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2021-03-09

anond:20210309110059

続きを読むテスト

できてるかな・・・

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  • 初号機の中に髪の長いレイがいる「碇君ごめんなさい。碇君をエヴァに乗らないでいいようにできなかった」
  • シンジ「いいんだ綾波。あとは僕がやる」

終劇

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2021-03-05

腐男子かあ

ショタ好きの腐男子の人が、エロでもなんでもない男キャラ少年時代捏造同人誌(クソ分厚い)を毎回買ってくれてすごく嬉しかったなあ。

2021-02-24

anond:20210224231426

増田が「親は親、子は子」と個人主義者で居られるのも、増田が恵まれいるからだという見方もできる。例えばとても貧しくて一族から1人しか学校に通わせてやれない、なんて世界だと、たった1人進学した長男の業績が弟妹にとっての誇りになったりするわけだ。

兄弟でまともに大学行ったの俺だけなんだけど、親に期待をかけられて教育を注ぎ込まれたりしたわけじゃないし、どっちかというと放置で箸の持ち方より難しい知識人生の知恵なんかを教わった記憶がないし、遊んでもらったりもしてないし、俺がいじめられまくって辛かった少年時代最近の立派な親みたいに何か動いたり手を差し伸べたりというのはなかったな。そうは言っても一応育てられて金を出してもらった感謝はあるけど。

自身子供の頃に自身の親が死んでたり、親がマジキチだったりしてあんまりまともに育てられてなかったりで、親戚も少ないし「血縁共同体」みたいな感じは全然しないんだよな。

2021-02-19

anond:20210218235936

アメリカ人権侵害問題になってるよ。

https://www.cnn.co.jp/usa/35166678.html

少年時代から刑務所に入れられ続けて、老人になってしまったらしい。

死刑人権侵害だけど、じゃあ生きて投獄してたらいいのかっていう。

2021-02-14

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第5場

anond:20210213232411

第5場実況

A 不幸の記憶
B 不幸の記憶

ベートーヴェン父親「息子は5歳」

少年ベートーヴェン10歳だ」

父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェン中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。

少年ベートーヴェン「そんなへんな歌、音楽になんかできないよ!(怒)」

んー、ボン選帝侯にたてついたエピソードは知らないなあ。

手塚治虫ルードウィヒ・B』では、父親アル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェン難聴の驚きの理由が判明している。

青木やよひ『ゲーテベートーヴェン』には、父親宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェン父親関係については、ベートーヴェンが、バッハカンタータ未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある

C 不幸の記憶

運命》の動機

謎の女(少年ベートーヴェンに向かって)「寒いわね、凍りつくように。痛い?」

謎の女=死

D 救済の記憶

ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェン出会いきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。

手塚治虫ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。

ロールヘンには弟はいたけど妹はいなかった模様。

少年ベートーヴェンf3つなんて記号はないんだ」

ここで出るか。

少年ベートーヴェン「(fffを出すには)この中に(心の中に)、強い気持ちを起こさなきゃ」

強さ、か。生きるための、成し遂げるための。

fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章コントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。

少年ベートーヴェン貴族の施しはいらない!」

ヴェーゲラー「その金は、施しじゃない!僕らの給金だ。君の音楽の代金だよ」

泣ける。自由主義使者フリーメーソン会員ヴェーゲラー。

ブロイニング夫人勉強しなさい(慈愛)」

実際は出入りする間に自然啓蒙思想に触れていったのかなと想像

執事「暗がりを照らす、ちっさな炎は、この中に」

E 革命記憶

ヴェーゲラー「行くんだろ、君も。ウィーンへ」

実際はハイドン評価されて。

なんか泣ける。朝美マジック

F ナポレオン戴冠式

あらきた。1804年12月

謎の女「心のおともだち、ナポレオン

笑。増田史上いちばん合ってる役だわ真彩さん。

G ハイゲンシュタットの遺書

んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオン戴冠式はあったけど、もともとの劇場時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女から情報からリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。

難聴失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオン皇帝になったショックからのシーンだしなあ。

ベートーヴェン(歌)「

歌い続けろ 聴こえない カラダ

歌い続けろ カラダ カラダの そとに

歌い続けろ 中に鳴り響く音

歌い続けろ 出し尽くすまで

大きく 大きく 大きく もっと

強く 強く 強く きっと

たとえ命 たとえ魂

この体が朽ち果てても

たとえひとり 声もしない

孤独の道 ひた走ろうと」

「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。

ハイゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。

私を引き留めたものはただ「芸術である自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳

遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。

社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独生活をしなければならなくなった。

しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。

私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!

たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。

おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。

第5場まとめ

2021-02-04

少年時代の行動範囲時間

小学生の頃さあ、親に内緒でトイザらスまで行ったんだよ。

お年玉でベイブレードを買いに。自転車で。

普段は車に乗っていくところだったから、めちゃくちゃ遠く感じた。

1時間くらいはかかったんじゃないだろうか。

学区も違うところだから、自分のなかでは初めての旅みたいな位置付けだった。

 

ついさっきふと「そういえばあれってどのくらいの距離だったんだろう」と思って、

グーグルマップに打ち込んでみた。

トイザらスと当時住んでいたマンション。幸いどっちも残ってたから検索は楽だった。

徒歩30分の距離だった。

ちけえ。めちゃくちゃちけえ。

自転車なら5分くらいの距離だ。

子どもの足ということを考えても、15分はかからないだろう。

道は知っていたから、迷って時間がかかったということもない。

記憶があやふやになっていたのか、当時と今で時間感覚が違うのか、

あるいは親に内緒でおもちゃ屋へ行くという事実に高揚、興奮していたからか。

いずれにせよ、子どもの頃の記憶は当てにならない。

ついでにお店の外観もストリートビューで見てみたけど、

超大型店だと思っていたそのお店は存外小さかった。

2021-01-31

anond:20210131172226

これはおれも前から気になって考えていた。

21世紀生まれの子たちって少年時代にDQFFのようなJRPGをあまり遊ぶ機会がないまま成長してきてるんだよね。

オリジナルを知らないのにJRPGを遊んで育ったおっさんたちが書いた世界観流用お手軽ファンタジーで間接的にドラクエ的世界観を受容している。

ただこれはコンテンツの送り手がJRPGにどっぷりハマってきた中年たちだからキッズもそれを受け入れざるを得なくなっているだけで、

数々の大作RPG洗礼を受けて育っていない世代キッズコンテンツの送り手世代になったときに、

ドラクエ的世界観勇者魔王物語を書くかっていうと俺は書かないと思うんだよね。

二次創作的な作品から間接的に受容してきただけでリアルな実感がともなってないから。

SAOなんかはUOROプレイヤーだったMMORPG第一世代実体験がベースとなった作品

その後も続々とドラクエ風に負けないぐらいMMORPGファンタジー作品が出てるけど、

MMORPGもとっくにオワコン化していて、ごく一部の難民収容所ゲームしか生き残ってなくて、大半のキッズには体験のともなわない世界になってる。

おそらく10年もしないうちにいまのコンピュータRPG風お手軽異世界ファンタジー加齢臭のするジャンルになって、

マイクラフォーナイトで育った世代書き手として自分自身体験と実感をともなう作品が主流を占めるようになるとおれは予想している。

今後もゲーム創作の源泉でいられるかというのはまあ微妙だと思うけど。

anond:20210131160849

そういう架空生物説明無しで通じるものとしてお出しされるのは、少年時代スクエニやらのRPGに熱中した団塊Jr世代が今もコンテンツに金を落としてるからじゃないですかね

世代交代したらエルフルシファーも設定説明が必要になるかもしれない

2021-01-19

歳を取ってからゲーム生活

少年時代は「ゲームは一日一時間」と高橋名人に言われてきたので2日に一度、一時間程度しか遊べなかった。

中学高校も同じように部活勉強だったのでゲームをする時間は頑張って週1で二時間くらいだった。

社会人になり自分時間が作れるようになって、オンラインゲームに手を出した。結果、毎日時間か四時間になった。

おじさんになり、今はゲームに費やせる時間が週に2度一時間になった。

おじさんになって、ゲーム時間少年時代に戻った。

ある意味、私は高橋名人の言った言葉を守るという原点に帰ったのだ。

2021-01-11

DV被害記憶喪失した母親にモヤる

俺が母親の胎内にいた頃から父親DVが始まって、物心ついた時には既に母親を殺しかねない程DVエスカレートしてた

母親は気絶するまで殴られたり水を張った風呂桶に窒息しかけるまで顔を突っ込まれたりしていた

俺はその一部始終をこの目で見てきた

小学校の途中で揉めに揉めた末に逃げるよう離婚が成立し、そこから母子家庭になった

不幸中の幸いで俺自身はたまに蹴飛ばされる程度で大した被害は受けなかったが、幼児の頃からDVを目の当たりに育ったので心身ともに悪影響は受けている気がしている

俺は10代後半になって周囲との違和と生活の困難とを訴えて精神科受診した

種々の検査を経た後に広汎性発達障害という診断が下った

俺より8歳年長の兄貴定型発達だし、親族には父親含めて発達障害らしき人が認められないので、もしかすると俺の発達障害(様の異常)というのは発達期に受けた面前DVが脳の発育に影響を及ぼした結果なのではないかという素朴な疑問を持っているというわけだ(以前に面前DVが小児の脳に与える悪影響に関する記事を読んだことから湧いた単純な発想)

これは本題から脱線してるので置いておくが、最近になって母親と当時の話をする機会があり、あれこれと訊ねている内に俺の記憶母親記憶殆ど食い違っていることが発覚した

端的に言うと母親は当時の記憶殆ど喪失していた

子供の前でDVを受けたことはない」

DVの内容も大したものではなかった」

と言ったもので、全体としての被害矮小化して記憶していた

正確には改竄と呼ぶべきなのかもしれないが、事実と全く食い違っていること、それから自身の心象とを加味して喪失とした

俺は現在、大まかに分けて2つの感情に直面している

1つは困惑

母親はなぜあれ程の鮮烈な被害体験喪失してしまったのか

俺が推測するに、陰惨な記憶を保持していることに精神が耐えられなくて、自己保全の為に無意識が半ば能動的に記憶を消却してしまったのではないか

自身も、上述した″蹴飛ばされる程度の被害″は受けているのだが、これは実は兄から聞いた話であり、俺自身は完全にその被害喪失してしまっており、未だに実感もないのだ

人間には本来この様な防衛機制が備わっているのではないか

もしくは母親の脳に健康上の異常が発生していて、記憶障害の様な症状が発生しているのではないか

そうであれば医者にかかるべきかと思うが、この記憶の食い違い以外で母親記憶力に問題を感じたことがないので、恐らく違うのではないかと思っている

いずれにせよ俺はかなり困惑している

もう1つは憤慨

母親DV被害者ではあるが、同時に面前DV加害者でもあるというのが俺の兼ねてからの持論であった

もちろんそのことを母親に向けて主張したことはない、と思う

しかし、俺は面前DV記憶にずっと苛まれて育った

離婚して以来、俺は登校すると発話に困難が生じて黙りこくってしまう、場面かん黙症という異常をきたした

そんな具合であったから、当然のように虐めにも遭った

小学校高学年にもなると遺書を書き残したり(思い返す度に恥ずかしくなる)、自殺未遂を起こしたりといったメンヘラ入門的タスクも達成した

幸いにも死に切る勇気がなかった為に今の現在まで死に損なったままだが、俺は20代を迎えてなお少年時代の陰惨な記憶の影響下に生きている

それなのに、当の母親はすっかりそんなことは忘れてしまったと言うのだから、少しは腹も立つ😡

こんな犬も食わない様な話を出来る友人もいなければ支えてくれる彼くんもいないので仕方なく増田に書く

俺は母親を責めるつもりはないし、わざわざ忘れた記憶を思い出させようとも思わない

しかし、この蟠った感情言語化せずには先に進めないと思った

2021-01-10

室町将軍の世継ぎとか、

ほっとくと先に男色を覚えてしまって難儀するから

少年時代にさっさと適当な女を抱かすって、

しばちゃん小説で書いていたけど

あれってホントなのかな。

2020-12-25

ドラゴンボール人造人間の謎

悟空少年時代、仲良くなったのが人造人間8号。悟空危機に陥った時、これまでの穏やかな人格から豹変してとてつもない強さを見せる。

悟飯少年時代出会ったのが人造人間16号。8号と同じように穏やかな人格を持ちながら、悟飯のために決死の捨て身を決断する。その結果悟飯豹変してとてつもない強さを見せる。

8×2=16でちょうど一世代

作者がなぜ8という数字にこだわったのかは不明だが、ドクターゲロが作った8の倍数の人造人間悟空たちは二度も助けられている。

2020-12-22

歌番組

この時期になると増えてくる歌番組に奇妙な表現がある。「井上陽水少年時代です」のような「歌手orグループ名で曲名です」という評価だ。井上陽水くらいの大物になると使われないのかもしれないが、この「で」の不思議用法はなんなんだ。

2020-11-22

anond:20201122182228

少年時代凶悪犯罪をやって少年院に入っていれば出獄後に格闘家になれたのに

年を取ってから犯罪は手遅れ

子どものころボーイスカウトに参加してましたって言っていたあいつへの評価変わる

アッー!」ってバッジあかんやろ

米国ボーイスカウトでの性的虐待被害を訴える訴訟で、ボーイスカウト米国連盟(BSA)に対する訴えの数が少なくとも9万2700件に達したことがわかった。

原告弁護団代表の1人が明らかにした。

アンドリュー・バンアースデール弁護士によると、15日時点では推定8万2000件だったが、訴えの期限である16日午後5時の後、裁判所から9万2700件との連絡があったという。

ロサンゼルス在住のジル・ゲイルさん(58)は少年時代アラバマ州で過ごし、1970年代に2度虐待経験したと語る。

「これほど多くの人に虐待が起きていたことは残念だ」としつつも、「多くの報告によって人々の注目が集まり、他の子どもたちが我々と同じような虐待に遭うのを防げることはうれしい」と話す。

また、可能な限り多くの人に被害を訴え出てほしいとも述べ、「経験したこと認知してもらえるということを彼らに知ってほしい」と語る。

BSAは声明で、過去虐待で影響を受けた人々の数に打ちのめされており、その痛みをなかったことにできないことが心苦しいと述べた。

バンアースデール氏は過去1年7カ月間にわたり被害を主張する人々数千人と会話し、BSAでの性的虐待は「不文律」となっていたとの見方を示す。

ヒアリングの結果、性的虐待は国中の組織通過儀礼となっていた。バッジを獲得するためにこなさなければいけない他の課題と同様だった」と語る。

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-04

anond:20201025000842

そういう引っかかりを作るのが作詞の才能なんだよ

例えば井上陽水の「少年時代」の「夏休み 風あざみ」の「風あざみだって実際そういう用法存在しない(井上陽水本人も何となくイメージで作ったと証言してる)けど、めっちゃ「風」は「あざみ」そうじゃん

2020-10-21

あなたにとって増田とは

増田は最高だ

おれは暗い少年時代を送っていた

そのまま暗い青年時代突入した

そして暗い中年時代差し掛かろうとしている

物心ついた時から暗黒だ

そんなおれに増田は光を、与えてくれた

希望はあるんだよ、と教えてくれた

待ってろ超富裕層、おれが、このおれが増田

おれの志は成功に導くだろう

かならずお前らの仲間入りしてやる

かならずホットエントリに入り、ビッグマネーを掴んでやる

この手にあらんばかりの金を

女を、この手に!

2020-10-17

Twitterクソアカウントアイコンあるある

右翼になった宇宙戦艦ヤマトキャラ←「いるいる」「癖の強いオッサンが多い」「全体的に年齢層高め」「陰茎誇示してきそう」

・「普通の日本人です」と名乗るジェームズ・ボンド←「なんで????」「お前いっちょ前に愛国心アピールしておきながら自己イメージ英国人なのかよ」「少年時代不遇な扱いを受けて映画に逃避してそう」

2020-09-17

anond:20200917194231

うっかり言ってすぐに訂正して以後言わないのではなく、開き直ったり謝罪中小を繰り返すのは

少年時代に親や先生大人になったら職場上司や先輩にそれが正しいと教わっているんだろうな

罪悪感がないのはそのためだろう

2020-09-15

anond:20200915140857

あくまで「基本姿勢少年向け」だろ?ワンピだってスタート時はそんなんだったし売れたら続編長く描かせるのも商売なんだから当たり前だろ。

大人になるにつれ作品が合わなくなった読者は卒業してもいいし、漫画から卒業してもいい。ただ出版社少年時代にハマった漫画を読み続けながらヤング誌、青年誌自社商品読み続けてくれるのが理想

それだけの話だろ?大体好きな作品が5年以上許せねえってなんだよ、その時点で好きな作品じゃなくなってんだから読むのやめろよ。

お前がすっきりしたいというただそれだけのオナニー作家人生文句つけるんじゃねえよ。

2020-09-05

anond:20200904162414

俺も増田と同じで少年時代に性被害に遭った同類だよ。

俺のケースでは加害者同級生だった。

詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレ危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。

被害当時俺は中学一年生で、球技系の運動部所属してた。

俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。

被害に遭った時はたまたま俺と加害者けが部室に居合わせしまったんだよね。

俺が着替えてたら加害者勃起したペニス露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。

俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者ペニスの先に触れた。

ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。

それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めし行為は終わった。

俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者性器に触れた手を洗ったよ。

それから俺に不思議現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。

増田場合男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。

俺は自分同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。

もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。

こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。

ただ異性愛者だと思って、というかナチュラル異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分暴力的で未知の同性愛行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。

実は俺は自分同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。

それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。

でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分ゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。

そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。

ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的ゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワード検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。

それで検索結果に表示されたこ記事を読んで俺のゲイという性自認倒錯だって気が付けたんだよね。

少年への性的虐待

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85

具体的にはこの部分だね

加害者男性場合男児同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性危機をもたらしやすい。

この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛男性であるさらに、虐待時どれだけ自分性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたか考慮すると、この問題に関する議論さらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないとき虐待を受けた場合には自分本来的に同性愛異性愛両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。

性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児異性愛であっても、被害受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待最中勃起射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識日本に浸透しているとは言いがたい。

こういった性的虐待場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるアルフレッド・キンゼイは主張した。

俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ自分異性愛である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認未分化な状況だった。

その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまたことで、俺はその後何年間も自分同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。

ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。

俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊体験をした。

こうして増田投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来まり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から被害を受けたことがきっかけで「自分同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。

増田トラウマが治ることを祈ってる。

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