はてなキーワード: 主治医とは
多くの人にこの現実を知ってもらえただけで、匿名でも公表して良かったと思います。
もし自分の身近な人間が性被害に遭ったときのために知っておきたい
恋人は通報を渋ることを怒ってしまい、萎縮した私は「1人で出歩くときは十分気をつけます」と自分の危機管理不足を謝りました。
実はこの件が起こる数ヶ月前に、都内ターミナル駅付近のトイレにて襲われ、男性器を口に突っ込まれるを被害を受けていました。
性被害を2度も受けたことに、恋人自身も怒りや無力感を味わったのだと思います。
それから被害にあってしまったのは、自分のせいだと反省し続けました。
関係性にもよると思いますが、隣にそっといてくれるだけ、自分の味方であると宣言してくれるだけで、何よりも心強いです。
また、「辛かったね」「言ってくれてありがとう」といった共感してくれる言葉が欲しかったのだと思います。
心身共に男性の方です。
性同一性障害の人間が自分の性自認と同じ性別を好きになることは、数年前まで
性的少数者の中でも仲間はずれにされてきたこと、一般的に混乱を招いてしまうため
女子高生と男子高生の制服を両方着て、電車通学をしていましたが、両方とも痴漢にあいました。
合わせれば片手では足りない回数です。
また、幼少期(当時は女児)に、公衆トイレでいたずらされたこともあります。
性被害は一種類で決められるものではない、それだけではないのが現実です。
嘘だと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、嘘だったら良かったです。
どうか、多くの人に知って頂けたらと思います。
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辺りはあまり人気がなく、何となく帰り道で歩いていた矢先だった。
そのまま個室に追いやられ、脅された。
「黙ってれば殺さない」
自分よりも背が高く、とても抵抗出来る力は持ち合わせていなかった。
男性ホルモンの投与をしていれば女性よりも体は筋肉質になると言われているが、
日頃から鍛えているわけではなかったので、圧倒的に負けた。
大声を出すということが思いつかないくらいには、パニックだった。
人間、びっくりすると力も声も出なくなる。
体を触られ、股間に手が伸びた時点で、体が女性だということがバレた。
「お前女なのか」
男は私を男だと思って、襲ったようだった。
そんな希望的観測は、一瞬にして砕け散った。
「妊娠させてやる」
「女で生まれてきたくせに」
たくさんの罵詈雑言が降っていたが、私の防衛本能のせいか途中から聞こえなくなった。
ただ、屈辱的だった。
男性器を口に無理やり入れられた。
殴られるような衝撃と不快感が一気に襲ってきた。
男はいつのまにかいなくなっており、私は何とか家に帰ったようだった。
多少は受け止めて慰めてくれるかと思っていたが、恋人は怒りのあまりそれどころではなかった。
話したのは失敗したと思った。この件は自分の心にそっと閉じ込めておこうと思った。
しかし、自分の性別をカミングアウトすること、事の顛末を事細かく警察に話さなければならないことは、警察へ行くのを躊躇う要素になった。
先日、以前からかかっていた精神科の主治医が私の様子を察してくれ、話を聞いてくれた。
「警察にとっては、あなたのような被害があると知るだけでも情報になります」
声変わりをしているため、電話をかけた時点で男性だという認識で話が進んだが
根掘り葉掘り聞かれ、状況を喋っている途中で自分の性別を話すことになり、声が震えた。
名前や住所を聞かれたが、伏せた。
更に戸惑った声が聞こえた。
「大丈夫です」
自分のセクシャリティを名前とともに公表することは、簡単に譲れることではなかった。
電話を切り、一気に体の力が抜けて、震えた。
その日の夜は恋人と会って抱きしめてもらったが、何も言われなかった。
ただ寝る前に、「頑張ったな」と言われて頭を撫でられ、初めて泣いた。
何も言わずに怖い顔をしていた恋人は、加害者に対する怒りに震えながらも、それを私にぶつけることをせず
ただ冷静にじっと我慢し、現実を受け入れることに徹していたのかもしれないと、ふと思った。
もう泣くのも、この件で悲しむのも、この日で終わりにしようと思った。
女性の方も、男性の方も、私のような性別の方も、そうでない方も
性被害に遭い、声を上げられない方は、たくさんいるのかもしれません。
必ずしも声を上げることが正解ではないと思います。
得られるものが、失うものよりも必ず大きいとは言えないからです。
①のシステムで受け持ち件数を見た時に、ケアマネ一人あたりの件数があまりにも多い事業所も避けたほうがいい。
一人35件以上(要支援者を含めて39件以上)受け持つと報酬減算になるから、そんなに沢山受け持っているケアマネはあまり居ないはずだが、たまにいる。
受け持ちが多いケアマネは、心身に余裕がないか、一人ずつへの対応をテキトーにしてるかのどちらか。
あと、個人的には医療ニーズ高くても看護師あがりのケアマネじゃなくていい。
看護師の資格を持ってても、ほとんど看護師経験がなかったり、たいした医療知識のアップデートをしてない場合が多かったりする。そもそも優秀な看護師ならわざわざケアマネしてない。本気で在宅介護に関わりたいなら訪問看護とかしてる。
高齢者特有の病気なら、介護職あがりのケアマネでもそれなりに知ってたりするし、
医療依存度が高ければ主治医とか訪問看護とか医療専門チームと連携を図ればいい。ケアマネの仕事はケアマネ本人が病気を治すことではなく、専門家との連携を上手く図ることだ。
介護経験者のほうが、親身になって話聞いてくれるし、アドバイスくれたりする。もしかしたら認知症については看護師より詳しいかもしれない。
今40才。約3年をかけて色々なものへの意欲を失った結果人生が詰んだ。
意欲を無くすという事がこれほど恐ろしいことだとは思わなかった。
初めは料理ができなくなった。
10年以上自炊してて料理好きとは言えないまでも生活サイクルの一つとしてこなしていたのに急にお米すら炊けなくなった。
同時に不眠も併発していたので心療内科に通い始めた。眠れるようにはなったがご飯は作れなかった。
次に自分の見た目に対して興味がなくなった。
見た目を整えることは好きだったし洋服も好きで買いすぎないよう毎月気をつけていたくらいだったのに何も欲しくなくなった。
美容院に行ってもやりたい髪型はなく、洋服は欲しいものがないので買わない。
そのうち美容院に行くことすら面倒くさくなった。
一番やばいのは体重すら気にしなくなったこと。3年間で10キロ太った。
歳の割に小綺麗だとお世辞でも言われていた自分はもういない。
ここまでが意欲をなくし始めてから2年くらい。
かろうじて趣味活動は出来ていたので甘く考えてたが、気持ちの落ち込みと不眠は改善せず薬だけ増えていった。
何かをする事がとにかく面倒臭くて友達付き合いも酷いものだった。結果何人かの友達を失った。
様々な意欲をなくし始めて3年目。
ついに仕事に対しての意欲がなくなった。
web制作会社に身を置いていたのでこのことはかなり致命的だった。
やってやろうという気概が持てない。
自分の目標をクリアしようという気持ちも起きない。延々と目の前のチケットを消費するのが精一杯。
そんな中、社内でやらなければいけないことが増えた。フルスタックな人材を要求され困り果てた。もちろん話し合ったりもしたがやらなければならないこととされ、ただでさえも気力が足りてないのに重い石が頭上に降り注いできた。
心療内科でもらう薬は限界量MAXになるも何も改善に至らなかった。眠れない時は眠れないし、やる気が蘇ることも気持ちが楽になることもなかった。
趣味はほとんど畳んだ。3ヶ月に1回くらい趣味に時間を割くことがあってもそれを楽しみに生きることはなかった。
結果、定職を失い貯金を食い潰し日払い派遣でなんとか生活する中年が誕生した。
こういう話をすると親や親族に頼れって言う人が出てくるけど、半年前と2年前に親から帰ってくるなって言われてるので帰るところがないんだ。
日払い派遣は時給も安く生活は苦しいが、頭を使わずに働くのは楽で精神も安定している。
心療内科通いは辞めた。一度主治医がいない時に通院したら代理の医者が処方量にドン引きして減薬を始めたことがきっかけになり断薬した。3年経っても改善しなかったしな。
この全ての意欲を無くす前、私は努力を重ね派遣社員から正社員へ昇格し年収も100万以上アップさせた。
なのに自ら派遣社員に戻った上年収もその時以下に下がるなんて皮肉だなと思った。
全てのことに意味があると思い生きてきたが、さすがにポジティブな意味を見出せない。
そして何かしらの意欲を取り戻したかというとそうでもないところが一番怖い。
相変わらず料理はできないし(米は時々炊けるようになった)自分の見た目はどうでもいいし何より仕事への意欲は皆無だ。
意欲が皆無なのでまた再び正社員を目指すことも老後を考えることもできない。
「何かやりたい」という思い、それが「お寿司を食べたい」だとか「早くあのゲームやりたい」でもいい、そういう類の気持ちがごそっと失われているこの状態が一番怖い。意欲や興味を持てず、このまま老いていくのが怖い。好奇心だけで行きてきたような若い頃からは想像がつかない状態だが、もしかしたらこれが老化なのかもしれないとも思った。
相変わらず貧乏で気持ちの変化も何もないけれど、生を終える時は楽しかったと思えるのかな。あの時変に頑張らず現状維持を選んでおけばよかったのかなど思うことはあれどどうしようもない。
せめて、何か一つでも楽しみに生きる人生にしたい。
京ゴミくんよりステロイド服用量多く(15mg/day)免疫抑制剤もバリバリ飲んでたときに普通に親知らず抜歯手術を近所の歯科口腔外科クリニックで受けたから、主治医に自分の考えや希望を伝えた上で手術やろうと思えばできるはずなんだよねー。抗菌薬とか出してもらえる。場合によってはステロイドカバー。
まあ、あとは飲んでる薬とか関係なく、エステ関係も「膠原病の方お断り」と明記してるところが多いです。
だからワイは自分の持病を黙ってエステ無料体験してポイント貯めたりしてまーす。
レーザーとかになったらさすがに主治医に相談するが、ただのエステ体験ごときで誰がバカ正直に持病を申告するかっつーの。
京ゴミくんは膠原病なわけじゃなくただのネフローゼだから行けると思うんだがなー。
あと就活のとき持病のこと伝えてる? 黙ってる? 黙ってたほうが圧倒的に有利だし、申告しなくてもあんまり関係ない病気だから絶対黙ってそう京ゴミくんて。
医療保険の制度で定められている疾患別の入院可能日数をしっかり把握しておきましょう。
ベッドの回転数を優先してその事実をひた隠しにするケースが多いです。
制度上は何日間リハビリを受ける権利がある疾患に該当しているのかを
患者側から主治医なり社会福祉士なりに確認をとる事を強くオススメします。
もしも入院可能日数と入院予想日数に許容できない程の開きがある場合
何故日数に開きがあるのか患者側から積極的にしっかり議論を仕掛けてください。
そして医師側からご自身が納得出来る答えを引き出してからサインをしましょう。
サインした後で日数の開きを嘆いた所でほぼ後の祭りになります。
再転院先の医者からは既に回復期で行える内容のリハビリは終えてると判断され
受け入れを拒否されると思っていてください。
情報の非対称性による敗北感を私以外の他の患者さんに味わってほしくないので
ここに記録として残しておきます。
マイスリーちゃんはラムネみたい、とかいうクソみたいな文章を投稿してしまっていた増田です。
匿名ダイアリーは、書き残したものを確認できるので自分を観察するのに便利ですね。
以前はTwitterでラリった投稿を繰り返してしまい、フォロワーがいなくなったりアカウントを閉鎖することになったり、色々ありました。
おかしな投稿、やりたくてやっている行動ではないため自分でも早くやめたいと思っています。
ラリった投稿の内容は全てが本意ではありません。
主治医に相談するのが一番なのですが、相談しても薬を変えてくれない人なので、近い内に転院してきちんとしたところで治療を受けようと思います。
残す必要性もないけど書いておきたいことを、匿名で残しておけるサービスで、自分の状態を客観的に判断することができて助かりました。
今日は睡眠薬をラムネじゃなく「睡眠薬」として正しく使うことを誓います。
昼間、かなりの距離を歩いて体にも適度な疲労を与えたので、今日はすとんとねむれそうです。服薬してすぐ布団に入ります。おやすみなさい。
以前マイスリーでラリッて変な文章を書き残してしまった増田です。
あれからも何度か匿名ダイアリーに投稿してしたようで、いくつか書いた覚えのない文章がホッテントリ入りしていた。
椎名林檎は風俗嬢だと思っていた、とかいう中二病全開の文章を載せてしまっていた。
投稿するつもりのない文章だったので、勝手に投稿されていたような気持ちになり本当に驚いた。
今このキーボードを打っている自分も自らの意志で文字を打ち出しているという意識はないに等しい。
マイスリーが効いているのかいないのか分からないこの状態で、指を動かすのはなんとも表現しがたい快感なのである。
自分のクリトリスを刺激するときのようなざらざらとした期待に満ちた感情なのである。
私はマイスリーを乱用しているわけではない。
時々服用してもなかなか眠りにつけず、いてもたってもいられなくなりPCを触り始めてしまう。
私はいちおう物書きの端くれなのだけれど、こんなにも書きたくてたまらなくなるのはこの時だけなのよね。
もちろん主治医にはこの症状のことは言わない。
ラムネみたいにおいしいおいしいマイスリーちゃんが食べられなくなちゃう。
「実物を見せてくれないとわからない」
四角いかたち、といわれたら四角いものをみせてくれないと何が四角だかわからない
優しい人間になれ、と言われたらどう優しくするべきかわからない
小学生のとき「いじめはダメ」と言われたからいじめられている子と仲良くした
いじめられたことがあったから「いじめ」とはなにかが分かっていた
「無視する」「悪口を言う」が「いじめ」だというのは親が教えてくれたように思う
恨めないかわりに、ただひたすらに人間に対する「◯◯」が植え付けられたように思う
最近、その「◯◯」に「恐怖」という言葉をつけられることがわかった
私は誰も彼もを怖いと思っていたようだ
確かに震えていたし、人と会いたくなかった
ある時、先輩に「あなた、怒られていたね」と言われたことがある
私はそれが「怒られていた」と認識できていなかったので驚いた
怒鳴られたら「怒られた」とわかる
だけど「それは違います、こうしてください」という普通の言葉は
実のところ、小さい頃から、怒られたことが一度しか無いと思い込んでいた
本当のところはめちゃくちゃ怒られてたんじゃないだろうか
今となってはよくわからない
こうして、他の人より十年から十五年遅れくらいで、感情や現象に言葉をつける作業をしていた
人間関係で無理をしていた時期に幻聴や幻臭、被害妄想、倦怠感が出た
統合失調症かと思ったが躁鬱だった。薬が効いているので多分あたり(お医者さんはすごいな)
単に病院の方針で診断名をつけないだけで、つけようと思えばいつでも診断名をつけてくれる感じだった
WAIS-IIIの検査結果を見たとき、あまりにもグラフがガタガタで「ウケる」と言ってしまった
あとはもう、色々ブンブンと高低差があった
見て落ち込む人もいるらしいが、私は不整脈の心電図みたいなグラフに爆笑してしまった
「こりゃないわ〜」と思った
これは普通じゃないなと、明らかに目で見てわかったから、面白かった
「ちょっと変わった子だけどいい子だな」と思ってもらえたらいいですね、と主治医に言われた
大学生になってまでひたすらいじめられるのも、無視されるのも、「アスペ」だからなんだろうなと思えた
でも、正直もう疲れた
自分すらさっぱり理解できていないのに、他の人間の「わからない」行動に振り回されるの、しんどい
私、どうやって生きていったらいいんだろう
「ヤフーチャット万歳」の人の主治医(80過ぎの爺医)が、プレコックス感があるからキミは統合失調症ねって診断してそれが誤診だった(精神鑑定では自閉スペクトラム症)というアレ。
NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本の精神医療の実態。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html
鹿児島県立姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
携帯は使えない。
退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地を制限される患者(病院周辺のみ)も多い。
主治医は選べない。変更も出来ない。
必ず預ける事になり、おやつの時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。
マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止を強要しているのよ。
だから、女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛を禁止されているんだ。
医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。
姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者が姶良病院の元看護師長で、会社を設立している。姶良病院の近くに居住を強要して、その元看護師長がアパートの保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院の許可がいる。
262 2018/02/09 18:05
南日本新聞の患者インタビューも病院に対して不満を持っている患者は対象に選ばれなかった。都合が悪い事実を暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院の真実は明かされる事はない。
#266 2018/02/09 19:22
都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」
(注)
「南日本新聞の患者インタビュー」鹿児島の地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこの病院のルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/
なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html
チェインバーが荷受けなどの仕事をはじめた。レドは手持ち無沙汰で笛をつくっているが、エイミーの話を聞きながら自分でも働きたいと思うようになり、いくつかの職場をまわる。就活はうまくゆかず、牧場で牛糞倉庫を見て逃げ出したのを最後に戦線離脱。
警報音とともに凪となる。ガルガンティアの電源が落ち、各スタッフはメンテナンスと休憩にはいる。ピニオンとエイミー、レドをバーベキュー大会に誘う。海に面したひとつの艀の上が会場。チェインバーが艀の端に降りると艀は傾きちょっとしたビーチがあらわれる。海水浴のため水着になった少女たちは戦闘服のレドを押し倒しパンツ一丁にしてしまう。エイミーの友達や弟、主治医の先生などもあつまり焼肉大会の準備がはじまる。
宇宙育ちで地球2日目のレドはカナヅチ。エイミーに手をにぎってもらってバタ足の練習。肉を焼きはじめるピニオン、電源が復旧しないことのほかにある忘れ物に気づき、その調達をレドに託す。
真面目なレドは任務をもらったと意気込むがピニオンはちょっとおもしろがっている。
任務を帯びてひとり船体の奥へ向かうレド、パンイチにアロハシャツ一枚で向かうのはゲイバー街。レドをみオカマたちは発狂、レドの捕獲をこころみ追撃をはじめる。レドはおもいっきり仕事のオファー、それも好待遇のオファーを受けるが本能的に逃走。ともかくにげまわり、さいごは塔のてっぺんの階段から落下。落下中のレドはエイミーのカイトで救けてもらい、ルートを教えてもらった上で目標付近で降下。再度パンイチ状態でゲイバー街に突撃。ゲイバー街のかたすみ、ついに目的地、占い師のばあさんの店にたどりつくレド。レド、パンツは無事だがアロハがぼろぼろ。ともかく荷物を受け取ったレド、覚悟をきめてパンイチのままふたたびゲイバー街に突入。
艀の上。
ピニオンがチェインバーの装甲板の黒いところで肉を焼き始めている。
客が増え肉はたらなくなりそう。そこにレド、ブツをもって帰還。パンツは無事だがアロハシャツは大破、上半身と顔はキスマークだらけ。ブツはレミーマルタンの瓶だが中身は婆さん特製の焼肉のたれ。この焼肉大会は就活がうまくいかないレドをはげますためのものだった。エイミーからもらった焼肉をほおばるレド、うまさに笑顔。こんどはタレをつけて焼肉をほおばる。あまりのうまさにショック。チェインバーは装甲板の黒いところをフライパンにされていた。最後まで状況を理解できないチェインバー。
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
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父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
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いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
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当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
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なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。