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2022-11-23

君の名は。」「天気の子」への返歌としての「すずめの戸締まり

ネタバレあり】

過去の重さ』と『大人子ども』について

過去の重み

君の名は。」はタイムリープすることで、過去を「変える」物語である主人公の瀧は、過去の少しずつ忘れられはじめた悲劇追体験し、不思議な力によって惨劇回避する。その点において「すずめの戸締まり」では、誰も過去を変えることはできないということが明示される。常世過去現在も混在する世界であるし、主人公のすずめは物語の終盤で過去自分出会う。しかしそれは過去を改変することにつながるわけではないし、亡くなった母親常世で再会できるようなことがあるわけでもない。死者は死者である


「天気の子」における帆高の選択は、「すずめの戸締まり」のすずめとは真逆である世界なんかより君が大事だと叫び銃をぶっ放して走る帆高に対し、「すずめの戸締まり」ですずめは大震災愛する人を天秤にかけるという選択を迫られ、愛する人を選べなかった。それにはすずめの過去震災被害経験が重くのしかかっている。「天気の子」では帆高の過去意図的に透明化されているし、帆高と東京とのつながりはどうにも希薄である


翻って考えてみて、「君の名は。」の過去改変も、「天気の子」で世界よりも君を選ぶのも、エゴイスティック世界を改変する行為である。「すずめの戸締まり」では人知れず災害を防ぎ、薄氷の上にある世界を昨日と変わらず続ける選択を行う。「大事仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」と草太は言う。世界微妙な均衡の上に成り立っており、それはいつすべてが灰燼に帰してもおかしくない。



過去の2作品と今作の対比で際立つのは、過去の果てしない重みである過去は変えられない。過去ははてしなく重くのしかかってくる。人にとっても社会にとっても。忘却するわけではない。でもどこかで区切りをつけて前に進まなければいけない。そのための儀式が戸締まり。鎮める。そうしてまた行ってきます

大人子ども

大人論理子ども純粋さ」という対立軸日本アニメ漫画文化普遍的テーマである。「君の名は。」では三葉の父親を説得するという小さな対決イベントはあるが、メインテーマに絡んでくるわけではない。祖母組紐伝統を三葉に受け継ぎ、導く役割を担うが、どちらかと言うと舞台装置として機能している。


「天気の子」では鮮明に「大人論理子ども純粋さ」が対立軸として描かれるが、対立解決落とし前をつけるというより、主人公たちがぶっちぎったような形で終わる。また登場する大人は、誰も主人公たちに対して大人としての役割を果たさない。須賀は大人のズルさを持ちつつも精神的には未熟でもある。子どもたかり、ほぼ無給でこき使い、保身のために投げだす。リーゼント刑事も少し思うところはありそうだったが、帆高の未熟さに毒づき、押しのけられるだけである象徴なのは須賀の義母である相手と会話しているようで、自分の中ですべて完結している。自分価値観から一歩も外にでることはない。大人たちが大人として子どもに向き合わず、与えられた仕事役割をこなすだけ(と描写される)のがある意味現代的ではある。


一方「すずめの戸締まり」では、環との葛藤和解が大きなストーリーライン構成する。物語のオモテ面が災害を防ぐため各地をめぐる旅だとすれば、ウラ面は過干渉な叔母から実家への逃避行である。環も、神戸出会シングルマザーのルミも、完璧とは程遠い人物である。環はすずめを引き取ったことで失ったものを未だに悩み、無理をして母親像を演じ裏切られると怒りを爆発させる。ルミはヒッチハイクしてきた高校生ベビーシッターをさせて、更に深夜までスナックで手伝わせる。そんな大人だが、二人とも真摯にすずめに向き合う。草太の祖父は、自分の孫が要石にされた状況で、その事態引き起こし当人に対して「これで良かった。すべてを忘れて帰りなさい」と声をかける。

もともと新海誠キャラクターの背景や生活史をほとんど深く描かない表現者だった。ほしのこえ、雲の向こう、秒速。ほとんど若者しか登場せず、「どの作品主人公ヒロインは一緒」と言われることすらあった。心理描写を最低限に、抒情的に美しい風景に仮託して表現し、視聴者勝手自分と重ねられるようにする。それを極限まで純化ささせた作家性だった。それがこのような作品を作るまでになるとは夢想もしていなかった。過去作品を糧にしつつ、全く新しい作家性を手に入れ、見事に作品に落とし込んだ。「新海誠最高傑作」との宣伝文句伊達ではないと思う。集大成であるし、ここまで来た新海誠が次に何を作るのかが今から楽しみである


小ネタ

・すずめとは「鎮め(地鎮)」であり、「ミミズを食べるもの」でもある

・すずめの瞳にミミズが反射して赤いハイライトが差すのが「すずめにしか見えていない」ことと、揺れがおきるたびにミミズを探してしまうすずめの恐怖をうまく描写していた

・冒頭の朝ごはんがやけに気合入っててこんな朝ごはん普通つくれねーよと思ったら伏線だった

椅子が三本足なのは「三本足でも立って歩いていける」ということ

・昔の閉じ師の本の表紙が「Agarta」(スペル違うかも)と書かれていた(星を追う子ども異世界

2022-11-22

『すずめの戸締まり』の雑感

君の名は。』はそもそも二人の人間の中身が入れ替わり、しか時間すら超えてそれが発生するファンタジーだった。

今の日本と限りなくそっくりな場所で行われているファンタジー感覚で、だから彗星が落ちても平気だった。

しかし『すずめの戸締まり』は、完全に「今ここ」の話である。だからしんどい。

被害規模で言えば、『天気の子』もなかなかすごいことになっているが、やはりファンタジーだった。今から晴れんだろ。

から東京が水没しようと、今ここにある東京とは別の、限りなく似た別の場所という感覚だった。

『すずめの戸締まり』にもファンタジー要素はある。いきなり猫が喋るし。

しかし、ヤツは神だ。古事記日本書紀のファンタジー感に近く、今ここと地続きな感じがする。

『すずめの戸締まり』でじんと来たすべては、震災風景記憶によるもので、震災ドキュメンタリーから得られるものと同じだった。

ただただ「震災アニメ」という感想別にそれが良いとか悪いとかいう話ではなく。

anond:20221120112217

草太は伝承を正しく受け継げていないので要石を単なる封印の道具とみなしていて全然敬意をいだいていない。

それが原因で封印がゆらいでいる。

それが初期状態

これについては、一切の描写がない

まるで提示された自明の前提のように書いているが

しwらwなwいwよw

って感じ



なのですずめがさわっただけで要石はぬけてしまう。

後半の常世でのシーンでもわかるとおり、ほんらい要石は人の力で抜こうと思ってもぬけるものではない。

それがあっさりぬける。

自由になった神は痩せ衰えた姿で彼女の家を訪れる。

そこでの敷居をまたぐ誘いとお供え物、とどめに「うちの子になる?」というすずめの言葉

これにいたく感動し再び力を得たダイジンは、彼女を新たな巫女として戸締まりを続けることにする。

要石? それはこの無礼な前任者をあてればいい。

後半抜けないという事実から、前半の理由を推測することは可能ではあるが

普通に考えれば、単に力が弱まっていた程度に落ち着くだろう

お供え物で契約だ」に至っては、普通であれば妄想の域

仄めかしにしても何にしても、伝えたい事があるのなら、伝わるように描け



しかしすずめは「うちの子になる?」といった言葉も忘れ、草太を失った悲しみでダイジンも拒絶する。

再び痩せ衰えるダイジン

それを見ていたサダイジンは、怒って「養い親に拒絶された子供気持ちを味わってみろ」と環をあやつって黒い本音を言わせたりもする。

「環をあやつって黒い本音」あたりもブレブレでさ

環の内面ほとんど描写されないのに

いやむしろ、良い叔母としてしか描かれていないのに

あそこで唐突に「言わされる」わけさ

普通だったら、気持ちが弱ったところにそれを幻視させられて、鈴芽が拒絶するところを

環が愛情で解きほぐすとかそんな流れにしない?

でも、鈴芽はそれにダメージを受けるでもなく、何もかんも放り投げて元鞘

描きたかったのは

震災

震災孤児

震災孤児と引取り手との確執

みたいなもんだと思うんだよ

でも、①と②は鈴芽が母親を亡くした喪失感ほとんど見せないのと、地震への恐怖を全く見せないので、単に設定に書いてあるだけのものになってしまっている

そして、③についても、環が善性の典型的な良い大人として描かれるため、全く予兆を見出せない

普通は、良い格好し過ぎているとかで、内面の闇を感じさせるものだが、それをしていない

んで、サダイジンの暗躍で、あの本音とやらが上っ面だけの寒いものになってしまっている

ただただ下手くそ

2022-11-21

anond:20221120113730

ほんとソレな

評価してる人のネタバレ感想を拾い読みしたんだが

みんなポエマーだなぁって思った

んで、大抵小説言及するんだよね

なんでも、日記が黒く塗りつぶされているのは

母親にあった事を書いたがそれを消した」かららしい

私は全く違う解釈だったよ

震災にあってからの数日は日記を黒く塗りつぶすような心を押しつぶされる日々だった」と解釈した

そういう心象の現れなのだ

表現物の履修が必要なのは、著名な原作物のシリーズ映画化プリキュアワンピース)だけであって

今回のような単品でそれやられると萎えるよな

それも自称ファンが鬼の首を取ったようにドヤ顔でそれを開陳するんだから

始末に負えない

anond:20221121093746

マジックワード自分だと気付くことで

未来自分は元気でやっていると4歳のスズメが思っても

それが母親を亡くしたスズメを救うとは思えんのよね

クライマックス震災の情景が現れるの単純に土地描写って事なんだろうけど

古の昔からの話なんだからピンポイント震災描写って変なんだよね

もっと普通に茅葺きの漁村とか出ていい筈なんだけど出てこない

あの流れはスズメ記憶依存していて普通に精神攻撃として作用するシーンのはずなのに

心の中に4歳のスズメが蘇って歩けなくなるとかそういう事は特別にない

何事もなかったかのように突き進んでしま

単に背景として描写されるだけなんだよね

スズメ地震が来ると大切な人が居なくなることを無意識に恐れていて友達の体を知らず掴んでしまうとかもないんで

描かれた震災が妙に浮いちゃうんだよな

「すずめの戸締り」は全般的に雑なんだよね

anond:20221119161631

「ための」演出が多すぎるって言うか


鍵かけ演出

家や自転車の鍵をかける(あける)シーンを意図的カットとして抜くのは、戸締りとしての鍵を意識させたいんだろうが

「戸を閉める(鍵をかける)無意識」みたいなもの物語に影響しないから、無意味な「ための」カットなんだよね


叔母さんとの確執

叔母さんとの確執も別段必要はなく、言い争いも要石に誘引させられたもの

叔母さんが子育て愚痴ってるシーンや、裏ではすずめを憎く思ってるという伏線がないから、唐突過ぎて違和感しかない

そんで、「要石のせいだ」って提示されたら、実質確執はないよねってなる


震災の心災

震災周りのアレコレも、すずめは終始超然としてるので、特に引きずってるとは思えない

アラートにも無反応で、地震があっても普通

それが無意識に抱えてるトラウマを刺激したなどという描写もなく

しろ他人よりも早く復帰して、窓からみみず」を見つけてしま

綺麗に整地「されてしまった」故郷を綺麗と言われ憤慨はするが

自宅の跡地に戻ったからと、心を抉られたりもしない

(もちろんしているのだろうが、特別描写はない)

掘り起こした日記震災後のページが黒く塗りつぶされているが

あれのシーンはむしろ見てる観客の方が心抉られているはず

すずめは嗚咽したり、泣き崩れたりしない

その無言にナニカを見出すことは当然に出来るし、それが「リアル」だという向きもあろうが

あれは別にとうほぐ限定の上映じゃないんだから、伝わらない人の方が多かろう

しろ叔母さんの方が気にしてるくらいなんだけど

この叔母さんも微妙スルーされてしま

ぶっちゃけ、あそこまで叔母を引っ張ったのは、確執を描きかっただけと言う風にしか受け取れない

(すずめは扉に入って消えてしまうのだからもっと心配してるだろ常識的に考えて)


イケメンに一目ぼれ

これもテーマがとっ散らかったおかげで、無くても良かったかなぁって感じになってる

ここをメインに据えるなら、震災関連が要らないし

震災関連をだすなら、草太を助けるためじゃなくて、4歳の自分(ひいては震災被害者たち)を救うための活劇で良かった

過去に会ってるかも?みたいな伏線もまったく無意味である


常世自分を救う

常世で一度自分に会っている

これ自体最初出会う時に顔を隠してる時点で予想がつく

母親だったら顔を描いて問題いからね

物語としては解決が決まっている話という事になる

未来自分母親形見椅子過去自分に手渡す

これが破綻したらタイムパラドックス

・・・なんだけども

あのシーンで幼い4歳のすずめの心が救われるとも思えない

誰ともわからない他人

母親椅子を持ってきてくれた

そして「大丈夫だよ」と声をかけていなくなる

あれが救いになっているという解説がどれもしっくりと来ない

4歳のすずめを救うマジックワードは、きっちりと作品内で描写されるべきだ

あと、なくなってた椅子の足も特別回収されない



から何まで中途半端モヤモヤする

2022-11-20

すずめの戸締まり震災ポルノ

いや面白かったけどね。

震災が「観客を感動させるための道具」にしかなっていないのがキツい。

新海誠の中ではあの震災は「既に終わったもの」という感覚なんだろうな、というのが伝わってきてキツい。


CG脚本が酷かったけれど、「天間荘の三姉妹」の方が震災との向き合い方は誠実だった。

anond:20221119214253

起きた年が16年離れてる災害を「〇〇と違って」という比較の仕方をすること自体違和感ある

2027年に2つの震災が16年間でどう社会に影響を与えたか論ずるなら違和感いか

https://anond.hatelabo.jp/20221119161631

駄作、とまでは言わないけど、物語構成瑕疵があるのは間違いないよね。

サブプロットの「鈴芽と環の関係性」が、東北へ向かうクライマックスの流れの中で差しまれ、全体のテンポを悪くしている。

何でこのタイミングになったのかは明白で、本作の重要な設定である「鈴芽は震災孤児」が、物語後半までマスクされていたから(それまで匂わせはしていたが)

環とのサブプロットを語るのにこの設定は避けて通れないので、結果として物語の勢いをそぐタイミングでやらざるを得なかった。

ではなぜ震災孤児の設定を隠していたかというと、これはもう商業的な理由しか言いようがないよね。

始めから震災テーマにして映画やります、だと重すぎて観客が離れるという判断だったんだろう。

少なくとも物語的には、この設定を隠さなければいけない必然性はどこにも無いわけで。

この辺りが残念だなあと思う次第。

anond:20221119214253

逆に震災が30年近く過ぎても風化しない世界に住みたいか

俺は嫌だね、東日本大震災も同じ年月過ぎたら風化して欲しいわ

anond:20221119214253

世間イメージではそうかもしれないけど震災が起きてから何年もかけて日本中の橋脚や橋梁耐震補強が行われたんだよ。今でもさらにやってるところがある。ぜんぜん忘れてるわけではないよ。

ネタバレ有り 東北人だけど、すずめの戸締まり見て辛くなった

今日、すずめの戸締まりを見てきた。

どうせ新海誠のことだからキモい性癖を散りばめて RADWIMPSで無理やり感動させる雰囲気作るいつものやつだろ、くらいの気持ちで臨んだ。

冷やかしの気持ちだ。

  

そうしたらあれですよ。

謎の扉から出てくるミミズ地震を起こすやつで

映画の中盤には東北道北上して、物語舞台東北のあの辺になってきて

放射能で住めなくなった荒れ果てた街があって

  

自身東北震災で直接被害を受けたわけじゃない

ただ、ばあちゃんの家が福島にあって、小さいとき夏休みに泊りがけで遊びにいってたところ。

地元の駅は津波で流され、ばあちゃん家は放射能で住めなくなって、野生動物に荒らされて?ガラス割れ草ボーボーになって

両親が防護服を着ながらそういう状態写真に撮ってたんだけど、それにそっくりだった

  

呼吸が浅くなった

映画描写は、津波被害家屋がぐしゃぐしゃ、船がおかしなところに乗っかっちまってるようなそんな街を映していて

これには本当にびっくりして涙が止まらなくなり、口のところまで流れてきてしょっぱかった

  

謎の扉の奥の常世は、気仙沼市の夜の火事みたいな大地だった

あの日俺は海老名仕事してて、小田急止まって家に帰れなくなって

夜中に会社の人と近くのイタリアンの店でご飯食べてたんだけど

その時に小さなテレビに映っていた映像そっくりだった

びっくりしてまた涙がぼたぼた落ちてきた

  

繰り返すが俺自身はあの地震で直接被害を受けていない

福島のばあちゃんも今は施設にいるが健在だ

原発仕事をしていた別の親戚は、仕事がなくなって引っ越したらしいが、まあそんなところだ

  

幼い日のすずめが、お母さんがいなくなった事を一生懸命説明する描写がある

あの日3月の冬の夜、帰る家も無く、たくさんの人が声を枯らして人探しをしたんだろう

そういう悲しさで辛くなって、手を合わせて祈りたい気持ちでいっぱいになってしまった

  

この映画についていろんな意見があるだろうと思う

映画作品性感想は無い

ただ辛くなり、可哀想になり、たくさんの当事者たちに祈りたくなった

2022-11-19

すずめの戸締まり駄作です

ダメだろ、これ。

失敗の原因は5つ。

①導入の失敗

冒頭、どこか非現実的で、しか東北震災を思わせる風景はいい。

踏切を渡らない演出や、立ち入り禁止看板を乗り越えるところなど、日常へ行かず、非日常へ入っていくことを描写していくも、よくわからないまま立ち去り学校日常描写→そして地震、なんか山から祟り神みたいなの出てる→再び廃墟へ。

ここが一つテンポが悪かったと思う。

どういう物語かを提示するという形で及第点ではあるが、特段面白くはない(わずか35秒で説明し、全く本編が面白くなかったソラとウミのアイダを見習ってほしい)

その後、猫(ダイジン)を追いかけ、船に乗るというところまでが、序盤といっていいと思う。

気になるのはすずめが船に乗るのは自発的意思に基づくものであって、君の名は。不可抗力で入れ替わったこととは違う。

ここにご都合的な強引さを感じるのだ。

さらに致命的だと思うのが、ダブル主人公のうちの一人、草太が早々に椅子の姿になってしまった。

この結果、ロードムービーでありながら、草太は椅子の姿であることからコミュニケーションをとることに作劇上の制限が加えられてしまった。

コメディ的なキャラクターになったことで、ラブストーリーとしての進め方にも違和感が出ている。

草太がどういう人物なのかが明示されないまま物語が進んでいく。役割しか持たされていないんだよね。

で、そのメンタルのまま、後半、突然の死にたくないっす。要石なりたくないっす。→私も草太がいない世界怖いっす。

義務的ラブストーリーにもっていくな!!

ロードムービーをやりたいのか、と思ったけれども、ロードムービーって基本的に旅する二人が、旅先での人との出会いによって関係性が変化するというのが定石じゃないですか。

でも、本作のヒロイン、すずめは一体に何に不満があって、成長するのかというのが不明瞭なんですよね。

3.11というモチーフと、ファンタジー表現の嚙み合わせの悪さ

災害の原因であるミミズが出てくる扉を閉める、という役目を帯びた青年が全国行脚しているようだが、ファンタジー職業ありがちなどうやって食べてんだ?という疑問には普通に大学生であるし、将来的には教師を目指しているという謎の情報が与えられた。役目が重すぎるだろ……。

関東大震災ミミズが原因だったという描写があり、直接的に言及されていないが、3.11も同じミミズが原因であったと推察できる。

こいつらがきっちり仕事してれば3.11を防げたってこと?という疑問点が観客の引っ掛かりになるのではないか

感動部分は、作品によってではなく、3.11悲劇性と記憶に頼って泣かせているんだよな。そして人間馬鹿から感情が動くと名作だと錯覚する。

③「世界」か「君」か

本作の中盤では、首都直下地震を思わせる災厄を封じるために、東京舞台に駆け回る。

通常の映画で言えばクライマックスに相当するようなアクションの末に、すずめは草太を要石として使用し、東京を救うことになる。

天気の子が「世界」か「君」かの選択で、「君」を選んだ結果、めちゃくちゃになった世界があって、それでも生きていくという話だったのに対し、今作では「世界」を選んだその後を書くつもりか?と思っていたが違った。

物語はこの要石となってしまった草太を救うために、幼少期に見たあの世への扉を探すことになる。

そして終盤、気仙沼炎上を思い起こさせるファンタジー災害空間で、暴れだす巨大なミミズを背景に、主人公を走らせる。この絵を描きたかったというのは分かる。

要石となった草太を解放することで、ミミズの抑えがきかなくなる。

さあ、どうする?

すまん!今まで要石やってくれとったダイジン、サダイジン!またやってくれ!

了解!!

おわり。

は?

世界」か「君」か、という選択と代償の話が、第三者委託したら何とかなったわwで終わっていいわけねえだろうが。

気まぐれな神としてのダイジンが、都合で動きすぎている。

自然に外れちゃった東京の要石ことサダイジンは、なぜか主人公たちの旅に付いてくる上に、最終的にはまた要石として役目を担うことになる。

ええ?

要石が外れたけど、機嫌治ったんで、自主的に役目に戻ってくれましたみたいな解決である

主人公らの選択と苦悩が壮大な茶番になってしまっている。

④単調な展開。

基本的四国神戸と行く先々でミミズを見かけて戸締まりするアクションシーンというのが連続で起きる。

また各地で出会う人々もそれほど深掘りされることはない。

これが東京まで来るとそれなりに街の描き方が生き生きとしてくるし、後半のキーパーソンになる芹澤が登場する。前半と後半で明らかに映画趣旨がガラリと変わっている。

からこそ前半の時間の使い方はもったいなかった。(後半にほとんど繋がっていかない)

おばさんも遠くで心配してる描写を延々はさむぐらいなら、もう少し後半の決裂に至る問題点避難者受け入れ、被災者遺族の家庭の問題)をやっとけばよかったのに。

⑤やりたいことが何もかも多すぎる

ロードムービーをする都合上、各地を巡り、そこで出会う人々とのつながりを書く必要があるので登場人物が増える。

そうするとそれぞれのキャラクターに割ける時間相対的に少なくなるので、魅力を描写する時間が足りなくなる。

途中で出会った人々を後半に繋げるでもなく、主要キャラ問題点提示や成長に繋げるわけでもない。何がしたいんだ。

新海が触りたかったものロードムービー3.11被災者への応援、衰退する地方都市避難民と家庭環境自然への畏敬、民間信仰恋愛あたりだろう。

終盤で、主人公過去自分を見つけ、この世界は明るいんだと、ド直球な被災者への応援メッセージを長々とぶちかましていく。

過去自分を救いたいという趣旨は分かるけど。

一方で衰退する地方都市自然に還る廃墟を映し、戸締まりの際の呪文山河をお返し申す、人間が使ってきた土地自然に返すという話であろうが本当に触れるだけだし、それを3.11テーマとどういうリンクをさせるつもりだったんだ。

ある種の無常観というか平家物語的な持っていき方をするわけでもなく、災害はそれはそれとして悼みます、という一貫性のなさ。

おばと主人公の決裂も、避難の子供引き取っちゃったせいで人生めちゃくちゃやん→ごめん言い過ぎたわ……。で終わり。

ダイジン、サダイジン、それにキャラクター名前を見ても民間信仰というか古代神道系の話っぽいなぁとは思ったが、そこもそれほど深掘りされず。

どうでもいいけど九州の要石、廃墟と化してるとはいえめっちゃ現代的な施設の真ん中付近に刺さってるの謎すぎるやろ。

そして終盤唐突恋愛映画的なスペクタクルと、抱きしめ。

男側の感情が一切見えない上に、女側もイケメンと旅して、神戸でいきなり発情し始めて椅子キスするという展開を伏線としてクライマックスで結ばれましたってやるの強引すぎるだろ。

今作は終盤に使うために仕込んだ伏線が、全て雑すぎて、「前に説明してましたよね?」と新海が言い訳するために挟まれるシーンが多すぎる。

戸締まりをする際に、その土地の人々に思いを巡らせる、というのもすずめにとっては何の縁もない土地の思い出が想起されるのは変だろう、と思っていると、終盤に被災前の人々の情景を描くシーンがあり、ああ、これのための言い訳だったのかと理解した。

なんなんすかね、これ。

2022-11-18

https://anond.hatelabo.jp/20221115003726

https://filmarks.com/movies/100650/reviews/144095222

「大震災絶対に起こさない」って草太が言ってたけど、ストーリーをそのまま解釈したら東日本大震災も、

阪神淡路大震災も、関東大震災も、ぜーんぶ人間努力が足りなかったから引き起こされたこであると言いたいんだろうか。

震災コロナ蔓延とも違えば地球温暖化とも違うし、戦争とも違う。人間の力ではどうしたって防ぎようがないことなのに。

実際は抗えない自然に抗って絶対にできない制止をフィクションで成し得ることが死者を悼むことや傷ついた人の慰めになると思ってるんだろうか。

日常から出発し、そこから最も遠い場所(死)まで行き、また日常に帰ってくる」ってのもひどい。

死が日常から最も遠い場所? そうじゃない、死を身近に感じた地震被災者の方々はどう思えば良いのこの言葉

anond:20221116232701

自分けが真剣に考えてるとでも思うのかい

許せない罪がなんだか知らないが、そういう覚悟を秘めてなお笑いながら未来を語るのが大人ってもんじゃないのかい?いざその時にどう振舞えるかはまたその時の話でさ。

将来の不安というなら、大震災や核攻撃に晒されてる人達は先を見ずに俯いて生き続けるべきなのかい

2022-11-17

すずめの戸締まり説教されているように感じた

君の名は。や天気の子と同様ではないにしろ、同クラスエンタメを期待して見に行ったら説教された気分。

宮崎駿と思って見に行ったら高畑勲だったみたいな違和感

友達と久しぶりに飲みに行ったらアムウェイ勧誘されたみたいな気持ち

すずめの戸締まり説教部分が多すぎて、キャラや背景の掘り下げがあまりに雑。

例えばダイジンの行動が意味不明

出てくる奴ら全員テンション高すぎ。もう少し親交を深める描写有っていいでしょ。

なんであの流れで全国旅行から恋愛?(君の名は。や天気の子くらいまで描写しろや)

それもこれも災害をメインに置きながら多方面配慮して中途半端になったせいでしょ。

別に震災テーマにするのはいいけどさぁ、エンタメやります!!!!みたいなガワから不意打ちするのやめてくれよ。

そんな映画ならわざわざ飲み物ポップコーン買って見たくないし、そもそも映画館まで行きたく無いんだよ。

anond:20221117105732

長野リンゴリンゴほっぺのロリータを出荷してるが、

熊本震災後、市内にも年寄だけの限界集落が増えてる。健軍とか。(旧日本軍駐屯地

高速バスに代わり、JR新幹線駅はアミュプラザ出来たりしてるが駅近くのみ。

すずめの戸締りのストーリー評価している人が多くて謎(ちょっとだけネタバレ注意)

地震を止めることよりも、好きな人と一緒にいることを選択する。

 →でもその好きな人は単純にすれ違って一目惚れしただけという設定なので感情に入ってこない

地震を止めてた元の要石のねこちゃんのことはどうでもよく、ただ一目惚れした男を優先する主人公適当

・昔の子供の自分に会いにいくけど、そこで伝えたことは「明日は明るい」ってこと。どんな浅いメッセージ

 →「全部もらってたんだ」って言っていたが何をもらっていたんだ?

震災の人の悲しみを黒塗りのノート、その時の自分に会いにいく、という理由で使っているが、震災の人の苦しみに寄り添っているのか謎。

<その他>

セリフで全部説明するスタイル。絵が素晴らしい表現でわかりやすいだけに無駄セリフ多い。

・おばさんに行き先も伝えず高校生が旅していくのが怖い。おばさんに本当に迷惑かけてる。

・おばさんが里親を後悔するシーンはトラウマになる。

椅子が体に馴染むっていう迷言

未成年スナックで働かせておきながら、夜帰ってこないことを心配するルミちゃん

 ちなみにこのルミちゃんパーフェクトブルーのあのルミちゃんぽい。

・サダイジンうしおととらみたくなってて、そこは謎。

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

        ☟

この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

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本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

        ☟

これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

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この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

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東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

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神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

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映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

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少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

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東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

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これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-11-16

すずめの戸締まり 感想 ネタバレ

2022-11-15

「すずめの戸締り」を観て新海誠脚本のヤバさを改めて実感した

「すずめの戸締り」観てきた.新海誠作品は全部観てきたけど,さすがにもういいかなと思ってしまった.

色々言いたいことはあるけど,脚本ダメ過ぎる.脚本には多くの問題があるが,一番問題なのが物語を通じて主人公に成長が無い点である

主人公最初から何の問題も抱えていない.何の問題も抱えていないのだから成長しようがないのである

伯母との距離感に悩んでいたり将来への不安を抱えていたりといった,思春期特有課題を何一つ抱えているように見えない主人公は,最初から最後まで万能感溢れる陽キャ存在である

このようなキャラがわざわざ旅に出て何かを達成する必要があるのだろうか?陽キャ特に欠点もなさそうな女子高生が旅に出たらそりゃ大体何やっても上手くいって当然としか思えない.

から観ていて自分はこの主人公に好感を持てないし,主人公応援しようとも思えなかった.

また,多くの「使えそうな設定」があるにも関わらず,ただの舞台装置として浪費してしまっている点も問題であると感じた.

主人公過去母親を失うという喪失経験しており心に傷を負っているのだが,その設定が物語後半になるまで生きてこない.これは非常に勿体ない.

震災経験したせいで将来に対して異常に悲観的になっているとか,地震自然災害に対して人一倍敏感になってるとか,そういうフックとして使える設定なのに何故か物語前半では全く活かしきれていない.

ベタではあるがこういう分かりやすい特徴が一つでも欲しかった.そうすればそこから成長につなげる道筋が立ち,旅に出る動機が明確になるのである

他にもせっかくうまく活かせそうな設定が沢山あるのに,殆どがただの舞台装置として消化されてしまっている.とても勿体ない.今からでも遅くないかコミカライズする時は使えそうな設定をもう一度拾い直してくれ.

anond:20221115214125

ガキンチョが震災ごっこで遊んでたのを、どーしても子供無垢純粋で優しいと信じたいババアが「実は傷ついててそれをごまかすためにあえてごっこ遊びしてる」だの言ってたな

大人が騒いでるんだならそれ真似てちゃかすのはいつの時代の子供にもあるのに

東日本大震災は俺にとってエンタメだった

忘れもしない3月11日。

あの日、俺は中学生3年生で、卒業式の予行演習などというダルいイベントのため、学年全員で体育館へ移動していた。

その時起こった。異様な「揺れ」。

はじめこそ その大きさに気付かなかったが、段々と実感する。

歩けない。

立てない。

座るしかない。

特に校庭に植えてあった背の高い植物振り子のように揺れているサマを見て、その異常性を実感した。

キバキパキッ

何の音だ?わからない。

「校舎の側にいる奴ー!!移動しろーーッ!」

体育教師の怒号が響く。

なるほど、窓が割れたのか。


移動中だった3年生は体育館ではなく校庭へ移動することとなった。

程なくして1年生と2年生が集まる。

俺の通う中学携帯持ち込み禁止だったが、こうなってしまえばもう関係ない。

各々携帯を取り出しニュースを見ていた。

震度6強

目に飛び込んできたのは揺れの瞬間の映像崩壊した家屋割れ道路震度震源地伝え、安全を促すニュースキャスター。

何かもが異様で新鮮だった。

でも、俺にとっては、3年間あれだけ厳しく禁止されてきた携帯を、校庭で普通にイジっている事が何よりも新鮮だった。


今日は皆さん。学校で寝泊まりしてもらいます。」

日も暮れた頃。校長から直接伝達された。

トイレ以外は教室内で絶対待機。変に暴れないなら何をしてもいいらしい。

俺はなぜかトランプを持ってきていた友人とババ抜きをしながらダベっていた。

津波ヤバかったな」「親はいつ迎えにくるんだ?」「食いもんどうするんだ?」「卒業式中止だろうな」

話題など尽きるはずも無かった。

皆がワクワクしていた。

その後は、食堂からおにぎり支給され、学校備蓄していた救急セット的なものを配布された。

中にはカロリーメイトっぽいものアルミシートがあった。

就寝時間になると、俺達はそのアルミシートを身にくるみながら床で寝ることとなった。

最悪の就寝環境だが、昼間に興奮してエネルギーを使い果たしてしまったようだ。

寝れるわけないと思っていたが、気づけばグッスリ寝ていた。




震災から数日。俺は無事実家に帰っていた。

テレビの中では連日、ブッ壊れた原発について報道していた。

どうやら放射能漏れていて、風にのって日本中バラ撒かれているらしい。

「えーーーっとな。みんな。名古屋に逃げます。」

夕食。親父がそんなことを言い始めた。

どうも放射能のせいで日本東側が終わっているので、一旦名古屋に逃げるらしい。

どうせ学校休みだったし、俺は反発する理由も無かった。

突然の事だったので母親は嫌がっていたが、渋々承諾した。

時間かかけて名古屋へ移動し、ホテルに泊まった。

実際名古屋震災の影響がほとんど無い様に見えた。

計画逃避行。俺も両親もぶっちゃけ暇だった。

から名古屋のあちこち観光した。

俺は思春期まっさかりだったが、状況が状況だけに思春期を発動することなく、両親と観光を楽しんでいた。



その後のことはよく覚えていない。

結局、なし崩し的に実家へ帰り、なし崩し的に学校が再開し、なし崩し的に日常が戻ってきた。

しかし何度振り返っても思う。

東日本大震災は俺にとってエンタメだった。

いつ思い返しても、こうして文字を書き連ねている時も、思う。

東日本大震災は、本当に楽しかった
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