はてなキーワード: 感情移入とは
ツイッター広告で出てきて3巻まで無料だったから読んだ。絵がきれいで面白そうだったから。
したらめちゃくちゃ続きが気になって危うく課金しそうになったけど思い留まってツタヤで借りてきた。
ネタバレになっちゃうから内容については詳しく書けないけど、読後「日本の漫画文化ってなんて深くて広いんだ」と思わされた。超感動。お金をかけずに一人でこんな物語を生み出せる漫画ってすげーわ。小説もそうだけども。アシスタントとかいるんだろうけども。
最終巻のAmazonのレビュー見てみたらやっぱり高評価だし、高評価じゃないにしてもそんな風に思う人がいるのも分かるなーという内容で面白い。
高評価の人のレビューも内容がしっかりしているものが多くて読み応えがある。
3人のメインキャラのうちの1人が女装男子なんだけど、彼に感情移入した女装男子のレビューはもはや感動的である。
先に「この漫画を真に理解できるのは女性だけではないかと思う」という女性のレビューがあり、それに答える形で「この漫画を真に理解できるのは女装男子だと思う」と綴ってある。(更に続きがあるんだけど)
今日は出張で某地方都市のビジホに泊まってるんだけど、こういうときはいつも大人気なく楽しいなあ
年度末の金曜だけど上手いこと懇親会というなの無料ホステス扱いに借り出されるのを回避して、一人で宿の部屋でお酒飲んでタバコ吸いながらダラダラする、贅沢な時間。
有料のTVカード買って、ゴッテリなメイクやピアスとかそのままに全裸になって、エッチなビデオを大音量で鑑賞するの。地元の住まいでは彼氏がいるし絶対できないけど、こうして一人で酔いに任せてヘラヘラしてるのめっちゃいいな。
女上司とか教師を嗜虐する系を眺めてると女優さんに感情移入しやすくてなかなかにムラムラしてくるけど、本番は帰ってから♪と思うと余計に高まってくる。こういうときバイセクシャルでよかった〜ってなるわ〜
大抵の女優さんよりも部屋の鏡に映る私のほうが美人だし男優さんよりも彼氏のほうが魅力的だから承認欲求も満たされるし、全裸で好き放題なんて一人暮らししてないとなかなか出来ないし、こういうのもたまにはいいよね!と今年一年の自分の頑張りを褒めてます。
以下の記事を受けて。
「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ
https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915
3%のフレンズが愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点がイエイヌの扱いという一面からでしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います。
いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?
最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。
「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。
もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。
なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的な手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本の仕事では?
ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインのイエイヌがアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?
唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。
天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすいきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・?
電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からもそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。
遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突なものを登場させたら、すぐ説明!
センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・?自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・?
かわいい(´ω`)
「口にくわえて持ってくるのは不自然だから・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?
個人的には「カラカルは小学生の道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意に解釈すれば、監督は承知の上のようだけど。
「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。
完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。
大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・?
いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・
イエイヌのセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通のテンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。
侵入してくるんじゃないかと心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。
近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料を視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。
BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?
いや、善意に解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。
イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。
もっと警告らしい音出せ。
一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画がしんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。
あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?
強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルとサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?
さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。
急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしか刺さらない)
イエイヌちゃんのこれからが不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。
冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝の気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからギスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルなケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。
以上です。
【コミュニティの一生】
↓
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
ニコニコ動画はいつからこんな頭の悪い子しかいない残念な空間になってしまったのか。
9話が駄作であることは異論はない。が、あまりに駄作すぎるせいか、たたいてるやつらも雑すぎてレベルが低い批判ばかりがニコニコ動画で人気になっている。ランキングに入ってた動画全部ゴミ。これが今のニコニコの視聴者のレベルなんだな。これってさ、はあちゅうや尊師が明らかにアウトであるのは誰も異論がないところだが、あまりにアウトすぎてたたいてるやつらまで頭が悪くなり、的を外した批判やゲスな人間がめだつため結果として信者と叩く側が同じレベルになってしまって、むしろはあちゅうや尊師は傷つくどこかより肥え太る現象をほうふつとさせる。
9話はイエイヌ視点で考えればやろうとしてることはわからんでもなかった。叩きたいのはわかるがそこすら読み取れてなさそうなバカコメントばかり。むしろニコニコ動画で「イエイヌがかわいそう!」ってコメしてるやつらのほとんどが「自分がかわいそうだと思う」という話ばかりしていて、イエイヌがどういう気持ちだったかを考えようとしていないというのがすごい。お前らブーメラン頭にはえてんぞ。少なくともイエイヌ自身はすべて納得して行動し、「いえにお帰り」もイエイヌが望んでキュルルに言って欲しがった言葉だということを読み取れていない総統閣下シリーズ動画などを賞賛してる人間は、もうアニメ見るのやめろ。見てもいいが目と口をふさいで静かにしてろ。まして「なんで一緒に行こうと声をかけないんだ!」みたいなことを言ってる人は制作スタッフを批判する資格もない。ばかじゃねえの。「やっぱりヒトであればだれでもいいわけではない。自分が本来待っていたヒトとキュルルを混同してはいけない。キュルルとサーバル・カラカルのように、自分と<本来待っていたヒト>との絆を大事にしよう」と決めたイエイヌの気持ちをキュルル以上に踏みにじっている。一体君たちは誰のために怒っているのか、とあきれる。
「けものフレンズ2」叩き以外でこんな解釈や発言をしている人がいたら、「自分が気持ちよく感情移入できる作品じゃなきゃダメっていうのは幼稚すぎる」と言われていたのではないか。ニコニコ動画を見ている人たちは決して若い人たちだけはないはずなのに。とりあえずたたいておけば何言っても褒められるという状況ができると、こういう知能指数3のバカが調子に乗るから嫌なんだよな。
趣味の合う方がいて嬉しいです。
最近ですと、「悲劇の寝取られ山ガール」というシリーズが秀逸です。
カップル同士のセックスはありません。むしろ、まだ付き合い始めたばかりでセックスしてないカップルです。
そんな彼氏の前で彼女が大勢の輩に…という展開はとても興奮しました。
シリーズで何作か出てます。女優さんの好みにもよると思いますが、私は、安部乃みく、関根奈美がよかったです。
「性奴の晩餐 卯水咲流」もよかったです。
目の前で奥さんが犯され中出しされ、陰部から流れ出た精液を旦那が輩たちに無理矢理舐めさせられ掃除させられます。
企画物ですが、「同僚に遊ばれた僕の妻」もよいです。
慰安旅行に夫婦で参加した夜に、奥さんが社長や同僚たちに旦那の目の前で犯されます。
奥さんの吹いた潮が旦那の顔にかかり、旦那は奥さんが犯されているのを見ながら自慰を強要され、犯される奥さんの顔に自分でしごいて射精します。
少し古いシリーズですが、溜池ゴローの「人妻奴隷 夫の目の前で…」もきちんと旦那の目の前でじっくり奥さんを犯してくれます。
ことが始まると旦那は画面に映らない作品が多い中、最後まできちんと旦那もプレイに強制参加されられます。
輩たちの前で旦那と奥さんがセックスさせられます。何作が出ていますが、個人的には、高坂保奈美、白石さゆり、桐原あずさの出演しているのが良かったです。
カップル寝取られではありませんが、「母娘強制懐妊」という作品もちょっと趣向を変えた寝取られ物として興奮しました。
母の前で娘が、娘の前で母が、という展開です。
彼氏や旦那だと、所詮男なので、そのリアクションをあまり丁寧に拾うと「男ばっか映すな」と言われる方もあるでしょう。
その点、この作品は、母娘ともに女優さんなので寝取られ物にある「自分の大切な人が目の前で」という反応を女優さんでじっくりと見ることが出来ます。
母娘どんぶりものはこれまであまり興味がありませんでしたが、寝取られという観点から見ると意外と良いなと思いました。
DMM、今はFANZAになりましたが、気に入ったシチュエーションがあると、監督の名前で検索すると、だいたい同じ監督だったりします。
あぁ、この監督とは同じ性癖なんだなあと…と想うと感慨深いです。
最近は女優さんの名前ではなく、監督の名前で検索することも多いです。
最後になりましたが、私は寝取られものが好きですが、寝取る側ではなく、寝取られる側に感情移入して興奮しています。
AVの中の寝取られる旦那さんを自分に置き換えて、興奮しているのです。
一度でいいから目の前で彼女が他の男とやっているところを見たくて、ハプニングバーに彼女を誘ったことがあるのですが、普通に拒否られました。
別に600億って思うのもそうじゃないのも当然じゃないの
自分もみんなもそうだよってその子が言ったようにそれに疑問を持つのも自由でしょ人それぞれなんだから
ファンでその子の肩を持つなら軽蔑するのも当然だし自由だけど同時にその子が600億って言ったのを自信過剰だとか軽蔑する自由もあるんだよ
自分とそういうものを好む人間との差が恐ろしいって自分や自分の周りの人間が問題がある、酷い事だと感じるのにそれを面白いと好む人間がいるのがって事だと思うけど是非は別としてそんなの笑いも価値観も人それぞれなんだから当たり前だしあなたが酷いと思うのはそうなんだろうけどだからってその相対的な差異を絶対的な倫理観によるものであると疑いもしてない感じはなんか逆に怖いよ
それに未成年への問題提起は理解できるけど成人女性でもセクハラってそれある意味で女性蔑視だって自覚あるのかな
女性はセクシャルで下卑た笑いに興じないって偏見だし女性は嫌なはず女性にはやらせるべきじゃないってそれも女性に対する役割の押し付けみたいなものでしょ
セカンドレイプって発想も気持ちは分かるし実際聞かれて嫌だって思う子もいるだろうけど正直押し付けだと思う
私も含め女性の大半は確かに嫌だと思うだろうけどそういう笑いを好む女性もいる以上問題はコーナーでも番組でもそこに女性が参加する事でもなく意思確認、決定への自由が認められない事にあるんじゃないの
セクハラって言うけどそういうセクシャルなコーナーがあってそれをこなさなきゃいけないなんて事前に理解できてるはずの事で女の子達が嫌な思いをしてるって言うならそれはやっぱりそうする事をどこかで強いた事務所なり何なりの問題でしょ
下卑た笑いが昔ほど支持されなくなって許されなくなってる話とあなたが応援してる女の子達がセクシャルな面を切り売りする場に送り込まれてる事は別の話だよ
実際そのコーナーに同じくらいの年齢でも清純派売りの女優さん出すかって言ったら絶対ないだろうし
結局はそういう売り方を事務所が認めてその女の子がもし嫌だって思ってるのだとしたらそれを強制してる、もしくはその子の嫌悪感より優先させるものがあると判断してって事でしょ
芸能界のセクハラ横行とか言ってるけどセクハラは被害者側が定義するもので周りがどうこう言うのはお門違いだしだからこそ当人達の意思の尊重が前提でそれが出来てないのは番組でもコーナーでもさんまでもなく女の子達側にいるそれを許してる誰かのせいだよ
未成年なら余計にそうでしょ
よく仕事を選ぶって言うけどその女の子達は選ばせて貰えてないんだよ
それを置いて廃止を求めますなんてちょっと色々混乱し過ぎじゃないのって思うけど
それを言うなら嫌だって子にはそういう仕事をさせないで欲しい、だと思う
コーナーやそういう笑いが無くなれば問題は無いんだからって思ったのかもしれないけど言うればヤンタンなんて昔からある番組をそういう女の子達や自分と同じ価値観のリスナーのために変えていけって事だしそれはやっぱり傲慢じゃないのって思うわ
別にそれ言っちゃえばアイドルの子じゃなくても成立するコーナーでしょ
その女の子達じゃなきゃ成立しない上で女の子達が嫌がっててそれを事務所なりに伝えられる環境があるなら番組もその子達の意に沿ってそんなコーナー無くすなり何なりするよ
元々そういう女の子達のための番組っていうなら主旨として廃止って気持ちもわかるけど
キスシーンやベッドシーンがある役を受けたのに本当は嫌だったっていうのと同じだよ
嫌だったって思う事は悪くないしそこに同情したとしてそういうシーンは女の子は嫌な思いをするからみんな無くすべきって言うのはおかしいでしょ
その女の子たちが受けたのはセクハラじゃなくセクシャルさを伴う仕事なんだから
芸人が頭はたかれるのを暴力を受けてるって言うようなもんだし事前に知り得てその場にいるって事の意味を考えるべきだよ
必要なのはその仕事自体への糾弾でなく選択に本人の意思が反映されない事への非難て話だよ
そしてそういう客観的な倫理性を問う事や環境の改善を望むのならあなたのそういう仕事への嫌悪感や女の子達への感情移入を混同させて根拠とすべきではないんだよ
これまでに見たの(見た順)。リアルタイムでなく全部最近みた。
OOO 大黒摩季のOPええな。グリードが何がしたいのかよくわからず悪事が微妙なせいか途中ぐだった気もするが最終回が熱すぎてもう。後藤さんが変身する回も好き。グリードが勢ぞろいしてアンクがとんできてセンターになる場面好き
鎧武 悪は悪だけど実はもっと大きな善のためにやってるっていうの、子供の時に見たら結構そっちに感情移入しそうな気もするな。城乃内が成長するところとミッチーがあれになるけど最後にはあれされるのもよい。カイトさんとの決戦のところ好き。おにぎりで変身しようとするの好き
電王 イマジンたちの掛け合いが楽しすぎて永遠に見てられる感じがあった。時間が絡むストーリーはよくわからないところが結構あるが最終回のあれが良すぎて良いんだな。ツンツンのゆうとがかわいいし設定がせつない過ぎて好感度しかなかった。
W OPかっこよすぎるやろ。フィリップが割と前線にきて戦うのが良い。一つ一つのエピソードがすごくよくできててすごい。コンビに何かが起こってどうにかなって最終的にやっぱりこれだぜってなって熱くなる回は全般的に最高だ。
アマゾンズ シーズン1は音楽と演出が異常にかっこよくて好き。2期はグロさが増したのと主人公の思考がほとんどJKしかない感じが微妙に思った。映画はまだ見てないん。
今のところWが一番面白かった。次のおsっすすめ教えて。
虐待を見過ごしていたとして母親が逮捕された件で彼女もDV被害者なのにと擁護する向きがあるがそれは間違いだ。
大人の都合ばかり振りかざし殺された子供を救おうと全く考えてもいない。
一度父と別れた母が生活苦を理由に父親とまた同居するようになり、私はとにかく殴られるようになった。
父親と会話すると生意気なことを言ったと言いがかりをつけられ殴られる。
気にさわらないよう話さないようにすると無視したといって殴られる。
本当に八方塞がりだった。
私が殴られ過呼吸になると母親はかばってくれた。その時だけ母も巻き添えをくった。
あまりにも殴られる日々が続き、私は母に言った。
「お母さん、お父さんともう一緒に暮らしたくないよ、叩かれるのやだよ。」
と言うと母は私に
それまでは母は私の味方だと思っていた。
しかしそうではなかった。
激しく母を憎悪した。
特に日本では子供を家庭に戻すものという風潮が強くあるものに感じる。
親権も強い。
他に行くところがなく、殴られることを知りながら家に戻る子供の絶望を知らないだろうか。
髪を掴まれ振り回されると頭皮がパンパンに腫れて頭が痛くて眠れない。
惨めで涙がでることも想像などされない。
母親を擁護しても、虐待されている子供からすれば自分を苦しめている人だ。
今更感情移入をしているわけでもない。
変な親のところに生まれたら子供は救われないなー。かわいそうにと思っているだけだ。
最初はTwitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマがテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。
でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。
元々は女性差別の流れから、「美人だという理由で差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。
(※私は美人ではない)
=====
私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。
ある程度人を見た目で判断・区別するのも、生物の本能だから仕方ないことだと思っている。
それとは別に、人が決める枠によって自分のポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。
私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。
枠に柔軟性がない人や、そもそも枠自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達に自分を理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的に理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。
そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。
特に、枠外にあるものが自分の本質に近ければ近いほど歯がゆい。
人が慢性的に不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別を経験していると言っていい。
ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。
性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性も差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。
それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。
なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。
多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。
個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体を自覚して、意識することは、基本的に不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分のメリットにもなる。
少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。
劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。
例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパーお洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。
またはやたら崇めて理想化する。
そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。
これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本は人種差別と同じだ。
「美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。
こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)
単に枠組みで見た時には、リア充もハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプは事実存在する。
でももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。
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余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女を小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)
もちろん彼女は自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。
日本で『ベイマックス』と呼ばれている映画の原題が『BIG HERO 6』なのはもっと知られていいと思うんだよね。
実際に観てみると、6人(5人と1台)組の戦隊ヒーローという感じで、ロボットを通して絆を知る感動ストーリーというよりかは笑いあり涙ありの読み切り少年漫画といった雰囲気。日本ではヒロとベイマックス(とタダシ)以外の4人が広告でハブられすぎて悲しい。
アメリカでは「人間はいかにプログラムに過ぎないロボットに感情移入できるのか?」ということがテーマの一つとしてピックアップされているにもかかわらず、日本では「ベイマックスは心優しいロボット」って宣伝やってるのがなあ。ベイマックスはまだドラえもんやアトムのような「心を持ったロボット」には程遠い、彼らよりもっと近い未来で作られたといった感じのロボットだと思うんだよね。惜しい。
あと、正式なテーマソング『Immortals』を歌ったFALL OUT BOYはもっと有名になってよかったと思う。(一応ベイマックスが話題になって数か月後、スッキリ!に一回だけ出たけど)AIの『STORY』が嫌いなわけじゃないんだけど、やっぱりImmortalsのほうが世界観にちゃんと合ってるんだよね。
ONE OK ROCKのコンサートでFOBが対バンになったとき、自分の目の前にいた観客が、「フォールアウトボーイ?誰それ」ってなってたのが辛い。お前らが目当てに来たONE OK ROCK含めいろいろなロックバンドに多大な影響を与えたロックバンドのひとつだよ。
ホロコーストに例えてる団体見たけど人間と動物がそうなら立場違うだけで動物と植物にも当て嵌まるんちゃうんかって思ってしまうけどな
よく痛覚とか感情とか脳の有無だとか並べるけどそれ自体優生学的っていうか生物として劣る要素の定義付けして収容所ブチ込んだナチスやんて思うけどそもそも植物は命ではないって認識なのかな
命だなんて定義して擬人化や動物と重ねなんてした日には食肉加工どころじゃない残虐さだもんなそりゃそうじゃなきゃ命の搾取反対掲げて野菜食えんか
フルーツなんて肥え太らせた妊婦の腹ちぎって食って胎児捨ててるようなもんだしベビーリーフなんて文字通り赤ん坊の手足引きちぎって食うみたいな話だし再生栽培とか言って怪我が治る度同じ場所を切り取って根菜は腸だしブロッコリーは性器だしメープルシロップは傷つけて流れ出た血液集めて煮詰めたものだし美味しく食べるために水や栄養を制限して飢餓状態にしてたり品種改良の接木なんて思う様にするため体ぶった切ってくっつけるみたいな話でそれをこいつらは痛覚も感情もないからいいんだよってやっててそうやって考えると動けず口きけないのをいい事に抵抗する機会も何も与えられず一方的に搾取してるんだもんなあって少なくとも家畜は家畜になった経緯のどこかの部分で動物が戦って負けたって出来事があったはずだけどそれもないもんなあいや植物は植物で頑張ってたのかもしれんけど
植物はいいんだって人は花が踏みつけられてかわいそうって思わないのかなスムージーも同じだしいいのかそれとも動物虐待は嫌だけど肉美味しいみたいな感覚なのかな
でもそれだと命は認めてる事になるから命に優先順位つけて差別してる事になるしやっぱり何とも思わんのかな
肉も野菜も食べるし環境の悪い家畜見たら結局食べるとしても人並みに引くし花が踏まれてたらかわいそうやんって思いながら抵抗無くジュース飲む身として動物として植物含めて命を搾取するのも感情移入の度合いで差別化するのも人の業ではまああるんだろうけどそこへの問題意識を全部食肉文化におっ被せて自分は罪が無いようにやるそっからアレなんちゃうんかなと思った
それユダヤが悪とやって本当はそうでもないのにそれで問題が解決するかのようにやったナチスとやっぱ被るんちゃうて思っちゃったわ
暇なの?それとも私のこと、すきなの?
ちなみにマハーラーヤナはマハーバーラタとラーマーヤナが混合してしまいました。お恥ずかしい。
上手く伝わらなかったみたいで申し訳ない。「神話でも、ラノベでも、物語を面白いと思える時には何らかの感情移入が起こっている」ということを言いたいのだけれど、うまく伝わるかなあ。感情移入という共通項をもって、神話の英雄への憧憬と、異世界転生での主人公の無双ぶりにたいする人気を説明できるかなと思いました
また、神話・昔話では、感情移入先は必ずしも主人公である必要はないなとおもいなおしたので、登場人物という風に書いています。
ラノベに限って言えば、一人称で書かれることが多く、現実世界(読み手と同じ世界)からの転生という設定は感情移入を誘いやすいと私は思ったのです。
「キャラを好きになる」「キャラに憧れる」「キャラを応援する」「キャラの感情を理解する」「キャラと自分に共通性を見出す」「キャラになりきる」…全く異なる心理を表しているこれらを「感情移入」という言葉で引っくるめて便利に使うのが馬鹿のやり口だ
語彙が豊富だな。うらやましいよ。「感情移入」の一語でそれだけの表現を読み手に惹起できるとしたら、表現としては、十分かな。
神話の英雄が「普通の人」とは思えないのはさておき、「現代知識チート」では、前世で専門知識や特殊技能を得ている主人公だからこそ、それを活かして異世界で活躍する話も多いわけだが。
「普通の人が転生して大きな力を得るという形式は、優れた構造といえる」は、神話のことではないですね。「英雄」よりは、「転生した普通の人」のほうが一般読者は感情移入しやすいかなと思います。前世での専門知識や特殊技能は、ある程度の努力で得られる可能性が一般の人にもあるという点で、普通の人かなと思います。異世界もの転生者は、基本的には読み手と連続性を持っているというほうが良いかもしれません。
様々な類型に細分化していくという方向で考えるのも面白いかもしれませんね。細分化をしすぎると全体像はとらえづらくなります。一方で一般化・抽象化しすぎると細部での逸脱や例外が増えるかもしれません。丁度良い一般化、最適な抽象化というのは、読み手の背景が影響するので、不特定多数を対象とすると難易度が高いです。
ここでの問題は、テレビゲームどころかTRPGでも見られるそれらの要素を、なぜか「MMORPG由来」と限定してしまっているところだろ。
VRMMORPGが舞台の「外れスキルが実は有用だった」系とかなら、まあ「MMORPGでも英雄になりたい」みたいな説明はできるだろうが(正しいかどうかは別として)。
しかし「異世界で赤ちゃんとして生まれて子供の頃から様々な魔法を編み出していく」や「勇者として召喚されるも失敗と見做されて放り出される」のどこがMMORPGなのか?
そのとおりで、じぶんでも「これらはMMOでないRPGに起源があると思います」としています。MMORPGであるということではなく、MMORPGに対する様々なフラストレーションを動機として、そのモチーフであるスキル、レベル、ステータスを導入しているというところが、MMORPGが起源のように思えるのです。
広義のロールプレイングゲームにおいて、その系譜は
という一本道ではなく、MMORPGはシングルプレイの発展形であると同時にTRPGの直接的再現であるとも考えています。
TRPGは、基本的に複数人集まってプレイするという意味では、MMORPGの直接的な起源と言えるからです。シングルプレイRPG(ドラクエ、FFなど)はTRPGを部分的な再現であったともいえるかな。そのうえで、スキル、レベル、ステータスというモチーフがMMORPG的だと感じる理由は、少なくとも私が読んだ範囲では、これらの変更が、ほぼ自動的に行われるからです。TRPGはレベルが上がっても自分でサイコロふってステータスを決めなおしたり、少なくとも自動的なイメージはないんです。
逆に聞くが、「ゲームは自分でプレイしなくとも他人が遊んでるのを見るだけでも楽しい」という当たり前のことを説明するのに、「神話類型との共通点」や「物語の普遍的構造」を持ち出す必要があるのか?
「ゲームは自分でプレイしなくとも他人が遊んでるのを見るだけでも楽しい」ということを説明したいわけではないんだ。つたわらなくてすまん。他人がプレイするゲーム(MMORPGでも、野球などのスポーツでも)を楽しむことができるのは、なんらかの普遍性があるということを説明したいのですよ。それは元増田の、
という問いへの答えになると思うからです。
まず「感情移入」や「自己投影」といった言葉が雑すぎることを認識しろ。
「キャラを好きになる」「キャラに憧れる」「キャラを応援する」「キャラの感情を理解する」「キャラと自分に共通性を見出す」「キャラになりきる」…
全く異なる心理を表しているこれらを「感情移入」という言葉で引っくるめて便利に使うのが馬鹿のやり口だ。
「主人公に感情移入できるから神話は面白い」という一言で、いったい何を説明した気になっているのか?
神話の英雄が「普通の人」とは思えないのはさておき、「現代知識チート」では、前世で専門知識や特殊技能を得ている主人公だからこそ、それを活かして異世界で活躍する話も多いわけだが。
とにかく、なろうテンプレ自体にも様々な類型があるのに、それを単純に捉えすぎなんだよ。
(ちなみに「感情移入」を持ち出す人間は、主人公が普通だろうが優秀だろうが無能だろうが「感情移入のための優れた構造」とか言い出す。何も言っていないに等しい。)
語りたいこととしては、異世界転生ものへの批判対象の一つである、「スキル、レベル、ステータス」といったモチーフのことです。
ここでの問題は、テレビゲームどころかTRPGでも見られるそれらの要素を、なぜか「MMORPG由来」と限定してしまっているところだろ。
VRMMORPGが舞台の「外れスキルが実は有用だった」系とかなら、まあ「MMORPGでも英雄になりたい」みたいな説明はできるだろうが(正しいかどうかは別として)。
しかし「異世界で赤ちゃんとして生まれて子供の頃から様々な魔法を編み出していく」や「勇者として召喚されるも失敗と見做されて放り出される」のどこがMMORPGなのか?
逆に聞くが、「ゲームは自分でプレイしなくとも他人が遊んでるのを見るだけでも楽しい」という当たり前のことを説明するのに、「神話類型との共通点」や「物語の普遍的構造」を持ち出す必要があるのか?