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2023-02-04

で、岸田総理にごめんなさいするの? #結婚制度解体

匿名の論者たちの説得によって、ついにコメント欄の多くが考えを改めたようだ。

同性婚と近親婚の擁護理屈は、論理的に同じだった。現在同性婚賛成が人気で近親婚はあまり考えられてないだけで、本質的には同じ理屈擁護できるのだ。

そして、結婚制度はどこにラインを決めようとそもそも差別を孕んでるので結婚制度解体 があるべき姿だと。


岸田総理家族観価値観社会が変わってしま課題だ」


数日前、およそ千人以上が岸田総理発言バッシングしたよね?

で、どうするの?

岸田総理にごめんなさいできるの?

ボクたちはちゃんと考えてませんでしたって謝れるかな〜?

結婚制度解体に至るなら家族観価値観が変わってしまうのは自明だよね〜?

anond:20230204105449

伝統結婚観、家族観解体しよう。

そもそも結婚って、親愛的な情から性的な営みから出産育児家事経済活動や法的な契約手続きから親戚づきあいから親の介護まで

今の日本だとまるっとセットになったパッケージ契約しかできないのがそもそも時代遅れだと思う。

これらの項目をそれぞれ個別パートナーを決められるマルチパートナーシップ制度があると良いと思う。

現状の仕組みだと一番近いのは成年被後見人制度だろうか。

少し話が逸れるが、今の日本って育児介護などが各家庭内での努力義務が最優先にされてるのが社会の歪みを生み出している要因な気がする。

もう「家庭内で処理してね」はやめて、育児介護の専門機関もっと手厚くしよう。(もちろん専門家給与はその分恵まれるべき)

なんだったら子供を産むことすら「出産事業」として行政が行うまであってもいい。そうすれば非婚化による少子化解決だ。

今まで家庭に担わせてきたことを共産化しよう。

お綺麗なお左翼しぐさ

首相秘書官同性婚巡り「嫌と思う人いる」 発言撤回

https://www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/

私が「弱者男性無職男性は見るのも嫌だ。私の周りの人もみんな嫌いだ。彼らのせいで日本を捨てる人もいる。でも人権はあるよ」と言っても差別だと感じないなら、一応筋は通っている。

この発言に感動した

「「人権はもちろん尊重する」とも語った」人権尊重するのならよいのでは

これを受けての返しなんだけど

これを言うって事は「そういった発言差別である」と認識してるわけだもの

界隈がいつもやる、「国連裁判差別認定されてから出直せ」、「俺の偏見は良い偏見」じゃないってすごい前進だよね

発言者は筋が通った正義の人なのだと思うんだけど、カウンターとして置かれたからか★がついていて

やっぱみんな「差別」だと思ってたんだなぁ





あとさ、これ記事とは関係ないけど同性婚絡みの話だから書くんだけど

同性婚でも「養子」や「代理出産」、「精子提供」で子供は持てる、みたいな話がカウンターで置かれる事多いんだよね

小梨異性婚と変わらないじゃないかという話をしたいんだろうけどさ

そういう事を「同性婚認めたら、家族観が変わる」を叩く口で言うわけよ

ゾッとするよね

養子って事は不幸な子供を前提にしてる

代理出産しろ精子提供しろ、異性は必要

その口が「お綺麗な理想」を語るのよ


もうさ、そこまで行ったら、「家族観」に囚われて、同性婚固執するよりもさ

新しい関係性の構築と、それを受け入れる社会の方が良くて

旧来の血と家を前提とした結婚なんて捨てちまえって思うんだけどな

anond:20230203211738

え、これは家族観押し付けにならないの???

フランスのように事実婚が基本という形にすべきなんだろう。

2023-02-03

anond:20230203211738

ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。

それを自覚しない主張や活動無用な反発の原因となる。リベラルポリコレが嫌われる理由の一つでもあると思う。

リベラルポリコレの正しさを否定できない。

同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。

これは、主張じゃなくて事実がそうなの。

同性婚は、近親婚や多妻婚どころか、普通の異性婚と比べても優越した婚姻形態だといえる。

異性婚は妊娠を伴う非対称的な性暴力や、子孫を残したいという脇に逸れた目的を果たすためだけの婚姻が、高い確率で発生する。

それに対し、同性婚社会学でいう「純粋な親密性」に相当し、生殖と完全に切り離された純粋愛情だけで結ばれた形になる。

同性婚における性暴力無視できるレベルだし、正しさを本当に徹底するなら、異性婚が廃止同性婚だけを法律で認める状況ですらも考えられる。

婚姻制度は必ず差別内包する

今回の件で明らかになったのは、婚姻制度はどんな形のものであれ内在的に差別を含むということだろうね。

同性婚、近親婚、多夫多妻、どの制度にしても「婚姻はこういうもの」「家族はこうあるべき」という一つの思想家族観でしかない。

同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。

でも同性婚も近親婚も多夫多妻も、一つの家族制度社会強要する行為である以上、上記の主張には妥当性がないと言える。

私は別に同性婚に反対というわけではない。

ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。

それを自覚しない主張や活動無用な反発の原因となる。リベラルポリコレが嫌われる理由の一つでもあると思う。

それが嫌なのであれば、婚姻制度のもの解体して、フランスのように事実婚が基本という形にすべきなんだろう。

https://anond.hatelabo.jp/20230202232742

2023-02-02

anond:20230202153503

1級パートナーと2級パートナーでいいよな。

子供を作るか養子とったやつだけ優遇すればいい

日本の伝統家族観とやらも大喜びするでしょ

2023-01-22

[] 細田守 バケモノの子 感想

公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要監督家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。

アクションが退屈

改めて見た率直な感想がこれだった。

OPCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まるカンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。

しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲闘牛ボクシングといったようなものオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまたことになる。

古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。

長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。

どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。

(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)

九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ


その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいかバケモノ界は闘争世界ではないし、武術を習った主人公人間ボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。


直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。

(剣が震えるところとかは好き)

世界観が見えない

バケモノの子映画にしては場面が少なく感じた。

熊の家を斜め上から見た図と家までの階段坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。

渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公視聴者異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代雰囲気を醸すことができていたと思う。

バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。

絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクター支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。

今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。

(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)

これ即ち強さな

バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的選択しなくちゃならん。

当初の九太は選択余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語最後最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。

同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月ライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分意思将棋世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。

九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノから人間界に戻ったって記号しかなかった。

センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期不安定青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。

なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。

からやっぱり

尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートなっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。



そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画ぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)

脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分オタクすぎる気もする。ポストジブリファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。

2023-01-19

まあリベラルさんの家族観に則れば

親父が愛人作って出ていくも、そのまましれっとパパを続けるも「多様性」ってやつで、実に結構なんじゃないっすかねぇ

どうせ女が同じことやったら持ち上げるんだし

2023-01-04

anond:20230103223622

こう書くと大変おかし表現だが「加害者被害者共犯関係」みたいなものは実際にある

正確にはまさに被害者加害者を憎めないように共犯意識強要してるんだけどね

部活体罰からDV宗教団体洗脳まで加害者が完全に被害者と異質な

外部の人間なら話は簡単いくらでも一方的に憎めるんだよ

ところが中途半端家族なり学校なり教団なりの場を共有してる仲間だから

自分にも非があったとか相手には世話にもなったとか思っちゃう

案外と現実には加害者被害者がはっきり赤の他人であるより

そういう部類の犯罪トラブルのほうがずっと多いんじゃないの

家族観の暴力やら親族間の金銭トラブルやらブラック企業経営者社員とか

2022-10-26

103万円が壁になるから配偶者控除なくしま

おかしくね?

子供の控除もなくなってるし、共働き前提って家族形成する税制メリットが何もないんだけど。

伝統家族観は統一教会から潰すべきなんですか?

2022-09-30

anond:20220930094614

俺は細田守家族観が合わなかった

サマーウォーズのばあちゃん葬式ハッピバースデー歌うとか、雨と雪で娘の迎えより息子の家出いかけるとか、バケモノの親子みたいな師弟とか、ミライキモい弟とか

そこ以外はおおむね受け入れられたからぼくウォーも竜そばも良かった

2022-09-26

竜とそばかすの姫良かったよ

金ローを録画しておきながらプライムビデオで見るのが最近のパティーン

  

細田監督はここ何回かの「家族観が合わねえな」って感想が重なったせいで全然期待してなかったんだけど、竜そば主人公とその周りの関係家族じゃなかったので良かった

そこだけを評価軸にしてる訳じゃないけど、とりあえずそれがラストに絡まなかったので気にならなかった

話は良くあるというか色々な過去作のつまみ食い。これはわざわざ語るほどでもないくらい知られた事だろう

  

主人公クラス炎上した時がイメージとしてボードゲーム描写されてたのがボドゲ好きとしては嬉しかった。ラストのその後が再炎上だったのかは知らない

合唱隊の中の人が最強ババアたちで感激した

主人公たちの声の演技に関してはまあしゃあない

ヒロちゃん可愛い

忍のあご上げて話すザ・イケメン!って感じのしぐさはやっぱ慣れない

  

まとめると細田監督作品としてはぼくウォーの次くらいに良かった

2022-09-25

メディアが報じないZ世代の特徴 その2

anond:20220924123746 の続き。

前回は嗜好面の特徴を書いたが、ポリティカル的な特徴も書いておこう。なおサンプルは二けた以上とだけ言っておく。

非難批判するシーンに対して嫌悪感を覚える傾向が強い

Z世代は何かをやろうとしている人を上に見る傾向がある。綺麗事机上の空論は好まず、とにかくアクションファクトを求める。逆にやろうとしている人に対して強く非難する人を嫌う。Z世代左派野党を嫌う理由本質はここにある。「口しかさない人」を嫌うのだ。大人になる前からハラスメント教育をあちこちで受けていて、「面前で人を批判する」ことは内容にかかわらず悪であると刷り込まれているのも大きい。

カルトに対する拒絶感がない

これはよく言われる特徴であるオウム事件などをリアルタイムで見ていないのもあるが、意外とZ世代の周辺にカルト2世同級生が居たりする。彼らは無理に勧誘して来ずに普通に過ごしているので拒否感を覚える機会がないのである

カルト批判に対して批判である

上記2点の特徴が合わさったものである。従前からカルト系(統一教会ではない)が強い学校部活動ジャンルがあるが、Z世代の同部活動経験者の大半はその学校や団体、および所属メンバーを崇拝している。「カルト宗教広告塔であるから何?素晴らしい成果を見せれば問題ないじゃないか」という考えなのだ

増田もそのジャンル出身の人だが、ここ数年、沢山のZ世代の人から「某カルト批判する人達がうざい。直接被害食らっているのならまだしも、そうでない人がうるさく言うな」という類のフレーズを聞いている。直接被害を受けていないのなら、という但し書きがZ世代の考え方の特徴を表しているともいえる。

もちろん統一教会に対しても批判的ではない。それどころか「教団の人がマスコミ氷河期世代以上のおっさん達に叩かれて可哀想」と言っている人がそれなりにいる。

仮に統一教会がこの部活動ジャンルに手を出して来たら、一気に統一教会崇拝が起きる可能性すらあるのだ。既にニュートラルではなく同情的なポジションに居るし、ちょっとお金かけて全国レベル団体を作れば・・・

仕事に対して高望みしない結果、女性専業主婦志向が他の年代より高い

前者はメディアでも報じられている傾向であるが、その結果後者の考え方が増えている。30代と比べたら3割くらい多いだろうか。キャリア志向が弱いので、キャリアを捨てて専業主婦になる事に対する拒絶感が無いのだ。しかも「お金持ち捕まえて専業主婦ライフ満喫♪」というお花畑志向ではなく、「つつましく暮らし子供育てよう」くらいの現実的志向である統一教会日本会議が望む家族観が既にZ世代の中に浸透しているのである。ちなみに近年、20代中盤の出生率が僅かながら回復傾向にあるが、この結果だろう。

まとめ

次の世代に期待しよう。

2022-09-18

anond:20220918102640

家族主義伝統家族観)とやらを推し進めよう、そのために法や条例改訂しよう、という話に統一教会の影響が色濃く出ていたのでダメです。

家族って単位の中に個人を押し込んで自由を奪おうって発想が致命的にダメ

anond:20220918102640

家族主義伝統家族観)とやらを推し進めよう、そのために法や条例改訂しよう、という話に統一教会の影響が色濃く出ていたのでダメです。

家族って単位の中に個人を押し込んで自由を奪おうって発想が致命的にダメ

2022-08-25

anond:20220825004612

ごめん、曖昧だったんで「イエ」制度としたんだ。

旧態の家族観くらいに考えてくれ。

2022-08-23

追記あり】一部夫婦別姓推進論者の邪悪

一部とは言ったけど、はてなでは大半と言っても良いかもしれない。

夫婦別姓関係ブコメとか見てるとだいたい上位コメは「保守ガー」「家父長制ガー」みたいなコメで埋まっているけど、こういう風にまともな議論を避け、自分意見の異なる相手に対して何か「時代錯誤邪悪存在」というレッテルを貼ることで主張をキャンセルしようとする姿は心底醜悪邪悪に見えるわ。

最近は、統一教会話題を引っ張って「壺ガー」とか盛り上がっていて、本当に目に余る。

この前の自民意向が現れた設問内容で問題になった世論調査は論外にしても、夫婦別姓の賛成者はだいたい六割いくかいかないか、かなり賛同者多めの調査結果でも7割、逆に低めだと4割くらいだよ。

そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民保守派のような旧態依然とした価値観思想を持ち、あるいは何かよから宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?

子供苗字問題とか夫婦別姓デメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?

だとしたらバカしか言いようがない。

あるいは確信犯としてやっている卑怯者か。

適当に今のはてブの人気記事にあった夫婦別姓関係記事の上位コメから引っ張ってきたけど

統一教会問題がこれだけ騒ぎになったので、夫婦別姓などのリベラル制度を進めやす環境になったといえるのでは。ヘタに反対すると統一教会関係者と思われそうだし

これとかもう邪悪権化でしょ。

統一教会騒動を利用して夫婦別姓反対派の口を塞ぐことができるじゃん! と堂々と言っているわけだ。

クズ野郎すぎない?

(一応、俺個人立場を明示しておくと、そもそも別姓・同姓どちらもメリットデメリットあって必ずどちらかだけが正しいと言えるモノでもないし、賛成者が多いなら政府はそれに合わせるべきなんじゃない? くらいには思っている。ただ俺個人として別姓制度は嫌だなと思っているし、少数派だからって反対の声をあげることは悪いことだとは思っていない)



追記

はてブの方を見ていたら、昨夜書いた自分増田が人気記事に出ていて驚いた。

ただ、それよりも驚いたのは

そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民保守派のような旧態依然とした価値観思想を持ち、あるいは何かよから宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?

子供苗字問題とか夫婦別姓デメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?

という俺の問いに対して、直接言葉にしなくても「そうだよ、世の中には少なくない数の夫婦別姓反対論者がいるけど、そいつらは皆、歪な価値観を持つクズ共だよ」と堂々と肯定するようなコメを残している人が少なくない数いて、なんかもう自分とは感覚が違い過ぎてビビったわ。

うんまあ、そこまで真っ向から言われると「それはもう認識の違いだよね」以上のことは言えないや。

俺は全く賛同しないし、一般的価値観を持ったフツーの夫婦別姓反対論者はいくらでもいると思うけど。


あと、今回の俺の言いたかたことは『夫婦別姓賛否』より『議論に対する誠実性』の話なので、その観点ブコメに対して気になった点で

inmysoul 選択制って言ってるんだから好きにすりゃいいんだよ。何で「俺が反対だから国民同姓にしろ」って思うのかが謎なだけ。君は同姓にできるんだよ。

この手の「選択制だから良いだろ」って意見は間違ってはいないけど、手放しに賛同して良い意見ではないと思う。

貴方強制するわけではないんだから良いだろう」という理屈肯定するならば、ブコメにもあるがまず近いところで当然、重婚はアリになるだろう。

(近親婚もという意見もあったが子供遺伝リスクを考えると、これは生まれてくる子供権利問題になってくるので、ちょっと違う話題に思う)

名前自己決定権の話なら、変更の自由とか使用文字自由も国に制限されず、「その名前を使うのは貴方ではなく私なんだから黙っていろ」が成立し得るか?

あるいは、自己決定権を国に侵されるべきではないという考えをより広範な社会分野に当てはめれば、例えば、「俺は障害になったら野垂れ死ぬから、私の社会保障費を障碍者福祉に使わせない」みたいな自己決定尊重も十分、延長線上として考えられるようになってくると思う。

まあ、程度による線引きもあるし一足飛びにそこまでいかなくても良いかもしれないが、ただそれでも「選択制だから良いだろ」という考えはあらゆる社会分野に関してかなり覚悟のいるラディカルな自由主義方向に舵を切る思想だということの自覚必要になる主張だよ。

そういう覚悟が決まってる人が「選択制だから良いだろ」って主張するのは(賛否は別として)主張としては完全に正当だと思うけどさ。

ただ、とてもそんな覚悟があるようには見えず、夫婦別姓反対論者の反論をかわすためだけに軽々しく「選択制だから良いだろ」って言うのは、議論における主張としてはどう考えても不誠実だよ。

そして、ブコメにはそうとしか見えない人がたくさんいた(中には本物の覚悟ある自由主義者も見受けられたが)。

社会制度というマクロ目線での影響などについても考慮した上で、やはり夫婦別姓問題ないという主張するなら全然問題ないんだが、選択制の三文字ゴリ押すのは(覚悟ある自由主義者でない限りは)馬鹿卑怯者のやり方。

2022-08-02

日本キリスト教婦人矯風会母体世界女子キリスト教節制会でしたが

2000年に除名処分を受けて破門されてるのよね
そして2001年日本キリスト教婦人矯風会世界女子キリスト教節制会(WWCTU)の世界大会へ参加しないことを表明して完全に関係が絶たれた

世界女子キリスト教節制会の正統な日本支部は「日本クリスチャン女性禁酒同盟(矯風会JWCTU)」であって日本キリスト教婦人矯風会ではない
まり矯風会」を名乗る団体が2つあるので単に「矯風会」と表記表現すると誤認する可能性があるので注意されたし

どういうことなのかと言えば、本家本元の世界女子キリスト教節制から見れば現在日本キリスト教婦人矯風会異端であるということ
ただし世界女子キリスト教節制会の教義一般的日本から見ると過激なので日本に合わせてローカライズしようとした日本キリスト教婦人矯風会気持ちもわからなくはない

ちなみに源流であった世界女子キリスト教節制自体キリスト教保守的思想をもとに成立しているので「正しい結婚観」や「正しい家族観」を持っているから、この辺りのことをフェミニズムジェンダーフリーなどを訴える日本キリスト教婦人矯風会へ問えば、Twitterなどで活動するフェミニストな人々は色んな意味で驚くと思うよ
ほぼ間違いなく日本キリスト教婦人矯風会を支持できなくなるんじゃないか

anond:20220802103438

日本での独り身へのプレッシャーは、愛よりも世間体という感じかもね。伝統的な家族観というもので「家族という形」に収まっているかどうかが重要視される。形の保持こそが大切だから、愛が尽きても離婚をしないという選択肢生まれる。

町やお店で独りで過ごしやすいことはいいことだけどね。

2022-07-27

anond:20220727122332

そうだね。結局は組織としての自民党改善されるか、というところが大きい。よく言われるような組織としての柔軟性や議員多様性があるなら、今のタイミングで見せるべきだね。

LGBTはじめとしたマイノリティへの不理解不寛容や、伝統家族観へのこだわりが、カルト由来なのか保守としてのポジショニングポーズなのか、議員世代的な問題なのかによって、改善が期待できるのかは変わりそうだが。

2022-07-23

自民党美しい国論における「伝統家族観」と、統一教会の「合同結婚式」が悪魔合体したら、未婚者なんてアウト・オブ・眼中そのものになってしまうので、自分の快適なシングルライフのために同時消滅してほしい。

2022-07-22

伝統家族観大事にする統一教会にとって、子育てもせず遊び歩いてる安倍晋三、昭恵夫婦なんてサタンにも等しいと思うんだけど、なんで仲良くできたの?

2022-07-20

anond:20220720230648

今はともかく昔は過激共産主義的な勢力への抑止力といういわば必要悪役割を担っていたからいきなり厳しく排除とかは無理だと思う。ただ、政界国家権力財界とかから一定距離を保たせることは大事家族観や性への価値観宗教的ものを持ち込ませるのってホント時代にそぐわない。

我々はなぜ統一教会が嫌いなのか

近代合理主義者と化した保守

安倍晋三暗殺事件きっかけに統一教会世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者ひろゆき山本一郎なのは興味深い

一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的1970年代まれ以下の世代は、保守愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。

無論、1970年代まれ以下の世代でも立場はさまざまだ。

東浩紀1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会擁護というより、スターリニズム連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダン思考原理主義的なドグマにしてしまった模様。

一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会利害関係があるらしい。

https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12

http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html

東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。

今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国中国民主党だけでなく、森喜朗代表される体育会系マッチョ価値観自民党重鎮も不人気で、平然と皇室コケにする書き込みだって多数あった。非合理的宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係肯定する主張は評判が悪かった。

かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか

ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国韓国儒教国家からダメだ」と言う人間が少なくない。お笑いである戦前までの日本だって支配階級の基本思想儒教だった。幕末尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代朱子学が普及して、「幕府天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇教育係の元田永孚西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教価値観産物だ。

だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想日本は、最初から西洋価値観近代国家だったらしい。彼らには古代中世日本伝統価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌能楽歌舞伎浄瑠璃より、漫画アニメゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽予算を削減しようとしてたな。

保守愛国を唱えながら近代合理主義何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代から見れば非合理な考え方に従っていた古代中世人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄から天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。

そうなれば、単に力(財力、権力情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵ワタミ大統領になったら本当にイヤだぞ。

共産主義統一教会環境産物

統一教会2015年世界平和統一家庭連合改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

まり統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的山上徹也個人の家庭を破壊した。

週刊文春7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年秋葉原通り魔事件や、2019年京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったか説明が抜けている。

リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段継承するために血統の存続が重視され、先祖から連続性が意識されていた。漁村商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。

ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供家族から切り離され、父親母親子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界歴史 第25巻』(中央公論社)270p)

統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想伝統的な家族観破壊した」と主張するが、この解釈因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果からまれ思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統共同体解体して蒸気機関工場労働者を世に広めた資本家がいたのである

逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業全否定して国民農村強制移住させたポル・ポトカンボジアこそが理想かよ?

先進国では工業社会さらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1高度経済成長期に中卒や高卒都市工場商店就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。

こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家従属する義理はないか上京以来ろくに親元に帰らない。長男長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地家業を持ってるのではないのだから仕方ない。

統一教会のような保守派は、家族大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造問題にまったく踏み込めていない。

信者にとってのカルト宗教の魅力とは何か?

困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムカルト団体帰属意識を求める者が増える。

エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀から1930年代昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。

統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者気持ち理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいか狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。

先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルト宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルスティーブ・ジョブスのような英才も、最期近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、合理的ものへの免疫をつけておくこと必要だ。

そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営団体も同じだ。

こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いか社会制度近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。

あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場第三者一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。

これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的洗脳する側に忖度するように”誘導”することであるhttps://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。

その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初カップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間常識だと錯覚したという。

これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。

信者教祖や教団幹部個人命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。

思想だけで世の中は動かない

2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合統一教会的なるもの――家父長制バンザイカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。

実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラパワハラは嫌われ、体罰理不尽校則廃止される方向に進んできた。

ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。

近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホコンビニAIドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働人件費の安い海外アウトソーシングしたり国内視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生世界では、依然として日本相手なら許されないパワハラが横行している。

いか自由平等人権といったリベラルイデオロギー字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスアメリカ奴隷制廃止したが、それはリベラル人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。

統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なもの嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観へのPermalink | 記事への反応(1) | 23:06

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