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2023-04-17

ジャニオタやめる

ジャニーズの中でも人気ないほうのグループファンになって9年、今回の事務所対応に納得できなくて自G(自分応援しているグループ)を見るのも辛くなってきたので、もうオタやめようと思う

もともと喜多川社長が性加害で裁判負けたっていうのはジャニーズ全然興味ない時に話に聞いたくらいで、まあ裁判したならなんか対策したんだろうななんて甘く考えてた(今考えると本当に頭お花畑だったなと思う。社長まだ続けてた時点でおかしい)

自Gは全然売れてないし、人気ないって他Gのオタにいっぱいバカにされてきたからこんなとこで応援辞めたくないって気持ちもあるけど見るのが辛い。自担(1番の推しのこと)も他のメンバーも事あるごとに前社長名前を出して感謝の意を述べるので、それを聞くのもしんどい

少し前に縁あってデビューしたばかりのグループコンサートを見に行った時にMC自分たちがどれだけ悔しい思いをしたか努力してきたか、周りの人達に支えられて……って涙ながらに話すんだよね こんなに一生懸命頑張ってデビューの道をつかもうともがいている人たちの気持ちを利用して、こんなことってないよ もうジャニタレが目に入るだけで辛い気持ちになる

9年間オタク友達とかも出来たしアルバム聞いたりCDの売り上げランキング一喜一憂したり、音楽番組のために急いで帰ったり(人気ないから大体17時とかに出るんだよね) 楽しい事もたくさんあったけどもう無理です オタやってた時もチケットリセールいつまでも導入しないとか当選メールに延々マナー違反についての説教書いてあったりわけわかんないルールばっかりでなんなのこの事務所?と思ってたけど、客にもタレントにも不誠実な事務所って存在する意味ありますか?

全然まとまらないけど終わり

ファンクラブ退会しようとしたら期限内の退会は電話で問い合わせてくださいだって

つくづくクソ事務所だな

2023-04-16

anond:20230416090543

私たちAVキラキラ輝く彼女らを見て、いつまでも輝いていられるように応援するだけの存在

彼女らが裏で裏で出演強要されてようが知ったことではない。

anond:20230416200300

こういうとこよね

自分たちゴミ売っといて客のせいにする他責思考

そりゃ世界中から見捨てられるよねってはなし

anond:20230416195110

Amazonで売ってるノーブランド令和最新はたしかに三流品質ゴミ中華と言われても仕方ない(それでも不良にさえ当たらなければ機能性やコスパは納得できるレベル)。

なんだけど、それは三流中華パラダイスになってるAmazonに無策でいつまでもしがみついているから不満がつのるだけであって、自分のせいである。

ちゃんと見識を鍛えて各製品分野で手堅い製品作ってる国産欧米ブランドを知る手間をかけたり、一流二流のブランド中華自分で輸入してきたりすれば買い物体験が毀損されるような被害意識を抱えなくて済むのである

怠惰ワンパターンな買い物習慣を続けて、消費者としての行動をアップデート出来ない人が割を食うのは中国とか関係なく世の摂理なのである

地元が消えたら将来の介護葬式が一気に片付く

上京した先で家庭を築き仕事をしていると、ふとした瞬間に20年30年後のことが頭をよぎる。

地元実家に大きな不満や嫌悪感情はない。

不自由なくスクスクと育ててくれたことにむしろ感謝気持ちで溢れているくらいだが、その親もいつまでも元気なわけでもない。

どんどん老いぼれていく親を見る度、痴呆症祖父祖母大往生と親の苦労を目の当たりにしたときに感じた気持ちを思い出す。

絶対に同じ目に遭いたくない。

足腰が立たなくなったり病気で入退院を繰り返すようになったら?関東から地元へ往復しなきゃならないのか?全部片付いたあと土地相続とかどうすればいいの?

生存のために他人扶助必要とするようになったり、鬼籍に入ったのちの面倒なやり取りでこちらの生活に牙を剥いてくるかもしれないと思うと憂鬱になる。

そんな気持ちに付き合っているうち、隣国から頻繁に発射される兵器とけたたましく響くスマホアラートを耳にする度に「実家ピンポイントで落ちてくれたらな」と思うようになった。

実家更地になって人間ごと地図から消えてくれたら。

今抱えているぼんやりとした不安や将来への憂鬱気持ちが一気に晴れるのに。

実際にそうなれば、楽以上の悲しみや怒りが強く湧いてくることと思うが、想像の中では自身に降りかかりうる問題埒外のパワーで事前に解決されることを期待してしまう。

親は今年で65。

地元は好きだが廃れるばかりでなにも無く、たまの帰省以外で帰るつもりは毛頭ない。

すべてをうやむやにしてくれる大きな出来事が起きることを今日ぼんやり望んでしまう。

2023-04-15

自分が育ってきた環境の悪さと、いつまでもそこから動かなかった愚図さと、見捨てていいと判断される程の魅力のなさから導かれるこの先のゴミ人生絶望して泣いちゃった

また同じことが起きたらどうするか、動けるようにするにはどうすればいいか全然からなくて頭悪すぎて絶望する

贔屓(推し)が元贔屓(元推し)になるまで~好きと義務の間で~

※前書き

贔屓というのは宝塚で言う推しのようなものです。

分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。

◾︎本文

(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)

なぜ贔屓が元贔屓になったのか?

っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?

贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。

最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。

この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。

元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンピークは2番手時代~2作目あたりでした。

元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまりファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。

入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。

ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないか憶測が飛び交ったり。

しかも元贔屓はファンが少なかった!!笑

入出に来るようなファンしかり。

ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います

今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。

日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリー死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。

その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。

2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。

追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンから批判は凄かった。

本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。

発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。

紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。

幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。

披露初日もムラまで行って開演アナウンストップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。

披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。

トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。

この頃の私は純粋ファンだったように思う。

でも思ってみればこの頃から色々とおかしくなっていった。

自分が好きで行っていた入出も途中から自分意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。

観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。

劇場東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。

そして私は上演作品が嫌いだった。

トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。

特に退団公演、観劇していて怒りが沸いた公演は初めてだった。

初日幕間のファン流れる通夜のような雰囲気、みんなが

「これが退団公演か……」

「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」

と思ったに違いない。

ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。

良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。

観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。

やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。

退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため

『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』

と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。

元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。

だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。

「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」

私は勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。

そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。

「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。

「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」

トップになって何がしたかったんだろう」

「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」

一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。

しか無駄ファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。

タニマチの事だとか、ファン派閥とか、、、

会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。

宝塚にいるの、辛かったのかな」

「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」

「仮初めでも演じてもいいか舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」

そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。

ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。

何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。

言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。

元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。

2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。

それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手トップ初期の頃とは少し違っていた。

目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。

「私が観たかったのはこんなのじゃない」と思ってしまった。

そう思った時に気づいてしまった。

結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。

退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。

それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。

周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。

あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。

ヨナラショーでもパレードでも泣けなかった。

観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。

結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。

うそれは好きだからファンからというよりもはや意地のようなものだった。

ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。

終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。

退団後しばらくは私はいから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。

パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっとからな気がする。

それとももしかしたら最初からきじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。

元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。

ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。

退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは

YOUは何しに日本へ?」だった。

ドイツ在住の宝塚ファンに密着したというもの

たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。

私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋ファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。

この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。

その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。

私が今とても贔屓が好きなのは反動もあるのかもしれない。

正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。

だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)

私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。

贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。

今、楽しくてしょうがない。

お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。

感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ

お茶会お話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。

握手をするときは緊張するし、そしてほとんど覚えてない。

文字びっしり便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。

そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。

そうだ、元贔屓を応援していた時だ。

私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ち応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。

そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。

元贔屓は確かに私の贔屓だった。

私は確かにあの人のことが好きだった。

誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。

長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。

「ずっと好きです」

いつまでも応援しています

元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。

それは嘘じゃないと思う。

2023-04-14

自閉症の人は、他人の死にショック受けるらしい

いつも通りの世界が、永久に、規則的に動いていると思って生きてるから

身の回りで急に誰かが亡くなったら、世界が壊れたかのようにショックを受けるんだって

それで激しいパニックに陥る。

しかもこだわりが強く、いつまでも亡くなった人の話を今でも生きてるかのように喋り続ける。

いい加減生き甲斐を決めたい。

生きるとはなんぞやと言う事を思春期の頃にずっと考えていた。勉強より遊びより人付き合いより、何より大事問題だった。

50周ほどして結局生きる意味などない、自分で作らねばならないという結論に至った。

理屈ではダメだ。理屈で考えれば答えなど出るはずがない。

納得だ。「納得」は全てに優先するぜッ

人は理屈で喜び、理屈で苦しみを感じる訳ではない。いつだって感情が先だ。感情論理に先立つ事はない。

いつかは人の頭が解き開かれ、全ての規範記述に塗り潰されるかもしれない。でもそれは今じゃない。「今」は今考えられる事が全てだ。

何を拠り所にするのか。他者から承認か、存在も確かめられない神様を信じるのか。

どれも腹落ちしない。内から発せられる心の底から確信、納得でなければ。

どれだけ強固に思えた確信でも揺らがないとは限らない。年老いるごとに考えが変わってしまった、今までの人生とは何だったのかとこぼす者も少なくない。肩肘張ったって幸せになどなれない、気楽に生きようと言う人もいる。

私の軟弱な心とて、価値ある人生を追い求める疲れに耐え切る保証などどこにもない。結局私も同じ結論に至れば、車輪の再発明だと笑われるかもしれない。

しかし彼らの結論は彼ら自身経験を踏まえてのものだ。彼らには納得を与えても、私にはそうでない。私の人生当事者は私だけだ。

こんな事を真面目な顔で人に語れば、ナイーブすぎるんじゃないと引き気味に諭されるだろう。それはきっと間違いない。だからどうしたというのだ。

価値ある人生などという幻想を捨て、凡庸人生しか送れない事を受け入れる。諦める。それを、折り合いをつけ大人になった事だと言い聞かせる。

それはきっと賢い生き方だ。

しかしその口ぶりはまるで、禁煙した人間タバコ執拗非難するかのようではないか

生き甲斐などという考えは毒なんだろう。少量の毒が薬になるだとか、そんなレトリックはいらない。心の蓋を抑え続けた方が楽に生きられるだろう。

しかしそこから溢れ出続ける一抹の迷いから目を背けて、納得ある生き方をできるだろうか。

今際の際に、生きていて良かったと思えるだろうか。

ニヒリズムなど拗らせるものではないという反省は、人生を使った経験で納得を得るまで何の実感も伴わない。そんな考えは後回しにすればよい。

では、私の心は何を囁くのか。具体的に何をしたらよいのか。

表現行為に答えがあるように思えてならない。

根拠などない。凡庸な発想だ、くりえーたーになってチヤホヤされたいというだけかもしれない。

それが純粋動機かなど、確かめる術はない。

答えは知らぬ。時間もない。そのどれもが誤りかも知れぬのだ。後悔は死んでからすればよい。

好きと憧れを分けるのは就職セミナーだけで十分だ。

生活の気晴らしの趣味は持っている。しかしそれは、生き甲斐と呼ぶにはあまりに心許ない。

生き甲斐なくして生きる価値などない。とはいえいくら生き甲斐が全てに優先すると言っても、目の前の生活をこなさなければそれもままならない。

高校入試大学入試就職活動。

趣味に没頭したいが、いつもそれらが頭を過ぎって水を差してきた。いずれは結婚を焦る事もあるかもしれない。

常に先を考えろという父の教えがなければ今はもっと惨めな生活を送っていたかもしれない。しかし、生き甲斐に殉じようという確信ブレーキをかけてくる。何をするにも、こんな事をしている場合だろうか?と。

楽器をいくつかやってみた事もあった。中級者の壁を超えられるかどうかという境界彷徨っていたが、超える事なく人生イベントを機に中断してしまった。

小説でも書いてみようかと思ったが、これも結局最後まで形になることはなかった。

生活に屈して趣味生き甲斐まで押し上げられなかった。

色んな映画や本に触れてきた。色んな事を思った。そうやって感情を揺らし続けるだけでも人生は満たされるかもしれない。でももう一歩、まだ何か足りない。確信と納得には届かない。

世の優れた表現者達は、きっとこんな人生論をこねくり回す暇があれば手を動かしている、動かさずにはいられないのだろう。純粋な喜び、人生の焦り、衝動、憧れ、何かの感情に突き動かされて。

たった一度限りの人生だ、何かが欲しい。しかしこれきりの人生で何かを捨てるのも嫌だ。大切にしたいからこそ、中途半端な事もしたくない。

自分可能性を疑うのも嫌だが、しかし私はきっとダ・ヴィンチのような万能人ではない。なにか一つに人生を丸ごと捧げて、ようやく自分一人を納得させられる域に至れるかどうか。それだってからない。

それでもどんな可能だって捨てるのはあまりに惜しい。

アンビバレンスに挟まれ決断しかねて長い時間が経った。10代の頃、価値あるものだと確信できる生き方を決意し、もう10年近くの時が経っている。モラトリアムの終わりも近いが、未だ私には何もない。慰めの趣味だけだ。

絵を描くだっていい。物語を書くでも、楽器を弾くでも、曲を作るでもいい。

後世に名を残す傑作など目指さなくていい。ただ、人生これで良かったと確信できるだけの自己満足であればいい。

選ばなければ始まらないが、捨てなければ選べない。あるかも分からないちっぽけな可能だって、私にとっては大事ものだ。

しかいつまでも迷ってはいられない。今の時点で納得ある決断をする事は出来ない。納得できるかできないか、それは後からついてくる。決断しない事には何も始まらない。

しまいにはタイムリミットになるかもしれない。ネットに掃いて捨てるほどいる、何者にもなれかったディレッタント崩れになってしまう。既に片足を突っ込んでいるのかもしれない。

自分には何もなく、評論家を気取って批判にもなっていない難癖をネットの方々に書きこむようになってしまうかもしれない。

生き甲斐を選び取る決断をしなければ。

でないとオレは「前」に進めねえッ!「どこへ」も!「未来への道」も!探す事は出来ねえッ!!

「納得」は必要だッ!

『納得』は『誇り』なんだ!

Choose Lifeだ。私にヘロインはないから。

anond:20230414053107

賃貸でも毎年120万くらい払ってるから、それなら買うか、という気になってくるんだよ。

老後を考えるといつまでも賃貸を借りることはできないかもしれないし。

2023-04-13

アイマスU149を見た私「子供がいなくて本当に良かった」

だって比べちゃうと思うから

自分の子供は心も体も醜いなって、それはきっと親の自分からしてそうだからなんだと感じるだろうから

アイドルっていうの世界の上澄みの存在だ。

河原乞食のど底辺だなんて嫉妬深い連中は口にするけど、そもそも遺伝子レベルで顔が優れている時点で、もう人間の上澄みなんじゃないだろうか。

悲しいけれど、顔の良し悪しっていうのは人間の基本性能を端的に表しているよ。

遺伝子健康的で、身体が生まれつき左右にバランスが良く、全身の発育が健全でなければ美人にはならない。

化粧によってある肌艶なんかならある程度は誤魔化すことが出来るけど、顔の部品キレイに配置された状態にするのは誤魔化しが効かない所がある。

しかもこれ人格まで優れていたりする。

人間ってのは生まれつきある程度顔が良いと自然人格健全になる。

まれつきの美人だと性格が滅茶苦茶に歪むって語る人もいるけど、それは飛び抜けた美人倫理観のない田舎に生まれ場合ぐらいだ。

顔がいい人間ほど承認がきちんと満たされた状態人生を歩んできているから、人間として健康になりがちだ。

更にそれがアニメゲームキャラクターになると本当に極めて正しくて理想的でそれでいて年相応の愛らしさもある完璧存在が出てくる。

アイマスU149の主人公たちは多様だが、それぞれが多様にある種の理想形のレールの上にいて、かといって押し固めたテンプレートではなく独立した個性を持っている。

アンナ・カレーニナ法則適用されるのは現実ばかりで、創作物においては醜い悪役ほどに凝り固まったテンプレの中に閉じ込められたそれぞれの工場で作られた金太郎飴になっていく。)

個性的で美しく人格的にも成功を願いたくなるような少女たち。

もしも、その姿を見ている時に、自分の子供とくらべてしまったらどんなに絶望するだろうか。

自分が育て導いた存在が醜いというのは相当なショックがあるだろう。

人間は共に高めあった相手が偉大であることをどこかで願ってしまう。

学生時代の知り合いが軒並み可能性の芽を育てきれずに冴えない大人になっていたとき自分のことを棚に上げて失望するものだ。

伸びしろを感じた同僚や後輩がいつまでもまらない失敗をしたり、今度は失敗に怯えていつまでも殻を破れずにいると期待した自分馬鹿馬鹿しくなる。

自分の育てた子供遺伝子を分け合った相手にそんな気持ちは感じたくない。

だが自分はきっと感じてしまうだろう。

人間比較してしまう。

ゲームに出てくるキャラクターカードコマのような物と同じように、その性能(ステータス)を比べてより優れているものを好ましいだと感じるだろうし、むしろ劣ったものを誤った存在だと断ずるだろう。

自分に対してさえこ感覚があるのだから

人間市場の中でお互いに値踏みし合う価値観スッカリ染み付いてしまっている。

私生活においてさえ気晴らしにプレイしていたゲームの中で、何万回と「性能が低いから」とキャラクターを切り捨て続けてきたことが遅効性の毒として自分を蝕んでいたのかも知れない。

もう人を比較することをせずにはいられない。

人間はその機能比較されるものだと完全に刷り込まれしまっている。

たとえそれがモニターの向こうの偶像と、現実にいる我が子だろうと、関係なしにどちらに価値があり、どちらがどれほど不出来かを比べてしまうだろう。

そんなことはしたくないが、きっとしてしまう。

から本当に思う。

子供が居なくて本当に良かったと。

anond:20230413153749

怒りをぶちまけてすっきりしたいだけならば、目の前の最悪な事象を発生させた末端の個人国家に当たり散らして憎めばいい。

だが広く長い視野で考えるなら、そうやって目の前の出来事に直情的になって互いに嫌悪感情をこじらせることは、建設的な関係根本的な問題解決を図っていくための障害しかならない。

話し合いだけで解決するとか武力をもって解決するとかそういう次元ではなく、どの選択肢考慮に入れるとしてもそういう民草レベル嫌悪を煽るやり方は事態アンコントローラブルにするだけだ。

そのことは太平洋戦争に突き進んでいった昭和世論から多いに反省できるはずだろう。猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』を読んだら分かる。

怒るべき相手は目の前にいたとしても、本当に事態を変えたいのならば目の前の仇憎さにいつまでも囚われてちゃいけない。

さもなくば、独善支配された獣になる。獣同士の争いになったら、無駄自分他人の命をすり減らしていくだけ。

理性でもって自分たちがコントロールできるものを見定めて、人間にならなきゃ。

右とか左とかってレベルの話ですらないんだよ。

父親危篤

https://togetter.com/li/1424289

この方は登山中1000m滑落して雪山遭難して生き残った

雪を鼻息で溶かしてすすって、小水をなるべく体が濡れないようにもらして、身動きできないまま体温を温存して救助を数日まった

20年後にようやくこうして体験談投稿したが、それ以前は思い出すたびに、あるいはヘリコプターを見るたびに涙がでてしまっていたのだという

それでなんとなく思い出した話

 

うちの父はもうずっと昔に登山しなくなったのに20年ずっと遭難している

最初はささいなことで、定年後すぐに発熱した、38とか40度

寝て、起きて、本を読んで療養すれば風邪ならなおるのにいつまでもなおらなかった

病院で一万人に一人とかの肺の難病名前がついて

一生悪くなるばかりで治ることはない、次に発熱したら死ぬ可能性もあるかもといわれた

しかに熱を出すたびにだんだん自分でできることが少なくなっていった

いつ熱をだすかもしれぬ体で、肺にも負担をかけるから海外への飛行機にのらなくなって、

それでも自家用車運転して海外から日本にもどってきた子孫の顔を見に行き来した

酸素ボンベをつかいはじめてから焼き肉あきらめた

自家用車ボンベと車いすが載るのに買い替えて身障者マークをつけて

自宅風呂、自宅トイレの順にいけなくなって、要介護認定がついて、うごきすぎて酸欠で失神と失禁してしまう失敗も経た

車いすと、電動ベッドとし瓶の生活がはじまった

 

そうやって発病から20年以上生き延びてとうとう先週寝たきり度C2になった

主治医から「看取り」という言葉も出た

それでも父は頭ははっきりしている、遺書も書いて、お母さんを助けにきてくれという

 

それが先週だれがみてもダメとなって入院しC2認定になって、

脱水のために点滴いれて、そうしたら炎症値がさがってしまった

酸素飽和度は相変わらず低くて手足すらろくにうごかせないけど、この20年の間におしえてたラインで状況を報告してくれてる)

ももう少しもう少しと、代謝を抑えて生き残ろうとしている

もちろん世話をしている母はずいぶんと苦労していて、この20年あまり自由がない、

どころか父のためにありとあらゆることをして体力のつづくかぎり奔走した

なにしろ家を一軒立て替えて住み替えたのだ、普通ではできない

 

父本人も神様のような人ではなくて、ふつうのおじいさんなので

動けないのに口出しして小言爺さんみたいなとこある

母(も老人)の家事に細かくあれしたかとかこれのお礼を言ったかとか、

物を一つ買うにももったいないなど

口出しをしまくってものすごく嫌がられてもいた

 

そもそも父はもとからまり医療健康に詳しくない

子育てにも関与が少なくて、自分家族の手間を減らすために金を使うこともへただ

母の決定にうんうんと従うとこもあるが、ちょっと大きい金がうごくとなると納得させるのに手間暇もかかる

まりセルフケアすら上手ではないか介護の段になると嫌がられて当然なのだと思う

 

でも登山遭難をみていると父も勇気をもって孤独な一人遭難を20年もつづけているのだなとおもった

ロマンとかじゃなくて、むしろ邪魔なんだけど、汚くていやがられるから恥ずかしいはずの失禁すら、

生き延びるために勇気にかえているんだなぁと

 

自分はお父さんとお母さんからまれてよかったんじゃないか

そんな遭難生活私は耐えられるか、支えられるかわからないな

これであなたMLM通!覚えようMLM報酬プラン

anond:20230404101130

MLMユーザー諭そうとしたら何かよく分かんない単語並べられて逆に論破されたそこのアナタ!今から言う報酬プランを覚えるだけでギッタギタのボッコボコに出来るので覚えましょう!

まずその前に基本情報日本人口は1.2億人。15歳以上は1億人。

ステアステップ

要は差益が報酬になるプランです。MLMは大体ランクが定められておりランク毎に商品価格が違ったりします。低ランクほど高価格で高ランクほど低価格。で自分の下に居る会員が商品を買ったとき自分ランク価格と買った会員の価格の差額がそのまま報酬になるパターンです。計算やすい反面自分が絶えず売り込まない限りは報酬が途絶える歩合制の営業みたいなもんなのでガツガツ売り込みにくるMLMの人はこの報酬プランかもしれません。店舗で買ってアマゾンマケプレに高額で出品している転売屋みたいなものだと思ってください。

バイナリプラン

いつまでも営業なんてしてられない!って人にはこのプラン。このプランでやるべきはたった二人を自分の下に付けるだけ!あとはその二人の尻を叩くだけ。このプランは下二人の売上の内、低い方の売上を基に報酬計算されるぞ。ちなみに二人の売上にはその下の会員の分も含まれる。バイナリーって単語プログラマとかはピンとくるかもしれないが二分木構造のツリーが出来上がるのだ。片方だけ深くなっても報酬は増えないので上の会員は下の2名両方に頑張れ言う必要があるぞ。でもある程度育ったら何もしなくても金入ってくる夢のプランだ(実際は受取り条件とかあるが)

ユニレベル

営業したくない。下の二人に絶えず叱咤激励もしたくない!って人にはユニレベル。これは何かと言うと毎月自分の下の会員が買った売上の数%が報酬になるプランランクが低いと自分の下の会員しか対象にならないけど、ランクが上がれば自分の下の会員が紹介した会員も対象になり、もっとランクがあがれば更に下の会員も対象になる。バイナリプランみたいに全体の成長を考える必要ないのでとにかく自分の下に人を勧誘してしまえば良い。あとはその人達が頑張れば勝手お金が入ってきます。極端なツリー構造になっても余り影響がなく会員が抜けても大して問題は無いですが継続的な購入は不可欠なので買え買えうるさい人が多いです(他のプランでもうるさいけど)

以上3つのプランを覚えておけばMLMぶれるぞ。なんだってバイナリプランだと27段で日本人口超える?ユニレベルだともっと早くに限界くる?そんなのMLMマルチまがいとかねずみ講って言われてた頃から知っとるわ。だからMLM企業複数報酬プランを用意してその辺のツッコミを躱すし禁止言うても実際は大多数の会員はMLM複数掛け持ちをしているよ。だから日本人口とか意味ない。1人がMLM10個に属すれば人口10倍!死んだ爺ちゃんも飼ってるペット今日から会員。在庫は全部家の納屋MLMは先行逃げ切りが鉄則。今更老舗に参加したってなんも残ってないし出来るのは上の会員に媚び使って引退時に引き継がせてもらうとかだけよ。あと海外でも出来るとか移民が増えて1億じゃなく80億もありますとか言うMLM企業もあるけど言葉通じない相手上記プラン営業活動出来る?別に世界のどこでも盛んでも無いからなMLM

2023-04-12

なんか頑張りが効率悪い人っているよね

性格は真面目で頑張ってる人なんだけど、

横にショベルカーがあるのにいつまでもスコップ一生懸命トンネル掘ってる人みたいな

とにかく手を動かしてる自分に満足しちゃってる人

横に答えが置いてあるんだから、まずはショベルカーの使い方を学ぶことを頑張れと

『Crawling』 Linkin Park 和訳

https://www.youtube.com/watch?v=Gd9OhYroLN0


這い回っている 皮膚の裏側を

この傷は 一生癒えることがない

痛みが続く恐怖に囚われ

混乱していく なにが現実なのかもう

からない


内側へ引き込もうとする何かが 心に棲みついている

疲れ果て 狼狽える

自制心が薄れる不安いつまでもまらない

監視され

何もできそうにない

自分を保つことができなくて

心の壁がまた 俺を閉じ込める

自信なんてないはずなのに もう限界なことだけが 確実にわか

こんな気持ちを繰り返しすぎて

神経が壊れていく

這い回っている 皮膚の裏側を

この傷が癒えることは一生ない

痛みが止まない恐怖に囚われ

混乱していく

なにが現実なのかもう

からない


不快感触が 絶え間なく身体中に纏わりついてくる

心が乱れ もがき苦しむ

意志に背いて 自分虚像に味方してしま

忘れられない

どうにもできない

どうすれば自分を保てるのか

心の壁がまた 俺を閉じ込めてくる

自信なんてないのに もう限界なことだけが 確実にわか

こんな気持ちを繰り返しすぎて

神経が壊れていく


何かが這いずり回る 皮膚のすぐ裏側を

この傷が癒えることはない

痛みが止まない恐怖に囚われ

混乱していく

なにが現実なのか


皮膚のすぐ裏側で 這い回り続けている

傷が癒えることは一生ない

痛みが止まない恐怖に

混乱していく

なにが現実なのかもう

内側へ引き込む何かが

心に棲みついて

疲れ果て

なにが現実なのか

自制心が薄れる不安

まら

監視され

なにが現実かもう

からない


anond:20230411224110

村下孝蔵さんの「踊り子」が最高だった話

恥ずかしながら、結構最近まで村下孝蔵さんのことはちゃんと知りませんでした。代表曲である「初恋」テレビ歌番組で聞いたことくらいはあったと思いますが、正直「昔の一発屋」くらいの認識でした。

とあるイラストレーターさんがツイッターで「今日村下孝蔵さんの声が良い・・・」みたいなことを呟いていたのをきっかけに聞き始め、とりあえずitunesベスト盤を買いました。

色々聞いてみて、「初恋」や「少女」、「春雨」等々、良曲はたくさんあるんですが、その中でも最高だと思ったのが「踊り子」でした。メロディは正直ちょっと臭い(失礼)とは思ったのですが、むしろノスタルジック雰囲気が最高です。もろに昭和後期の恋の歌、って感じですね。

それで、聴くほどに、読むほどに染みるのが歌詞なんですよね。別れ歌なのですが、「別れる」とか「離れる」、「振られる」といったいわゆる失恋ワードが一切出て来ないんです。すべてが比喩で語られるんですよ。直接説明されないからこそ頭の中で情景が浮かんで、きれいなメロディだけでは不可能な浸り方ができるんですね。本当に最高です。

冒頭の歌詞

「答えを出さずにいつまでも暮らせない

バス通り 裏の路地 行き止まりの恋だから

ですよ。

このフレーズで、一緒に暮らしてきた恋人たち限界を迎えているというシチュエーション完璧説明してるんです。はー、詩的だ。

サビでは、1番で「つまさきで立ったまま 君を愛してきた」

2番で「つまさきで立ったまま 僕を愛してきた」

最後の繰り返しで「つまさきで立ったまま 二人愛してきた」

と展開されます

お互い無理してきたんでしょうね。それを「つまさき立ち」と表現し、さらにそれをバレエダンサーに喩えて「踊り子」というタイトルを付ける。えらいセンスだなあと思いました。

で、歌詞にこの文章を書こうと思ったきっかけになった部分がありまして、先の冒頭の歌詞の続きが

「何処かに行きたい 林檎の花が咲いてる

暖かい所なら 何処へでも行く」

なんですよ。

ここだけ妙に直接的というか、行き詰まった恋をなんとかしたいというのを「暖かいところに行きたい」と言っただけだと、比喩として(他の部分と比べて)弱いような気がしました。そこでぼーっと歌詞を眺めていたら、ふと林檎の産地って寒いところばかりだと気付いたわけです。調べると、日本国内生産量の90%が青森長野岩手山形秋田で占められていました。つまり日本林檎の花が咲く暖かいところなんてあまりないわけです。

それを踏まえて歌詞を読むと、「林檎の花」と「暖かい所」は相反する要素であって、「何処へでも行く」というのは「(もしそんな所があるなら)何処へでも行く」であり、無い物ねだりだったんだと分かります。「もし破局を避けられるのなら何でもするよ。でもそんな道はないんだ」という切ない話なんですよね。ところが、この気付きを誰かの書いた文章共感したいと思って検索したら、「暖かいところは幸せ象徴で」とか「林檎日本の南の方でも栽培されているので」みたいな解説ばっかり出てくるわけですよ。いや違うだろと思って筆をとりました。

何が悪かったとか、何がきっかけだったとかではないんですよね。好きな相手自分を良く見せようとして背伸びをした結果、お互いに相手に見せる自分と本当の自分がずれていってしまった。お互い好きになったのは相手の着飾った姿で、だんだん見えてくる本当の姿にストレスを覚えるようになり、やがて耐えられなくなる。お互い未練があるから取り繕ってきたけど、もう一緒には暮らしていけない。大人同士ならすり合わせてうまくやっていく道もあったのでしょうが若い二人は良くも悪くもまっすぐで、それができない。

顔も見えない、名前も分からない登場人物の、愛情と悲哀だけが伝わってくる。こういうストーリーを「別れる」という言葉を一度も使わずに、どこか美しく表現するって、本当にすごいセンスだと思います村下孝蔵さんの歌に出会えて、本当に良かったと思いました。

誰かが共感してくれると嬉しいです。

あと、村下孝蔵さんを知っている人には釈迦に説法かもしれませんが、生前に親交のあった沢田聖子さんが「親愛なる人へ」という追悼歌を作られています

こちらも涙が出ますね。

2023-04-11

理系になりたい。いつまでも自分の稼ぎで生きたい。福祉に生かされたくない。タイムマシンを開発してくれ。もう一度人生やり直せるなら青チャート物理から逃げない。

交通事故父親を亡くした

もう15年も前のことで、今その話をしても「まぁ、かわいそうだとは思うけど」みたいな反応になる。

そりゃそうだよな。

7年前、25のときに当時付き合ってた彼女のことに「いつまでメソメソしてんの」って言われて、まぁ、もう頃合いなのかなぁってなってそれ以来、父親が死んだことを言い訳にしないようにしてきた。

話の流れで両親の話を聞かれたりしたときには言うことにはしてるけど基本的自分からそういうあれこれを話すことはない。

 

なので、いつまでも第二次世界大戦で~」とか言ってるジジババに何一つ感情移入できない。

何一つってのはウソだけどさ。

大事な人を亡くしたりした話を聞いたらそりゃつれぇでしょとは思うけど

何年前の話をいつまで言ってんだ、っていうのが正直な感想になってしまう。

 

みんなが戦争被害者よちよちしか言ってくれなかったから、前に進めなかったんだろうな。

なので海外の人の「いつまで言ってんだ」っていうのは俺は割と正常な反応だと思う。

高校の時は数学が怖かった

高校の時、数学が怖かった。

どうにも解決出来なくて奮闘した。でも結局どうにもならなかった。

大学になり、孤独が怖くなった。

コミュニケーションを学びたくて本を読み漁った。

そして今最も怖いのは、死だ。

私はそれを理解しようと、医療書を濫読し、福祉施設を訪ね、それでも何も解決はしない。

人は皆老いしまう。

数学が怖かったあの頃のように立ち向かいたい気持ちと、諦めてしまいたい気持ちが同居していて噛み合わない。

もし自分がその恐怖から逃れられれば、もう一人の祖父に今すぐ会いに行けるのに、私は臆病で動けないままでいる。

最後ときは誰にも分からない。その順番は朧気にしか提示されない。祖父がいなくなるという事は何れ父も母も此の世からいなくなるという事で、その事実は受入れがたくどうしようもなく辛い。

それを直視するのが怖い。

誰かと居るときなら良いが、一人になると駄目だ。いつまでも頭を堂々巡りして、人生意味はあるのかなどと考えてしまう。

祖父よ。今貴方が求めるものは、現実それなのですか。

我々は貴方が望む道を否定はしないけれど

貴方は苦しい思いを重ねては来たけれど

あのときの会話が胸を去来して苦しいのです。

もう何も残す物は無いのですか?こちらは後悔ばかりなのに、旅立ってしまうのですか?

私はどうしたら良いですか?

2023-04-10

anond:20230410164858

いやいや、身内に医者いるけどバイトしないとくいつなげないからどこでもいくから

ちなみに〇〇記念病院ちゃん医師交代制になってたけど〇〇さんという院長がいつまでも居座ってたんだろうね

看護師が耳元に日本語日本語翻訳してたわばくしょう

あとは献血で「喘息ステロイド使ってるの?あぶないよ」いったバカバイト医師ステロイドかわな喘息のほうがあぶないです)

健診で「うどんたべても下痢?じゃあ小麦アレルギーでは?」ってイレウスにむかっていったバカバイト医師

イレウスって毎年健診で訴えてるのに毎年の健診にしつこく胃カメラバリウム下剤)すすめてくるバカバイトのみの医療機関(世の中では内視鏡のほうが精度いいからきりかわってるっていうじゃん)

ちなみにマンモもクソ痛い マンモのせいで垂れてきたし変形してきた気さえする

ほんとにバカしかいないとおもう

AIにいれかわってくれ

2023-04-09

anond:20230409094935

マ~ジでこれ。

去年10月のNovelAIくらいの時はまだ「AIイラストが凄いっつっても手とか人体構造結構破綻してるし好きなポーズ指定できないし好みのキャラの絵も描けないじゃん」とかいって手描き絵支持勢だったけど、最近AIイラストはControlNetで手や人体構造破綻をほぼ完全に克服してるわ好きなポーズも出し放題だわ、挙句の果てにLoRAで好きな二次元キャラも完全再現して描かせられるわで、凄まじい技術に成長してた。もう一瞬で手描き絵支持派からAI絵支持派に転向した。

そいで、手描き絵師側に残された最後の砦たる「画風」や「個性」も、CheckPoint MergeとLoRAの組み合わせで完全に何とでもなるようになったから、もはや一部のトップ絵師を除く大半の手描き絵師AI以下になったと言っても過言じゃない。

AI劣化版になった有象無象の手描き絵師はそろそろ産業革命を受け入れる覚悟をした方が良い。いつまでもSNSでラッダイト運動やってても世界は何も変わらん。

anond:20230409112524

正確な内容はわすれたけど、なかなか態度がはっきりせず「もうちょっと待って欲しい」という音無さんに対して、三鷹さんが「もう十分に待ったから決めてください」とダメ出しをするシーンが印象に残っている。

ラブコメでそれを言ったキャラちょっと他に思い浮かばない。

三鷹さんはラブファイターではあるけど、ノールールとは考えていない。

たとえ選ぶ側であっても、選ぶ責任はあると考えている。

から誤解であろうと何だろうと、責任を取る判断ができ、また自分の一度した判断に対して責任を持った。

それは、心の決着がつかないと一歩も前に進めない音無さんや五代との違いであって、

音無さんや五代ラブコメをやっていたのに対して、三鷹さんはラブロマンスをやっていたという事でもある。

から最終的には、三鷹さんが振られたのではなく、三鷹さんが振った形になった。

時間流れるしああい事故もおこるのだから、決められない人をいつまでも待つことはできないという、大人の判断だった。

パーソナリティのゆうすけさん、ゲストのお二方、リスナーのみなさん

 4月といえば、出会いシーズンなんていうだけあって、入社式だとか入学式に向かうフレッシャーたちと街中ですれ違う機会というのも多いものですよね。

 スーツでピシッと決まってる立派な姿を見ると、他人ではありますが、思わず親の気持ちにもなってしまます。「あんた、こんな大きくなって……」

 嬉しい反面、親元を離れていくことに少し哀しさも覚えます。思わず涙がこぼれてしまうことも。

 けど、振り返って、すれ違った立派な彼女たちの後ろ姿、ジャケットベントの部分をみると少し安心ちゃうんですよ。スーツには不格好な白いしつけ糸。「ああ、まだまだ子どもだなあ。」

 10年前、長男大学入学式の朝、しつけ糸が付けっぱなしになってるのを教えてあげなかったことを思い出した。いじわるなお母さんでごめんね。「しつけ糸」は親離れしてほしい思いと親離れしてほしくない思いの混ざった複雑な親心が課す最後の試練なのかもしれません。

 慣れない革靴で歩きづらそうにしていた長男上京してもう5年、来月には結婚が決まりました。何歳になっても、家庭を持ってもいつまでも母親でいさせてください。

 今週のリクエスト曲は、『相変わらず 愛変わらず』でお願いします。

60代 女性 ミカポン

anond:20230409135313

そういえばじーちゃんは父のことをいつまでも子供だと思ってるようなフシがあったけどばーちゃんはそうでもなかったな・・・

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