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はてなキーワード: 受験勉強とは

2023-07-28

成田山参道をともに歩き、なごみ米屋羊羹を食べ、酒々井駅で初めての口づけを交わしたあの子子宮頸がんで亡くなってしまった。

彼女千葉県立成東高等学校に進学し日本女子大学に進学した。

当時、彼女栄養学を学んでおり、一橋大学学生であった自分彼女の学ぶ内容に少しの疑問も持たなかった。

一橋大学商学部卒業し、叔父の元に居候公認会計士勉強をするふりをして受験勉強をし神戸大学医学部医学科と医学研究科にて日本医療制度栄養指導生活指導の細部に仕組まれ虐殺システムを解明したが、既に彼女は私の話が通じないほど知的能力問題が生じてしまっていた。

彼女だけではない。小さい頃から自分を可愛がってくれた彼女の両親も、私の両親も、親戚も。

みんな会話が通じなくなっていた。

とにかく言えることは一つ。

ワクチンを打つな。予防接種を打たせるな。肉、卵、魚、貝類乳製品摂取をやめろ。

予防接種を通じて体内に仕組まれシステム動物性たんぱく質の蓄積がなければ働かない。

肝臓内でのCRP合成を惹起するのが炎症部位のマクロファージ(貪食細胞から放出されるサイトカインであるインターロイキン。CRPを上昇させないこともシステム発動を防止する鍵である

anond:20230728145734

受験勉強大学文学部での勉強は全く別の分野なんだから大学勉強途中で放棄してるなら大学勉強できてないただの高卒じゃんバカなの?

2023-07-26

実家の犬へ

実家の犬が亡くなった。16歳。死因は概ね老衰だろうとのこと。

中1の春にお迎えし、自分大学卒業するまでずっとそばにいた。親に怒られた時や、受験勉強で行き詰まった時は、話を聞いてもらうことも多かった。決して人懐っこい犬ではなかったけれど、静かに隣にいて、優しく寄り添ってくれた。大学院進学時に実家を出て、早4年。盆や正月帰省した際には、必ず毎日遊んでもらっていた。

「もう、長くはないのかもな。」6月帰省した際、そう思った。目はにごってあまり見えておらず、散歩の足取りは弱々しい。実家から東京に戻る際、力いっぱいワシャワシャした。「次会う時も元気でな。」

次はなかった。1ヶ月にはまた実家帰るのに。もうちょっと待っててくれよ。

大切な人には会えるうちに沢山感謝気持ちを伝えようと思った。実家にいる祖父母ももう歳だ。毎回のお別れが最後だと思って接していこう。

Twitterに思いを吐き出すのは違うし、かと言って自分の内に秘めておくのも難しかったので、ブログを書くことで溜飲を下ろすことにした。拙く、見苦しい文章申し訳ない。

みなさんも大切な人、ペットには会えるうちに会って、毎回最後のお別れと思って接してみてほしい。後悔なき人生を送れるよう。

最後に。

ロン今までありがとう。いっぱいうまい飯食えよ。

anond:20230726132932

そういう学校にいた落ちこぼれだけど、そもそも勉強がつらくない人ばっかりだったよ

学ぶこと自体が好きだし 単純作業的な受験勉強も、めんどくさいけど結果がついてくるゲームレベル上げみたいな感じの捉え方

後天的に育成可能

先天的に才能があれば育成可能って感じだと思う

結局才能かよって話だけど、本来的には才能があっても育成失敗してるパターンめちゃくちゃ多いんじゃないか

ピリピリ系の教育ママとかほんと子供精神を歪ませる害悪しかいからなぁ

2023-07-24

とんがり乳首女子高生と乳繰り合いながら受験勉強したいだけの人生だった

2023-07-23

anond:20230723202110

もちろん最初から無責任気持ちだったわけではない。

ただ、責任覚悟はいものの、始まりから終わりまで常に一貫した心持ちでいられる人間なんて殆どいないんだ。

たかだか30歳くらいのくせに、医者になりたいな〜 → やっぱり家族が生きがいかな〜 → やっぱり医者になりたいな〜 → …

コロコロ心変わりしすぎ。その堪え性のなさこそが根本的な原因なのでは?

大方、医者になりたいっつって受験勉強してる最中しょっちゅう心変わりして余計なことを繰り返してたんじゃないかと思うわ。

2023-07-20

通信高校指定校推薦について

最近Twitterでたまーに見るけど、意外とみんな知らないんだなと思った

通信制高校って結構指定校持ってるところあるんだよ

Fランばっかじゃなくてマーチ以上や地元評価高い大学とかもある

俺今28歳なんだけど

中学で体調崩す→通信制高校なら行けるかなと進学→別に頭は良くないけどギャルヤンキー多数の中ではかなり上位になる→高三の時に教師に「君の成績ならどこでも推薦できるから言ってね」と言われる→指定校で偏差値55くらいのそこそこ大学行く→JTCホワイト企業就職できてまったり

みたいな感じでめっちゃ良かった

それに俺が行ってた高校では東大とか行く子もいた、通信って登校日数めっちゃ少ないから無理せず塾や受験勉強に全振りできるんだよ

語学留学したりダンススポーツに全振りしてる子、アイドルなんかもいた

下手に進学校行って遊ぶ時間なくなったり病んだりするより通信制高校行くって手もあるよね

就活の時もなーんも言われなかったし

あと、高校の時に「やること全部自分で決めて自分でやる」みたいな習慣付いてたか

大学でもかなり成績いい方だった

anond:20230718202505

受験勉強得意だったやつは最後のチャンスに賭けて医学部に行く光景を何例か見た

2023-07-17

医師学歴ジレンマ

最近医療系のエントリが多くて増田達の加齢を感じる。

実は俺も胃痛や関節痛など若い頃には感じたことのなかった身体の不調が多くなり病院受診することが増えた。

数年前に年齢もあり、胃カメラ大腸カメラ胃カメラ膵臓超音波当てるやつ、肺検査などをまとめて受けた。基本的に異常なしだったが胃カメラピロリ菌胃炎ポリープが見つかった。生検の結果は良性ポリープとただの炎症。胃炎治療除菌の後に定期的に検診をしている。

その中で担当医を一度変えてもらったことがある。最初に診察してもらったベテラン医師に何回か通院した後、ホームページでその医師日本大学医学部出身であると知り診察や検査が急に信用出来なくなり、なんだかんだと理由をつけて旧六医大国立出身若い医師にしてもらった。

ただ、担当医と前担当医の間にジレンマがある。担当医は本当に頼りにならない。体調不良があっても触診すらせずに経過観察か話だけ聞いて薬処方、エコーなどをする時も技師任せで画像を見るだけ。何よりパソコンの画面しか見ず目すら合わせない。

担当医はちょっとしたことでも触診したり自分で診察室にあるエコーをしてくれたり、場合によっては他の科やクリニックを紹介してくれた。

担当医は消化器内科専門医内視鏡指導医ピロリ菌認定医などを持っているが非御三家私立医学部かつ博士なし。一方現担当医は国立卒で医学博士はあるが内科専門医のみ。

心情的には現担当医を信用したい。経済的に厳しい家庭に生まれ田舎の母校では「大学とは国立大学を指す」と教師から言われ、自分にもそう言い聞かせて受験勉強に励み、子供にもそう言い聞かせて育てて来た手前、親の金医師免許を買ったボンボンヤブ医者を信頼したくない。

しかし、やはり現担当医はあまり医師として信用できない。やはり前担当医の方につい診てもらいたくなってしまう。

同じような医師学歴ジレンマを感じたことある増田いない?

2023-07-14

anond:20230714152823

国立理系学生は、こんな感じのクソみたいなプライドの塊が多い。

それじゃあ大学で何をしたのかと言えば、数学ではMathematica任せだし、たくさん書いたレポートでは理論通りのデータが得られなければ捏造

ICTでは、古臭い教科書程度の基礎知識と、それとは乖離した今どきのライブラリ写経して使うだけなので、ちっとも応用が利かない。

受験勉強を頑張った」と「大学でもいっぱい苦労した」以外に、何か誇れる能力ないの?

2023-07-12

手越祐也を愛していた、愛していたかった。今でもきっと愛している。

近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュース世間を騒がせている。

ジャニーズ卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。

手越祐也がNEWSを、ジャニーズをやめて3年が経った。

なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリ騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。

というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ち記憶も色あせてしまうから、「今」が最初最後タイミングなんじゃないかと思った。

何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である

どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。

小学生のころ、私はジャニーズなんてみじんも興味がなかった。

なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモンイナズマイレブン受験勉強ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。

でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもん主題歌だった)も大好きだった。

ごくごく普通小学生だった。

中学生になって、親友ができた。

彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女カラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。

当時4+FANの合いの手リズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。

友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である

親友に頼んでNEWSCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年

まずNEWSの歌にはまった。

アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。

歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。

当時日テレっ子だった私は、イッテQ手越を、everyで小山さんを知っていた。

気づけば親友からテレビドラマバラエティ番組情報アナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。

親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。

それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。

2020年2月NEWS LIVE TOUR 2020 STORY当落発表があった。

2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後2020年STORY

4つのライブ頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事大事ライブだった。

STORYアルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時から気持ち言及するような楽曲インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。

チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちSTORYライブ成功を心から願っていたし、心から信じていた。

しかし、世界新型コロナウイルスによる混乱に見舞われた。

様々なイベントの中止が決まっていった。

STORYももちろん例外ではなかった。

「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。

三大ドーム城ホ横アリ

大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。

ライブ直前のラジオ内で行われたマジカバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。

河川敷ランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。

しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。

実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWS解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。

実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。

それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。

「この作品最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」

そうファンに思わせるほどものだった。

時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしま気持ちは痛いほどわかる。

この辺は一回全員back number水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。

当時高校生だった私も何度も泣いた。

当時仲の悪かった母親背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。

高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。

そんな中で、私はジャニーズWESTに出会っていた。

彼らは底抜けに明るかった。

少なくとも明るくあろうとしてくれた。

まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会たことで私のジャニーズ世界は大きく広がっていた。

NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。

気がする。

あったらごめん。

小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。

増田さんは兄貴高橋君がいるか

加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。

少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。

NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。

ジャニーズWESTはそこが大きく違った。

関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。

WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。

とまあそんな時期、手越が飲んでた。

外で、女の子呼びつけて。

「ねーわ」って思った。

でもまあ手越だし。

そういうやつだし。

そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。

まあ謹慎開けたらちゃんと戻って来るやろと思っていた。

文春では退所報道とかもあった。

正直なところ不安も大きかった。

Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。

見るのが怖かった。

それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者ジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。

3人のステージを見て、安心した。

泣いた。

それはもうボロボロ泣いた。

簡単セトリを書くと

クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分パート歌詞を書いた。手越ソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。

weeeek」:6人時からずっと歌っているライブ定番曲であり、代表曲

エンドレスサマー」:6人時代の思い出の曲

「Going that way」:小山さんのソロ

世界」:加藤さんのソロ

「戀」:増田さんのソロ

UR not alone」:4人の代表曲ライブ最後アンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビ手越ソロパートこちらも歌唱ナシ

手越ソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。

ほかの2グループアイドルらしいきらびやか衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSファンと、それから手越のことしか見ていなかった。

セトリを今確認してみても、MCがないのはNEWSだけだ。

状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。

当然だろう。

でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。

私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。

違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。

3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報リークされた。

昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。

私はそのリー情報が本当な気がしてならなかった。

どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。

ただの現実逃避だ。

知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。

朝起きて、ニュースを見た。

不思議とこの日の朝から記憶あいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。

泣いた気がする。

気がするだけだ。

3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。

せめてSTORYは終わらせてから抜けてほしかった。

あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。

事務所じゃできないことって何なんだ。

会見と、その後の活動半年間くらいはみていた。

でも結局彼がわからない。

今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれ感情なのかも正直わからない。

「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。

それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまたことに激しく怒っていた。

暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。

それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。

心のどこかで彼を信じていた。

彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。

でも、脱退前後以降の彼の行動は到底許せるものではなかった。

気持ちの整理がつかなくても手越勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。

少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。

あといつの間にかNEWSKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。

ずっと中堅くらいの意識だった。

そういえばもう嵐もTOKIOV6SMAPタキツバいねえや。

あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。

ジャニーズ事務所手越アイドルでいさせてくれた。

あの事務所のおかげで、私たち魔法にかかっていられた。

脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドル事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。

違う。

多分違うと思う。

あなたは“魔法”をかけてもらっていたのだ。

“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所NEWSアイドル手越祐也”だったから、私たちあなた素行を、すべてひっくるめて、「アイドル個性」と思って愛することができた。

むろん愛すべきところがたくさんある人だ。

花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。

周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。

人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。

いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモ担当していた。

あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。

運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。

彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。

どこにも行かないとは思っていなかった。

きっといつかどこかへ行ってしまう人なのだろうと思っていた。

それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。

今でも正解がわからない。

NEWSいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情いつまでもぐるぐる渦巻いている。

カラオケSUMMER TIMEMVなんか見ちゃうやばい

あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか

気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。

この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。

この三年間、私は手越を恨み続けてきた。

コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。

ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。

これはささやかな反抗だった。

私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず手越さん」と呼んでしまうのだ。

結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。

退所前後の一連の行動は許していない。

きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。

今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。

彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。

好きになってしまうのはしょうがない。

あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動応援したい。

もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしま天才的なバラエティ感覚享受したい。

でもだめだ。

ダメなのだ

許せないのだ。

何一つ。

愛していたからこそ。

信じていたからこそ許せないのだ。

それでも愛しているのだ。

結局この話に結論なんてない。

せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。

ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。

というのをどこかに放流しておきたかった

すべてのアイドル幸せでありますように。

できる事ならファンにとっての幸せと、アイドルにとっての幸せが同じでありますように。

2023-07-10

誰もが頭を使った仕事をする必要はないんだ

ワイは1浪して阪大入って某大手コンサル内定決まって卒業して就職して4年で精神脳みそをぶっ壊して2年引きこもって、今は倉庫で延々とピッキング作業をしてるけど今が一番幸せだ。

たぶん、俺自分の頭で考えることが極端に苦手なんだよな。

与えられた問題を解くことは得意だけど問題を考えることが苦手。いや、コンサル入る前に気づけよって感じだったし、そもそもそんな奴は面接ではじけやって話でもあるんだが、間違えて入ってしまってドチャクソきつかった。

ただ指示された荷物を最速最安定で積み込む今の仕事はとても楽しい

なにより、やったら終わるの最高。受験勉強頑張れたのも、受験問題は答えを出したら終わりだったってのもあるんだろう。やってもやってもどこが終わりかわからんコンサル仕事は本当に苦痛だった。

本社の人が「阪大卒で〇〇勤務だったのに倉庫作業なんてもったいないから君が希望するなら本社に上げるけど」って言ってくるけど、マジでノーサンキュー。ワイみたいな人間にはただただ単純作業させておいてくれ。

近々、フォークリフト免許を取る予定。

2023-07-09

母親が憎い

奨学金大学卒業した。

高校時代予備校には通えず通信教材で受験勉強国立一択大学時代家賃35000円の部屋。

そんな人は世の中にいくらでもいると思うけど、俺の場合本来そんなことする必要なかったか母親が憎い。

小学生入りたての時期に建設会社不動産会社を営む父と母が離婚。俺は母と引っ越した。ボロボロ公営住宅、車もない、キャンプバーベキューをしてくれる父親もいない。家庭環境は俺に強いコンプレックスを植え付けた。

父は裕福だった。優しかったしよくキャンプバーベキュードライブに連れて行ってくれた。欠点九州男児特有の頑固さと女癖の悪さくらい。俺も小さい頃祖父と父によく綺麗な女性がたくさんいる店に連れて行かれ父の膝の上でお姉さん達から可愛がられていた。

大学生になって一人暮らしを始めると父と連絡を取り合うようになった。小遣いもくれたし、免許資格試験のための予備校代も出してくれた。車も買ってくれた。その時に知ったが、母は父から養育費お金支援を拒んでいたらしい。つまり自分の意固地さで俺に無駄な苦労を強いたことになる。

社会人になってから父と父の再婚相手の間に生まれた異母兄弟とも仲良くなったが、彼らは裕福な幼少期、少年時代学生時代を送っている。本来で有れば俺も無駄コンプレックスを抱かずそんな生活が出来た。

母親にもう少し辛坊さがあれば、俺は惨めな思いをする必要なんてなかった。愛人隠し子がいようが、横柄だろうが、酒癖が悪かろうが、俺には最高の父親なんだ。

それを一方的に奪った母親が憎い。

2023-07-08

地頭が悪い子供のほうが可能性がある

小中の勉強余裕のよっちゃんで全く勉強せずにパスできたが、高校に入るとテスト勉強をしなければならなかったり、受験勉強をしなければならないのにどうしてもやる気が出ない

マジの天才であれば高校勉強だってノー勉でいけるだろうし、地頭は悪いが努力できるやつはちゃんと伸びる

そして努力しても伸びないor地頭が悪いのに努力しないやつは「頭が悪い奴」として期待されずに済む

そう、地頭が良いやつが一番損をしているのだ

勉強するという行為人一倍苦痛に感じるし、ある時点までは成績も良かったので周りからの期待も高いので板挟みになる。

しか学力は(相対的にかもだが)落ちていくのでますます自信が無くなる。

だったら最初から地頭が悪くて、でも小学生の頃からコツコツとテスト勉強が出来る人間のほうが200倍マシだと思う

し、そういう奴の方が地頭が良いやつよりよっぽど良い大学に行き良い企業就職すると思う

地頭が良い」子供を持っている親御さんは是非、ハイレベル小学生受験中学校受験経験させ「勉強」を経験させてあげてほしい(勿論、教育虐待なのは良くないと思うが)

それかもう大学附属に入れてエスカレータ式に大学に入れさせてほしい

きっと、勉強以外に好きなことがあるだろうから、それに熱中させてあげてほしい

俺みたいなやつをもう生み出さないでほしいので、どうかお願いしま

2023-07-07

銀の匙八軒くんの感想

銀の匙という、荒川弘の書いたマンガがあります

これは、「札幌育ちで、受験に失敗した八軒くんが、農業高校に進学して成長する物語」なのですが…八軒くん、つらい受験勉強をしたから、まんべんなく勉強ができる基礎学力があるんですね。

しかし、農業高校クラスメイトは、みんな自分の得意分野を持っていて、「全科目2位」というすごいけど本人的にはスッキリしない結果に落ち着くんですね。

それが本人には自己肯定感の低さにつながるのですが…

「何でもまんべんなくできて、いいやつで、苦労して勉強して覚えたから覚えるのも教えるのもうまい!」

から農業高校頭角を現して、自信もつけていく。…というマンガです。(めっちゃ面白いからぜひ読んでね)

都会やニュータウンで育った子には、受験学内成績では振るわなかったけど、「やってきた努力があるから地域によってはすごくレベルが高い」という子が…少なからずいるんですね。

1巻か2巻までしか読んでない人間じゃないとこんな感想書かないと思うんだが、この人ちゃん銀の匙読んだのか?

2023-07-05

ほならね、棋士脳みそは使えない脳みそなのかっていう話なんですよ

トップ棋士東大生大学入学共通テスト対決したら東大生絶対勝つよね。

トップ棋士クイズノッククイズ対決したらクイズノック絶対勝つよね。

トップ棋士とワイがプログラミング対決したらワイがたぶん勝つよね。

トップ棋士とワイの会社SE要件定義対決したらたぶんSEが勝つよね。

 

ほならトップ棋士脳みそは使えない脳みそなのかっていう話なんですよ。

 

ボディビルダー筋肉は使えない、格闘家と戦ったら絶対負けるって言うけどさ。

別にボディビルダー筋肉は誰か格闘して倒すためにつけてるわけじゃないんですわ。

トップ棋士が日々、受験勉強のために脳をフル回転させてるわけじゃないのと同じなんですわ。

 

使えない見せるだけて言うけど、普通にパワーはあるからね。

うちのジムにDE〇Pに出場してる格闘家の人が来てるけど、

同じ体格の格闘家と比べれば挙上重量は歴然の差がある。

じゃあ格闘家がパワーがないのかって言うと別にそんな話じゃなくて、

同じ体格の格闘家ボディビルダートレーニングしたら同じくらい挙がるようになる。

別に格闘家相手を打倒するのに挙上重量を求める必要がないからそうしてないだけ。

同じようにボディビルダー別に誰かを打倒する必要がないからそういうトレーニングをしてないってだけ。

 

なぜ同じ脳みそ、同じ筋肉からって専門的に鍛えてない分野で競わされて優劣をつける必要があるのか。

これがわからない。

2023-07-03

anond:20230702221843

頭でっかち受験勉強しかできない」って、増田コンプレックスやんけ。

勉強せずにFラン出てブラック入って、有給もまともにとれないせいで受診遅れてるんじゃん。

2023-07-02

anond:20230702083709

外野である俺達にそれ語り掛ける意味あるの?

どうなればいいのかを考えるべきはジャニーズ当事者関係者共犯者たちであって、あくまでも外野はそれがアリかナシかを判断する側だよ

どうなればいいのかわからないっていうのは、それくらい問題を先送りし続けたツケだ

自業自得だよ

たとえば、、受験勉強を何年もサボり続けて40歳になった大学受験生に「もうどうすればいいのかわからない!この年齢じゃ人生設計も立てられない!どうすればいいんだ!」って言われても「知らんがな」としか言いようがないだろ?

それと同じだよ

2023-06-30

結局6月受験勉強できなかった。ふざけんなよネトウヨ

LGBTQ法案トランスジェンダーゲイへの風当たりが強くなって、ネトウヨリベラル叩きが酷いお陰で全然大学受験勉強ができなかった

マジでネトウヨ特にはてウヨさないわ。

はてウヨリベラルとかLGBTQ叩いてる暇あったら残業でもしててくれよ

7月受験天王山からpixiv増田4chanはてブ嫌儲Twitter絶対にやらないわ

これでまたネトウヨレスバトルで7月台無しになったら本当に医学部落ちる

派遣とか専門行きになっちゃうよおお

ガチでじゃあな

2023-06-28

受験戦争って言わなくなったね

俺は第2次ベビーブーマー

大学受験が激しかった一浪で人並みとか言われてた世代

でも今は中学受験まり小学生から受験勉強さらされて

今のほうがよっぽどひどいんじゃないかと思う

子供の数は減ってるんだから倍率減っても良さそうなのに

俺らの世代受験戦争なら

の子供は受験地獄って感じ

anond:20230628011539

そんなこと思う小学生、この世にいるわけないだろ

なぜならその先に辛い受験勉強や、残業残業で働く社会の辛さなんて想像もつかないからな

2023-06-15

anond:20230609183108

氷河期世代だけど半分くらいは共感できる

一方で、表面だけ見て批判してくれるなよとも思うのよね

個人的氷河期世代の不幸は経済状況だけじゃないと思ってる

それに伴う社会価値観の転換とハイティーン就活の時期がかち合ってしまったんだよな

氷河期世代の親って団塊世代バブル初期の上昇気流の影響モロに受けてるから

俺らはその価値観の中で育ったわけ

「男は受験勉強死ぬ気で頑張れ、そして大企業に入れれば終身雇用で一生安泰」

「そのうちお嫁さん貰って家事育児はやってもらって、より一層仕事に注力してお金を稼ぎましょう」

簡単に言うと「上手にレールに乗れよ、脇道にそれるなよ」って強く言われて育ったのが俺たちの多数派

それで社会に出る直前まで育ってきたのに、

いざってときにはバブル弾けてレールがなくなったわけ

社会が急に「レールに頼るな、自分の頭で考えて自分の足で歩け」

って言い出すわけ

でも俺たちはレールに乗る未来しか描いてこなかった

道はぬかるんでて水たまりだと思ったら底なし沼だったりするんだけど、俺たちはその見分け方を習ってない

一度足を踏み外して沈んだら一生沼の底でもがかなきゃいけなくて、そうなったらそれは自己責任だという

誤解を恐れずに言うと、俺たちは心の準備ができてなかったわけ

ウソだろ…」ってポカーンとしたままトコロテン方式背中を押されて沼地に放り出されたわけ

もちろん鋭くて早く時代適応して成功した奴もいた

増田もこういうやつのことは「努力した」って認められると思う

でも大多数が幼少期から教育呪縛を逃れて現実を見られるようになったのは、

社会に出てから数年後だったんだと思う

俺らの学生時代なんてmixi一般公開するかどうかって時期だから

ネットも今みたいに羅針盤にはなってくれなかった

人生設計を考えるなら上の世代を参考にするしかなかったのだが、それが突然何の参考にもならなくなったわけ

逆恨みは醜いと思うし、全てを時代のせいにもできないだろう

けど、やっぱり当事者としては明確に被害者意識はあるよ

受難だと思うし、真っ当に生きられない材料が多すぎたと思う

からやっぱり嫌いだわ

沼の底を覗き込んで虫けらが勝手にもがいてるみたいに嘲笑ったり

したり顔努力が足りないとか言ってくるような

お前らみたいなやつらのことは

2023-06-12

anond:20230612105040

どこまでやるか問題だね。おれも地方出身東京在住だから受験に対する考え方の差はよく分かる。

東京での公立私立の話を聞くと、やっぱり環境人間関係を選ぶという点が大きいんだろうな。綺麗事は言えるけど、周りの子もの性格学力次第で、未来選択肢が少なからず変わるだろうから

そのうえで、本人が頑張れる範囲勉強してもらって、本人が望む範囲で親が協力するしかないんだろうな。増田にできるのは、本人の本心から言葉ちゃんと聞き出すこと、嫌になったら方向転換もあり得るんだぞ、という選択肢奥さん子ども共に提示し続けることかも。

受験勉強人生破壊された」と後で言われたら悲惨だしね。

2023-06-10

どの教授師事するかガチャで決めろ 中学生のうちに

受験勉強頑張ってたら地方大学なら余裕だろ

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

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