結論から言うと私は男性が好きじゃない。というか多分、基本的に嫌いだ。
理由は色々あってまあ割愛するが、シンプルに今まで出会った男の人が合わない人だらけだったんだと思う。勿論一概に男性といっても色んな人がいるというのは理論では分かっているし、この世のどこかにはすごく気の合う友人になれる男性がいるかもしれない。しかし現時点では圧倒的に嫌な思いをしたことの方が多いし、そもそも私が男性を嫌いになるのは私の勝手だ。
ただ、私はだからといって男なんてみんなカス!滅びろ!などというつもりは無い。男が嫌いなんです!とわざわざ主張するつもりもない。何もしてないのに男という理由だけで一緒くたにされたり敵意や悪意を向けられたらたまったものではないだろう。私もされたら嫌だし。
私がただただ勝手に嫌ってるだけなのだ。それに生きていく上で男の人と1ミリも関わらないで生きていくというのはおそらく不可能に近い。私は勝手に、私のために出来るだけ男の人を避けて生きていけばいいと思ってる。
とはいえ明日のことなどわからない。今日の私は男の人が嫌いだけど来月はそうじゃないかもしれない。そういう可能性も視野に入れて生きている。そういう出会いの運命が自分にあった時、嫌い!と思いすぎてるせいで逃したら悲しいので、嫌いという感情を認識しすぎないようにもしている。
そんなふうにして生きる中でたまに思うことがある。
好き嫌いを主張するのは確かに大切。でも、人に押し付けるのはどうだろうか、と。仮に私が「男が嫌いなので近寄らないでください」という張り紙を背中に貼って生活したとする。そうするともしかしたら近寄ってくる男は少ないかもしれない。けどそれは他人に気を使わせまくってる=【自分でとるべき機嫌を他人にとらせてる】になるのではないか、と思う。それは少し傲慢ではないか?自分の好き嫌いのために他人に行動を強要する、してもいいというのは社会で人と関わり合いながら生きていく上でどうなんだ?と疑問に思う。
少しだけ毒のある言い方をすると「ろくに自衛もしてないくせに他者への強要ばっかしてくる人なんなの」「いい大人があれも嫌これも嫌って主張ばっかしてるのどうなの〜」である。男女問わず。個人的な不満だが。
人に気を使うというのもあくまでも一人一人、気を使う側の判断であり「使わせる」ものではないと私は考えている。
また、好き嫌いというのもあくまでも個人的な感情であり、例えそれが自分の中でどれだけ正しい!と思うことだったとしても、相手が間違ってると思ったとしても、少なくとも現代日本では人を裁くのは法であり人ではない。
人生において判断する権利というのは自分にしかない。何を言われても何を読んでも何を見ても決めるのは自分で、責任を負うのも自分だ。そしてその権利は誰にも奪えないし、強要もできない。
私は私の好きや嫌いを誰かに理解して欲しいわけじゃない。自分と趣好が大きく異なる人間を否定するつもりもない。違うものを違うまま、ただ「そういうのもあるんだね〜 ほ〜ん」と思えればそれでいいと思うのだ。
そしてそれが人を尊重することに繋がるのではないか?と考える。
色んな形を認め合いながら、尊重し合いながら生きていく。自分のことも、他人のことも。
そういうものに、私はなりたい
おっちゃんも女性は嫌いだし、正直、生き物としてもキモい と思ってるけど、 そんなことはリアルでは一切口にしない。
中学生みたいな感性だな
あの頃から精神年齢止まってる気がする・・・(´;ω;`)ウゥゥ
おじさんが女性を嫌いでも、私はおじさんが大好きです。