2023-12-27

M1って、「資本主義」じゃね?

芸人さんが好きだ。ジャンルを問わず

自分はただの会社員だが、なぜだか芸人さんほどカッコいい職業はないと思っている。


そんな自分にとって、M1日本一芸人を決める大会で、「勝って人生変えてくれ!」と思いながら熱心に見ていた。


ただ、今年のM1は見ていて色々と考えさせられることがあった。


それは、「M1も結局、資本主義的なゲームの1つなのではないか」ということだ。ただし、これはネガティブ意味ではない。


こう思うきっかけになったのは「令和ロマン」と「さや香」の戦い方だ。


令和ロマンの戦い方は、本人談にもあるように非常に戦略的ライバルたちの動向はもちろん、抽選順まで分析し尽くした戦い方は、まるでM1という競技ルールを完全にハックしているようだった。


その姿を見ている時にふと思い出したのが、なにかの本に書かれていた「資本主義社会において、目標は必ずハックされる」という言葉だった。(うろ覚えなので、詳細は異なるかもしれないが…)


実際この社会において、企業は自社の成長のため、トレンド必死で探したり、どうにか自社商品をバズらせようと苦心したりする。そこで働く社員たちは、「本当にやりたかたことってなんだったっけ…?」とか思いながら、目標達成というゲーム攻略にジタバタしているものだ。かくいう自分もそう。


そしてM1は、会場にいるお客さんの笑いの量がかなり審査に影響する。少なくとも、「全然ウケてないのに審査評価で逆転優勝」なんてことはまずない。


そう考えると、「大衆ニーズいかウケるか」という点で、M1資本主義的なゲームの一つなんじゃないかと思うのだ。だからこそ芸人さんも、「自分のやりたいネタ」と「M1用の戦略」の中で、苦心するんじゃないだろうか。


そんな中、令和ロマンの「M1最適化された戦略を緻密に練って勝ち抜くスタイル」は、まるでクールな敏腕サラリーマンを見ているかのようだった。


ただ令和ロマンの凄いところは、その緻密さを「自らの勝利」だけでなく、「M1というゲームをどう盛り上げるか」というレベルまで俯瞰して考えているところだ。


勝ち組になるのが全て」と盲信するかつての《モーレツサラリーマン》的価値観とは相反し、ゲーム冷静にメタ認知し、かつ楽しんでしまうその姿は、まさに「令和っぽい」魅力があった。


そして「令和っぽさ」といえば、もう一組のさや香もすごく興味深かった。なんせ、誰もが勝つことを目指すM1で、「勝たなくていいから好きなことやるぜ」という価値観提示たからだ。


しかさや香が凄いのは、決勝に連続で勝ち上がれるくらいの戦略家ではあるというところ。


「好きなことして生きていく」的価値観平成から台頭しているが、だからといってハナから全くニーズを考えずにいると、そもそも食えやしない。「日の目を見れるくらいの戦略現実的に持っておき、最後自分のやりたいことを優先する」という絶妙バランス感覚が、とても現代的だと思ったのだ。


まり何が言いたいかというと、一見勝つことが全てに見える資本主義的なゲームでも、ゲームメタ的にハックして楽しんでしまう「令和ロマンスタイル」や、ある程度計算しつつやりたいことを優先する「さや香スタイル」で、自分らしく乗り切れるんじゃないか、ということだ。


なんなら、ゲーム基準は一つじゃなくていい。

ちょっと前にM1価値観が固まってしまうことに「提言」して炎上した芸人さんがいたが、YouTubeのような全く従来と異なるルートを極めることも、自分は立派だと思っている。


なぜ自分芸人さんに惹かれるのか、

それは「ウケるかウケないか」という資本主義的なゲームの中で、それぞれがもがく姿に勇気づけられるからかもしれない…そんなことを思った、今年のM1だった。

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