロニーきても遊ぶ金がねえんだよ!」
「いやそのお金の話はしていなく」
「そうだ! 金券ならあるぞ! あの木星のじいさんからもらった、金券だ! 金券でどう?」
うんざりだった。
金で女を買おうとする男にも、
そんなスペースノイドの地球への憧れをダシに優越感に浸るスペースノイドにも、
そんな金で成り立っているこのコロニーにも。
あたしにも。
その手は柔らかかった、硬貨と比べて。
務めているホテルまで一気に走った。
首を振る。
きっとこのお姉さんなら、自分でどうにかしていた。
二人で部屋に入り、電気をつける。
彼女の顔がよく見えた。
「アキ・ヤマトです」
互いに自己紹介をする。
そうなのかな?
宇宙移民三世だか四世ともなると、宇宙世紀以前の国の概念は今ひとつわからない。
なんでも、ヤマトというのは日本の古い名称らしく、そういうのが面白くて調べてことがあるらしい。
それから色々な話をした。
彼女の話、あたしの話、二人ともの共通の話、二人ともが知らない話。
彼女も興が乗ったのだろうか、自分が軍人でまだ公表されていない試作MSで木星船団を護衛していること、その護衛には先のコスモバロニア建国戦争でレジスタンスのエースとして活躍したパイロットもいること、けれどそのエースを差し置いて性能が優れた試作機に乗ることともどかしさ。
どこか、別の世界の話のように思えて、楽しく聴けた。
そうして、コロニーが「朝の時間」になる前にアキさんを見送った。
帰り際にまた取るに足らない話をした
「海を知ってますか?」
さすがに、それぐらいは知ってる。
アツの部分はなんなのだろう。
「アツミ殿もいつか、一人で自在に泳げるようになるといいでありますな」
あたしは彼女と二人がよかったが、そうは言えなかった。
……無粋な男だ。
仕方なく、その後観光コロニーが何かしらのテロ組織に襲撃された話をする。
10年以上後の軍の発表によると「木星船団をあえて狙うことで木星から目を背けることが目的の、木星帝国のマッチポンプ的な攻撃」だそうだ。
「それでその時にみたのが、F91とF92なんですね」
F92という呼称は、彼女が会話の中で漏らした試作機の名前で、本当にそうかはわからないし、そもそもあれがそうだったのかもわからない。
それでも、あたしの直感…… 少しニュータイプ思想のようで気味が悪い言い方だけど、
それから、ホテルで療養していたF91の方のパイロットの面倒をみていたのがあなたなんですね」
違わないけど、違うと言いたい。
あたしが面倒をみたかったのは、彼なんかじゃない。
「ふーむ、それでそのF92の形状について詳しく聞かせてもらえますか?」
色々と話すが、なにぶん40年前だ。
「へー」
「ほー」
「ふむふむ」
相槌がうっとおしい。
「わかりました。そうだ、最後にF91のパイロットの話も少しいいですか?」
はっきり言って、これこそあまり覚えてない。
……いや一つだけあるな。
ちょっとした小話だけど、彼が泊まっていた部屋の隣部屋があの夜に彼女に言い寄っていたおじさんだった。
あたしが面白がって、同僚にこの話をしたら、
何故か話が混線してしまって、おじさんでなく彼の方が「金券でどう? の人」とホテル内で呼ばれてしまい、少しかわいそうだった。
「勘違い?」
「それは、それは……」
新宿の居酒屋でバイトしている。客単価は五千円。安くはないけどすごく高いわけでもない。客層は30代から40代が一番多い。
金曜夜の居酒屋は混んでいる。超忙しい。料理を調理場から1番遠い席まで運ぶとなるとその道中で何度も呼び止められる。「すいませーん」と聞こえたら条件反射で「はいお伺いいたしまーす」と叫んでいる。だから正直、細かいところまで気を配る余裕がない。こちらはホール担当のバイトが2人しかいない状態なので、食べ物や飲み物を運び注文をとるのが限界だ。ああ、あの席灰皿がいっぱいだから取り替えてあげたいなと思っても、その瞬間にはどこからかすいませーん!!と聞こえる。みんなドリンクを頼みたいし、トイレの場所を聞きたいのだ。
ある金曜日のバイト中、店内を何度も往復しながら、初老の男女グループの席からやけに見られているなと思っていた。意味ありげにこちらを見てくる。なにか用があるのだろうかと忙しいなか一応にこりと笑いかけても、ふいと目をそらす。これで余裕があれば近づいてご注文ですか、とか聞くのだけど今はさっき席に着いたお客さんにおしぼりを渡すことが優先だ。しばらくしてまたフロアを往復してそのグループの席のあたりを歩いていると、もう1人のバイトになにか頼んでいた。どうやら焼酎の水割りをつくるための氷を新しく持ってきて欲しいらしい。ああそういえばとテーブルを見れば少し前に用意した氷は溶けてしまっていた。
「なんであの子、気づかないんだろうね。こちらから言わなきゃいけないなんて。氷お持ちしましょうか?くらい言えないのかなあ、使えないね」
びっくりした。あの子、とは確実に私のことだった。というか何なら私に聞こえるように言っているように思える。そうか、何度も目があったのは氷を持ってこいという無言のアピールだったらしい。
ただ、申し訳ないけれど、自分たちがして欲しいこと、持ってきて欲しいもの、きちんと声に出して伝えてくれないと私は対応できない。金曜夜の、満席状態の居酒屋で、数人のお客さんに目線で何かを伝えられて、それを解読している暇は、ない。
自分たちのして欲しいことを察してもらえると思っている人は結構多い。でも、要求をきちんと言葉にするというのはコミュニケーションの基本だと思う。それがお客さんと店員という関係であっても。
少し申し訳なかったなと思っていたら、こんな風に会話が続いた。
「ああ、最近多いよね」
「そうそう、俺の近所のファミリーマートなんてさ、4人店員がいるんだけど全員中国人」
「まあ、どうせあの子中国人か韓国人でしょ」の後ろに隠れているのは ( だから仕事ができなくても仕方がない ) とかだろうか。日本人だったら、自分たちの要求を察してもらえると思っているのだろうか。何度も目があった私に氷を持ってくるよう頼まずもう1人の店員を呼び止めたのは、私が中国人か韓国人だと思ったから?
ここで言っておくと、私は日本人である。両親も祖父母もひい祖父母も日本人だ。在日外国人というわけでもない。つまり彼らは私を外国人だと勝手に勘違いして、勝手にじろじろと見続けて、勝手に不満を漏らしていたわけだ。
悲しかった。中国人や韓国人に間違われたことが悲しかったんじゃなくて、日本で働いている日本人じゃない人たちがこんな風に言われたりしていることを、身をもって知ったからだ。日本人じゃないから、という理由で仕事ができないと決めつけられたり、じろじろと見られたり、文句を言われたりする。どれだけ一生懸命になって働いても、彼らが日本人じゃない限り、どうせ〇〇人だから、という一言で全てが否定されてしまう。やるせなかった。
以前バイト中にわざわざ「日本人ですか?」と聞いてきた人もいた。すごく失礼だ。日本人じゃなければ何か都合が悪いのだろうか?私はその人たちにきちんと日本語で対応し、食事を運び、お皿を下げていたつもりだったけど。
あー、まとまらなくなってきた。なんか、もっと寛容な社会であってほしいと思う。今はちょっと不寛容過ぎるんじゃないかな、いろいろと。とりあえず、それだけ。