はてなキーワード: 美徳とは
「オモウマい店」という番組が視聴率取ってて面白いという噂を聞きつけ、本日初めて視聴してみたが、
安すぎる料金で運営している飲食店を取り上げていて、飲食店だけでは資金が足りないから空いた時間にアルバイトしているけど、運営者は楽しくてやっているという内容だった。
芸能人にワイプで「安い。もっと値段上げてもいいんじゃないの」と言わせておいて、VTRはそれを美徳とする作りになっていたのが、日本が全体的に貧乏になっている原因だというのを象徴している内容だった。
また、その店主がゲームやカードをコレクトしていたが、妻が「全部売らせました」「邪魔なので」と言って、番組側が笑いを被せていた。本当にドン引きしてしまった。まだこんな笑いの取り方をしているのか。これで店側に視聴者のクレームが行かなきゃいいけど、とか余計な心配をしてしまった。
ゴールデンタイムでこんな地獄な番組がもてはやされているというのは、テレビは国民を貧困に陥れようとしているんだなあと感じた。先行きは暗い。
③性的役割の固定化につながるような「女性らしさ」が好ましい事として消費されている
④それらはポジティブに扱われる
そのために、「それを匂わせる」程度の表現が「公共で」使われることすらも炎上させるような狂的集団になってしまっている
大事なのは④と⑤で、女性が男性の美徳を無視する的な方面は、ミラーリングとして成立しないし
現実にあり得ない荒唐無稽なものも、ミラーリングとして成立しない
だから、女性も男性も、ネガティブな事象として消費する、NTRというのはダメで、「そりゃNTRはネガティブですよね」という合意が形成されてしまう
虚構でレイプを描いて、酷いと言われたら、「そりゃレイプは酷い」という意識は男性側にもある
萌え絵では、「言うほど酷いか?」という反応となり、ミラーリングにはそれが必須条件
よく例示される女性が男性を支配、または体よく利用する「ヒプノシスマイク」やら「女だけの街」もダメなんだ
女性はそれを完全にポジティブな事象として消費可能かもしれんが
それを男性が見ても、虚構でしかなく、現実とリンクしないから「他人事」となってしまう
そういう意味では、元記事の「軍隊」などは、惜しい所へ辿り着けている
自己犠牲が美徳として社会で消費され、インデペンデンスデイの特攻は美談になる
それが日常的に男に当てはめられ、男もその価値観を刷り込まれる
そうしないことが「男らしくない」として侮蔑の対象や奇異な事となる
そうしたくない人間もその抑圧に晒され
ちょっとしたシーンで、女性から「男らしさ」を常に評価され、嗤われたり、絡まれたりする
それを「差別レベルで苦痛に感じる」男が一定レベルに達すれば、現状の萌え絵炎上へのミラーリングと言えるかもしれない
男女を逆にして①②③を満たす形で④が発生し、⑤の状態が日常になる、当然に社会構造は⑥であり、表現でも好ましいと描かれるために⑦へとつながる
ミラーリングしようとする時、大抵の人は必死に、①と②だけを行う、「好ましい」すらも無視して「男性が嫌がる誇張」に走ったりする輩もいる
それじゃミラーリングにならない
増田とは状況も違うけど友人と疎遠になった経験ある、もう完全ブロックして10年くらいになると思う
学生時代に仲良くしていたのに、生き方が違ってしまって話も合わなくなり縁遠くなるっての、よくある事だと思う
一生ものの友達みたいな言い方があり、交友関係を維持するのを美徳扱いする価値観はあるけど、普通はなかなかそうはならないし、人生の時期・環境ごとに付き合う相手が変わる、で良いと思う
結婚したら未婚の時のような友人付き合いは減るし、子供ができたら完全に分かれる
未婚・既婚・子なし・子持ち・勤め人・専業主婦、どの立場であっても付き合いやすいのは同属性だ、どっちが良いとか優れてるとかではなく、自分が付き合いやすい相手と付き合う、それでいいと思う
昔は仲良かったけど結婚してできた子供が難しい子で離婚してスピリチュアル系にハマってなんかやばくなっちゃった怖っもう付き合えない、それでいいと思う
向こうも向こうで増田とはもう付き合いづらいと感じてると思うし
曖昧だ曖昧だって批判する人いるけど、そもそも表現って曖昧なもんじゃないの。
漫画の編集とかに「う~んなんか違うんだよな」とか言ってボツにされても
めげずにまた試行錯誤するみたいなのを昔は美徳みたいに言ってたじゃん。
漫画の編集に作品描く前に何がOKでどうならボツになるか全部指定しろとか迫る奴いたらおかしいじゃん。
これだってデザイン案の時点での最低限の注意として出してるだけで、ラフ案いくつか出した中から行政が穏当な奴選ぶわけで
普通の企業や出版社がやってることとまるっきり同じだと思うよ。
そもそも曖昧だって言うけど、「露出が多かったり肉感的な描写は避けてください」とか書いてあったら
「じゃあ露出とは肌の何%まで出してたら露出なんだ」とか「肉感的とはスリーサイズ何cmまでなんだ」みたいな
「線引きできないなら制限すべきでない。境界線が分からない」って反論が来るんだろうけど、
君たち現実問題普通のキャラクターと萌えキャラの区別付いてるじゃん。
萌えキャラは髪の色がこうで声のトーンがこうで目の大きさは顔に対してこの比率……とか決まって無いけど
ちゃんと見分けられてるし、着衣してようがしてまいが「うーんこれはエッチ」とかちゃんとエロさも判別できてるじゃん。
自分たちが見分けられてるのにそれをすっとぼけて「普通のキャラと萌えキャラの区別が曖昧だ!」って言うのは逃げだと思うよ。
基準を細かく決めると今度は基準ギリギリまでどこまで露出できるかとか、一見基準ギリギリだけど見方によってはエロい(トラブるとかみたいに風景と合わせて見るとエロくなってる)みたいな悪ふざけのチキンレースする奴が出てくるだろうし、
そもそもわいせつ物自体の定義が曖昧だからなかなか線引き難しいんじゃ無いかな。
(※ここは前半と矛盾してるとコメントで指摘されたけど、「線引きが難しい」というより「行政で明確な文章化するのが難しい」の方が適切だったかも。訂正します)
というか曖昧と言うよりわざと幅を持たせてるんだろうし、細かい定義を求めると今より厳しくなることはあっても緩くなることは絶対無いから誰も得しないと思うんだが。
個人的には人間の手による曖昧さの方が表現の自由は保たれると思ってるけど、定義をハッキリしろって声が大きくなると最終的には日本も公共性高いところは全部(だいぶ厳しい)機械判定で判断されて締め出されるようになるのかもね。
学会の質疑応答から考える、心理的安全性の確保|Yuta Sawa|note(旧題:物理学会のパワハラ体質)
内容は、不躾な質問やヤジ、批判が飛んでくる物理学会の体質について、心理的安全性を担保するために対応すべきという批判。
ここで指摘される「心理的安全性」を担保するためには、参加者に対して一定の【気を遣う能力】を要求することが必要になる。しかし、そもそも、この能力は平等ではない
さらにいえば、発達障害により、この能力が生得的に無い人も珍しくなく、特に理系のトップティアになると、イキリ発達障害者としか言いようがない連中がゴロゴロいる。
最近は、「心理的安全性」や「ポリティカル・コレクトネス」のように、インテリ・リベラルの価値観を前提とした、【気を遣う能力】が求められるシーンが増大しており、それに馴染めない人たちが、質の低い労働に従事せざるを得なくなったり、地位を追われるような事態に陥っている。LinusやRMSのような押しも押されぬ大御所ですら、その地位を追われかけた。高木博光がTwitterで容赦のない批判を繰り広げているのも、いつまでできるか分からない。フォン・ノイマンが生きていれば、学会から追放されていたことだろう。
そして、こうやって【気を遣う能力】が求められるようになれば、それ以外では大した能力は無くても、SDGsだのなんだのとペラいことを言って金を集めるソーシャルアクティビストだの起業家だの、クソの役にも立たない連中が重要な地位を占めていくことになる。
都立高の男女別定員、廃止目指す方向 合格ライン性差の是正目的で | 毎日新聞
都立高校の男女別の定員枠により、底辺~中堅上位校にかけて、女子の方が合格点が高くなる傾向にあることが差別だと取りざたされている。しかし、この「合格点」には、内申点や面接が含まれており、実質的に、学力では無く、感じの良さや【気を遣う能力】が高い女子が有利になっているということを考慮する必要がある。
もし、学力以外の選考を入試で用いるならば、男性が優位になる体力テストなどを平等に課すことも妥当になるだろうが、それは差別と言われること間違いなしである。その意味では、いわばこの【気を遣う能力】のようなものが、別の差別を生み出しているとは考えられないだろうか。
男性が中心となる集団は、ときにボーイズクラブと批判されることがある。しかし、ボーイズクラブは問題ある部分もあるものの、イキリ発達障害者を排除せず、他人の自由を尊重するといった美徳もある。
しかし、今の、インテリ・リベラルによる社会批判は、「心理的安全性」の名目で気を遣うことができないイキリ発達障害者を排除し、あるいは「ポリティカル・コレクトネス」の名目で人の自由を制約しようとする。そして、そのことを「価値観のアップデート」といって、問題点を無かったことにしてしまっている。
言語化する能力のあるインテリ・リベラルは、このような問題を無視する。自分たちのアイデアを妨害することになるから当然だ。そして、その結果生まれるのは、社会の分断である。
その場面の映像を見ればわかること考えればわかることを、
主人公の男の子の心の声でベラベラとひたすら説明してるのなんなの??
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647
この記事にも「息が苦しい」の場面のこと書かれてるけど…
息が苦しい、肺が痛い。前に進め、もっと足を動かせ。→見て想像したらわかる
雪で助かった。→見たらわかる
禰豆子、穴を掘ったのか。妹がネズミみたいになってしまった。→見たらわかる
そしてすごく顔をしかめている!→見たらわかる
首がもげてるのに動いた。→見たらわかる
なるほど仕掛けがあるのか→見たらわかる
俺はダメなのか、くじそけそうだ。→見たらわかる
手を切っても少ししたらまた生える→見たらわかる
外した!逃げるのが速い!→見たらわかる
苦しい、早く上がらないと→見たらわかる
寝てる、血も止まってる→見たらわかる
これが都会か、夜なのに明るい→見たらわかる
このマンガが少年少女向けだとしても、説明しすぎじゃないかなああ。
むしろ少年少女向けだからこそ、行間のある作品を見て想像力を育てるべきなんじゃないの。
戦後おじさん、遅れて来た青年おじさんだからそう思うだけなのかなああ。
話によると作者さんのつくったネームが主人公が寡黙でストーリーがわかりにくいっていう理由で
そのときに主人公は寡黙なまま、心の声がやたら饒舌になったのかもしれない。
「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」って言ってるけど、
みんながこういう説明過多の演出を許容してるってことだものな。
1話見ただけで不要な説明多すぎて脳がオーバーフロー起こした。
すぐ見るのを止めたしまったくストーリー知らないからこれはネタバレじゃないけど、
ラスボスってひょっとしてお父さん?
金銭的なコストもそうだし、精神的なコストにおいてもかなり高いものを必要とされるので、今のフレキシブルな時代に明らかに不向きだなって思った。
乱暴な言い方をするとライフスタイルの多様化に家族というユニットが全く適応できてない。
価値観も流行もそれはそれは目まぐるしく変わっていく中で、家族というユニットはタイムカプセル見たく時間を止めないといけなくなる。
例えば昔見たく趣味といえばいくつかの選択肢しかないような時代だったら、ワンチャン家族内でみんなの趣味が揃うってことはあると思う。
でも、今の時代はあまりにも趣味が多様化しすぎて、例えば親の趣味を押し付けるとかもはや虐待レベルなんだよね。
だって、学校で友達が当たり前にゲームやってるのに、親の判断でゲーム禁止で野球だけしかやらせないなんていったらすでに虐待でしょ。
親子もそうだけど、夫婦もそうで、最初は意気投合したかもしれないけど、10年もすればお互い趣味が変わってて当然で、それなのに同じ趣味じゃないと不仲みたいな空気があるのは本当に不健全。(どちらかというと、同じ趣味だと幸せという同調圧力みたいなもの)
これも情報量の話だけど、昔は出会い(恋愛的なものを含まず)そのものが今と比べれば全然少なくて、それってイコール価値観が刺激される回数も少なかってことで、人の好みとかが変わる確率も今と比べれば全然低かった。
ところが、SNSがこれだけ流行った今、少し情報を追いかけただけで人生観ががらりと変わってしまうことだってありえなくないわけじゃない。
それなのに、生涯添い遂げるが美徳というのは、すでに足かせだし重荷でしかないよね。
浮気の肯定ではなくて、価値観が変わってしまったことに目を背けて、美徳に縛られていることは不幸以外の何物でもないよって話。
今はまだ美徳って言われるかもしれないけど、あと20年もしたら生涯添い遂げたカップルが幸せそうにしている姿を見て、可哀想って言われる時代になるんじゃないかな。割と真面目な話。
子供なんかも、いつまでも親の古い情報や価値観に縛られているより、中学卒業と同時に親元離れて独り立ちしたほうがその後の時代に取り残されなくてよいと思うんだよ。
ぶっちゃけ、最近の少子化対策って、家族というユニット単位で支援しようとしてるけど、はっきり言って時代錯誤もよいところで、本当は、早い段階で子供が自立できる方向で支援すべきだよね。
結婚のネックって、離婚がリスクになってることで家族の自由を奪う結果になってる点に集約されると思うんだよ。
それよりも、例えば中学生まで集中的に子育てしたら、子供の自立支援が手厚くて、夫婦はその後の人生を個別に好きに選ぶことができるって言われたら、どう?結婚してもいいかなって思えない?
離婚したら子供が不幸って言われるより、両親の幸せを考えたら子育てが終わったら離婚は自由って言われたほうが良くない?
その結果、生涯添い遂げたというならそこで始めて美徳があるわけで、離婚が悪っていう呪いのまま生涯我慢したからってそれは別に美しくもなんともない、不幸な話だよ。
本当に少子化対策したいなら、家族というユニットを維持するためのコスト負担を下げて、短期集中で切り抜けられるような仕組みづくりが必要です。
結局、今の結婚の制度って、過去に自由恋愛が禁止されていた時代から自由恋愛による結婚が許されたときに作られたシステムでしかないんだよね。
自由恋愛が当たり前になって、むしろそのほうが結婚率を下げてる結果になっている以上、次に必要なのは子孫繁栄だけを目的にした結婚システムだよ。
嫌だと感じてしまった相手と無理やりセックスレスを解消するより、子育てが終わればパートナーチェンジが許容される世の中のほうが絶対に幸せ。
少なくとも俺はもう限界。抱かれようともしない妻を子供が自立したあとも養おうとは思えないし、それで離婚したら子供が不幸だと言われて、不倫でもしようものなら世間から冷たい目で見られるのは、少なからずおかしい。
ステラーカイギュウをご存知だろうか。ステラーカイギュウ(以下ステ牛)は、絶滅動物の一種だ。
一説によると、「優しすぎて絶滅した」と言われている。ステ牛には傷ついた仲間を助けにいく習性があり、人間に捕まって傷ついた仲間がいると、近くに敵がいようとも助けに行ってしまう。そのため、1匹ボコしておけばまさに入れ食い状態で捕獲でき、絶滅してしまったというわけだ。
最近、女子高生拉致殺人事件があった。非常に痛ましい事件である。
(被害者様のご冥福を深く祈念すると共に,ご家族並びに関係者様におかれましてはどうか御自愛いただけますように。)
その事件において、Twitterでは加害者が「オタク」であることを印象付ける記事が出回った。「バ美肉」(=バーチャル美少女受肉、インターネット上で美少女の2D・3Dイメージに声をあて活動すること。美少女、美女、美青年などイラストによって「美」に当てはまる言葉は変わる。)や「アニメ好き」というワードが並ぶ記事タイトルを見て、数年前の「オタク迫害」の雰囲気を思い出した人もいたのではないだろうか。
Twitterにおいて度々話題になる「オタク迫害」は確かに存在した、と私は考えている。オタクは犯罪者予備軍のように扱われてきた。そのイメージを払拭したのは先人オタク達の努力の結晶であり、先人一般人たちの歩み寄りの結果である。その歴史を繰り返さないために、現代のオタクたちは日々「オタク」という言葉に過敏に反応し、マイナスイメージがつくことを防ぐ努力をしている。良い話だ。
ステ牛も、それ単体で見れば“良い話“なのである。自分の身を挺して傷ついた仲間を助けに行く……アニメだったらクライマックスだ。間違いなく涙腺が溶ける。しかし、現実は非常だ。傷ついた仲間のステ牛を助けに行った先には、武器を持ってニヤニヤ立っている人間がいるし、「オタク」という言葉のイメージを守らねば!と思い記事を見に行った先には、記事の閲覧数をニヤニヤ眺める執筆者がいるのだ。誠にクソッタレで、よくできた仕組みである。
強く、筋が通った気持ちは美徳だ。何かを守らねばとする姿勢は尊重されるべきである。しかし、世の中にはその気持ちを食い物にする仕組みも存在する。その仕組みがある場所には「オタクは犯罪者だ」と書かれているとは限らない。「オタクは礼儀正しい」と書かれていることもある。誰だって褒められるのは嬉しい。だからこそ、つい期待して足を運んでしまう。だが、そこで待っているのはニヤニヤ眺める“釣り人“である。その釣り人は言うかもしれない、『ようこそ、バーボンハウスへ。』と。
仲間を助けに行ったステ牛はボコられて死んだ。では、私たちは?
インターネットでは、全てを疑うべきだ。全てのニュース記事には書き手の意思があり、全てのニュース番組にも作り手の意思がある。伝えたいものに無意識のうちに誘導されているのだ。一旦感情を落ち着けて、見たものを疑い背景を想像することこそが、身を守る堅実な手段だと言える。
そして、この増田を書いている私にも意思がある。ひょっとすると私は、「インターネットは信じてはいけないものだ」と読者の無意識に刷り込みたいマスコミ関係の者かもしれない。はたまた、夏休みで暇している大学生かもしれないし、明日が久々の休みという社会人20年目かもしれない。ステラーカイギュウかもしれない。
猫がよくバズってる。自分でもなぜかはっきりわからないが、それを見かければ見かけるほど嫌な気持ちになる。
{最初のしつけは要るだろうが)文句は言わないし、散歩に行く必要もなければ、自分でごはんを食べるし排泄もする。
自分(飼い主)がいないと生きていけない猫。
人間の子どもだったら生まれて数年は世話しまくる必要があり、自分とは別の存在として尊重し、依存なんてもってのほか。
そういうタブーを堂々と見せつけてくるのに違和感を感じるのだろうか。
飼い主が「ママ」を自称してたり、「うちの子」なんて呼んでたりもするので、大変な人間の子育ての代替として猫を飼ってるんじゃないかと思うこともある。
この前テレビで「日本人は苦労や努力を美徳とする」と言ってた。楽するのが許せないのだろうか。
猫に大金をかけるなら人間の子を助けてやれよとも思う。(まともに飼ったら200万とかかかるらしい)
猫に罪はない。飼い主が嫌い。猫を持ち上げる猫好きも同類。