はてなキーワード: ブンブンとは
今日、飼い犬の老犬が死んだ。
炎天下の中で水を求めて、苦しみながら死んだ。
安楽死させてやればよかったのだ。
犬は三半規管を悪くして自力で起き上がれず、半年くらい寝たきりのオムツ生活だった。
水、エサも自力で口にできない。
水を注射器で吸い上げ、口元にもっていく。それを1日に数回しなければならなかった。
オムツは気持ち悪いのか、つけようとすると手足をバタバタさせて嫌がった。
でも、オムツをしないとコンクリートの上に糞尿がぶちまけられて掃除に1時間以上かかる。
嫌がる犬をなだめてオムツをつける。
オムツをしていても、大便はいつのまにかオムツの外にもれている。
暖かくなると犬にもハエが飛び回った。
世話をしに行くと、ハエ数匹がいっせいに飛び立っていった。
自分は虫が苦手なのでこれはこたえた。
さらに夏が近づくと、皮膚に卵を産み付けたハエの卵が孵化してウジになるだろう。
それをピンセットでひとつひとつ除去していくのだ、とどこかのブログに書いてあった。
老化による吠え声も、家族を苦しめた。
中型犬なので、吠え声も大きく、苦しいのか甲高い声で吠えまくる。
夜鳴きもひどかった。
水をやっても、オムツをかえても、目が回って苦しいのだろう。
苦しいし、寂しいのだ、と犬好きの友達が言っていた。
そばにいて頭でもなでてやればいいのだろうが、1日中つきっきりで介護できる者はいなかった。
犬が鳴いていなくても犬の鳴き声がする。幻聴だった。
目が覚めると犬が吠えている。
仕事を中断して、料理を中断して、食事を中断して、犬の世話をしなければならなかった。
寝不足状態だと、攻撃的になるし、頭は働かないし、食欲もなくなり、IQが2くらいになるので本当によくない。
介護殺人、乳児殺しが起こるメカニズムが手に取るようにわかってしまう。
他者をケアする能力がない者は、はやく介護現場、育児現場から逃げ出してほしい。
母は昔に病気をして痩せているので、中型犬でそこそこ大きい犬の世話をするのも一苦労のようだった。
夜中に吠えまくるので、寝不足で仕事に行かなければならなかった。
もう世話をするのが限界だった。母も私も。
母や私の介護も限界で、犬も生きているのが苦しそうで見ていてつらかった。
しかし、安楽死反対派の父親に安楽死を何度も打診したが、すべて無視をされた。
父は、自分が死ぬことや、自分の知っている命が死ぬのが怖いのである。
家を出る覚悟もした。
しかし、ツイッターでデスハラスメントがバズっていて、自分は死の押し付けをしているのかもしれない、と思い直した。
「勝手に犬を安楽死させたら、自分のお気持ちゴリ押し主張マンの父親と同じ土俵に立つことになる」
「どれだけ劣悪な環境でも犬に生きる権利はあるかもしれないし、獣医に殺生の罪をかぶせるかもしれないし、死の押し付けでデスハラスメントになるかもしれない」
「けど、父親の介護はお粗末だし、劣悪な環境で苦しんで死んでいくことが予想されるぞ」
そんなことをツイッターに書いた。
脱水状態は、死ぬ時は頭の中がボーっとして気持ちよく死ねるというデータもあるけど、自分には楽に死んだようには見えなかった。
これは、看取る側の意見だ。
看取られる側も、同じ意見だろう。
しかし、犬は苦しんで死んだように見えた。
吠えないように口輪の上からヒモグルグル、ヒモがこすれて赤い肉が見えて、ハエの卵をビッシリ生みつけられハエ数十匹ブンブンの中で、苦しんで泡を吐き、脱水で死んだ。
ずっと苦しんでいた。
水をやっても、エサをやっても、動かない不自由な体に苦しんでいた。
苦しみを除去するために、安楽死があるのに。
適切にそれを使えなかったのだ。
死っていうのは綺麗なもんじゃない。
綺麗にパッケージされた死ばかり見せられてるけど、死んだらみんなハエブンブンなんだよな。
死ぬっていうのは本来、こういう残酷で惨めで惨たらしいものなんだろう。
そして、死には必ず苦しみが伴う。
でも、もっと苦痛を取り除いてやれる方法があったのではないか?
父のやり方は、苦痛に目を向けず、息さえしていればいいという感じだった。
後悔している。安楽死で楽にさせてやれなかったことを、後悔している。
命日の2日前でも安楽死させてやればよかった。
でも、父も母も積極的安楽死反対派であり、父に関してはどんな惨めたらしい姿でも生かしておきたいようだった。
家族の意見を押し切り、自分が勝手に安楽死させる罪までかぶれなかった。
犬は話せるわけではないので、犬の意見も聞けない。
でも、人間だってこんな状態になったら生きていたくないはずだ。
今日は例によって睡眠リズムが狂っていて、目覚めたら15時だった。
暑い。喉がかわいている。ペットボトルの水を乱暴に口に流し込む。
犬に注射器で水をやらなければいけない。
ベッドから起き上がれなかった。
犬に水をやりにいかなきゃいけないし、オムツも替えなきゃいけない。
でもハエブンブンの中で介護することで、その日の1日が最悪な感じで終了するのだった。
眠れなくなる、病む、自傷行為に走る、安楽死安楽死安楽死。昨日は安楽死について6時間くらいネットで調べていた。
自分のお気持ちを防衛しなきゃ、体が動かないな。動きたくない。
日記にそう書いてあった。
水をあげたらよかった、という気持ちと、水をやらずに死ねてよかったのだ、という気持ちが交互に襲ってくる。
犬が死んでしまった虚無感と、
7月に入る前に、卵が孵化しウジに変わる前に死ねてよかったのだ、という安心感と、
やっぱり安楽死させてやればよかったな、という後悔と、
もう世話をしなくていいのだ、という解放感と、
安楽死が適用される犬にも安楽死を施しにくい遅れた文化への絶望感と、
犬が死んでもなお、自分の死や家族の死について向き合わなければいけないしんどさと、
色んな負の感情がないまぜになっている。
何が正解だったのか、わからない。
これは、答えを出す作業ではない。
犬、苦しかっただろうな。
ごめんな。
文章にしてみてハッキリわかったのだが、これは、犬の介護の問題だけではない。
自分ひとりで犬を飼っていたら、お別れを言って楽に旅立たせてあげられていたのだ。
自分が無力で、決定権が父親にあり、逆らえないがゆえに犬は苦しんで死んだ。
母は「どうしたらよかったのか、家族で話し合いたい」と言っていたが、父は貝になったままだんまりを決め込んでいる。
犬の死に顔が頭に浮かんできてキツい。
当分、寝れずに悪夢をみるんだろうな。
口ヒモグルグル、歯を食いしばって、目は濁っていて空洞の穴ぼこみたいだった。
体はまだ暖かかったが、蝋人形のように手足が硬直していた。
動いていた犬が、動かない時のあの心臓が冷えたような感じを、忘れられないだろう。
コンクリートの糞尿の掃除をしていると、父が会社から帰ってきた。
「お父さんが世話するから」
いや、もう生きてないんだよ。
犬が死んで悲しい気持ちが100点、父への憎しみ1万点、安楽死が後進国文化の日本への怒り10億点、無力な自分への虚無感100億点ってかんじだ。
日本には江戸時代にあまり良くない歴史がありました。士農工商の下にエタ・ヒニン、人間以下の存在がいると。でも人間以下と設定された人たちも性欲などがあります。当然、乱暴などもはたらきます。一族、夜盗郎党となって十何人で取り囲んで暴行しようとした時に、侍は大切な妻と子供を守るだけのためにどうしたのか。
侍はもう刀を抜くしかなかった。でも刀を抜いた時に。どうせ死ぬんです。相手はプロなんだから、犯罪の。もうブン回すしかないんですよ。ブンブンブンブン刀ブン回して時間稼ぎするしかないんです。どうせ死ぬんだから。
「もう自分はどうせ死んだとしても1秒でも長く時間を稼ぐから、大切な君だけはどうか生き残ってほしい。僕の命は君のものだから、僕の大切な君はかすり傷ひとつ付けない」といって振り回した時に一切のかすり傷がつかないのが二尺六寸の刀が届かない三尺です。「女は三尺下がって歩け」、愛の言葉です。
https://twitter.com/cracjp/status/1129997593130524673
に動画がある。
そのエタとか非人って人たちは普通に結婚することも引越しをすることも許されず…。
でもね、そういう人たちにしても当然のことながら
遊びたいですし友達とも学びたいし
言ってしまうと性欲なんかもあるかもしれない。
そういう人たちがひょっとしたら一部、野党になっていったり、
そういう一部犯罪集団になっていったのかもしれないですね。
https://www.youtube.com/watch?v=1-BJ79tEESQ
長谷川豊としては
そういう人たちがひょっとしたら一部、野党になっていったり、
そういう一部犯罪集団になっていったのかもしれないですね。
これは黒人差別ではないということらしい。
50をとうに過ぎたおじさんが何故やまポンに出会ったのか。
やまポンとの出会いは偶然だった。
先週のことである。近所のモールに家族で行き、妻子の買い物が終わるのを広場で待っていたところ、若い女の子たちが集まってきたのだ。何かイベントがあるのだろう、折角だからと見ることにした。
正直に言うと、私はBee Boysのことをこの時までよく知らなかった。もちろん地元なので、そういうグループがあるということは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。
たくさんのファンが待つ中、ステージに出てきた男性たちの中に、ファンの目を見ながら各方向にブンブンポーズ(名乗りの時にするポーズ)をする人がいた。それがやまポンだった。ステージ上のやまポンはなんと、少し離れたところから見ている私に笑顔で手を振ってくれたのだ。若い女の子たちに手を振るべきであろうイベント会場で、当時まだファンでもない、今後ファンになるかも分からないくたびれたおじさんにだ。なんだこの子は、と思った。何故こんなおじさんにも笑顔で手を振ってくれるのだろうか。思わず手を振り返した私を見た彼は、一層目を細めて笑い、視線を外した。私の手はしばらくそのままだった。あまりにも可愛かったからだ。ステージの最中、私の目線はやまポンに釘付けだった。
ステージの後は握手会があるらしい。CDを買うと参加できるとのことで、少し迷ったがやまポンと握手をすることにした。列に並んでいると、意外と男性がいることが分かる。場違いな空気を感じていた私はここで少し安心した。
目の前の人が終わり、いよいよ自分の番が来る。一歩前に出た私は、私だけを見ているやまポンの笑顔に恥ずかしながらノックアウトされてしまった。「初めてだったが楽しかった」「手を振ってくれて嬉しかった」「また来たい」。目映い笑顔にドギマギしながらもなんとか伝えると、やまポンはニカッと笑ってこう言った。「ありがとう、またきてね」と。
テーマカラーは銀、特技は盗塁、そして本名は山本龍臣。山本龍臣、という名前だけを聞けば確かに野球部にいそうだ(これは偏見かもしれないが)。しかし彼は笑顔がとても可愛い青年なのである。あの日から私は毎日やまポンのことを調べてしまっている。すっかりやまポンの虜だ。あの時は「ファンになるかも分からないのに」と思ったが、あのお手振りはなかなか効果があったらしい。
そして「またきてね」というあの優しい声を聞くために、私は今週も何の用もないショッピングモールへ行ってしまうのだろう。趣味もなく枯れた人生だったが、やまポンに出会えたお陰で週末の楽しみができた。ありがとう、やまポン。これからよろしくね。そして私のようなおじさんたちも、一度Bee Boysに会いに行って見てほしい。きっと良さが分かるだろう。
「ご恵贈頂きました」という類いの呟きに寄せた郡さんの「呟き」は、書物を出版するという行為を人脈作りのように扱うことへの反感をこめたものだ。その底流にあるのは、書物という存在に対する畏れ、敬意、尊重するという「しぐさ」であり、それが彼の出版人としてのスタンスの根本に関わる問題であることが伺える。
一方で「その呟きを批判することが自由な言論の流通を阻害する」と批判する小林さんの意見は、これも書物を狭い公共圏の所属物にしてしまうことへの嫌悪や彼女なりの書物の未来への希望に基づく批判だと考えられる。書物はもっと自由で開かれたものであるべきだ、という思想もまた、彼女の出版人としての根本に関わるテーゼなのだろう。
両者の意見を踏まえた上で、その対立について、それから、切り取られた「クッキーでも焼いて…」という言葉について意見を述べたい。
まず、両者の意見はまさに「意見表明すること」に対する価値観を異にしているため、おそらく折り合う点がない。郡さんは「世界に向けて意見を述べるとは、反論・批判を受けて立つ覚悟に基づくべきものであり、それは神聖な行為だ」と考えているのだろう。そういう覚悟のないおしゃべりによる人と人の繋がりを一段低いものと見て、Twitterなどの道具を使ってそれをすることを否定するほど狭量ではないものの、自分が心を込めて関わっているものをそんなことの道具に使う行為に対しては嫌悪感を覚える、というスタンスだ。たとえて言うなら、陶芸家が「いまプレゼントに最適なカップ」特集とか見て、苦虫をかみつぶしているような感覚だろう。
一方の小林さんは、おそらくそういうスタンスをもつ世代の「本」作りには未来がないと踏んでいる。彼女は彼女なりに出版の未来、書物の未来を憂えていて、むしろ前世代の人が気軽な交流の場に本を持ち出すことに苦言を呈すること自体が、書物の未来を奪うものとして気に入らないのだろう。たとえて言うなら、その陶芸家の息子が、自ブランドの社長として上手にブランディング戦略をして「プレゼントに最適なカップ」特集に○○印のカップを掲載してもらっているようなものだ。
……とまとめれば分かってもらえると思うが、こんな二人の話が折れ合う地点など最初からない。
私が問題だと思うのは、こんな折れ合わない二人が触れ合い対立してしまうことを、いまのTwitterの仕組みはプラスにできず(論争が深まる余地がないので)、足を引っ張り合うこと(炎上)にしか繋げられない点だ。SNSは人と人の距離をぐっと近づけたが、ブログvsブログならまだ存在した対話の余地を、Twitterは残さない。そしてそれを煽るのがtogetterのようなまとめサイトで、まさに郡さんの思うような「編集」という行為の恣意性や恐ろしさに気付かないまま、面白おかしく「炎上しやすそうなポイント」に絞ってページ作成者は対立を煽り、社会全体の生産性を下げている。私は、この二人はそれぞれのポジションで自己のお仕事に邁進していただいたい方が、なんぼか日本と世界の、そして書物の未来のためになると思う。
今回の対立は「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という郡さんの売り言葉に対して「性差別的な発言が感情的な口調」と小林さんが受けたところから本筋を逸脱した。郡さんの文脈でこの売り言葉を読めば、それはつまり「(書物の怖さを尊重せず交流の価値だけに可能性を見出すなら、書物という作るのも受け取るのも恐ろしいものに手を出さず、安全な)クッキーを焼いてフリマで売って(好きなだけ「素敵ー」とか言い合ってぬるい交流をす)ればいい」という意味であるのは明白だし、ブラック気味のジョークとして受け取れる範疇の揶揄であったと考えるが、小林さんはその文脈を外して「(自分が女性だからクッキー焼け、つまり社会に出てくるなという話になるのか、つまり)性差別」でありかつ「(性差別的な発言を不用意に侮辱的に投げかけるほどあなたは)感情的だ」というレッテル貼りを行って、話を泥沼化させた。あとは、Twitterに住む蝿がよってたかってブンブン言わせて、事態は無事小学校の学級会へと堕していった。
郡さんのそのブラック口調が不用意だったのか、あるいは(かねてから似たような目に遭ってきたと想像される)小林さんの受け取り方がよくなかったのか、そこは今更問うまい。両者がその間の事情をそれぞれ忖度すべきだったというほど、両者に重い責任を負わせようとも思わない。ただ、いずれにせよ、両者はTwitterなどという軽い軽い場で議論じみた交流をすべきでなく、ただお互いの仕事に努めた方がずっとよい。陶芸家とその息子、ハッキリ言えば話すだけ無駄だと思う。
これまで何度も繰り返されたこういう出来事(出会うべきでない二人をお節介にも出会わせて無益な対立を生み、あまつさえそれを見世物にする!)をシステム上で防ぐ仕組みができない限り、いずれTwitterは信頼も人心も失っていくだろうと思う。
といっても違法な薬ではなく、向精神薬のゾロフトという薬を個人輸入で大量に購入し、
酒を飲みながらミンティアのようにモグモグと食べたのであった。
適量はもう忘れた。食後に1錠とかだったのかな。
それを50錠だか60錠だかを、夜中に3時間くらいかけてモグモグ。
そうすると段々と視界が歪んできて、チラチラと黒い影が見えるように。
そのうち体を起こしていられなくなってベッドに寝転ぶと、白い天井に何十匹もの虫がいるように見えて、
気持ち悪くてしょうがなくなり、目を瞑って眠れるよう尽力した。
だんだんと体が痛くなってきた。
最初は筋肉痛のような感じ、しかし段々と体が硬直して動かなくなり、
肘や膝が曲がらなくなった。
そして喉が腫れた感じがして、息が苦しくなってきた。
ここで、
「あ、もしかして死にかけている?」
と感じた。
でもまあ、死にたくて薬を飲んでいたところもあるから、それはそれでいいか…と思ったけど、
とにかく痛くて苦しくてこれをどうにかしたくなってきて(死にたいのに)、
後日なんとか病院まで辿りつき。
「検査の結果は明日出ますので、午後に来院なさってくださいね」
優しい看護師さんの声に少し癒されながらうまく動かない足を使って家に帰った。
食欲はないのでまたすぐに寝た。
薬は飲みたくて飲みたくて仕方なかったけれど、
なんとなく今飲んだら本当に死ぬんじゃないかって恐怖が優ってしまい(死にたいのに)、
飲まずに一晩を過ごした。
薬がないと眠れない体になっていた私はほとんど眠らずに一晩を過ごしていた。
午後から病院に行くのも億劫だったが、何事かと電話に出てみる。
そうすると、
「なるべく早急の対応が必要となる結果が出てしまいました。午前中にご来院ください」
とのことだった。
マジか…と思いながらまたうまく動かない足をほぼほぼ引きずりながら病院に。
他に待っていた患者さんがいる中で、私はVIP待遇かのように最初に診察室に通されてしまった。
「クレアチンキナーゼの量が異常値です。このままだと腎不全になります。大きな病院で入院してください」
どうやら本当に結果がやばかったらしい。
クレアチンキナーゼというのは、筋肉に含まれていて、それが壊れた時に血中に出てしまうらしく、
それが平均値の300倍。
このまま放っておくとクレアチンキナーゼが腎臓に詰まって腎臓が壊れるので、
とにかくいっぱい水分を摂って血中濃度をなるべく下げて体外に尿で排出するしかない、と。
そして私が一歩歩くごとに筋肉はまた破壊され、クレアチンキナーゼが血中に流れ出てしまう。
大学病院へのタクシー移動を余儀なくされ、そこでも再度血液検査。
結果は変わらず入院の手続きをして病室へと連れて行ってもらう。
ぱっと見は大変健康そうな私であったが、車いすに乗せられ運ばされ、病室へ。
本当は尿道カテーテルが必要だったが、若干20代前半の私を憐れんでか、トイレの近い病室にしてもらえた。
その日何リットル水を飲み、何度トイレにいったか、それを毎日記録し、担当の看護師さんに伝えなければならない。
そして若さゆえに2週間は入院が必要だと言われていたところを3日で退院することができた。
毎日水を大量に飲み、大量のおしっこをし、眠れないのでネットフリックスで映画を観て。
自分の中途半端な死にたい欲でたくさんの人にご迷惑をかけてしまい、
結局死にきれず入院までして体を治そうとしていること、
退院後、なんとなくだけど自分の中に「生きよう」とする気持ちがあることに気づいてしまったのか、
結局ODをすることはなくなった。
適量、ちゃんと処方された薬だけを飲んでよく寝るようにした。
そうすると精神的に健康になり、薬って適量だとちゃんと効くんだな!?(当たり前)と気づいたのだった。
この前別の記事で同じようなことを書いてる人がいて自分も書きたくなった。
スカスカシステムが出た辺りでやめたが、結局トータルで見ると400万以上使っていた。
FGOをやり始めたのはサービス開始当初で、リセマラで当時強キャラと言われてたヘラクレスが当たったからプレイしようと思った。
そもそもそこそこ生きていると自分の性格が分かってくるもんで、
自分は狭く深く、コンプ癖があり、熱くなって散財しやすいと一番スマホゲーをやっちゃいけないタイプの人間だって分かっていた。
まぁ強キャラ当たったしやるだけやるかなぁと思ったのが運の尽き。
最初に課金した時から家計簿アプリで出費額を記録してたんだけど、
狂金時宝具5にした段階でこれまでの合計出費が20万超えちゃって正直めちゃくちゃ焦った。
で、とりあえずヤフオクでアカウントを売ろうと思ったけど設定した金額が高すぎて売れなかった。
まぁ金使わずに続けていくかと思ってここから無課金プレイをやり始めた。
そっからまぁ沖田とかスルーしてたんだけど槍スカサハが来てまた課金しちゃった。
とりあえずここら辺が第一の間違い。
で、福袋やら新規実装やらでどんどんどんどん課金していくうちに財布の紐がガッバガバになった。
で、FGO民は知ってると思うけど春頃にジャンヌダルクオルタが来ちゃったんだ。
見た目も気に入ったし何より性能がやばかったし課金するしかなかった。
結局16万使って宝具2で終了、まじでぶっ倒れるんじゃないかってくらいきつかった。
ここが第二の間違い。
結局ガチャゲーで怖いのは大なり小なり沼った時に、
ある意味浪費に対する免疫が少しずつ無くなっていくことなんだよな。
一回16万爆死すると次からは16万まではなんとなく突っ込んじゃうようになる。
しかもその16万使ったキャラを持ってるアカウントが、劣化するのが嫌で新規実装された奴は引いとかないととか考え始める。
コンプ癖と金を使ったんだからもう後には引けない理論が混ざってえらいことになる。
そっから実装されるやつはガンガン回していくし、くそったれのメイヴやクーオルタでまた大爆死もした。
その頃だったか多分元々やってたSNSとは別に、FGO専用のTwitterを開設した。
これが第三の間違い。
FGO専用ってことでFGOやってるやつとだけ繋がってたんだけど、
そうするとFGO全肯定なわけだからどんどんどんどんのめり込んでいった。
そのときにはもう3桁万円余裕で課金してるから、新規実装されたサーヴァントの宝具5SSアップしたりすればすげーすげー言われるわけだ。
ちょっと話は逸れるけど若者は高級腕時計とか高級車買わなくなったって言うけど、
ソシャゲガチャゲーがその部分を丸々食っちゃっててデジタル宝飾品みたいになってんじゃないかなって思う。
すごいアカウントだったりレアなキャラ持ってたりすればやっぱり優越感がすごい訳だ。
それこそSNSでの自慢、オフ会での自慢もありきでスマホゲーやってるやつも結構いると思うんだ。
100万200万のロレックスは持ってねえけど100万200万課金したアカウントは持ってるってやつ結構いるんじゃない?
この前の正月なんてガチャSSと一緒にあけおめツイートばっかりだったもんな。
話を戻すけどとにかくFGO専用のSNS作ったのが本当に大間違い。
しかもFGOやってるならわかると思うけどこの時期のFGOが多分一番ピークだったと思う。
はじめての水着イベントが来て、6章円卓が来て、7章バビロニアが来て、年末にはあのラストを迎えたわけだ。
ここの盛り上がり方は本当に凄まじかったように記憶してる。
元々やってた方のTwitterアカウントに久しぶりに戻った時に、ほとんどいなかったFGOプレイヤーがめちゃくちゃ増えてて驚いたもんだ。
そこから正月福袋に宮本武蔵実装と来てもう完全にぶっ壊れてた俺は日替わりPUのギルに突っ込んでいった。
で、きっちり大爆死して正月早々20万がFGOに飲まれていった。
そこで本当に気分悪くなって目が覚めた。
確かこの時のこれまでの累計金額は250万近くになってたはず。
そのまんまFGO専用のSNSのアカウントを削除して、FGOアカウントをヤフオクへ出品した。
このときの盛り上がりってのは本当に凄まじくてそれが功を奏したのかすぐに買い手がついた。
こちらの希望額は80万で、そのまますぐに入金してもらってアカウントを引き渡した。
ここからしばらくはFGOから離れていたけど、ピーク時に辞めてるからずっと気になってるわけだ。
暇な時にヤフオクなんかを覗いて色んなアカウントの値動きを見たりしてた。
ここが第四の間違い。
好きな状態でやめてもMMOの引退詐欺みたいなもんで絶対そのうちに復帰するんだよな。
案の定4月頃、そこそこ良いアカウントを手に入れてFGOに復帰した。
ただまぁ前回の事もあるからFGO専用SNSはしない、FGOツイートなんかもしないようにした。
それでも根が中毒者なもんだから、数ヶ月経った頃のその年の水着イベントではガチャブンブン回してたよね。
水着オルタの水玉コラが好きで、今思えばガチャに金使わなくてもこの画像一枚眺めるだけで良かったんじゃねえかな。
まぁFGOでは1.5部をやっててどんどん新キャラが実装されていってた。
それプラスして現状持ってないサーヴァントが復刻されると回したりしたもんだ。
定期的にサーヴァントにアッパー調整が入るからまぁその辺も環境が変わって楽しかったしな。
年始には葛飾北斎が来て、これは多分3万か4万くらいで宝具5になった。
FGOも不思議なもんで調子が良いときには数万で宝具5になるし、
調子が悪いと十数万でやっとこさ初当たりなんてこともある。
母数が少なすぎて意味ないけど計算したら確か自分の場合宝具5にする平均が15万とか20万くらいだったかな。
そんなこんなで2018年が始まってFGOも第二部やります!とか言ってんだけど、
ここらへんで段々とFGO熱が引いてくると同時に疑問を感じだす。
突然回避不能な宝具ブッパされたり、育てたキャラが使えない編成制限があったり。
強いサーヴァント出すけど、ゲーム難易度なんて運営の匙加減次第でどうとでもなる。
入場料400万という大金を払って延々滑車を回す哀れなハムスターなんじゃないかと思いだす。
ただもうかなりの金を突っ込んでるし、この時には星5サーヴァントはほぼコンプ状態だったから辞めるに辞められない。
新規実装されたサーヴァントがいればもうなんか訳分かんない惰性で引いてた。
それこそ第二部始まって新しい冒険が始まるとか言われても、新規ガチャ来るってだけでげんなりしてたと思う。
それでも続けてたんだけど5月くらいにはもう何が楽しくてやってるのか分かんない状態だった。
確か前のアカウントも含めて累計課金額は400万超えてたはず。
これまでアーツバスターに対してちょっと影の薄かったクイックが大復権したタイミングだ。
こうやってまた滑車の入れ替えが続いていくのかなって心が折れた。
もう課金する気も起きなかったし星5コンプって状態で早く売ろうと決心した。
なんやかんやの細かいベントを挟むだろうけど、夏にはまた水着イベントが来るからだ。
そうなってからじゃ遅いから、なんとか買い手を見つけて交渉して50万で手放した。
これよりもずっと古い状態のものが前は80万で売れたのに不思議な話だ。
恐らく同時期にヤフオクがアカウント類の出品を一切禁止したのもデカかったんじゃないかな。
420万使って125万回収の295万で俺のFGOライフは幕を閉じた。
まず第一の間違いで辞めるならさっさと辞める、辞めるのに遅すぎるなんてことはない。
結局その後も課金してしまうんだからとにかく被害が増えないうちにさっさと辞めるに限る。
それから第二の間違い、爆死したら絶対に爆死に対して耐性がついちゃってどんどん金を突っ込むようになる。
爆死したら躊躇なく使う金額の上限がそこへ引き上げられる。
だから爆死したらもう辞められないんじゃなくて、今すぐ辞めないとかなりヤバイって事。
第三の間違いは売るタイミングだ。
好きな女と涙ながらに別れるのは辛くても、顔も見たくない相手ならすぐに別れられるはず。
まずはSNSを辞めたり環境を変えて嫌いになるか少なくとも好きではない状態から辞める方が良い。
これは第三の間違いとも繋がってて、やっぱり未練があるから見ちゃうんだよな。
よく考えなくても超しょぼいグラフィックで大して戦闘も面白くねえし、
世の中他に面白いものがたくさんあるからそっちに目を向けたほうが良い。
馬鹿の書いた駄文だけどスマホゲーに課金しようとしてる人や辞めようと思ってる人の参考になればいいな。
まぁそもそもスマホゲーガチャゲーをやったのが一番の間違いだけども。
ちなみに文中で散々RMTやってるけど、RMTは回避不能なゲイボルグみてえな詐欺があるから絶対やらない方がいい。
詐欺をされてもやられた側は何もできずに終わるだけなので気をつけて。
↑これ、ブンブンっていれるだけでGoogle 日本語入力からサジェストされました。すげーや。さすが世界のGoogle様ですね。
こういっちゃなんだが、今私本当にクズになっています。具体的には金回り、あと人間とのコミュニケーション。このブログを毎日更新していた学生時代と比較して、驚くほど金に困り、驚くほど人と話せず、驚くほど人に迷惑をかける毎日を送っています。マジで、人に迷惑をかけるのだけは嫌いだったのに、呼吸すると迷惑かけて、そのストレスで浪費して金に困る毎日、マジで終わっている。家賃払えなくなるなんて想像していなかった。お給料全然良いはずなのに。これ人として復帰できるんですか?
あのころ、もう少し真面目な人間になれると思っていた私、元気ですか、私は精一杯不健康です。主に心が。体は特に胃が狂っています。毎朝吐き気を感じながら職場に向かいます。
って書くと、職場ヤバそうじゃないですか。ポジネガ両方でヤバイです。ぶっちゃけ、当たりの会社に入れています。そこは素直にめでたい。やってることも面白いし、関わっているものも絶好調。結果、やりたかったことがわりとできている方だし、自分がやりたかった方向は着実に向けているし、上司は人間としていい人ばっかりだし、良かったね〜ほんと。
ただ、毎日11時とか12時とかそのへんに会社出る感じです。先週は朝6時に会社出ましたね。あと時々すっげぇ怒られが起きます。でも自分のせいなんだよなぁほんと。もうド正論で殴られるから、普段だと何だあいつガバガバだな怒り方って言えるけど、それが全く通用しないから一瞬で塵になるよねほんと。才能と知識といろいろ足りないのを毎日自覚しながらひーひー言います。そのせいで体と心にガタが来て、人間をやめることになります。というか、まともな人間時代にできた人への思いやりとかが無理になります。自分が厳しすぎて自分が最優先になります。優しいあなたは完全に死に絶えました。そのくせ自分が制御できていません。代わりにそれなりによい給料とか、経験とかはあるので、そのへんのバランス取れるようになったらもうちょっと人生楽しいんじゃなかなと思いますけども。
いやー、本当に人間ってキツいですね。人として生きるの難しすぎませんか。難しいのに難しくないふりをして生き続けないところも難しい。僕は一体どうすれば良いんでしょう、てかそんなことよりはやく奨学金と家賃をだな……いい加減にしろよお前ほんと……さっさと正月の日雇いバイトさがそ……休む暇あったら稼げこのクズ……。
性犯罪に遭った後、私は様々なウェブサイトを巡りました。どこも数十年にわたり苦しんでいる人でいっぱいでした。
「私の人生は終わったのだ。ずっとこのままなのだ」と絶望していたのを覚えています。
その後、私は家庭も持ち現在幸せに暮らしています。穏やかな生活を送るうちにわかってきました。
幸せになった人間はわざわざ過去の苦しかった話をしない。だからウェブ上では数十年苦しみつづけている人しかいないように見える。
性犯罪後、幸せに暮らしている人もいるという話を書こうとずっと思いながらも、私の文章が誰かを傷つけないか怖くて、そして炎上が怖くてずっと逃げていました。
私は誰も傷つけない器用な文章は書けません。誰かのために役に立つ文章も書けません。ただ、自分のけじめをつけるための文章です。
私は事件後にひどいPTSDになりました。当時はそれがPTSDとわかっていませんでした。イメージとあまりに違っていたからです。
眠りにつく瞬間、気がつくと犯人が私の上に乗って私の首筋に包丁を突きつけている。手をブンブン振り払い抵抗すると消えている。幻覚だけれども現実と区別がつかない。私にかかる犯人の息も、犯人の体温も、押し当てられた包丁の冷たさも現実のそれと同じ。
私はそれからずっと眠れなくなりました。
押入れの中から音がした気がする。犯人がいるかもしれない。怖い。1時間も硬直して押入れを凝視し続け、意を決して一気に扉を開ける。誰もいない。よかった。気が緩んで振り返った瞬間、犯人が後ろから飛びかかってきて刺される。
風呂場から水の音がした気がする。犯人がいるかもしれない。長い時間をかけて誰もいないことを確認してホッとした瞬間、また背後から羽交い締めにされて刺される。
私は事件後、何十回も何百回も殺され続けました。
外に行くことができなくなりました。
このころのことはあまり覚えていないのですが、ずっとお腹が空いていたことだけは覚えています。
家の食べ物を食べ尽くしてお腹が空いているのに外に出られない。
意を決して外に出るとそこにいる全ての人の動きに注意せずにはいられない。ものすごく疲れて、ひどい頭痛になる。
怖かったのが子供と犬で、突然駆け寄ってくるそれらを犯人かと思い硬直し、なんだ犬かよかったと思った瞬間、視界の端から犯人が飛び込んでくる。刺される!手をブンブン振り回すとそれは犯人ではなく風でひらひらしているポスター。怖い。疲れる。
仕事にも行けなくなってたくさんの人に迷惑をおかけしました。ほんとうに申し訳ないです。事件のことは言っていないのでうつ病と思われたようで、ものすごく親切にして頂きました。ほんとうに申し訳ないです。
事件から(たぶん)数年がたったころ、私は当時付き合っていた夫と結婚しました。
たぶん、社会生活が送れなくなってしまった私を心配して周囲の人が勧めてくれたのかと思います。私はこのころをあまり覚えていません。
当時、記憶することができなくなっていました。
そうだ薬を飲まなきゃと思って手を見るとコップがある。あれ?私は薬を飲んだのかな?
財布がなくなってしまったと夫に言うと、「これで何度目?!」とキレられる。え? 2回目なの? と聞くと「今月4回目だよ!!!」
優しい夫が当時はずっとイライラしていました。おそらく、私は忘れたこと自体を忘れてしまうのでなんともない。一方、夫の方はそれらの尻拭いでストレスが溜まっていたのでしょう。
夫と私、どちらが言い出したのか覚えていませんが心療内科に行ってみることになりました。
心療内科に行く前にいろいろと検索をしました。記憶力のなくなる病気。事件がきっかけになってそうだけれども、該当しそうな病名がわかりません。
一番近いのは陰性の統合失調症に思えました。事件のストレスで発症したのかもしれない。そう思いました。
「レイプ後に記憶力がなくなった人いませんか?」という質問スレッドを見つけました。レイプ後に記憶力がなくなった、頭が悪くなったという人たちがたくさんいましたが、彼ら曰く数十年そのままだそうです。「これは一生治らないのか」私は静かに受けれたのを覚えています。
この辺りから記憶がかなりはっきりしてきます。この後、治療から回復編です。治らないと思ったのは間違いだったのです。
心療内科に行きました。
待合室ではエリート風の人たちがスーツ姿で姿勢よく座っていて、なんだか意外なように思いました。
問診票を渡されたのですが、渡されたことをわすれてしまう。「大丈夫ですか」といわれてあわてて書こうとするもまた忘れてしまう。
「辛いならいいですよ」いえ、そんなのではなくて、すみません、すみません。でも忘れる。「辛いならいいですから」
診察室に通され、「統合失調症だと思うのですが。。。」と話し始めると
先生は最初ちょっと首を傾けて聞いていたのですが、事件の話もすると姿勢を変えました。
いくつかの短い質問の後、「あなたはPTSDです」といって、辞典のようなものから該当ページを読み上げてくれました。そこにあった特徴は完全に当時の私に一致していてびっくりしました。幻覚と思っていたものはPTSDのフラッシュバックだったのです。
「統合失調症ではないのですか?」と一応聞いて見ると幻覚の違いを説明してもらえました。
PTSDのフラッシュバックは鮮明で現実と区別がつかない。一方、統合失調症の幻覚はもっと不条理なもの。例えば「空間が割れてそこから声が聞こえる」とか。
映画「ビューティフルマインド」で描かれた統合失調症とは随分違うようです。私はフラッシュバックを「回想シーンのように過去の映像が見える」ことだと思っていたのですがこれも間違いでした。PTSDという名前は知っていたのですが、間違ったイメージを持っていたために気がつくのが遅れてしまいました。
「事件後1年くらいなら他の薬も出すのだけれども、あなたはそれだけで大丈夫でしょう。」
「人は自然に治る力があってね。PTSDは治療しなくても一年くらいで治る人が多い」
「あなたは全く睡眠が取れていないことが問題です。十分な睡眠をとれば記憶力も戻るでしょう。」
先生におっしゃる通りでした。服薬初めて1週間でほぼ元に戻りました。
数年間生活がめちゃくちゃだったのが1週間で。最初から病院に行っていれば・・・。まあ、後から言ってもしょうがないですが。
これは本当に病気なのか?甘えと思われないか?仮病とか嘘をついていると思われたらどうしよう。
今、当時の私に会えるとしたらこう伝えたいです。