はてなキーワード: 新築とは
みんな聞き飽きた話かもしれないけど、吐き出す場所がないからここに書かせてほしい。
万が一出てしまったら、相手が何か言ってる最中でも扉を閉めろ。
アンケートみたいなのを始めたら扉を閉めろ。
年収を聞かれた時点で怪しいと思え。
もし次回のアポを取られてもすっぽかせ。気に病むな。
話だけ聞いてみる、はやめておいたほうがいい。
アポを取られるような人は、そのまま契約まで進んでしまう。話を聞くな。
誰にも相談するな、と言われるかもしれない。
人に相談するのが苦手、否定されるのが怖い人もいるかもしれない。
自分で調べろ。
不動産投資、新築、ワンルーム、サブリース、この辺りのワードで検索すれば、どうするべきか判断できるだろう。
クーリングオフ期間を過ぎてしまったら、弁護士に相談するか見積もりを取って即売却しろ。
貯金が無ければ、借金してでも売却したほうがいい。まだ傷は浅い。
売却の手続きの中で、購入元の企業から考え直すように話をされることがあるかもしれない。
自身は逃避をしていて、結局完全に売却するまで5年がかかった。
愚痴らせてほしい。昨年の春、向かいの新築戸建てに家族が引っ越してきた。
そこは元々100坪ほどの土地だったのだが、3分割にして分譲されている。
販売が終わり戸建てが建築され始めても、新住民は一向に挨拶に来ることはなかった。
ニュータウンやマンションならいざ知らず、古くからある住宅街に家建てて挨拶に来ないことなどあるのだろうか。
戸建てが完成するまで建築業者の車が頻繁に出入りして危ないし、それなりに騒音もある。
さすがに不安になって、新住民が引っ越してきた直後に、お隣さんが挨拶に行った。
しばらくして、新住民の女がうちをずっと見ていることに気がついた。
正直気持ちが悪かったけど、色んな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。
でもある時、敵意の原因が分かった。
自分の部屋は2階だったので、恥ずかしながらたまに2階から用を足していた。
我が家の敷地の範囲内だったし、まさか見られていると思っていなかった。
女はすごい剣幕でうちの親にクレームを言いに来た。
それでも気が済まなかったのか、精神異常者扱いで近所の人に言いふらされた。
ガレージ程度の広さの庭なので道路で遊ぶしかないのだろうが、車が1台通れる程度の道路なのに、奇声を発したり塀にボールをぶつけたりとやりたい放題。
目の前に分譲住宅ができたことで、静かな生活が一変してしまった。
どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。
ほかにも非常識な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。
8月だった。日曜日。新住民の庭に大勢の大人が集まってバーベキューをしていた。
煙が流れてくるし酔っぱらってうるさいしで頭に血が上り、ついに「おい、お前ら!!」と言ってしまった。
そうしたら、新住民の男が言い返してきた。
「なんですか、あなた?」
「あの家に住んでます。バーベキューくさいんでやめてくれますか?」
「あの家の二階に住んでます。やめてください」
「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」
「ほな警察よぼか!!」
もう辛いので、これくらいにさせてほしい。
態度が悪くバーベキューもやめようとしないので、仕方なく警察を呼んだ。
どうやら、最近は近所の人に自分や親の仕事などを聞きまわっているらしい。
具体的な日付はあまり覚えていないが道路族が去年の春ぐらいに引っ越してきた。
自分は長年ずっと京都の北の方に住んでいる。そんな中、一昨年ぐらいから空き地に新築住宅が建てられはじめていて音がうるさく嫌な予感がしていた。また、工事で騒音が出るのは当然なのにもかかわらず、事前に挨拶にも来ないので本当に嫌な予感しかなかった。核家族世帯にありがちだが、地域に住むということがどういうことかわかっておらず、都市部のように当たり前のようにサービスを受ける側だと思っていることが多いのだ。近所の住民とも少し話したが、どんな人が引っ越してくるのか不安でしょうがなかった。家の外観を見たところ、まあ若い世代が引っ越してくるのだろうと思った。とにかく不安だった。
そのうち家族が新しく引っ越してきた。見るからにヤンキーっぽい出で立ちであり、異質な感じを受けた。周りの住民たちは、どんな人間なのかを確認するために先手を打って若い家族に媚びを売っているようだった。自分はああいうのは好きになれない。まあ放っておけばそのうち挨拶に来るだろうと思っていた。
しかし、しばらく待っても挨拶に来ない。それどころか、毎日のように狭い庭ではしゃいでいる子どもと親を見かけるようになった。自分は昔から窓をあけてボーッと景色を見て考え事をするのが好きだったのでそれをぶち壊された気分だった。最初は新居で浮かれているのだろうと思っていたが、ずっと騒いでいるので、きっと周りの迷惑を考えられない人間なのだろうと憂鬱になった。
それにボーッと景色を見ているだけなのに、その余所者はジーッとこちらを軽蔑したような顔で見てきて、ヤバい奴らだなと思った。特に女の方は典型的なヒステリーを持ったようなやつで、自分の一番嫌いなタイプだ。自分は母親がそういうタイプだったのでよくわかる。「私こそが正義なり。私の思い通りにならない人間は悪である」と断罪するようなやつだ。観察していたところ専業主婦のようだ。
子どもと外で遊ぶのは良いことだが、それにしてもうるさい。平日の夕方や土日の終日で、ボールの突き跳ねや「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だの、およそ住宅地とは思えない騒ぎ方で騒いでいるのでいい加減こちらもノイローゼになってくる。心の休まるときがない。自分は学校に勤めているので、ちょうど自分の休みの時間帯と騒いでいる時間帯がよく被るのだ。家に帰ると絶えずうるさいというのは本当に困る。周りの住民もそれとなく「お子さん、元気でよろしいですね」などと遠回しに注意しているようだが、全然理解できていない様子だ。周りも迷惑しているのだが許容範囲らしい。あれを許容できるというのはよくわからないが、自分が神経質だとは特に思わない。
それで、これは良くないことだとは思うが、あるときもう我慢がならなくて2階から外に向けて小便をした。完全に不審者だ。しかしいろいろ調べたが、まあこちらのことをキチガイだと思ってくれれば怖くなってやむだろうと思ったわけだ。さすがに「うるさすぎたから嫌がらせしてきたのだろう」と考えるぐらいの脳はあるはずだと考えたわけだ。自分としては、もしそういうやつが横に住んでいたら相当嫌なので、まあこれで騒ぐこともなくなるだろうと思った。
しかし、なくなったのは最初だけで、しばらくするとまた「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だのが始まった。信じられなかった。気のせいかどうかわからないが、声量も大きくなった気がした。徹底的にうるさい。なんで自分は前から住んでいただけなのにこんな目に遭わなければいけないんだと苦痛だった。こう言ってはなんだが、隣人は精神障害者に違いない。相手の気持ちを推し量るということが不可能なのだろう。自分が姫であることは当然で、周りは姫である自分を輝かせてくれるための家畜にすぎないと、そう感じているのだと思った。その後も何度か同じようなやり取りが続いたが、一向に収まる気はなかった。
また、うるさいだけではない。夏になったら友人を呼んでバーベキューをし始めた。もう勘弁してほしい。バーベキューを住宅地でしないでほしい。常識的におかしい。臭いも騒ぎも酷く、精神がどうにかなりそうだった。我慢の限界だったので、注意しにいくことにした。だいたい会話はこんな感じだ。覚えてる限りでは、
「あの、すみません……」
「は? 何お前?」
「あの家に住んでる者です。バーベキューなんですがすごく臭うのでやめてもらえませんか?」
「別に臭わなくね? ねー、臭うかなー?? 別に届かないでしょ。何? クレーム?」
「いや、あの家の二階に住んでるから届くんですよ。やめてほしいです」
「いやいや! どう見ても離れてるっしょー! 臭くないでしょ」
こういう流れで自分が警察を呼んだ。警察を呼んでも何か変わるわけではないが……。民事不介入の原則というのがあるのだが、少なくともああいう輩は権力には弱いから効くだろう。
このトラブルに似たことが何度も何度もあった。あるときには、その隣人が親父に突撃していた。小便については親父にたしなめられたが、まあそれは自分でもイカれていると思うからわかっている。親父は「世の中にはああいう猿みたいなのもいるんだ」とある種の諦念を持っていて、自分がどうにか自助努力で回避しようとすることによく思っていない様子だ。会社でも愚痴って鬱憤を晴らしているが、どうにもこうにもいかない。
こういうのってどうやったら解決できるのか、本当に助けてほしい。
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(なお、この話は https://anond.hatelabo.jp/20230504110406 に基づいた創作であり、内容はフィクションです)
昨年の春から、京都の北のエリアに分譲地を買って、家族で住み始めている。
結婚して数年。子どもが大きくなってきて、アパートでは手狭になってきたし、旦那と私の給料も少し上がっていて、そろそろ時期なのではと思っていた。
シミュレーションでは将来が厳しい可能性もあったけど、思い切ってモデルハウス見学会に参加して、分譲予定の土地を見て、空気がおいしそうなところだったので買うことにした。
今では後悔している。
もっと別のエリアにすればよかったと思うし、情報集めが不完全だったとも感じてる。周辺に公共施設があるとか、道路網の充実とか、ショッピングよりも大事なことがあった。わかってなかった。
近所にどんな人が住んでいるか。異常な人間が住んでいることを把握していればよかった。不動産会社に苦情を言ったけど、「重要事項説明書に書くことでもないですし、もし書いたら人権侵害になりますから」とのこと。大手だと思ったから信用してたけど、そんな甘いものでもないよね…。
愚痴らせてほしい。おととしの秋だった。思えばラストチャンスだったかもしれない。新家の建築中のこと。不動産会社から連絡があった。「大工さんから情報提供がありまして。夜に、建築中の宅内で翌日の作業準備をしていたところ、ドアがいきなり開いて男が入ってきました」とのこと。男は大工さんと鉢合わせると逃げていったらしい。
まだドアを据え付けたばかりで、電気が通っておらず防犯機能がオフになっていた。警察に言っても捜査は進まない。一応家主には連絡すべきということで、不動産会社が連絡してきた。
旦那には当然報告した。不安そうにはしてたけど、「もう契約したから。不吉だけどこういうこともあるよ」と他人事のような反応だった。ちなみに、ほかのお家は大工さんがすでに引き上げており、鍵がかかっていて無事だったらしい。
今の話をしたい。
結論をいうと、おそらく建築中の家に入ってきた男に苦しめられている。去年の春に越してきてすぐ、近隣の家の人が挨拶にきてくれた。京都市の人って冷たいイメ―ジがあったけど、向こうから来てくれて、親切に暮らしの案内をしてくれた。見知らぬ土地だったので正直ありがたかった。
でも、その折、新しくできた新築家屋をずっと見つめてくる男に気が付いていた。向かいに住んでいる和風の家に住んでいる男だった。道路を挟んで男の家の敷地から見詰めてくる。おそらくだけど仕事はしてる。朝の時間に茶色いツナギ?ていうのあれ……で出かけていくところを見たことがある。
正直気持ちが悪かったけど、いろんな地域にいろんな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。
日曜日に子どもを庭で遊ばせている時だった。向かいの家の二階の窓が開いた。すると、その男がひょっこり身を乗り出した。その男は、ちょっと周りを見渡すと、二階の窓からそのまま……おしっこを始めた。ごく普通に始めた。最初、なにが起きているのかわからなかった。
とにかく、明らかにそれだった。言葉にもしたくない。うちの子どもがそれに目をやっていて、私の方を見て「あれ」と言い始めるところで、手を引っ張って家の中に入った。
なにが起きているのかわからなかった。もう嫌だった。「選択を間違えた」とその時感じた。私は間違えたんだ。なんでもっと、新居を慎重に選ばなかったんだろう。
ほかにも異常な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。
8月だった。日曜日。夫の同僚が集まって庭先でバーベキューをしていた。私も参加させてもらって、賑やかな雰囲気で楽しんでいた。
あれのことが頭をよぎって、向かいの家の二階を見ることが何度かあった。でも、その気配はなかった。あの男が二階から小便をするところは、この時点で3回は観ている。
もし、あれが出てきたらどうしよう。みんなに観られたらどうしようと不安になっていた。
時間が経って何事もなく、安心した気分でバーベキューを楽しんでいたけど突然だった。「おい、お前ら!!」という声が後ろから聞こえた。
あの男だった。道路を超えてうちの敷地内に入ってきたところで旦那が静止した。覚えてる限りでは、
「なんですか、あなた?」
「あの家に住んでます。バーベキューくさいんでやめてくれる?」
「あの家の二階に住んでます。やめてください」
「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」
「ほな警察よぼか!!」
もう辛いので、これくらいにさせてほしい。
その後、本当に警察が来た。あいつが家に引っ込んだ後で通報したみたい。
お巡りさんは、「ご近所トラブルは基本的に関わらないが~うまくやらないと刑事事件に発展して~」みたいなやり取りを旦那としていた。
それからも嫌な事が続いた。何度も。何度も。何度も。
あの男がいる、向かいの和風の家の世帯主との話だったら、とっくにしてる。まったく効果がなかった。漫画で見るような嫌な京都人の象徴みたいなキャラのおじさんだったよ。あの男があと30年経ったら、ああなるんだって感じがした。
どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。
しかも、あいつ以外にも変な人が近所にいる。路線バスの中で自分が車掌になったみたいに振る舞う人とか、信号が変わって横断歩道を渡る時に、ちょっとでもフライングすると大声で怒鳴る人とか……。
アドバイスがほしいとは言わない。私達の問題だから。自分で解決しないといけないんだと思う。
同じ分譲地を買った人も、あいつの言動には腹を据えかねている。今度は行政に相談をしてみる。いや、その前に町内会長さんかもしれない。近所の人に相談したら「間を繋いであげる」って言ってた。
近所のお爺さんが言うには、あの男は高校の用務員をしているらしいとも聞いた。あの親も元公務員で。だとしたら、職場を突き止めて役所に苦情を伝える手もあるのかもしれない。
情報提供しても意味は薄いと思うけど、京都市の北の方の、佛教大学と立命館大学の間くらいの地域になる。地図を見ながら書いてるわけじゃないので、体感の部分はあるけど。同じ失敗を繰り返す人をゼロにしたい。
先達として注意を呼びかけて終わりにする。立地よりも大事なのは、近所にどんな人が住んでいるかだ。今回の失敗を肝に銘じたい。とはいえ、次回がきてもやり切れる自信がない……。
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少しずつ読ませていただいてます。
ポカミスで時系列が変になっていて直しました。住みはじめたのが去年の春先です。
本当読みにくくなってごめんなさい。
ヤフコメでよくあるんだけど、高級車、タワマンとかの所有者の記事に対して条件反射的に
「本当の金持ちは買わない」
「こんなの無駄、車なんて軽で十分」
「買う奴は見栄っ張りで自己顕示欲の塊で惨め」
とか何十件もコメントついて、かなり賛同されてるけど、こういう思考回路持つ奴ってどんな人生送ってきたんだろう。
本当の金持ちは質素? 資産10億以上の中で質素な生活しているのは何割いて、その人達が本当の金持ちであるという具体的な根拠、基準は?
こんなの無駄、車なんて軽で十分? 一度も体験した事のないタワマン生活、一度も運転した事のない高級車の感想がわかるって、あなたエスパーですか?そもそも逆立ちしても買えない上に、現状への不満とコンプで一杯の奴な意見が、中立な意見とは思えないしさ
だいたいヤフコメ民はタワマンは地震の心配があるって毎回言うけど、今後1年以内に車の事故にあう確率のほうが何千倍も高いのに、なんで軽に乗ってるんだよ。
上から目線で他人に対して地震のリスクを指摘するくせに、10年で半額になる埼玉の新築3000万の建売を35年ローンなんとか買って、
事故ったら人間もろともスクラップの軽で高速走り、週末は金持ちを批判して「物事をよくわかっている僕は凄い」と自画自賛か、ギャグとしても全く笑えないよ
自分の結婚直前、お互い好きだったという確認だけはできたが、不倫や不貞行為に至ることなくお互い違う人と結婚した。
お互い会社を退職して居住地が離れてからも今に至るまで交流があって、うっすらした恋心と下心を抱きつつ、さりとて健全に、年に数回の頻度で飲んだりランチしたり散歩したりコロナ禍ではZoomお茶会などをしていた。
自分の性欲の減衰とともに好きな気持ちも薄れてきて、恋心の正体ってやっぱり性欲なんだな……と思いながら、次に会う予定についてのLINEのやり取りをしていると、数か月後子供が生まれるという旨のLINEを貰った。
取り乱したり泣いたりするかなと思ったけど特にそういうこともなく、当たり障りのない祝福メッセージを送って、何かから卒業したような気分になった。
先日半年ぶりくらいに会って、散歩してランチして、昔の出産関連の本が面白いだとか、新築の家の話とか引っ越しの話とか、とりとめのない話を3時間くらいして解散した。出産祝いというわけではないけどいつもよりちょっといいお土産を渡したら向こうも普段より少しだけよいお土産をくれた。もしかしたら、あの日が今生の別れかもしれない。私たち夫婦は子宝に恵まれなかったので、うらやましく、ねたましい。まあでも、とにかくおめでとう。
父の四十九日法要で、母から文庫本サイズぐらいの遺影(なんか物凄くちゃんとしたフォトフレーム入り)を渡された
こ、こ、こ、困る〜〜〜めっちゃ困る〜〜〜〜
いや父のことは好きだったし亡くなって寂しい気持ちは勿論あるけど、ほかのきょうだいと違って未だ独身のクソ狭アパートに置く場所ないよ〜〜〜
そもそも暮らしの中で「写真を飾る」習慣がないんだよ〜〜〜ポスターすら貼らないんだよ〜〜〜
あとついでに言えば遺影の写真、肌とか画像加工強くて、なんというか「父に似た演歌歌手のアー写」みたいで違和感あるんだよな…あの父が毎日目に入るのもキツい
たぶん言い出したのは妹だろうな…情に厚くて子持ちで新築一戸建てのそこらに家族写真とか飾ってるもんな…母は良かれと思ってきょうだい3人分の用意をしてくれただけなんだ…おそらく葬儀社に有料で頼んで…
家族のLINEグループには、すでに妹と兄が「じいじの遺影に手を合わせる甥姪」の写真を送ってきている
いわゆる「何をしているかよくわからない親戚」であるところのわたくしは、包みから出してすらいない父に内心侘びながらちいかわのスタンプをただ送るのみなのであった
はてなーとか増田の言ってることは微妙なことが多いので本当に考慮すべきことを書いておく
「流石にここにアースはいらんだろう」と思っても将来的にどうなるか分からないのでアース付きにすべき
洗面所に小型の冷蔵庫が欲しくなって買ったんだけどアースが無くて困ったり、海外製の電化製品買ってアース付いてて困ったり、何かと困ることになる
あと、コンセントの数も多めにした方がいい
たdさ、テーブルなんかを作った場合、テーブルの上なのか下なのかはしっかり確認する
平面図だと分かりにくいので見落としがち
玄関・トイレ・廊下あたりは人感センサー付きの自動点灯スイッチにすべき
電気を付ける時よりも消す時のために付けた方がいい
籠もってる時に勝手に消えて手を振って付ける、みたいなことがたまにあるけど、まぁそんな苦痛ではない
例えばトイレだったら扉を開けたら人感して点灯できるような場所に付ける
うちは何も考えずに設置したから何カ所か微妙なことになってしまってる
(トイレに入る時に手を振って入る、みたいな)
ただ、全ての部屋を電球色、もしくは調色にする
昼光色が混ざると電球色の部屋が見えにくくなる
そもそも昼光色ってスペクトル的には青がめちゃくちゃキツいけどずっとそこに居ると慣れるから
人間の目はよくできてるな、と思う
そしてできる限り調光にする
明るさは強すぎても弱すぎてもダメ
強すぎる場合は夜になると外から丸見えになったりガラスに全部反射したりして微妙な感じになる
弱すぎると当然見えにくい
事前にどのぐらいの光量でいいのかはシミュレーションしても全く分からない(窓の大きさとかにもよる)ので
外構にはこだわる
タイルや洗い出しコンクリートとかが高いからといってケチると大金を出してるのに安っぽい家になる
カタログだと1枚しか無かったりするが複数枚貼ると全然印象が変わる
取り返しが付かないので慎重に検討する
植栽も同じで「世話が面倒」「落ち葉が嫌」とか思っててもそれなりに植える
植栽が少ない家はマジで貧相に見える
逆に植栽があるだけでやたら豪華に見える
後は掃き出し窓とかの側に落葉樹を植えれば夏場は日除けになるが冬場は日を入れてくれる
世話なんてほとんど必要ないし、落ち葉は隣からも飛んでくるのでどの道掃除はしないとダメ
ただ、桜はやめといた方がいいかな、とは思う
できれば2台分欲しい
後から安いカーポート付けると、せっかくの新築がクッソダサくなるので
・6階建て以上はタワマン呼ばわり
・運送会社が宅配ボックスのカギをかけずにそのまま荷物ブッ込む
・でも盗まれない
・夜は全人類が滅んだのかと思うほど静か
・最寄りの駅が「徒歩120分」
・最寄りのバス停が「徒歩60分」
・物価はさほど安くない
・自転車一台も走ってない
等々…
田舎って、すごい。
こういうの見ると辛い。文体が違うから元増田じゃ無いと思うけどな
東京きて日本にもエスタブリッシュメントが存在しているんだなを実感したいなら
松濤とか行くといいと思うよ
エリートリーマンがFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし
■面積約235.75坪の広大な土地
2沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地
そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、
エリートリーマンや高級官僚や勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね
あと、高給住宅と地方民に認識がない住宅エリア、武家エリアや文京区の高台や渋谷区や目黒区や中央区のあたりには、
開業医でも厳しめの家建ってるぞ
↓
いや本当に、年収数千万でまったく無理だよね。その手の高級住宅地も高級ホテルも。
庶民が思いうかぶ「金持ち」のイメージがまさに「エリートリーマンや高級官僚や勤務医やインハウスローヤーや弁護士」だけど、そんなの所詮は「高級な労働者」で、
本当の上流階級ってのは労働から離れたところにいるんだろうね。
↓
いやだから会員制のホテルは会社の福利厚生ほかで泊まれるぞ。一般人でも割と泊まる
起業してれば桁違いの金持ちじゃなくても税金対策で買うこともあるよ
ただ、40億の家はフツーに無理でしょうね。鳥山先生ならイケる?レベルの家がフツーに売られてる日本恐ろしい
ケタひとつ外して永住できる(資産価値が暴落しない)邸宅グレードの家(4億以上)も
まーたいつものように後から付け足してるのでいつもの暇でレスバしたい人みたいだが
別にならんと思うよ。中古住宅でググってご覧。なんなら新築でも良いぞ
目利きで発展が読めない限り将来はほぼ確で売れないし、火事の時や老後が大変だとは思うけど、駅から近い物件あるぞ
(発展する見込みがないor建て替え条件が厳しい=賃貸・転売需要がなさそうと多くの人が見てるので、物件サイトでのんびり眺めてられる期間残っていると読み取るのが普通)
とりあえずペットと共生はできるし、物理的に許せば自分が好きなようにカスタムできるよね
逆にマンションは億の予算がなきゃなんで買ったのか?物件になるぞ
都内でも価値ある土地なんて都心部とターミナル駅・始発駅の徒歩7分圏だけだが
築20年くらい過ぎればターミナル駅・始発駅の10分以内の物件買えると思うけど、
それあと何年住むつもりなんです?
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。