はてなキーワード: 美徳とは
弱者男性が救われる方法ってぶっちゃけ努力して浮気しまくるのが一番効率いいよな
まず適当なブスとかババアを努力して口説いて彼女としてキープして
どんどん彼女を増やして
「この人と付き合えたら他の誰とも付き合えなくていい」って思える相手とはどうせ付き合えないんだから
それに女は浮気しない男のことを浮気したくてもできないだけで別に誠実でもなんでもない男と言って馬鹿にしてるから努力して浮気しまくった方がいいぞ
いい年して独身の奴って本当に好きになった相手にしかアプローチしてはいけないとか
好きな相手に一途になるのが美徳みたいな下らない倫理観に囚われてる奴が多い
そういう奴はストーカーになるか片思い引きずって高齢独身になってる
若い頃女遊びやヤリ捨てに精を出してた奴で、高齢になって独身の奴って見たことない
いい加減一途が美徳みたいな風潮は無くして女遊びやヤリ捨てを推奨する風潮に変わるべき
浮気やヤリ捨てをしてはいけないとか本当に好きな相手しか口説いてはいけないって思いこんでて彼女ができない奴は
浮気やヤリ捨てを解禁して付き合う気になれない女も口説いてヤリ捨てするようにすると
人生楽しくなってくる
モテる順番は
真面目なイケメン>チャラいイケメン>チャラいブサイク>真面目なブサイク
今真面目でモテない奴はチャラく振る舞えばモテるようになるから試してみろ
非モテに積極的になれとアドバイスする→積極奇異型アスペになりモテない
非モテにチャラく振る舞えとアドバイスする→いい感じの性格になってモテる
これあるあるよな
結局清潔感とか努力する気になれないのは一人の女だけを大切にしなきゃいけないっていう倫理観があるからなんだよな
そういう倫理観があるとせっかく清潔感を磨いても一人の女としかヤれないからもったいなくて清潔感を磨く気なんてなくなる
女なんて片っ端からヤリ捨てしまくっていいっていうスタンスでいると清潔感を磨けるようになるからオススメ
清潔感を磨きつつ街コンやマッチングアプリで出会った女を片っ端からホテルに誘ってヤリ捨てしていくようにすると自然と清潔感を磨くのが習慣になる
モテたかったら髪形や眉、服装、肌を整えたりして清潔感を磨けよ
付き合う気になれない女に対しても
そうすれば清潔感を磨けば磨くほどヤれるようになるので清潔感を磨けるようになる
誠実なお付き合いをしていくつもりでいると清潔感磨いても
ヤれる頻度が上がらないので清潔感を磨くモチベーションが上がらない
コミュ力や気遣いにしても一緒で努力するモチベーションのない男は
付き合う気になれない女に対してもヤリ捨てするつもりでアプローチするのがいい
女はアホなので見た目の清潔感さえあれば股を開く
ヤリ捨ての成功体験を積めば積むほど清潔感コミュ力気遣いを磨くモチベーションが湧いてくる
基本的に人間の脳みそは苦労に対して得られる利益が少ないとモチベーションが湧かず
苦労に対して得られる利益が多いとモチベーションが湧くという性質を持っているので
多くのブクマカが「育休後復帰が前提だから退職はおかしい、給付金を返せ」という本音をブコメで炸裂させていますが、なぜ彼らはそんなにも「ズルい女」にブチ切れずにいられないのでしょうか?
そこには、生活保護叩きのように、単に他人が楽しているのが許せないという感情を超えたものがあると思われます。
最も大きいのは、「育休後復帰の枠を空けているせいで自分の仕事が増える/人員補充がされない」という、よくある苦労話との結びつきでしょう。これは即座に類似事象である「時短や子供の突発的ケアで職場を空ける女性へのいらだち」にリンクし、彼らの怒りを増幅させます。
これに対してよくコメントで書かれるのが「個人が悪いんじゃない、会社が悪い」というものです。確かに、育休で空いた穴に即座に人員を埋めてくれない経営者、職場を空けがちな女性をカバーする他の社員の負荷を認識できない上司はまったくもって無能であり唾棄すべき存在でしょう。
……本当でしょうか?
hamachanこと濱口桂一郎氏の「新しい労働社会」および彼の類書では、日本企業に特有のメンバーシップ型雇用システムの本質を「空白の石版としての雇用契約」であることだと説明しています。やや端折った説明をすると、「空白」とはあらゆる制約が書き込まれていないことを指します。つまり、職務内容、勤務地、そして労働時間でさえ無制約なのです。昭和のモーレツサラリーマンにとって「ワークライフバランス」の「ライフ」とは「生活」ではなく「生命」を指していました。メンバーシップ型雇用システムの中で全員が管理職候補、社長候補とハッパをかけられ、命を落とすギリギリまで働くのが美徳とされていたわけです。
とはいえ、この「労働時間の無制約性」は、2018年に法律で罰則のある上限規制が設けられついに法的にも規制されることになったわけです(それまでの月80時間の過労死要件はあくまでも裁判になったときに使われるもので、行政…労働基準監督署の指導根拠ではありませんでした)。この労働時間の法的規制ができた今となっては、経営者は従業員に無制限な残業を命じて育休の穴を埋めさせることはできないはずです。しかし、実際には部署のデキるメンバーや管理職が分担して肩代わりすることで、補充なしで職場を回している現実があります。
ふたたび、濱口氏の説明を引用します。多くの従業員が恒常的に残業しなくても済むような状態、家庭では父母としての役目を果たせる状態、これを「第1次ワーク・ライフ・バランス」と定義します。
https://toyokeizai.net/articles/-/163073?page=3
濱口氏の説明によれば、日本では「第1次ワークライフバランス」を確保するための規制や制度が薄すぎる、あるいはこれを実現しようという労使双方の意識がなすぎることが問題です。労働時間が無制約だった時代が長すぎ、残業することが経営者にとっても従業員にとってもデフォルトになっているため、これを根こそぎ変えるには相当な苦労が必要です。
一方で、「育休」や「時短」、「子供の看護で早退」は「第2次ワークライフバランス」と定義できます。この2つの違いは、第1次が一般的な従業員に対して受動的に与えられるシステムであるのに対し、、第2次はそれでは不足している労働者がみずからフレキシブルに労働時間を短くできるシステムであるということです。日本特有のアンバランスさは、この第2次ワークライフバランスへの規制が比較的強く(1年の育児休業を男女ともに法的に保障しているのは先進国でも日本くらいです)、それに比して第1次ワークライフバランスへの規制・意識が弱い点にあります。
この第1次ワークライフバランスへの規制・意識が労使ともに弱いことが、経営者の付け入る隙を与えています。育休で抜けた穴に一時的な人員を配置するのが容易なジョブ型雇用制度とは異なり、メンバーシップ型雇用制度では、「育休で1人2人が一時的に抜けたくらいなら既存の社員を残業でがんばらせる」ほうが意思決定として合理的なのです。
結論です。
俺たちが育休後退職女にブチ切れずにいられないのは、企業が無能でも悪意があるせいでも、ましてや「フェミニスト」が女性優遇のシステムを作ろうとしているからでもなく、日本の社会全体に「第1次ワークライフバランスへの規制・意識」が不足していることが問題です。これを解決するためには、労働組合を中心にインターバル規制や「残業のオプトアウト化」を行っていく必要があります。そのために一人一人が声を上げていきましょう。
https://career.y-aoyama.jp/article/childcare-leave-retirement
[注意]
全ての人々の命が戦禍によって、人の手によって奪われることのないよう心から願っています。
既に**沖には**の**、推定**に登る被害が報告されています。
これを受けて日本国政府は非常事態宣言を発令し、全ての日本国民に避難命令を発令いたします。
直ちに**の攻撃を受けている地域から可能な限り離れてください。
繰り返します
ただ今避難命令を発令しました。少しでも安全な場所に逃げてください。隠れてください。ご自分の命を守る行動をとってください。
団体、あるいは個人の判断で抗戦することを政府は推奨致しません。
日本という資源に溢れる、価値ある島と資産が侵略者の手に落ちることが何を意味するのか。
今後の世界を考慮すれば、無抵抗で全ての所有物を差し出す行為は到底看過されるものではないでしょう。
私は最も臆病で無責任な人間として歴史に名を残すかもしれません。
それでも今、自国民の命を、それぞれの愛する人の命を何よりも優先させるという判断を下しました。
日本国という社会通念上の国家は間も無く解体され、一つの歴史が終わることになるでしょう。
この結果は第二次世界大戦を経た日本が平和主義に則り、自衛のための軍事力しか持たないという方針をとり**に頼ったことに起因するというのも一つの事実です。
しかし日本国民が情勢の安定を甘受し永遠の平和を夢見たこの数十年間を「平和ボケ」という言葉のもとに否定することは果たして正しいのでしょうか。
それは反省すべき間違いだったというのでしょうか。
私たちがその実現を切望する平和とは、断じて緊張によって維持された張り詰めた平和などではなく、全ての人が「平和ボケ」できるような真の安息を手に入れることであると信じます。
私たちは他でもない、その真の平和が訪れる日のために武器を捨てて命を守ります。
祖国が踏み躙られ、破壊されることは、あなたを武力による反撃に駆り立てるかもしれません。
しかし最も絶え難い苦しみ悲しみは、国民の命が失われることです。
どうか落ち着いて、日本を見捨てるためではなく日本を守るために今逃げてください。
愛する人と全員で生き残ることを諦めないでください。
生まれ育った風景が跡形もなく焼き尽くされるのは死ぬより辛いことのように感じられるかもしれません。
何よりも、私たち国民こそが日本であり、一人一人決して失われることを容認できませんし、するべきだとも思いません。
国土を失った民族となっても私たちはこの美しい島で過ごした日々を忘れない限り、日本国民として、日本国民であることを誇りに生きていけるはずです。
日本国が地球上の勢力図から無くなったとしても、どんな強大な国家もとい連合といえども日本列島を海中に沈め去ることはできません。
そして日本人は、どこにいようとも日本人であるという帰属意識を打ち砕かれることはないでしょう。
21世紀の今、国は国土だけにあるわけではありません。生きて新しい土地で、他でもない自らのより良く美しい人生を探求してください。
逃げてください。隠れてください。これは避難命令です。
[あとがき]
今一度言っておきます。以上の文は私の思想以外の論拠を持たない創作であり、参考として挙げるべきものもありません。
百歩譲って現実的・国際的な問題について傍に置いておくとしても、実際に「日本列島」と引き剥がされた日本民族が何年、何世代民族の同一性を保っていられるのか。
それは「肉体を失った魂」か、あるいは「魂を失った肉体」に例えることができるかもしれません。
上の文で描かれたものは「お国のために自らを擲つ殉国」の美徳を全時代的な全体主義の思想として批判した上で、「世界平和のために一国を殉ずる」という美徳に基づき最高権力者が国防を放棄する一種の無理心中と言えます。
私たちは前者の美徳を経験した上で反省点としてその恐ろしさを認識しています。
後者の美徳の実現に関しては有史以降前人未到の夢物語でしかありません。
それでも、それぞれ好悪善悪を超えてある種の「美しさ」を感じさせるレトリックではないでしょうか。
私個人は上述の内閣総理大臣のような「命あっての物種」思想を持っていますが、前者の美徳にも共感する者です。
「国を守るために死ぬ」ことを厭わない国家単位の「究極の共感」は社会的生物である我々にかつて経験したことのない高揚をもたらすでしょう。
そのエクスタシーの頂点で敵の兵器によって鮮血とともに命を散らせるのは、一生分の生きがいにも相当する劇的経験かもしれません。
あくまで前時代的であると感じ懐疑的ではあるにせよ、私は殉国を志す人のことを止める術を持ち得ませんし、やりたいようにやったらいいと思います。
何者かの操作によって無意識のうちに行動させられているのではなく、熟慮の果てに可能な限り内発的に選んだ道であれば、ですが。
そんな彼は、神戸大学の工学部に一浪して入学した。それが、いまやゲイで東京にて年収300万で、貯蓄ゼロのホモバー通いの凶人となってしまった。ついには、金持ちの資産を没収してばら撒くべきなどとのたまう。公務員試験に惨敗し、いや正確には面接で落ちまくり、好青年だった彼の見る影もない。三十路になって、自分はイケメンだと主張する。禿げて、色白のノッポが、俺はイケメンだからという。俺は太ってしまい、もう高校の頃の見る影もない。そんな彼が言う、どうしてこうなったんだろう?とね。... もうお前は負けたんだ、俺たちがバカにした kko になったんだ、あとは若者の反面教師となるべく生きていく他ないとね。そう言うと、ハッとした顔を彼はする。それで、どうしてこの品行方正なオレが公務員にすら受かんないのか?というので、おっさんになって採用に関わるようになった自分が言ってやった。確かにお前はペーパーテストでは優秀かもしれないが、どんなに高得点をとっても、俺だったら不合格にすると。何故なら、お前を組織に入れると破壊工作をするからだ。なぁ、中高で学校を出席日数ギリギリを攻め、部活すら入らず、一切の学校行事の依頼を「権利」を翳して拒否した人間が公僕になれると思うのか?と。自分は潔癖症だから清潔だというけど、日々ハッテン場に入る人間がキレイなわけがないだろ。そもそも、イケダハヤトの生き写しのようなお前が、誠実に見えることはない。身長が高くても、BMI が 17 とかいうヒョロガリが体力のいる仕事ができると思うか?というか、身長が高いなんて、公僕ではデメリットだ。威圧感しかないぞ。それに、お前のようなコミュ障が就活の良い土木科を二留して推薦を拒否し、あまつさえフルタイムの公務員試験予備校に行って高得点をとっても、文系な「行政」枠で入ろうとしても面接官が納得する受け答えができるわけ無いだろ。制限のある 26歳を超えて経験枠で入ろうとしても、派遣社員の事務なんてカウントされるわけが無いだろ。どこの会社に入っても、女性に嫌われ、男性には無視されるお前が公務をできるわけないだろ。仕事しないのを美徳とするお前みたいなのを弾くために、わざわざ面接点を増やしているのだ。だいたい、自分のスペックで地方公務員の行政パン職に応募するなんて烏滸がましいだろ。男で、名門大学で、非専攻の学科、しかも地方公務員パン職を遠く離れた地から入ろうなんてするやつは、まともに就活をしたことがないアホだよ。... などと言うと、彼は顔を真っ赤にし、オレを指して反抗してくる。あぁ、そうだな、高校の時もそうだったな。普通は、そういうのはいじめられたりして修正されるのだが、相変わらず斜めがけのショルダーバッグを肩かけて、猫背でシャツをズボンにインするのがクールという破滅的なファッションセンスが、あぁ採用面接って大事だな~、と思わせるのだった。彼の持説を聴き流しながら、 ... 自分の子どもたちにはサッカーか野球をさせて、中受でマーチにでも入れてあげるぐらいの所得を得よう、と私立医大に親の金で入った自分は思うのであった。
脳死 思考を伴わないプレイ。集中力の省エネ化や瞬時の反射という意味で、美徳として使われることも多い。判断すべき時に判断できていないという悪い意味でも使われる。
チンパン、猿 同じ行動しかしない、同じ失敗を繰り返す、いわゆる学習しないプレイヤーを指す。
人権 所有/未所有でプレイに大差が出るようなアイテムやキャラを指す。
難民 人権アイテムを持たないプレイヤー、人権アイテムの入手時期を逃したプレイヤーを指す。
戦犯 試合の敗因になったプレイヤー。あるいはそのプレイ。「戦犯ムーブかました」など。
ガイジ、ゲェジ 障害児の略。ゲーセンで奇声を挙げながらプレイする様。動物園とも。
マンブー オマ◯コブーストの略。女が上手い男に囲まれてランクを上げること。
沼 知的障害者→知障→池沼→沼。プレイミスや初心者に対しよく使われる。
>> なんかワードセンスが小学生〜中学生なんだよな。
正しい。ゲームコミュニティは自覚的に幼稚なものを好む。「人間の原始的な快楽や闘争心や本能を良くも悪くも肯定する」みたいな思想が根底にある。
ワンオペ育児で母親がわが子3人を手にかけた事件に対して、予想通り「母親の辛さ」がフィーチャーされている。
小児科医が人を殺したこの母親に同情し、すべての母親のためになんとかしようみたいな話をしているし、
育児垢が「私とこの母親は地続き。批判してる育児垢見たら実家住みだった、人生いろいろ育児もいろいろ」とか言ってる。
まるで母親の自己実現のために育児してるかのような言い草に失笑を禁じ得ない。人生いろいろだから生後数か月で親に殺されてもしょうがないってか。
法の下の平等に準じて我が子を手にかける所業には重きを置かないにしても、「そんなに辛けりゃ一人で勝手に死ね」と言われもおかしくないはずなのに。
そもそもワンオペになるのに3人も産むなとか、共助を拒否した結果だとかは白饅頭界隈にでも譲ります。
どんな事情があったにせよ、世の保護者に「私も我が子を殺すかも」なんて思ってほしくないので私はもうちょっと優しいアプローチをしたいと思い文章を書いてみます。
簡単に言えば、必要なのはリソースの適切な配分と多チャンネルの開設である。
親のリソースは有限である。よっぽど特殊な環境でない限り、一人の子どもに対してかけられる親の労働力は最大2人だろう。
一方で育児が要求する労働力は2人でも足りない、というのが私の過去の経験からの感覚である。
無論最低限の生存レベルではなく、「親としてしてあげたいこと」がこの要求を無限に引き上げていく。
清潔で快適な環境においてあげたい。たくさん眠らせてあげたい。写真を撮っておいてあげたい。たくさん食べさせてあげたい。
親として最初に考えないといけないことは、この全部を完全に達成することはほぼ不可能であるということだ。
何をしてあげないか決める。何を与えないか決める。何を切り捨てるか決める。これを明確にしておくだけで全然違う。
一度捨てたものには未練を残さない。再びそれに手を伸ばすことは禁忌とする。このルールを守るだけで育児の負担は確実に減る。
しかし往々にしてこれができない。特に母親は。これは善悪の問題ではなく、本能的なものだろう。
体力があろうとなかろうとリソースを延々と子供に注ぎ続け、判断力を失い、ときに鬱になり、最悪の場合子に手をかける。
自分がいかに寝不足でも泣いている子供を無視できない。これはもうそういうものとしか思えないから、無視せよと言っても無理なのだ。
かといってこれが美しいものかと言われれば全然そうは思えないのであって、これを美徳とすることは全く肯定できないのだが、
結局親と子供を引き離す他に親の労働力無限供給を解決する術はないのだ。
古い価値観ではこの役目を同居の祖父母等が担っていたのだが、現代人は他人の干渉を拒絶しているためそんなものは贅沢品扱いだ。
保育園だってパワーカップルのキャリア維持に使われて全員が入れるわけもなく、近所の人は顔も覚えていない。
カネも縁も知恵もない親だとあとはもう根性頼み、運頼みで闇雲に突っ込んでいくばかりなのだ。
だからもう自分で事前にやるしかない。自分は子育てを始めるとまともな思考はできなくなると予想して、安全装置を設置しておく。
それが多チャンネル化、平たく言えば外界と繋がりを複数持つということだ。
必要なのは自分の判断力が弱ってるときにそれを検出してくれる繋がりなので、理想的なのは昔からの友人や兄弟姉妹だ。
親とか義理親は母親自身より子のケアに寄る場合がほとんどだろうからあてにしてはいけない。
相手が独身だろうが不妊だろうが繋がっておく。子供の話はしない、自分の話をする。
ネタ画像を共有したり、腹が立った話をしたり、ふと思いついたときに声をかける相手がいればいいだけ。
そういう保険をかけられる相手との関係をメンテしておくことは普段からの心がけとしか言えないが。
ストレスを逃がし、自分と子を別の存在であることを認めてくれる相手が複数いれば最悪の事態に至るリスクはぐっとさがるだろう。
・ おごる・お膳立てをする側はできるだけ全力で大サービスするのが好意による熱意・太っ腹として美徳
・ おごられる・お膳立てをされる側はささやかなことでも満足して喜ぶのが謙虚・感謝の心・愛を感じる心として美徳
→「◯◯どころかもっと手頃な食事でもあなたと一緒なら幸せ!」
両者が美徳を追い求めると意見が合わなくなるところがポイントね こういうのは匿名の論争に向いてない
これは賢者の贈り物の昔からある世界各地で普遍的な真理なのに◯◯にサイゼをはめ込んだだけで興奮したブクマカがわらわら沸いてるの本当に草
この問題が燃える原因は褒め言葉と軽視・侮辱が表裏一体になるところ
「この人は手頃な食事を提供すれば満足します」が「この人は私の愛に一心に応えてくれる謙虚な人です」と「私は好意も熱意もなく接していますがこの馬鹿は騙されて満足しています」の両方を意味しうるし、実際両者は危ういほど近い位置にある
あと、主人公の親友ちゃんが付き合ってもない男に処女をあげちゃうの無理
相手はF4のイケメンで、親友ちゃん側から告白したけどフラれてた
その上でそのイケメンに私と寝てくれと頼んで寝た。訳がわからない
それがすごく良いことのようにかかれてて気持ち悪かった
私昔いじめられてたんだけど「いじめられる私にも原因はあるから。いじめっ子にも何か事情があるのかもしれないから。私をサンドバッグにして相手の人生が充実すればいいことだ」って本気で考えてた
その数年後にフルバ読んだんだけど、攻撃的な相手に尽くす主人公が昔の自分とかぶって辛かったし、現実では耐えても何も良いことはないのに「耐えるが美徳!」みたいな主張をしてくる感じが気持ち悪かった
アニメ3話くらいまでしか見てないけど、あのいじめっ子がなんやかんや主人公を見直して反省して仲直りして主人公の仲間になっていくんだと考えると無理
同窓会で過去のいじめを謝られて許せる人は見れるんだろうと思う
私は許せない
DQNは嫌い
読んでないしアニメも見てないけど正解っぽいな
【追記】
絵に描いたような正直。
小学生なら花丸100点の美徳ですが、じゃなかったらもう気の毒になるレベルのバカです。
どうしようもねえ本文に続いての、今更説明するのもバカバカしくなるような追記。
隠しきれない当事者への見下し、ヘイトありきのペラい同情、何よりそれらを取り繕う意欲と知性のド低さ。
せめてその全裸みたいなバカさとかミサンドリーとか、もうちょっと隠す努力ができないもんでしょうか。ゾーニング足りてませんよ全然。
というか、フェミの皆様も似たような例、結構見てるはずなんですよ。
「自分の思い通り敵に振るえる限り」というカッコつきの同情。
フェミが何か燃やして、燃やしたものにたまたま女性が絡んでたりすると、アンチフェミがいきなりワーッと押し寄せて同情するポーズしたりしますが、あれも大概底が薄い。
だからああいうのもああいうので気持ち悪いんです。何言っても薄っぺらだし白々しいから。
あとは交通事故遺族の某氏なんかもまあずいぶん同情されたもんですが、あれも結局は例の上級国民ヘイトありきでしかなくて、
例えばですよ。あんまり言いたくないんですが、もしあの人が再婚とかしてそれがバレようもんなら、文字通り死ぬほどバッシングされちゃうんじゃないですかねぇ?
別にね、放火目的の目からガソリンでも、インスタント薄っぺらシンパシーでも、いいと思うんですよ。ちゃんと取り繕ってくれれば。
でもみんなそれすらまともにできてない。
気に食わない奴殴るの最優先で当事者が二の次三の次になるから、そいつのケアがなおざりになって、しまいにゃどっかのアレとかアレみたいなことになっちゃうんです。