はてなキーワード: 重石とは
本当になんとかしたい。好奇心のせいで無駄な不快に何度も出くわしている。
見るアカウントはフォローとリストだけ。他は見ない。と決めた時もあった。1週間か10日くらいはそれでうまくいっていたこともある。
でもそのうちに「最近見てないあのアカウント、今どんなこと言ってるかな」と余計な好奇心が顔をだす。フォローにもリストにも入れてないけど名前だけは覚えているいくつかのアカウント。つい検索して見つける。見る。そこから派生してRT(RP)経由であっちもそっちもどんどん見る。
そんな風にTwitter(X)を見ていると不快文言に出くわすことがある。
その不快を薄めようとして更にTwitter(X)を見漁る。だらだらとスクロール。別のアカウントをタップ。スクロール。そこに特に気が晴れる言葉があるわけでもないのに、だらだらとスクロール。
脳に文字群を流し込んで不快を麻痺させようとしているのだと最近になって気が付いた。
そんな風にしているとまた新たな不快文言に出くわす。不快①の上に不快②が上塗りされて、①は少し薄まった気がするが今度は②を薄めようとして更にだらだらとスクロール。タップ。スクロール。繰り返し。
文字群流し込みたいならちゃんとした本を読めばいいのに、Twitter(X)で受けた不快はTwitter(X)でしか癒せんと思っているのか。これは癒しなのか。それもわからないまま、意地のように見続けて時が過ぎる。そして数時間後「こんなに時間を無駄にした……」と、Twitter(X)の不快とはまた別の鬱屈が湧いてくる。こんなのが癒しのはずがない。
こんなことが何度もある。うまいこと不快を見ずに済む何ヶ月かを挟みながら。
なんかギャンブルの損をギャンブルで取り返そうとしてる人みたいだな。お金じゃなくて時間と精神の何かが減っていく。
好奇心。あった方が人生は楽しいのかもしれないが、少なくともTwitter(X)で好奇心を発揮しても良い結果にはならないとこの数年で私は学んだ。なのに好奇心でTwitter(X)を見る。不快文言を見る。そこで画面を消せばいいものを、
「この発言だけ見ると不快だけど、でも誤解かもしれない。他の発言を見ればそうでもないのでは?」
と、また要らん好奇心を発揮してその人のホームを見る。スクロールスクロールスクロール。また不快に出くわす。それを麻痺させるためにまた別のアカウントを開く。スクロール。やめたいと思いつつやめられない。やっと気が済んだ頃には何時間無駄にしたかわからない。ほんと依存症。辛い。
無駄で余計な好奇心が私をTwitter(X)に引きずり込んでいく。
時には「捨て垢作ってこんなこと言ってる奴に意見してやろうか」というゴミみたいな誘惑すら頭に浮かぶ。でもそれだけは絶対にやらない。そんなことしてもろくなことにならないのはよく知っている。
そんな思いをしていてもなおやめられないTwitter(X)。
やめたい。いや控えたい。Twitter(X)も全部が不快なわけじゃない。情報を拾うのに便利な面もある。上手く使って沈み込まないようにしたい。
このアカウントみてみようという好奇心に抗う強い意志が欲しい。
難しい。
ああああああああついっとぺーんがあった頃は良かったな!!!
面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険な おっちゃんが おったんや。
・引退がネット普及の直前で、その足跡がネット上に殆ど無い事。
・増田自身がアラフィフで、 実際には上岡師匠の活躍を引退前の5~6年しか知らない事。
(追記修正:ごめんなさい。増田はアラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」 という気持ちが空回りしてしまいました。)
その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。
考えが まとまらない。 思いつくままに書く。
大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田が老害になった証拠なのだろう。
しかし、
上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。
訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。
一方で、
恐らく、
23年以上前の動画や音声だけでは 前提情報や文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味や意図も正確に伝わり難いだろう。
無謀にも増田はそこを少し補いたい。
訃報に際し、
上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。
決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプの芸人でもなかった。
基本は、
常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。
出演されているだけで
これは、テレビやラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。
それが良かった……。
そして
社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。
【時代】
当時は
インターネットやケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。
動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。
ただ、
テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後の時代だった……。
増田は、上岡師匠はネットとテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。
「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって、友達と喋った方が面白いもん。」
(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言と混同しているかも……。申し訳ない。)
実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。
ただ、
引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。
上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた
しかし、そこに
上岡龍太郎の知性、センス、バランス感覚、人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。
いや……、増田は……、
暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。
20世紀の終わり。
師匠。
本当に綺麗に引退されましたね。
増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。
でも 正直、寂しいですわ。
この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。
甘いですわね。
イヤになっちまうわ……。
探偵!ナイトスクープのDVDとかは有るし。
ここで買えるみたい。増田も後で買う。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/
何か、お別れ会も無いみたいだし。
師匠の思い出話も出来ないわ。
アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。
このまま散逸するのは悔しいわ。
追記とかもするし。
はてなーの皆様は「10万人の宮崎勤」という出来事をご存知だろうか。
ある日、コミックマーケットの取材をしていたアナウンサーが、「ここに10万人の宮崎勤(連続幼女誘拐殺人事件の犯人)がいます!」と来場者を批判したという出来事だ。
『オタクを批判的に報道するマスゴミ』の象徴的な出来事として語り継がれていた事象であり
特に当該発言を行ったと噂された東海林のり子氏はオタクからのバッシングを受け続けることとなった。
しかし、後に東海林氏はこのような発言はしておらず、コミケを取材したことすらないと打ち明けた。
今となっては高齢となったオタクの何人かは「あった」と言うものの
番組名やアナウンサー等、具体的な名前は一切出てこず、フワッとしたことばかりを話す始末。
この件に関して深堀り、検証した者もいたが、結局「10万人の宮崎勤」という出来事が起こった証拠は得ることができなかった。
(「10万人の宮崎勤」はあったのか?:https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20170929-00075748/&preview=auto)
本件は少なくとも「東海林のり子氏が言った」というのはデマであり、時と共に無かった映像が彼らの頭の中で流れるようになってしまった事例だと言えるだろう。
本日7時18分頃、埼京線 渋谷駅~新宿駅間で運転の見合わせが発生した。
「金髪の外人男女二人が線路に立ち入った」「酔っ払った外人二人が線路に立ち入った」というような情報が広まり
(参考ツイート:
①https://twitter.com/takuto83/status/1570548329041522688?t=ZvYeePihHV0RVo5-XygRsg&s=19
②https://twitter.com/Dtm_Coffee/status/1570539885546831873?t=eBiGU1NtuN87eLcyed5how&s=09
③https://twitter.com/bassmanbo/status/1570541355633606658?t=GZ3nzMZnPIA3CYU9OrUo_w&s=19 )
また「ビールを片手に持っていた」「雑草に隠れてキスをしていた」などの情報も拡散された
(参考ツイート:
④https://twitter.com/160UG/status/1570542988492943362?t=F1Obup_8qX_EhIgy6sb5Eg&s=19 )
(https://matomebu.com/train/rail20220916-1/)
これらの情報を鵜呑みにした一部の日本人は「轢き殺せ」「強制送還してほしい」「重石付けて東京湾に放り込め」などの罵声が飛び出る事態に
(参考ツイート:
⑤https://twitter.com/hageatama_nora/status/1570561047077195777?t=os8gYTxLGSJZTUcRGK56kg&s=19
⑥https://twitter.com/appare_11/status/1570589123572027393?t=v5yJda8rqd0Pn7p9yaB9Ew&s=19 )
最早「外国人カップルが線路内に侵入した」という事実が既成のモノとなりつつあったが
今朝、埼京線の線路内に金髪の男女2人が立ち入り「駅員や警察と鬼ごっこしている」「酒を飲んだり雑草に隠れてキスしている」などとSNS上で話題になった事案について、JRや警視庁に取材しましたが、そのような事実は確認できませんでした。
沿線の警察署や鉄道警察隊にも確認しましたが、16日午前7時台に「線路内に人が立ち入っている」といった内容の通報はなく、警察官が臨場した事実はありませんでした。
と報じており、
では彼らは一体何を見たのだろうか。
今回発生した遅延そのものは「運転手が人影のようなものを発見したから」であり、
『じゃあ実際に立ち入りがあったんだろ』という反論もあり得るが
(まぁ某漫画みたいに『誰も警察を呼んでいないのである!』って状況になったかもしれんが)
ましてや「酒を飲んでいた」とか「隠れてキスをしていた」とか「警察と鬼ごっこをしていた」というのは到底あり得ない。それは通報しろ。
『事故、災害のリアルタイムな情報はTwitterで得るのが1番!』という説もかつてはあったが
このような集団幻覚を起こすこともあるので、よく注意して使いたい所だ。
○ご飯
お菓子は…… てへりんちょ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、うーん。
仕事の中で昔は別の会社が作ってた成果物を、作ることになった。
ただその成果物のクオリティが低く常々苦労してたので改善ポイントをたくさん提案した。
見やすくしたり足りないところを補うだけじゃなくて、面倒くさいやり方のところを早く作れるようにするなど、とにかく沢山のポイント。
ところが「たしかに前例よりも君のやり方の方が成果物のクオリティが高くなるしスピードも早くなるのも認めるけど、成果物のクオリティを上げることよりも早く作ることよりも大切なことがある。それは前例踏襲を全員が合意することで、この成果物の責任を我々が取らないことだ」と言われたのが重石のように頭をグルグル巡っててシンドイ。
なんだかなあ。
ナーフされたけど、割と戦えてるな。
と思ってたけど、たしかに進化守護ビショップとの相性が絶望的だ。
ナーフ前も不利だったとは思うけど、再誕無くなったのはあまりにもデカい。
いやあ…… ナーフ前の再誕強かったなあ。あれとベルエンジェルの組み合わせの盤面除去しつつ手札も墓地も貯める動き異常だったわ。
命を落とさずに済んでよかった。
自分も以前、度々猛烈に死にたくなる日があるので数ヶ月にわたって記録をつけてみたところ、見事に生理の5日前ばかりだった。
すぐ産婦人科にいってPMS(PMDD)の治療として低用量ピルを処方してもらった。常にうっすら死にたいネガティブ思考は治ってないけどかなり楽になったし、幸い体質にも合っていたので飲み続けている。
あの希死念慮は本当に異常だよ。重石が乗ったように布団から起き上がれず、仕事も食事も排泄もできず、嫌な記憶がフラッシュバックし、想像上の両親の失望した顔と罵り声の妄想に苦しんで涙を流すことしかできない。でも1日寝て起きたらすっきりさっぱり、死にたいって何すか?という状態。スマホには心理学論文のPDFや、自殺の方法と名所を調べた履歴がどっさり残っている。
大したストレッサーがなくてもそんなだから、何かきっかけがあれば自分も増田みたいに行動に移していたかもしれない。
十代から二十代にかけて鬱々としていて随分辛かったけど、半分くらいは生理のせいだったんじゃないかと思う。女性の自殺(未遂)者の何割かは、PMDDに後押しされたのではないかとも。
世の中色んな話があり、世の中の人々は聞きかじった情報だけで安易に善悪を判断して、叩いたり、持ち上げたりする。
その渦中にいる人たちや、専門的な知識を持っている人たちは「あーあ、アイツラリテラシーねーな、きちんと勉強してりゃそんな的はずれな批判起こらないのにねー」とか言うのだが、全く持って同意できない。
新聞に書かれたこと、ツイッターで流れてくること、なんか声のでかいやつが言っていること、を「ひとまず無批判に受け入れて脊髄反射的に物を言う」というのは一つの権利だ。「なんか燃え上がってるけど原典読んだの?」とか言われて、「確かにそういうの良くないなあ」と思って本屋で原典を探すと、もう英語ですら無い言語で書かれた何百ページとかのほんと呼ぶにはあまりにも厚く、重く、それは一つのドンキのようであった、と言いたくなるくらいの重石が見つかってきて、なにそんな野無理ゲーだろとなる。
よく考えてほしいんだが、リテラシーがないのは、アウトプットする側で、人類は人類が考えるより遥かに安易に判断して、遥かに雰囲気で誰かを殺す。
であるがゆえにアウトプットする側には「読んだものを脊髄反射で判断していい」くらいのものにする責任がある。
一方で、読みては「アイツラオレらのこと釣るためならどんなデタラメでも書いてくる」くらいのリテラシーは持っておいたほうが良い。それ以上のリテラシーを持つ必要はない。
※ド自分語りです
分かりやすく言えば「好きになるのに性別なんて関係ない」と思っている、人間だ。
どう繋がんのか、って話だよね。
ある意味情勢が理由になるのかな、とも思うが、匿名でない限り、友達にも、ましてや恋人にも言えないことだから、この匿名で言わせてほしい。
自分にとっては言わないとあまりにも辛いが、誰に言えたことでもないから。
ちょっと引っ張るとあるある言いたい〜みたいな感じになってくるからそろそろ本題に入ろう。
言ってしまえば、今は実家暮らしに近いものだ。というか、母方の実家に暮らしている。祖母と私の二人暮らし。生活に必要な金は、医療費以外は祖母が出してくれるような、そんなぬるい環境だった。とあるところから逃げ帰ってきて今までおおよそ一年間、それにずっと甘えてきた。
私は祖母が大好きで、ここに来た当初は支えていこうとすら思っていた。
しかし結論から言えば、その意思が無くなってしまった。今ではもうどうでもいいとすら思っている。
何故か?
受話器を持ちながらそう言われた。
んで、びっくりした私はこう答える。
朝だよ? 何なら寝起き。返答の判断なんてつかないじゃんと思って聞いてほしい。それにしても不注意だったなとは思うけど。
前提として私自身は女であり、この時には女の子の恋人がいて、それをうっかり言ってしまった。一般人には理解がないから、なるべく言わないようにしていたのに。
それと、前々そういう題材を取り上げている番組とかを観て、そういう時代だよね〜とか言ってた祖母を見て、私もうっかり大丈夫なんだと、無意識に大丈夫だと思っていたのかもしれない。
ただ、それが一番の間違いだった。
それ以降、祖母からその話をされることは無くなったんだが、ある日、受け入れられてると思い、とある話題で、「私にも守りたい人くらいいる〜」みたいなことを言った訳さ。
笑いながら、そう言われた。
頭に重石が乗っかったみたいな感覚、目頭が熱くなっていく。悔しさのせいで。ここまで悔しかったのは一生でこれ以上ないかもしれないってくらい、悔しかった。
うっかりカムみたいなことになってしまった自分が一番悪いかもしれないけど、その時ばかりは普段から直球な物言いしか出来ない祖母に苛立ちを感じてしまった。
けど、その時の私は何故か、一晩だけでどうにかこの気持ちをおさめようとして、次の日からは明るく振舞おうと思ったわけ。で、実際そう振舞ったと。
問題はその次の日から、定期的に電話で出された見合いの話を言われるようになったこと。
それと度々「○○ちゃんなら素敵な人に出会えるよ」って言われるようになったこと。
日々ふざけんな、と思いながら苦笑いで済ませてきたけど、後者は朝ドラのいいシーンが来る度に行われたから、さすがの私も気が狂いそうになった。故に朝ドラがちょっと苦手になった。作品に罪はないんだけどね。
あと覚えてる語録で言えば、ちょっとお高めのアクセサリー買った時に、
「それを買ってくれるような人がきっとできるよ」
とか、
世の中でBLが流行ってると(タイミング悪く)テレビで流れた時に、
こんなん、いくら悪気がないと言えど、言葉の暴力だと思うんですよね。
ここまで言われた私は当たり前に辛くて、もう耐えられないと思った訳よ。
だからつい2,3ヶ月くらい前に、ちゃんとセクシュアリティも含めた、この日記の冒頭みたいな説明をしっかりした訳ですよ。全性愛者であること、(言い方はアレだが)好きでこうなった訳ではないこと。
だから偏見みたいなことは言わないでほしいし、結婚の話ももうやめてほしい、と言った。普段から都合の悪い話を聞かない祖母に、度々「話を聞いて」と声を上げながら、伝えた。
でも、もう、多分1ヶ月くらい経った頃には忘れられたのか、以前と同じ頻度で言われるようになった。
それでいて、私が自主的に、生活費のほぼを支えてくれているからという理由でやっていた家事も、徐々に要望が上がっていき、最近では夜に突然「これ買ってきたから煮てほしい」とか、そんな急なレベルで頼まれるようになった。
ルーティーンに縛られる生活があまりにも嫌な自分の性格のおかげで、その辺の歯車も段々と狂いつつあった。
あとは、在宅で仕事をしているから、密接になりすぎて嫌になった、とか、そんなところもあるのかもしれない。
で、耐えられなくなったのが、年の瀬、大晦日前日。この日もイマイチやる気が起きない上に「唐揚げの下準備を〜」と言われていた日。
ただどうしてもその日に下準備をしたくなくて
「明日の朝とかでも良くね?」
って言ったら、
「唐揚げは一晩つけなきゃダメだから、今日風呂入る前にやらなきゃね」
何か、その一言で急に耐えられなくなった。
今まで色々散々に言われた上、そいつの手伝いどころかほぼをやって、それで風呂の時間までそれに縛られて……?
私は一体、誰の時間を生きているのだろう。
そう思った瞬間にはもう無理で、気がついたらあのクソ寒い夜に、河川敷を歩いていた。風がすごく強かった。
間近で水面を見ながら、ぶっちゃけ波にさらわれてもいいとすら思った。
それから渋々祖母の言う通り、唐揚げの下準備をしていると、母親から折り返しの電話がかかってきた。
もう、わんわん泣いたよな。
母親の前で泣くとか何年ぶりだよってくらい、泣いた。もう20代も半ばに差し掛かるのにぼろっぼろ泣きながら、もう頼まれるのが辛い、無理だ、って訴えた。
当たり前だが、恋人のくだりは伏せた。なんもねーのに結婚だの、素敵な人が〜の話されるのが辛いって話はしたが。
したら母親は、
「辛いなら帰ってくれば?」
この一言で、また泣いた。
だから私は、皆が我慢している中すまない、と思いながら、今年も実家に帰った。
もちろん、混んでいない早朝を狙って、実家へと向かった。大晦日でこのご時世ということもあり、人はほぼ、誰もいなかった。
まあ帰省の話は長くなるから割愛するが、家族が全員食卓に揃った瞬間にも泣きそうになったとだけ……(ひたすらに涙もろい)
で、また祖母宅に帰る時も、うだうだ言っている私に対して母が「あの人は身近にいる人をすぐ使うから、たまには嫌だって言うしかない」「もうある程度諦めるしかない」と助言をいただいた。
でも、それって同居しててほしいっていう母親の気持ちの表れじゃん? いや分かるよ。いくら近くに親族がいると言えど高齢者を一人で住まわせたくない気持ちは。私もそうだったからこの家にいたわけだしね。
けど、誰だったかはもう分からないが、こんな名言を残した人がいた。
「辛い時は、逃げてもいいんだよ」
うん、すまんが、逃げるわ。
ってことで、家に帰ってからすーぐ祖母に「最近よく頭働かないし、その理由は多分頼まれるのしんどいからだと思うので家を出る」と説明。
「私が邪魔なのね」
とか言ってきたが、知らねー。それより私は色々嫌なことされてきてんだ知らねー! と遅れてきた反抗期みたいなことを思いながら部屋に帰った。
そこからの私の行動は早かった。言ったその日のうちに物件を探して、その内見を近い日付で取り付けた。
まだ見れていないが、余程悪くない限り、そこで決めたいと思っている。
と、現状がここまでなんですが、最後に
何となく始めたオープンチャットグループが、ちょっとずつ人が増えて3桁くらいのメンバーと
常在する20人くらいのコミュニティになってきた。
趣味系のことなので、暇な人の雑談と関連するニュースが出るとそのニューストピックについて情報交換できる割といい情報源だと思う。
と思っていた。
趣味系のことに限らず、どこでもコミュニティで雰囲気を作る人は数人なんだと思う。
透明な液体に数滴のインクを垂らすことで全体が染まってしまうように。
雑談をしている常駐メンバーの中に、結構強いマウントをとろうとする人がいる。
例えば何かネタ発言をすると、関連するネタをドヤ顔で出してきたり、
例えば相談事を軽い感じで書くと、真剣に考えた長文を送ってきたり、
コミュニティが小さいうちは、活発に活動してくれるメンバーとして見れてたんだけど、
人数が増えてくると、どうしたって合わない人同士が出てくる。
そうすると、一本のタイムラインの中で複数の会話が同時並行に語られて、派閥化と自治や自警団が生まれてしまう。
どちらにもバランスをとった発言をする社交性の高い人は、現実のコミュニティでは重宝されると思うけど、
趣味系の顔の見えないコミュニティだと、主目的から外れたような自治をとるのは、情報源にもならず発言にブレーキをかけるような
そうして、アクティブなメンバーが減っていき、類似のオープンチャットに人が流れていき、
偏った話題だけで足りてしまう雑談マウントのコミュニティ自治好きメンバだけが残る。
いやはや、世のサークル活動や団体活動を運営されているみなさんは、大なり小なりこのよう精神的な負荷に晒されているのですね。
また、それを仕事として会社として事業として数百、数千、数万という人員を束ねている人たちには頭が下がる思いがします。
当初の目的だけを達成する楽しいだけのコミュニティに戻ることはもうできないのですね。新たにまた小さく作っていくしか。
小さいところから盛り上げて、大きくなったら他に移る。
そんな上澄みだけを楽しむようなスタイルはたくさんのエネルギーと情報網が必要で、かつ浪費されていくのでしょうね。長くできるものじゃない。
そもそもTinderで会った仲だからたいした期待はしちゃいけなかったのさ
初めて会った時はテンションが上がったから「好き」とかなんとか言っちゃったけど、冷静に考えると違ったんだって
彼自身の状況とか将来のこと考えると女性と付き合えない状況なんだって
まあ、まだ将来まで考えて直接彼自身の言葉で伝えてくれたことに感謝した方がいいのかもしれんわな
それは【どんな自分でも受け入れてくれる人と一緒になりたい】って気持ちが自分に強くあること
私は見た目が強くてスマートな感じに見えるんだけど、実際は結構凹みやすいしガサツだし気も利かない
けど彼は「いいと思うよ」「どんな髪型してても可愛いと思うな」「どんな気持ちでいてもいいんだよ」って言ってくれたから、どんな環境にいようと一緒にいられるし、一緒にいたいなと思ってしまった
それはすごく一生懸命に伝えたんだけど、彼の環境とか状況にそれは勝てなかった
自分なりにベストを尽くしてダメだったからもうこれは受け入れるしかないんだと思った
きょう以降も連絡取れるようにすると彼の決断にも失礼だから「もう連絡取らないから」と宣言してLINEもブロックした、Tinderはとっくにやめてある
それでもうこれっきりの関係にできるから、今回のことはまだ楽だなと思う
歳が歳なのもあって、最近フラれる時は毎度「あなたは結婚したいだろうけど、俺はそうじゃないと気づいたから」みたいな理由なんだけど、なんでみんなそこを最初に考えないんだろうか
というか、彼らの「結婚できない理由」に勝てない私ってなんなんだろうか
相手に考えさせ過ぎちゃうのが良くないのかもしれないな、と最近は思ってる
でも、(出会いはTinderだけど)真面目な人にまともにフラれたからこそすごい考えちゃう
結婚するために手放さなきゃいけないもの、すっごい多い気がして辛い
自分の物事の捉え方とかキャリアとか見た目へのこだわりとか交友関係とかをレーダーチャートで示すとめちゃくちゃ歪で、普通の男性が受け入れるのは確かに難しいと思う
そしたら何を捨てたらいい?捨てても自分のままでいられる??
寂しさを抱えながら自分らしく生きるのと、自分らしさと引き換えに誰かと生きるのと、どっちが幸せなんだろうって思った
自分らしく誰かと生きるのがベストなんだけど、それは誰にもアグリーされたことがない
私は相手のトロフィーワイフになりたくなければ人生の重石として生きたいわけでもないし、一緒にいることを申し訳なく思いながら生きて欲しいわけでもない
そう私に罪を被せず言ってくれる人としか出会ってないことは、幸せかもしれないし不幸せかもしれない
「自分らしく誰かと生きる」のハードルってめちゃ高いし、自分らしさを得るために自分を高めたり稼ぎを増やしたりするとさらに敬遠されたりするし、なんか人生ハードモードじゃね??私が高望みなのかね??
でももうしばらくは限界までショートカットにするし男ウケの服は着ないしキャリアもバリバリかちこむわ 男に何かを望むより自分を好きでいるためにいろいろ高める方がまだ楽だから
ずっと物理的な暴力だけがDVだと思っていたけど、当事者になって改めてインターネットを見てたら自分が受けていたのはモラハラという名前のDVの形のひとつだったことが分かって、何故かほっとした。相手からの物理的なDVがなければ別れるのはおかしいと思って延々と我慢していたけど、結局最後まで暴力はなかったので、別れる覚悟が決まるまで5年かかった。別れたあとも「モラハラはDV」という認知を得るまで、ずっと自分は相手からの大したことない言動に耐えられる逃げた弱くて酷いやつなのでは、という重石を抱えていた。いまはその相手を見捨てたということはもちろん変わらないとは思うが、でもこっちもモラハラDVを受けていたしお互い様だよね、という考え方ができるようになって幾分楽になった。
結婚しなければ真人間ではない、という謎の古い考え方に囚われていたけど、結婚は手段であって目的ではないということに気づいた。
一人で生きていくのは少し寂しいが、よほどのことがなければ結婚するための活動はしないと思う。
もう絞り取られて生きていくのはこりごりだ。
この前までは、GoToキャンペーンは別にやればいいと考えていた。なぜならば、感染者数と経済を両端に測る天秤をイメージして、今までは感染者数側に振れていたのを釣り合わせるのがGoToキャンペーンで、経済を回すために多少の犠牲はやむを得ない、もしくは未来永劫コロナが収束することはありえないのだから現在の自粛をあと1年も2年も続けていたら経済、特に観光業飲食業その他諸々の産業が退廃する、退廃すれば日本の一大輸出産業となった観光が失われてV字回復も難しくなると考えていたからだ。
また、補償についてもスピード最優先であった10万円でさえまだ届いていない人がいるのに、特定の業種に選別して補償することにどれだけの時間と労力がかかるのか未知数である以上、安易に自粛と補償がセットだと謳う偽善者に納得がいかなかったのもある。
だがその見方は間違っていた。ブラジルやスウェーデン、アメリカの例を見て、政府は今回のGoToキャンペーンで経済の方に重石を置いて、釣り合わせようとしていること自体が不可能であると気づいたのだ。具体的には、①感染者数の方に重石を置く、②経済の方に重石を置くと「勝手に感染者数の方に重石が出現する」、の2択しかないので、経済に天秤を振って釣り合わせることが不可能ということだ。
①については今まで通りの自粛生活がその例と言える。これは問題ない。問題は②だ。GoToキャンペーンのように、経済を復興させようとすると確かに経済の方に重石が置かれるので釣り合うような挙動をする。しかし、その挙動に従って感染者数が増加すると国民は自粛を勝手に強めるようになる(もちろん日本特有の挙動かもしれないが)。だから、政府というプレイヤーの意図とは関係なく、感染者側に勝手に重石が出現し、結果的に釣り合うことがない、そういうことだ。
したがって、この問題はリアルトロッコ問題のように見せかけて実際は最初から分岐点のレバーは固定されている。犠牲になるのは観光業飲食業その他諸々の産業の人々である。つまり、コロナ後に不適切な業界の方々には申し訳ないが滅びてもらう以外道はない。日本のGDPは間違いなく相対的に衰退するだろう。だが仕方ない。それが運命づけられた神による決定なのだから。
(余談)
GoToキャンペーンの批判に対して、今ではないという批判がある。じゃあ具体的にいつならいいのか?仮に今この瞬間にワクチンの技術と量産技術がどーんと現れて、1日10万人単位で年中無休でワクチンを打ち続けたとする。それでも日本人の過半数が打ち終わるのに1年半以上はかかる。ましてや、一回だけの摂取とは限らないし毎年打つようなものかもしれない。で、いきなり現れる前提は当たり前だがあり得ないので、今であるというタイミングは少なく見積もっても2年半から3年だろう。その時には滅んでいる。だから、そのような偽善的な批判をするのではなく、滅びる運命にあるから滅べというべきなのだ。
また、大阪府知事が地域レベルで、そして順を追って全国的にという発言をしたが、これも懐疑的である。なぜならば、日本の人口の1/3は関東圏に住んでいて、京都や九州など、外国人観光客によるインバウンド消費が観光業の主力顧客となっていた。だから地方限定でやったところで産業が経済的恩恵を受けるパイはごくわずかであるし、やはり感染拡大を恐れて全国レベルの拡大も行われるはずがない。であるから、やはりその類の発言は偽善的で、滅びる運命にあるから滅べというべきなのだ。