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2024-10-13

とある20代女(骨格ウェーブ身長160cm)の体重変遷と周囲の反応まとめ

結論

私の場合

BMI18.5は何も言われないけど、18切ると医者から注意を受ける

・痩せてる女扱いは47kg台から

・48kg-52kgは何も言われない

・53kgあたりはガタイがいい判定

・55kg超えからぽっちゃり扱い

・58-60kgはデブ

⭐︎⭐︎痩せても頭のサイズは変わらないので小顔にはなれない⭐︎⭐︎

でした。

以下はダラダラ長文書いてるだけなのでお暇な方はどうぞ

0 はじめに

●なぜこの記事を書いたか

→世は大ルッキズム時代

BMI◯◯以上はデブ!」など過剰にダイエットを煽る文句やそれに反発する声、様々な意見ネットだけでなく実社会においても飛び交う世の中において、個人の一例を示すことによって「この体重だとなんとなくこう見られる」の参考になればいいなと思った あと単なる記録用

プロフィールについて

10代〜20代において10kg以上の増減を過去3回繰り返してる女 身長160cm、最高60kg、最低45kg なお後述するけどダイエットの参考にはならないです

●同じ体重でも筋肉量や骨格によって差が出るのでは?

はいあくまで「運動大嫌いな筋肉皆無160cmの女」のサンプルとしてご覧ください

1 小4〜中1 身長160cm 体重60kg

成長が早く小4ぐらいには今の身長になってた 帰宅後にポテチファミリーパックorカントリーマアム大袋をむさぼりご飯も平らげるわんぱく小中学生時代 

以下周囲の反応

「◯◯胸でっけーー」

小学生のころ。男子に言われることが多かったけど女子にも言われた 本当に気持ち悪いし親御さんの教育どうなってますか? あと全身満遍なく脂肪がついていたので巨乳ってわけでもなかった

「◯◯さんはデブです!!!

中学生のころ。クラスメイトの一部が巨乳女子ランキングを作っており、◯◯さん(私)の名前が挙がったときとある女子から出た発言 声がデカいので普通に聞こえた 後から知ったことだけどその女の子自分巨乳が自慢だったらしい

「体積が…笑」

中学生のころ。体育座りをしているときにヒソヒソされた 

2 中2〜高2 身長160cm 体重50-55kg

前述のポテチカントリーマアムを辞めたら痩せた それでも思春期故に増減が激しかった 

以下周囲の反応

「(腰を掴まれて)くびれがある!」

→中3のころ。50kgぐらいだったと思う 同じ部活女の子に言われた ちょうど痩せ始めた時期

「Aさん(ガタイのいい女子)と後ろ姿そっくりね〜」

→高1か2のころ。クラスメイトに言われた たぶん53kgぐらい 

3 高3〜大1 身長160cm 体重58kg

受験勉強ストレスで過食 それでも60kgは超えないように気をつけてた 

以下周囲の反応

「Bくん(高身長水泳部男子)と肩幅同じやん!」

→高3のころ。たまたまBくんの隣に並んだ時にクラスメイト男子に言われた Aさんの時はなんとも思わなかったけどBくんは男子なので、同じ肩幅って言われたのはちょっとショックだった 5kgの差ってこわい

「頭デカいか勉強できるんだろ!」

→高3のころ。たまたま良い成績をとった時にクラスメイト男子に言われた Bくんの話と違って単なるやっかみなので気にならなかった(でも書く)

4 大1〜大3 身長160cm 体重48〜52kg

受験勉強が終わったので痩せた

以下周囲の反応

「◯◯ちゃん痩せたよね〜」

→50kg切ったあたりでよく言われるようになった 

なおこの期間は体型について何か言われることがあんまりなくて、周囲の反応もこれしか思い出せなかった。 おそらくこのあたりが「普通女子筋肉皆無)」に見える体重なのだと思う

5 大4〜新入社員 身長160cm 体重58kg

資格試験就活ストレスで太った。「ぜんぜん食べてないのに〜」とか言いつつ週3で深夜にラーメン食べてた 

この頃になるとみんな大人なので、体型について言われることは無かった よって周囲の反応は無し 

6 社会生活 身長160cm 体重45kg(現在

ラーメンをやめる+野菜スープダイエット体重を落とした。 一ヶ月ぐらい昼夜野菜スープのみという生活を送り、5kg落としたけど水様便ばっかり出てくるようになったので中止した その後もあんまり食欲が回復せず今に至る しぬほど疲れやす身体になったのでオススメはしない

以下周囲の反応

「◯◯さん!?

→久しぶりに会った先輩に言われた。体重58kg時代に会ったきりだった 10kg痩せると別人だと思われるらしく、最初声をかけても不思議そうな顔をされた

マック食べられなさそう」
ラーメンきじゃなさそう」
ガリガリやないか
「もう少し太ってね」

デブ時代を知らない人たちから発言。三番目は47kgのころとある男性から、四番目は45kgのころ健康診断を受けた時に医者から言われた SNSをみるともっと痩せてる子がいっぱいいるけど、実際は160cm/47kgあたりからガリ判定なことに注意が必要です 骨格的に細い子は特に

7 最後

太ったときより痩せたときのほうが圧倒的に見栄えがよくなるのは確かです!

長年自撮りを撮り溜めているのだけど、周囲から何も言われなかった時代(52kgぐらい)のころの写真すら今見ると顔まんまるなので…

でも私は運動せず痩せたので体力が全くなく、今ではちょっとお外にでただけでもへとへとになってしまうようになりました。

ダイエット効果食事制限>>>運動なのはその通りなのだけど、運動をおろそかにしてはいけないと痛感しています

それではまた!

2024-10-11

anond:20241011151909

新入社員の時の方がキツくない?仕事も慣れてないだろうし

その頃になると人間関係も把握してるし、見ざる聞かざる言わざるも徹底してるだろうから

まともな会社なら地雷人間勝手に誰かと喧嘩してるしどうでもよくない?

2024-10-08

新入社員波田陽区を知らなかった

新入社員と話してたとき、緊張から新入社員言葉につまって「〇〇じゃなァ〜い」と口調が狂った

それだけでもだいぶ面白かったんだけど、めっちゃギター侍ネタっぽかったんで「波田陽区やん!」と突っ込んだところ、なんですかソレ?だって

波田陽区流行ったのってたぶん今から20年前ぐらい、ヘキサゴンでプチ復活したのが15年前ぐらいだろうから現在23歳の新入社員が知らなくても仕方ないんだろうけど年の差感じるなぁ

2024-10-06

上京した学生とか新入社員家賃どうしてんの?

なんか東京って家賃めっちゃ高いみたいだけど、頑張って安いところを探してるのか、東京近辺の安い場所で住んでるのか、それとも高い家賃を払ってるのかどれなんだろ

anond:20241005164943

また歩く

久しぶりに故郷に帰った。 就職を機に東京へ移り住んでから、色々な理由をつけて帰省を避け続けていた。政令指定都市の中心駅から数駅離れた、どこにでもあるような住宅街をしばら...

anond:20241005163534

東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。

邪な意図をもって変な切り方するな😠



https://www.famitsu.com/article/202409/18892

https://web.archive.org/web/20241005231346/https://www.famitsu.com/article/202409/18892

ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビューミュージアム新入社員やお客さんに「任天堂とは?」を説明するものも兼ねている

by世界三大三代川

2024.09.25 19:17

更新

『――さまざまな作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出すうえでの京都という土地の魅力ってどのように感じますか?

宮本 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですが、とくに一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていうものではないんですね。最初に言いましたけど、山内ミュージアムを作るって聞いたら「やめとけ」って言うと思うんです。それくらい山内はとにかく「おごるな」で。京都はやっぱり盛者必衰というか平家物語ですし、方丈記は“ゆく河の流れは絶えずして”で、そんなフレーズが好きやなと思うのは京都いるからかもわかりません。けど、僕らもその中で流れているんですけど、淀まずにずっと流れている状態をどう維持したらいいのか、それから"おごるな”。必ず栄えたものは滅びると、そのためには新しい栄えたものを作っていく。この考えかたっていうのは、エンターテインメント会社はいちばん大事なことかなというので、山内教育を受けたものとしていちおう考えています

 それからもうひとつは、京都に僕がいたことで、一時期30歳くらいになると「京都田舎にくすぶっているとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出ていかなきゃ」とか、いろいろなことを言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんですけど、そのはしかのようなころを過ぎて、40歳くらいまでここで仕事をしていると、なんか妙に、30歳くらいでいっしょに仕事を始めた仲間が全部いっしょにまた仕事をしていて、なんか作ったもの世界で売れていると。それをなんでかなと思うと、東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。で、そういうことをどうして感じて言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 たぶん僕は丹波田舎出身なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」、「俺は東京へ来たぞ」と思うかもわかんないですが、ここでのんびり仕事できたっていうのは、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いていて、それで京都の中で何をするかというと、まわりに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。その結果、けっこう世界中で売れてるやないって。そうすると、じつはいちばん内部にあるものグローバルで、グローバルって言われているもの別にグローバルじゃないんやないかという風に、40歳くらいになると思うようになって、いまはもうそれを若手に吹き込んでいますミュージアム関係がないですね(笑)。』

https://dengekionline.com/article/202410/19493

https://web.archive.org/web/20241005231535/https://dengekionline.com/article/202410/19493

「【ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビュー「分かりやすく、使いやす面白さを伝えることが上手な会社と思ってもらえたら」「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」

文:ことめぐ

公開日時:2024年10月05日(土) 07:20

最終更新2024年10月05日(土) 09:03」

『――先ほど京都にこだわりがあるというお話がありましたが、様々な作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出す上での京都という土地の魅力をどのように感じていますか?

 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですけど、特に一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていう強度ではないんですね。

 最初にも言いましたけど、山内がこれを作ると聞いたら「やめとけよ」と言いそうなぐらい、山内はとにかく「おごるな」という考え方でした。京都はやっぱり盛者必衰というか、平家物語ですし。

 方丈記の“ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのの水にあらず”も大好きなんですけど、そんなフレーズが好きだなと思うのは、京都いるからかもわかりません。

 けど、僕らもその中で流れてるんですけど、よどまずにずっと流れてる状態をどうして維持したらいいのかを考えるんですけど、だからこそ「おごるな」と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。

 この考え方というのは、京都根付いてはいるんですけども、やっぱりエンターテイメント会社には一番大事なことかなというので、山内教育を受けたものとして考えています

 また、30歳くらいの時期に「京都田舎にくすぶってるとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出て行かなきゃ」なんて言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんです。

 けど、その“はしか”のような頃を過ぎて40歳ぐらいまで京都仕事をしていると、なんか妙に30歳ぐらいで一緒に仕事を始めた仲間が全部一緒にまた仕事してる、そして何か作ったもの世界で売れる。

 「なんでかな?」と思うと、東京に行くと東京流行ってるものに誘われて、日本で売れるものを作る。逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることに割と気付かないんじゃないか? と思うようになってきました。

 だから僕は“東京ローカル”と社内で言っています京都グローバルということじゃなくて、東京ローカルという意味です。そういう思想で行くんなら「せめてニューヨークと言えよ」っていう風に思うようになって(笑)。なぜそういうことを言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 僕は園部という丹波田舎の者なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」「俺は東京来たぞ」と思ったかもしれません。

 でもここでのんびり仕事ができ、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いている。そして、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを作る、周りに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。

 その結果、それって結構世界で売れてるやない? と。そうすると一番内部にあるものグローバルで、グローバルと言われているもの別にグローバルじゃなのではないか? という風に40歳ぐらいになると思うようになり、今はそれを若手に吹き込んでます(笑)。』

2024-10-04

今日会社で見たびっくりする光景

新入社員に皆さんのことを紹介するのは時間無駄なのでやめます

言わんとしたいことは分からなくもないけど、そこまで急ぐ仕事あったっけ?どんだけ無駄をなくしたいんだ?

石上から障害報告を求められてきた時に、効率化のためにメンバー調査させず、自分捏造した内容を書くマネージャーサマは格が違う

毎回似たような障害報告来ててなんとも思わんのかねこいつは

2024-10-03

無能上司によるハラスメント案件だろ anond:20241003125617

新入社員がうまく成長できないのって、多くは上司問題

入社当初はそこそこ仕事が出来ていたのに、1年間であまり成長できず、逆にミスが目立つようになってきた事から考えると、入社後の指導方法に大きな問題があったと推測されます

職場で泣いてる時点でおかしな話だし、仕事を取り上げたり、外観に文句つけだしたり。 

まともなコンプライアンス機能している企業なら、ハラスメントコンプラ部門直行案件でしょう。

新人は違う部署で丁寧に教育をしなおし。問題上司は閑職に移動、部下の指導禁止

 

 

「なんなら自分が悪いなんて微塵も思ってないようで、もう関わるのが本当に嫌になってきてた。」って、おそらく新人の方が強く思ってるよ。

 

新入社員最初の1年って社会人としての基礎を学ぶとても大事な時期なのに、パワハラ上司は変わらないし、自分自身は成長できないし、周りも助けてくれないし。

入社した会社を間違えたその女性はとてもかわいそうだなと思う。

クオーター制の記事を読んで

 まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事ドラクエポリコレから繋がるのはよくわからんので自分文盲かもしれない。

 ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう

 クオータ制についての批判で「本来評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感やすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。

 それは評価基準自体差別的な結果を生みやすものちゃん批判しているかということ。

 この点において自分意見として入試の点数評価選挙得票数評価はかなり平等評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席必要って話では妥当とは思う。あくま選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的手続きではないということです。

 じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社職場だと思う。理由は成果で評価する場合フルタイム男性労働者が最も有利な属性から経営者労働者評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。

 毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。

 この評価基準に最も合致する属性健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性押し付けられがちだが特有ではないため)

 評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。

 構造的に成果物評価されるビジネスの場はマチズモ支配されやすいのは理解やすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。

 それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。

 評価基準をよりハンディ持ちが不利にならない様にしたりそういった環境を用意するためにはそういった目線必要だしそういった人たちが評価を作る側にいなければ話にならない。

 ビジネス効率は悪くなるしマッチョだろうが成果を上げるために頑張った人からしたら不満も当然のこと。

 とはいえやらないと女性が不利な現状は変わらないと思うね……。

 自分職場でも、ある種のクオータ制で不遇を見た出来る後輩がいたよ。

 作業着をきて汗だくの現場営業スーツ大企業相手花形法人営業。後輩は実際に抜群の成果を出したけど異動希望出しても通らず、女性営業を増やすためと女性新入社員を取るも現場は力仕事で不利だからと即法人営業。三年目で転職してたよ。誰が悪いわけでもない。強いて言うなら早くそんな会社に変えなかった経営陣が悪いんだろうな……。

モームリってホワイトなんかな

モームリにはモームリを使って退職した新入社員はいないのかな

2024-10-02

メンヘラ女が理解のある彼くんを作り夫くんにするまで

エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます

スマホから書いてるから読みにくかったら読まなくていいよ

振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります

あと私はADHDではない。アスペぎみだけど。

あとODしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。

生い立ちとか:

母親高卒結婚信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ち無視、脅す事で言うことを聞かせる

父親は進学のお金は出してくれるけど無関心

言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ

私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科いか聞いてこい」と言い放った。

???

私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる

幼稚園小学生

ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる

10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)

深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証

高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。

同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚から心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。

大学進学、上京

他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。

母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかい無理ゲー押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。

が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。

実家帰省したくない気持ちが強くなる。

年末が近づくと動悸が強くなる。

電車でどでかい発作を起こし倒れて救急車

そこから精神科巡りとお薬ガチャ

大学も休学、半年休めたので復帰、なんとか卒業

抗うつ剤抗不安剤飲みながら就活希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職

その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。

給料環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。

でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to B電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントかいた。

生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社反省しろ。という気分だった。

相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲーム漫画面白かったけど記憶はあまりないです。メガテンポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。

その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。

全然頭働かなかったけど、技術理解するたびに面白いと思えるようになった。

一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。

一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社退職転職でまた事務職に就いた。

新しい会社微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。

もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味ネット友達作業しながら会話するのが私の楽しみになった。

ネット技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来彼氏(夫)くんだった。

ネットはいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。

やってたゲーム面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。

何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。

ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。

彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。

で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いか婚約とかで普通すぎて)

多分夫くんの結婚の決め手は

・私が好物の料理作ってくれる

ネイルかばっちりメイクしてる女の子が好き

・私が掃除好き(元潔癖症なので)

からへんだと思う。

特にご飯が8割だと思う

夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように

彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ち暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良迷惑かけるから

極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。

まぁそれでも、迷惑はかけてる。

同棲してたら尚更。担当分の家事が出来ないとか。

今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。

ただ、

理解ある夫くんは自分疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。

それを見てたらこれでいいんだ…!?と思った。

辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!

ので、私も休むようになった。

夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。

理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。

メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性趣味が合うから彼女に選んでるんではないか

と言う身も蓋もない話になってしまった。

メンヘラ女が理解のある彼くんを作り夫くんにするまで

エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます

スマホから書いてるから読みにくかったら読まなくていいよ

振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります

あと私はADHDではない。アスペぎみだけど。

あとODしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。

生い立ちとか:

母親高卒結婚信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ち無視、脅す事で言うことを聞かせる

父親は進学のお金は出してくれるけど無関心

言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ

私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科いか聞いてこい」と言い放った。

???

私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる

幼稚園小学生

ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる

10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)

深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証

高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。

同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚から心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。

大学進学、上京

他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。

母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかい無理ゲー押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。

が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。

実家帰省したくない気持ちが強くなる。

年末が近づくと動悸が強くなる。

電車でどでかい発作を起こし倒れて救急車

そこから精神科巡りとお薬ガチャ

大学も休学、半年休めたので復帰、なんとか卒業

抗うつ剤抗不安剤飲みながら就活希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職

その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。

給料環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。

でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to B電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントかいた。

生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社反省しろ。という気分だった。

相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲーム漫画面白かったけど記憶はあまりないです。メガテンポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。

その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。

全然頭働かなかったけど、技術理解するたびに面白いと思えるようになった。

一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。

一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社退職転職でまた事務職に就いた。

新しい会社微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。

もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味ネット友達作業しながら会話するのが私の楽しみになった。

ネット技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来彼氏(夫)くんだった。

ネットはいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。

やってたゲーム面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。

何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。

ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。

彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。

で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いか婚約とかで普通すぎて)

多分夫くんの結婚の決め手は

・私が好物の料理作ってくれる

ネイルかばっちりメイクしてる女の子が好き

・私が掃除好き(元潔癖症なので)

からへんだと思う。

特にご飯が8割だと思う

夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように

彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ち暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良迷惑かけるから

極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。

まぁそれでも、迷惑はかけてる。

同棲してたら尚更。担当分の家事が出来ないとか。

今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。

ただ、

理解ある夫くんは自分疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。

それを見てたらこれでいいんだ…!?と思った。

辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!

ので、私も休むようになった。

夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。

理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。

メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性趣味が合うから彼女に選んでるんではないか

と言う身も蓋もない話になってしまった。

2024-09-27

anond:20240927123516

今の学生くらいになると自分血液型知らない奴ばかりだから自然に廃れるよ

新入社員でも知らない奴が多い

anond:20240924164210

今はもう忘れてしまたかもしれないけど

アメリカ時代は終わった、これから日本時代だ」

とか言われてたんだよね

そのアメリカが復活した

何でかといえば大リストラをやったか

日本リストラといえば解雇同義だが

アメリカ企業は大量解雇の一方で成長部門ITなど)は大量採用

(もちろん解雇された人が再就職できずに転落する闇の部分はあるけど)

日本はそれができずに、バブル崩壊後に解雇新入社員を減らすことで対応

かつては日本経営としてもてはやされた終身雇用家族経営が仇に

2024-09-23

anond:20240922210302

理系外資の話だけど、10年ほど前に本社から男女比是正圧力があってとにかく女子採用することになり、女性は最低限のスキルがあれば採用する&その枠を空けるために男性はかなり優秀でも落とすルールになってた

にもかかわらず、実際はその最低限のスキルを満たす女性の応募が少なくて男女比はほとんど改善されなかった。大学学部の男女比が20:1とかでそもそも元になる人材がいないんだからそりゃそうだ

で、日本を諦めて海外から人材を集めるようになった結果、今の新入社員過半数が南〜東南アジア女性で残りが日本男性のような比率になってる

から日本理系女性人材ダメと言いたい訳ではなく、男子場合は上流〜現業までピラミッド型の求人があるのに、女子場合は上流のポストけがやたらあるけど現業は受け入れ環境がないみたいな歪な状況になってるんだろうな、と

人材裾野がないのに上流の人材だけ都合よく湧いてくる訳ないよな

2024-09-20

つきのみとの年収いくらなんだろうなー

最初3万だったらしくてそのあとはまあ新入社員くらいはもらってたはずでいま大御所となってからはよゆーで1本はこえてんだろうな

2,3千万くらいいってんのかな

すぱちゃすくねーからそこまでないんかなー

そこまでお金にこだわりないとはいってたけど

2024-09-11

メンヘラ女が理解のある彼くんを作り夫くんにするまで

エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます

スマホから書いてるから読みにくかったら読まなくていいよ

振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります

あと私はADHDではない。アスペぎみだけど。

あとODしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。

生い立ちとか:

母親高卒結婚信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ち無視、脅す事で言うことを聞かせる

父親は進学のお金は出してくれるけど無関心

言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ

私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科いか聞いてこい」と言い放った。

???

私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる

幼稚園小学生

ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる

10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)

深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証

高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。

同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚から心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。

大学進学、上京

他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。

母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかい無理ゲー押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。

が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。

実家帰省したくない気持ちが強くなる。

年末が近づくと動悸が強くなる。

電車でどでかい発作を起こし倒れて救急車

そこから精神科巡りとお薬ガチャ

大学も休学、半年休めたので復帰、なんとか卒業

抗うつ剤抗不安剤飲みながら就活希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職

その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。

給料環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。

でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to B電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントかいた。

激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社反省しろ。という気分だった。

相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲーム漫画面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。

その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。

全然頭働かなかったけど、技術理解するたびに面白いと思えるようになった。

一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。

一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社退職転職でまた事務職に就いた。

新しい会社微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。

もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味ネット友達作業しながら会話するのが私の楽しみになった。

ネット技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来彼氏(夫)くんだった。

ネットはいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。

一緒にゲームしませんか?と誘ったら遊んでくれた。

何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。

ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。

彼くんは私より若かったけど話は合った。合わせてくれてたのかもしれないけど。

で、デート繰り返して告白されて同棲を二年して結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いか婚約とかで普通すぎて)

夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常が積まれただけな気がします。

彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ち暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良迷惑かけるからね…

極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。

まぁそれでも、ダメな日はやってくる。体調が悪くてデートキャンセルしたこともある。それも数回。迷惑はかけてる。

同棲してたら尚更。担当分の家事が出来ないとか。

ただ、

理解ある夫くんは自分疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。

それを見てたらこれでいいんだ…!?と思った。

辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!二人とも疲れてる時は二人でダウンしてればいいんだ!?(もし子供が生まれたら…二人ともちょっとずつ頑張りつつ壊れる前に外部サポート頼む?)

ので、私も夫くんが疲れてる時はして欲しいことを同じようにする。

ちゃんとした人間になれたみたいで嬉しい。

周りの人がダウンしてる姿ってあまり目に入らなかったから、みんなちゃんと休んでるんだと分かって嬉しかった。

理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。

メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性趣味が合うから彼女に選んでるんではないか

と言う身も蓋もない話になってしまった。

あんまり有益じゃないですね、ごめん

2024-09-10

初任給逆転現象の整理

初任給逆転現象とは?

初任給入社2年目以上の社員給与を上回る現象。高い初任給提示することで新卒採用が有利になる一方、逆転された社員士気を下げ、退職などの問題を引き起こす可能性がある。

逆転にまでは至らなくても、初任給と若手・中堅社員給与ほとんど変わらない状況(賃金カーブフラット化)が発生していることもあり、逆転現象に準じた問題を引き起こす。

なぜ最近よく騒がれているのか?

この現象自体は昔から起こっていたものであるが、今年は特に多くの企業で発生していると見られるため。賃上げ機運の高まりや、少子化による新卒採用競争の激化が原因と考えられる。

逆転の仕組みは?

初任給の大幅引き上げが行われている一方、その原資が中堅層以上の賃金抑制によって賄われていると見られる。この状況はデータでも現れており、内閣府調査によると、20代賃金が増加する一方、30代以上は賃上げ抑制される傾向にあり、一部はマイナスとなっている年代もある(※1)。エコノミスト永濱利廣氏は非組合員管理職賃金抑制し、若手に分配している可能性に言及している(※2)。

今は年功序列時代ではないのでは?

新卒採用はもっぱらメンバーシップ雇用特有ポテンシャル採用であり、新入社員入社後に育成されることを前提としている。育成は若手社員メンターとなって行われることが常であり、逆転現象問題視されるのは必然である

欧米のように「スキルは無給インターンで身に着けろ」の方針であれば、さほど問題にはならなかっただろう。

人事部経営陣は何を考えているのか?

以下の可能性が考えられる。

  1. 年次が上の社員は辞めないと思っている。
  2. 実質的減給として逆転現象を利用している。
  3. 何も考えておらず、逆転現象を想定していない。

逆転された社員が取れる方法は?

労働組合がある企業で、多くの社員で逆転が発生している場合は、労組を通した抗議活動を行うことが考えられる。

ただ、そのような条件が整った状況にあることは少なく、多くの人にとっては転職することが最善の選択肢になるだろう。

 

※1 https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/006/68/

※2 https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/nagahamatoshihiro/comments/1e5bec4a-94cc-44be-91d5-063040290e34

そろそろ「正社員ちゃん昇給する」と思わない方が良いのでは?

初任給を引き上げた結果『新入社員より給料やすい』という現象があちこちで起きてるらしい「モチベーションが下がるやつ」「これで仕事をやめました」

https://togetter.com/li/2432120

 

これ、あんま裏とりしてないけど

 

年功序列ではないにしても、実際の所、5年10年働くと昇給することは一般的ですか?

日本アメリカ欧州で答えてください

 

ChatGPT

アメリカ一般的には、業績に応じて年に1度、数%の昇給があることが多いですが、企業業界によってはボーナス株式報酬でのインセンティブが重視される場合もあります

欧州昇給の額や頻度は、業界企業方針によって異なります特に技術職や専門職では成果に基づく昇給が多く、定期昇給はあまり見られません。一方で、公的機関伝統的な大企業では年次昇給一般的です。

 

Gemini

アメリカ:勤続年数だけで昇給が決まることはほとんどありません。5年、10年働いたからといって必ずしも昇給するとは限らない: 毎年、パフォーマンス評価が行われ、その結果に基づいて昇給が決定されます

欧州ドイツは、日本と同様に年功序列の要素が強く、勤続年数に応じて昇給する傾向がありますイギリスは、アメリカと同様に成果主義が中心で、個人パフォーマンスに基づいて昇給が決定されますフランスは、労働組合の影響力が強く、労働契約賃金規定されていることが多いため、昇給の仕組みが複雑です。

 

Claude

アメリカ成果主義が主流で、能力や実績に基づく昇給一般的。5-10年の経験を積むと、スキル責任の増加に伴い昇給する可能性が高い。業界企業の業績によっては、インフレ調整程度の昇給にとどまることもある。

欧州:国によって差があるが、一般的日本アメリカ中間的な傾向。多くの国で労働協約があり、経験年数に応じた最低賃金の増加が定められている。成果主義の要素も取り入れられており、能力や実績による昇給も行われる。

 

というかさ、日本理想状態がどういう感じなのか曖昧だよね

理想定期昇給で、現実全然みたいになってる

 

 

ChatGPT

欧米企業では、新入社員給与ベテラン社員給与を上回ることが特にインフレ時において一般的に見られることがあります。この現象は「給与圧縮wage compression)」と呼ばれ、次のような理由で起こります

1. 市場の変化に基づく初任給の上昇: 労働市場の需給バランスインフレ率の影響を受けて、特定スキルを持つ新入社員初任給が高くなることがあります企業は優秀な人材を確保するために競争的な給与提示し、新入社員給与が急激に上昇する場合があります

2. 成果主義ポジションベース報酬体系: 欧米では成果主義一般的で、昇給や昇進は個人パフォーマンスポジション重要性によって決まります結果的に、昇給のペースが遅い場合ベテラン社員新入社員に追い抜かれることがあります

3. インフレ物価上昇: インフレが高いと、既存社員給与市場水準に追いつかないことがあります企業は新たに雇用する際にインフレ考慮した給与設定を行いますが、既存社員給与はそれに追随しない場合が多いためです。

 

Geminiは「レアケースだよ」って言ってるけど

2024-09-05

挨拶のない新卒

上司「出社したら挨拶くらいしろよ💢新入社員研修、寝てたのか💢」

新卒挨拶しましたよ?」

上司「聞こえなかった💢」

新卒「先輩方には挨拶返していただきましたけど?」

うなずく先輩たち

上司「オ、オレに聞こえなかったらしてないのと一緒だ💢」

新卒「そうですか。大変失礼いたしました。以降、気をつけます」

上司「なんだ、それだけか💢」

新卒はい?」

上司挨拶しろと言うのが聞こえなかったのか💢」

新卒「チッ、💢お💢は💢よ💢う💢ご💢ざ💢い💢ま💢す💢

上司お、お、おはよう

2024-08-29

anond:20240829104742

女ってパート新入社員レベル仕事と、一家大黒柱やってる年収600万とか700万とかの仕事を同じだと思ってるから偉そうなのかw

anond:20240829104731

現実を前に誹謗中傷しかできなくなってて草

女って結局働いてても新入社員をこえた程度で出産してやめるやつが多いし

正社員かいっても正社員型の派遣だったりするし

男と同レベルで働いてるやつはホント少ない

2024-08-26

anond:20240825011155

新入社員くらいの子がいる年代私立からしっかりいい大学に入れるようなご家庭育ちということは母親自身も同じようなことをされて育ったのかもね

良し悪しは置いといて人の多くは自分の育った家庭しか知らない

身体デカくてガサツで休日にaxes femme着てそうな新入社員小学生みたいなネイルしてて気持ち悪!

2024-08-25

質問ができなかった話

前提、まずは私の母の話。


母は何でもできる人だ。

小学校から名門学校に通い、大学某国立大学。はっきり聞いたことはないけれど、思い出話を総合するとずっと主席(もしくはそれに近い存在)。

専業主婦をしていたが、家事料理完璧にこなす人。

から多分、「できない人」のことが分からない人だ。


母の教育方針に、「答えを簡単に教えない」というものがあった。

人に聞いて簡単に得た知識はすぐ忘れてしまう。だから試行錯誤して自分で答えにたどり着くべきだ、と。

これ自体はまあ、その通りだと思う。

から、母に質問しても突き放される幼少期を過ごしてきた。

例えば、本を読んでいて、知らない単語が出てきたとする。

で、近くにいる母に、「これどういう意味?」と聞く。

すると母は部屋の一角を指さして「そこにあるのは何?」と質問を返す。

母が指さすのは分厚い広辞苑

これで質問タイムおしまい。私は一人、重たい広辞苑本棚から引きずり出して単語意味を調べる。

そしてたいてい、広辞苑を指さす前に一言

「え、そんなことも知らないの?」

大げさに目を真ん丸に見開いて、びっくりした顔で、おどけた風に言う。

そして数秒、そのままの顔で私を見つめる。

多分、本気半分、冗談半分だったのだと思う。

その年の子がその単語を知っていることは当然だと、母は本気で思っている。母自身がその年齢だった頃にはその単語を知っていたからだろう。自分読書好きに育てた子だから、なおさら

ただそれをそのまま言うのははばかられるからちょっとおどけて言ってみているだけ。毎度そう言うのはもはや鉄板ネタみたいな。


それが堪らなく嫌だった。

驚いた母の顔を見る度に自分の愚かさを突き付けられる気がして心底惨めになった。

今思えば、母に懇切丁寧に教えてもらいたかったのかもしれない。言い換えるなら甘えたかったのかもしれない。

つの間にか、母に何かを聞くことは避けるようになっていた。知らない単語に遭遇したら一人で広辞苑を開くようになった。


母の教育方針が良かったのか、幸運にも私も母には遠く及ばないが、ほどほどに誇れる程度の学歴を手に入れた。

同時に、他人に何かを聞くことが全くできない人間になっていた。

からないことに遭遇すると、他人に何かを聞いて解決しなければならないときになると、おどけて驚く母の顔が脳内に浮かんで何もできなかった。

結果、空気を読むことだけが上手い人間になった。

あらかじめ他人言動をとにかく観察し、脳内で何度もシミュレーションし、自分絶対に失敗しないように。そればかり考えて過ごすようになった。

おかげで失敗しないから、大人ウケは良い子供だったけど。


大学生になり、バイトを始めた。

例によって空気を読みながら仕事無難にこなしていたが、ある時かなり大きな失敗をやらかした。

詳細は省くが、原因は私がその日の業務を正しく理解していなかったことだった。そのせいでお客さんに迷惑をかけて社員さんに尻拭いをさせてしまった。

当然ながら叱られたが、その時に社員さんから言われた。

「なんで何も聞きに来なかったの?きっと分からなくて確認に来てくれると思って待ってたんだよ」

怒ってる、という感じではなかった。

かに諭すように言われた。

衝撃だった。大人質問するのは悪いことではないのかと。馬鹿にされるようなことではないのかと。

寧ろ聞きに来てほしかった、と言われて、それは許されることなのだと、自分価値観がひっくり返された。

それ以来、かなり頑張って質問をするようにした。

おかげさまであの時以上に大きな失敗はせずにバイトを終えることができた。


今年の4月社会人になった。

今は親元を離れて一人暮らししつつ、新しい環境で働いている。

当然ながら新入社員にとっては分からないことだらけ。入社式の翌日の研修では、講師から貴方たちの仕事質問することです」と口を酸っぱくして言われた。

今はとある現場に入ってあちこち駆け回る日々を送っている。

ありがたいことに同じ業務担当になった先輩がかなり優しい方なので、ご厚意に甘えさせてもらってあれこれ聞きながら業務にあたることになった。

先日、先輩から貴方は何でも聞いてくれるから仕事やすい」と言われた。

ようやく、小さいころにかかった呪いが解けてきたような気がする。

それでもやっぱり、「これ分からないな」と思った瞬間、目を丸くした母の顔が頭の片隅にちらつく。

本当の意味で、この呪いが解ける日は来るのだろうか。

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