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はてなキーワード: 居座りとは

2023-03-22

シンエヴァを観ていて、ケンスケの優しさとは適度に距離を置くことで、トウジのそれは助けを求める声を待たずして大丈夫か、と気にかける事だ、と思った。それは「お前冷たすぎひん?」「いや今は放っといてやれよ」みたいな台詞で端的に表されていた。

二人共、そのそれぞれの優しさは14歳の頃から既に持ち合わせていたんだと思う。基本的スタンスは変わらないけれど、昔はともすればドライ、ともすれば無神経に見える、バランスを欠いたものだったのではないかと感じる。

では大人になって何が変わったかと言えば、自分の信じる優しさとは別種の態度をも取り入れた事ではないかと、特にケンスケについてそう思った。

彼の成長は、適度な距離感を重んじる人間がともすれば押し付けがましさを嫌って躊躇してしまうような「頼ってくれよ」という言葉を言えるようになった事だと思う。

センシティブな状況で、それでも一歩踏み込んで友人を気に掛ける勇気を手に入れたという事だ。

私もケンスケと同じ類の、人間関係において誠実さとは適切な距離感を置くことに尽きると確信しているタイプだ。世間人間からドライと言うような態度も特段非難されるようなものだとは思わない。頼まれてもいない余計なお世話をする前に、まず他人問題を無闇に決め打ちしない距離感を覚えてくれ、とでも言いたくなる人間を多く見てきたから。自己責任論をグイグイと他人に押し当てるのは如何なものかと思うが。

ただ、時には機を見極めて一歩踏み込むべき場面もあるんだろうと思った。

(語弊を恐れずに言えば)前時代的な密接な関わり合いと、無闇に他者に立ち入らない個人主義は、どちらが優れているというものでもない。それぞれに安心独立、煩わしさと孤独がある。要はバランス問題だ。

中庸大事だ。これぐらいの立ち位置で良いだろう、という所に居座り続けて安心感を得るよりも、常にバランスを考え続けられる人間でありたい。

まあシンジくんが立ち直ったのは彼らの優しさや人との関わりもさる事ながら、決定打はキーパーソン周りの関係だった気がしなくもないが……

2023-03-07

犯罪者が入りこむから難民を受け入れるな」という差別主義そっくりビビる

犯罪者が入りこむからトランス女性女子トイレを使うな」とか言ってる人たち。

著名人がこういう差別発言をしても

普通女性常識的意見バッシングされるのはおかしい。連帯します」

こんな擁護意見だらけの日本から、ウィシュマさんは入管に虐め殺されて、それを放置してきた自民党与党居座り続けるんだな。

普通女性」がトランス女性を怖いように、「普通日本人」は難民が怖いから仕方ないねジェンダーセルフID難民も認めない自民党民意に応えてる。

リモートワークになりそう

出向先に「リモートしてもいいよ」って言われたけど

完全リモートは嫌だな…

空調は効いてる

買わなくても飲料水がある

ある程度人の目があって緊張感がある

室内が綺麗

ごみ捨ても勝手にしてくれる

会社の近くに店が揃ってる

チャット文化でとても静かな職場

人間関係が近すぎない良い距離感で楽

生活リズムが整うし、身なりに気をつける癖がつく

フリーランスの頃と同じような環境より楽だから、正直居座りたいんだが…

2023-03-03

anond:20230303105348

理路整然としているかと思えば最後感情論で締めくくるのは、君の知能の限界が見えるね

そこをどうにかしようとせず自分価値観が全てだという人はこの話から退場した方が良い

退場してもきっと誰も君を責めないが、居座り続けるのは感心しないな

2023-02-15

高齢者に対する医療支援を辞めると老害椅子を手放さなくなる

医療費を払い続けるためには会社居座り続ける必要がある」というインセンティブ病気の老人に与えてしまない方法が難しい。

極論を言えば「金輪際社会利益を生み出すことがない、投資詐欺にすらなってない老人たちは切り捨てるのが資本主義合理的判断なのだが、それをやってしまうと今度はミクロ単位の老人たちの生存戦略によって社会動脈硬化が加速して社会が死んでしまう。

死にかけの老人に対しての社会保障を圧縮しつつ、彼らが「より良い医療を受けるために重役として無意味仕事をしているふりを繰り返してお金を稼ぎ続けよう」と考えないようにするための方法を考える必要がある。

理想を言えば、わざわざ生かしてやっている老人共から労働を搾り取っていきたいわけだが、死にかけのボケ始めた老人というのは全くもって使い物にならないので難しい。

判断力が落ちている上にプライドだけは高く責任能力もないので何かを決定する仕事にはつけられないし、単純労働をさせるには身体能力劣化しすぎているし、頭脳労働なんてボケた頭で出来るはずもない。

治験のようなことをさせようにも、体が元々バグった人間が更にバグったとしてそれがプラシーボなのか単なる老化なのかの切り分けさえ個体ごとに千差万別となると社会利益を得るレベル動物実験に出来るかも怪しいものだ。

厳しい……死にかけの老人とは本当の本当に社会負担だ……。

だが「死にかけの老人は殺す」という社会は「死にたくないか重要ポジションに居座る老人」を大量に作るわけだ。

この問題解決する方法が俺には思いつかない。

誰か賢い人はもう思いついているんだろうか

2023-02-14

若者がすぐ会社辞めるって悪いことのように言われているけど

文句ばかり言うくせに会社にしがみついて居座り続けて雰囲気を悪くし周囲のやる気を下げる方がよっぽど害悪なのではないかと思い始めた。

でも人間50台も過ぎれば肉体的パフォーマンスは確実に下がるし、頭脳頭打ちだし、しがみつかないと没落していくというのも分かる。

2023-02-13

anond:20230212111445

駅メモって都会と田舎で別ゲーだよな

都会だとみんなでわいわい駅の取り合い(一部除く)って感じだけど、

田舎だとエリアごとに地主がいて、エリア居座り続けるみたいな遊び方してるやつばっか

もともと駅が少なくて田舎だと遊びにくいのに田舎はこういうやつばっかで新規はまともに遊べないクソゲー

田舎で同じ列車乗ってると単編成でマジで身バレするしな

2023-02-11

志位和夫委員長長期政権正当性

志位和夫23年間公選をしないで委員長居座り続けている。代表としての正当性に疑問がある」とおまいらはいうんだけど。

 

ふざけんな。

 

志位は宮本家の家庭教師だったという立派な経歴があるんだ。

不破先生生前、志位の権力継承異議を唱えていなかった。

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2023-01-29

バイト日記

 1月も末となったので、店頭にはバレンタインチョコが並んでいる。今の所、その半分くらいが予め専用紙袋に入った状態で売られている。もう半分は専用紙袋があるものの、お客様に要るかどうか聞いてみて、要ると言われた場合につける事になっている。

 予め紙袋に入っているのは、レジ接客上では楽であるけれど、埃を被ってしまうと叩いても取れないし、袋の中に入り込んでしまった埃も取ることが出来ないというのが欠点。一方、専用紙袋があるけれど店員が袋に入れなきゃならない方はというと、サイズが二種類以上あるしブランド毎に袋があるため、毎年紙袋のつけ間違いが生じてお客様からクレームが出るという欠点がある。めんどくせー。

 うちの近くのスーパーに今年並んでいるバレンタインチョコの包装が異様にフェミニンなんだけど、当店に並んでいる一部のブランドチョコもやっぱり男性ウケよりも女性ウケな感じなので、改めて、異性へ渡す義理チョコ需要が減ってる疑惑が、私の中で強くなった。

 派遣推し女子さんがものすごく気分屋なのでオーナーがかなり困っているし、お客様にも恐怖を与えている。推し女子さんは、気に障る事があると物に当たるのだが、それをお客様の目の前でも自重しない時があるのだ。店員レジからホールに出る時に使う小さな扉を、ホールじゅうに響くほどの大音響を鳴らして叩きつけるように閉める、とか、籠を置く時に床に叩きつけるようにして置くとか。気に入らない客が来た時に露骨に態度を変えたりもする。ただ、推し女子さんにそういう態度を取られる客は実際に推し女子さんに対してセクハラパワハラを行った奴なので、自業自得とも言えるのだけれど、そんな事は他のお客様達にはわからないので、ただひたすらここの店員なんか恐い! と思われるだけなんだよなあ。そして、彼女に対するクレームオーナーや他のバイトに来るのだった。

 この間、来るはずだった派遣の人がドタキャンをしてしまい、他に出てくれそうなアテがなかったらしく、オーナーが仕方なく推し女子さんに電話で出てくれないか頼んだのだが、推し女子さんはそれに大いに怒り、オーナーに対して気に入らない奴がいたら即帰りますからね!! と宣言した上で出勤してきたそうだ。オーナーは、推し女子さんが途中でシフトを放り出して帰らないように、ポケットマネーから1000円出して給料に上乗せしたという。

 まあでも、そもそもとして派遣バイト派遣会社を通さず直接仕事を依頼するというのがルール違反なので、推し女子さんが怒るのも分からなくもないのだが、その怒りの気持ち表現が激し過ぎた。コンビニオーナーって労働基準法コンプラもよく分かってない人が多いので、オーナーの言う事が気に入らなかったら泣き寝入りして辞めるのを繰り返せば働ける所がなくなるというのが現実なので、言うべき事を全部ぶちまけた上で居座り続ける推し女子さんはとてつもなく正しい様に私も思うんだが、それにしてもメンタルばり強いなと思う。

 オーナー推し女子さんの事がかなり嫌いだ。彼女から面と向かってギャンギャン正論を浴びせられた挙げ句に逆パワハラみたいな事をされるからである。それで、ある日Aさんが出勤したところ、レジ番は高齢者バイトの人が一人で黙々とこなしており、オーナーはたまに臨時で入るだけのパートさん(オーナーの親戚)を相手推し女子さんの愚痴を延々と語っていたらしい。オーナーは、愚痴吐露しているうちにどんどんとヒートアップしていき、最後ほとんど怒鳴っていたらしいが、そんなオーナーに慣れている臨時パートさんは、穏やかに

「まぁまぁ、そんなに怒ったら頭の血管切れちゃうよ」

 と言ったという。怒り狂うオーナーと、あらあらうふふと微笑みを絶やさな臨時パートさんの対話があまりにもクレイジー過ぎる光景で凄かったとAさんは言った。

 そんな訳で、最近オーナーがとても不機嫌だったのだが、不機嫌の原因が推し女子さんに集約されているせいで、他のバイトシフトに入る時のオーナーは逆に異様に上機嫌となっている。この間なんか、私に廃棄のドーナッツを三個もくれた。

 木曜日、私はAさんとシフトだったのだが、Aさんはいよいよオーナーの機嫌が戻る時が来たかもしれないと言った。というのも、水曜日に久しぶりにバイト希望者が来て面接があり、採用がほぼ決まったというのだ。希望者は若い女性で専門学生をしているという。専門学生はいいけど、また若い女性か……と、私とAさんはため息を吐いた。ここ数年、若い女バイトが夕勤に入ったが、その全員が全員、極度の情緒不安定であり、仕事ドタキャンを繰り返した挙げ句に最悪な辞め方をしていったので、今度はどうなの……という訳なのだった。ちゃんとサボらないで仕事に来てくれればいいのだが。

2022-12-20

anond:20211005120541

令和になってもうじき5年目だってのに未だに昭和価値観ゴリ押しして日曜18時半に居座り続けておいて、サザエLINEスタンプとか図々しすぎねえか?????

第一サザエ本体の中でスマホが出てくるシーンってある?

あるならスタンプもやむなしかもしれないけど、、ねえだろ?????

おかしくね???

2022-12-13

anond:20221213131401

だいたい、ハテブや棘はフェミの嫌いなタイプ広告普通に出たりするのに、見るのが嫌とか言いながらはてなには居座り続けるダブスタたち

2022-12-09

anond:20221209185836

アメリカマジで文句言える立場にないと思う

現在進行系でネイティブアメリカン土地居座りながら彼らを特別区に押し込んでる奴らがどの口で言うんだよ

せめて全員イギリスなり母国に帰ってネイティブアメリカン土地返してから言えよ

2022-12-06

個人ゲーム開発してるけどそろそろキツい

Mayaunity使用してゲーム開発をしている。大学卒業実家居座り、平日と土曜の午前中にファーストフード店アルバイトする以外は家で一人でシコシコゲーム作りに勤しんでいる。こんな生活をして4年。これまでSteamに2本、Androidに3本リリースした。ちらほらコメントがついたり応援をもらったりするが、正直ここが限界な気がする。俺はこれからどうするべきか。今からどっかに拾ってもらったりできるのかな?

2022-11-07

twitterは首を切れる選択肢があるだけマシ

どんなに赤字でも人材を削る選択肢をとれるってのは、ある意味人材に恵まれているって事なんだよ

日本はどうだろう

もはや切る人すらいなくなっている

人が集まらないし集めても直ぐ辞めるし切りたい人物居座りすぎていて絶対に動かせないし

2022-10-25

チャイニーズドラゴン記事ちょっと面白い

(前略) ところがほかのメンバーたちが、いきなり会場内で殴り合いを始め、ビール瓶やグラス、ナイフフォークが飛び交い、ガッシャーンという音が鳴り響きました。そして、警察を呼ばれたとわかった途端、怪我人を除き多くが一目散に逃走しました」

乱闘食事用のナイフを投げつける半グレ

警察呼ばれたとわかった瞬間、怪我した仲間を放って一目散に逃走する半グレ

 

幹部は5人ですが、そのうち3人が逮捕されていて、幹部会を開けない状態です。現在組織は総勢300人程度。各支部独立採算でやっています。創設メンバーである幹部はすでに50代になっているけど、誰も引退しない。組織の大半を占めるのは2世で、だいたい40代後半

幹部5人中3人逮捕されて幹部会が開けない半グレ

幹部が50代で引退せずに居座り続け、組織の半分がアラフィフ高齢化が進む半グレ

 

 警視庁は、2021年12月に4億円相当の覚醒剤密輸したとして、チャイニーズドラゴン構成員の男を逮捕した。また、2022年8月9月にも、それぞれ傷害容疑で同構成員逮捕されている。

 

「我々も警察に行動確認をされるなど、不当な扱いを受けています

覚せい剤密輸傷害事件、乱闘などバリバリ犯罪集団にも関わらず行確を不当だと考える半グレ

2022-10-21

anond:20221021131507

ぶぶ漬けでもどうどす?」言われて喜んで居座りはったんちゃいまっしゃろな…

モラハラに耐えられなくなって別れた元恋人がずっと心に居座り続ける

何年も前に別れた恋人からずっとモラハラを受けていた。

少しでも本人の理想から外れたりこちらが些細なミスを一つでもしようものなら激怒。泣きながら平謝りしても「そんなに謝るのは狡い」と怒られて延々と詰られる。

普段の振る舞いはすべて自分が最優先。デートドタキャン遅刻も当たり前。無連絡で待ち合わせ場所にいないのは日常茶飯事。レストランを予約していようがお構いなし。ドタキャンだろうと遅刻だろうと全く謝らない。「わざわざ会ってやるのに」が口癖だった。会ってないのに。

夜遅くに今から来いとか仕事中でも電話は3コール以内に出ろとか物理的に無理な要求だろうと「自分ならやる。そんなことで音を上げるお前がおかしい」と何度も言われた。だから相手要求を叶えるために自分のことを放っておいたら「そこまでしろとは言ってない」と怒られた。

どうしても欲しいと言われて身の丈に合わない高額なプレゼントをした。就職してから貯めたなけなしの貯金をはたいてまだお金が足りず、2か月食費を削って6kg痩せた。人生で最も成功したダイエットだった。

友人とも疎遠になった。お金がなくなってご祝儀が包めず親友結婚式を欠席した。親友には電話で謝ればよかったのに精神が参っていたのかそんなことを考えることもできなかった。親友SNSで遠回しに自分を指して常識がない人間だと言っていた。完全に謝るタイミングを見失ってその親友とは今も連絡が絶えたままになった。本当に申し訳ないことをした。

他にもいろいろとひどいことはあったけど、身バレしそうなのでこれくらいにしておく。

ある日突然、動くことができなくなった。布団から出れなくなった。仕事生活もなにもできなくなった。友人に病院に行けと言われた。即鬱病と診断された。

このままだと死ぬと思って目が覚めた。別れるのも大変でシャレにならない事件も起きたが弁護士を立てて完全に縁を切れた。

別れた後、一度も恋人は作っていない。異性は信用できなくなった。新しい恋人を作って上書きして幸せになるのが一番なのかもしれないけど、異性と関わるのが怖くなった。

精神が壊れる前はもう少し活発な人間だったと思うけど、こうなる前はどうしていたかもわからなくなった。きっと一生独身のままだと思う。

不安感と親への申し訳なさだけが残っている。正月帰省したら早く結婚しろと言われるんだろう。毎年生返事で濁しているけど、何年も前に別れた恋人のことを親に1から説明する気力も湧かない。

きっとウチは自分で末代だ。普通に生きていれば子供を持つ歳になって、改めて親が偉大だと思った。かつては自分も両親のように子供を育てたいと思っていたけど、もう無理そうだ。両親には本当に申し訳ない。

いい歳になって初めてできた恋人だった。ずっと大事にしたいか自分を捨てて尽くしたけど、元恋人が求めていたのはパートナーではなく奴隷だった。

何年もたった今でも元恋人に言われた言葉を思い出して震える。やっぱり自分が間違ってたんじゃないかって今でも不安になる。

今でも元恋人SNSをこっそり見に行ってしまう。見たくないのに、早く忘れて記憶の中から消し去りたいのに見てしまう。

薬の処方は今でも続いている。きっと自分は一生相手を恨んだままやり場のない怒りと近しい人間への申し訳なさを抱えて生きていくのだろう。

anond:20221021155705

日本人韓国ドラマ日本アニメばかり見てる、韓国ドラマに関しては1年以上愛の不時着が居座り続けたくらい日本人韓国ドラマが好き

韓国ドラマイカゲームが全世界でヒットしたけど日本ドラマは全くヒットしてない

これが現実

日本アニメで人気出たサイバーパンク原作日本製じゃないってのも追加しておくかw

2022-10-18

増田のことばかりを考えている

俺は頻繁に増田投稿する。

暇さえあれば増田を閲覧している。

要は、重度の増田ジャンキーだ。

同僚が言い間違いをすればネタになるなと思い増田投稿することを想定し、ヤフーニュースを見れば増田ネタになっているかもと感じてしまう。

常に増田のことが頭にあり、時間の赦す限りは増田を見てしまう。

他のことが手につかず、仕事に集中し切れない。

このままでは駄目だと思って増田離れをする決心をした。

それから増田のことだけは考えないように勤めてみたのだが、考えないようにすればするほど忘れられなくなった。

増田

頭の片隅どころか中央増田居座り、俺の意識占領しようとする。

ついには夢の中にまで増田が現れ、俺は夢の中で増田を閲覧し、増田に書き込んでいた。

夢の中では俺は増田に書き込まれ増田で、書き込まれた俺は書き込んだ内容の行動をしている増田だった。

起きると俺は自分行為が夢だったのか確かめようと増田確認し、俺は増田に書き込んでいた内容の夢を見ていて、夢の内容を増田にそのまま投稿していた。

そこで目が覚めた。

俺は増田のことを思い出して探してみたが、俺の書き込みはなかった。

その日、会社を休んでもう一度寝た。それから起きると俺は増田を見た。

増田の中にいる俺は出勤していて、俺は書き込みの中にいる夢を見た。

起きると俺は確かにここにいた。

しかし俺は、増田の中に存在しているのかもしれない。

2022-10-14

過去トップブコメ

mshkh 「泣いている子どもがいるなら、泣き止むようにしてあげるのが行政役割だ」ちょっと感動した 兵庫県 明石市 泉房穂 子供

t-tanaka 正しい。こういう考えを持った政治家が,20年前に国政に出てきていれば,日本がこうなることもなかったのに・・・

ipinkcat 政治家のあるべき姿。

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[B! 子育て] 「子どもお金をかければ経済はよくなる。日本社会子どもに冷たすぎる」不払い養育費の立替などで脚光を浴びる泉房穂明石市長(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/23f0963c85819092fb7014b2ced0909b8adf2e77

omochix 明石市長ほんとにやり手。明石市に住みたいぐらい。末永く頑張ってほしい。

anigoka 地方自治体にもこういうまともな感覚を持った人がちゃんと居るんだなぁ

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[B! 司法] “暴走水上バイク”が1日で消えた! 刑事告発した泉房穂明石市長が怒り吐露「国は人が死なんと動かんから…」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/1ffefa27f2d0631931389766b80d69ba5c536b98

timetrain そりゃあ、あん暴言事件で狙われても再選するよ、泉市長。自分明石市に住んでたら間違いなくこの人支持するわ。 育児 明石市

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[B! 育児] 明石市の「不払い養育費の立て替え」方針反響 市長に聞く“出生数4年連続増”実現した子育て支援 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/24/news072.html

q98 前川乙武スキャンダルで潰せたが、明石市長はさらに強くなって帰ってきた。

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[B! 行政] 明石市長 泉 房穂(いずみ ふさほ) on Twitter: "国の官僚の方々に問いたい。あなたたちは、いったい誰のために、何のために、仕事をしているのですか? https://t.co/wdDpdcbcdQ" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/izumi_akashi/status/1474681431373008899

masahiro1977 彼のしたことを擁護する気はないけど、彼以上の暴言を繰り返しても平気で開き直って居座り続ける政治家ばっか見てるから、この潔さが評価される社会であってほしい。少なくても謝ったら死ぬ病の人じゃないだけマシ。

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[B! 炎上] 明石市長が辞意表明 暴言は「決して許されない」:朝日新聞デジタル https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASM213PLXM21PIHB00D.html

2022-10-09

anond:20221009131127

そんなことはない

大学教授なりのポストにつくのはサラリーマンでも出世した人が大半やぞ

そもそも事あるごとにそれ国際的学術誌で言ってみて?な発言しても

何故かノーダメ椅子居座り続けてますよね?

その一例 ↓

 

なお、空気感染についてだけは、心あるアカデミアの人がツッコミを入れてくれました

https://mainichi.jp/articles/20220329/k00/00m/040/168000c

 

もっとも他の感染学の人も以前から声上げてたけど謎の力学無視されてただけなんですけどね😒

 

[m3.com]「COVID-19の拡大は空気感染が主流」【第61回臨床ウイルス学会
国立病院機構仙台医療センター西村秀一氏が講演 

https://www.m3.com/open/clinical/news/article/835300/

 

さすが2大科学誌に不正研究を名指しされる不正研究大国だけあるわ

2022-10-07

anond:20221007110249

いないときテント撤去するような暴挙相手がしてこないのがわかってる前提で動いてるからな。相手がそんなことする場合居座り続けるしかないけど。結局お互い冷静で過激でもなんでもない活動

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

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