2024-10-13

Twitter(X)の海から上がりたいのに足を引っ張ってくる好奇心という重石

本当になんとかしたい。好奇心のせいで無駄不快に何度も出くわしている。

見るアカウントフォローリストだけ。他は見ない。と決めた時もあった。1週間か10日くらいはそれでうまくいっていたこともある。

でもそのうちに「最近見てないあのアカウント、今どんなこと言ってるかな」と余計な好奇心が顔をだす。フォローにもリストにも入れてないけど名前だけは覚えているいくつかのアカウント。つい検索して見つける。見る。そこから派生してRTRP)経由であっちもそっちもどんどん見る。

そんな風にTwitter(X)を見ていると不快文言に出くわすことがある。

その不快を薄めようとして更にTwitter(X)を見漁る。だらだらとスクロール。別のアカウントタップスクロール。そこに特に気が晴れる言葉があるわけでもないのに、だらだらとスクロール

脳に文字群を流し込んで不快麻痺させようとしているのだと最近になって気が付いた。

そんな風にしているとまた新たな不快文言に出くわす。不快①の上に不快②が上塗りされて、①は少し薄まった気がするが今度は②を薄めようとして更にだらだらとスクロールタップスクロール。繰り返し。

文字群流し込みたいならちゃんとした本を読めばいいのに、Twitter(X)で受けた不快Twitter(X)でしか癒せんと思っているのか。これは癒しなのか。それもわからないまま、意地のように見続けて時が過ぎる。そして数時間後「こんなに時間無駄にした……」と、Twitter(X)の不快とはまた別の鬱屈が湧いてくる。こんなのが癒しのはずがない。

こんなことが何度もある。うまいこと不快を見ずに済む何ヶ月かを挟みながら。

なんかギャンブルの損をギャンブルで取り返そうとしてる人みたいだな。お金じゃなくて時間精神の何かが減っていく。

それもこれも好奇心が私を引っ張るからだ。

好奇心。あった方が人生楽しいのかもしれないが、少なくともTwitter(X)で好奇心を発揮しても良い結果にはならないとこの数年で私は学んだ。なのに好奇心Twitter(X)を見る。不快文言を見る。そこで画面を消せばいいものを、

「この発言だけ見ると不快だけど、でも誤解かもしれない。他の発言を見ればそうでもないのでは?」

と、また要らん好奇心を発揮してその人のホームを見る。スクロールスクロールスクロール。また不快に出くわす。それを麻痺させるためにまた別のアカウントを開く。スクロール。やめたいと思いつつやめられない。やっと気が済んだ頃には何時間無駄にしたかからない。ほんと依存症。辛い。

無駄で余計な好奇心が私をTwitter(X)に引きずり込んでいく。

時には「捨て垢作ってこんなこと言ってる奴に意見してやろうか」というゴミみたいな誘惑すら頭に浮かぶ。でもそれだけは絶対にやらない。そんなことしてもろくなことにならないのはよく知っている。

そんな思いをしていてもなおやめられないTwitter(X)。

やめたい。いや控えたい。Twitter(X)も全部が不快なわけじゃない。情報を拾うのに便利な面もある。上手く使って沈み込まないようにしたい。

このアカウントみてみようという好奇心抗う強い意志が欲しい。

難しい。



















ああああああああついっとぺーんがあった頃は良かったな!!!

あの全シーンで効いたミュートの威力!!!恋しい!!!

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