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はてなキーワード: 不可能とは

2021-11-19

anond:20211119092717

叩かれる側は黙ってるとフェミが飽きるまで延々騒がれ続けて迷惑しつづける。

フェミはいずれ飽きて別の案件で騒ぎだすんだろうけど、叩かれる側の担当者は社内で即時対応を求められるし、いつになるか予測できないフェミの飽きを期待しますで通すのは困難。

フェミ有象無象個人という形をとっているので叩かれる側が訴えて回るのもコスト的にほぼ不可能

そうなると取れる手段って「適当謝罪声明だしておく」しかない。

この手の問題根本的に有象無象個人の群れに対して、叩かれる側から反撃する方法がなくて有象無象増長してることにあるから

有象無象をまとめて一括で訴えられるような仕組みが必要だと思う。

anond:20211118210115

なるほど完璧作戦っスねーーーっ 不可能だという点に目をつぶればよぉーーー

2021-11-18

anond:20211118235129

えっと、差別差別でないかという価値観も「同じ信仰を持つ人たち」の間でしか正しさが保証されないという意味において宗教と似たようなものであり

その輪に属さない人とは本質的に共有不可能なんだという話をしています

子ども、産み育てたい気持ちはあるのだが。

30代前半。独身だが10年付き合っている彼氏持ち。カップル仲は円満、職も蓄えもある。籍を入れ、子どもを産み育てたい気持ちもある。しかし、以下の3点の理由により難しいと感じている。

——

理由①■自分も彼も、ADHD的な気質(※1)があり、自分自身の生活で常に精一杯である

理由②■自分うつ病持ち(※2)

理由③■彼がブラック行政勤めで精神が常に限界

——

※1:受診はしておらず、診断はついていないので、気質という風に表現した。

※2:内服薬を服用しつつも、フルタイムでは働けている。どうして診断がもらえたのか不思議だが、希死念慮が強いのでそのせいだろう。

——

未だに籍を入れていないのも、これら理由によるところが大きい。両家の親に挨拶して、了承を取って、行政手続きをして、どちらかの改姓に伴うさまざまなことをしてという一連の手続きが果てしなく難しく感じる。ほとんど仕事だと思う。ましてや育児など到底不可能だろう。ほとんど仕事だと思う。いや仕事より難しいのではないか休日ふたり抱き合って虚空を見つめる状態で一時間元気をチャージしなければ、ろくに生活もできない我々にはハードルが高すぎる。

少子化改善に貢献できず、申し訳ない。でも生きるのって大変だよ、自分の父母が超人に思える。

もはや検索ができない。

昨今のインターネット事情を思うにつけ、

検索をすることがますます億劫になっている、もはや不可能である、ということに気づいた。

検索の処端とはGoogle検索典型に、文字による。

ところが、もはや検索したい対象があまり漠然フィーリング、印象の塊のようなものになっており、文字列と結びつかない。

であるから都内 喫茶店 落ち着く」「電動 自転車 軽い」のように検索するわけだが、こんな検索ワードでは全く精度のいい情報は出てこない。

この「次」の検索ワードが、思い浮かばない、出てこない。自分の求める「集合」にたどり着く検索ワードボンヤリとした印象はあるのに、それを検索しようとしても望んだ結果は得られず、徒労に終わる

そうすると、「都内 喫茶店 落ち着く」「電動 自転車 軽い」と書いた検索人はぐるなび価格comや楽天など、有り体のネット市場と連動したサービスに回収される。

一方「次」を求めた検索人は、検索で徒労を繰り返した後、一筋の巧妙に出会う。「次」が何かは分からないままだが、関連した情報をどんどん投下してくれる「教祖」を発見する。

こうしてインターネットは完全に「大きなネットワークビジネス化」と「小さなネットワークビジネス化」してしまう。人々は検索幸福にはなれない。個人意思の薄い市場ランキングを頼りにするか、情報教祖自己を明け渡すか。この2択。

マスコミが力を取り戻し、世の中はネットワークビジネス化してしまった。昨今とか言ったがここ15年くらいのスパンだな。

最後に「検索」がまだ生きている場所。それは結局、コンテンツクリエイターセレクターがたくさん生息している場所だ。「検索」すれば予想を裏切るような魅力的な情報が溢れ出し、体系化や情報整理が同時的に行われている。そこには「教祖はいない。あぁ、結局死んだのは検索ではなくコンテンツなんだな。

anond:20211118160311

キモオタ」というレッテル意味のある「論」ではないので誰にも否定不可能

バーカバーカ」に意味のある内容は含まれていないので否定できないというのと同じ

男嫌いだけど争いたい訳じゃない

結論から言うと私は男性が好きじゃない。というか多分、基本的に嫌いだ。

理由は色々あってまあ割愛するが、シンプルに今まで出会った男の人が合わない人だらけだったんだと思う。勿論一概に男性といっても色んな人がいるというのは理論では分かっているし、この世のどこかにはすごく気の合う友人になれる男性いるかもしれない。しかし現時点では圧倒的に嫌な思いをしたことの方が多いし、そもそも私が男性を嫌いになるのは私の勝手だ。

ただ、私はだからといって男なんてみんなカス!滅びろ!などというつもりは無い。男が嫌いなんです!とわざわざ主張するつもりもない。何もしてないのに男という理由だけで一緒くたにされたり敵意や悪意を向けられたらたまったものではないだろう。私もされたら嫌だし。

私がただただ勝手に嫌ってるだけなのだ。それに生きていく上で男の人と1ミリも関わらないで生きていくというのはおそらく不可能に近い。私は勝手に、私のために出来るだけ男の人を避けて生きていけばいいと思ってる。

とはいえ明日ことなどわからない。今日の私は男の人が嫌いだけど来月はそうじゃないかもしれない。そういう可能性も視野に入れて生きている。そういう出会いの運命自分にあった時、嫌い!と思いすぎてるせいで逃したら悲しいので、嫌いという感情認識しすぎないようにもしている。

そんなふうにして生きる中でたまに思うことがある。

好き嫌いを主張するのは確かに大切。でも、人に押し付けるのはどうだろうか、と。仮に私が「男が嫌いなので近寄らないでください」という張り紙背中に貼って生活したとする。そうするともしかしたら近寄ってくる男は少ないかもしれない。けどそれは他人に気を使わせまくってる=【自分でとるべき機嫌を他人にとらせてる】になるのではないか、と思う。それは少し傲慢ではないか自分好き嫌いのために他人に行動を強要する、してもいいというのは社会で人と関わり合いながら生きていく上でどうなんだ?と疑問に思う。

少しだけ毒のある言い方をすると「ろくに自衛もしてないくせに他者への強要ばっかしてくる人なんなの」「いい大人があれも嫌これも嫌って主張ばっかしてるのどうなの〜」である。男女問わず個人的な不満だが。

人に気を使うというのもあくまでも一人一人、気を使う側の判断であり「使わせる」ものではないと私は考えている。

また、好き嫌いというのもあくまでも個人的感情であり、例えそれが自分の中でどれだけ正しい!と思うことだったとしても、相手が間違ってると思ったとしても、少なくとも現代日本では人を裁くのは法であり人ではない。

人生において判断する権利というのは自分しかない。何を言われても何を読んでも何を見ても決めるのは自分で、責任を負うのも自分だ。そしてその権利は誰にも奪えないし、強要もできない。

私は私の好きや嫌いを誰かに理解して欲しいわけじゃない。自分と趣好が大きく異なる人間否定するつもりもない。違うものを違うまま、ただ「そういうのもあるんだね〜 ほ〜ん」と思えればそれでいいと思うのだ。

そしてそれが人を尊重することに繋がるのではないか?と考える。

色んな形を認め合いながら、尊重し合いながら生きていく。自分のことも、他人のことも。

そういうものに、私はなりたい

世間炎上騒ぎにAIというかGPT-3が使われてたら辛い

自然言語処理モデルGPT-3を使って出力される文章見てると

はてなブックマークコメントと遜色ないレベル日本語文章が見られるんだが

じゃあはてブブコメtwitterなどで炎上を広げるために

大量のbotGPT3で作られた文章を添えて炎上ネタ拡散させる事も不可能では無いって思えるんだよな

から実際にそういう事やってる人がいたら嫌だなぁって思うし

私が見たブコメ達もまさかAIで書かれてる文章が入ってるんじゃって不安になる

ちょっと前にスター複垢騒動もあったばかりだしな…

そう思ってる私は人間です

anond:20211118110100

ないことの証明なんて不可能なんだから悪影響があるって主張してる側が証明しろ

政治家口利きビジネス金融機関通用するか

結論からいうと「昔は多少の効果があったが、今は政府系(公庫など)にの効果有り」「民間金融機関に対しては効果が無いどころかむしろ逆効果」というのが私の経験上の答えだ。

一昔前は監督官庁としての大蔵省権限があまりに絶大であったため、各銀行MOF担を置き、検査等の情報収集に努めていた。

銀行検査資産査定(正常先・要注意先・破綻懸念先・破綻先 ランクが下がる毎に引当金を積み増す必要有り)が主であり、大蔵省の匙加減ひとつ決算が大きく振れてしまう。

監督官庁金融庁に変わったのちも暫くは従来のやり方を踏襲した検査が行われていたが、邦銀の不良債権処理が一段落したこともあり、金融庁検査も以前のような資産査定を主としたスタイルから顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)やシステム障害等のリスク管理体制をチェックするスタイルへと変化していった。

その結果として、(政府系を除いて)金融機関は昔ほどに監督官庁政治家を警戒する必要がなくなったというわけである

民間金融機関に至っては、仮に政治家の介入があった場合、「口利きがあったか審査を緩めた」と疑われるのを回避するために通常よりも厳しく審査するケースすらある。

これが先ほど「むしろ逆効果」といった理由だ。

しかし残念なことに地方中小企業を中心に、いまだに政治家口利き神通力を信じ続けている社長連中は大勢おり、彼らは毎年お布施のように献金を行い続けている。

長年に渡って献金を行い、必要ときだけ口利きを依頼するというやり方なので、これを立件するのはほぼ不可能だろう。

お互いが「これは一般的政治献金だ」と言い張ってしまえば、検察側が立証するのは非常に難しい。

今回公明党国会議員政策金融公庫に対する口利きで立件されかかっているが、これに関しては特例中の特例だと思う。

現金を渡した側のテクノシステム太陽光案件にかかる融資詐欺(SBIソーシャルレンディング事業自主廃業に追い込んだアレ)の件で捜査していたら一部資金議員側に流れていることが判明→贈収賄ではなく無資格融資斡旋という貸金業法違反で立件という流れになったわけだ。

ちなみに今回この口利きが行われたのは政策金融公庫コロナ特別融資(無利息無保証のいわゆるゼロゼロ融資)で、非常に審査が緩い。

しかも最大で5年間の返済据置が可能なので、無利息の資金を3~5年程度自由に使うことが出来る。目端が利く経営者ならこの融資の賢い使い方をすぐに思いついただろう。

日本政府が「軍資金はこっちで用意してやるからコロナバブルで一儲けしろ」と暗に言ってきているわけだから、それに乗っからない手はない。

私の知る限りでもかなりの数の企業本来なら調達する必要のない資金ゼロゼロ融資で借入し、その資金株式やら債券やらで運用している。

実例としてどこかの地方病院WAM(福祉医療機構)から調達したコロナ融資有価証券運用しているのが発覚して問題になっているというニュース報道も先日あった。

ゼロゼロ融資融資総額は政府系(公庫とか商工中金とか)だけでも約18兆円に上る。このうちのかなりの部分がマーケット運用され、今の株価を支えているのだと私は思っている。

(私見だが、ゼロゼロ融資の返済がスタートする2023~2025年頃はマーケットから結構な額の資金流出株価が下落すると予想している)

話が大分遠回りしてしまったが、つい先日私の勤務先でも久しぶりに露骨政治介入案件があったので、参考までに紹介しておく。

舞台となったのは某県議会議員ファミリー企業中核企業地方大手総合建設会社であり、政治力を背景に公共民間工事を受注し、経営は安定していた。

そこが新会社設立し、地元観光客を呼ぼうと温泉ホテル土産物屋などが入る大型複合施設新規開業したあたりから雲行きが怪しくなった。

開業以降客足は伸びず赤字続き、そこへ新型コロナ流行が重なり資金繰りは一気に逼迫し、主力行である当社へゼロゼロ融資を申込してきた。

黒字企業たまたまコロナの影響で赤字になっているのならともかく、コロナからずっと赤字、というか創業以来ずっと赤字の先に追加融資など出せるはずがない。

「一応検討はするがかなりハードルが高い」という旨をオブラートに四重くらいに包んで伝えたところ、そこから露骨政治介入が始まった。

市長から陳情を皮切りに、地元選出の衆議院議員参議院議員秘書から電話。少し間を空けて議員本人から電話連絡があった。

最後には地元で一番の大物とされる大臣経験から当社トップに連絡が入り、「金融庁からコロナ配慮した支援を行えという示達が行ってるだろ」というとても有難い言葉を頂戴した。

当社の中では本件は当初から「採り上げ不可」という方針であったが、度重なる政治介入を受けて「後からどんなクレームを受けても問題無い様、非の打ち所がない完璧な否決稟議作成すること」という指示が上から出たため、私と部下たちは恐ろしく後ろ向きな業務に連日没頭した。

そして「この企業コロナの影響に関係なく赤字、どこをどうやっても返済原資は捻出出来ない」という結論をまとめた資料作成し、先方へ案件謝絶となったことを正式に通知した。

その後融資申込当初からの一連の経緯を報告書としてまとめ本部へ送付して本件は完結。連日の不毛作業からようやく解放された私は部下たちを連れ夜の街へと繰り出した。

以前からの行きつけの店はコロナのせいで閉店してしまったため、駅近くの適当居酒屋でとりあえず呑むこととした。

しかし本当に1円にもならない最悪な案件でしたね」「こういうのって検察リークして立件してもらえないんですか」と口々に愚痴を言い合う部下たち。

しかしこれと同じようなことは全国各地で起きているはず・・・国会議員を挙げられるなら検察も本腰を入れて捜査するだろうが・・・

私は飲み物を注文しながら部下たちに笑ってこう答えた。「相手地方議員程度の小物じゃね、告発したところでどうせ県議不十分で不起訴だよ」

2021-11-17

東京通勤ラッシュを捌く必要がある限りFelicaはこれ以上普及しない

Felica作った人の記事見たけど、いろいろ興味深い点はあったけど、成長が頭打ちになったのは物理カードかどうかってのはあまり関係ないと思う。

結局のところはJR東を客としてつかんだのが成功の足掛かりであり、同時に成長の足枷でもあった、って事だと思う。

横展開不可能レベルの高い要求水準のために広く展開することが逆に難しくなってしまった。

JR東としてはもちろんCOVID-19ですら滅ぼせなかった通勤ラッシュを捌くために要求水準なんて下げられないだろうし、

Felica側も太い客の要求を無下にするわけにもいかない、ということで物理カード云々関係なく安定した頭打ちほとんど確定していたように思う。

技術的なブレイクスルー要求水準を下げないまま低コスト化が実現できれば拡大ワンチャンいけるかも、って感じだったけど

残念ながらそれは実現しなかった。

結果、「決済が早くて楽」というエンドユーザーメリット商売側が負担を背負って支える、という形になり普及が頭打ちになった。

いくらエンドユーザーの覚えが良くても、商売人を巻き込めないと拡大は出来ない、といういい教訓になったと思う。

別に「だからFelicaダメ」という話ではなく、固い天井に押さえつけられた安定が東京通勤ラッシュ存在する限り続くだろう、っていう話。

anond:20211117154012

「入り浸ってる」なんて、定義以前にそもそも匿名空間上で証明不可能概念を持ち出してくる時点でコミュニケーションの基本がなってないよ

そういうとこに気づいてないのがお前のイタいとこなんだよなぁ

anond:20211117132758

あれは議連という組織化してくれてたのがある意味フェアで都合よかったんだけど

大抵の場合フェミ有象無象個人と言う形で分散していて

攻撃される側が訴えるのは現実的不可能なくらいコストかかるのよ

anond:20211029215655

Androidコケたのはドコモのせいかもしれんけど、そうじゃなくても iPhone先進国だと勝ったと思うぜ。ドコモも大概だけど、グーグルアプリストアで金を欲してたから、既存i-Mode という金のなる木は持続不可能だったよ。

そもそもネット上での対話不可能

https://anond.hatelabo.jp/20211116100901

まあ、長年ネットやってれば分かると思うけど、ネット上で対話不可能だし、リアルでも真の対話が成立しているケースも稀だと思ってる。

ちなみに、ここでいう対話とは哲学者中島義道さんの著書『<対話>のない社会〜思いやりと優しさが圧殺するもの』での対話の基本原理を基とする。以下引用

(1)あくまでも1対1の関係であること。

(2)人間関係が完全に対等であること。<対話>が言葉以外の事柄(例えば脅迫身分の差など)によって縛られないこと。

(3)「右翼」だからとか「犯罪人」だからとか、相手一定レッテルを貼る態度をやめえること。相手をただの個人として見ること。

(4)相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉のもの問題にすること。

(5)自分人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれを引きずって語り、聞き、判断すること。

(6)いかなる相手質問も疑問も禁じてはならないこと。

(7)いかなる相手質問に対しても答えようと努力すること。

(8)相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立積極的に見つけてゆこうとすること。

(9)相手見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。

10社会通念や常識に納まることを避け、つねに新しい了解へと向かってゆくこと。

11自分相手意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること。

12)それぞれの<対話>は独立であり、以前の<対話>でコンナことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を棄てること。

2021-11-16

線の話

https://twitter.com/fromdusktildawn/status/1457653213834866693

 このツイートがバズっていて、一週間も前のネタだが、正直違うんじゃねーかと思ったので書いておく。

 ちなみに、ツイート自体にはイラスト解説がついていないため、主意は想像で捕捉してみる。

 左:COP26(Conference Of the Parties)に関連するデモに参加する若者は、家庭環境的にも物質的にも、現時点で十分恵まれている。彼らがこれ以上「豊かさ」が要らないと主張できるのは、そういう背景に支えられている。

 右:一方、家族から支援も期待できず、貧困を抱えて「豊かさ」を求めている若者もいる。

 左と右を比較すると、「豊かさ」がはじめから存在して当たり前と錯覚している左側の若者想像力のなさが浮かび上がるという、そういう構図になっている(と思う。繰り返しだが、ツイートには図解が載っていない)。

 ここには一つの罠がひそんでいる。

 それは、左の若者が「要らない」といい、右の若者が「欲しい」という「豊かさ」は、冷静に考えてみると、それぞれ別のものだということだ。

 同じ「豊かさ」という言葉が一つのイラストで共有されているために、まるで、左の若者が右側への想像力を決定的に欠いた勝手人間のように見えてしまうが、そもそもテーマが違う。

 右の若者たちが求めている「豊かさ」は、物質的なアイテム資産、そして、家庭環境によって勉強の機会や将来の夢が制限されてしまう不平等是正だろう。

 一方、左の若者たちがいう「豊かさ」は何か。

 COP26が環境保護を含んだ、いわゆるSDGsに関する議論であることを考えてみる。そうすると、ここでいう「豊かさ」とは、環境犠牲にして得られる、もしくは途上国負担押し付けることで手に入れる経済成長であると予想される。

 左側が、要らないと言っているのはそういう「豊かさ」だ。

 別に、右側の「豊かさ」が必要ないと言っているわけではない。環境破壊したり誰かを搾取してまで、まだこの世界にない新たな資産を出現させなくてもいい、と彼らは言っているのだ。

 確かに、左側の若者が「もう要らない」と言えるのは、家族物質的に恵まれ環境で育ったことが背景にある可能性が高い。しかし、繰り返すが、否定されている「豊かさ」の意味が左右で根本的に違っている。

 COP26がSDGsに関する議論であることはすでに言及した。そして、SDGsの中には貧困や不平等の解消も目標として含まれている。

 つまり、COP26の成功SDGsの達成を求める立場である左側は、右側への想像力を欠くどころか、むしろ右側と協調して貧しさの是正に向かう側になる。

 SDGs富裕層道楽欺瞞であるという批判否定しないし、環境破壊の切迫さを考えると解決策として不十分である話題になった『人新世の「資本論」』でも、こうした視点が紹介されていた)、という指摘もある。

 しかし、お互いに目指すものだけにシンプルに注目すると、イラストの左右はまったく対立していないことがわかる。

 …というのが「一つ目」の罠のよけ方。

 実は、このよけ方をすると「二つ目」の罠にハマる。次にそのことを書く。

 実際のところ、このイラストにあるような単純な左と右なんて、そもそも存在しないのだ。

 右側の若者は進学をあきらめて労働に就くことで家族を養っているが、世界にはそれさえ不可能レベル貧困存在する。日本でもよく聞かれる、「自助」という概念ではどうにもならないレベルの貧しさだ。

 COP26に関連付けられる「豊かさ」をテーマに考えるなら、本来、こうした極度の貧困までも視界に入れなければならない。

 そして、(傲慢にも)最下層の貧しさの立場から見ることを許されるなら、「豊かさ」はもう要らないと主張する若者はもちろん、残酷なことだが、自力家族を養うことが可能若者でさえ「左側」となるはずなのだ

 逆のことも言える。

 例えば、もう一生労働しなくても困らないような、左側の極致のような富裕層もこの社会には存在する。

 ちなみに俺の家族はというと、両親は比較収入の高い共働きで、つまりイラストの左側ド真ん中だったわけだが(ということもあって、俺はこの件で少しムキになっている)、とてもそこまでの資産家ではない。仮に二人のどちらかが大病を患っていたら、生活レベルはまるで変わっていただろう。

 その子である俺は、まったく普通サラリーマンだ。

 今のところ不自由なく暮らしているけど、何かあったら即時右側行きだろう。こういう言い方は「右側」の人たちからすれば不快かもしれないが、俺は自分が右側の予備軍だと思っている。

 つまり本質的に、この世界に左も右も存在しない。

 ない、が言い過ぎであれば、そこには可能性も含めてきわめて広いグラデーションがあるだけで、綺麗に二分割などできない。

 しかし、このイラストはそこに一本の線を引くだけで、まるで魔法のようなことを起こしてみせた。

 見た者に無意識のうちに自分所属を分類させ、プライドコンプレックスを刺激し、仮想グルーピングによって敵意を加速させた。

 これが二つ目の罠だ。線という罠。

 そこにあるフレームに従って一方を批判するにせよ、フレームに従って自分ポジション擁護するにせよ、視覚的に線を引かれただけで、そもそも線という存在の不自然さに気が付けない。

 オチはない。

 このツイート現在、2.3万回もRTされている(そのすべてが同意ではないだろうが)。

 おそらく、

 ・世間的に口にしづらい内容にあえて踏み込んだ感を演出

 ・それが目にする者の自尊心くすぐり

 ・ちょっとトンチが効いている

 という要件を満たしたことで、主に右側を自認する人たちの共感を得たのだろう。

 俺はそこからたまたま抜け出し(たつもりでいて)、自分は左でも右でもないと思っている。

 でも、別の「線」にはきっと引っかかるだろう。そして、俺自身がどこかで、「線」を引いているはずだ(それこそ、今回のイラストに「引っかかったやつ・引っかからないやつ」とか)。

 なんだか救いのない話だと思う。

反ワクもフェミ

宗教であって理屈じゃないので、理屈論破することが不可能

そして少数派である故に、彼ら彼女から見た「敵」が理屈武装すればする程、マジョリティによる暴力だ!ってなってますます攻撃的になる。

解決する方法?あるよ。物理的な暴力だね。暴力けが全てを解決できる。

オタクコンテンツ批判騒動への感想自分の中の認識の変化

主にオタクコンテンツ性的とかジェンダー的に問題ありとして批判を受けた騒動について

印象に残っているやつをピックアップして当時の感想と、自分の中の印象や立ち位置がどう変化していったかメモする。

自分用なので読まなくていいです。長いので。

○筆者

30代女。子供の頃から家にネット環境がありオタク文化と親和性のあるコミュニティに触れたのと、

何故かニチアサ番組だったギャラクシーエンジェルの影響から美少女コンテンツを中心にしたオタクになる。

2013年以前の自分認識立ち位置

オタク的な表現非オタクの人の目に触れるところに出すことに対して、否定派とはいかないまでも

程度によっては少し居心地が悪くなる感じ。

オタク差別と言える程のものほとんど無かったけれどまだまだオタクは隠すものという価値観の中で育ってきたせいもあり、

あんまおおっぴらにするものでもないよな、という感覚

とはいえ下の世代に急速にオタクコンテンツが浸透してきているのは感じており、

こういうもの忌避される価値観も古いものになっていくんだろうなとは感じていた。

性的表現をそれを好まない人の目に触れる場所に置くことについては明確に否定派。

コンビニエロ本は無くなるべきだと思っていたし、コミケエロ紙袋なんかが問題視されていたのも

同じオタクとして本当に勘弁してくれと思っていた。

R-18指定されるものに限らず、「性」を連想させる表現をそれを求めない人の目に触れさせることは極力控えるべきというスタンス


2013年12月人工知能学会誌表紙騒動

特に問題がある表現には見えないしさすがに難癖付けてる人達おかしいな…という感想

コンビニレジ店員無理筋クレームを付けてる人を見た時と同じ感覚で、

世の中には変な人も居るもんだなという感じ。

言うほどオタク臭のする絵柄でもないしオタク批判の矢面に立たされている感じも受けなかった。

2015年8月碧志摩メグ公認撤回騒動

そこまで過激デザインには見えないが、当の海女さん達から拒否反応が出ているのであれば公認撤回妥当という判断

ネット越しにワイワイ言う人達よりもリアルに関わりのある当事者性の高い人達の声を重視するべきだと思っていて、

この点は今に至るまであまり変わっていない。

2015年10月絵師によるJK観察旅行記騒動

実在人物を扱った表現とそうでないもの場合前者には後者とは違った種類の

(主にモデル人物に対する)配慮が求められるべきであり、本件にはそれが大きく欠けていたなという感想

というか絵師が道行く女子中学生に反応してほしくてクラクションを鳴らすといった迷惑行為をしており、

イラスト製作過程でも不躾にジロジロ見るなどの迷惑行為が行われていたのでは…と懸念されたのが個人的に一番でかい

実在人物に関わる表現は慎重になるべき、というのは2017年5月pixiv小説論文騒動などでも同じ感想

2015年11月のうりんポスター騒動

ぱっと見の印象としてはこれは非オタクの人が見たらぎょっとするんじゃないかという感じで、

批判意見が出るのも致し方なしかなと思った。

まずいなと感じたのは胸を強調するポーズ自分でしているにも

関わらず赤面して嫌がっているっぽい表情(無理矢理やらされている感)、煽り文にハートマークの部分。

ただし実際は小さな紙一枚が特に目立たない場所に貼ってあったのみという証言もあったりして

当の市民から批判の声が上がっているわけじゃないのなら外野がごちゃごちゃ言うことでは無いかもとも。

というかのうりんに関しては全裸(に見える)オイルまみれM字開脚シーンがある

第一話を市民に向けて上映した件の方がだいぶ引く(今も引いてる)

2016年9月格ゲーマーによる「アイヌは○す」発言騒動

性的表現に関わることではないので本題からずれるが、無関係ゲーム会社声優嘆願書を送るなどの

行きすぎたムーブをしていた人がフェミニストとして有名(と私が記憶していた)人だったので関連付けて印象に残っている。

この人こんな人だったんや、オタクのことめちゃくちゃ嫌いなんだな…という感じ。

騒動についてはゲーマー発言はよくないけれど知人間でのリプライだし、

最初に指摘した人の指摘の仕方がまずかった(変な人がなんか突然いちゃもん付けてきたようにしか見えない)し、

大勢スパム報告して凍結させるのはやりすぎだし、ゲーム会社声優マジで無関係だし批判側がやり過ぎという感想

2016年10月鉄道むすめコラボ駅乃みちか騒動

自分の中で明確にコンテンツ批判側への見方が変わった騒動

というのも、最初話題になったツイートに「公共交通機関公式キャラ絵としてのOKライン」との一文があり、

そこから巻き起こった批判も「公共交通機関公式キャラであることを基準にしていたはずだったのだが

公式キャライラストが置き換わるわけではなく、コラボイラストである」と誤解が解かれた後も、批判側の勢いが全く緩まなかったから。

○○であるなら××であるべき、の○○の部分が間違っていたのだから××の部分も変わるべき、もっと基準が緩くなるべきでは…?

ここで、前述のアイヌ騒動の時オタクしからとしか思えない行動を取っていた人を思い返しつつ、

もしかしてこの人達オタクコンテンツ嫌いというのが先にあってそれっぽい理屈をくっつけて叩いてるだけなのでは…という疑念脳裏を過ぎる。

今までの各騒動もそういった観点から少し振り返る。

2018年10月NHKキズナアイ騒動

批判した側に同意できる点が一つもなかった。その割に名だたる研究者の方々とかが次々乗っかってきてすげーな…と思った。

騒ぎの規模が大きくなって多様な意見が出てきたせいか

美少女コンテンツ好き女オタクにも流れ弾がガンガンぶち当たってきて随分酷いことを言われたな、という思い出。

当時は腸を煮えさせながら過ごしていた。

2019年10月:宇崎ちゃん献血ポスター騒動

全く性的でない、とは思わないけれども献血ポスターを取り下げるレベルのものだとは感じない。

とはいえ前述の騒動まででコンテンツ批判側への印象が最悪になっていたので自分の見る目も偏っているかもしれない。

のうりんポスターをまずいと感じた頃の自分が見たらなんて言うか気になる。

献血ボイコット発言なんかもあり批判側への印象は最悪を更新し続けたけどそれも片方の嫌な点ばかり見てしまった結果かもしれない。

2019年11月秋葉原トレーダー3号店看板騒動

マジで駄目だと思いました。

ただ、看板自体R-18では無いわけで(千代田区条例に引っかかるという説もあるが)

宇崎ちゃん献血ポスターとの明確な違いってなんだろうなと少し考え込む。

個人意見としては、社会的合意ラインを決めること自体には反対ではなくて、

賛否両論あるもの自分たちの側が正しいと決めつけて押し通そうとする態度に反発していたんだなと思う。

なるべくあらゆる表現存在していてほしいけど、町行く人の目に否応なく入るレベルのものには

やっぱりある程度の配慮必要で、そのラインについては双方聞く耳を持って穏当に話し合いをしたい、という感じです。

そういう意味では自分達の基準を押し通して表現を取り下げさせようとする人達と同程度に

法に触れなければセーフと言わんばかりの看板掲示側も対話する気が感じられなくて嫌いだなと思いました。

2020年2月ラブライブみかんパネル騒動

趣味で絵を描く人間としては、スカートって普通に描くと情報量が少なくてのっぺりした印象になりがちなので、

動きを付けるためにあの皺を描きたかった側の気持ちは正直わかる。

しかしかつて制服を着て生活していた人間としては

制服スカート生地の厚さだとあんな皺は現実ではできないという指摘も頷ける。

パンツが透けてるように見せようという意図は描いた側には多分なかったと思うけど

見ようと思えばパンツ位置に線あるように見えなくもないし不幸な事故だったね…

2021年9月:戸定梨香千葉県警コラボ動画削除騒動

とにかく批判側、というかフェミ議連のやり方が最悪すぎた。

根拠な「性犯罪を誘発」呼ばわり、自分達は警察へ回答を求める書面を送りつけておきながら

同じやり方で質問されたら回答なし(7万件の署名無視)。

動画自体特に問題があるとは感じない。胸揺れは次のコラボがあるならパージしてもいいかもね、くらい。

「服を着替えればいい」って軽々しく言う人にも腹が立った。Vが着替えるの、生身の人間が着替えるのとはかかるコストが違うんですが…

表現批判する人達の一部(だと思いたい)、表現を見て傷付く側にはめちゃくちゃ配慮を求めるのに

表現する側の事情配慮する気はゼロなのマジで嫌いです。

フェミ議連の同じ方法でやり返されたら無視するところもそうですが、

相手にばかり求めて自分は何もするつもりがない人の言うことは聞きたくない。

2021年11月温泉むすめ設定騒動

スカートめくりは、されて嫌な気持ちになる側の人物が出てきてしまうので

リアル温泉とのコラボを前提とした企画なら避けるべき設定だと思う。

全体的に地域と関わっていくにしては危うい設定が散見されるのは頷ける。

内容はともかく指摘してる人が他人を傷付けておいて向き合わず放置してるので

そんな姿勢の人が他者にだけ背筋を正すことを求めても全く説得力が無いと思いました。


●まとめ・2013年からどのように考えが変わったか

オタクコンテンツ別にそんな大っぴらにさらけ出すようなものでもないじゃないよね…という感じだったのが、

無理筋(に見える)批判意見を見すぎて

オタクコンテンツ別にそこまで言われなきゃいけないもんでもなくない?」っていう感情に変わってきた。

積極的大通りに置きたいわけでもないんだけど。

性的表現については当初から大きく方針転換したわけではないし、見たくない人の目には触れないのが一番だよなと思いつつも

性的」の範囲が私が想定しているラインよりだいぶ広く取られることが多くて

「そこまで(掲示アウトレベルの)性的扱いされるとちょっと…」となる。

ただ、「そこまで…」っていうのはあくまで私個人感覚なわけで、ラインを決めるための議論自体継続してやっていくべきだと思う。

議論建設的にするためには双方相手の話に耳を傾けることが大事で、ここまでこじれるとだいぶ難しそうな気がして頭が痛いけど…

コンビニエロ本については、当初は深く考えずに撤去賛成だったけど

改めて調べるともともとコンビニに置かれるものは色々表現に気を使っていたのもわかって、うーんという感じ。

振り返ってみて、騒動の内容によって批判側に立つことも擁護側に立つこともあったけれど

全体的にコンテンツ批判側に居る人達に対して強い憤りを感じることが多かった。

これは一旦株が下がった相手のことは最初からマイナス評価で見てしまい、

更に嫌な点が目に付く悪循環のせいもあるのかもしれないなと思わなくもない。

温泉むすめの件、指摘した人が直前に酷いムーブしてたのもあって開く前から「うわっまたかよ…」と思ったし。

反対側からすればコンテンツ擁護側に対して同じように低評価悪循環に陥ってるんだと思う。

党派性判断せず一つ一つの内容に向き合っていきたいですね。難しいことだけど。

一方でコンテンツ擁護側も頑なになりすぎて「配慮したら後退・負け」みたいな認識になりかけてる人が居る気がするので危うさを感じる。

配慮できるところでしていくこと、なるべく不快になる人を減らそうとする努力をすること自体は悪ではないはず。

もちろん表現する上で不快になる人をゼロにすることは不可能だし、

誰かを不快にすることを承知でこの表現は譲れないんだ、というものはあって当然だけど。

穏当寄りに倒しても構わない部分はそうする、くらいの意識はあってもいいんじゃないだろうか。

いや、一歩譲歩すると無限に踏み込まれるという危機感はわかるし、それだけのことはされてきたと思うけど…


早く見たいコンテンツ以外は全てシャットアウトできるスマートグラスとかが普及して技術解決できる世の中になるといいですね。

anond:20211116151328

この理屈はかなり無理があるのでは?

もともと看板自体にはそんな表記がなくて、設定を調べたらそういう表記を見つけてるわけじゃん?

批判側が自分に都合の良い深度まで調べて、その状態で不満に思わせたらアウトってこと言ってるじゃん?

対応不可能でしょそれ

anond:20211116095510

不可能可能かの話題だったのに、増田が収支に論点をずらしたように見える。別に罪ではないけどお互い夫婦関係で「こいつやっぱり合わないかもなぁ」ってモヤっとしてそう

anond:20211116103238

最後の一文すごく同意した。「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」とか言ってる人間想像力の足りない頭の悪いクズ。これだけはどれだけぎゃあぎゃあ反論された所で否定不可能だと思う。理解できてない人間ができてる人間に勝つ方法はないから。

anond:20211116095510

コストが見合わないというのと実現不可能というのは明確に区別すべき。

2021-11-15

anond:20211115133828

そんなことをする必要はない

心配なら76歩34歩68銀88角成の局面から1億でも1兆でも気がすむまで対局してみればいい、100%後手が勝つから

今のAIだと評価値で500点差がつくと事実上逆転不可能、そして初期局面から±500点以内に収まる局面はおそらく10³⁰くらいしかない

anond:20211115121727

言うて分岐は大量にあるやろうし必勝手順が分かったとしてもすべて覚えるのは不可能じゃね。

いま対局中継で優勢とか最善手候補とか表示してるやつの精度が無限に上がるだけじゃね。

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