2019-11-06

「それは差別だ」というのはすごく難しい

「それは差別だ」と言われたとき、多くの人はまず怒る。悪意が無く、人に対して悪いことを基本的にはしたくないと思っているから、あなたは人を傷つけていると言われると、傷つくのだ。だからそうであって欲しくないし、指摘した人の主張が間違っていればいいと思う。

社会的NG なっていれば、自分主義主張に関わらずある程度配慮する人が多いが、そのライン微妙だし常に変化している。指摘されるまで差別かもしれないと思ったこともないことも多々ある。

からこそ、指摘する側は慎重に行うべきだと思う。遠慮すべきとは思わない。人を傷つける行為から相手に伝わるためには、できるだけ傷つけない方が聞いてもらえるだろう。根拠はあった方がいい。ただ多すぎても相手を追い詰める。相手に悪意が無いことを信じること、差別はそれでも存在してしまうことを認めること、まずはそこからだ。

最近話題が多岐に広がりすぎるのは、明確に差別と言うには微妙ものからだ。初めてそれを差別かもしれないと思った人もいるだろう。指摘としては、そういう人が少しでもいたら大成功である結論は今は出ない。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今後継続して考える」を落とし所にするのを目標に行ってはどうだろうか。一部の人間による一時のヒステリーと思われては、今後の成果に繋がらない。

被差別者だと感じるからと、人を殴っていいわけではない。大人数で取り囲んで罵声を浴びせるのは暴力であり、暴力行為差別と同じくやってはいけないことである。責めたいわけではないが、自分言動を立ち止まって振り返ってみてはどうだろう。その暴力を何十倍も浴びて戦おうとしていることに敬意はあるが、度が過ぎている。

まとまらなくて申し訳ない。読んでくれてありがとう

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