はてなキーワード: 背中とは
虐待といっても様々だ。
例えば猫の首を締めて窒息死させればもちろん違法な虐待だ。動物愛護法で裁かれる。
しかしもっと軽微なもの、例えばタバコの煙はどうだろう。猫は嫌がるし死亡リスクも高まるが法的に虐待とみなされた例は聞かない。自動喫煙装置のある部屋に一日中住ませるというのはどうだ。
猫を太らせることは虐待と言われて久しいが、それも法で裁かれた例を聞かない。
毎日音楽を大音量で流すのはどうか。睡眠不足になりつらいだろう。誰かに非難されても「うちの猫はロックが好きなんだよ」とでも言えば問題ないだろう。
何もない部屋に閉じ込めるというのはどうだろう。猫は孤独を感じないと聞くが、実はそうではない。この動画を見てほしい。
飼い主が帰ってくるまでじっと扉の前で健気に待っている。多くの飼い主が猫をこの状況に追いやっているが誰も裁かれていない。この事実を知ったとき、背中を押されたような気分になったね。
阿部大統領の年頭の辞に報道で触れ、改めて、お題のような感想を持った次第。
日本のせいでは無い。不幸な歴史。韓国は謙虚になるべき。三権分立なので政府は何も出来ない。
イヤイヤ、そういう話では無いのだよ。
元日本兵のおじいさんがつらい目に遭ったのも、満州移民に応募したら話が違ってつらい目に遭ったのも、事実だろう。
だが、どれも皆、戦争の悲劇の一コマに過ぎない。それも、割と軽い方の。何せ今も生きている。
その悲劇をどのように埋め合わせ、日韓の将来を切り開いていくか? 先人たちが苦労して答えを出したハズなのだ。
日本の人々が選んだ政府が、納得して署名したハズなのだ。(本心から納得してはいなかったかもしれないが、、、)
それをひっくり返す。ごねて金をむしりに来る。全くもって潔くない。多くの日本人はそう感じているのでは?
この「潔くない」態度は日本人には受け入れられないだろう。
日本だって、真珠湾攻撃や満鉄爆破事件の損害を賠償しろ、と言われても困るだろう。同じ事だ。
膨張する中国、核兵器を振り回す北朝鮮と向き合うためにも大切な関係だったハズなのだが、、、
P1哨戒機へのレーダー照射の被害妄想問題と併せて見るに、日本政府は「愚かな組織」に成り下がったようだ。
中国やロシアとでも、利害を挟んで交渉が出来る。だが、今の日本のような「愚かな組織」とは交渉出来ない。まして(韓国軍が)背中を預ける事は恐ろしくて出来ない。
文大統領の年頭の辞に報道で触れ、改めて、お題のような感想を持った次第。
韓国のせいでは無い。不幸な歴史。日本は謙虚になるべき。三権分立なので政府は何も出来ない。
イヤイヤ、そういう話では無いのだよ。
慰安婦のお婆さんがつらい目に遭ったのも、工員に応募したら話が違ってつらい目に遭ったのも、事実だろう。
だが、どれも皆、戦争の悲劇の一コマに過ぎない。それも、割と軽い方の。何せ今も生きている。
その悲劇をどのように埋め合わせ、日韓の将来を切り開いていくか? 先人たちが苦労して答えを出したハズなのだ。
韓国の人々が選んだ政府が、納得して署名したハズなのだ。(本心から納得してはいなかったかもしれないが、、、)
それをひっくり返す。ごねて金をむしりに来る。全くもって潔くない。多くの日本人はそう感じているのでは?
この「潔くない」態度は日本人には受け入れられないだろう。
韓国だって、元寇の損害を賠償しろ、と言われても困るだろう。同じ事だ。
膨張する中国、核兵器を振り回す北朝鮮と向き合うためにも大切な関係だったハズなのだが、、、
P1哨戒機へのレーダー照射問題と併せて見るに、韓国政府は「愚かな組織」に成り下がったようだ。
中国やロシアとでも、利害を挟んで交渉が出来る。だが、今の韓国のような「愚かな組織」とは交渉出来ない。まして(自衛隊が)背中を預ける事は恐ろしくて出来ない。
本当は直接伝えられたら良いんだろうけど、なんやかんや憚られるのでここに書きます。
まず、遅くなりましたが内定おめでとう。就職先決まったのは聞いてたけど、まさかスーパーに就職するとは思いませんでした。しかも、店舗に配属なんですね。
私も、学生時代にスーパーで働いたことがあります。もちろんバイトですが。
一口にスーパーとは言っても、会社によって違いはあると思います。とは言え、曲がりなりにもスーパーマーケットで勤務した経験はあるので、それも踏まえて書きます。
まず、お休みについて。
最初からそこかいって感じかもですが、まず最初にぶち当たる壁だと思います。
土日は仕事です。みんなが休みの日、サービス業の人々は働いてます。
あと、シフト制なので連休は取りづらいです。会社や同僚次第なので運だとは思うけれど。ただ、シフト上休みだったとしても、バイトやパートの人が休んだら社員が急遽入るのはよくあることです。
次に、勤務時間について。
君が就職したのは24時間経営のスーパーだね。もれなく、男性の社員は夜勤があると思われます。そして、既に書いた通り欠員が出たら昼間でも出なくてはならない可能性があります。夜勤も日勤もしてる看護師の友達は、会うたび「辛い」と愚痴をこぼします。夜勤してると体を壊す人も多いよ。
理不尽なお客さんがいます。そうです、あなたの嫌いな理不尽です。
フライが湿気てるとか、隣のスーパーの方が安かったじゃないかとか。知らんがな、って言うしかないクレームが毎日続きます。
こちらに落ち度があった時は当然ですが、そうでなくても謝罪を求められます。
アホとか、バカとか、死んでしまえとか、そういう悲しい言葉を厳しい言い方で投げつけられます。
あなたは、自分の親にさえ叱られたことがないと言ってましたね。だから、すごく心配です。ぽっきり心が折れてしまうんじゃないかって。
あなたとは6年くらいの付き合いになります。あなたの印象は出会った時から変わりません。
もっと詳しく言うと、人見知りで、ザ末っ子キャラで、人を引っ張って行くのが苦手で、言い返すよりも殻にこもってしまう。
短所ばかりに聞こえたらごめん。
でもね、少なくとも私にとってはそうなんだよ。
君は、この6年で成長したと言っていたね。
出来るようになったことを沢山教えてくれたね。自分の成長ってすごく嬉しいもん。人と比べるものではないし。
でもね、ほんとごめん。君の成長って正直物足りない。物足りないというか、幼いよ。ほんと、誰かと比べるものではないのかもしれないけれど、
目を合わせて喋れるようになったとか、「ありがとう」って言えるようになったとか、正直それだけ?って感じ。そりゃ6年前の君よりかは進歩してるよ。でも、正直昔の君が至らな過ぎただけだよ。ほんとごめん。
未だにお世辞の一つも言えない、遅刻について謝ることもしない、飲み会で教授を差し置いて真っ先にごはんを食べる、そんな君はすごく幼く見えてしまう。ほんとごめん。
スーパーに就職した理由、教えてくれてありがとう。接客に興味があったのかな、ゆくゆくは食品開発をしたかったからかな、そんな理由だと勝手に思ってた。
君は、「人事の人が優しかったから」って言ってたね。確かに、優しい人だと安心するよね。そういう理由で内定先を選んだ人もいるし。働くところを決めるのは本人だから、理由に良いも悪いも無い。でもさ、実際君が一緒に働くのは人事の人じゃないからね。いろんな年の、いろんな考えの、いろんな雇用形態の人と働くんだよ。週に一度だけ顔を見せに行く研究室より、もっと長い時間を、もっと多い人数に囲まれながら過ごすんだよ。
「公務員って楽しいとか思います?」って、公務員の人を馬鹿にした言い方をしていたね。私は公務員じゃないから楽しいかは分からない。でも、君は公務員の方が向いていると思うよ。部署によっては沢山残業してるところもあるけれど、民間よりは比較的安心して働ける所だと思うよ。
私は君を見くびってるのかもしれない。
ごめん。
正直、君は仕事を辞めると思う。
体だけは大切にね。
「コミュ障が婚活マッチングアプリで出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。
前回の日記を通じて、自分の経験を文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験・コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります。
●
僕が中学生・高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います。
僕が通っていたのは、中高一貫の男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。
中学校の登校初日。入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分の教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。
廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラなストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。
これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています。
彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカーが趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔がキラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループに所属していてもおかしくなかったと思います。クラスで文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。
僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまりに分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由も自己憐憫でした。努力を放棄し、自分で自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。
僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルのファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストのCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れた話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。
ある日僕は、彼と彼の友達が教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女とファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。
でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験に必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強のモチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています。
高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所を占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せな気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。
ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。
彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。
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この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています。
彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。
客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすいタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神を病みそうですね。
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この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説の執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。
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ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないかと心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画も面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治の文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまうものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記が遺書にならないよう精進します。
顔だけムキムキっつか腫れぼったい大きめな顔で
俺体脂肪5%以下なんだーっていわれてもへーそれで?っていうしかないような体だろうな
でどうしてそんなんなっちゃったのって聞いたら急に声が小さくなって
子供の頃アトピーの副腎皮質ホルモンが・・・今はつかってないけどね!って大声で主張しだす
だいたい80%くらいで当たってると思う
. ___ 。゚,∧o∧ |[\_690]|\.§ミ彡゚ω゚ミ お弁当あたためますか? | ̄ ̄ ̄|. | ∪ ミ _ |___l/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄□/| lヽ,,lヽ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | (ω・ ) おながいします | .| | し i |__________|./ しーJ ふぅふぅ・・・ちょっと背中に 乗せてくれませんか? lヽ,,lヽ ,-''゙'''''゙'''''゙'ミヽ (・ω・ ) いいですよ・・・? ミ' ミ彡>o> O□と ) (ノ,,.,,(ノ彡,,,.,゚。。。∞ ベタッ しーJ http://ascii-art.blog.jp/tag/%E5%BC%81%E5%BD%93
買ってよかったもの
寂しいときはこいつを撫でたり抱きしめたり話しかけたりしている。
同棲を解消してしまい、ダブルベッドが一人だと広すぎるので隣に置いて一緒に寝ている。
抱き枕としては使っていない。
シェイカーを使っているのがマッチョマンぽくて嫌だったのと、わざわざ買う必要もないと思いずっとタンブラーで代用していたのだが、近所の薬局で500円程で売っていたので酔った勢いで購入。
水の量が分かりやすく、なにより洗いやすいのでプロテイン作りが少し面倒ではなくなった。
服が毛玉だらけになったら諦めて捨てていたが、楽に毛玉を取れるようになったおかげですぐに服を捨てずにすむようになった。
こいつで毛玉を取ってもどうにもならない服は捨てている。
・ほんとの大きさパンダの仔 147g, 284g
上野動物園で販売されている、シャンシャンの幼少期と同じ大きさ&重さのぬいぐるみ。
枕元に置いていて、寝る前に頭をひと撫でしている。
とても可愛いので癒される。
もう一回り大きいものもあり、そちらも買うか迷っているのだが、次回の来園でおそらく買うだろう。
便秘症改善のため元々は新ビオフェルミンS錠を買っていたのだが、同成分で価格の安いものに鞍替えをした。
正直なところ便秘は一切改善されていないが、膨満感による腹痛がかなり改善された。
飲むのをサボるとすぐにガスが溜まってお腹が痛くなるので手放せない。
買わなきゃよかったもの
面倒で結局使ってない。
・タオルケット
夏でも毛布の方が気持ちいい。
電車内での「荷物の持ち方・置き方」がアンケートで迷惑行為第1位になったそうだ。NHKのニュースで指摘しているとおり「ビジネスリュックで通勤する人が増えた」ことにも原因があるのだろう。
だがここではもうひとつの重要な原因が見過ごされているように思う。
それはリュックが大型化していることだ。
ホモランドセル型の角ばったリュックが現在では主流のデザインになってきている。これは従来型より容量が多く、かさばる。
だが、これを背負う人の意識はそんなに変わらない。自分の背中がどうなっているか、はっきりと意識して生活している人はそんなにいないだろう。
つまり、自分の背中にホモランドセルを背負っている人は、それだけ自分の身体が後ろ側に膨らんでいることに気づかないわけだ。
リュックは大型化しているが、それを背負う人が、自分自身の身体について持つイメージが、現実に追い付いていないとでもいえばよいのだろうか。
電車でホモランドセルを背負っている人の後ろに立っている乗客からすれば、いきなり大きな物体が顔に押し付けられてくるような圧迫感を感じる。
これは非常に無礼に感じられる。
だが、背負っている人は、自分の背中が他人を圧迫していることに、いっこうに気づかない。
だからいっそう、周囲の人には苛立たしく感じられる。
結論として、人が自分自身について持つ身体のイメージはそんなに変わらないので、ホモランドセル型のリュックの社内への持ち込み自体を一律禁止するか、車内では身体の前側に抱えて持つよう、義務付けて厳しくチェックするしかないように思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190105/k10011767541000.html
どんなニュースでも記事でもブログでも、いつも気がついたら右上に赤い数字があって、ポチッと押したらいろんな考えを持ったひとたちがあらゆる角度から考察や自分の知らない知識を披露してくれた。あるときは、自分の考えを是正してくれた。またあるときは、自分の考えの背中をそっと押してくれた。
はてブはいつも自分の隣にいるお兄さんのような先生のような、憧れの存在だった。いつのまにかこれ無しではネットサーフィンができないくらい依存しきっていた。
ところが、いまのはてブにいる人たちはそうではない。知識も思想も偏っているし、なによりも、他者を妬み、足を引っ張るような言動ばかり。日本の老害の縮図が、完全にここに表現されている気がする。
昔からそうだったのかもしれない。自分も歳を取ったのかもしれない。そろそろ卒業の時かもしれない。
はてブ大好きだった。
そんなこと、よっぽどの緊急事態じゃ無きゃめったに無いだろうと思っていた。
ネタにするくらいだから、仕方の無いシチュエーションばかりだと。
正月、まさに1月1日の元日、初詣に出かけるために着替えていた。
目的の神社は参拝の列が日陰で寒そうなので、パンツの下にタイツを仕込んで着替え中。
でも、なぜかいつもと違い音が出ない。
生ぬるい感触。
でも、明らかに違う、たれた感じ。
そう、おなかが緩んでいるからだ。
水がこぼれた感じで、すぐにケツ筋をしめた。
漏れている…
真っ先に思い出したのは増田だ。
家の中であることが唯一のすくいだ。
急いで処理をしなければ。
トイレでパンツを下ろすときに、背中方面にもついていたらしく便座も汚れている。
ウォシュレットで洗うだけでは足りない。
尻じゅうを拭い、便座も拭く。
すぐ側にトイレマジックリンを置いていたのがこんなに役立つとは。
ウンチをトイレットペーパーで拭き取り、コンビニの小さな袋で二重にくるみ、ゴミ箱へ。
よし、清まった。
初詣にふさわしい、清らかなカラダだ。
今年も良い年でありますように。
☑ 壁にダイソーなんかで発泡スチロールのおっきいカラーの板みたいなの買ってきてたてかけて冷気を防ぐ。あるいはマステを貼ってからプチプチを張り付けてすーすーするのを防ぐ。
☑ 一番中にやわらかでふわふわの空気の層を作るタイプの服、一番外には風を通さないタイプの軽い服
☑ ハイネックの、首の後ろに小さい貼るカイロを貼る。 下着の肩甲骨の真ん中ぐらいにも貼る。わきの下や鼠径部もいいらしいので下着の上から貼る。小さい貼るカイロ最強なので買う!
☑ 電気しき毛布、その上に毛布(アクリルでも綿でもウールでもOK)をミルフィーユみたいにかさねてゆきそこに座る。必ず寝る前は温度調整かタイマーする。
喪で長年一人暮らし。もう結婚とかとっくに諦めて、激務だけどそれなりにいいお給料をもらって暮らしている。多分、世間一般から見たら「(ブスだけど)仕事も友達関係も充実してて羨ましい」「(ブスだけど)毎日楽しそうに生きてて羨ましい」と言われると思う。実際、職場はみんな激務だけど離職率も低い。激務と言っても毎日同僚と無駄話を楽しむ余裕もあるし、なんといっても、長年勤めてそれなりに出世したからそこそこ裕福に暮らせる。本当にいい職場だと思う。
だから、日々夜遅くまで働いて、終電間際で電車に揺られて帰って(たまに終電に間に合わずタクシーで帰ったりホテルに泊まることもあるけど)、たまった録画(主にアニメ)をウトウトしながら消化する生活になんの疑問も持ったことがない。次の日に職場に行けばたくさん人がいるし、実家とはあんまり連絡をとってないけど、お盆と正月は実家に帰ったら家族もいるし、友達もいる。
ところが、年末仕事納めと同時にインフルエンザにかかってしまった。実家に帰るつもりだったけど、電車に乗ったら周りにうつすし、実家にいれば家族にうつしてしまう。だから、今年は帰省できないとと母親に言った。そしたら父親が、食べるものも飲むものもないだろうと、遠く実家からいろいろ持ってきてくれた。多分、新幹線も飛行機もいま席もとれないくらいの混雑だろうから、自由席で立ってきたのかもしれない。
「うつすといけないから早く帰りなー。ほら、結構元気だしマスクしたら自分で買い物できるから。」
朴訥としていて普段あんまり話す機会もない父親が、なんとなく居心地悪そうに、ホッとしたような、寂しそうな、そんな顔をしたのがわかった。うつすといけないという気持ちはホント、でも結構元気というのは大嘘。だからキツそうな姿を見せて心配させないように、背中を押してマンションから追い返した。
扉を閉めた瞬間、いろんな感情が押し寄せて、涙がポロポロと止まらなかった。父親への感謝の気持ち、すぐに追い返してしまった父親への申し訳なさ、またひとりぽっちになってしまった心細さ、そしてこんな生活が死ぬまで続くんじゃないかという不安。他にも、頭が混乱して、涙があとからあとから止まらなかった。そして横になると、ふと
始めた。
スイッチは高い。
まぁそれは置いといて、
ソフトを購入した。
今回は持ってパンチするのだ。
(何故かデータ引き継げないまま)
もちろん、一人でやるのもある。
まだ、痩せたとかはないけど
お通じよくなった。
表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。
正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。
こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。
確かに今現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。
どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子をリビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子どもの記憶違いではないはずだ。
あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたときの記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。
他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。
これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。
子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子供相手にマウントを取りたがる親なのである。
もしかすると、この程度のことはごく普通のことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。
ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。
二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。
メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。
恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。
最近は小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。
私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉を額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。
中学では制服や校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則は部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。
しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛も晒していた。
そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)
中学三年間男子からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識が根付いた。
一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子の友達はいた。
だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスのボス的ポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。
中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前後から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。
要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである。
その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去の記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。
失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったからである。
私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。
それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである。中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。
中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。
中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校でとある文化部に入った。
彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。
だが、彼も所詮は男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子とコミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである。
この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。
それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。
勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。
同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。
基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生は別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ。
学校の先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。
高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。
学校の先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。
そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。
でも、それで人から好きだと思われることは無い。
人から向けられる愛情は、お勉強をいくら頑張っても手に入らないのだ。
そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。
色々ある中で、気遣いや笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。
愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。
少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。
自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。
高校で気付いたこの事実は、高校を卒業してからもだいたい事実だった。
ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。
そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである。
あの子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。
でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。
なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。
この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。
欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。
私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。
少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。
ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。
いつかっていつだろうな。
愛されないのに何で生きてるんだろう。