はてなキーワード: リマスターとは
スクエニさん、そういうとこやで。
ドラクエIIIのシナリオのボリューム感しってる層からしてみるとさ、その金額は出せんのよ。
プレイ時間伸ばすために道中とか演出を間延びさせられてもストレスだし、ストーリーを深堀りされたところであのシナリオでは限界が見えてるでしょ。
シナリオ改変なんてもっての外だし。
ゼルダばりのオープンワールドでドラクエの世界を追体験できますっていうなら別だけど、デモ画面を見てる限りはそうでもなさそうだし。
それにさ、個人的に一番嫌なのは、ドットだからこそ妄想で補完できてた部分が、HD化することで決定づけられてしまう部分よな。
あー。俺のイメージではこうだったものが、実はこうだったのかー。って、ものすごく悲しくない?
知ってるようで全然しらないヒゲのおっさんがマリオ名乗ってて。
それでいつの間にかこのマリオがスタンダードになって、自分の知ってたマリオのほうが偽物になるんだなって。
1,2もこけて、4以降は開発中止でお願いします。
ああ、思っててたぜ、3年間。
そもそもなぁ、DQ4〜8も、クロノトリガーも、11S発売から二類期最終日までに何でスイッチやPS4、Xbox、Steamにて出せなかったんだ?
ダイの大冒険もモンスターズ3もボリュームが想定未満になったのもスマホゲへのエネルギー分散が原因なんじゃねえのかよ?
今まであんたらのワガママに俺達は数年も振り回されてきたんだぞ、
スマホゲサービス開始しては1年も2年も持たずを何度も繰り返してそれで急にお金もっと必要だって?笑わせんじゃねえよ。
鳥山先生だけじゃねえよ。去年から今年の5月までにどれだけの著名人がHD2Dドラ3の正式お披露目を見ることなく先立たれてきたか?
TARAKOさんも、heathさんも、黒崎真音さんも、谷村新司さんも、KANさんも、
櫻井敦司さんも…
彼ら彼女らの霊前を廻って謝罪のお参りに行くとかも出来ないの?スクエニのお偉いさんたちは。
それにスマホゲ乱発とかこれらの事はみんな経営コンサルが決めたの?
だから数年間ソシャゲ焼畑、ドラクエ情報はぐらかし、ニンテンドースイッチオンラインへのバハムートラグーンやルドラの秘宝追加のための任天堂との交渉出来なかったの?
何時になったらファイナルファンタジータクティクスやゼノギアスをスイッチ等にてリマスター出来るの?
バハムートラグーンやルドラの秘宝、天地創造、ミスティックアーク、ガンハザード、FFUSAを追加するための任天堂との交渉に入れるの?
は? バランワンダーワールドやバビロンズフォール、ダイ大インフィニティストラッシュ、ドラクエチャンピオンズなんて出して何が格式だよ、それぞれカプコンや任天堂、ウマ娘、崩壊スターレイル、ブルーアーカイブのかませ犬に終わったくせに!
株主もさあ、海外向け写実リッチ単発モノや新規ソシャゲの催促、それにビアンカとフローラとデボラとデスピサロのどれ嫁にしたい?という質問してる場合じゃねえんだよ、危機感持った方がいいよ。
序盤のザキで死んだけどヒットアンドアウェイでなんとか倒したけどすげーつえー犬でもボコられてやるきなくしてレベルアップDLCを使っちゃったわ
放置してたこともあったから実質マイナス2~3時間くらいはありそうだけど
サブイベほぼ全無視してこれだからサブイベやってたらたぶんもっとかかったと思う
でもヴェスペリアはサブイベありきみたいなつくりになってるらしーから、たぶん味わい方としてはもったいないことしてる
あとスキットがメッセージ飛ばせねえから地味に時間食うのがうざかったなー
まあスキット飛ばせるテイルズって逆にあんのって感じではあるけど
ているずってメインじゃないスキットとかでのキャラ萌えみたいなとこがメインなとこあるからなー
スキットまったく聞かないのはできなかったから、聞けるサインが出たものは全部きいた
(一定時間放置しないときけないのとかどこどこにいかないといけない、とかみたいな条件付きのは無視
あとダウン状態の敵に追い打ちできないのがマジクソだった
オーバーリミッツっていうFF7のリミット状態みたいなのになれるのにそれやると敵がふっとんでダウン状態になるから、
結局奥義もヒオウギも一度も出さずに終わったわ
出し方わかんなかったから
覚えるまで時間かかりすぎるしスキルのつけはずしと武器のつけはずしも面倒だしでマジで最悪だった
サブイベとかスキルとかいろいろまともにやろうとしたらあと20時間くらいかかると思う
リタがかわいかったからそれだけでなんとかクリアまでいったって感じだった
さんざん言われてるけど終盤の世界を救うテンプレ展開になったのが残念だったなー
結局そっちいったらそれが敵になっちゃうやんみたいな
もっと踊る大捜査線の青島と室井さんみたいな関係とかストーリーをみたかったわ
テイルズとか軌跡シリーズとか、ガキのころにもっとやっとけばよかったなー
いろんなゲームプレイしたアラフォーのおっさんが今更まともにプレイするもんじゃねーな・・・
水着イベントとかあるらしーってクリア後に知ったけどもうやる気にはならんなー
自分の中でとりあえずクリアしたという実績、満足を得ることが目的だからな
さー次はゼスティリアだー
はよアライズやりてーわ
まともにプレイしたら、サブイベ無視したクリアだけ目指しても50~60時間以上かかったと思う
よくもわるくも昔のRPG
ただ、正直もっと短くした方がよかったと思う
これがラスボスで終わりか?って思うようなダンジョンやボスから3回くらい同じ展開で先延ばしされたから、
敵がやたらガードすんのがくそうざかった
こっちは敵の攻撃でひるんで技とか呪文が中断されるのに、敵はスパアマでこっちの攻撃無視して反撃したりしてくるのもストレス
ラスボスまでずっとちりさざめと市史専攻と古賀は斬だけだったわ
ヒオウギとか一度も出さずにおわったわ
ユニゾンシステムもただボコれる時間ってだけの認識で、結局クリアするまで一度も連携技出せなかったし
スカったらゲージ全部なかったことになるし
キャラはよかったけど、ストーリーが後半ファルシのルシ並のクソ独自用語だらけでイミフになったし
ちまたでFF10のパクリみたいに言われてたってことと、コレットにいじめしてたようなスクショだけ知ってた
めぐって解放してくのが似てるっちゃにてるけど、超序盤だけですぐおわってそのあとはいつものテイルズ節(二つの世界があって、精霊を契約してく)になるし
そういやエターニアもこうだったなーって思った
うじうじしたりトラウマーみたいなのがほぼなかったのもよかった
だからこそ味方サイドでまでストレスためさせないようにしたんだろうけど
好きっとシステムほんとええわー
スターオーシャンのPAは発生したり見るのがクッソめんどいけどすきっとシステムなら気軽に合間にみれるのがほんまええわ
キャラよし
戦闘はデスティニー2ほどじゃないけどストレスたまる仕様でクソ
人気が高いらしいけどその理由はわかったと思う
なんかSwitchの真・女神転生3HDリマスターが980円で売られてたので買ってみた。30年ぶりの女神転生シリーズ。楽しい。RPGはSFCとポケモン金銀までしかやってなかったので、PS2のゲームでも新鮮だ。
SFC時代のRPGの暗黙の情報ゲームっぷりが嫌いだった。装備品や敵と魔法の属性に相性があるとか言われても、その情報がユーザーには隠されていて、それが分かる頃には十分にレベルが高いからバフデバフ盛って物理や強魔法で殴れば十分なのが嫌い。
その点、真3は属性相性を調べて組み合わせを考えるのが楽しい作りになっていて、アナライズのコストは低いし魔法やスキルの属性は常に明示されるし弱点や耐性をつけば画面上にそう表示される。
あと敵がアイテムをバカスカ落とすから、アイテムをどんどん使えるから残数管理がヒリヒリするのも良い。
マタドールは序盤の中ボス的なやつで、Lv18になると途端に相性の良い仲魔が解放されてちょうど良く倒せるけど、頑張ればそれよりも低いLvでも倒せるように意図的に調整されてるみたいだ。
4ショックがデカかったように見える
1999 聖剣伝説 LEGEND OF MANA
2007 聖剣伝説 HEROES of MANA
2015 聖剣伝説 RISE of MANA(スマホ先行の運営型タイトル)
2016 聖剣伝説 -ファイナルファンタジー外伝(1のリメイク)
2018 聖剣伝説2 SECRET of MANA(2のリメイク)
2020 聖剣伝説3 TRIALS of MANA(3のリメイク)
なんでNintendo Switchの後継機が出て欲しいの?
ファンの期待を集めるNintendo Switchの後継機は当然ながら発表されず、発表済みタイトルも多かったため、肩透かしを食らったような印象を持ってしまうかもしれません。
今回の発表ラインナップもそうですが、最近のNintendo Switchタイトルはリマスターやリメイクが多い傾向にあります。
具体的には『スーパーマリオRPG』、『アナザーコード リコレクション』、『マリオvs.ドンキーコング』、『ペーパーマリオRPG』などで、
完全新作の大きな注目を集めるタイトルは控えている状況です。
やはりNintendo Switchの後継機を出すのであれば、サードパーティーも含め、それに合わせて大きなタイトルを出す必要があります。
今回のNintendo Directがガッカリなのは、次のための準備期間であることを考えると致し方ないのかもしれません。
スクウェア・エニックスはディベロッパー兼パブリッシャーであるスクウェアと純粋にパブリッシャーであるエニックスが合併して生まれた。現在も自社開発だけではなく外部の協力会社とともにゲームを作る割合が高い
たとえばニーアシリーズはスクエニのIPだが開発はプラチナゲームズやアプリボットが担当している。つまりプログラマーやグラフィックデザイナーといった開発スタッフはスクエニの社員ではない
昨年話題になったパラノマサイトも、シナリオやキャラクターデザインは社内の人間だが、開発自体はジーンが行っている
スクエニの新規タイトルのうちの多くは過去カタログのリマスターやリメイクであり、それらの開発は外部の会社に任せることも多い
カプコンもグループ会社であるケーツーなどに移植やDLCの開発を任せたタイトルはあるが、主だった同社のタイトルは内製であり、スクエニと安易に比べることはできない
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。