はてなキーワード: 品質とは
2004年9月27日の全国紙に『ユニクロは、低価格をやめます』
「ユニクロはこれまでずっと上質な商品を市場最低価格で提供するべく努力してきた。
その方針はこれからも変わることはないが、安い価格で提供してきたがために、ユニクロ製品は安物という誤解につながった。
そこで、これからはもっともっと品質を上げ、誰もが価値を感じられる服を作っていこうと思っている。安さだけが特徴の服は決して作らない」
GitHub Copilotは変数名やメソッド名をちゃんと規則立てて付けてるとめちゃくちゃ優秀に機能する
boolean open
みたいに付けてると微妙なこともあるけど
boolean isDialogOpen
他にも、createDataDayっていうメソッドがあって似たようなcreateDataMonthとかが乱立してるときに実装を共有化したいって思ったときなんかは
function createDataBase
ぐらいまで打ち込むと共有部分だけ抽出してくれる
命名規則だけじゃなくて実装のアルゴリズムがちゃんと整理されて設計されているとこっちがやりたいことを把握して実装してくれる
この辺は例が難しいけれど、なんかCopilotがまともなことを返してこないな、と思う時はこっちの実装が微妙な場合が多い
整理しなおして分かりやすい状態にしておくと綺麗に動いてくれる
Copilot使えねーって言ってる人のソースはほぼ100%こういう最低限のことができてなくて
しまむらとハニーズは生地が無理。質感の安っぽさもそうだし静電気が酷い。
もっと酷いのはH&Mだけど。在りし日のforever21も相当酷かったな。Tシャツのくせに洗濯に耐えられないようなのがあった。
メルカリでは買わない。状態がわかんないし、品質表示も見られないし、サイズ感もわかりにくいし、割高だし。
リサイクルショップでは、状態が良い中古ユニクロが300円~500円くらいで手に入ったりする。
よく洗ってから着るので、素材と洗濯関係のマーク表示はしっかり見る。そういうところがメルカリは駄目。
今は貧乏ではないのでユニクロの新品を買ってる。でもちょっと着て飽きてすぐ次!でなく、しっかり試着して選んで、長く着るようにしてる。そんなに被服費はかかってない。
貧乏貧乏言いながらしまむらハニーズは一番意味がわからないっすね。
気分転換のために買い物に行って、クローゼットがパンパンになってる系の貧乏人なんじゃないか。家の中が百均商品で溢れかえってる系。
ナチ礼賛する感じのデータを与えて最悪な助言をさせる。実際にChatBotとのやりとりをもとに自殺した人が存在する。
他の攻撃の足がかりにもなる。
これも基本技で、権威や品質を保証させた上で恐ろしいことを起こしてトドメをさす。
デマゴーグ。Googleサジェスト汚染からの間違った記事がトップに出てくるコンボで有効性は実証済み。
社交性の高いエンジニアは、意図せずにこの攻撃を行うことを「ハルシネーション」が起きたと、幻覚でも見てるかのようなうわ言でごまかす。
Chatbotが出したソースコードを置いて、レビューは「Chattyが言ったんですもの」で済ませる(済ませられた場合、暗に「権威振りかざし」攻撃が成立している)。後々クソバグる。
log4jが逝った時大変だったろ?残業したくなきゃやめとけ。
「汚染」して「間違った知識を広める」ことでエコーチェンバーを作る。
各々のエコーチェンバーに「権威振りかざし」バトルをさせ、蠱毒の原理でクソデカいカルトを作る。
そうこうしている内に、それぞれが日々の労働をChatbotに頼って行い「間違った文言を大事な場所に放置」していたものが爆発する。
めちゃくちゃになった世界の中心では獣が叫びながら、遍くワクチンの接種を拒み、いかなる疾病をも陰謀と断じる。
「100分de名著」ローティ篇第3回「言語は虐殺さえ引き起こす」
https://x.com/hee_verm/status/1759564599987478894?s=20
まあ、知識をつけながらバズってるブクマ(だいたい本文読んでねーーーバカが適当な根拠のない自論をお披露目する糞放り出し会場になってる)くらいの信用度でChatGPT等々使って、裏付けとったら有用なんじゃないすかね。
単に産業革命時の機織りと違うのは品質の低下が生む「結果」なんだよね。服がスカスカでもそこまで困らんし、目に見えるから直せる。知らんけど。
男らしさを降りるって、「妻子を一馬力で養えない男は甲斐性ナシだからダメだという考え」から降りることだと思ってた。
つまり「養われ希望の無職女性を配偶者にすることを、男性が拒絶する権利」であり、
「彼女が働かないから、結婚相手としてはナシだなと思って、振ったよ」と言っても、
「女を養ってあげないなんて、男のくせに甲斐性なし」などと詰られることなく、
「働かない人と結婚したくないのは当たり前のこと」として社会に受け入れられる権利みたいなものだと思ってた。
「寄ってくるのが金目当ての無職女ばっかりだから、婚活やめました。独身で生きていきます」そう宣言する権利が得られたことだと思ってた。
それは勘違いで、「無職・低所得の男性が、高所得の女性に養ってもらう権利を獲得すること」が、「男らしさを降りること」だったの?
女性ですら「高所得の男性に養ってもらう権利」が失われていって共働き率が上昇し続けている時代なんだけど、マジでそういうことなの?
高所得の男性に養ってもらっている無職女性は、出産・育児・家事労働はしていることが多いように思うけど、
まず男性は出産ができないよね。そして無職男性は家事がまともにできない人も多い(母親に丸投げした快適な暮らしを当たり前だと思っているため)。
無職者よりも有職者のほうがタスク処理能力が根本的に高いから、家事も効率よく高い品質でこなせるという傾向まである。
男性に限らず女性も正直なところ…知的障害や発達障害があるなどが理由で、上司や同僚に嫌われて賃労働が継続できない女性が、
働くことから逃げて家庭に入ったとしても、家事も下手という傾向がある。さらにコミュニケーションスキルが低いため育児も下手。
出産すると、発達障害が遺伝した子供が生まれてくる。健常な子供よりも、育てるのが何倍も大変で、育てる親も発達障害のため育児が下手で、
非常に詰みやすい。虐待や毒親といった問題は高確率で、親の発達障害が絡んでる。
男だの女だのの前に、「成人」として経済と生活の自立ができていない人を配偶者として選ぶことによる「生活破綻」のリスクが顕在化しているのが現在だと思う。
「高所得の男性が、出産・育児・家事労働目当てに無職の女性を選ぶ」ことは若年層ほど減っている。
そのなかで、高所得の女性が無職の男性、低所得の男性を選ぶときが来ると…?
そういう男性の子供を出産して育児を任せるときが来ると…?(出産は身体的・経済的ダメージです)
高所得の女性は、高所得の男性に大人気にもかかわらず…あえて無職の男性を???(無職女性より正社員女性のほうが既婚率が高いというデータがあります)
高齢男性が、不特定多数に対する夜の仕事をしていた若年女性を、自分専属にするために養うという、
性的魅力が無い個体が有る個体を買う、長期専属売買契約が成立した結果としての結婚というケースもあるけど、
男らしさを降りた男性は、女性に買ってもらえるだけの性的魅力を持っているのだろうか?
女性は身ぎれいにして性的魅力を保っておかないと人権を失うような社会的圧力があるけど、
男性に対してはそうした社会的圧力がない。男性の肥満率は女性と比べて圧倒的に高く、体系維持や肌・髪のケア、衛生面などの意識が低い男性が多い。
(男性、不細工すぎ説。女性側の需要に対して、性的魅力を高く保とうとする男性の供給が足りていないために、ホスト・ジャニーズ等の異常な価格高騰が起きたのでは)
夫と死別した70代80代の独居女性が、庭の手入れなど体を使う家仕事を任せるために20代30代男性が家にいると助かるとかはあるかもしれないけど、
単発で便利屋さんを依頼すれば良いのでは。また、若い男と法律婚してしまうと遺産が夫に流れて、実子に相続させられる分が減るから避けるだろう。
あと、無職の男性に便利屋サービスがこなすような「仕事」ができるとは思えない。
女性に…というより、人間に対して提供できる価値が何もない人間…の話になっている。
こういう負債のような人間を無条件に受け入れるのは両親しかおらず、両親が亡くなったあとは生活保護、つまり国家ということになってくるのでは。
個人単位で、負債のような赤の他人を自主的に受け入れるのは厳しすぎる。
「人間に対して提供できる価値が何もない女性」についてだけ、男性に「男だから養ってやれ。それが甲斐性だ」という圧力をかけて養わせた、
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけて駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆるオンラインゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなものや、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲームの「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGなどではそうした形態で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけてメインシナリオを駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆる運営型ゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなもの、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲーム特有の「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGではそうした形式で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
openai soraの映像見て「不自然なとこがない!すごい!」ってコメントしてる人が多くてギャップ感じる。
いや今までのt2vからすりゃすげー高品質ですごい進化だと思うよ、でも不自然なとこだらけでしょう、、
ほとんどの人はそこまで映像の細部を見てなかったってことなんかなー— nikq (@nikq) February 16, 2024
元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカいキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。
まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか。
感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。
じゃあアニメや漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。
ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。
2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?
もちろん『お兄ちゃんはおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。
中学生女子になってしまった主人公のパニックや成長を、素晴らしい作画・演出によって余すことなく表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカいギャルである。
ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。
『お兄ちゃんはおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。
技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。
それは肉の塊であり、人の身体ではない。
肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。
俺が思うに、日本のサブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。
他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。
察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまりに消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか。
(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタの対象になってるけど、映像的にはそんなに視線が誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)
話が逸れた。
調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメや漫画のデカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。
誰かのツイートで、お色気表現をマヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。
それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。
しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。
そんな風に思っている男もいるのだ。
元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカいキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。
まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか。
感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。
じゃあアニメや漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。
ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。
2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?
もちろん『お兄ちゃんはおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。
中学生女子になってしまった主人公のパニックや成長を、素晴らしい作画・演出によって余すことなく表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカいギャルである。
ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。
『お兄ちゃんはおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。
技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。
それは肉の塊であり、人の身体ではない。
肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。
俺が思うに、日本のサブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。
他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。
察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまりに消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか。
(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタの対象になってるけど、映像的にはそんなに視線が誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)
話が逸れた。
調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメや漫画のデカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。
誰かのツイートで、お色気表現をマヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。
それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。
しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。
そんな風に思っている男もいるのだ。
BALENCIAGAやBOTTEGA VENETAやJIL SANDERの靴を持っているし
FendiやGucciのカバンも持ってるし財布はValextraだ
Alexander McQueenのシャツやPRADAのジャケット、Our LegacyやLOEWEのニット、AMI ParisにVETEMENTSのプルオーバーも持ってるし
しかし断言するが、絶対に俺はブランド物が好きというわけではない
証拠とはいえないが、ユニクロやZARAの服もあるし、最も多く持ってる靴のブランドはNIKEだ
ちなみに今、貯金してSaint LaurentのSac de Jourというカバンを買おうとしている
https://www.ysl.com/ja-jp/441571B681U1000.html
しかし、別にSac de Jourじゃなくてもいいし、サンローランである必要もない
ぶっちゃけ金持ちでもないから、カバンに50万円も出すのはバカバカしい
その100分の1の値段で、10年は使えるカバンを買えるはずだ
Sac de Jour 並みの品質と材質と質感を備えており、幅40cm前後で縦長ではなく、一泊程度ならできる収納力があり、男性が持っても不自然ではない
天才エディ・スリマンが描いたと言っても疑わないほど美しいデザインの安いカバンを教えてくれないだろうか
ちなみに安い以外の条件に合致するカバンとして、エルメスのバーキン40とかいうやつがあるが、あれは安くてもSac de jourの4倍くらいするらしい
やはりまだ誰もカワサキe-1シリーズのインプレ試乗記レビューを書かないようなので海外バイク誌の記事をリンク貼ってGoogle翻訳した一部を引用しておいてやる😤
↓
https://www.cycleworld.com/motorcycle-reviews/kawasaki-ninja-e-1-and-z-e-1-first-ride/
「カワサキの全電気自動車Ninja e-1とZ e-1について知っておくべき最も重要なことは、それらがオートバイのような見た目と感触を意図しているということです。2 番目に重要な点は、バイクのフルサイズ設計にもかかわらず、従来のバイクの代替となることを意図したものではないということです。おそらく、より適切に比較できるのは、都市部の通勤の難題を解決する有力な解決策となった電動スクーターや自転車です。」
「Ninja 500 と Z500 は e-1 テストバイクと並べて駐車したり、直接比較したりすることはできませんでしたが、e-1 を単独で見ると、フルサイズのオートバイと非常によく似ています。よく見ると、どちらも細部にまで注意を払って作られており、カワサキに期待される品質を構築していることがわかります。これは、オートバイ分野以外の安価な電動自転車ソリューションでは得られないかもしれません。唯一イライラするのは、フル充電したマシンの上に足を投げ出して、航続距離が 40 マイル未満であることだ。このバイクを本来の用途で購入し、長い距離を走るつもりがないのであれば、飲み込むのは簡単だ。」
「どちらのバイクでもライダートライアングルは窮屈に感じませんが、身長が6フィートを超える人にとっては、ステップからシートまでの隙間が少し狭いです。」
「考慮すべき重要なことは、これはカワサキが水に足を浸し、電動自転車のスペースを見つけ出したばかりであるということです。他のメーカーもコンセプトバイクや将来のビジョンを持っているかもしれないが、カワサキは現在バイクを開発中であり、電動ラインナップが成長するにつれて将来的に有利に働く可能性がある。
フルサイズの寸法とスポーティな外観により、Ninja e-1とZ e-1はすでにカワサキの注目を集めています。そして、まだ多くのライダーをコンバートするには十分ではないかもしれませんが、その時はあなたが思っているよりも早く来るかもしれません。
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
歯車のマークの"除外したい要素プリセット"を"なし"に設定しないとダメだ。(さっきのプロンプトはすでに"強い"の内容を含んでいる)
それから"品質タグを加える"も外しておけ。(すでに書いてある。品質タグはabsurdresがあるが、細かすぎる感じで使ってない。かわりにhighresをよく使う。)
先に画風指定、全体構図、カメラアングル、ポーズの説明、body系のタグを入れて、その後に細部の指定をすると思い通りになりやすい。アウトラインを書いてから細かい部分を書き込むイメージ。
ただし、マスピやbest qualityなどの品質指定系は後ろに入れる。これは画風指定の一種だが、先頭に入れると没個性的になってしまう。
nsfwはどっちに入れるべきかよく分からん。上手くいかないときに先頭に入れたり後ろに動かしたりしてる。
プロンプト間の要素の競合を回避することも忘れずに(例:looking back, looking to viewerを入れてから breastsの指定を入れると、精度悪化。looking backが暗黙にfrom behindを含むが、breastsが暗黙にfrom front、from sideを含むため矛盾。)
あと、プロンプトをは150トークンおきに区切られるから、151トークン目はかなり強く効く。1111ならBREAKで調整できるのでやってみて。comfyは知らん