はてなキーワード: ナマナマとは
たぶん男とは視点が違うんだろうな。
人に見られそうな状況でこっそりえろいことされるとか、
マッサージがエスカレートして気持ちよくなっちゃって本番にとか、
そういう話も(あくまでフィクションとして)好きだし興奮するんだけど、
えろいことされてる女の子(または受け。腐女子なので。)に自分を投影してるわけじゃないんだよね。
ああいうふうにされるの気持ちよさそうだなあ、されたいなあ、とは思ってないの。
気持ちよくなってる姿を見て「わー、えろい」って興奮してるだけ。
夫とすけべするときに、なんか夫がわたしの好きなAV展開とかを実況して
悪いけどすごい萎える。
気持ちよさそう、感じてる、を第三者として見るのがイイんだよね。
わたしの話にされると性加害としか受け取れなくなるし、すげえ嫌。
あと自分の生身の肉体を思い浮かべるのナマナマしくて気持ち悪い。
私は女なのでよくはわからないけど、このへん男女で違うんかな?と想像している。
男の人のほうがAVとかエロ漫画とかに自分を投影する度合いが大きいというか、
好きなエロは(可能なら)したいエロだって人が多いのかな、って。
「ああ、彼女はこういう行為をされたいんだな」って思い込んじゃうのかなあって。
少なくとも私は好きなエロコンテンツと好きな行為は別だし(重なる部分もあるけど)
フィクションとしてのエロは大好きだけど自分が他人とそういう行為をするのはまっぴらって人も
けっこういる印象が強い。男の人はどうなんだろうな?
いろいろ考えてみたけどこれ解釈を広げすぎて元増田の好みから脱線しちゃうよね?
SNSを監視し個人情報をハックしてテロリストをあぶり出すネットヲッチャーゲーム。
twitterもどきやyoutubeもどきが出てきてナマナマしい。
https://store.steampowered.com/app/491950/Orwell_Keeping_an_Eye_On_You/
ネットを題材にしたある章にカムイネットというサイトが出てくる。
ただ絵的に映ってるだけで操作できるわけじゃないのでナマっぽさはあまりない。
タブレットを操作できる。その世界のニュースを読めたり通販も利用できる。セーブもこれでやる。
https://store.steampowered.com/app/447530/VA11_HallA_Cyberpunk_Bartender_Action/
メールしたりフォーラム覗いたりプログラムをDLしたりでディティールが細かいのですごくナマっぽいんだけど、いかんせんモチーフが古いので若い世代はそれを感じられないかもしれない。
http://scoutshonour.com/digital/jp.html
メニュー画面がCUI。CRTみたいに歪んでるし、後ろで鳴ってるHDDのココココ音にノスタルジーを感じたらおじさん。
レトロなCUIからスタイリッシュなFPSへダイブするような演出はかなり好き。
https://store.steampowered.com/app/322500/SUPERHOT/
架空のwebサイトと言うより架空の警察のデータベース。コンピューター画面はWindows95っぽい。そしてCRT。
検索力(りょく)を駆使して謎を解くゲーム。カンが良くてググるのが得意だったら2時間ぐらいでクリアできるかも?
プレイするなら絶対にネタバレを見ないよう。何故かと言うとプレイする意味が消失するので。
https://store.steampowered.com/app/368370/Her_Story/
ゲームは主にこれを介して進行する。世界情勢のニュースを見れたり、メールやビデオチャット的演出もある。
デザインや考察はとても凝ってたのでこういうインターネットの未来はあるのかもしれないと思えた。
新宿の駅の階段、伊勢丹のエスカレーター、自転車で通勤するミニスカOL。
あふれるパンチラの可能性に囲まれながら、パンチラにはなかなか遭遇しない、そんな僕の人生。
ぐったりするような残業を毎日繰り返し、ある種の清涼剤とでも言うべきパンチラにはなかなかお目にかかれない(意図的に見たら犯罪です)。
パンチラは自然な目撃でなければならないというルールがあるのだが、なかなか自分の前ではパンチラが発生しないのものだ。
僕のこれまでの人生で考えると、パンチラ発生率は1年に3回くらいだ。おお、なんと少ないことか!
だが全くないわけではない事に希望が持てる。年に3回で4ヶ月に1回くらいはパンチラに遭遇できるということは、120分の1で「パンチラの日」という事だ。
期待できないわけではなく、頻繁なわけではない、とても絶妙な出現率というのが120分の1という確率なのだ。
上司に怒鳴られ、部下から陰口を言われ、ぎゅうぎゅうの電車通勤をし、胃を痛くしながら生活している自分にとって、一種の清涼剤となる120分の1のパンチラ。
パンチラの無い世界だったら、果たして僕は生き延びていけるのだろうか。
パンチラが無い世界、たとえば女性がパンツを履かない世界だったらどうか。パンチラでなく局部チラ、である。
街の中で局部チラを残念ながら見た経験はないが、おそらくナマナマしすぎて、清涼剤的な効果は得られないであろう。
局部を覆う1枚のシャレオツな布があるからこそ、パンチラのパンチラとしての価値があるのではないだろうか。
「自分のようにピルや検査を活用してリスクの少ないセクロスをしていた女ですら『生のほうが気持ちいい><』なんておめでたい幻想にすがってらんねえんだから、その心配が普通にある他の女性たちは尚更その傾向が強いだろうよ、そういう彼女らの気も知らずにナマナマ豚みたいに有難がってるAV脳のゴミ共は全員師ね」的な事を言いたかっただけで、「ピルを飲んでいればゴムは後片付けが楽ってくらいしかメリットがない」と書きたかったわけではないです。
もしも女が生でやってゴムのときより気持ちいいと感じる事があるとするなら、(そのセクロスで積極的に妊娠したいと思っているので)妊娠できる可能性に対して興奮しているか、単純に男が生でやれる事に興奮していつもよりやる気になってるせいだけねえかなと思う。男性のトラバにもある通り、妊娠や病気のリスクはど満載なくせに物理的感触はマジで何らかわりがないもの。
http://www.stellaworks.info/blog/2007/07/post_131.html
出産にまつわる話なので、ナマナマしいのがだめな方はご勘弁を。
祖母は助産婦をしていて、小柄な人だった。
自分の初のお産、臨月を迎え陣痛が来た時、祖母の骨盤は常人よりもあまりに狭くて、
お産婆さんは母体を守るために赤子の頭を潰し、殺して、引きずり出したのだそうだ。
頭を、と訝しがる小学生の私に、生まれたての赤ん坊の頭は親指でぐいと押すと、
簡単にべこんとつぶれてしまうのだ、と祖母は言った。
その後は産み月を迎える前に、胎児が大きくなりきる前に、
なんとか胎児を引っ張り出すという方法で祖母は5人の子を産んだ。
その当時にどうやって早期出産ができたのか詳細は不明だ。
祖母の長女である叔母もまた、祖母の細い体型と骨盤を受け継ぎ、
臨月を迎えた時には、やはり自然分娩は無理だと言われた。
なので、大変な思いをして帝王切開で従姉妹を産んだ。
時代が時代なら、従姉妹もまた死にながら産まれることになったのだろう。
祖母の次女にあたる私の母は体型こそ堂々たる安産型だが、私を産んだあと流産をしている。
有名な山寺へ詣でた時、水子供養の蝋燭を買って点し、熱心に拝んでいた姿が忘れられない。
流産を経てまた子を授かった時は、大層神経質になっていて、わざわざ遠い病院まで通っていた。
大丈夫、あの病院の先生は上手で有名だから大丈夫、そう言いながら。
飼っていた犬も、猫も、初めての出産の時は不器用に苦しんで仔を産んでいるように、私の目には見えた。
出産とは、恐ろしくて、命がけの行為なのだ。
それを何度となく聞かされて育った私には「案ずるより産むが易し」とはとても思えない。
職場に、もう6ヶ月は過ぎたであろう妊婦の人が働いているのだが、
正直その人のそばを通るのが怖くて仕方がない。
仕事を一緒にする機会もあったが、強いことを言うと何か差し障りがありそうで、ろくな修正も提案もできなかった。
本人は気丈で、快活な方なのだが、それだけに綺麗に膨らんだ腹部が怖くて、
なんかあったらどうする! 早く休んでくれ! とずっと念じている。
自分も結婚して数年が経つのだが、まだ怖い。理屈じゃなく怖い。
そして恐怖ゆえに、自分が子を持っても大丈夫じゃないか、と判断できた時にはじめて避妊をやめようと思う。
自分が丸々何年か子供にかかずらっていても支障のない経済力がほしいし、
なにしろ性格が30代とは思えぬくらい子供なのでもうちょっと成熟したら……
とかなんとか、言い訳をして、しまくって、恐怖から逃げ回っている気もする。
おうじゃのつるぎと、ひかりのよろいと、ゆうしゃのたてと、てっかめんが揃わないと、ゾーマは倒せないと思い込んでいるかのような。
恐怖を打ち砕くのが先か、年を取るのが先か。
ドオルトンという薬を飲んだ。家族にばれないように、処方箋は小さくたたんでごみ箱に捨てた。なぜならそれは、いわゆるモーニングアフターピルと呼ばれるものだからである。
なりゆきまかせの避妊に失敗したような気がして、婦人科に走った。休日診療の医者は無愛想で、何を言っているのかよく聞こえなくて何度も聞きなおした。結果的に「最後のセックスはいつしましたか」と3回言わせてしまった。72時間以内に2錠、その12時間後に2錠。吐き気止めはいりますか。
強制的に卵子を流してしまう薬だから、身体に良いわけがない。気分が悪くなるのを感じつつ、着床しないことを祈って薬を飲んだ。自分を、どうしようもなく傲慢だ、と思う。何年かしたら、たぶんまるで逆のことを祈るんだ。結婚して、子どもはまだ?なんて言われて、なかなかできなくてあせって、排卵日に合わせて旦那とセックスをする。今度はおなかの中で卵子と精子が出会うのを何度も何度も夢想するのだろう。出来たら困る、出来なけりゃ困る、人生のシーンに合わせて都合が良いように生まれてくればいい。周りもそれを望む。
ただ、私の身体だけが取り残される。自分に残っている唯一の自然の摂理が、わずかに抵抗しているのが感じられるのだ。下腹部は鈍く痛み、それですら人工的に誘発されていることを知りながら、ごめんよ、と子宮に向かって謝った。もうどうにもならないけれど、この痛みはずっと抱えていく。女であるということは、矛盾を引き受けて生きていくということなのかもしれない。