・ おごる・お膳立てをする側はできるだけ全力で大サービスするのが好意による熱意・太っ腹として美徳
・ おごられる・お膳立てをされる側はささやかなことでも満足して喜ぶのが謙虚・感謝の心・愛を感じる心として美徳
→「◯◯どころかもっと手頃な食事でもあなたと一緒なら幸せ!」
両者が美徳を追い求めると意見が合わなくなるところがポイントね こういうのは匿名の論争に向いてない
これは賢者の贈り物の昔からある世界各地で普遍的な真理なのに◯◯にサイゼをはめ込んだだけで興奮したブクマカがわらわら沸いてるの本当に草
この問題が燃える原因は褒め言葉と軽視・侮辱が表裏一体になるところ
「この人は手頃な食事を提供すれば満足します」が「この人は私の愛に一心に応えてくれる謙虚な人です」と「私は好意も熱意もなく接していますがこの馬鹿は騙されて満足しています」の両方を意味しうるし、実際両者は危ういほど近い位置にある