はてなキーワード: レポートとは
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20211019/1634655407
大元のツイートの言うオタクってなんやねんっていうのも色々疑問はありますが
(1)パチンコ・パチスロ業界の市場規模をそのまま受け取り過ぎ。実質的に客が業界に落とす金はそれの15%くらい。
(2)レジャー白書の趣味・創作部門に含まれるアニメ関連売上は広義のアニメ市場の一部。
です。
(1)ですが
市場が大きいのは間違いないけど、藤商事の言葉をそのまま受け取りすぎじゃないかなあと思います。
この20兆円というのはホールが客にパチンコ玉を貸す料金の総額です。
実際には、何故かホールの近くには景品交換所が合って、そこでは平均して支払った額の85%が客に還元されます。
パチンコ台の製造会社であるダイコク電子の「DK-SIS白書2021年版」では、この実質的な売り上げにあたるものを業界総粗利として算出しています。
今回刊行された「DK-SIS白書2021年版」によると、2020年の業界総売上は14.6兆円、業界総粗利2.35兆円。売上・粗利規模ともに前年比で27%の大幅下落となった。
「DK-SIS白書2021年版」刊行記者発表会 売上規模も粗利規模も27%の大幅下落 | パチンコ・パチスロ、業界ニュースを配信 遊技通信web
コロナの影響もあってか実質的に客が業界に落とす金額は約2.35兆円です。これでも相当大きいですけど。
(2)に関してはそのままの通りです。
まず広義のアニメ市場の定義は動画協会が発行する「アニメ産業レポート2020」を参考にします(2019年度までしか出てない)。
https://www.otalog.jp/entry/2021/01/27/日本動画協会「アニメ産業レポート2020」を読んで:TV
2019年の売り上げなのでコロナ前ですが各アニメ関連売上の内訳はこんな感じです。
ジャンル | 売上(単位:億円) |
---|---|
TV | 970 |
映画 | 692 |
ビデオ | 563 |
配信 | 692 |
商品化権料 | 5813 |
音楽 | 337 |
海外 | 12009 |
遊興(パチンコ・パチスロ) | 3199 |
ライブ | 844 |
合計 | 25112 |
合計が約2.5兆円。
国内に限っても1.3兆円です。
衰退気味の遊技機業界から3000億円という金額が出ていることにビビります。
(アニメ系パチの元々のお金が、オタクとまどマギを打ってる非オタクパチンカスのどちらの財布から出ているのか分かりませんが、
今年のまどマギの新台は3万5千台売れたようなので1台50万円としても175億円のお金が動いています)
この1.3兆円という数字は、2019年の旅館業界の市場規模(1.4兆円弱)に迫る勢いですから小さくないように思います。
https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/Leisure20200824_2.pdf P.12
いずれにしても、消費の数字だけを見れば趣味創作の規模は小さく、そのなかで「アニメ絵」に象徴される「オタクコンテンツ」が多くをしめているとはいいがたい
これは不思議に思いましたが、
推測ですが
「アニメ漫画ビジネスで重要な商品化権料がレジャー白書の趣味創作には十分に含まれていないから」
じゃないかなあと思いました。
レジャー白書の趣味・創作の内訳をみると出版・音楽・動画関係の市場は記載していますがグッズ関連の売り上げは含まれていないように見えます。
https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/Leisure20200824_2.pdf P.6~9
ちなみにゲームの市場規模は国内だけで2兆円を超えているようなので、
2019円のホテル業界市場規模(約1.7兆円)と比べても大きいように思います。
ゲーム業界データ年鑑『ファミ通ゲーム白書 2021』を7月15日に発刊、国内外のゲーム市場を、最新調査による豊富なデータで分析|株式会社KADOKAWAのプレスリリース
ゆるいオタクも含めれば、他の娯楽と比べてもまあまあの金額が動いているんじゃないかなあと思いました。
あと一番言いたい事ですが
悠木碧主演のアニメ「平家物語」がFODで2021年9月16日より先行独占配信中です!
歴史的名作を描いた今作ですが、京アニで活躍された山田監督の繊細な演出にリッチな作画・音楽に、
2001年7月24日、仁川地裁は仁川国際空港公社に対し、「『オーマイニュース』記者が記者室に出入りし、取材することを妨害してはならない」という仮処分命令を出した。
これは『月刊現代』2002年9月号に掲載された、ある司法ジャーナリストの匿名レポートの再録です。
「導火線というのは、シュッシュッと音をたてていたと検察官は言っていますが、導火線は音を立てないで燃えるものです。芯が燃えていくと、色が少しかわるだけで、音なんかしません。私は鉱山で働き、工事現場で、いつも導火線を扱う仕事をしています・・・」
拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BF%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
警察官が人骨を発見した後、また元どおり埋めているのを見て驚いたという記事が新聞に
ttps://megalodon.jp/2011-0301-0631-14/www.ne.jp/asahi/kojima/law/trail/trial_book_7_3.htm
「被疑者の衣服に被害者の血を垂らす」(p142)、「被疑者の毛髪を被害者の体につける」(p145)、「尿やDNAをすり替える」(p149、p158)
ttps://web.archive.org/web/20200119104435/https://www.amazon.co.jp/review/R1OACBI3K7O8KM/
学生時代にレポートを書くのを相当訓練されたけれど、パワーポイントを作る訓練はあまり受けなかった。
卒業して研究職になったあと、「パワポで適当な資料を作ってくると思ったらもう論文書いてきたの?」みたいに言われたことがあったけれど、個人的にはパワポで資料作るほうが面倒くさいと感じる。
世の中には口下手だけど、システムデザインをさせたらめちゃくちゃすごい人とかいるので、まあ、口頭試問ですべてのことは測れないよねと思う。
マジレスすると、
=論理的に筋の通った文章を書く。理路整然とした文章から重要な個所を抜き出す。
苦手・嫌い→口頭で言われたことを理解する、パワポやメモにまとめる、発表する
どんなジャンルの文章が来てもテストはほぼノー勉で無双していた。そこに書いてあることを読み取るだけなのに、周りがなぜできないのかがまるでわからなかった。
大学時代も、レポートが得意だったので一週間で10本はざらに書いていたし、国語の教員免許も取った。そしてプライベートではとあるネットサイトで小説を書いていてそこそこのお気に入りをいただいたり、ランキングに乗ったりと創作を楽しんでいた。
だが、社会に出て3年、一般企業に勤めることになった私は社会で求められる国語力がまるでないと悟った。
理解するまで人の倍は時間がかかる。そのうえ人から言われたことを整理してまとめる力もないので常にノートはぐちゃぐちゃしている。
さらに、何か話そうとすると言葉が出てこないので大変に語彙のない人間だと思われている。
まとめると、
1.時差について
今回招待制かつ高橋は専業プロなので時差調整はオフラインに比べかなり良い環境だったと思う
通常の大会だと時差は問題だよね、ただオンライン大会で深夜開催は昼間やって出れないよりは…って思うし国によってはそれもありそう
2.オンライン対戦について
味気ないって意見はたしかに出てるんだけど、今回のドラフトの評価がめちゃめちゃ高かったり紙で出来ない事をしている。ドラフトはもうオンライン以上の事はどうやっても出来ない。
細かい事を言うと手札を隠さないとか、場の見やすさとか、観戦面でのオンラインの優位は覆らない気がする。だからこそデジタルに投資してるんじゃないかな。
それにナベ事件みたいにイカサマで揉めるって事も無いし、激高して台パンやランドグシャも無いし個人的にはオンラインの方が良いと思う。
4.ニコ生の貢献
売上が伸びているのはここ5年くらいの事、それもTCG全体の売上が伸びている中での事でシェアは相変わらずの4~5%程度であるため正直盛り上がっているとも言えない。
ニコ生自体が5年前時点で廃れていた事もあり、貢献と言われると微妙ではないだろうか。
個人的にはサトレイや行弘などトッププロが情報公開を積極的にしレベルの底上げをしてきた事と
5.十分に紳士寄りでは無い。紳士はカードを握りつぶさないし台を叩かない。
6.デッキについて
http://cardrush-media.com/mtg-yutatakahashi-211001/
某朝のニュース番組で、クイズ形式で林先生が言葉の語源についてうんちくを語るコーナーがある。
以前までは番組中で林先生が一人で収録した映像を流すだけだったが、最近収録の形式が変わって、林先生のうんちくを女子アナが聞く形式になった。
その女子アナは他のレポートしの収録がない限り、番組中は林先生の収録のコーナーにしか出てこない。
林先生のうんちくを聞いて、「へ~、そ~なんですかぁ~」とアホみたいな返事をして、林先生がご満悦なだけのコーナーになり下がった。
おっさんの自慢話をOLが感心しながら聞くという、なんとも昭和臭い気持いコーナーを毎朝垂れ流している。
まあ、見たくなければ見なければいいだけの話だけどね。
「書評が書けない」という投稿を読んで、いつか自分が言語化したいと思っていたことだったので整理したいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20211010201513
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https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これはこれで少し躓いている人には良いアドバイスだと思うのですが、
私の「書けなかった」のはかなり深刻なので、下記のブコメに納得していたところもあります。
そのため筆を執る気になったということも付記しておきます。
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こういうのは「得意だったタイプ」の人のアドバイスよりも、「壊滅的にできなかったけど教えてもらったらそこそこできるようになった」みたいな人のアドバイスの方が欲しい気がする。|「なんとでも書け」ないんだよ
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私も大学生の途中までレポートが全く書けませんでした。そこそこの大学に通っていたのでそれなりに学力はあったとおもうし、その後書けるようになってからは書くことが楽しくなって今ではムダにFacebookに長文を書いているぐらいなので、つまづきのポイントは自分の中では明確になっています。
私の場合の結論から書くと、「読み手がどう思うだろうか」「読み手が気分を害さないだろうか」という配慮が働きすぎて、怖くて文章が書けない(主張ができない)というものが原因でした。
自分は少し毒のある家庭環境で育っていたので、正直に自分の考えたことを吐露すると家族に叱られる。みたいなことがよくありました。(今となっては少し社会的配慮が足りてなかった側面は否定できませんが。)
今回の「書けない」方の状況に必ずしもマッチしているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
一般的に対話において過度な配慮をするような性格の持ち主は、日常的なコミュニケーションでもつい遠慮がちに話したりするので聞く側もそれなりの配慮が必要になるケースもあります。
何れにせよ、そういう性格、気質の持ち主の場合は「自由に書いていいんだよ」ということを伝えても内在する遠慮が邪魔してなかなか改善されません。
私の場合問題の解決につながったことは、私の場合は大学の途中でマーケティングリサーチの会社でアルバイトをするようになったことがきっかけでした。
最初は報告書に使う帯グラフなどをExcelでシコシコつくるような作業をしていたのですが、その後の工程でその集計結果を見てかんたんなコメントを書くようになりました。
「ウマ娘をプレイしている人についてみると、女性より男性が20ポイント高い」みたいなコメントです。このようなほぼ事実を記述する内容はほぼ怒られる心配はありません。
単純な文章ですがその作業を任されるようになって楽しくなりました。
一般的なマーケティングリサーチの報告書ではそれらの単純な集計結果を統合して、「ブリーフィング(まとめ)」を書きます。
これはそもそも調査の目的が、いまとある商材を売っているメーカーが今後どんなプロモーションをしたらもっと売れるようになるか?みたいなケースが多く、ある種の問題意識や仮説が明確です。
その仮説を検証するためにアンケート調査を設計して、結果を分析しているので概ねまとめは書きやすいものが多いです。
もっともまとめはある程度シニアなリサーチャーが書くので、バイトが書くものではありませんでしたが。
私はこれらの経験・作業を通じて、自分の意見を主張する、考えを披露するということに関する自分なりのパターンを掴みました。
整理すると下記のようになります。
4)解釈をまとめて、問題意識に対する自分なりの見解を書くこと。
結局、私はバイトで経験したマーケティングリサーチが面白かったので、その後色々あってアンケートやスクレイピングデータを用いた実証的分野の大学教員になるのですが、文章を書くときの考え方の基本は一緒です。
もっとも、実証的な研究というのは論文の価値にしめる実証データの存在が大きいので、上記の考え方を当てはめやすいですが、実証という考え方が存在しない読書感想文や書評のケースでは困ってしまうかもしれません。その場合の「事実」はその本に書いてある表現や書き手の主張として考えてもらえると良いのですが、自分が大学教員としてレポートを指導していても書けない学生にはなかなか伝わらないことも理解しています。
そのため、下記のような思考実験をやってみてもらえませんか?
A)自分が興味がある対象を選ぶ(漫画でも鉄道でもいわゆる趣味と呼ばれているものが良いと思います。)
B)その対象において自分の選択を振り返る(例:少年漫画より少女漫画が好きだ。)
C)その理由について考えて、構造化する。(自分が少女漫画が好きな理由は〇〇である。)
世の中の読書感想文のよくある問題は、読み手が全く興味がない本でも読まされて何か意見を表明しなければならないことだと思います。
すくなくとも、同好の士との対話を想像して、自分がそれなりに語れる(周辺知識と単語が内在している)ジャンルを選んでください。その語りの内容をテキストに落とすことを考えます。
もちろん書評の場合は、自分が興味のある本をA)の対象にしてください。
また、読み手の読解力に比べて記述内容が難解な本の場合はなかなか感想が出ないことも一般的だと思います。
(例えば村上春樹は私にとって面白い小説であるが、感想をかけと言われてもとても困る題材だったりする。そのあたりは個人によって異なる。)
Withコロナの時代になり、私もフルリモートで勤務していますが、知識労働としての適切に文章のまとめられる能力はますます重要になってきていると思います。
他人様のレポートに点数つける立場になった、昔感想文だけ大好きな子供だった者だけど誠実な人だなと思う。
自分は昔から本に感銘を受けると、結局自分が語りたいことの要素にしてしまうのに罪悪感があった。最初は確かに感銘を受けたし、最終的にこの本は素晴らしいと帰着するけど内容はあちこち飛びまくるし語りそのものが楽しくなってしまう。
論文を書くのには困らない性質だけど、今でも「感動したといいながら自分の語りの一部にしちゃったな」という一抹の虚しさを抱える。だから元増田のように「素晴らしかったが語ることは特にない」という、純粋な受容を眩しく思う。
いいか、よく聞け。書評には三種類ある。逆に言うと三つしかない。
勉強会で輪読するような場合、読んできたやつが読んでいないやつに本の内容を伝えるのは要約が一番だ。
同ジャンルの本を多く読んでいる場合、それらとの比較をして今回読んだ本を評価できるはずだ。
他の本にない特徴や新規性はなにか、他にない独特のストーリー展開や表現はなにか、
他にくらべてどのくらい優れていてどのくらい価値があるか。
ここの部分は何々の引用で、ここは何々の影響がみられるとか。
プロの書評はこういうやつだ。読書量が少なく自分の評価軸を持っていない素人が真似してはいけない。
読んだ本に書いてある内容にむりやりこじつけて自分のエピソードトークをするんだ。
その中に自分語りが出てくると読む方はおっと思う。
そしてレポートを採点する大学教授は、要約や比較はお前よりずっと上手いだろうが
お前自身の物語は世界で唯一お前にしか書けない。その教授にだって書けないんだ。
追記:
トラバついたので補足しておくな。
トラバにもあるようにいわゆる書評は(2)で、むしろ「(2)書評」という見出しにしたかったくらい。
元増田は書評と言いつつ大学のレポートや卒論、書評ブログ、読書感想文なんかを挙げているので、
要は本を読んでそれについて何か語る文章をうまく書きたいのだと解釈した。
仕事や学業の課題ではないみたいだし、読書ブログのようなのを書きたいのかな、と。
本をうなずきながら読む
読み終わってみたが、とくに書くことがない
1+1=2という記載に疑問のもちようがない
イスラムはこういう教え、キリスト教はこういう教え、仏教はこういう教え
そういうもんなんだから読んで書けと言われてもまとめるだけになってしまう
そういえば、大学のレポートや卒論も参考文献のダイジェストを「思われる」、「考えられる」で締めて考えたフリをしているだけだった
「書き続ければ上手くなる」。みんなこういう。文章が上手いやつに限ってこういうことをいう
けれど、上手いやつは最初からキラリと光るものをもってる。問題意識というか、物事を力強く疑うことできる体力というか、明らかに他の人とは違う原石をもってる
昔から自分にはそういうものがなかった。読書感想文も目も当てられないほど平凡で、自分が自分にいつも落胆させられていた
文才があるやつの強さに憧れる。ただ、著者に同調するのではなく、著者と対峙し、仮想的な著者との議論に何万文字と最後まで付き合える強さに感嘆する
この強さは絶対才能だと思う。だから、どれだけ国語辞典を目で追っても、文章術を箇条書きにしても、本を読んでも、そして増田でこうやって愚痴を書いても
僕は書評が書けない
かなしい
数年前に熊本出身の旦那と結婚をする前、実家を訪ねた際に親戚の方とお話をする機会があった。
高齢のおじさんて観光地まで車を出してくれたりして、お世話になったのだが、よくお話してくれる方で、道すがらさらっと同和問題についても口にしていた。
ちなみに、わたしは道満の親を持つ関東人。同和問題については知識としては知っており、大学で何かの折にレポートを書かされたため、興味を持っていたが生で口にする人は初めて見た。
おじさま曰く、以前勤めてらした会社で同和グループにイチャモンをつけられたらしい。その際対応に当たったのが北海道から異動してきた人で、何にもわかってない。どうやら、その人はいわゆるマジレスをしてしまい、同和グループの人が徒党を組んで現れる。と言う自体になったらしい。
正直、めっちゃ興味深い。
たまにえせ同和なんて言葉も聞くけれど、実態はよく聞いたことがなかった、知りたい。
だが、今目の前に自らの経験を元に同和というだけで、毛嫌いしている人間がいる。めっちゃ話し聞きてぇ。
いやでも、来年結婚する初対面の親戚の嫁候補がそこまで社会問題をぐいぐい取材してくんのはおかしいだろう。
結局、お上品に無難な相槌をうちながら、車の中で眠りこける旦那を見ていた。
数年経った今、また同和関連のことに興味を持ち始めていて、今更すごい気になってしまった。、
表題の事例で思い浮かべるのが、元・漫画家の「豊島ゆ〜さく」である。"元"と付けたのは、現実の豊島は、もう漫画を描いていないからである。同人誌活動も含めて、おそらく十年以上は描いていない。昔はアニメ雑誌でアフレコ現場レポート漫画とか描いていたが、そんな仕事も今はしていないようである。
豊島には、昔日曜日の朝に放送していた某魔法少女アニメのエロ同人漫画を描いていたという過去がある。そんな自分のことを棚に上げて豊島は、若いアニメファンを「性欲に踊らされている」として、ネット上で口汚く罵り続けている。
豊島の拠点は、自分が管理しているネット掲示板である。そこで長年に渡って「馬鹿な若年オタクとは違い、自分は物が分かっている!今日のダメなアニメ作品に対して意見することは、自分の務めである!」と堅く信じて、アニメの感想を書き連ね続けている。しかし、掲示板と言っても書き込みは認証制なので、実質、豊島の独演会状態である。と学会の山本弘が独善的に「昔のオタクは物が分かっていた!今の若いオタクはなっていない!」とやっていたが、あれを1億倍ぐらい酷くしたような感じである。
漫画家でアニメ評論活動に熱心といえば、あさりよしとおが有名であるが、実は豊島は初期のあさり作品にアシスタントとして参加していた経験もある。つまり、そういう年齢である。一方のあさりよしとおが漫画家として現役であるのに対して、現在の豊島は漫画家としての活動実績ゼロである。
元々、高齢オタクにありがちな、癖の強い口調・文体ではあったが、現在のようなレベルで口汚くなった時期は、ちょうど豊島の漫画家としての活動実績が消失した頃と符合する。
漫画家といっても十人十色だ。誰もが売れっ子になり、プロとして飯を食え続ける訳ではない。プロとしての目立つ表舞台からは消えても、同人誌やネット上でコツコツと創作活動を続ける人たちもいる。あるいは、筆を折って、漫画以外の仕事で第二の人生を地道に堅実に歩む人たちもいる。こういう人たちには、敬意を払うべきである。しかし、豊島は該当しない。
漫画家として芽が出なかった現実から逃げるために、若年オタクと自分は違うのだと信じたいがために、若年オタクを口汚く罵る豊島ゆ〜さく。ネットで若年オタク叩きに勤しむ人間を見ていると、そんな豊島と大同小異の「現実が上手くいっていない高齢オタク」が現実逃避をしている姿を思い浮かべる。自分は、あいつらとは違うのだ、と。
オンライン授業でレポートの精度が向上大学准教授が推測する背景とは
https://blogos.com/article/561722/
残念だが、諸君は何もわかっていない。
現役の大学生である私がオンライン授業で学生の成績がよくなった本当の理由を教えてあげよう。ちなみに2年生だ。
私の大学は都内の有名私立と呼ばれるもので、学生の質が著しく悪いということはない (と思う) し、同様のことが他大でも起きているということも念のため書き添えておこう。
オンライン授業がメインの大学では「課題だけの関係」が非常によく発達する。
課題だけの関係とは、ガイダンスなどで珍しく登校した際や #春から〇〇大 などで繋がった人とLINEを交換し、以来趣味の話をするでもなく課題のやり取りだけを行う関係のことである。
ネット上で〇〇大界隈などといって馴れ合っているじゃないかと思われるかもしれないが、それをする、或いはそれができるのは極々一部の学生だけだ。
少し調べてみると同じ人たちばかりがツイートしていることがわかる。
前期は一人孤独に耐えたが後期もオンラインが確定し仕方なくTwitterを始め、春でもないのに #春から〇〇大 でツイートする人も非常によくみてきた。
課題だけの関係の闇が深いのは、どうしても学力差がつきもの、という点だ。
次第にどちらかが答案を送りどちらかが写す関係に切り替わっていく。下請けだ。
そして大抵は複数人とLINEを交換するので、だんだん優秀な答案が出回っていく。孫請けだ。
こうして9割S (弊大学の最高評価) の講義なんてものが誕生する。解説するまでもなく簡単な話だろう。学校は社会の縮図とはよく言ったものである。
対面の頃も課題だけの関係は存在しただろうが、上級生の様子をみると、オンライン授業世代の我々ほどは深刻ではない。
対面試験が実施できず課題だけで評価されることが多いのも要因としてあるだろう。
出席率も高くて素晴らしいなどと言っているようだが、オンライン授業を休むとは一体なんだろうか。
一方で、対面授業のほうがオンライン授業よりも学習効果が高い、などとするオンライン授業に否定的な大学教員もいる。
現在はどの大学でもオンライン授業と対面授業を選べる講義が増えてきている。
その上で対面授業に来た学生のほうが成績がよい、という主張だ。
ここまでオンライン授業を批判してきたわけだが、私はこれにも懐疑的だ。
ちょっと考えれば当たり前のことを言っているだけなのがわかる。
世間は大学生はみな対面授業を望んでいると思っているようだが、大学生の本音は「一度キャンパスに行くという『大学生感』を味わえたならあとは正直オンラインで構わない」だ。
対面授業が本格化すると試験も対面になってしまうのでそれは困る。
ではなぜ対面授業のほうが成績がよくなるのか?もちろんオンラインの方がよくなった講義もあるだろうが、多くの場合、その答えは登校するのはそのうち勉強熱心な学生だけになるから、それだけだ。
ここまで読んで、あなたは大学生とはなんとわがままな人種なのだろうか、とでも感じただろうか。
大学生がわがままなのは否定しようもない事実ではある。申し訳ない。
ただ少し待って欲しい。おかしなことを言っているのは学生だけではない。
さて、冒頭で「諸君は何もわかっていない」と述べたが、正直なところ私は何もわかっていないとは思っていない。
出席の異常さに何も感じないわけもない。
指摘すると面倒だから何もしていないんだろう。わかる。私だってその立場なら指摘したくない。
私はただ、持っていない性善説をもとに存在しない大学生理想像を作り、それについて検証などと称して記事を書き仕事しました顔をしているのが気に入らないのだ。
大学生はみな自分一人で課題をやっている、毎朝対面授業に行き勉強したがっていると信じたふりをして話をするより、もっとすべきことがあるはずだ。
そんなことよりオンライン授業の質を高める方法を検討してくれ。
ありありやありなし、なしあり、
それよりか、なしなしって言う方が大人っぽくない?
いや、
ありなし、って言ったときと
なしあり、って言ったときで
砂糖とミルクどっちがありなしなのかその順番も気になるところだけど
あり寄りのなし、なのか
なし寄りのあり、なのか
弱めの中火とか強めの中火とか
なかなかフィジカルには難しい調整でもあるように、
きっと砂糖とミルクの絶妙などちらかに寄せるテクニックがあるのかも知れないわね。
でさー
話し変わるんだけど、
今日の日替わり何かなーって
私のもう一つの肩書きである日替わり定食探検家の異名を持ちまくっているんだけど、
私がメモしておいた
今月の日替わり献立表をみたの
私すっかり忘れていたけど、
もう10月じゃない。
てっきり10月の日替わりカレンダーも書き留めておいたと思っていたら、
思いっ切り9月のままで
窓から放おり出して捨てる様のように
すっかり月替わりしていたことを忘れていたわ。
だから今日また新しい今月の献立日替わりメニューを侵入調査すべく、
お店の前に今日の日替わりはこれです!って写真が掲載されているサイネージパネルちっくなものがあるんだけど、
今日初めてテーブルに座ったときに今日の日替わりはこれね!ってお楽しみクジを引くかのように楽しみにしていたかったので、
いやペッパー君より仕事できてるそのサイネージパネルを見て見ぬふりして
知ってた?
不覚にも頭を打ちつけてしまうところだったわ。
で早速私は今月の日替わりメニューを極秘入手してこれもこっそりなんだけどスマホで写真撮ったからもうバッチリよ。
もうそろそろフライトの時間ね!ってユリオカ超特Qさんが出発の時間になるより前に食べきらないと行けないフライト前のさ
ご飯食べようって思っても搭乗手続きする前だとソワソワしちゃうじゃない?
ハッキリ言うと私あまりこの
コスパに見合わないというか、
元気を出してって言い出しそうなぐらい大人しめの少し痩せたそのハンバーグに似合う服を探しに街に出るように控えめなハンバーグに
これまた大人しめの以下省略的なこれまた同じような痩せている海老のエビフライって二重表現をしても足りないぐらいの細い海老フライなの。
でも今日のエビフライトハンバーグ日替わりにも良いところがある!って私はそれらの良いところを10個でも見付けようとしてみて味わってみたの。
初回私はあんまり良い印象を覚えていなかったから期待していなかったんだけど
グルメレポートで「ふわふわ」「柔らかい」「ヤバイ」って3ついうボケを全部出来てしまいそうなほど
口当たり良く肉汁がほどけて溢れてきて
以前はバーグ、
揚げたてでサクサクで、
私はまたグルメレポートでいう3つのボケを言ってしまいそうだったほど美味しいのよ。
そこには大海原をかつて自由自在に泳ぎまくっていた海老の姿が見えたの!
活きが良いってことことなのね!って
箸ですくって海老フライに乗せようとしたタルタルソースが箸から落ちてしまって
タルタルソースも活きが良いのね!って
もうまだ5つぐらいしか良いところが見付かってないのに
10個良いところが見付かった気分になったわ。
でも5つで充分だったわ。
私のお腹は満たされたんだもん。
背中に牡蠣と虎がにらみ合っている刺繍が施してあるスカジャンを見たときのように
これもハンバーグと海老フライが定食としてそのステージで戦っている刺繍の施されたスカジャンが見えたのよね。
だから良いモノ見たな!ってね。
お腹も心も大満足ってワケ。
うふふ。
鮭おにぎりよ。
たまに食べる朝の鮭おにぎりが身体に染みウマで美味しいのよね。
そのままパリパリとパリで食べなくてもパリパリな海苔を海苔だけでいただいた方がいいわね。
ちょっとホッツ白湯ウォーラーからたつ湯気で炙るように海苔をかざせば
しっとりとしたタイプ手前の海苔にもなるから一度試して欲しいわ。
そう言うメリットもあるのよね、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ネットのどこかに検索可能な状態で置いておけば、検索エンジンが進化して後々役に立つと思っていた。
ネットの暗黙知が信じられていたときは、検索能力とレポート能力の高い人が調べてまとめてくれていた。
月日は流れて、その場その場の場当たり的な判断ばかりになった。
もしくはtogetterのように、とりあえず1つのスレッドに集めたものばかりになった。
スマホが普及して、資料を並べて比較するというのもなくなった。
比較出来ないから、ジャンルに強そうな人をフォローして、その人の判断を信じるしかなくなった。
ちょっとまとめられる人でも、画像数枚で読める範囲でしか、他人に伝えることができなくなった。