はてなキーワード: 託児所とは
まだまだ30代だけど今のところ人生楽勝。
高校では一切勉強せず遊び呆けてたけど中学までの貯金(貯学力?)で国立大に入って、
大学では好きなことだけを学んで遊んで、
就活では超大手の一般職と準大手の総合職の内定をもらって結局超大手の一般職を選んで、
超大手で出会った夫と結婚して20代で子供産んで産休育休取って、
超大手だから保活なんかしなくても社内に託児所があるからそこに子供預けて働いて、
30ちょうどくらいで自分は年収500万、夫は年収800万くらいになって、
仕事はちょうどいい忙しさで充実してて、毎年きっちり昇給して、
子供はかわいくて、
旦那も素敵で、
本当に今のところ人生楽勝。
もちろんこれからずっと楽勝なわけはないけど、
金銭的な余裕はあるから汚い話だけど金で解決できることはだいたいできるだろうし、
金で解決できないことも解決するための力や知識は習得しているんじゃないかと思ってるし、
まあ、正直人生で起こるたいていのピンチはどうにかできるんじゃないかと思う。
(うーんでも、子育てだけは予測不可能なことが当たり前に起きるから、どうにかなるとは言い切れないかも。どうにかしなきゃいけないけど。)
受験とか、就活とか、その他いろいろな人生のイベントは結果オーライで切り抜けてきてて、
そこで失敗した人や、そこで私が手に入れた学歴や職業やその他いろいろなものを手にできなかった人に比べたら、
挫折なんてしてないも同然なんだろう。
人生まだまだ長いけど、しばらくは子育てと仕事に全力尽くして、
日々を過ごしていきたいと思ってる。
子供がいること、仕事があること、旅行に行けること、おいしいものを食べられることに感謝しながら。(と取って付けたように言ってみる。)
新卒で入った会社に定年まで社畜もとい企業戦士として絶対服従で仕える見返りだったわけで
今でも転勤族なら社宅用意される所も多いけど、それも会社の命令で転勤させられる事への見返りなわけで
企業が託児所を用意することの見返りが何かあるってならいいけど
N
保育士不足は慢性的で来月には結婚や出産を理由に4人いなくなる。
新たに確保できたのは一人だけだという。
これは大きな問題ですよね。
国を挙げて、県を挙げて、市町村を挙げて、取り組まないといけないでしょうね。
(VTR終了)
ショーンさんね、あのー、切実な声として直接大臣に訴えた方々なんていうのは、
たとえばですよ、今後、今、政府が言っていることは、ある程度仮に、楽観的に、
その手当が進んでいったとしたって、あぶれる方々ですよね
そうですね
いま、急には救われないから
そうですね、ええ
「企業の戦略コンサルテンィグに従事/テレビ、ラジオの経済番組に出演多数/
そうですね、もう、喫緊の課題の解決ってことと、これから、中・長期で見た時の解決って
あのー、直近で、私も、一億総活躍の加藤大臣とですね、あるシンポジウムとご一緒させて
いただいて、
あのー、この一億総活躍とは、ということで、あのーホームページにもですね、出てるんですが
ああ
あの、政府も使っているわけなんですね。
ようは、その、年齢や性差や、あるいは障害や難病を抱えてらっしゃるかた
取り込まれて、活……、一緒になって参加できる、活躍できる社会を、ということで
この保育の問題も、包摂的に解決してゆかないと、なかなか一点改革では難しいのではないかと
いう気がいたします
あのー、保育所の数を増やすというのももちろん、重要ではありますし、
一方で保育士の労働環境、あるいは条件を改善するというのもそうですし、
あるいは、その、保育をする、育児をする方々が働いてらっしゃる企業側も、
あるいは自治体も一緒に改革しないといけないと思うんですけども。
ああ、ああ(何度もうなづく)
私、企業の現場にいると、企業側も、もっとできることはあるのかなという気はするんです
あっ
やっぱり、その、育児休業の制度を持っている、規定を持っている会社でも、やっぱり
育児休をとれている人は40%と、規定のない会社だと5%未満ということもありまして
なかなか思い切って、その、育児にといくのは、なかなかいかない
で、企業からの論理からいきますと、これ、コストとかって、託児所作るのは非常に
コストがかかることだと。
そういう労働環境のある会社というのはいい人材が集まってくるんですね
うーん
したがって、いい人材が返って集まってくる、リターンのことをしっかり考えて
まったく底通してますね
そうなんですね、介護なんていうのも、今240万人といいますけども、
働きながら介護に行っている、その中で7万人弱ぐらいの方が、いわゆる介護休業
ま、このあたりのことに対して、もう、本当に、一体に、包摂的に解決をしてゆく
という覚悟が
本当にこれ、私の大反省なんですけどね、いろいろ調べてみると、このノルウェー
はじめとして、各国で、
もう、全員が、保育所の入ることができているところは、根本的に給料もいいわけで、
うーん、はい(大きくうなづく)
うん
だから私なんか考えてみると、ついこないだまで、子供の面倒をみてくれる人、保育士さんは
で、子供と遊んでくれる人。
そんな考えだったら、これ、今と待遇変わんないって
そうですね
そうですね
そうですね
だから、それぞれの立場で、深さ深さ含めて、全部を理解しないと
だめですね
そうですね
一点突破は無理なんですね
そうですね、もう、全体で、考えてゆく必要が絶対にあると思うし、
私はもう、何度も申し上げておりますけど、あの、企業だけではないです、
ただ、企業の中でも大企業の中で、非常に大きな企業ではやれていることだけども
日本の95%以上の産業構造を支える中小零細企業ではまだまだ、それは難しいよと
(おおきくうなづく)
そのあたりの格差も是正させていく、ということは非常に必要なことだと思いますね
いやあ、本当ですね。そしていま、ふと思ったんですけど、次のニュースにもこの
N
------
(VTR終了)
ま、このことを本当、今後のために教訓にしないといけない部分もありますね
そうですね
学校の責(せき)は本当に大きいと思います。本当に、まずは非行歴に関する事実の確認ということでも
これは文字通り、致命的な不備があったということ。
それからこの非行歴が仮にあったとして、いかなるその、進路への影響があるのか、
ことの重大さが分かっていれば、もっと慎重に、かつ丁寧な対応、態度がとれたはず、という
こともあるんですけど
やっぱり、その、教育の現場ということはありとあらゆる可能性を排除しない、
ありとあらゆる、その、選択肢を排除しないというのが教育の現場ではないかなと
思うんですよね
といいますのは、もし、仮に非行をしていたとして、もしそれが専願できなかったと
したらだったらこういう道もたくさんあるんだよって、
えー、落ちないでね、ということも言えたはずです
それから、その言葉を受けた子供がどういう印象や心象を持っているのか、という
選択あるいは可能性ですが、
ある子供にとっては死というものは、ある問題の解決の方法、手段として身近にある
はい(やや話をせき止めるかのように)
とはいえ、ま、いかなる問題の解決にも、死の選択はあってはならないという社会全体から
ああ、そうですね。いま、ショーンさんがおっしゃってくれた前半部分でいうと学校側に
そうですね、ええ
今回は、間違って万引きしたと
そうですね
このケースじゃなくって
それを時間をかけて
うん
教育していって、反省しているとか、そういううことになった時に
なんで、願書とか、あの、内申書なのか
うんうん
推薦状だか知りませんけど
そういうところにもっと寛容さを持ってね、いい事を書いてもらいたいと思いますし
一方で、その先生と親っていうだけじゃなくて、その以外に、なんか煮詰まったと
そうですね
そうですね
さっ、と救われますよね
そうですね。社会全体が子供の駆け込み寺になっていなきゃいけないというのも
そう思います
いまのありようがまったくそうじゃないから。痛切に感じますね。
そうですね
いろんなことが世知辛すぎて
うん、はい
そうですね、うん
(正面を向いて)次、参ります
N
「NEXT 米。共和党 トランプ氏 新たに勝利 勢い止まらず」
(略)
N
「私は負けるかもしれないが”碁の価値”がなくなるわけではない」
「コンピュータは”碁の美しさ”を理解しているわけではないからだ」
(スタジオに笑い声で入る)
敗北を予期していたんでしょうかね
ああ、そうですか。ショーンさん、ちょっとどうですか、このAIの
台頭ぶりは
そうですね、AIといえば、AI脅威論というのが必ずでてくるわけですけど
AIというのは人工知能で、目的を与えれば最前の策を得……、出してくるのが
AIなんですけども
ええ
勘違いしちゃいけないのは、目的そのものは持つ……持ち得ないですから
人間のですね、あの、能力を全部を置きかえるみたいな話がありますが
ええ
そうですか。やっぱり立派です。僕なんかはすぐ飛んじゃうんですよ。
また、すぐ、その大丈夫なのみたいな
大丈夫です
出てきますよね
ま、これからITは、もう、AIと物のインターネット、IoTと、それからロボティクスと
三つですので。これからの動きは、非常に、こう、え、注視しています。はい
そうですか
でも、今の話を聞いてまた納得しかかったのだけど
(苦笑)
(苦笑)その可能性はないかと
そこは疑心暗鬼にならなくてはだめでしょう
ないです、それは
ないですか、はい、わかりました
(正面を向いて)じゃ、気象情報のほう。AIじゃない林さん、どうぞ。
---
何の、節目でもありませんよ、と。
われわれメディアが、五年たったとか
うーん
仰々しく言いますけど、やっぱ、地元の方々、現在進行形で行きつ戻りつですもんね
そうですね。まさに、折り返し地点にも至っていないとおっしゃっておりましたけど、
これ、どこにむかって、どういう復興のデザインを描かれているということ自体が
住まう方々にとってもわからない状況だと思うんですよね
うーん
やっぱり、今見て、私たちがこうやって見るのは、グレイの灰色の復旧のほうで
まさに地方創生なんて言葉がありますが、それこそこの東日本、あるいは被災地に
まずは適用されて、復興、その、本当の意味での住まいや産業や、雇用を含めた、あの、
やっぱりそのデザインが見えないという中で、これからどこにどう向かっていくのか
ということをまず、皆さんで共有されるという
そうですね
それぞれみな違いがあると思いますし、あの、それこそ今日、朝日新聞で
なにもふくめて、環境を整備する
ええ
たとえば災害に対する激甚災害だって、古い法律だから、まず、道路作る
復旧させるというのが第一義になっている。これはいいだろう、と。
しかし二十歳の時の処方箋と、六十歳になった処方箋が違うんだから
うんうん
やっぱり、直接被災者への支援ということを反面で考えるべきだと
インフラ整備も重要だけども、ピカピカの町を作ったらゴーストタウンだったなんて
そうですね、ええ
まったく皮肉なことになると。だから直接支援ってことを考えたら
ええ
それこそさっきのAIじゃないけど、年齢とか考えとか個々にあわせた形、
内陸に住みたい方、そうでない方
やっていくとか、その、とんでもないぐらい、とっぴなことすら考えないと
うん
なんか一様な感じじゃだめな感じがする
そうですね。とにかく今は自治体で全体で本当に予算組み、消化で終わっている
気がします
そうですよね
・ショーンさんは相槌が非常にうまい。非常に小気味よく、若干早めにうなづくので、台本かもしれないが、古館さんはとても話しやすそう
経済番組で何百人もインタビューしてきたのは伊達ではないのだろう
・保育士不足問題で、さりげなく大臣とシンポジウムで会ったなど、威光効果を発揮するような発言を入れている
・具体的数字を積極的に出すことで説得力を増そうとしているように思える
・保育士不足の話で、社会的包摂の対象として「失敗を一度経験した人も」といれているが文脈上やや突飛。今となってみては気になる。
その後の中3自殺事件のことが念頭にあって、先にテーマを入れてしまったとも取れるが。
・中3自殺事件では、そもそも事件そのものが無かったという点が問題なのに、「仮に非行をしていたとしても」と、
微妙に問題となりそうな話の流れを作っている。ここも今となっては、どういう思いでの発言か気になる。
・古館さんのコメントは、ショーンさんよりさらに薄い。無味なニュースに、時にはべらんめい口調や、いかにも同情してます
といった抑揚で、無理に「感情」を付与しようとしているようにも見える。
・古館さんのAIの下りの冗談はあまり面白くないが、その後のショーンさんのことを振り返ると皮肉にさえ聞こえた。
・なお、この日、巨人の高木京介の野球賭博に関する謝罪会見が長々と番組で放映された。ショーンさんはどのような気持ちでこれを
見ていたのか、想像力がかきたてれられた。
??? 誰でもわかる、のレベルをめちゃくちゃ下げて話してるの?
別に深読み自慢がしたいんじゃなくて、表面的にもファンタジーとして普通に完結してない(わかりにくい)って言ってるんだけど。大衆娯楽として無用に難解って自分で言うとるやん。そういう特異な作家だよねって話。
誰でもわかるって、少女が異世界に迷い込んで脱出するだけの話って受け取れれば理解できたってレベルなの? それならわからない作品なんてなくならない?
本来表層的なものまで深読みに押し込んでないか。宮崎アニメが大衆受けするのもわかるが、それにしても内容はわかりにくいし、売れすぎでしょ。エンタメ的カバーをしてたのって魔女宅、紅の豚までじゃん。
もののけなんて結論の出ない話で、しかも悪役が天皇でしょ。いくらそれまで人気作家だったろうがこれが記録更新の売上で、なのにストーリーをわかってない人もいるってのは異常以外の何物でもないと思うが。(別に視点自体を不謹慎とかいうつもりではないよ)
売春宿で働かされて生理迎えたり金で買われそうになる話を、近所の子供たちのために作りました!カオナシは自分です!ってニコニコ答える人だよ。(託児所を作りつつ)
こんな怪物おじいちゃんを王道の代表、しかもテレビの流行りに押されて引退したみたく書かれたことに、非常に大きな反感を持つって話ね。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
その程度なら昨日の段階でhttp://anond.hatelabo.jp/20160215185846が書いてるぞ。
高齢者優先だから予算が来ないとか被害妄想付きだけど、介護待機老人は待機児童より遥かに多い上に今後もどんどん要介護老人が増えていくのも分かり切ってる中で
こっちの予算を減らせる訳もないだろうに。
大学内託児所は作っても幼稚園については全く知らないんだろうね。
都心部は幼稚園も足りてないよ。幼稚園難民が発生するくらいだ。
どうでもいいけどタワマン住人優先になったとしても親同士の関係が辛そう
トラブル起こしたら園内だけではなくマンション内でも居心地悪くなりそうで