はてなキーワード: 医学とは
トンデモ医学に対する批判もちょっと調べればたくさん出てくるし、
頭のおかしい経済学者もいるけど、ちょっと調べればそれに対する批判もすぐわかる。
でも下のほうでも出てる、 「山口一男(シカゴ大学社会学教授) vs 女子大生起業家」 に対して、山口大先生に苦言を呈してるなのある社会学者っているの・・・?って感じだよね。
まぁそういうやつのほうが拡散されるから目につきやすいだけだとは思うけど、山口大先生の擁護か、どっちもどっち論でうやむやにしようとしてるかのどちらかだった気がするけど。
科学は、明証ができるまで対象を小さくして、明証、分析、総合、枚挙を積み重ねて、批判に耐えうるものが正しいという考え。(デカルト)
個体差が少ない物理や数学や化学は実験したりして証明さえすればよい。
個体差が多いがサンプルが多い生物、医学、対象をしぼった心理学、経済学などは統計処理で有意性が見いだせればよい。
個体差が多いがサンプル数が少ないような学問分野は明証の時点でつまずいてしまう。心理学、経済学もそういう物はちらほらあるが、社会学、経営学あたりになってくると特異な一例を紹介しましたーみたいになってしまう。
こんな状況で社会学を研究しているのはつらいという気持ちはよく分かる。
だって、偽物が跳梁跋扈している現状は今に始まったことじゃない。
それから20年経って、状況は改善したかと言ったら全くしてない。
2018年には、ナチスのわが闘争をもじったりしたバカ論文をフェミニズム論文誌に送ったら7本も通ったって第2ソーカル事件が起きて、何一つ状況は改善してなかった。
それら状況をきちんと学問界隈として総括したかと言えば、何もしてない。
偽物は社会運動に耽溺し、アカデミズムの看板で社会運動にうつつを抜かし、何一つ学問としての堕落は改善されていない。
学問でございって顔して、なんの根拠もなく世界中で他人を悪人扱いしている学者集団がほかにいるか?
こんなに素人にバカにされてて、ネットで素人に誰からも分かる形で論破されてる学問が他にあるか?
学問としてのソースを出せずに、根拠を問われて「私の気持ち」なんていう学問が他にあるのかよ。
積もりに積もった疑念があらゆる界隈から向けられてる。こういうときに「我々の社会学には純然たる研究に裏打ちされたがあり、こういう理由で我々の理論は正しいのだ」といえない時点で、学問としては敗北で、「まともな学者もいるんだって」なんていいわけみっともねえと思わねえのかな?
だって、そう言ってる人たちも、「偽物ばっかりの世界だ」って認めてるわけでしょ?
そレは偽物の研究で、俺たちの理論こそ本物だって駆逐したか? してねえだろ。
全力で戦えよ。そのためならいくらでもエンパワーメントしてやるよ。
でも、そんな戦いすらせずに、「俺だけは別です」みたいな顔してるんじゃねえよ。
野放しにし続けてるだろ。学者としてのキャリアを賭けて戦いを挑めよ。
親の借銭背負うみたいな話で大変だと思うが、それでも戦えよ。偽物ばかりの世界を真実で切り込まないで何が学者だよ。
とりあえず、「自分は正しい。自分たちは間違えてない」と思うのなら偽物に戦いを挑めよ。
とても状況を見るに、偽物と全力でぶつかってるとは思えない。
偽物ばかりの世界で、偽物が嘘をばらまいてるなら、その嘘と戦え。
医学も感染症学会も、偽物のトンデモ医師が出てきたら戦ってる。社会学もキャリアを賭けて戦え。
それが学者としての使命だろ。社会学者が信頼されてないということは偽物の跳梁跋扈を食い止められてないってことだ。
だから戦え。
それが学者としての使命だろ。
https://togetter.com/li/1660066#comment
コメント欄があまりにもひどい。「社会学は学問ではない」「イデオロギーだ」という主張を非科学的な手法で、感情論に任せて行う。まさに社会学叩きこそがイデオロギーと化している。自己矛盾としか言いようもない。
社会学の学問としての是非はともかく、叩き方があまりに雑すぎるのではないか。
心理学系の論文の再現性を検証した論文が何年か前に話題になっていたが、学問の科学的手法をとった批判とはあのようにあるべきだろう。
としても、そうした属人的な事情は学問つまり研究結果や論文とは分けて考えるべきだ。仮に社会学者に人格破綻者が多かったとしても、学問自体の問題ではない(雇用主である大学側としては問題かもしれないが)。
これは社会学批判としては真っ当だ(実際にどうなってるかは知らない)。
が、『「査読システムが酷い」から社会学系の査読論文全てに価値がない(ひいては社会学者の主張は全てクソ)』とするのは間違っている。そもそも「査読システムがひどい」自体にエビデンスがなく定性的で主観的な意見であるからだ。この方向性で批判するのならば、社会学の査読システムに関してきちんと研究し、研究内容を論文にまとめて査読に出すべきだろう。そうして初めて主張に価値が出るのが科学の筈だ。
『個々の論文に関しての評価には、査読が必要』という前提条件から「査読システムがひどい社会学」をバッシングしているのにもかかわらず、「社会学は査読システムが酷くてクソだから社会学系の論文は全て価値がない」とするのは論理が破綻している。
自浄作用というのが、いったい何かわからないので何もいえない。ある社会学者の主張を批判するような内容の論文が出せないということだろうか?それならば確かに問題だ。が、「こいつを批判しないならあいつも敵」という風潮を取り入れろという話ならば、そちらの方が問題があると思われる。なんにせよ自浄作用という言葉が抽象的すぎる。
ネット上の社会学批判はあまりにも雑だ。エビデンスに基づいていない、社会学者個人の発言の問題を社会学全体に拡大して批判する、批判する人々のうち誰一人論文を読んでいない……このようなバッシングで、社会学という学問自体が潰れるのはイデオロギーに対する科学の敗北だ。
もし社会学が非科学であったとしても、社会学の構造上の問題点は科学的に検証されてから潰されるべきである。(個人的には、社会を研究することは絶対に必要だと思うので問題点があるのなら解消して欲しいと思う。)
n4b 社会学の一部の人って自らの研究対象に対するイデオロギーが非常に強いと思うんだけど、それって研究者のスタンスとしてどうかな、とは思う。本来はフェアな立場で批判的にデータと向き合うんだけど
これはもうごく個人的な意見に過ぎないけど、研究者の研究対象に対するイデオロギーの強さはどの分野においても仕方ないものだと思うよ。
研究者も人間だしね。北極グマが大好きだから北極グマを守るために科学者になるし、地球温暖化や環境問題に関する研究をするようになる。気候変動による生態系の崩壊を目の当たりにすれば、当然それを防がなくてはならないと政治的な意見を持つようになる。
社会学者も(会ったことないから知らんが)社会に問題意識を持ったからこそ社会学を専攻したんだろうし、そこでイデオロギーが動機になるのも、結果的に特定のイデオロギーを持つようになるのも当たり前と言えば当たり前じゃないかな。社会という研究対象の特性上、他の学問よりもそうなりやすいだろうし。
それに、研究者自身に思想はなくとも研究者は研究が資金を必要とする以上、どこかからバックアップを受けなきゃならない。企業の研究者は企業の営利のための研究をしなきゃならないし、国の研究機関だって国益のために金を出している。研究者が完全にフェアな立場に立つのは無理だ。
タバコ会社がタバコを無害を示す研究に資金援助したり、石油会社が気候変動とCO2排出量の関係を否定する論文に資金援助したりだとかは、今更無くそうと思ってなくせるものだとは思えないしこれからも増えて行くだろう。
でも、タバコの無害を示す研究も、気候変動はウソだとする研究もあっていい筈だ。むしろ無くちゃ困るものだ。問題は利益のために研究を歪めていないかであって、イデオロギーに基づくかではない※1。
は研究者として本当に重要なことであるし、特定のイデオロギーに肩入れし、恣意的なデータを示す研究者は研究者と言えないと思う。が、やはりそれは研究手法や統計解析方法などから批判されるべきであって、「研究者の立場がフェアでないからこの論文は信用に値しない」とすることは非科学だろう。
研究者がイデオロギーフリーであることもフェアな立場であることも難しいが、データに批判的に向き合うことは出来る。論文の著者は批判的にデータに向き合い、思想によって歪められていない研究結果を示すべきだし、読み手(査読者も含む)もまた思想に囚われずに研究結果に向き合うべきだと思う。
自分も(知ってる範囲の)社会学者のスタンスが好きか嫌いかというと、嫌い※2。だが、著者のスタンスではなく論文を読んで批判するのが、批判者としてのあるべきスタンスだと思う※3。科学を科学たらしめるのは論文ではくて、論文を評価する人間の存在だろう。
※1「利益のために研究を歪めていないか」なんかをチェックするために医学系の論文なんかだと、〇〇製薬に援助を受けました、と書いて利益相反をはっきりさせているが、社会学にそれが必要だとは思わない。
※2 一応論文を書いてる社会学者よりも、雑な理由で社会学全体をバッシングする奴のほうが嫌いである。単なる好き嫌いだがメディア露出の多い研究者は基本的に嫌いだ。社会学含め人文科学には興味がない。
※3 興味がないので論文を読みたくないし研究もしたくないから社会学という学問の在り方について批判も肯定もしたくない。
babelap 追記、イデオロギーについて「ほかでもやってるし」で免責すんなや。学問についての取り組みがイデオロギーで歪められてたら批判されるのはどの分野でも当たり前だ。社会学が影響されやすいならなおさら言われるわ
どの分野においてもイデオロギーと科学は切り離しようがない。社会学のような実社会を対象にした分野(※)では殊更イデオロギーフリーになることは難しいだろう。だからイデオロギーフリーかどうかを研究結果の価値判断の基準にするのは無理がある。「この学者は〇〇思想だから、この論文はゴミ」というスタンスを取るのはそれこそ、イデオロギーであり非科学だ。
研究結果、研究で得たデータがイデオロギーによって歪められ、異なる結論が出されるのは無論問題だ。それはどの分野でも問題になることであるが、「データが歪められていないか」というのは利益相反の有無からではなく研究手法の検証や再現実験などによって判断されるべきだろう。それが科学だ。
※自分の専攻が不幸にも政治的意味を持ってしまうことはままある。環境系などは特に顕著だが、最近では感染症系がいい例だろう。「コロナの危険性」だとか「〇〇な活動がコロナの感染拡大に及ぼす影響」だとかを研究し始めると、右のだ左だのがそれを政治的な意見のエビデンスとして使用し始める。専門家としての見解を少し喋れば、それが政治的な表明として受け取られる。メディアでの身の振り方に不慣れな自然科学者がうっかりテレビに出て無知な大衆にバッシングされるのは見ていて痛ましかった。左/右にとって都合がいい意見だから、こいつが言ってることだからで判断せず、疑念を抱いたのならクリティカルにソースとなる論文から検証すべきだろう。新型コロナは新参が多くて論文が読みやすいそうだから、これを機に物おじせずにGoogle翻訳機片手に読むといいんじゃなかろうか。論文を読む側も検証者として、科学の構成員である。(そういう意味で、「私は感染症素人ですが、皆さんと一緒にコロナについて勉強したいと思います」とサイトを開設した山中教授の行動は素晴らしかったと思う。)
日本の社会学はクローズドだというが、我々一般市民も、(金のために書かれた)出版社の本を盲信するのではなく、思想に基づいて雑に叩くのではなく、社会学を学び論文を読むことで、学問の裾野を広げ、日本の社会学をこじ開けていけるといいかもしれない。
(また余談が長くなったので終わる)
検査スンナ派息してるの?自民党の職員が一人出ただけで大慌てで検査してるけど、当然自民党批判するんだよね?医学的に間違ってますとか言うんだよね?
なんで検査しなかったの?世界的にどこもかしこも検査しまくってるんだけど。なんでジャップはルワンダ並みの検査数なの?ねえなんで?EUから出禁になったけどどうすんの?
俺にはわかるよ。韓国が検査しまくって感染抑えたからでしょ。韓国を毛嫌いしてる皆さんは韓国の後追いをするのが許せなかったんだよね?後塵を拝す形になるのがプライド傷つけられたんだよね?
嫌韓が票田の自民党としてもそうなるわけにはいかなかったわけじゃん。
その結果コロナの対応は後手後手wwwww人種差別的な嫌韓ヒステリーで正しい対応を意固地になって取らなかった結果感染爆発でジャップコロナでコロコロ死んでトンキンオリンピック大枚はたいたのに休止wwwwwwwwww実にジャップらしい末路。スカッとジャップ。
意味不明な嫌韓ヒステリーの結果だよ?別に韓国を好きになれとは言わん。正しく嫌おう。
韓国は戦時中ガーとかいらないからw戦時中だったとしてマネできるところはマネできたよね?全部一から十までできないにしても似せることはできたよね?なんでその努力しなかったの?なんで成果が出るかどうかわからないジャップモデルに走ったの?
ヘロドトスという古代ギリシアの人物は『歴史』という書物を著し、これは世界最古の歴史書と言われていますね。偉い人です。
ところであなたは、現在大流行しているコロナウイルスが後世どのように捉えられるか見当がつきますか?
私は全く見当がつきません。というか、正確に言うと私はコロナをテレビが言うような形では恐れていません。
このように申し上げると私を陰謀論者だとか、「コロナは風邪」でおなじみの平塚正幸信者かと誤解される方がいるかもしれないので先に申し上げておくと、そのようなことはございません。昨年の東京都知事選挙では無効票を投じました。
ただし、電車では決してマスクを着けません。昔から喘息だったのでそのせいか、神経過敏的なものなのかわかりませんが(小児科医に相談したこともありますが)はっきりとはわかりませんがもともと呼吸がスムーズでなく、マスクを着けると明らかに周囲の人よりも苦痛を感じているからです。
(ちなみに、飲食店や商業施設等、また仕事や目上の人と会うときはピッタマスクを着用します。)
前置きが長くなりましたが、私はコロナウイルスを昨年春より世間の感染対策からはやや距離をとってニュース等を見ていました。2020年の2〜3月にはコロナウイルスとは何ぞやということについて色々な人と意見を交わし、大体スタンスが固まっていました(これについても話したいことは幾らかありますが…)。
そんな私は「コロナ禍」という言葉を使う方が多くいると思うのですが、それを聞くたびにモヤモヤっとした嫌悪感を覚えるのです。
まぁテレビを始めとしたメディアや偉い先生方、発言力のある方々がこのような言葉を使って2020-2021年の特殊な状況を批評するので一般人もこの言葉を利用するのは理解できるし、また語呂もよく使いやすいとは思うのですが、とにかく腹が立ちます。
その言葉を聞くたびに、「お前は偉いのか?ヘロドトスなのか?」という感情が喉元まで出てくるんですね。
言いませんけど。
つまり、現在進行形の、まぁ多くの人が困っている状況について貴方は何様の目線で批評を下しているのですか?と、感じるのです。
繰り返しますが、コロナウイルスは実際にあると思うし、おそらく人類に対して脅威となる疫病ではあると思います。
しかしその実態としては、ウイルスが悪いというより、現代日本の社会が単純に体制の変更を迫られているという問題に近いのではないかと思うのです。
別にこのようなことを主張したい訳ではないのですが、あまりにも多くの人がコロナウイルスの問題を無神経に扱い過ぎていると思います。特に「コロナ禍」という言葉からはその姿勢の最たるものを感じます。そういうものは後世から振り返られるものではないですか。とりあえず周りに合わせてマスクして帰省を自粛するあなたに、2020-2021年の問題を総括する資格があるのですか。みんな同様に困っているのだから、こういう時こそ一人ひとりにできることをして周りの人に貢献する、っていうのが社会というもんじゃあないんですか。
男性が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染すると精子の細胞死や炎症、酸化ストレスが増加する恐れがあり、生殖能力が低下するかもしれないと指摘する研究が29日、生殖医学専門誌「リプロダクション」に発表された。https://t.co/MW7YF2vTiE— AFPBB News (@afpbbcom) January 29, 2021
子供の頃に鼻くそを食べていたという記憶は多くの人にあると思うけど
おそらく、そんなの食べなかったと言い張る人もそれなりにいると思う
「コアラの子供はお母さんのウンチを食べることでユウカリの毒素を分解するための酵素を取り入れている」という話を思い出した
人間の子供も本能的に、何かに対抗するための物質を得るために鼻くそを食べている、鼻くそは人間の子供にとってワクチンのようなものである、という仮説はどうだろう
HPVワクチンの二の舞は避けたいという論調になってるが、なんでHPVワクチンが騒がれたかを忘れてるんだろうなあ。もしくは意図的に無視してるか。
あれは、副作用を起こした人に対して医学側が「気のせい」というフレーズだけを放って適切な処置をしなかったから、その人達はマスコミに垂れこんで救いを求めるしかなくなり、結果として騒ぎが大きくなった。
その反省が医学側に全くないようだ。マスコミをスケープゴートにしている。
半年後にはコロナワクチンで重い副作用を起こしたけど「何も対処してもらえなかった」という訴えが万単位で起きるのだろうなあ。
性同一性障害の原因がホルモンシャワーってのがずっと言われてたが2、3年前に否定されなかったか?これはガチで聞き齧りだからすまんが。脳の性分化の存在自体は否定しようもないと思うよ。
男性脳女性脳は一人歩きしすぎて(今現在出版されてる一般向けの本なんかは)オカルトと言われても仕方ないと思うよ。昔の脳科学は適当すぎたというが、現在だって「かもしれませんね」レベルことを専門家名乗って適当言って金稼ぐ奴が多すぎてオカルトと言われてもしゃあないと思う。
医学分野じゃ動物実験レベルの話を人間に適応して誇大するのなんか似非科学とまで言われたりするのに、一般に向けて喋る脳科学者は何でも飛躍させすぎだと思うわ。
脳の中の性自認を決める仕組みがそのうち明らかになるんじゃないの? この人は性器は男性だけど脳は女性と客観的に証明できるような。ついでに同性愛になる脳の奇形も特定されると思う。
もっと技術が進めばトランスや同性愛者の脳をいじってノンケに「治療」する方法さえ見つかるかも。
ただ、「医学」の言葉に従わずにいるだけの話ではないか。医学の言うことを認めろ。医学に従え。そのような要請を聞き入れていないだけではないか。
トランスジェンダー差別と言われるもののよくわからないところは、「その人の自称する性別で扱ってあげないと差別」というところだ。
人には相手の年齢や性別を識別する機能が備わっている。目の前の相手の顔や声や背格好、視覚情報と聴覚情報を脳で統合した結果から相手の性別を認識できる。それに従って目の前の相手を「何歳ぐらいの男性/女性」として扱っている。
おっさんがおばさん扱いされたいと思うのは自由だ。しかし、そう願うおっさんをおばさん扱いしないのは差別なのだろうか?
もしおっさんが、「女性として生きたい」ではなく、「イケメンとして生きたい」と思っていた場合、おっさんをイケメンとして扱わねばならないのだろうか?そうしなくては差別なのだろうか?
なぜ「性別」の場合に限っては、「自認」に基づいて判断しなければ差別なのだろう?
性別や人種や家柄は自分で選べるものではない。私はアメリカ人だと自認しています。私は奈良時代に生まれたと自認しています。などといくら言っても、変わることはない。性別も同じだろう。
「心の性別」という言葉があるが、それはトランスジェンダー当事者にしか認識されないものだ。普通の人は心の性別の存在など気づかない。あってもなくてもいいものだ。だから近年になるまで周知されていなかったし、普通の人は口にもしない。その目に見えない「心の性別」では「私は男だ/女だ」という自認をしているから男として/女として扱って欲しいと言われても、「あっはい」としか思えない。「身体の国籍は日本人ですが、心の国籍ではフランス人なんです」と言われるのと同じだ。こちらからすれば「心による自認」など荒唐無稽な戯言である。
しかし心の性別と心の国籍には大きな違いがある。心の性別に関しては「性同一性障害」という障害が医学的に認識されていて、同じような問題を抱える人がたくさんいることだ。
そう、それは病気だ。病気には理解を示すべきではないか。科学が証明しているのだ。トランスジェンダーは存在する。思い込みではない。性同一性障害者は性同一性障害者であるから、その人の自認に従って扱ってあげなくてはならない。
自認している、相手がそう思っているから、そうしてあげなくてはいけないのではない。イケメンだと思い込んでいても不細工なら不細工として生きねばならない。が、性別に限っては体の性別と自称する性別が異なる場合は病気だから、認めてあげなくてはならないのだ。
ーーーというような説明でトランスジェンダーを認めるべきだと言われているように思う。
病気の人を医学的に望ましいとされる病気の人のための扱い方で扱わないことは差別なのだろうか?
統合失調症の妄想には肯定も否定もしてはいけない、というが、統合失調症患者の妄想を否定することは差別なのだろうか?その場合でも、健常者の妄想を否定することは差別ではないはずだ。
何が違うのだろうか。
ただ、「医学」の言葉に従わずにいるだけの話ではないか。医学の言うことを認めろ。医学に従え。そのような要請を聞き入れていないだけではないか。
病気を病気だと認めないことは果たして差別なのだろうか?『統合失調症なんて存在しない。こいつは気が狂ったふりをしているだけだ』と主張することは差別なのだろうか?科学的にはーー確実に統合失調症は存在する。しかし科学的な、論文の蓄積こそが真実だとするのは、価値観の押し付けではないか?
科学や医学や現代的な価値観で、性同一性障害の存在を認めないことを糾弾して良いのだろうか。性同一性障害への接し方を押し付けるのは全体主義ではないか?
「病気の人への接し方」が正しくないことを差別だというのはおかしいのではないか。単なるわからずやでしかないのではないか。「正しさ」に従わないことを差別と呼ぶのはおかしい。善悪はともかく「差別」の用法として間違っているだろう。
もし個人の尊重というところに立ち返るのならば、医学の話をする必要はない。しかし、心の性別は心の国籍とおなじ思い込みに過ぎないということになるし、男扱いされたい女も、イケメン扱いされたいおじさんも、若い娘として扱われたい婆さんも同じものということになる。
結局「性同一性障害者の性自認を認めろ。それが正しさだ」という規範の話でしかなく、それを差別どうこういうのは間違いなのではないか。
このような考えも「黒人も白人と同じ人間だと認めろ。それが正しさだ」という規範の話として黒人を人間扱いしないのと同じ行動なのだろうか。
幸運がどうこうではなく、歴史に学ばないだけでは?感。ヤクルト飲んでろ。あと鉄とっておこう
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
太陽化学株式会社:食と健康Lab>学術コラム>脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
2021/01/29追記:西浦氏から解説記事が上がったのでこちら読んだ上での追記も適宜行ってる。
m3.com/open/iryoIshin/article/873130/
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210125/k10012831381000.html
この記事のブコメでみんな疑問に思ってるっぽいので、素人でもわかる範囲のことを書いてみた。
https://www.mdpi.com/2077-0383/10/3/398/htm
2020年7月22日のGoToトラベルキャンペーン開始と新型コロナウイルスとの疫学的影響の可能性について調べて見たっぽい。
ファーストオーサーが安齋麻美さん(修士か博士のどちらか)で西浦博教授も著者に含まれる。北海道大学の衛生学研究室での研究っぽいですね。ごめんおもっくそKyoto University School of Public Healthって書いてたわ。京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻でいいですかね…。↓は北海道大学時代のページでふ。
http://hygiene.med.hokudai.ac.jp/member/
47都道府県の確認済症例のプレスリリースデータ全て。うち24都道府県は県境越えパターンの移動データありで、発症7日前(一部14日前)に県境越えした人を旅行履歴ありと判断したっぽい。
2020年5月1日~8月31日までで、データの確認時期は2020年11月中旬。「症例が確認できた日」と「COVID-19確認ができた日」の2パターンで進める。
基準は「県境越えしたかどうか」。なお、さらにその人達は県境越えの目的を「ビジネス」「家族に会いに(帰省)」「観光」の3パターンに分類。
データを3つに分類して、罹患比率(IRR)を分析。ここのIRRsってのが割合数値として重要なものっぽいのだけれど、どうやら疫学統計的に意味のある指標っぽい。あとで斜め読みした結果を書く。
・1.GoTo前の期間(この期間は 1a.2020年6月22日~7月21日 と1b.2020年7月15日~19日 の2パターン用意)
・2.GoTo初期の4連休含む5日間(2020年7月22日~7月26日)
GoToの走り出しが4連休だったので、そこでの影響を主に見たいと思われる。1が2パターンあるのは、2が5日間だけだから1bで日数と期間を揃えた。3はGoToトラベルクーポンの利用期限が初期は8月31日までで、お盆で帰省が増えるから増加するため、その辺りでの影響が懸念されたからっぽい。
追記:元論文の"description"って独特な表現だなとは思ってたけど上手い訳が思い浮かばずとりあえず「結果」って書いたんですが、西浦氏の応答の中にこのようなものがありました。
疫学研究の中で、今回の研究は観察研究(observational study)、特に、記述疫学研究(descriptive study)と呼ばれ、そこから得られる科学的エビデンスのレベルは低いことで知られます。つまり、位置づけとしても、今後のために「因果関係を検討すべき」と呼び掛ける程度の役割をしている研究に相当します。
つまり、ここでの「記述」とは上記の記述疫学研究特有の表現である可能性が高い。これは斜め読みじゃ絶対わかんない情報だった。ありがたい(追記終わり)
まず、基礎的なデータとして、2020年5月1日~8月31日までに確認された24都道府県で合計3978件の症例に対し、
と、症例の報告数そのものは7月と8月で減っている。減少傾向にある。
で、以下肝心のGoToの3期間のデータ比較。発症日と感染確認日の2軸パターンで分析
この辺、しつこいようだけれど、グラフで見ないとマジでなんのことかわからないと思うので、グラフ見てほしい。視覚的にわかりやすくなってるので、そっちの方が直感的。
多分結論というかこの統計データが示唆していることについての項目。
まず、IRRって数値が何度も出てくる。で、IRRが1.44という数字があり、どうやらこれがNHKニュースの「1.44倍」という数値の根拠になっているっぽい。
これ、なんのことかなと少し考えたが、わからなかったのでググって以下PDFを確認した。
http://univ.obihiro.ac.jp/~kayano/epi-stat/epi-stat2.pdf
これもあんまりよくわからなかったが、計算式とか斜め読みした感じだと、どうやら「A期間でx%だったのがB期間でy%になった場合に、yをxで割ったときの数字」っぽい。だから、この場合の「倍」ってのは「感染者数」ではなく「感染者のうちの旅行した人の率」のことっぽい。ここ、多分「倍」と言われたときに思い浮かべる直感的な感覚と乖離しているので要注意と思われる。
なお、CI=95%は統計上の信頼区間のことで、本当は色々説明した方がいいんだろうけど統計学は素人なので「まあほぼこの辺の範囲で正しいっすよ」くらいの意味で捉えてもらえればいいんじゃないかと思う。
まあ、書いてるとおり因果関係はわからんけど、GoTo期間で旅行関係での感染率が増えたのは事実っぽい。いくつかの指標で何パターンもIRRを出して全部1超えてるので、統計的に「増えた」という事実は覆しようがないように見える。ただ、4連休で旅行者増えるのはまあ当たり前っちゃ当たり前とは言えそう。
あと結局3の期間のデータを用意した意味がよくわかんなかった。データは用意したけどあんまりはっきりと言えるような情報がなかったから論文の報告内容として省いたのかな。それならまあ意図はわかる(研究してみたけど特に意味ありませんでした、は研究報告として重要)。
あと、増田は統計学の素人ですが、統計データは因果関係(AがあったからBが起きた)ではなく相関関係(Aが起きると同時にBも起きているが、その二つの間にどんな関係があるかは不明)を出すものなのはわかっているので、これだけを以てしてGoToトラベル否定論に繋げるのはやや早計に見える。
個人的な感想をまとめると、「増えたのは増えたけどめっちゃ増えたと言いきるのは難しそうで、連休だから増えるのはあたりまえの気もするし、でもまあ増えるのはわかりきったことだったから減らす努力が足りなかったのではと言われるとそんな気もする、考えれば考えるほどよくわからなくなるので正直これだけではなんとも言えんなー」、という印象。
なんかNHKのニュース岩田健太郎のTwitter後追いしたっぽい感じがして、その割になんか内容ふわふわしててちょっと反応に困るなーって思ったんですよね。だから論文に当たればなんかわかることあるかなーって読んでみたら、まあNHKの記事も書いてることは間違ってなくて、むしろ岩田健太郎さんの方が「関係アリアリ」って言い切っちゃっててそれは大丈夫なのかと感じました。
https://twitter.com/georgebest1969/status/1353186823229476867
あと、いざ読んでみたらやっぱりよくわかんねーなーって印象をどうしても抱いたので、素人が長文感想かいたら本職の統計学増田か疫学増田がなんか補足して知見を広めてくれたら嬉しいなーという下心もある。
なんか間違ってたら教えてください。
一晩経って自分が何にもやっとしたのかわかった、NHKがなんでこの論文報道したのかがわかんないんだ。
これってある種の議論のたたき台というか、この発表を取っ掛かりに他の論文で「じゃあ次はこうしましょう」「この論文でカバーできてなかったこの部分調べましょう」みたいなことをやっていく為の第一歩で、正直報道するほどの内容なくない?
「なぜ女だけが妊娠・出産の犠牲になるのか」っていうエントリを読んで俺は思ったんだけど、
腕いっぱいあったほうが絶対便利だと思うのに、なんで腕2本で安定したんだろ?目も後ろとかにもう2,3個ついてた方が絶対いいと思うんだよな。
それに指が十徳ナイフみたいになってた方が糞便利でいいし、葉っぱみたいに光合成出来るようになってれば食糧問題とかももうちょいなんとかなる気がする。
十徳ナイフは生まれたときから十徳ナイフだからめっちゃ糞便利でいいのに、人間は指が十徳ナイフじゃないからマジで糞損だし、
指を十徳ナイフみたいにするのが当たり前の世界じゃないのっておかしくない?医学の怠慢だと俺は思ってるよ。
十徳ナイフはその気になればワインのコルクなんてただ7本目の指で開けるだけでいいのに、人間は十徳ナイフかワインオープナーを買ってこなきゃいけない。こんなの絶対糞おかしいと俺は糞思ってるよ。
そりゃ十徳ナイフサイドは「持てるもの」だから現状に不満はないけど、本来、十徳ナイフサイドが働きかけなきゃいけないんじゃないの?こういうことってさ。