2023-04-13

アイマスU149を見た私「子供がいなくて本当に良かった」

だって比べちゃうと思うから

自分の子供は心も体も醜いなって、それはきっと親の自分からしてそうだからなんだと感じるだろうから

アイドルっていうの世界の上澄みの存在だ。

河原乞食のど底辺だなんて嫉妬深い連中は口にするけど、そもそも遺伝子レベルで顔が優れている時点で、もう人間の上澄みなんじゃないだろうか。

悲しいけれど、顔の良し悪しっていうのは人間の基本性能を端的に表しているよ。

遺伝子健康的で、身体が生まれつき左右にバランスが良く、全身の発育が健全でなければ美人にはならない。

化粧によってある肌艶なんかならある程度は誤魔化すことが出来るけど、顔の部品キレイに配置された状態にするのは誤魔化しが効かない所がある。

しかもこれ人格まで優れていたりする。

人間ってのは生まれつきある程度顔が良いと自然人格健全になる。

まれつきの美人だと性格が滅茶苦茶に歪むって語る人もいるけど、それは飛び抜けた美人倫理観のない田舎に生まれ場合ぐらいだ。

顔がいい人間ほど承認がきちんと満たされた状態人生を歩んできているから、人間として健康になりがちだ。

更にそれがアニメゲームキャラクターになると本当に極めて正しくて理想的でそれでいて年相応の愛らしさもある完璧存在が出てくる。

アイマスU149の主人公たちは多様だが、それぞれが多様にある種の理想形のレールの上にいて、かといって押し固めたテンプレートではなく独立した個性を持っている。

アンナ・カレーニナ法則適用されるのは現実ばかりで、創作物においては醜い悪役ほどに凝り固まったテンプレの中に閉じ込められたそれぞれの工場で作られた金太郎飴になっていく。)

個性的で美しく人格的にも成功を願いたくなるような少女たち。

もしも、その姿を見ている時に、自分の子供とくらべてしまったらどんなに絶望するだろうか。

自分が育て導いた存在が醜いというのは相当なショックがあるだろう。

人間は共に高めあった相手が偉大であることをどこかで願ってしまう。

学生時代の知り合いが軒並み可能性の芽を育てきれずに冴えない大人になっていたとき自分のことを棚に上げて失望するものだ。

伸びしろを感じた同僚や後輩がいつまでもまらない失敗をしたり、今度は失敗に怯えていつまでも殻を破れずにいると期待した自分馬鹿馬鹿しくなる。

自分の育てた子供遺伝子を分け合った相手にそんな気持ちは感じたくない。

だが自分はきっと感じてしまうだろう。

人間比較してしまう。

ゲームに出てくるキャラクターカードコマのような物と同じように、その性能(ステータス)を比べてより優れているものを好ましいだと感じるだろうし、むしろ劣ったものを誤った存在だと断ずるだろう。

自分に対してさえこ感覚があるのだから

人間市場の中でお互いに値踏みし合う価値観スッカリ染み付いてしまっている。

私生活においてさえ気晴らしにプレイしていたゲームの中で、何万回と「性能が低いから」とキャラクターを切り捨て続けてきたことが遅効性の毒として自分を蝕んでいたのかも知れない。

もう人を比較することをせずにはいられない。

人間はその機能比較されるものだと完全に刷り込まれしまっている。

たとえそれがモニターの向こうの偶像と、現実にいる我が子だろうと、関係なしにどちらに価値があり、どちらがどれほど不出来かを比べてしまうだろう。

そんなことはしたくないが、きっとしてしまう。

から本当に思う。

子供が居なくて本当に良かったと。

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