2014-06-05

世界パンチラであふれている ー僕が生き抜く理由と人生価値

世界パンチラであふれている。

新宿の駅の階段伊勢丹エスカレーター自転車通勤するミニスカOL

僕らはパンチラに囲まれて日常を送っている。

あふれるパンチラの可能性に囲まれながら、パンチラにはなかなか遭遇しない、そんな僕の人生

ぐったりするような残業毎日繰り返し、ある種の清涼剤とでも言うべきパンチラにはなかなかお目にかかれない(意図的に見たら犯罪です)。

パンチラ自然な目撃でなければならないというルールがあるのだが、なかなか自分の前ではパンチラが発生しないのものだ。

僕のこれまでの人生で考えると、パンチラ発生率は1年に3回くらいだ。おお、なんと少ないことか!

だが全くないわけではない事に希望が持てる。年に3回で4ヶ月に1回くらいはパンチラに遭遇できるということは、120分の1で「パンチラの日」という事だ。

期待できないわけではなく、頻繁なわけではない、とても絶妙な出現率というのが120分の1という確率なのだ

上司に怒鳴られ、部下から陰口を言われ、ぎゅうぎゅうの電車通勤をし、胃を痛くしながら生活している自分にとって、一種の清涼剤となる120分の1のパンチラ

このパンチラのおかげで僕は会社に向かえてるのかもしれない。

だがもしも、この日本パンチラが無かったら?

パンチラの無い世界だったら、果たして僕は生き延びていけるのだろうか。

パンチラが無い世界、たとえば女性パンツを履かない世界だったらどうか。パンチラでなく局部チラ、である

街の中で局部チラを残念ながら見経験はないが、おそらくナマナマしすぎて、清涼剤的な効果は得られないであろう。

局部を覆う1枚のシャレオツな布があるからこそ、パンチラパンチラとしての価値があるのではないだろうか。

そしてその布には、機能としては全く意味のないフリルだったり、模様だったりがついている事こそ、パンチラたる価値である

僕は、明日もがんばって会社に行く。

パワハラ上司モンスター部下に怯えながら、生き抜いてやる。

そう、パンチラ希望とともに。

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