はてなキーワード: 自己陶酔とは
一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。
登場人物は
レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる
結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな?
家族ってある程度は本能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。
うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。
でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。
私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間におすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。
それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子はデリケートだから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ
これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかに、そもそも親2は出産は無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティの友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。
親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitterで同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。
話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。
だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトにからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。
すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校の図書館に虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。
あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観にすっぴんショーパンキャミサンダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相に通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。
私の学校生活が全部親たちの幸せを審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。
「こんなに理想的な家庭!ナチュラルな私たち!子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔とPRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。
そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休みに男子と外で遊べないようなタイトなスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代はスポーツが好きで男子の友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。
別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。
当時はあまりにも男と話せないから、自分もレズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌いが寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。
親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズとバイは後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。
母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだから、ノンケ親だけを「同性愛に無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。
うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力の限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。
話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。
親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業に内定!英才教育でバイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。
結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供欲しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。
親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。
なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親がいるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。
それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気の言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親か毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。
私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。
差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターンの家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピーな子供さんもいるでしょう。
でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者も当事者も子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外で暮らして養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。
社会制度を変えることに必死で、普通に子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。
圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。
最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。
これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。
何がしたいは、コレっぽっちもないくせに
何がしたくないかは、沢山ある
はてなブックマークでスター乞食ブコメでスターをもらいたくない
Twitterで漫画のスクショを大量に貼って「漫画がうますぎる」みたいなどうとでも捉えられて汎用性のある広い褒め言葉を書き散らかす行為が嫌い
Twitterで「自己陶酔」なる大なり小なり全ての物事に見え隠れする要素をこれ見よがしにあげつらって笑う行為が嫌い
けど、今この僕の書き込みのように「俺は俯瞰的に物事を見ているから、君たちとは違うんだよね」と言いながら、その中身は承認欲求ビンビンの情けない腰振り雑魚チンポ揺らしてる行為が一番醜い
Twitterで目立ってる奴らが妬ましい
でも、それ以上に、そんな彼らのことを斜に構えて分析面して、
「俺だってやれば出来るけど、プライドが許さないんだよね」みたいな顔して何もせずにただただTwitterを眺める自分が一番大嫌い
俺もみんなみたいに友達を作って仲良くワイワイしたい
ひとりはさびしい
なのにすぐ他人を妬ましく思い、自分に無いものを見るたびに羨ましくなる
そのくせ、具体的な行動は何もせず、あれは酸っぱい葡萄だから食べなくてイイと理論武装して満足する
そうして最後までいれればいいけど
絵で見る「細い」「イケメン」と
全く1mmも合致しない
エラの張りも
(脱線するけど鼻の高さを美しいと判定する現実も理解できない、目も鼻も凹凸そんなにない方が三次元でもかわいいと思う)
そもそも二次元は男女ともに「首折れるやろ」「内臓どうなってんの/あるの」みたいなデザインだったりするけど、描き手のセンスにより成立しているので美しいし、鼻の穴や人中みたいな見えると汚いものは見せないで済むのでよろしい
現実は現実なので細身と言っても限界があるし、動ける衣装を纏えばその分どんどんデブに見えるし、デブい衣装であるだけでかわいさはなくなるし、そもそも現実の男子の顔はかわいくないのでかわいくない
なんとなくふんわり思ってるけど、多分現実と擦り合わせられるのは男装女子
とは言え三次元女性も鼻〜人中は存在するので歓迎はできない気がする
周りに三次元女性を顔で推し活してる人がいないから気になんないだけで、ハーレムマンガの実写ドラマや舞台やミュージカル推されたら同じようにズレを感じる気がする
書き殴ってる内に思ったんだけど、ベースが二次元で三次元が比較対象だからズレてんのかなと思った
ベースが三次元の人(夢女子とか)なら概念化された二次元がいかに極端に脚色されてようと三次元に戻ってこられるけど、ベースが二次元で極端な脚色に慣れている人(自分)は、それを取り払った素のものに耐えられないんだ多分きっと
で二次元ベースオタクだから三次元布教時にそういうのにしか誘われないというか、そうでもないと勧誘できないというか、そのせいで苦手意識積み増してるとこある
そもそもその手で誘われた初手が少年誌ミュージカルだったのが一番の間違いで、「台詞を覚えられないから歌詞にする」みたいな思惑が透けて見える、なんの脈絡もなく歌い出すお遊戯会はもう本当アレだった
カツラがアレ、衣装も着膨れててアレ、技術優先でも見た目優先でもちぐはぐになる配役もアレ、歌わないようなキャラにまで歌わせる解釈違い、そもそも突然歌い出す文化のない国でのミュージカルチョイス、演者の自己陶酔感、観覧側の「演者の努力を見守ってる」感(これがお遊戯会判定になる極め付けだった、見に来る人に物語を伝えるのではなく演者の顔と頑張りを認めてもらう会)(母親かよ)(原作は踏台)、他、記憶に残ってる全てがドン引きしたとこっていう
あれを初手で見せられて二次元ベースの人間が三次元すごーいってなるかっていうと……アニメとドラマCDはすごいよね
とりあえず三次元男子のやる二次元コンテンツはきっつい。実写にこだわらなくていーんじゃないか。とりあえず自分に2.5次元は向かない、辛い
羽生結弦が魅せた4Aへの熱意 元コーチ語る天才的「自己陶酔力」
フィギュアを始めた4歳から小2まで羽生を指導してきたスケートコーチの山田真実さん(48)は、「なんでもオーバーな感じ。
怒られたときは、ことさらうつむいてシュンとしたしぐさをする。足を痛めたときには、『痛いんだ、痛いんだ』と。実はたいしたことないのはわかっていて、練習をサボりたくて言ってるんだろうなと(笑)。
でも、自己陶酔というか、本当に大けがをした悲劇のヒーローみたいな顔して。いま思えば“かわいいな”という感じですが。日本人にはいないタイプで、今度の北京オリンピックでも、その表現力は生かされていましたね」
「インタビューを受けたときも、少女漫画の王子様が吐くようなクサいセリフを言う。
私なんか“なんで、そんな恥ずかしいことを言えるの”と思うんですが(笑)、本人は演出じゃなく、あくまで地で言ってたんですよね。
なんかヤジに見えて、すごく熱烈なラブコールに見えたので整理整頓する。
オリンピックなどの競技ではなく、アイスショーであれば演技者のファンのみを想定していると予想される(イメージとしては不特定多数の視聴者がいる紅白歌合戦と、ライブ公演のアーティストのスタンスの違い)ので、多少は驚いたりするよね
前述の通りファンしかいない。そして負けず嫌いに関してはそれが笑える点ではない
勝手に心配〜という言葉で善人を装うようで、イジろうとしている(滑稽であると演出しようとしている)が、彼の生き方自身大勢のファンが肯定しているため、空振りしている
抜粋した上記の点、こう、お笑い的にいう「イジリ」的にすることで真面目で真剣なことを「オカシイ」にしようとしてるように感じた。
「真面目に自己陶酔し、そして結果を残して演技する(そしてそれを肯定してくれるファンが多く存在する)人物が羨ましい」ような印象をうけた。
もしかしたら、羽生結弦さんに対し、ある程度考え方あるいは経験において重なる点が増田氏にはあり、今回増田氏が上記に挙げたような否定を受ける、あるいは内心で抱えていたのではないだろうか。
だから攻撃的になってしまったのかもしれないが、それで増田氏は救われるのだろうか。
内容を理解しようとするんだけど……いや彼、結局はふわっふわな事しか喋ってなくない?要約すると「俺は偉業を成し遂げてきた」「ずっと自分自身の力で乗り越えてきた」「でも、ずっとずっと孤独だったんだぜ」「こんなオレを応援してきてくれたファンの皆さん、ありがとう」「今たった一人で孤独に苛まれているアナタにも、どうか心安げる瞬間がありますように」こんな感じ。演技と演技のつなぎでずっと羽生くん本人の映像や彼のアニメーションが流れるんだよ。
ポエムといいつつ言葉を受け止めて増田氏の言葉にちゃんと消化しつつ、長いショーを見切った。それはすごいことだし、私も見たくなった。人のポエムはたのしい。増田のポエムも楽しい。
トゲトゲした言葉は吐き出すのは簡単なんだけど、どうしてそう思ったか、吐き出したあとでいいから向き合わないといけないなあ…とも自戒になった。
しらんがな
人間は人気が出たり売れたりするために生かされてる商業の道具じゃないんだし
その目線で「有望視されてた人材が…」的に惜しむやつはクズだと思うし「成功を掴みかけてたのに可哀想」という移入目線でもそこまで他人の人生に肩入れする自己陶酔感に傲慢さを感じないかといえば嘘になる
要するにファン商売で売ってる人間を惜しむようなスポーツ・芸能誌みたいなのを読んでそうな人間の感性はどうやっても俺にとっては唾棄したくなるものだし俺が初見で感じたしょっぱい顔したおっさんという印象は覆らない
誰が死のうと縁のあった人たちが心の中で追悼しとけば十分じゃないか
死を利用して業績を喧伝しようとする性根が俺は気に入らないわけで芸能人の死はそういう性質が強くなるのが気に入らん
生きてる人間が作る新しい価値観のためにスッと道を譲っていかなきゃならん
継承すべきものがあるとしたら知己の生きてる人間の中に残されたものからであるべきで
死を契機にそれまで何も知らなかった人間にまで何か刷り込んでにわか量産してくのは広告代理店がやるブーム作りと何も変わらない
史上最年少で政令指定都市である千葉市の市長になり、その後千葉県知事になった熊谷俊人という政治家がいる。
SNSを積極的に活用していて発信力があり、若くてリーダーシップのある有能な人物だと思っていた。
が、最近彼の言動に違和感を感じていて、自分の中での彼の人物評価が悪い方向に変わりつつある。
https://note.com/kumagai_chiba/n/n3a62ddf3ca1c
一見しっかりしたこと書いてるなと思いつつ、違和感を感じる部分がちらほらあった。
個人的に気になった部分はこんな感じ。
・医療の専門家でも何でもないのに、現場に過度に干渉するマイクロマネジメント的な発言
「内科や小児科などは基本的に全ての医療機関が発熱患者に対応することが原則であるべき」
「小さな診療所で物理的に動線が分けられないなどのケースは発熱患者の診察時間を分ければよく」
「幼児・小学生が事実上、マスクを常時つけ、私たち大人が当たり前のように経験してきた貴重な経験を一部、一方的に奪われ続けてきたことは日本人が永遠に十字架として背負うべきものだと考えています。」
「4月に見直せるなら、昨年の春~夏の時点で見直せたはずです。」
そして私が彼の評価を変える決定打になったのは、最近のTwitterでの小学校での黙食見直し論争である。
彼のTwitterのフォロワー数は29万人。地方のローカル局の情報番組並みの影響力はあるだろうか?
そのTwitter上で意見の異なる一般市民の発言にリプライをかまして反論し、知事に賛同するアカウントの意見をリツイートして吊るしあげのように振舞っているのは暴力的に感じてしまう。
なんていうか、意見が異なるフォロワーとの間に自ら進んで分断を作りに行っているようで、褒められたふるまいではないなと思ってしまった。
政治家である以上、意見が異なる人が出るのはやむを得ないし、公の場で論争が起きるのは当然だ。
だけど、地方自治体のトップという立場の強い存在である以上、自身のもつ暴力性には十分気を付ける必要があると思う。
例えば今回の黙食見直しの議論をSNS上でしたいのであれば、Twitterアカウントを持っている千葉県議とか、医療の専門家とかの公人同士でやるべきだったのではないだろうか?
そうすればフォロワーから見ても異なる意見についての理解が深まるし、政治家と市民の間の分断も広がることがないと思うのだけど。
ただの感想になるけど、若くして地位を得て周りから持ち上げられてしまうと、自身に対する全能感を得たり、権力の暴力性に鈍感になったりと、その辺の感覚が狂って行くのかなと思わずにはいれらなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20221223210515
ともかく仁藤さんに正気に戻れみたいなことを言うのはやめろ。
確かに彼女の言動は客観的に見たらあまりにも常軌を逸しているというか
自分の正しさを全く疑わないというか
やべえ教えに目覚めて目がgrgrしてるやべーやつに見えるかもしれないが
そのくらいキマってる状態じゃないと、Cobaboみたいなしんどい仕事は無理なんだ。
Colaboは儲けてるとかなんだかでたたかれまくってるが、利益はたまたまついてきたものであって、
仁藤さんがいろんな意味でガンギマリ状態で4年間はそんなに儲からない状態でやりくりしながらやってたんだ。
最初なんかは救おうとする少女たちからも信用されず警戒されたり強く拒否されることのほうが多かっただろうに
仁藤さんからしたら怖い男ばっかりの地獄のような新宿という場所で根気強く声掛け。
そんなん「自分が物語の主人公で私の道を阻むものはすべて倒すべき敵!」くらいのガンギマリな自己陶酔感に浸ってなくてどうして続けられるもんか。
お前らは5年間同じことを続けられるなら5年後には1億円の寄付がはいってくるってわかってたらやるのか?
仁藤さんはたしかに言動がヤベー人だけど、彼女の異形な偉業は、彼女がそのくらい良い意味で狂ってるからできるのだ。
仁藤さんがまともだったらこんなことできなかったわけで、「仁藤さんの活動は応援してるけど仁藤さんの言動はなあ」って言ってるやつは何もわかってない。
仁藤さんはちょっと常人の感覚からしたらおかしい人だからここまでやれたんだ。
都合のいいところだけつまみ食いしようとしてんじゃねえよ。
人間、生きてりゃ「あの業界の奴ら嫌いだわ」って思ってるジャンルがいつつやむっつあると思うんですよね。
俺の場合は歌い手とかYoutuberとかVtuberとかのネット発アーティストみたいなのが基本的に嫌いなわけ。
そんで、そいつらが歌ってる歌がCMで流れてきたり、アニメやゲームのタイアップとかで流れてくることが最近多くて、うぜぇなあって思いがちなわけ。
でもそこで思ったんだけど、流れてきた曲を歌ってるのが嫌いな業界のタレントが歌ってるとわかった時に、とりわけイラッとするタイプの音楽と、別にそうでもないタイプの音楽がある。
具体的には、そんなに嫌じゃない音楽は、ギターロック(かつての下北系っぽいの)や、ポエトリーリーディング、王道バラード(音楽有識者からは大味で売れ線狙いと言われそうなやつ)、シューゲイザーなど。
イラだちが加速するのは、かわいこぶってるアイドルポップ、アゲアゲなパーティーっぽいクラブ音楽、マイクリレーヒップホップ、ナルシスティックなV系ロックみたいなのである。
単に増田が嫌いな音楽ジャンルじゃねえのと言われそうだがそうではない。俺はマイクリレーならニトロマイクロフォンアンダーグラウンドや梅田サイファーが好きだし、V系ならマリスミゼルやPierrot、ビジュアル系ではないがナルシス感があるバンドとしては凛として時雨も好きだ。
好きなジャンルの音楽でも、嫌いな奴らが歌ってると思うと一転して腹が立つジャンルがあるのだ。
しかし、あいつらが歌って流れてくる曲はむしろ、イラっと来るタイプの曲調が多い。
俺が思うに、嫌いな奴らが歌ってる時に腹が立ちやすい音楽ジャンルというのは、本人達(とファン)の中で盛り上がっていて閉じている感が強い曲調なのだ。
外から見れば、アイドルポップはファンサ的であり、アゲアゲ曲はパーティ参加者を想定しており、マイクリレーはMC同士でイチャイチャやっている、V系は自己陶酔とそれにうっとりするファンが見える、という感じ。
音楽というのは極論ファン向けではあるが、そうはいっても特に内輪感が強いジャンルだと思う。
にも拘わらず、ネット発アーティストがタイアップしたり、1stシングだかなんだかでYoutubeCMで流れてくるような曲は、これら内輪っぽい曲の割合が高い。
俺の場合はネット発アーティストが嫌いだからそれをやり玉にあげてるけど、これを読んでるお前が嫌いな何かのジャンルでも当てはまると思うわ。
嫌いなジャンルの奴らとそのファンが、閉じた内輪でキャイキャイ盛り上がってるだけって感じが濃厚だと、耳に入った時に不快度高いよなあ。
だから、たまにsyrup16gみたいな下北系とか志人みたいなポエトリーラップとかMISIAみたいな歌い上げとかよくわからんシューゲイザーみたいなのをやってるやつがいるとちょっと聞く気になる。
子供の頃から積み重ねられたサッカーに関わる人間への憎悪が消えない。
とにかく子供の頃から印象が悪い。Jリーグ元年辺りがほんのりと子供の頃の記憶にある年齢だが、とにかくサッカーが大嫌いだ。
プレイヤーもファン(サポーター)も、W杯の時だけバカみたいに盛り上がる民衆も、周辺の物すべてに腹が立つ。
第一にプレイヤーがいけ好かない。クラスの上澄み、カースト最上位の人間がやっていた印象が強い。
自分たちの言ったことすべてが通ると思いこんでいるクソ性根。少人数の別意見とか見えない聞こえない。陰キャには人権ないと言わんばかりの扱い。ど田舎なのでサッカー派はほぼヤンキーと同意。ソリが合わない奴のほとんどがサッカー派だった。
そういう何でも出来る奴に見下されるようなタイプだからこそ余計に苛立つ。ポールをぶつけられた事すらある(サッカープレイヤー様からすれば避けられない方が悪いことになる)
サッカー見てない、見たくないと言ったら非国民扱いされたこともある。別に日本代表で世界と戦ってくれとか頼んでねぇんだけど、応援しないと国籍すら取り上げてくるのかよ。
サッカー部は規律クソゆるで素行不良の数も多かった。近付くだけで派手な馬鹿が移りそうなのがサッカー野郎共。徒党を組んで他人を馬鹿にすることでカーストを確定させるクズども。格好いいを履き違えて派手な格好をしてるやつもサッカー部ばかりだった。社会のルールやマナーなんて存在してない世界に生きてる奴らが多すぎる。
成人したプレイヤーすらも見た目が派手で苛々する。幸い近年はマイナー寄りの扱いで中継などは少ないが、ニュースなどで目に入るとこいつ等がこんな格好してるのが諸悪の根源なんだろうと苛々する。
派手な広告塔が格好つけて見せることでそれに憧れたバカガキどもが真似をする悪循環。パフォーマンスと言う名の自己満足、自己陶酔が酷すぎる。他のスポーツでも大なり小なりあるだろうがサッカーはあまりにも鼻につく。
頭の変な紐も手首足首の変な紐(ミサンガ)もそのバサバサの髪型もスポーツには要らんだろ。たくさん走るんだから乱れる髪で格好つけはなくていいだろ。どんなスポーツも選手が必死にやってるだけで十分格好良く見えるわ。派手な見た目にしてるのはただ目立ちたいだけだろ。
サポーターも輪をかけてクソだ。サッカーが好きというだけで自分が上にいるつもりになっている勘違い共の集まり。
応援の仕方の強制は他のスポーツにもアイドルのライブにもあるが、サッカーのサポーターは常軌を逸している。サポーターの取材レポを読んだだけでも近づきたくなさ過ぎる。勝手にルールを決めて強制的に押し付けてくるのは子供の頃のサッカー野郎共とほぼ変わらない。
あと熱量が異常なサポーターの数が多すぎ。興味のない素人にまで同じ熱量を要求するし、海外はもっとやばいってどんな民度だよ。サッカーが好きなやつくらいだよ、ここまで他人に自分たちのやり方を押しつけてくるのは。
今、とあるサッカー漫画を読んでいる。読み始めたのは偶然だがとても面白くてサッカーを好きになれるかもしれないとほんの一瞬思った。
せいぜいポジションの名前と位置関係くらいしかわかってなかったのが解像度が上がって楽しくなった。
でも結局現実側は派手好きのおカッコいいサッカープレイヤー様と熱心なサポーター様共がクソでか大声を出して威嚇してるから、陰キャは入ってくんなって感じだし異様なコミュニティになってて近づきたくない。