はてなキーワード: 十倍とは
・ジャニーズとして活動する人、応援する人、支える人、そういう人たちを攻撃するつもりはありません。
単純な事で、ジャニーズっていつからかブランドではなくてレッテルになっちゃったよね、って話です。
以下は自分の体験談で、ジャニーズを認識〜苦手〜嫌い〜好き〜今を書いてます。
興味がない人は読まなくて良いです。
今、自分は関ジャニ∞の一部と渋谷すばるさんが好きです。
村上さん良いよね、親からもらった体を大切にして頑張ってる姿が素敵です。
「見た目がジャニーズじゃない」ってからかわれるけど自分は好きです。
小学生の時、ジャニーズという存在を知った。
当時、毎週金曜のゴールデンタイムに放送されていた《ミュージックステーション》では必ずジャニーズのグループ、もしくはアイドルが1〜2組出ていたのを不思議に思っていた(今は見てないので知らん)
バカ正直、素直すぎると言われる自分が持った感想は
「他にもミュージシャンはたくさんいるのに、どうして歌が上手くない人たちが出ているんだろう」
「見た目はかっこいいと思うけど、ミュージックステーションは音楽を楽しむ番組じゃないのだろうか?ならばこのジャニーズというのはふさわしくないんじゃ?」
だった。
でも好きなミュージシャンが出るときは見ていた。
クラスで聞かれることがあった。
「ジャニーズなら誰が好き?」
どうしてジャニーズに絞ってくるのだろう?
当時の私は踊る大捜査線を見ていたから「ジャニーズは興味ないけど、芸能人なら柳葉敏郎さんが好き」と答えた。
当然「誰?」と聞かれる。
我ながら空気を読まない子だったと思う。
中学に入って部活動の先輩(ジャニーズ好き)から同じ質問をされた。
踊る大捜査線 THE MOVIE2を見た後で、当時名前がわからない俳優さんを好きになっていたので、その人の事を伝えたら「名前も知らない俳優が好きなんて」と鼻で笑われた。
「ジャニーズ知らないなんて遅れてる」「可哀想」と言われて先輩が好きだったKAT-TUNのCDを押し付けられる形で貸りて聞いた。
あたかも「作られた感じがある音(声?)」がどうしても受け入れられなくて、結果ジャニーズが苦手になった。
(余談だが、この名も知らない俳優さんは後に佐々木蔵之介さんと知りました)
高校生の時、そういうのとは無縁に過ごしていた。
人並みに当時流行っていた曲を聴いていたと思うが、《ジャニーズ》と聞くと無意識に避けるようになっていた。
バイト先で同い年のジャニーズ好きの子がいた。
基本的に人の好きなものを否定したくないので(たまたま自分には合わないだけだと思う)分かる範囲で適当に話を合わせていたのだが、それが仇となったのか「チケット代は要らないから物販から付き合ってほしい」とコンサートに誘われた。
人生初のコンサートに物販、チケット代は不要で地元の会場へその子と行けば良い。
「CD音源ではなく、生歌なら好きになれるかもしれない」とか「これも良い経験」とか、色々思ったので誘いに乗ることにした。
当日は始発で現地へ向かって、物販の列に並んだ。
「徹夜はダメだ」と言われていたようだが、始発で向かうと結構な人が既にいて、列ができていた。
早朝から並んだが順番が来るまで&物販開始まではかなり時間があったので、友達の朝食と飲み物をコンビニまで買いに行った。
以降、欲しいものがある時は交代で買いに行くようになった。
自分は欲しいものがなかったが「周りから変な目で見られないように最低限ののモノを持とう」と考え、ペンライトとうちわを買った記憶がある。
(後日、どちらも一緒に行った子にあげた。)
開場は18時ごろだったと思う。
「席は決まっているから急いで入らなくても大丈夫」と言われたのでゆっくりと会場内に入った。
決まった席に着くと目の前がなんだか広く、一緒に行った子がとても興奮していたのを覚えている。
いざ始まると、大音量の音楽に大音量の黄色い声援に圧倒された。
「ここにいて良いのだろうか」とさえ思うぐらい一瞬で空気が変わって、始まって暫くは驚いた顔をしていたと思う。
見よう見まねでペンライトを振ったし、正直なかなか疲れていた。
座っている人が見当たらなかったので、一緒に行った子に「座って休んでも問題ない?」と確認をして座ってゆっくりしていた。
しばらくして知ったのだが、ステージで歌って踊っている人たちがトロッコに乗って間近に来る【良席】であったようで、へえーと座って見ていた。
そうしたらなぜか悲鳴のようなどよめきが聞こえて、それがどんどん近づいてくるので何事かと思い声のする方向を見ると後数メートルと言うぐらいの距離から自分の目の前へ走ってくるトロッコと並走した大きな塊がいた。
塊が1人の人間だと気づいた頃には目の前をアイドルとその人間が通り過ぎ見送った後だった。
その人は器用に椅子の上を走ってトロッコと並走しながら一生懸命にペンライトを振っていたので「熱心なファンだなぁ…」と呆気に取られていた。
曲芸のように椅子の上を走ってきた巨体の人間に気を取られていて、気づいた時には左脚の感覚がなくなった。
並走していた人に踏まれたと知ったのは「さて」と立ち上がろうとした時。
何十倍もの倍率のチケットを勝ち取って(物販中にたくさんの話を聞いていた)連れてきてくれた子に申し訳なく終演するまで言えなかった。
終わったのを見計らって一緒に来た子に立ち上がれない事と「救急車を読んで大事にしたくない」と伝え、開場外まで手を借りてタクシーを呼んでもらい、近くの病院にそのまま駆け込んだ。
時間帯的に救急搬送の入り口しか空いていなかったのでそこから入り、その日の担当医に診てもらった所、折れていた。
親が来るまでの間に何があったのか聞かれたので、馬鹿正直な自分は「コンサート中に休憩していたら椅子の上を走る人が走ってきて過ぎ去った時には感覚がなかった」と答えると、担当医と看護師は「は?」と聞き返してきて、一緒に行った子は目を見開いた。
これを決定打にジャニーズが大嫌いになった。
嫌いなら見なければ良い。
自分はそういう人間なのでジャニーズの一切をシャットアウトした。
CDのCMが流れればチャンネルを変える、音楽番組に出たら好きなミュージシャンだけ見て変える、街中で音楽が聞こえたらMP3プレイヤーの音量を上げる、話題として振られたら「好きではない」と伝え話題を変えるetc…
それでも、コンビニでアルバイトしていたので店内放送や雑誌コーナー前の掃除時にジャニーズ表紙が視界に入る事は避けられないし、時にはコピー機の中に持参した切り抜きをなぜか置いて行ってしまう人がいたので完全なシャットアウトは出来なかったし、意識に入ってくるだけで苛立ちを覚えていた。
同時に「生きにくいな」とも思っていた。
高校から専門に進学した自分に分厚い壁が出来た。
周りがジャニーズ好きしかいなかったのだ。
バッグにはストラップをつけ、携帯にもストラップ、さり気なくツアーTシャツを着てくる人、雑誌の表紙はジャニーズ
毎日毎日堪え難い苦痛で目標だった職を諦めて学科変更をした。
変更先はマンガが好きな人が多い学科で、自分の好きだったジャンルを学べるので妥協したのだ。
同性は少なく、少ない同性の中でやっていかなければいけないで、積極的に声をかけて仲良くなってからだった。
「関ジャニ∞って知ってる?私好きなんだ。」
またジャニーズ…
ジャニーズが嫌いな事を伝えた。
ジャニーズの話題は苦痛だとはっきり伝えた、理由も伝えた。
そうすると後日「無理に聞いてとは言わないけれど…」と前置きをして、ベストアルバムを1枚貸してくれた。
そして「いい意味でジャニーズっぽくないから、知ってるジャニーズじゃないと思うから」と付け足した。
この時借りたCDは聞かなかったが、何を思ったかPCに取り込みはした。
ジャニーズなんてみんな一緒。
色んなミュージシャンが出たがるような音楽番組に出たってダルそうに話をしたり。
歌だって口パクだろ。
そもそもなんであんな過激な事するファンがいるのに…………。
そう思って一切聞かなかった。
卒業して半年弱経つまでは。
卒業して就職して5ヶ月経った頃だった。
原因不明の腹痛で入院、未だ原因は分からず痛みが治まった為退院。
その後謎の発熱に関節痛、ベッドから起き上がれないほどの気怠さ、体に異常が起きた。
恥ずかしながら、家庭環境が複雑で難があり、身内から多くの期待とプレッシャーを受けてその日まで生きてきた。
昼休憩には必ず同居人からの電話、特に内容はない電話。
社会人ながら門限があり、門限は17時、それを過ぎると即電話が鳴る。
今までは学生だったから守れてきた、だが社会人にもなってこんな環境に耐えられる訳がない。
人事に事情を説明し「社宅に入れさせてもらえないだろうか」と頼むも条件を満たしてないので却下され「それだけ心配してくれるって事は愛されているんだよ」と宥められる。
日々ストレスは溜まり、出勤して逃げたくとも体調が悪いので出勤すらままならない状況。
「有り金全部使い果たして死のう」と思い、全額下ろして慣れないギャンブルに突っ込み、1200円手元に残った。
「これを使い切ったら電車にでも飛び込むか」と思い、ちょうど使い切れる事を探していたらレイトショーがあった。
心身ともに消耗しきっていた自分はそのレイトショーが何なのかも見ずにチケットを購入して劇場に入った。
始まって気づく。
ジャニーズじゃねえか
ジャニーズを知りジャニーズに悩まされジャニーズを避けるようになった自分がジャニーズにお金を使っている?
何だか解せぬと思ったが、死んだ心でぼんやりと見ていた。
見ているうちに不思議と子どもの頃毎週日曜に見ていた戦隊モノを思い出した。
でも戦隊モノとは違って、登場人物達はみんな時給制でヒーローをやっていて、みんな致命的な欠点があった。
しかも雇われヒーローだからそんなに強いわけでもない、何より各々が持つ欠点が欠点だ。
そんなダメな奴らがいつしか仲間意識を持ち助け合いそして悪を討つ。
ありがち、ベターな流れ、読み切れていた伏線。
でも戦隊モノとは違う所、致命的な欠点だ。
この欠点が自分には大きく効いた。
作り話だと理解しつつも気付いたら感情移入していた。
「こんなダメダメな奴らでも必死に生きてる」「人の役に立とうと頑張ってる」
そして帰りにERのCDをAmazonでポチろうと思った時、口座残高がない事を思い出し、今日の行動を悔やみつつ帰路についた。
専門の時に借りたベストアルバムを思い出し、帰ってから聞いたらいい意味で期待を裏切られた。
貸してくれた子が言っていた通り「自分の知っているジャニーズじゃなかった」
精神がやられていた。
精神がやられたので休職した。
でも治らなかった、あれほど興味のあった趣味に見向きもせず、ただ空に浮かぶ雲を見て「今日は風が早いなぁ」と思った直後に涙が溢れて止まらなくなったり、前触れもなく不機嫌になって周囲に八つ当たりしたり、そんな不安定な人間になってしまった。
今は会社を辞めて病気療養中です。
世間や周囲に少しずつ興味が湧いてきて、すっかり関ジャニ∞好きになってしまった。
ジャニーズってだけで嫌ってしまう人がいると思う。(自分にはそういう時期が少なくともあった)
ジャニーズってもうブランドじゃない、ジャニーズってフィルターを取ってでも好きで応援できるか大事だと思う。
ジャニーズを退所して活動している人たちはいるけれど、ジャニーズはどうして各局に圧をかけちゃうんだろうね。
自分の事務所で育って、自分の元を巣立って一生懸命頑張っているのに、ジャニーズは自ら自分たちのブランド価値を落としてしまっているんじゃないかなと思います。
何だろう、売れている人と抱き合わせでドラマや映画に出したりするのはどうなんだろうって思ってしまいます。
芸能界って特殊な世界が合うかどうか、それも未知数の子たちがメディアに無理に出されて、結局合わなかったらどうしちゃうんだろ。
ある程度の年齢いっていても結局視野が狭いままなんじゃないかな、って思ってしまう。
せっかく素敵な人たちを発掘しているのだから、ある程度貢献して本人が望むならジャニーズって看板を降ろしてもいいんじゃないのかなって。
芸能界が合わなかったって子にも生きやすくしてあげてほしいな、じゃないとジャニーズって所属アイドルは大人に搾取されている気がする、せっかくのブランドがレッテルになってしまう。
それと個人的かつ切実なお願いなんですが、椅子の上を走ってまでアイドルを追いかけないでください。
あと、完成披露試写会やゲスト出演試写会を途中退席しないでください。
試写上映中に黄色い声出さないでください。
(超高速!参勤交代の完成披露試写会に行ったのですが、映画の途中で黄色い声が上がって一気に不快になりました)
ブランドを下げているのはもしかしてファンなのかな、とも思いました。
お茶の間で応援してます。
ライブ・コンサートはあの一件以来ジャニーズのものは行きたいと思えなくなってしまったけれど、陰ながら応援してます。
グッズで売ってたメンバー毎のBOY、ツアー終了後に知って後悔してます。
転売は手を出さないです、定価+お駄賃(1〜1500円ぐらい)+送料なら考えますが…定価の3〜4倍って…(公式にお金が行かないと納得しない面倒なオタクです)
渋谷さんが辞めた時ショックだったけれど、ソロで活動してくれて嬉しいです。
年明けたらライブですね、応援してます。
自分が知った時は7人だったけど、元々8人で歩き出した事や色々あった事も全部知って、尚好きになりました。
良くない出来事もあったけれどもう結果が出ている事だし、人間臭いなって思って受け止めてます。
みんなそれぞれの道を歩く事になったけれど応援してます。
自分の命を救ってくれたエイトレンジャー。
また悩んだ時はエイトレンジャーを見ようと思います。
ありがとう、エイトレンジャー。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
「それは差別だ」と言われたとき、多くの人はまず怒る。悪意が無く、人に対して悪いことを基本的にはしたくないと思っているから、あなたは人を傷つけていると言われると、傷つくのだ。だからそうであって欲しくないし、指摘した人の主張が間違っていればいいと思う。
社会的に NG なっていれば、自分の主義主張に関わらずある程度配慮する人が多いが、そのラインは微妙だし常に変化している。指摘されるまで差別かもしれないと思ったこともないことも多々ある。
だからこそ、指摘する側は慎重に行うべきだと思う。遠慮すべきとは思わない。人を傷つける行為だから、相手に伝わるためには、できるだけ傷つけない方が聞いてもらえるだろう。根拠はあった方がいい。ただ多すぎても相手を追い詰める。相手に悪意が無いことを信じること、差別はそれでも存在してしまうことを認めること、まずはそこからだ。
最近の話題が多岐に広がりすぎるのは、明確に差別と言うには微妙なものだからだ。初めてそれを差別かもしれないと思った人もいるだろう。指摘としては、そういう人が少しでもいたら大成功である。結論は今は出ない。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今後継続して考える」を落とし所にするのを目標に行ってはどうだろうか。一部の人間による一時のヒステリーと思われては、今後の成果に繋がらない。
被差別者だと感じるからと、人を殴っていいわけではない。大人数で取り囲んで罵声を浴びせるのは暴力であり、暴力行為は差別と同じくやってはいけないことである。責めたいわけではないが、自分の言動を立ち止まって振り返ってみてはどうだろう。その暴力を何十倍も浴びて戦おうとしていることに敬意はあるが、度が過ぎている。
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。
色んな人の考えを聞いてみたい。
そうよ?
数千人がね。
逆にこんなのにすら君は勝てないの?
君にいくら払われているんだい?
それが君の現実なんだろ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185511859912237056
そもそも、それが「汚い」という感覚な時点で稼げる経営者からしたら
「お察し」
なんだよね〜
まぁ、そんな人達が多いから稼げる人達は稼いでいってそういう人達を上手く使って経済回しているわけでね
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185514209477480449
金に疎いバカばっかだな笑
一生やってろよ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185528580618375168
ごめん、頭にウジ沸いてるのに君より数十倍良い生活しちゃってるわ、、
なんでなんだろうね、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185537197505531905
いや、君ら頭の弱い人々に自慢したいなと思ってさ笑
ロールスもベンツのS63longもあるよ〜
ごめん、何が効いてるのかはよく分からない、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185763795613806592
どうすればここまでアレになれるのか、まったく完全にわからない。
嘘でそれを演じようと思っても、無意識に常識とか良識が邪魔をして、ここまで下品にはなれない気がする。
ネトウヨとかツイフェミとか、自分(これを書いている俺)から見て不思議な人種はネットにたくさんいるけど、なんとなく「その人がなぜそうなってしまったか」みたいなのはうっすら想像がつく。
けどこの人。どうすればこうなるんだ。
5ちゃんねるのまとめサイトで痛いやつとしてまとめられそうな文句ばかりじゃないか……高級外車自慢とか……。
ウェブカツとかいうサービスの質とか経営者や技術者としての倫理観とかはハッキリ言ってどうでもいい。
「かずきち」氏というひとりの大人の人間性がここまでねじ曲がってしまったその過程がすごく知りたい。
当人は「ブランディングとしてあえてやっていた」などとうそぶいているけれど、こんなもん、「ウェブカツ」で検索したらそのうちこの人の悪評ばかりがヒットするようになることは目に見えていて、ブランド価値をただ一方的に毀損しかしていないと思う。上場企業だったら株価が下がるくらいのできごとだと思う。
「イキったヤンキーメンタルの成金ヤカラがやってるスクール」というブランドに魅力を感じる層がもしかしたらいるのかもしれないが数は多くないだろうと思う。
前後のツイートにも(私のような善良な小市民の目から見ると)不道徳なものが多いのだけれど、とにかく徹底しているのは「カネを持っているからエライ」というゆがんだ価値観で、わずかな教養があれば少なくとも口に出しただけで軽蔑されるたぐいの言説だとわかるはずなのだけれど。
ホリエモンも独特の放言で物議を醸すことが多いが、あれは自己責任論を少々履き違えて「貧乏なのは全部お前の責任」という極論を言っているだけで、「だからカネを持っている俺のほうがお前より立派な人物である」とまでは言っていない。内心もしかしたら思っているのかもしれないが、少なくとも、それを言わない程度の良識か、口に出すのは間違いだという常識はわきまえている。
「かずきち」氏はそのホリエモンの履き違えをさらに履き違えて、「金持ちの自分が貧乏人を小馬鹿にするのはかっこいいこと」と思っているようにみえる。それをブランディングだと考えているくらいだから、なにかポジティヴな効果が期待できると思っていそうではある。
こんな人間(しかもそれを隠そうともしない人間)ができあがる仕組みが本当に不思議で、ちょっと色んな人の考えを聞いてみたい。
親類に居てびびった。
高額商品とか定価がはっきりしてるタバコのカートン買いとかならまだ理解できる。
御用聞きの酒屋に醤油や料理酒を大量注文する老人、(NMYやAHPに)ベビー用品を買いに行く主婦。
増税後に値段どうなるかわからんし、なんだったら今は小売業してたら下手に割引しないほうが良いと考えられないんだろうな。
40万ぐらい手取りあったとして、一か月分を2%OFFで買っても精々8000円だし、そこまで買い溜めしないから、浮いて精々数百円だろう。
駆け込み需要ってんが今回はあんまりニュースになってないけど刷り込まれてる人多いんだなーって思った。
アナニーをやってみたいという気持ちがあっても、浣腸やローション挿入など面倒くさいし、腸を傷つけるのは怖いという思いから、なかなか実践出来ない人も多いだろう。今回は、面倒な事をせずとも、誰にでも簡単に、安全にアナニーの世界を覗く方法を教えよう。この記事は、全くのアナニー初心者向けのレクチャーである。
ペニスの快感をアナルに伝える初心者向け、ペニアナオナニーである。
ちまたでは(前立腺)は男の最高の快感である!等と言われていて、アナニーの根拠となっているのだが、それは間違いだ! 腸は元々性的快感を感じる場所ではない。繊細で傷つきやすい場所。だから、ペニスの様にディルド等で上下に刺激しても快感が出てくる事は有り得ない。そこをまず理解してくれ。だから闇雲にアナルを刺激するのは止めてくれ。大事な肛門と腸を傷つける事になる。
ではアナニーで快感を得るようになる秘密は何か?それは、ペニスの快感をアナルに(覚えさせる)事で、アナルを(性感帯)に変身させる!という事なのだ! アナル大変身である! ケツマンコの由来でもある。
その変身のテクニックを教えよう。
風呂場が最適な場所だ。用意するのはローションだけでいい。無ければ石鹸でも代用してくれ。片手はペニス、片手はアナル周辺を、両手、同じ動きになるようにマッサージしてくれ。恐らく最初はアナル周辺は全く何の快感も覚えないだろう。もし、最初から強烈な快感が湧き上がるとしたら、君は、選ばれたアナニストだったのだ。この記事を読む必要は無い。好きにしてくれ。
しかし、そうでない殆どの諸君は、ペニスの快感がゆっくりと高まるように、マッサージを続けてくれ。アナル表面の周辺も同じ様に刺激するのを忘れないでくれ。大事なのは、決して激しく動かさない事だ。あくまでも、ソフトに柔らかくペニスとアナルを刺激してくれ。 するとペニスの快感とアナルが一緒になる様な電気が流れる様な瞬間が訪れるだろう。これが訪れる時期は個人差があるのだが、ポイントは(ゆっくり、やさしく)刺激していくという事だ。それを忘れないでくれ。そして、ペニスとアナルの快感が一致した瞬間、ペニアナオナニーの超快感がやってくる!まず、初心者の君達はこのペニアナ感覚をマスターする様にしてくれ。
しばらくは、ペニスとアナル同時に刺激しなければ感じないだろうが、やがて、ペニスを少し触っただけで、アナルが反応する様になる。そして、ペニスの快感をだんだんアナルが覚えてくると、ペニスを刺激しなくても、アナルだけでペニスが勃起してくる様になる。しかし、ここまですらはたして何人のチャレンジャーが辿り着けるだろうか。
この先にも更なる快感のレベルがあるのを忘れないでくれ。究極には、このアナニーは、アナニーすら超越して、エナジーエクスタシーにまで辿り着くのである。しかし、今は、ペニアナオナニーを楽しんでくれ。これだけでも、普通のオナニーの何十倍もいいぞ。テンガなんて比べ物にならないよ。それでは諸君、頑張ってくれたまえ。
移民に対して低賃金で働かせていたり、女の子の性を買うことを搾取と呼んでる奴多いけど、いずれも「搾取」の拡大解釈だからな。
狭義の搾取は、無賃労働のことだ。移民労働も性労働はいずれも無賃労働ではない。
広義の搾取は「労働が産み出す価値に見合わない低賃金労働」になるが、まず性労働は当てはまらない。JKを1時間500円で奉仕させるのなら流石に当てはまるが、相場はこれの数十倍高い。これを搾取と言われても、バックネットを越えた投球をストライク判定するくらい的はずれな指摘だ。
そして移民労働は、産み出す価値自体はかなり低い。今治タオルもそうだが最終製品を購入する側があまり金を出さないので、価値はどうしても低くなる。つまり移民労働は産み出す価値に対しては適切な賃金になるから、これも搾取には当てはまらない。
ある年の政府による研究科学投資は、その5年後、10年後のGDPと強い相関がある。
別のいいかたすりゃ、競争力があるテーマなんて、その前の儲かると断言できないながーい科学技術の積立期間の末にできるもの。
iPSなんかだいぶ早い部類だが、それでも臨床研究まで10年かかってるし、
免疫チェックポイント阻害剤は30年かかってる。最近話題の全固体電池でも最初に取り掛かってから20年だな。
だけど、選択と集中で、すぐに実用化できるテーマばかりに国の金を集中したら、そりゃ新しいテーマも生まれんよって話。
小泉自民党の悪夢、民主党の悪夢。後、維新に政権取らせたら維新の悪夢によってさらに傷は深まるな。つーか、政府が何もしないほうが良い+すぐに成果が出るもの以外するな+不景気だろうが何だろうが財政均衡だ!の新自由主義の悪夢。
ついでに言うと、特許は20年たつと切れる。20年の間にコモディティに近い状況にしないと、海外のぽっと出のベンチャーがまずは特許切れの技術で金を大量に集め安かろう悪かろうで食い込み、売れ出したらその金でさらに研究開発をしてあっという間に市場をかっさらう。
3Dプリンタは一気に大量の新しい応用が生まれ(ただし日本は除く)、太陽電池もそれでだめになったし、リチウムイオン電池も今や世界トップは中国の会社。もう日本勢ダメだろうね。
唯一可能性があるのは、パナソニックとか、GSユアサとかが、リチウムイオン専用会社を作って、子会社から外れるのを覚悟で、専用会社として出資を募って、様々な研究に邁進することぐらいか。
リチウムイオン電池、太陽電池で市場を席巻した韓国中国メーカーみたいにね。
なので、まずは大学周り締め付けたらいいものができるってのをやめて、小泉自民の悪夢、民主党の悪夢由来のものを全部取り払い、大学の基礎研究を立て直すことだな。
ついでに、何か勝負する技術があるとしたら、専用会社にして、出資をどんどん募って邁進すること。
シャープの太陽電池と、ディスプレイも方向は正しかったけど、借金でやったがために資金が詰まってシャープ自体つぶれてしまった。
借金は返す必要がある。出資は返す必要がない。その代わりに、出資は出した金の何十倍の価値の会社にしないとならない。
これが、太陽電池専用会社、ディスプレイ専用会社を作って、その会社がシャープ子会社から外れること、かつつぶれることを覚悟して出資で金を募っていたら、案外、シャープの太陽電池、ディスプレイが世界を制覇していたのかもしれない。