はてなキーワード: 乱れるとは
育成ゲームにおいて、シームレスさ、キャラ画像の統一、テキストの倍速って結構重要と感じた。
社長バトルの時間ですよというゲームがアニメ化になるっていうのと、パワプロのサクセスに似ていると聞いて試しにゲームをやってみた。
毎回黒画面でローディングが入るのは目が疲れる。
ローディングが入るのはしょうがないけど、暗転はやめた方がいいなって感じる。
キャラクターについては、それぞれのイラストレーターさんの絵は素晴らしいし、パラレルワールド感がある雰囲気だと思う。
いくら綺麗な書き方だったとしても、設定を踏襲しない状態に見えて作画崩壊に感じる。
(カードゲームは世界に入り込まないからいいのだとは思うけど。)
もちろんコストと負荷を考えると、一人の作者を拘束するのは依頼する側もされる側も難しいのはわかる。
やはり、Miiやパワプロのように特徴だけ抽象化したキャラクターのままって言うのは息の長いコンテンツを作る上で必要なのかもな…ってふと思う。
なぜ、パワプロは作風が違う作品同士をコラボしてるけどそこまで浮かないのだろうとふと考える…。
そういえば以前に、日本のえもじ(・V・)と海外のえもじ:->を比較して、日本の絵文字は目のバリエーションが多く、海外の絵文字は口のバリエーションが多いって言っていたを思い出した。
あと顔を隠す時、日本人は口を隠すが、海外の人は目を隠す傾向がある。みたいな事も思い出した。
パワプロは日本のコンテンツだから目だけで表情を出すって言うのが合っているのかなとも思う。
テキストのスキップも重要だけど、テキストの倍速もあったほうが良いなと感じる。
テキストであらすじ出してくれるのはありがたい。
だけど、倍速でもある程度内容はわかる。
ジョーカーって映画がとんでもなく話題になっているらしい。確かに話題になるほどはある、最高の映画だ。さらに最高なのはSNSでまるで映画のジョーカーの延長線のような解釈合戦、社会的、政治的ポジショントークとマウント合戦も含めた一大議論が巻き起こっていて映画を見た後もずっと楽しめるってことだ。
かたっぽうにそれこそ絵に書いたような「この映画は社会の分断を生む危険な映画だ」って道徳マウントがあるかと思えば、もうかたっぽうには「あの映画のアーサーは、ジョーカーってのは俺なんだ」とジョーカーに同一視する弱者達がいる。そして、俺はジョーカーだ、と言う議論に対して、お前がジョーカーなわけねえだろイキリクズ野郎という更なるマウント戦略が展開されている。
実際、アーサーのように、ジョーカーになるってのは確かに大変だ。虐待と精神疾患と貧乏とあらゆる可哀想な悪人の属性を詰め込まれている人間は実際にはそうたくさんはいないし、アーサーと同じくらいギリギリを生きていても、実際に殺人に踏み切れない良心的な意気地無しのほうがずっと多い。ていうか、そうじゃなかったらこの映画が公開された途端社会はえらいことになっている。えらいことになってないってことは俺たちの社会はどうやらまだ健全ラインの上にいるらしいという証明なんだろう。
じゃあ俺はアーサーだジョーカーと言い募る連中は勝手に勘違いしてイキっているだけなんだろうか?そうかもしれないが、俺はぶっちゃけそれで全く構わないと思う。客観的にどんなにその人間がアーサーとは別の属性の人間でも、本人が辛い気持ちを抱えていて、映画を見て自分が共感できる主人公を見つけて入れ込むこと自体はとっても健全な楽しみ方じゃないか。そうしてジョーカーと自分を同一視して、空想の犯罪で自分を満足させられるならそれは社会にとってもいいことだ。アーサーほど可哀想属性を詰め込まれたやつはいなくても、まあそのうち属性が一個くらいはかぶるやつはいるだろう。そういうやつが共感したっていちいちマウントなんか取ってられないよ。
そんな中からジョーカーみたいに「やらかす」人間が出てきやしないかって?たかが映画で社会がそんなに乱れるわけ無いでしょうが。大体、ジョーカーの作中だってそんなにアーサーは覚悟完了してたわけじゃなくて、なんか成り行きで人を殺すことになったらなんか祭り上げられただけで、基本的に受動的だ。そもそも、この日本社会でジョーカーみたいなやつが本当に出てきたとして、あんなに上手くいくと思うか?
お生憎様、インテリの人たちが心配している以上に、日本社会ってのは道徳的で、道徳的じゃないやつへの監視の目は厳しい。そもそも衝動的にぶっ放せる銃が日本にはない。仮にアーサーに共感しまくって爆発するやつが出てきたとして、そこまで大げさなことにはならないし……ましてや俺たちは世間の美名のもとに悪いことをしたやつをぶっ叩くのが大好きだから、あんなに祭り上げられる未来はちょっと見えない。どれほど貧困が拡大し、生きづらさをこじらせた人間が増えても、この社会は今のところ、そうした人間が死のうが生きようが殺そうが、大して気にもとめないってわけだ。
それにだ。多分だが「俺はジョーカーだ」と言ってるやつってのは、社会に合法的に脅迫したいだけなんじゃないかな?いや俺も自分はジョーカーだとは思わないけどそんなタイプだからわかるんだよ。もっと社会に目を向けろ。貧困層や精神疾患者への理解を高めろ。ていうか俺を見ろ。ブラック企業なくせ。「でないと」ジョーカーみたいなやつが出るかもしれないぞ、俺がそうかもしれないぞ、って……かわいいもんじゃないか。いいんだよ、映画の感想なんてそれくらい緩くて。楽しめたやつが偉いのが映画、楽しませた映画が一番偉い、そうだろ?大丈夫、ここは日本だぜ?
そりゃ俺だって、毎日顔を合わせる仕事場の口うるさいババア共やクソ上司を殺したいとは思うよ?ジョーカーみたいにバン、とぶっ放してみたい、その上で「こんなクソな職場が俺を追い詰めるから悪いんだ」と問題提起もしてみたい。でも俺はジョーカーじゃない。そんなことをする度胸はない。覚悟も勇気もない、ただのクソザコ無責任マンだ。それに実際殺したら俺みたいなやつにこういうとこでボロクソに叩かれたり、マスコミにあることないこと書かれるし……後やっぱりなんだかんだ殺すのは可哀想だし良心が痛みそうだよね。俺以外のやつが俺とは無関係に俺の嫌いなやつを殺してくれたら助かるんだけど。
そう。多分俺も含めて、皆ジョーカーのジョークに楽しませてもらってるだけなんだ。社会ってのは皆の想像する以上に盤石で、簡単に壊れるものじゃない。簡単に変わっていくものじゃない。それを変えたり壊すことは本当は皆内心諦めてる。だからジョーカーは「そういうやつら」の希望になったんだ。ジョーカーというアイコンを盾に社会を合法的に脅迫して、自分が空想の世界でジョーカーのようにやらかすのをイメージしてスッキリする。皆がそうしてスッキリしたら犯罪はむしろ減るかもしれない。ジョーカーのジョークなのに社会にいい影響を与えちゃいそうじゃないか。
だから皆、もっと俺はジョーカーだってイキっていこう。ジョーカーすげええええって騒いでいこう。無責任にジョーカーを祭り上げていこう。そっちの方が楽しいだろ?ジョーカーって映画の一番いいところは、ジョーカーのおかげでゴッサムシティの市民たちも幸せになれたってことだと思う。俺たちは残念ながらゴッサムシティの市民ほどにもはっちゃけられないけど、こんな素晴らしい映画でばか騒ぎできるのは滅多に無いことだ。皆ジョーカー観に行こうぜ!
そうして本当にはっちゃけすぎて、あんたがジョーカーみたいにぶっ放したり、市街を火炙りパーティーにしてしまったらどうなるかって?まあ、出来るなら無責任な市民役として適当に奉りたいけど……ここは日本だからな。そんな悪いことはできない。匿名のマスクをかぶって道徳的な人間のふりをして、心で喝采を叫びながらネットであんたを叩きまくることにするよ。そんな事件が起きたら俺も職場で少しだけ生きやすくなってあんたは俺の希望になるだろう。願わくばあんたに恨みを買って殺される役回りなのが俺でないことを願うばかりだな。
フェミニストを 打ち負かし
表現の自由を とりもどすため
運瞑菜で 運瞑菜で 睡眠だ
表現だ
(本当は「運瞑菜で 運瞑菜で 睡眠だ」のフレーズだけ考えていろいろ試したら自由の戦士が一番都合が良かっただけなんだけど)
元増田です。
読んでいただいてありがとうございます。
読み返して、予防線の多い文章だなと反省しました。否定文や条件節が多くて伝達が下手でした。
図々しくも希望を言うなら、私のような存在があることが知ってほしい、くらいです。助けを求めたくても何を援助してもらえばいいか自分でもわからないので、何も受け取れないから何をも望む資格はないです。TPOに即した適切な悲鳴をあげるには、自己理解が足りないです。
平日に4時間以上の睡眠は取れないです。実家から往復5時間かけて通っているのと、終わらない仕事を持ち帰っているせいです。
会社近くで一人暮らしを、とも考えましたが、一人で起きられないので厳しいです。アラサーなのに母に起こしてもらっています。ネットカフェから会社に通った時期もありますが、毎日遅刻寸前で仕事の準備もままならなかったので止めました。
あと単にグズです。帰宅して、疲れすぎてそのまま着替えやベッドメイクもできないまま外着で床に寝てしまって、体を痛めたり風邪を引いたりすることがこの1ヶ月だけでも3回ほどありました。そんな日は腕に安全ピンを刺して眠気と闘いますが、仕事にならなくて残業、終わらなくて朝残業、という負の連鎖が発生します。
疲れていると少しでも快楽を求めてスマホを濫用してしまうのもよくないです。
私の場合は最初から一列なら大丈夫です。きっと最初から覚悟できるからだと思います。2列以上のエスカレーターで、全列が埋まっているとダメになります。
前回の文章でもそう伝えたつもりでしたが、段落に溶けて聞こえなくなっていました。文章が下手で恥ずかしいです。
とにかく自分の中のルールというか物理法則が乱れると壊れます。ただ、疲労やプレッシャーなどで負荷がかかり続けない限りは、多少の変動に堪えることができます。これは主に投薬治療のおかげだと考えています。
満員電車についても、かえって開き直るというか、割り切れるので問題はあまりないです。ただ、確実に座れるはずの電車で座れなかったりすると不安が生じて途中下車せざるを得なくなったりするので、とにかく中途半端な希望を切り捨てることが肝心なのだと思います。
本当は働けていないのだと思います。私が担当する作業も、後輩含めて私以外の人がやった方がうまく早く終わるはずです。実態は先のような体たらくなのに社内に籍を置いて社会人ヅラしていることに、時々罪悪感を覚えます。
そうですね、救急の緊急車両を通すようにして緊急の方だけ歩けるのが一番よいと思います。
ただ、私のようにタスク管理が苦手な人間は悪気なくても全行動を緊急最優先にせざるを得なくなるので、そうした人は少なくないでしょうし、「緊急時のみ」というルールも形骸化してしまうと思います。
それでも都心に通いたいです。ニート状態だった頃、公民館で無為に一日過ごした帰り道、「どこにも行けないのだ」という閉塞感に押しつぶされて殺されそうでした。「行こうと思えばどこかに行ける」と、勘違いでも思えるのが救いなんです。これはエスカレーターの片側に出ていつでも歩き出せるのと同じです。
ときどき、社員が全員帰ったオフィスの窓からこっそり這い出て、12階から足をぶら下げてみます。階下のコンクリートを見やって、落ちたら確実に死ぬんですけど、どのくらいの痛みだろう、こないだ机に頭をぶつけた時の数億倍かしら、いやだなあ、と考えて、死ぬほど痛いのが怖いのだということを再確認して帰宅します。だいたいいつも帰り道は死にたいですけど、実際に死の危険に際した時に怖いと思えるうちは、まだ生きていられるのだと思います。私は大丈夫なので大丈夫です。
一番読んでもらいたいのは最後の節のもっと言えば、今回の問題は~からなので、長いと思った人はそこを読んでほしい。
もちろん作者には意図があって表現してるけど、解釈は鑑賞者の自由だと思う。
例えばあなたは犬を飼っていて、可愛いと思ってその犬の写真を撮ってインスタにでもアップしたり「これ可愛いくない?」って誰かに見せたとしよう。
でもそれが可愛いか可愛くないか判断するのは鑑賞者の自由だよね?内心の自由ってやつ。その写真を可愛くない思ってもいいわけじゃん?かわいいと思ってもいいんだけど。
犬の顔がかわいい、手足がかわいい、尻尾がかわいいと思ったり思わなかったりは鑑賞者の手に委ねられてるよね。
宇崎ちゃんポスターに関しても、エロいかエロくないか、エロさや卑猥さを根拠にした場に相応しいと感じるかどうかはあくまで鑑賞者の解釈次第なわけ。
そこで「この絵はエロい!エロくないっていう奴は馬鹿」みたいに叩くのは辞めようよ。それなら同じ理屈でエロいっていう奴も馬鹿だよ。
それに、他人が本当にエロいと思ってるのか思ってないのかは観測できないし、仮に観測できてもどのくらいエロく感じているのかは千差万別なはずだし、
ディストピアみたいにこの表現はこういう解釈だって強制されてるわけでもなく、強制したほうがいいわけじゃないでしょ。
仮に乳袋はエロ表現の技法だとしても、絶対エロいんだと卑猥なんだと感じないといけないわけじゃないじゃん?宇崎ちゃんポスターについては実際にオタクの中でも意見は分かれるよ。
んで、エロいから卑猥だからという鑑賞者個々人の自由に解釈した結果の主観的な尺度で議論しても平行線になってしまうわけよ。
校則で「スカート丈は膝下何センチとする、それより短いのは風紀が乱れるので禁止」としたときの膝からの長さのような、客観的な尺度を議論するほうがまだ実りがあるよ。
ただスカート丈をいくら長くしようが短くしようが解釈する人が必ずいてその解釈は十人十色なんだよ。
解釈をもとにした議論じゃ一向に解決しないので別の点を探ろうよ。まずは。
あと、個人の主体性に依らない女性をモチーフにした表現物(女性を描いたイラスト等)に対する解釈を誰かが都合よく他人に強制させることができて、特に性的に解釈するのは害という考え方ね。
いや、そういう考え方してもいいのよ?いいけどそれで他人が自分が思った通りに解釈をしなくて困るって他者の自由意志を蔑ろにしてると思いません?
逆にあなたは誰かにコントロールされてますか?誰かに解釈を強制されてますか?
強制されてないってことはあなたが乳袋を見たときに卑猥と思っても卑猥と思わなくてもいいんですよ?卑猥と思ったのはなぜですか?そして卑猥だと解釈することだけが正しいとするのはなぜですか?
逆に卑猥じゃないと思ったのはなぜですか?その解釈のみが正しいとするのはなぜなんでしょうか?
製作者が意図してる以外の解釈は製作者から見ると間違っているけど、だからと言って鑑賞者の解釈をすべて縛れるわけがないじゃん。
他人なんだから原理的に不可能だよ。洗脳のような暴力的手段なら可能かもね。
あと勝手に他人の脳内を性的に解釈してると想像して、性犯罪予備群だ、オタクは悪だ、男は悪だみたいな連想ゲームをして気持ち悪がる人いるよね。
他人の脳内を勝手に想像してもいいけどさ、それが現実に存在する人全員に当てはまるわけじゃないし、そのうち何人が性犯罪者なのか確かめたわけでもないし、オタクだろうがDQNだろうが犯罪する奴は犯罪するんだよ。
ネットであなたが勝手に想像する犯罪者予備軍の存在や趣味嗜好を叩いても実際に犯罪するという行動を止めることはできないよ。
他人は基本的にコントロールできないんだよ。他人の行動や思考を制御することはできないんだよ。
お願いや命令や実力行使をすれば行動は制御できるかもしれない。けど思考解釈感じ方に関してはお願いや命令や実力行使をしても本当にその思考をやめたのか観測できない。
残念なことに、世の中の表現物をなくしても実際の人間を見て性的に解釈する人は無くならないし無くせない。
実際にあなたを見る男の思考を観測できない以上、どう見られているかはわからないんだよ。
性的に解釈してなさそうに見えても、実際に内心で性的に解釈してるかどうかは本当のところは判らない。
性的解釈してますか?と聞いて、していないと返事があっても嘘を言っているかもしれないし、そうでないかもしれない。
これは犯罪に遭いたくない犯罪を減らしたいという気持ちを否定してるわけじゃないよ。
交通事故が怖い人はたくさんいるだろう、痴漢の被害に遭いたくないよね。それらに巻き込まれる可能性を排除しようとして家から出ないのはそれはそれで困るんじゃない?
ということは世の中の人たちは少なからずそういうリスクを抱えて生活しているんだよ。意識してるかしていないかは別として。
宇崎ちゃんポスター等を見て過去の経験からトラウマになっていて耐え難いとするのももちろんいいのだけど、まずあなたに必要なのは傷ついた心の癒しであって、何か叩くことではないです。
それに世の中から宇崎ちゃんポスターみたいな表現を無くすことで個々人が何か誰かを性的に解釈をするのを無くすというのは不可能だし、違う方法がいいんじゃないかな?
世の中の人たちは寛容になりたいはずだと思う。
他人の何かを認めない自分より、認められる自分のほうが好きなはず。
ただ、人は気分が良かったり余裕があったりすればするほど他人に対して優しくしたり親切にできるけど、暴力を受けたりひどく傷つけられたり裏切られたり孤独だったり等のダメージを受けると被害者意識が寛容さを失わせてしまう。
そこで傷つけられた人たちやそれに同調する人達は、自分(達)以外の他人が不寛容に見えてしまったり、
さらにエスカレートして直接自分に被害を与えたわけでもないものや、イラストの人物と自分を同一視し他者の視線を想像してまでひどくおびえたり恨んだりしてしまう。
もう一度言うけど、傷つけられた人たちに必要なのは他者からの適切な助けや癒しであって、他人を叩いたり否定したり馬鹿にすることではないよ。
しかし、同調する人は回復を助けはしないどころか、一緒になって叩いたり恨んだりすることに快感を感じたり存在意義を見出してしまう。
恨まれたほうもまた、被害者意識を持ちループが始まってしまう。
「私はこういう理由で困っているから助けてほしい、こうしてほしい」は他者に伝わりやすいが、「なぜこうじゃないんだ!これは間違っている!これは許せない!」というのは伝わりにくい。
他人に伝えても、結局他人はコントロールできないのでさらに傷ついてしまうこともある。ただそのダメージを最小限に抑える方法もある。
必要なのは、傷つけられた人たちが他者に寛容になれるくらいまで癒されたいと思い、実際に癒されること。適切な人からの助けや癒しだと思う。
ラグビーワールドカップが盛り上がっているのはラグビーファンとしては何より。ぜひ多くの人に、残りの試合を楽しく観戦してほしいので、自分が初観戦の友人に対して解説する戦略的なポイントを共有したい。自分の友人は理系で、サッカーは知っていることが多く、そういった人を想定している。
一対一のスキルも見どころだが、ここでは大局的に見るために、「陣取り」と「数的優位」の要素に注目する。これだけで、ラグビーが面白く見えるはず。増田を書くのは初めてなので、そのあたりはあしからず。
サッカーから派生したラグビーだが、サッカーと大きく違うのは陣取り合戦的な要素だ。その点、アメフトとは似てるが、自分はアメフトとも大きく違う(蛇足:観戦者としてはゲームが頻繁に切れ、攻守交代がはっきりしている点ではアメフトは野球に近いと思う)
まず、基本はボールが両軍にとっての先頭である。これを規定する原則が
ノックオン=「ボールを前に落としてはいけない」もこの原則から来る反則だと思うと覚えやすい。
である。これを違反すると、基本的にオフサイドになる。オフサイドはサッカーと違い重い反則で、ペナルティキックから失点をするリスクがある。
これにより、攻撃側が、アメフトのように、味方プレイヤーを前に走らせ、前にパスを投げて陣地を進めることができない。これはスローフォワードかつオフサイドだ。一方で防御側は、ボールのラインを超えて要注意選手をマークすることはできない。愚直にボールラインまで戻って、前に出て、戻って、前に出て、を繰り返さなければいけない。(これを80分やるなんて常人はむり。)
なので、試合をみるとすぐわかるのは、防御側はボールを先頭にズラーッと一列に並んで前に出てくるのに対し、攻撃側は扇状に陣形を整えて、後ろに投げてもらえるように準備している。
トライを取るためには自分の陣地を前に進めなければいけない。そこで、ボールを持ったプレーヤーには3つの選択肢がある。
まずは単純にラン。これが基本的に前に進む手段。パワーやスピードがあれば単純に相手がいようと前に進む。
次にパス。これは後ろに投げなければいけないので陣地を失う。ただ、メリットとしては後ろから選手が走り込んだ場合は勢いがあるので、突破すれば自ら失った陣地を回復しおつりがくる。また、パスでは攻撃を外に展開できるので、数的優位ができている場合は、パス→ラン→パス→ランとつないで、前に進むことができる。けど、パスは「どこを攻めるか」という選択肢を与えているだけで、前に進むにはやはり走るしかない。
このランとパスが攻撃権を保持ながら前進する基本プレーになる。ではキック。
パスと違い、キックは前に蹴ってもいい。したがって大きく陣地を進めることができる。ただし、攻撃権を一旦離すことになる。相手陣地に蹴り込むので、相手に攻撃権を放棄する代わりに、陣地を獲得するわけだ。キックは主にスタンドオフが行う(田村選手)。
ただし、ノーバウンドで外に蹴り出すと、蹴ったところまで戻されて、かつ相手ボールから始まる。ただし、ワンバウンドさせて外に出すと出したところから相手攻撃になり、陣地を回復できる。楕円球をワンバウンドさせて外にだすのは簡単ではなく、運動量保存則が重要だ。簡単には陣地を獲得できないようになっている。
ただし、ピンチの場合、自陣22mの実戦より後ろからはノーバウンドで蹴り出してもオッケー。出たところから、相手攻撃で再開する。
あとキックにはもう2種類あって、コンテストキック(ハイパント)とキックパスも簡単に説明する。これは味方と連携して、攻撃権を相手に渡したくないが前に進めるときに使う。高校生の時にこれをやると監督から怒られたが、ワールドカップレベルだと頻繁にみられる。
コンテストキックはあまり奥に蹴らず、高くあげて滞空時間を伸ばす。そうすることで、攻撃側が落下点に行くことができ、獲得すれば相手の防御ラインの裏から攻撃することができ、大きなチャンスになる。
一方でキックパスは、高い精度のキックを使い味方に「パス」する。ニュージーランドなどが得意とするプレーだ。これはアメフトのプレーに似ているが、味方は蹴った時点でボールの後ろから走り込まなければいけないので、滞空時間も計算に入れないといけない。
これが決まればトライをとりやすいので、ゴール前、とっくにアドバンテージが出ている状態で起きやすい。
((アドバンテージ: 防御側が反則をおかしたが、すぐ止めると攻撃側に不利なので、プレーを継続させ、プレーが停滞したりターンオーバーが起きると、前の反則に戻り元の攻撃側から再開する))
陣取り的な視点は、グラウンドを縦にどう使うかという話でより大局的。数的優位は「横」の話で、どう突破する局面を作っていくかという点につながる。ここにラグビーの戦い、犠牲の精神、チームプレーが現れる。
まず、グラウンドには両軍ともに同じ15人いる。ボールを前に投げれないので、両軍入り乱れることはなく、15人マッチアップしていればなかなか突破できない。
そこで局所的に数的優位をつくり、攻撃2対守備1、攻撃3対守備2などの局面を作っていくことが重要になる。ではどうするか?
まずは近場でボールを展開し、FWを中心として相手に当たり、相手の人数を集める。ほとんどの場合でこのアタックは突破するためでなく、自分たちを犠牲にして外の数的優位を作っているのだ。これを右に左に目先を変えながら何次攻撃も繰り返す。ここで大事なのは、スクラムハーフ(田中選手、流選手)がテンポよくボールを出し、タックルされたプレーヤーは敵が寝ている間に起きて次のプレーに参加すると、グラウンドでは12vs14になったりする。
また、自分ひとりで相手一人以上あつめるには、敵プレイヤーの間に走り込むと、敵二人を巻き込むことができ、数的優位に貢献する。さらに裏に出てパスをつなぐ「オフロードパス」が繋がれば、敵を背走させることができ、さらに優位になる。
大きい相手が小さい相手に当たりに行けば、敵はサポートに行かざるを得ないので、これも数的優位を作れる。
大事だからもう一度書いた。日本は強豪国相手だと体格のミスマッチで不利になりやすいので、ダブルタックルなどで敵一人あたり、一人以上割いて対応している。なので、早く立ち上がり、フィットネスで体格的不利を補っている。稲垣選手やトンプソン選手が玄人好みなのもこういったところにある。
こうやって形成された数的優位を、主に外のスペースを使ってスピードのあるバックス(福岡選手や松島選手)が突破しにかかる。
逆に数的に不利な場合で外に回ると、プレーヤーが孤立して、ジャッカルでボールをもぎ取られてピンチを招いてしまう。
他にも、スクラム、ラインアウト、モール、ラックなど色々あるが、陣取りと数的優位を意識するだけで戦術的に観れて、ラグビーが面白くなることを期待している。
眼瞼下垂。
まぶたの筋肉が弱く上がらない病気なんけど、これを書いても普通の人に感覚は伝わらない。
なったことがある人でないとこの病気の苦しみはわからないと思う。
まぶたが上がらないだけでしょ?頑張ってあげればいいじゃん。
無理にまぶたをあげようとするから顔のいろんな筋肉に力が入る。
頭の筋肉は首肩と繋がってるから、肩こり首こりはあって当たり前。
肩の筋肉は背中、背中の筋肉は腰と繋がるから、要するに全身が凝った状態。
さらにまぶたには神経が通ってて、まぶたが上がらないとこれを刺激するから自律神経が乱れる。一日中心臓バクバク。
これを書いても誰も分かんないと思うけど。
まぶたを上げるトレーニングは全部嘘。
普通の人でもあれすると俺と同じ苦しみを味わうことになるからやめろ。
手術はもちろんした。一昨日で6回目。
これがね、何度やっても治らないの。
目は十分開くようになったけど、まだ症状が残る。
再手術もできるけど、6回もしてるし、そろそろ限界が近い。
糸を打つところがなくなってくる。
できるとしても3ヶ月後だから当分これと付き合わなきゃいけない。
慢性的な全身の怠さ、頭が締め付けられることから来るストレス。
顔の筋肉の緊張で、顔の肌荒れがひどい。
みんな日々辛い辛いって言ってるけど、全然屁でもない。
体が健康ならなんでもできるよ。
俺だってみんなみたいに楽に生きたい。
体の筋肉が緩まる。頭がスッとする。顔の肌荒れが治る。
夢見たいだわ。なんで俺だけこんななんだろう。
なんで神様は6回も手術してなお俺を許してくれないんだろう。
見た目だって、まだ目の形を保ってるけど次やったらどんな目の形になるのかいつも怯えている。
3ヶ月後また手術するんだろうけど、それで治るとはもう思えない。
この苦しみを抱えたまま仕事をこれからずっとして、定年して老人になって死んでいくと考えると、本当に心の底から怖い。
死んだほうがマシだと考えてしまう。
今までは死ぬぐらいなら全部金投げ打ってこの病気治そうって思ってきたけど、いつ気が変わるかも分からん。
とりあえず、神仏に祈るだけは毎日してる。
まだ他の人のことを思う余裕はあるので、これを見た人は、まぶたを擦るとか、コンタクトでまぶたを強く上げるとか、まぶたを引っ張るとかガチでやめてほしい。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.sanspo.com/geino/amp/20191003/acc19100319320001-a.html
モラルに問います、とツイッターで調べる。視覚障害者が駅のホームから転落。人身事故が起きた。ブルーシートで隠して作業を行なっていたが、そのブルーシートの隙間からスマホを突っ込んで撮影する猛者が現れた。そこで駅員さんがモラルに問います、ってアナウンスした、って話らしい。
昨晩、トレンドに入ってるのを見かけて、ふと気になって押した。ネットニュースのリンクを貼って、様々なツイートをしている人たち。
ツイッターで語る人たちと盗撮した人たちとマスコミ、一緒じゃね?と最初は思った。
でも、それは極論。
盗撮する人たちはモラルのないダメな人たちなのだろうか。純粋にその一点で考えたい。
盗撮という言葉に悪いニュアンスが含まれるので、撮影者とする。
・撮影した映像を見て、面白がる(快楽を得る)ため。これは喜びに限らない。怖いものを外野から眺めることで、恐怖を得ることを目的にするエンタメ(ホラーetc)もある。
・ジャーナリスト的使命感。隠されたものを隠されたままにしておくのは危険。相互監視社会では全てがオープンであることが理想。もし、ブルーシートの中で遺体を雑に扱ったりしていたら、指摘する必要はある。また、亡くなられた方の姿も1つの重要な情報である。周囲の人身事故に対する思いも変わるし、飛び込み自殺への抑止力になる可能性もある。
・純粋な知的好奇心。電車に轢かれたら人はどうなってしまうのか。遺体の処理はどのように行われるのか。わからないことはモヤモヤする。僕はこれに一番共感できるかな。なぜ撮影してしまうのか、とかわからないことはモヤモヤするし、そのために調べたり考えたりすることは心地よい。僕自身も不謹慎でモラルのない人間なのかもしれない。こんなこと誰にも言えない。ポイズン。でも言ったら、それはそれでポイズン。
次に撮影者をどうして止めたり、断罪する必要があったのかについて。それに関して誰もが撮影しだしたら秩序が乱れるから、というのが1つ。独占禁止法ってのがあるっぽいし(詳しくはわからんけど)。撮影取材報道をマスコミの特権にするのは違う気もする。みんながやりたいことやったら文明社会が崩壊する。けど、それが民主主義なのかな、滅びるなら滅びればいいんじゃね、とも考えるけど。自分は死にたくない。
ま、でも大前提として、超えてはいけない一線を超えたってのはあると思う。ブルーシートにスマホを突っ込むのは、周囲から見るとインパクトあると思う。じゃ、外から写真一枚パシャリならセーフ?写真動画がNGで、文章でツイート、LINEする程度にするべき?写真NGでも、イラストなら?と疑問は絶えない。
モラルに問います、深い言葉だ。僕にしっかりとしたモラルはないけど、問い続けなければならないのかな。いつか断罪される恐怖に怯えながら。
思い返す渋谷ハロウィンで車をひっくり返した事件。僕の世をしのぶ仮の姿はコミュ障で隠キャだからああいうことになることはないと思うけど。調子にのってしまうところがあるから。イケてる感じだったらヤバかったと思う。コスプレして、練り歩いて、フリーハグして、夜が明けたらゴミ拾いする。そんなバランス感覚は凄すぎるし、僕には無理な気がする。
怯え怯え生きている。自分が周囲に不快な思いをさせてないか、ビクビクしている。その反動で、内弁慶な面があって、親しくしてくれる素敵な人たちに失礼な態度をとってしまう自分が嫌いだ。
いつか信じられるモラルを手に入れられるのだろうか。なんか信仰を持ちたい気分。出家するべきかも。とか言ってもギャグ。宗教に怯えながらも、アウトローにもなりきれない僕。そんな僕が案外好きだったりするからタチが悪い。
「花譜」という名前で活動する15歳のアーティストがいるらしい。
現代らしくヴァーチャルな肉体に身を包み、可愛らしく繊細な声で様々な曲を披露しており、
Twitterのフォロワーは6万人以上、自身のYouTubeチャンネル登録者数は現時点で18万を超えている。
私はこの「花譜」というアーティストの存在に全く詳しくないので、詳しい紹介やこの曲が作られた経緯とかその他諸々は割愛する。
んで、その女の子がワンマンライブで披露したこの「不可解」という曲。
https://www.youtube.com/watch?v=NDOJZSG9SPU
この「不可解」を作詞した人は「カンザキイオリ」という"ボカロP"だそうだ。
有名どころでいえば「命に嫌われている。 」だろうか。
以下、歌詞
そういうことをこれから考えなくちゃいけないんだ。
そうでしょう?だって学校なんかじゃ責任感とか、団体行動だとか、
ありもしない、意味もない将来のためとか言って教えてくるじゃん?
そう思えばなんだか人間全てが汚く思えてくるな。
「寂しい」とか、「愛しい」とか、
そんな言葉では表せない。
不可解な未観測情景。
名前のない花のような、
悠に咲き乱れるこの号哭が、
やりたいことすらできなくて、
身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。
言葉じゃ表せない。
「人間の正しさってやつを今勉強してるわけですが、セオリー通りに生きて、
教えられた通りにやることが、そりゃ正しいと思うよ。
でもさ、きっとそれだけじゃないでしょう?」
激動とも言い難い、どうにも表せない歪な感情。
「死にたい」とか、「生きたい」とか、
そんな痛みでは嫌われる。
でも不可解な未完の声明、
それだけが頼りだろう。
ずっと未知なる現実に無力で、
生きることも難しくって、
身動きすら取れない、疲れた肺がかなった。
画面に花が咲いて、
このまま清く正しく、
誠実な人になることが、
それだって正解の一つだ。
でもそれで満足できないのは皆わかってるはずなんだ。
だってそうでしょう?
満足してたらこんなところで歌なんて歌わない。
こんなに苦しくならない。
こんなところで踊らない。
こんな気持ちで叫んでない。
こんなに美しくなれない。
こんなに楽しくなってない。
踏み潰された涙が固まってできた、
不可解な未観測情景。
名前のない花のような。
悠に咲き乱れるこの号哭が、
やりたいことすらできなくって、
身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。
言葉じゃ表せない、
不可解で不完全な魔法。
そういうことじゃないでしょう?
心が打ちひしがれたあの不確かな情景を綺麗だと思うのは
きっとそれこそが人間の証だ。
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kafu/fukakai/
「お金・ビジネス・効率についてだけ考えること」「セオリー通りに生きる事」が「人間の正しさ」「あるべき人間の姿」であると定義付けたうえで、
「清く正しく誠実」な人生を送っているだけでは満足出来ない。
しかし自分一人では突きつけられる現実や社会の波に抗えないから、不安定で不可解なネガティブ感情に苛まれている。だから歌うんだ。 みたいな内容。
その不可解なネガティブ感情や、打ちひしがれた時に見る心の情景こそ美しく感じ、その感情こそが人間の証だ、という締めくくり方をしている。
つまりは「打ちひしがれ、絶望する中にひっそりと芽生えた反骨精神」がまさしく「人間のもつべき感情」だ、という中々アツい内容だ。
こんなに中二病でアツアツな歌詞をロリロリな声で歌っており、少女の必死感が出ててバリバリ味が出ている。是非聞いてみてほしい。
付き合い始めてそんなに経ってないんだけど,四六時中彼女のことが気になってしまってどうにかなる。
暇さえあれば彼女のTwitterとか覗きにいって、つぶやきじゃなくていいねも全部監視。
家のPCで作業中なら画面の端に彼女のアカウント表示して監視。あ、ちょうど今つぶやいてるわ。
彼女はわりとつぶやく方なので、つぶいてない時間が長いとあることないこと考えてしまって心が乱れるっつーか涙出てくるわ。ほんとに。
本当はめっちゃ連絡とりたいけど、あまり頻繁に連絡するとうざがられるかなあとか考えてなかなか連絡できない。
相手もそうだと嬉しいけどさ、たぶんそんな感じの子じゃないしなあ。
今度会った時にこのクソメンタルのこと話したいけど、引かれてしまうかもしれん。
いやそう思うだけで涙出てきたわ。
数日後から2週間くらい海外にいなきゃいけないので確実に2週間くらい会えない。
海外行く前に会う予定はあるんだけど、そのとき普通に泣きそう。大の大人が公衆の面前で泣いたらアレっつーかもう既に泣いている。