2016-11-15

卒論通過儀礼

卒論、つらい。

自分の頭のなかを今輪切りにしたら、多分この二単語が縞模様を作っている。

卒論を書きはじめるまで、自分はそこそこデキる学生だと思っていた。

研究室の同期のなかではレポートの出来も一番良いと褒められることが多かったし、

そもそも通っている大学だって旧帝大だ。

教授との仲も良好で、コミュニケーション能力を褒められることも多々。

デキるやつだと思い込んでいた。

でも、今、卒論を通してその自己認識いか薄っぺらで都合の良いものだったか思い知らされている。

圧倒的に読書量(文学部)・知識量が足りない。

今までの学生生活、思い返せば何をしてきたんだろう。

人に見せてきた明るい性格も虚勢だったみたいで、今はメンタル系の薬を飲んで心を落ち着かせるので精一杯だ。

大学生活、インターネット趣味時間を浪費して何も身に付けられなかったのに、

上っ面を取り繕うのだけは上手いか自分無能さに気付くこともできなかった。

周りは気にし過ぎだとか、十分能力はあるとか言ってくれる。

でも、自分脳みそ人間性も、がらんどうだ。

研究テーマが、つまり自分の関心の所在がわからないのもきっとそのせいなんだろう。

世の中のひとはどんな気持ち卒論に臨むんだろうか。

私みたいに、自分無能さに打ちひしがれて、死んだほうがましだって考えたりしてるんだろうか。

卒論はそういう通過儀礼なんだろうか。

そうだとして、これを「通過」できる自信が正直自分の中に無い。

卒論、つらい。

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