はてなキーワード: ながら見とは
いや、どっちかっていうと、試験後に90点取ってて、「あ、やべーわ、今回全然勉強しなかったから全然点数取れなかったわ、こんなクソみたいな点数とってやべーわー」
と皆の点数を見ながら見下しながら言ってるやつだろ。
まあ、そういうやつの大半は嘘つきなわけだが。
もともとオスとメスでは、どの生物もメスがオスを選別する側だが、人間の場合はさらに顕著だ。
というのも
基本的に性行為が出来るということは、能動的に動き回れる一定以上健康な個体であり、つまり群れに貢献する立場の個体だ。
特に原始人類の生命線である炎の管理や、暖を取る衣服を作る技術、動物性と違い切らすと即飢えに繋がる植物性栄養源の採取など、群れのライフラインは概ねメスの管轄にあった。
そいつが一匹無駄に死ぬのは群れにとっての損失となる。社会性が強ければ強いほど、そういう損失は個体が子供を残すことより重要だ。
群れの構成員が一匹増えるか、一匹減るかという、五分五分のギャンブルなので、必然的に成功確率が高い間は挑んで良いが、成功確率が下がる年齢になると、メスはとっとと閉経して、以降生殖から解放され、単純に社会を維持する活動に専念するようになる。
更にそもそも生まれた子供は、これまた二足歩行の弊害で、他の哺乳類に比べ極めて未熟児の状態で生まれてくる。
成体まで持っていくには、多分なリソースを注ぎ込まねばならず、あまり育てるのに乗り気がしない子供は、原始社会では産まれてまもなく母の手で間引きされた。
選んで選んで、なんなら一生産まない方が群れへの貢献になるなら、一生産まない選択肢も下手に産むよりは良いことであり、それでもなお育てると選んだ子供だけを群れに加えて良い。
女性はひたすらに選ばなくてはならない性だ。
一方男はリスクがない。
時間がたてばたつほど精子は劣化し、それを示す加齢臭によって女性に避けられるため、選ばれる確率は落ちていくものの、別にそれでうっかり選ばれたとしても、特に子供が出来ないか、問題児が出来ても間引けば良いので、とりあえず生殖能力を維持し続けても群れの害にはならない。
ひょっとすると上手い具合に年を食っていても、育てるに値する子供が生まれる確率もないではないし、棚ボタ狙いも込めて、生殖能力は維持され続ける。
かくして例え一生涯相手にされないままでも、性的な存在であることから免れない。
選ばれることがノーリスクな分、選ばれるに越したことはなく、逆に一生選ばれないというのは、自身が無価値な存在であるということをダイレクトに突きつけられる。
なんで自分はこんなに求めているのに、向こうは誰もが片っ端から自分を断り続けて、自分抜きの方が幸せに生きられるというのか。選ぶ側になれるものならなりたい。選ばれたがる必死な相手から、自分は断れる立場になりたい。
しかし基本的にリスクがある側が、リスクと天秤にかけて選ぶ形になるのは当然だ。リスクのせいでそもそも、相手を求める度合いが釣り合っていないのだ。
一方そんな女達も、ノーリスクで選ばれる側に立てる男を羨む。
自分ではなく相手が「選んだことによるリスクの全て」を背負う。相手はそれだけのリスクを背負う覚悟を持った上で選んでくれる。そんな立場。
選ぶものと選ばれるものでは、結果は常に選ぶ者の責任になるが、その全てを負わなくて良い。選ばれずともデメリットはない状態で、あれやこれやつまみ食いする自由がある。
出来るものなら何の責任もなく、そういう立場になりたい。そう羨む。
しばらくして時代が下り、人口密度が高まると、部族闘争が増え、男の地位が高まり、やがて男達がライフラインを握って、全てを支配する文明の時代がやってくる。
初期は誘拐婚などで、オスが好きなメスを強制的に選ぶ方式ができる。
ただこれ、選ばれたがる相手の中から、優越を持って自分が選ぶ立場になれるようなものではない。
どっちかっつーと、選ばれるせいで女性は不幸になる。つまり女性としては選ばれないに越したことはない。女が男に選ばれたがってくれない。結局形的には選べても、根っこは元のままである。
あるいは交換婚が発生する。女を村の財産として別の村と交換する方式だ。
村と村の関係の円滑化にはなるが、やっぱり女性は嫌がるので、実質誘拐婚と同じである。
やがて社会構造が複雑化し、階級が生まれたあたりで、なかなか上手い制度が生まれる。
上位婚・下位婚。身分の高い男性が、低い女性を選んで結婚する。
社会の中で一番高い身分は大体男性が占めるので、最下層の男性を除けば、誰もがそれなりに結婚機会に恵まれる。
めでたしめでたし……か?
しかしオスにとっては、メスとくっつければそれだけでプラス事象だが、メスにとっては自分が選んだ相手以外とくっつくのは、一生独身であることよりも悪いマイナスでしかないことは、どうあがいても変わらないのだ。いくら文明が発達しても。
女は嫌な相手と結ばれるマイナスを帳消しにするだけの、生活環境の向上が約束されてようやく選ばれたがるようになる。
いずれの場合も、金や地位が女を選ぶ権利を持っているのであり、男は金や地位を持つことは出来ても、女を選ぶ権利を手にすることはないのだ。
相手が地位があれば、それを失うリスクが発生する、と一瞬は考えられる。
男がリスクを推してでも女を選ぶ、そんな幻想が成立するように。
しかし実際のところリスクなんて形式的なレベルくらいしかなく、大した障害もなく男は女を選べてしまう。大した覚悟もいらないままだ。
結局このシステムは、擬似的に男を選ぶ者に、女を選ばれる者にしようとはしてくれるけれど、本質的にお互い選ぶ立場にも選ばれる立場にもなれないものだ。
全員が全員、生物的なくびきと無関係に生きられるほど、余裕に溢れているわけではない。
そして中には、膨らんだ幻想を現実とごちゃまぜにしていく人たちもいる。
今でもはてなには、女同士では絶対に仲良くなれないのがデフォだとか、婚期逃して後悔する女とか、あり得ない女の幻想物語を書き散らす人がいる。
今でもブログ界隈には「仕事と私どっちが大事?」的な質問で自分を選んで職場での不幸に耐えたり、複数の女性をリスクなしに渡り歩いた結果職を失う、ありえない男の幻想物語を書き散らす人がいる。
「お前らも男に選ばれないことで不幸になれよぉぉぉぉ」という男の怨嗟と「お前らも女を選ぶことで不幸になれよぉぉぉぉ」という女の怨嗟が漂っている。
どちらも現実には叶わない夢であるがゆえ、怨嗟の声は終わらない。
女にとって独身より下手な男に目をつけられることのほうが不幸だ。女性は嫌いな男をどれだけ断り続けても、無事閉経すればむしろ男に目をつけらずに済む平和な状態になり、後は女同士で楽しく年を取っていくものだし、男性は女をどれだけほいほい軽率に選んでも、まったくリスクを背負わず、何度失敗を繰り返そうが男性社会での信用を失わず、そのまま平和に生き続けるものだ。
考察が合ってるかどうかはしらんが。
いやでも本当に、ハーレムものはいかにして、主人公に選ばれない女の子を不幸にするかに血道をあげて、逆ハーものはいかにして、主人公を選ぶ男の子を不幸にするかに血道をあげてるからなぁ。
基本ハッピーエンドものだから、両者とも不幸になる可能性を匂わせた上で、概ね結ばれた上で不幸を回避するけども。
ハーレムものだと大体、女の子は何かしか問題抱えていて、主人公と仲良くなりつつも、問題が肥大化して行き、何とかしなければならないと思った主人公の行動が、彼女を救ってめでたしめでたし。
逆ハーだと地位が高かったりするキャラは、大体それを失うリスクを犯してでも主人公を選ぶ展開、ってのをやるためにその地位持ってる。地位を失っても二人で新しい人生歩んで、それはそれで幸せ、的な結末がデフォ。
それぞれドス黒い感情を、上手く綺麗な世界に昇華しているというか。
あ、あと青年漫画・少女漫画の、異性の三下悪役とかも特徴的だよなぁ。
青年漫画でヒロイン苛める意地悪な女の子が、主人公とかに声かけた挙句振られて「女として屈辱」みたいな。
ねーよ。声かけた男に選ばれないのは、大した屈辱でもないよ。はんっ、空気よめねー奴、って思う程度だ。
どっちかっつーと声かけてもいねーキモイのに、声かけたと勘違いされて付きまとわれるほうが、よっぽど屈辱的で不幸だ。
逆に少女マンガで、ワルな男の子が所属するワルな組織で、そいつが主人公選んだせいで、「掟破りだ!!」って、男の子ボコボコにしにくる悪人仲間の男。
ねーよ。ボスの女ちょろまかしたとかでもない限り、こいつが食い扶持に困ったら女のところに転がり込ませときゃいいな、いざとなったらソープに沈めて金づるに出来るし上手くやっとけよ、ってくらいだ。
彼氏との同棲解消がもうじき本決まりになりそうで、年齢的に今後新たな異性との出会いの可能性はきわめて低く、はたして孤独に耐え切れるのかが自分の中での今後の課題になっている。
20代前半までは自分の可能性も信じていたし、結婚しなくてもひとりで生きていけると思っていた。
けれど、もともと自分を追い込むことを好んでやるマゾな性分に加えて八方美人の安請け合いを繰り返し、毒親からの干渉も重なり、うつ病になって25から26にかけて廃人生活を送っていた。
お薬と認知療法に救われて今はそこそこ人並みだが、いまだ断薬へのプロセスは一進一退でもどかしいほどに進まなくて、身体は常に重くだるくて、眠気は一日中抜けず、何より心の根底にある無気力感と虚無感がなかなか抜けない。
同棲は、おそらくうまくいかないだろう、という予感はあった。けど、大それた希望をわずかながら見出している自分もいた。もしかしたら、この人とならわたしも普通に生きられるのかもしれない、と感じることもあった。しかしやはりそれは夢想でしかなかった。同棲解消の原因はお互いにあるし、それで過剰に自分を責めることも、相手の非をあげつらうこともしたくはない。ただ、噛み合わなかったのだ。でもわたしは、本当に、まだ何も知らなかった子どもの頃以来ずっと忘れていた感覚を思い出してしまったのだ。家に帰ったら、おかえり、と言ってくれる人がいることのありがたさ。夜中目が覚めたら、隣に寝息を立てている人がいることの安らぎ。何を話すでもないけれども、そばに人がいることのあたたかさ。自分の料理を一緒に食べてくれる人がいることの楽しみ。
一人暮らしの詫びしさが、年を重ねるごとに身に迫る。
前は何でもなかった孤独という名の重しが、今はひしひしと音を立てて自分にのしかかってくる。
結局わたしは、彼を愛していなかったのかもしれない。
ただ孤独を埋めるために、彼を利用しただけなのかもしれない。
同棲に乗り気なのは彼のほうだったが、生育環境の違いでここまで違いがあるものかと驚くほどに、とにかく一事が万事、噛み合わなかった。
互いになんとかしてうまくいかせようと妥協と譲歩を繰り返し、その結果がこれだ。
シェアハウスを探したが、ド田舎のこの近辺では、メンバーの誕生会やイベントを頻繁に行うような交流メインのところが一件あるだけで、それもなんか違うように思って諦めた。
転職して都会に出ることも考えたが、仕事は気に入っているし、何よりうつ病からの一進一退を繰り返している自分にはそうそう簡単には現実的な仕事は見つかりそうもない。
なんで、やっぱり、この土地で今の仕事を続けながら一人暮らしをするしかないのかもしれない。
孤独に耐えうる何かがほしい。
猫は昔から飼っている。
仕事上がりにふらりと飲みに誘える仲間もいるし、学生時代からの友人だって。
でも皆、家庭を持っている。
家族とうまくいかなかった人間が新たな家族を求めるのは、おこがましいことなんだろうか。
努力が足りなかっただけなのだろうか。もっと努力すれば、うまくいくようになるのだろうか。
これまでの人間関係で学んできたことをよくよく肝に銘じ、親との関係で歪んでいる部分を客観視しながら、努力はしてきたつもりだった。
言いたいだけじゃないかと思う。
若い子が就職面接中に隣でアホらしい動画投稿の講座をホワイトボードで指示しながら教えてる先輩社員。
俺なんてつい一昨日まで同じ所に座ってたようなガキで、SIerとか言われても未だにチンプンカンプン。
和製英語とかカタカナ言葉とIT用語を使いたいお年頃なんだろうけど、たかがアップロード方法くらいで就労時間割いてまで協議する事かよ
団体職員つうのもミソで、あいつらのやってる事は独り善がりで他人からしたら学生時代には習得済みだろって言うような事を
マイナビとかのセミナーに行けば、一般論でしかない事をわざわざ講壇へ招いてITとは?と講義するだけだし正直それが新人に有効に使われてる所は
残念ながら見た事がない。
当り前の事を勿体付けて説教垂れこんでるようじゃ、データベース作んのも講習会受けなきゃ出来なくて不便とか以前に足洗えよと思う。
そんなことを考えてしまうほどに、彼の今回の会見は頭が悪すぎた。
いやさ、バカな詭弁をふるってる小保方の弁護士とかも一緒だけど、
所詮嘘だからさ、そりゃどんなに賢い人が釈明しようとボロが出てばかみたいになるわけよ。
嘘で証明しようとしたり何もないものをつくりあげようとするから。
私が発した「早く結婚すればいいじゃないか」という発言と、「子どもを産めないのか」といった発言がいっしょになって取り上げられていた中
多分、これは事実なんだろうと思う。「子供を産めないのか」って言った議員は恐らくわかってるだろうけど、
社会的に見て、そちらのほうが言葉が重いし、そちらの方が酷い。
だけど、本来問題はそこではなくてどちらでも一緒。
そして、さらに恐ろしいのは、ここで確実に他に「子供を産めないのか」と言った議員が居ることがわかっているのに、
彼一人を断罪して終わりにされようとしている。
自民党の中で被害を最小限に止めようと検討した結果、一番当たり障りの無い言葉を発していたこいつを表に出して後は全部消してしまおう、としただけ。
それを自民党の上の者から言われ、少なくとも発してしまった事は事実なのでこの議員は認める、というパフォーマンスをしなくてはいけなくなっただけ。
数年前、契約社員としてとある工場に勤務する事になったのですが、Sさんも同じ日からの勤務で、初日から会話する機会も多く、Sさんのお陰で人間関係の面で不安な部分は少なくなったのが今思い出せば良かった事でした。
人見知りがちな僕に比べてSさんは社交性もあり、休憩時間も他の社員さんたちにすぐに溶け込んで楽しそうな印象でした。正確に言うと楽しそうではなくて浮かれている感じでした。数年前と言えば不景気真っ只中で、Sさんも苦労してやっとこの仕事に就けたのかな?と思ったりもしながら見ていたのですが、Sさんの浮かれっぷりは数日と言わず数週間続きました。
次第に僕も「ああこういう人なんだな」というのが分かってきたものです。
Sさんは人に面白い話を披露しているように見えて実はありきたりの事を言う名人でした。あまりにありきたりで当時Sさんが何を話していたか忘れてしまったのですが、例えると「右利きの人は箸を右で持つ」レベルの話をさも人類の新たな秘密を発見したかのような口ぶりで話すという稀有な能力の持ち主で、そのため休み時間にSさんの話を聞かされるAさんは、Sさんが席を立つと毎度うんざりした表情を見せていました。
もう一つSさんと知り合った当初に印象に残ったのが、「契約社員だから危ない仕事は拒否すればいい」と僕にアドバイスをくれた事で、僕としては話を聞きつつも「そうは言ってられないよなぁ」と思っていたものです。
そんなある日Sさんは急に早退をします。周囲の話を聞くと作業中ギックリ腰になったようですが、人によっては「あれは嘘だ」と言っていてなんとも良く分からない状態でした。それからSさんはギックリ腰が原因で比較的作業が楽な別の部署に異動となりました。
その話題の時に改めてSさんのギックリ腰の事を別の人に聞くと、どうやらSさんがギックリ腰になる数日前に作業している部署で頭から水を浴びせられていたらしく(勿論水を浴びせた側は過失を装ってですが)、その近くには毎日Sさんの話を聞かされてうんざりしていたAさんが笑っていたとの事でした。Sさんは以前に僕にアドバイスしたようになんらかの仕事を拒否していたようで、Sさんに仕事を教えていたBさんが頭にきて水をかけたのでは?との事でした。Aさんは多分Bさんから何をするのか知らされていてその場にいたようです。
部署の異動であれからほとんど交流がなくなったSさんですが、彼がいつ頃まであの会社で働いていたのか少し気になったものでした。
新宿の駅の階段、伊勢丹のエスカレーター、自転車で通勤するミニスカOL。
あふれるパンチラの可能性に囲まれながら、パンチラにはなかなか遭遇しない、そんな僕の人生。
ぐったりするような残業を毎日繰り返し、ある種の清涼剤とでも言うべきパンチラにはなかなかお目にかかれない(意図的に見たら犯罪です)。
パンチラは自然な目撃でなければならないというルールがあるのだが、なかなか自分の前ではパンチラが発生しないのものだ。
僕のこれまでの人生で考えると、パンチラ発生率は1年に3回くらいだ。おお、なんと少ないことか!
だが全くないわけではない事に希望が持てる。年に3回で4ヶ月に1回くらいはパンチラに遭遇できるということは、120分の1で「パンチラの日」という事だ。
期待できないわけではなく、頻繁なわけではない、とても絶妙な出現率というのが120分の1という確率なのだ。
上司に怒鳴られ、部下から陰口を言われ、ぎゅうぎゅうの電車通勤をし、胃を痛くしながら生活している自分にとって、一種の清涼剤となる120分の1のパンチラ。
パンチラの無い世界だったら、果たして僕は生き延びていけるのだろうか。
パンチラが無い世界、たとえば女性がパンツを履かない世界だったらどうか。パンチラでなく局部チラ、である。
街の中で局部チラを残念ながら見た経験はないが、おそらくナマナマしすぎて、清涼剤的な効果は得られないであろう。
局部を覆う1枚のシャレオツな布があるからこそ、パンチラのパンチラとしての価値があるのではないだろうか。
○朝食:なし
○調子
普通。
5pbのXboxOne向けゲームタイトル発表会を大興奮しながら見ていた。
うんうん、九月の発売に向けて熱気が高まってくるのを感じるね。
僕が360を買ったのは、シュタインズゲートがキッカケだから、こうして科学ADVシリーズがONEでも出てくれるのはとても嬉しい。
ただ「みんな持ってるスマートフォンで体験版出すよー!」って言ってるときに、WP向けには出ないのが残念だなあ。
WindowsPhone8の日本展開はまだなのかなあ、気になります。
○Fable2
ハマーとの感動的な別れと共に、監獄のようないにしえの塔に潜入することに。
そしてあーだこーだあったのに、十年!?もの年月を重ねて、ようやく、ウィルの英雄を救出。
ハマーやテレサと再開し、三人パーティーとなり、クエストを攻略。
となったのもつかの間、二人とは離ればなれになり、クエストをこなすことに。
途中、懐かしのオークベール村(1の主人公の生まれ故郷)を通ったりしたりなんやかんやあって、
が、彼を仲間にするには、相当な名声ポイントをためなければいけないらしく、足止め。
今日はこの辺りで休憩とする。
http://anond.hatelabo.jp/20140511001043
すでに指摘されてるけど、長文であげてるところはすべて問題点ではなく、艦これがそういうゲーム・運営だというだけ。
どんなに準備・レベリングしても運ゲーの確率・試行回数をちょっと下げるくらいでしかない。
「貯めた資源を使って回数ですりつぶすんだよ」という擁護が絶対に沸くのはそのせい。
だから結局のところ、艦これに不平不満をもらす人間の根源的な原因は、ゲーム・運営が悪いのではなく、自分が合わないというだけにすぎない。
結局運ゲーになるっていうところと、マクロ対応やその他不誠実なところがプレイヤーに甘く評価されがちな運営が気に入らないならやめればいい。
もしくは単なるキャラゲーだと割りきって、キャラを把握したらやめるくらいの楽しみ方にとどめておくのがいい。
俺は春E5でそういう諦観をやっと実感として持てたから、GW以降演習をちょくちょくやるくらいしかプレイしてないよ。
デイリーを南西以外全部こなすことすらやめたよ。
春イベ前は、デイリーどころかイベントに向けた空母、ドラム缶要員、航空巡洋艦要員のレベリングと思って5-4をひたすら回すくらいやりまくってたけど。
目が覚めた感じ。
個人的な不満点は全部あんたの言うところと同じだよ。
対人要素ないっつっても、必然的にソーシャルで話題を目にする機会も多いから、どうしても自分と比べてしまってネガティブになっちゃうのは避けられないし。
でもそこらへんの少数の既存ユーザが不満感じてるところを修正しなくても、口開けてるだけで新規がいくらでも入ってくるんだからそっち重視するのも運営方針としては当たり前だし。
あと、ネガティブな意見がことさらに叩かれるのもげんなりする。
好きなものを否定されたらどんなに予防線張られてたってむかつくのは当然なのはわかるけど、どれだけ気を遣った表現にしても短絡的に叩かれる。
嫌ならやめろっていう思考停止厨がよく沸くけど、艦これについてはマジでこれ。煽りでもなんでもなく。
やめるか、コミット度合いをかなり減らして別のことしたほうがいい。
艦これは最後まで変わらないよ。運ゲー、キャラゲー、お祈りゲー、無心で回数こなしゲーのままだ。
ゲーム自体、運営、信者というそれぞれの要素において合う合わないが顕著に現れるから、どれかが自分に合わないと感じたら早い段階でやめたほうがいいというのが最初で最後の真理。
流行ってるからというだけでやるには、艦これはゲームとしてはあまりにも苦行すぎる。
だからといって豚になるのはまだ早い。
朝潮はいつもそばに控えている。直立不動だけど疲れを必死に押し隠そうとしている。疲れて水分補給したくなったときにprprprprprprする。朝潮だけに塩の味がする。冬に指先が冷たくなったらニーハイの中に手をつっこめばいい。汗で蒸れてるくらいで驚く。あと乳首つんつんしてモールス信号ごっこね。ただ、まだしこりを残した固い胸に対して無理に触るのはよくないことは留意すべき。
文月はいつも足をばたつかせながら俺のひざの上にいる。つまらなさそうしてるのを我慢してるように見えるときもあるから、退屈ならどっか別の場所で遊んでてもいいよと言うんだけど、俺の膝の上から離れようとしないから困ったものだよ。ふざけて脇腹をくすぐるときに間違っておむねのあたりをわきわきしてしまっても、ちょっと戸惑った「?」顔でこっちを見上げて「なんですかなんですか?えへへ^^」と笑ってくれる文月ちゃん。ずっと年をとらず性に目覚めることはないから、後々思春期の娘に対する父親のような事例が発生する危惧もない。
睦月が中破して大泣きして帰ってきたから急いでお風呂に入れて新しい服きせてあげてよくがんばったねとほめてなでなでしてあげる。そうするとまだ少し涙目だけど笑顔に変わるんだよ。
長良と一緒にトレーニングしてるつもりで毎日筋トレしてる。上腕二頭筋がすっげーがっちりして大胸筋も盛り上がってるくらい。腹筋も見える。なかやまきんに君ネタができるくらい(不知火の前でやるとすっげー冷めた目で見られるけどそれもまたよし)。腕に駆逐艦たちが喜んでキャーキャー言いながら鈴なりにぶら下がってる。ほら響もそんなすみっこでそわそわしてないでいっしょにぶらさがれよ。俺は気にしないから。
球磨を抱きまくらにして寝てる。抱きまくらじゃないクマー!というけど気にしない。
冬になれば体温高めの天津風とチェンジだ。やはり小さい子は体温高いんだよね。なんでだろうね。天津風の場合はそれと合わせて照れ屋さんなのもあるけど。なんだかんだ言いながら拒否らずにむしろ逆にぎゅっと抱き返してくれる。布団の中での天津風のけなげな可愛さを知っているのは俺だけだろう。早すぎる胸の鼓動が伝わってくる。暗闇の中で吐息も感じる。いい風ね。
夏は潜水艦たちと泳ぐといい。俺も一緒にクルージング行くぜ。スク水も買ってある。去年は市民プールだったが今年は海に行く予定だ。
金剛型の脇の下から手を入れたい。榛名は戸惑って困ったように照れて顔を赤くする。金剛は意外とさらっと流される。でも内心心臓ばっくばくなのを夜戦時にそっと告白されて俺の鼻息がますます荒くなる。
綾波とお茶したい。ほっぺつんつんぷにぷに。ほっぺたよくのびるね。だらだらしながらゆったりセックス突入したい。
鈴谷がからかってくるのに対してマジで押し倒して、挑発的な言動が実は奥手で臆病なところの裏返しに過ぎなかったことを発見したい。
熊野をエステしながらいたずらして顔真っ赤にして全身震えながらも強がり言ってるのをニヤニヤしながら見てたい。そんでもって何ニヤニヤしてるんですの!とどつかれたい。
艦これなんて難しく考えなくてもこういう楽しみ方だけでいいんだよ。
外見より内面が大事だと信じてて、あまり外見にはこだわってこなかった。
さすがに破損してる服とかは着てないけど、基本的にユニクロ装備。
周りの人達も必要以上のお洒落は嫌いという人達が多かったからそれでいいやと思ってた。
会社に洋服大好きな先輩(男)が居たけど、借金して服を買った自慢とかしててアホかと思いながら見てた。
周りの人達でユニクロを着てる人は、細身でユニクロでも十分かっこいいんだよね。
昔イケメン過ぎるホームレスが話題になったときに、服は値段じゃなくて着てる人次第だという画像がはやったけど、まさにあれだね。
あと最近、60歳くらいのオシャレした紳士に電車でよく会うんだけど、やっぱかっこいいのね。ビシッとしてて。
これは少し洋服を考えないと、と思ったんだけど
洋服ってすごい高いよね。
安月給なので30代で貯金400万しかないんだけど、貯金を削っても洋服に投資しといたほうがいいのかな?
今までちょっと高い服や靴買っても引っ掛けて傷つけたとか満員電車で潰されたとかあるから、高いものが長持ちするとはあまり思えないんだよね…
アダルトビデオを見ている時というのは、相手をバックボーンのある人間としてではなく、その場のシチュエーションにおける存在として見ているわけですよ、AV”女優”ってぐらいですしね。
普通の俳優さんだっていくらお芝居の上で良い役をやっていたとしても、現実の本人とは別でしょう?
で、女優としてではない背景を持った人間としてのAV女優そのものの彼女を見れば、仕事とは言え数限りない他人に体を許してしまっているわけじゃないですか、
そりゃあ嫌ですよね、嫌な人は。
じゃあなんでAV見てる時は気にならないんだって思うのかもしれないですけど、
アニメを見ている時にいちいち
「この絵のキャラクターは本当はしゃべっているわけでも動いているわけでもないんだよなぁ、裏に声優さんって言うひとがいてアフレコスタジオで収録しているんだ、
絵自体もうだつの上がらないアニメーターが一枚一枚低賃金労働に従事して仕上げてるんだよなぁ」なんて思いながら見てたらのんのんびよりだって楽しめないって話ですよ。
以上、虚実皮膜のお話でした。
死にたいのに、なかなか踏み込めないときってどうすれば良いんでしょうか。
私、今日帰って来るときに少し大きめな道路で、何回も車を恨めしげに見ながら見送ってしまいました。
この間は、母に言われて洗い物をしていたときに、近くにあった包丁を持って手首に当ててみたけど切ることができなかった。
嫌なんです。全部。
演劇部なんですが、丸一年やってようやく、自分には才能がないって気付きました。
絵を描くのも好きですが、とっくの昔に下手くそだってことには気づいたんです。
気づいたから、自己紹介で素直に、「漫画家になりたい」って言えなかった。
そんな私が生きててなんの価値があるんでしょうかね。
なんで父と母は私を生んだんでしょう。
誰か助けてください。
意外な事が多かった。
子供向けでなくても、ロボットものだと、どうしても戦闘シーンの描写が、実際の戦場に置かれた人の心情てこんあもんじゃないだろ、爆発あったらこんな状況じゃないだろ、とか難癖つけたくなる事もあって、思考停止しながら見る癖が付いていたんだが、逆に、そんな事まで細かな設定に盛り込むの?と思わせる事もあった。
勿論、作品賞取るような映画や小説なんかに比べれば、そりゃ劣るは劣るんだが、これは小学生向け作品じゃないよな、と思った。エバンゲリオンも見たが、あれも子供向けじゃないところはあるが、やっぱり作り物感を最初から最後まで感じて、引き込まれなかった。
正直。驚いたわ。今も延々と続く、ある意味神話化しているガンダムというものが、どういうものだったのか、改めて知った。
ま、初回だから気合い入っているし、そのうちプロデューサーの意向とか、会社の都合とか、そういったぐちゃぐちゃで、最後までクオリティが続くとは思えないけれど、これは撮りためておこうと思った一作品でした。
あと意外だったのが、作画協力でシャフトが出てたこと。あの会社て古い会社だったのな。
いやー、いろいろな面で晴天の霹靂。
今更なんだけどね。
高校の生物IIで教わった内容をもっと知りたい、勉強したいと思ったのでバイオ系を選びました。
今から思うと、専門の教科書に基づく授業を受けて、どんどん新しい知識を吸収できた基礎課程が一番楽しかったです。
分野は違うが自分も似たような感じだったのでよく分かる。
しかし「研究」に興味が持てなかったのは、結局「勉強」が足りなかっただけだと自分は思っており、その点で、「勉強」は好きだけどやりたいことは「研究」ではなかった、という話はちょっと違うと思う。
ほんとにその分野の勉強が好きなら、授業を受けたり、先行研究の論文読みまくったりするうちに、自然にツッコミどころがわかってきて、それが自分の研究になったりするもんだ。
そうならなかったのは勉強が足りないからであり、すなわち勉強が好きではなかったということで。
「今でもその話題には興味あります」っていうのは、「AKBに興味あるのでニュースおっかけてます」「アニメに興味あるのでニュースおっかけてます」というのと変わらない。
では勉強が嫌いだけど授業の成績は良かったという人はどんな大学にいけばいいのかといえば、秋田の国際大学みたいに就活指導に特化したようなところや、医学、看護、薬学みたいな資格や仕事に結びつくようなところを目指すべきだった。そういえば最近は大学中退して専門学校に入り直す学生が増えているとかいうニュースを見たな。
自省を込めて。
STAP細胞の騒動を見ていて、自分の大学時代を色々と思い出して死にたくなったからここに吐き出す。
個人的なろくでもない思い出話なので、騒動の新たな情報を得たいとか、アホな人間の話にイライラする人はそっ閉じしてください。
私は小保方さんとほぼ同世代で、あの頃はバイオ系学科が雨後のタケノコのようにポコポコ新設されていて、私もそのひとつに入学した。私の入った大学では1・2年が基礎課程で、それが終わると研究室に配属される。大学院に進学しなければ、3・4年の2年間、研究に取り組むことになる。
配属された研究室の指導教官は合理的な人だった。入室後の面談でまず、進学と就職のどちらを希望するのかを聞かれた。公務員志望だと答えると曰く、2年じゃ大した研究はできない、まして就活が忙しい時期はほとんど学校に来られないだろう、だから、あなたにはまぁ厳しくしないよ、とおっしゃる。事実、2年間で叱られた記憶はほとんどない(何度か呆れた顔はされた)。一方で、進学する同級生は、かなり厳しくしごかれていたように思う。
「どうせ2年でいなくなる学生」の扱いに困ったのは教官だけではなかった。研究室に教員は1人しかおらず(もちろん研究員もテクニシャンもいない)、学生の指導は上級生が行った。私を指導してくれた先輩は、とりあえず実験をさせておこうと思ったようだ。私は、毎日言われるがままにPCRしまくり、ゲルを作りまくり、電気泳動しまくっていた。特技はチップ詰めだった。
研究とはなんぞや、実験の意義とはなんぞや、データとは、統計とはなんぞや。アホで怠惰で意欲のない私は、そういったことに自ら興味を持つことはなかった。したがって、「質問には答えるけど、聞かれなければ教えない」というスタンスだった指導教官や先輩との相性はすこぶる悪かった。疑問も持たずにひたすらPCRをしまくり、気がつけば4年生になった。
4年生になると、教官にはっきりと「公務員試験が終わるまで、週1回の論文ゼミ以外は来なくていい」と言われた。どこまでもアホな私は、その言葉を額面どおりに受け取って、本当に週1回しか研究室に行かなくなった(就職希望の同級生でも、もう少しは行っていたように思う)。夏も終わり頃、公務員試験に全て落ちた私は研究室に戻った。その頃には、私は立派なお荷物学生となっていた。
復帰後は進学希望の同級生の下に付くことになった。相も変わらず実験の意義を理解していない私は、リクルートスーツに白衣を羽織り、ひたすら培地を作り、細胞の世話をし、あとPCRをした。
指導教官は就職希望の学生に対し、最終的に学科の卒業研究発表会だけ出ればよく、卒論を書かなくてよいと言っていた(カリキュラム上、提出は必須でなかったらしい)。が、4年生の初冬、全員提出するよう方針転換された。まあ当然だろう。私は大慌てで論文を書いた、というよりも、でっちあげた。先輩の修論をコピペし、よく撮れた泳動画像を使い、細胞の蛍光画像からは都合のいい部分を切り抜いた。私は、論文の書き方どころか、データの取扱いすら学んでいなかった。
こんな私でも卒業が認められ、なんとか就職も決まった。もちろん研究職ではない。その後いろいろあって、今は大学で学んだこととは一切関係のない職場に勤めている。
今でも、科学の話は好きだ。科学に関する本やテレビ番組は好んで見るし、科学館のようなところも行く。自分で言うのもなんだけど、これでも学業の成績は良い方だったのだ。要は、教科書的な「おべんきょう」は好きでも、自分で何かに疑問を持ち、それを追求することの適性はまったくなかったのだろう。
小保方さんの華々しい(今となっては物悲しい)会見の後、にわかに「リケジョ」という言葉がクローズアップされた。文系出身の同僚に「増田さんもリケジョだよね!」と笑顔で言われると、違うんだ、やめてくれ、と居たたまれない気持ちになった。私はただ理系学部を卒業しただけで、科学の作法も何も身に付けていない、ただのアホな女だ。
今回の騒動は残念だけど、これで「リケジョ」という言葉が巷で取り沙汰されなくなると思うと、少しだけホッとしている。
(念のため、この話は私というアホな女の一例であり、立派な女子学生・女性研究者は大勢おられます。どうか「これだから女は」と一般化しないでくださいね。)
(追記)
筆記は通ったんです(言い訳)
(追記2)
rosaline やりたい事もないのに何故その学部を選んだのか、なんてツッコんじゃいけないのかな(後略)
高校の生物IIで教わった内容をもっと知りたい、勉強したいと思ったのでバイオ系を選びました。
今から思うと、専門の教科書に基づく授業を受けて、どんどん新しい知識を吸収できた基礎課程が一番楽しかったです。
「やりたい事」が「研究」ではなかったということなんでしょうね。
今でも生物系の話は興味あります、ニュースになれば色々調べながら見てますよー。
(追記3)
話題になっている↓この記事に共感できる箇所があったので追記します。
研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は30人強いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。
早大ではない某私大でしたが、この人数比はおおよそ似たようなものでした。全体にもうちょい少なめ。旧帝大出身の人から、研究室あたりの学生数が2~3人/年だったと聞いて驚いたのを覚えています(向こうも驚いていた)。
今となっては、そりゃ圧倒的にリソースが足りないんだから、先生だって進学/就職でスクリーニングするわな…としか思えません(ちなみに、進学はさらに内部進学/外部進学でスクリーニングされます。これも仕方ない)。
ブクマたくさんありがとうございます。同意くださる方がいらして少しホッとしました。
同時に、じゃあ私たち(と言ってしまいます)のような「理系のテーマの『お勉強』がしたい」高校生は、どんな大学の、どんな学部を目指せばいいんでしょうね? 放送大学ぐらいしか思いつきません。
今朝のNHKの「おはよう日本」のスポーツコーナーでな、ソチ五輪を振り返って大会で起きた「初めて」のことをいろいろ取り上げてたのよ。
カーリング女子で初めて全勝金メダルとったとか、フィギュアでロシアが初めて金メダルとったとかやってて、「ふーん」と思いながら見てたのよ。
「初めて6種のトリプルジャンプを8回飛んだんです!」と紹介してたのさ。
いや、飛べてないだろ
それだけ6種8トリプルは偉業なのだから挑戦するだけでも素晴らしいことだと褒め称えるのは当たり前。
フィギュアとか好きでも嫌いでもないんだが、久々にテレビを見て首をかしげざるを得なかった
http://anond.hatelabo.jp/20140225061332
今朝のNHKの「おはよう日本」のスポーツコーナーでな、ソチ五輪を振り返って大会で起きた「初めて」のことをいろいろ取り上げてたのよ。
カーリング女子で初めて全勝金メダルとったとか、フィギュアでロシアが初めて金メダルとったとかやってて、「ふーん」と思いながら見てたのよ。
「初めて6種のトリプルジャンプを8回飛んだんです!」と紹介してたのさ。
いや、飛べてないだろ
フリーのジャンプは8回中、2回が回転不足で1回がエッジミスで、結局成功したのは5つのジャンプだけだっけ?
まあ、NHKの原稿も言葉を上手くはぐらかしているというか、「飛んだ」という言葉は使っても「達成した」とか「成功した」という言葉は使ってなかったんだけどな。
それにしても事実誤認を誘う伝え方だろう。
ソチ五輪のフリーの演技は感動したけどさ、それは五輪前の「物語」とショートでの失敗があったからでさ、フリーの演技自体は3位だし、複数のミスもあったし、まだまだ上を目指せるものであって、引退発言もあってか「浅田真央神話」をキレイに終わらせたいのは分かるけど、わざわざここまでゴリ押しするものでもないよな。