はてなキーワード: エンドレスとは
発達障害者に向いていると言われる職業として、ほぼ必ず、真っ先に挙げられるものの一つがプログラマだ。
しかしこれ、本当にそうなのか?と思う部分がある。
興味があることについては過剰なくらい品質を追求するので、裏を返せば確実な仕事が約束される。
また問題を確かに理解したと納得できるまで、見積もりを出す段階から大きな抵抗を示す人達なので、彼の受け持ちが炎上する確率も低い。
視野が狭いから発想が貧困でシステムの元ネタになる企画が出にくいとか、計画は基本守られないとか、社会性の問題から客先に出せねーとか、色々欠点はあるけど、それでもハサミよりは使いようがあるだろう。
彼らの特徴はとにかく忘れやすい、他の事に手を付けると、それまでやっていた事を綺麗さっぱり忘れてしまう。
だからマルチタスクの塊である家事なんてやらせたら、最悪キッチンにかけた鍋のことを忘れて火事になる可能性も。
そこまで行かなくても、部屋の片付けを始めたらエンドレスになってジ・エンドとか、当事者なら確実に経験済みなはず。
そんな彼らにプログラマが務まるなんて、どうしても想像できない。
何しろ今どきの開発は、プログラムの前提になる知識が多岐にわたる。
例えば流行りのWeb系の場合、最低でもLinux、Apache、アプリケーションサーバ、DBなどのインフラ周りから、HTML、JavaScript、CSS、XML、SQL、サーバサイド言語(JavaとかPHPとか色々)まで、体系立てて覚えなければならない。
その上で、最終的には自分が作るシステムが稼働する環境を自力で組み立てられて、実装と稼働後の運用が楽になる設計が出来て、セキュアでシンプルかつ力強いコードが書けないといけない。
でも彼らは何か新しい知識を覚える段階で、覚えるそばからそれまで覚えた事をどんどん忘れてしまう可能性が高い。
更にコードを書いた日には、凄まじく書き散らかった、バグだらけの代物が出来るだろう。
そんなこんなでいつまで経っても半人前から抜け出せないんじゃね?と思ってしまう。
つまり高度な内容に踏み込む遥か手前で詰むのがオチではないかと思うわけで。
「赤鼻のトナカイ」という歌は割とひどい歌だなぁと思う。
そもそも赤鼻ルドルフは役に立つから認められただけで、赤いだけで光りもしない鼻なら嗤われっぱなしだったんだろうな。
「ホーホーホー、ソリをひくのに役立たずのトナカイは我慢するしかないね。さぁコークを飲んでストレス発散だ」
とでもいって、無視していただろう。
それに、サンタはいざクリスマスになってから来るのも怪しい。さっさと来ればいいのに。
これはルドルフの心が折れるまで待ってから救世主のようにやってきて、心酔させるのが目的だったんだろう。
「ホーホーホー、今まで苦労してきたんだね。これからは私が一緒だよ。さぁコークで盃を交わそう」
とでもいって、シンパに仕立て上げたんだろう。
歳を経たり、足を故障してそりを引けなくなったトナカイはなかったものとして扱うんだろう。
「ホーホーホー、今日のディナーはトナカイのステーキだよ。さぁコークで乾杯だ」
とでもいって、舌鼓を打つんだろう。
というようなことを、クリスマスソングがエンドレスで流れている街中で考えていた。
自分のことを人の楽しい気持ちを妬むタイプとは思っていなかったが、どうにもやさぐれているな。
このままでは駄目だから、積極的にクリスマスを楽しむようにしていこう。
出産の話を書いたところその後の話を…というトラックバックをもらったので、その後のことをおおざっぱに書いた。
シモの話も多いので、お食事中の方や苦手な方は注意してください。
初日は母子は別室で過ごした。私の両親や兄弟、遠方にいて立ち会えなかった夫が訪ねて来た。出産という大きな出来事を終えて、神経が興奮したのかあまり休めなかった。
二日目から私の眠るベッドの隣に、赤ちゃんの眠るケースが置かれた。母子同室だ。赤ちゃんの眠るケースというのは、ミルトンのCMなんかで見る透明のキャスターがついた箱のようなものだ。私も赤ちゃんも疲れきっていたのか、二日目の昼過ぎまでグースカ寝ていた。出産の疲れと当日の来客ラッシュで、ベッドの近くに助産師さんが来ていても気づかずに爆睡していた。助産師さんは私の様子を見て、夜からお世話のしかたを教えてくれた。
まずオムツの替え方。
昔むかしは布オムツこそ正義、紙オムツは発育を妨げる!という論調があったらしいが、病院では普通に紙オムツが使用されていた。紙オムツにはテープタイプとパンツタイプがある。病院で使ったのはテープタイプだった。余談だがオムツは市販されていない新生児用のメリーズ。メリーズは通気性がグンバツで人気も高い。近所のドラッグストアでは常に品薄。中国人がまとめ買いをするらしい。
オムツは新しいものを開き、お尻の下に敷く。赤ちゃんの履いているオムツのテープを剥がし、おしり拭きでお尻を拭く。おしり拭きを古いオムツの中に入れて、くるくる丸めて捨てる。下に敷いておいた新しいオムツを履かせる。おわり。
助産師さんには赤ちゃんのおしりをごしごし拭き過ぎないようにと言われた。赤ちゃんは肌が薄いので強く肌をこすられるとすぐ荒れてしまう。もし赤ちゃんのおしりがかぶれてしまったら、温かいお湯でおしりを流してあげ、よく乾かしてからオムツをはかせるといい。ペットの糞尿を始末する時に使う吸水性のシート(水色っぽいやつ)を赤ちゃんの下に敷いて乾かすと、おしっこをされても床やベッドが汚れるリスクが減る。部屋の室温は赤ちゃんが風邪を引かない温度に。
市販の紙オムツには大体どのタイプでも「おしっこお知らせライン」みたいなものがついている。仕組みはよくわからないが、赤ちゃんがおしっこをするとオムツの一部にあるラインの色が変わる。リトマス試験紙がオムツの中に入っているようなものかと思う。赤ちゃんのオムツはこまめに買えてあげた方がいい。ラインの変色はその目安になるので便利だ。赤ちゃんの体調は排泄物の量や色でチェックする。オムツ替えの際は助産師さんが健康な赤ちゃんのうんちはどんなものか、危ないうんちはどんなものか教えてくれる。これは母子手帳にも書いてある。
次に授乳。
助産師さんに授乳する時の赤ちゃんの抱き方や、乳首のくわえさせ方、離し方を教わる。これが一番きつかった。
私が出産したのは総合病院だった。出産中何かトラブルに見舞われた場合、すぐに対応できる大きな病院がいいなと思ったので。その総合病院は母乳育児に力を入れている病院だった。母乳外来という母乳のトラブルに対応した外来もあった。母乳で育てようと考えている人は、出産する病院に産後のことをどこまで相談できるか調べておくといいかもしれない。身近に赤ちゃんがいない人でも、赤ちゃんが飲むものといえば母乳か粉ミルクというイメージが湧くと思う。たぶん離乳食がはじまる生後半年くらいまでは、ほとんどの赤ちゃんは母乳か粉ミルク以外のものは飲まないと思う(例外があるとするなら、赤ちゃん用のイオン飲料か、赤ちゃん用の麦茶くらいかと)。母乳か粉ミルク以外のもの(果汁やはちみつを溶いたお湯など)は体によくないらしい。
病院では母乳だけで育てることを「母乳栄養」、粉ミルクのみで育てることを「人工栄養」、母乳と粉ミルク両方を使って育てることを「混合栄養」と呼んでいた。それぞれにはメリット、デメリットがある。
「母乳栄養」のメリットは、赤ちゃんがぐずったり泣きだしてから授乳するまでにあまり時間がかからないこと、生後半年まで母乳を経由して赤ちゃんに免疫をつけられることかと思う。デメリットは乳房のトラブルが起こりやすいこと、いい母乳を出すために食生活に気をつけなければならないこと…など。
「人工栄養」のメリットは、母が薬を服用していたり出先でも授乳ができることだろうか。それから母乳では不足しがちなビタミンKも、ミルクでは補うことができるらしいと聞いた。デメリットはミルクを作るのに時間がかかること、出先で荷物が多くなることかな。
私は母乳9割の「混合栄養」で育てている。体調が悪い時や夫に面倒を見てもらう時はミルク、それ以外はほとんど母乳だ。
母乳は出産したら出るというものではない。赤ちゃんが乳首を吸うと母親の脳が刺激され、母乳が分泌されるらしい。母乳は「練習」をしないと出ない。赤ちゃんはうまく乳首をくわえて吸う「練習」、お母さんは赤ちゃんを抱っこして乳首をくわえさせて、母乳を吸わせる「練習」。こう書くとごく簡単なようだが、実際は大変だった。
育児書には赤ちゃんは3時間おきに栄養を必要とします的なことが書かれている。助産師さんに赤ちゃんの抱き方から乳首のくわえさせ方などを指導してもらい、3時間置きに授乳する。とはいえ大人が思うように赤ちゃんが母乳を飲んでくれるわけではない。赤ちゃんにも都合がある。乳首をくわえずに泣いたり、くわえながら眠ったりしてしまう。しかもベッドに置くと泣く。私ははじめの一日から五日目までは、赤ちゃん泣く→授乳→置く→泣く→授乳→置く→授乳…のエンドレスパターンで、ほとんど眠れなかった(あとから調べてわかったことだけども、赤ちゃんはお腹の中にいる時、昼間眠って夜は起きているらしい)。
入院中、乳首が擦りきれて出血した。痛かった。大きなかさぶたが出来た。血は毒にはならないから痛みが我慢できないようでなければそのまま授乳してと助産師さんに言われた。私はできれば母乳栄養で育てたかったので、そのまま授乳を続けた。乳首の傷には母乳を塗ったり、馬油を塗って、ラップでパックをすると治りが早いと教えられた。
余談だが赤ちゃんの吸う力というのは意外に強力だ。ある時赤ちゃんの顎を肩にのせるような形で縦抱きしていたら、いつの間にか肩に吸いつかれていた。あとで見てみると、肩に大きな赤あざができていた。あざはしばらく消えなかった。どうせなら星型に切り抜いたマスキングテープでも肩に貼っておけばよかった。うっかり指を吸われた夫が「ギャーッ!痛い!持ってかれる!」と叫ぶことも時々あった。
産まれた直後から何のトラブルもなく母乳を吸う赤ちゃんも、吸わせることができるお母さんも、そう多くは無いと思う。だから母乳で育てようとしているお母さんのまわりの人々は、くれぐれも「おっぱい出てないんじゃない?」「赤ちゃんお腹空いてるんじゃない?かわいそう」とか言ってはいけない。母乳はストレスで止まってしまったりする。どんなゲームだってはじめはレベル1の初心者からはじまる。プレイヤー以外がやいのやいの言ったところで、上達するわけではない。栄養が足りているかどうかは赤ちゃんの体重やおしっこの量で見ればいい。心配ならお母さんを質問責めにするのではなく、その道のプロである助産師や医師に相談したらいいと思う。
また赤ちゃんは産まれた時におおよそ3~4キロくらいあるので、授乳する時に結構腕が痛くなる。育児書には授乳は15分程度とか書いてあるけども、ベストポジションを探す、乳首をくわえさせる、吸わせる、ゲップさせるの流れを2回分(両乳分)やるので、私は毎回30分くらいかかっていた。赤ちゃんによってはちょこっとずつ飲んだりするので、さらに時間がかかったりすると思う。こんな時は授乳クッションが便利だ。授乳の指導をする病院や産院にはきっと置いてあると思う。もし家になかったら、あらかじめ買っておくといいと思う。
それから何度か乳腺炎になりかけたこともあった。乳房にしこりができ、触れるとひどい筋肉痛のような痛みがある。夫がふざけてしこりをつついた時、強い殺意を感じた。それくらい痛かった。乳汁が乳腺で詰まってしまうとできるらしい。熱が出ることもある。悪化すると乳腺をとる手術を受けなければならない。私は生クリームを口にした直後、よくしこりができていた。
母乳には和食のようなあっさりした食事がよいらしく、高脂肪のものはよくないそうだ。たまには甘いものが欲しいとうっかり食べてしまって、後々とても後悔した。それからは洋菓子は避けておやつはわらび餅や煎餅を食べ、豆乳やにぼしを意識的に食べるようにした。とはいえ、生クリームを食べても全然大丈夫な人もいる。乳腺炎のスイッチになる食べ物は人によって違うらしい。
私自身が母乳で育てているので母乳寄りの話になってしまったけど、母乳とミルクに優劣はないと思う。どちらにもそれぞれの大変さ、メリットがある。
沐浴は産前に母親教室でも勉強したけども、病院でも教えてもらった。手順は大体同じだった。
赤ちゃんのお世話を教えてくれる母親教室には、なるべく夫婦や家族で参加した方がいいと思う。赤ちゃんは重い。沐浴はなるべくなら2人以上でやった方がいい。水場では足元が濡れていて転倒する可能性もある。大変だけど1ヶ月の辛抱だ。助産師さんには生後1ヶ月たつと親と一緒の湯船に入れるようになると言われた。
赤ちゃんは大人より新陳代謝がいいので、毎日お風呂に入れなければならない。夏は一日二回、午前と午後に入れる(この場合、午前はシャワーで汗を流すだけでもいいと言われた)。どうしてもいれてあげられない時は、シャワーで汗を流してあげたり、お湯で濡らしたガーゼで全身を優しく拭いてあげる。
私は生後1ヶ月後、赤ちゃんと2人でお風呂に入るのが怖かったし、季節は真夏だったので、赤ちゃん用のバスチェアを買ってシャワーで済ませていた。生後1ヶ月たったら大人用の石鹸を使ってもいいと言われたけども、肌荒れが怖かったのでしばらくは赤ちゃん用の石鹸(ボトルに入っている、ポンプを押すと泡状のやつが出て来るタイプ。ビオレのやつがいい感じだった)を使っていた。しばらくは赤ちゃんの頭から男性の加齢臭のような匂いがしていた。ちゃんと洗っているのに何でだろう?と不思議だったが、思いきって石鹸を大人用の牛乳石鹸に変えたらすぐに加齢臭が消えた。やっぱり大人用の石鹸の方が洗浄力が強いんだな、赤ちゃんって思っているより汗をかいてるんだなと思った。
まとまりなく書いてしまったけど、産後は3ヶ月くらいまでストレスマッハだった。こんなことを書くと「赤ちゃんが可愛くないのか!」「母親失格だ!自覚が足りない!」「産む前にもっと勉強して覚悟しろ!」と言われそうだけど、聞くとやるのとは大違い、百聞は一見に如かず、とにかく毎日が初見殺しだった。
お父さんになる人や同居の家族は、できれば家事を手伝って欲しい。洗いものとか料理とか、1人暮らしの男性ならできそうなことをやってくれるだけで、とてもとてもとて~も有りがたい。夫はもともと料理が好きだったので、時々土日にご飯を作ってくれた。私にとってそれは天恵だった。嬉しかった。今でもすごく感謝している(欲を言えば料理した後の食器も洗って欲しかった…)。反対に「夕飯は作るの大変だろうから、外で食べて来るよ~」という気の遣い方はノーセンキューだった。ご飯炊いちゃったよ…、私ひとりでゆっくりご飯食べられないよ…、一緒に食べられないのは寂しいよ…ボスケテ…という心情だった。
4ヶ月を過ぎて首が座り、赤ちゃんの表情が豊かになってくると、少しずつ精神的にゆとりが出てきた。赤ちゃんは生後3ヶ月くらいまでイロモネアの観客も引くくらい無表情だ。頬笑みかけても変顔を見せても、ほとんど笑わない。相手の気持ちがわらからないのは辛い。言葉も話せない赤ちゃんのことを、わかってあげたくてもわかってあげられないのはすごく辛い。たまにニコッとするけれど、それはいわゆる生理的微笑で、「あっ、ここ笑うところだな」と判断して笑っているわけではない(それだってとても可愛いのだが)。けれどめげてはいけない。赤ちゃんは大人の笑顔を見て、笑うことを学習していく。
赤ちゃんが笑うと、心の底から幸せを感じる。私は産前あまり子どもと接することが得意ではなかったので、ちゃんと赤ちゃんを可愛がれるのか心配でしかたなかった。けれど今は何でこんなに可愛いのかよくわからないと思うくらい可愛い。
夜のお世話で寝不足が辛い。朝起きられない。夫のお弁当が作れない。泣く子の相手をしていると、洗濯掃除がなかなかできない。買いものにいけば暑さや寒さで赤ちゃんが苦しくないか、車や自転車が死角から向かってこないか、急に泣き出したらどうしよと気が気でない。料理中に泣くといちいち火をとめないといけないので、料理に時間がかかる(こんな時、シリコンスチーマーが私をよく助けてくれた)。お風呂に入れる頃にはへろへろ…。私はもともと家事が上手ではなかったので、夫には色々と迷惑をかけてしまった。家事も赤ちゃんのお世話もうまくやりたいと思えば思うほどうまくいかないことが辛くて、時々授乳しながら泣いていた。
時々、夫が「毎日ありがとう」「今日も赤ちゃん可愛いね」と言ってくれることが、とても嬉しかった。ある時「家に帰って赤ちゃんの顔を見ると、とても癒される」と言ってくれた。そういう気持ちを口にすることは気恥かしくてためらわれるかもしれないけど、ほんの少しでいいので勇気を出して伝えてみて欲しい。きっと心を支えてくれる大切なお守りになると思う。
思うまま書いてしまったけど、私の失敗や経験が役に立てば嬉しい。
これから赤ちゃんが産まれるご家族の方、おめでとうございます。赤ちゃんのいる毎日を楽しんでください。携帯のカメラやコンデジで毎日写真を撮ると、後から成長がわかって楽しいですよ。赤ちゃんの写真を残しておこうとすると必然的に一緒に時間を過ごすことの多いお母さんが撮ることになるけど、そうするとお母さんと赤ちゃんが一緒の写真がなかなか残せないので、ご家族の方は意識的に赤ちゃんとお母さん、赤ちゃんとお父さんのツーショットを撮ってあげてください。
なんか、「創作する人」って
「創作それ自体を楽しみ、目的化しなければならない」みたいな信仰がある気がする。
それに対して、俺は一応あるジャンルのプロだけど、「絶対コレ嘘だ」って思ってる。
だって、プロになってみて思ったことだけど、みんなカネと名誉大好きで仕事キライだもの。
創作なんてせずにカネ入ってくるなら、あいつらも俺も今の十分の一もアウトプットしないだろうと思う。
というか、創作畑で一発当てる奴の多くは「ちやほやされながらカネを貰いたい」という一心でそこまで頑張ってくるわけで、
ごくまれにいる仕事自体が純粋に目的化してるキチガイ以外は、それでいいと思うんですよ。
創作自体が楽しいなんて嘘っぱち。一番楽しいのは口座に入ったカネを眺めるのと
ネットでエゴサーチして自分の作品が好評なのを確認するとき。これだけ。
それ以外なんて、大抵の仕事がそうであるようにエンドレスの苦痛ですよ創作なんて。
金への欲望と名誉への欲望以外にモチベーションがあるヤツなんてそんないないよ。
自分のペースでテレテレやれるなら別かもしんないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20131005222822
というわけで、この人はもっと明確に
「悔しい!俺もチヤホヤされたい!カネ欲しい!チヤホヤされながらカネ欲しいィィィ!」
って思うべきなんですよ。逆に、そこまで欲望が燃え上がらないなら創作なんて稼業はやらん方がいいし。
どのジャンルでもそうだけど、創作の根源って割と嫉妬とか欲望とかそういう人間の醜い部分でできてるし、
そういう部分をきちんと受け止めて行動に転嫁しちゃうべきだと思うんですよ。
お金欲しい!ちやほやされたい!絵ェ書いてちやほやされたい!って欲望と嫉妬を軸に
自分のモチベーションを一つの行動に集約することが出来れば、わりとプロとかなれる気がします。
逆に言えば、「それが出来なきゃ死んでもいいや」って思えるくらいまで欲望が燃え上がったらプロになれました、俺の場合は。
実際問題、プロが一番すごいのって創作へのモチベーションでもかける労力や時間でもなく
売れてる同業者への飽くなき嫉妬とやっかみだと思う。ほんとものすごい。プロ同士で会うと絶対誰かの悪口言ってる。
でも、そういう人ほど生き延びるのは確かだと思うなぁ。職人気質の人とかファインアート志向の強い人は
継続的に多作でいられないように思う。単発では凄いひといるけどね。
さぁ、リピートアフターミー!
「お金欲しい!」
「ちやほやされたい!」
「ちやほやされながらお金欲しい!」
「サイン会やりたい!」
「ファン食いたい!」
「お金欲しい!」
「お金欲しい!」
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130818/1376761747
この対話、4つくらいの争点が並行してる上に、いつものようにきょうもえさんの口調や過去の実績に引っ張られている人まで釣れてるのでややこしい。
ネタ発言する人だって、それを外部で使用する自由はあるわけですよ。そしてそれに対して「見境なく使われたらノイズになってしまう以上、悪い印象で学習してしまうからやめろ馬鹿」って言うのも自由。さらにそれに対して「お前がもっと自衛しろ」って言うのも自由。エンドレス自由。
とは言うものの、常識的な意思伝達においてはその場に相応しい言葉を選んで対話された方が効率良いわけで、自由だからと言って一般的でないものを持ってこられると、それはスパムやノイズになってしまい、やり過ぎは害悪じゃんって話。
淫夢ネタについては、セクシャルマイノリティ向けのポルノが元ネタであるので、そんなものを堂々と使うのはどうなのって話。
言ってないことまで都合良く脳内で作り上げてそれに対する反応となっている部分
究極的な結論としては、インターネットはどこで頭のおかしい人にぶつかるかわからないので、快適に生きるためには自分でどうにかするしかないって所。それとは別に、みんながみんな気にくわないものに対して「やめろ馬鹿」って言うのもまた自由なので、自衛しろという言葉で黙らせられると思ってるのならそれは都合良すぎるよねって感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20130428150329
http://anond.hatelabo.jp/20130428001709
http://anond.hatelabo.jp/20130428151525
アルゴリズムだと思っていいです。
でも、出すとやっぱり売れるんですよ。
コンビニのレジで、「○○キャンペーン中です。おひとつどうでしょうか?」と一言言われると、ウザいじゃないですか。
でも、あれをやるとやらないとじゃ売上がずいぶん違うんですよ。
要するに、嫌われる可能性を怖がって、営業をかけないってのは下策ということなのですよ。
女に嫌われて困ることってありますか?
ティッシュくれたり、小銭がないとき両替してくれたり、そういうのはしてもらいにくいでしょうね。
そういうの求めてるなら、無難に、できるだけウザい行動避けてください。
でも、君はセックスがしたいんでしょ?
というか、アスペだと嫌われてても気づけないからダメージそんなにないですよ。
嫌われるというのは、それ自体恥じることでもなんてことないですよ。
嫌われたからといって自分の価値がなくなるわけでもないですし。
死ねと言われても、ポジティブに、名誉の負傷くらいに思えばいいんですよ。
100件回って10件契約が取れる営業マンとない100件回って1件しか契約が取れない営業マンがいるとします。
後者が、前者と同じだけ契約をとるにはどうしたらいいと思いますか?
そういうことです。
でも、難しく考えすぎです。
相手から会話を引き出した(そこが最大の難関なのですが)あとは、適当でいいです。
しょうもない悪口やら、しょうもない悩みを言ってくるわけなんです。
「AがBで、私はC」
Aには個人名が入ります。ヒトだけじゃなくて、モノだったり、ニュースだったりなんでもです。
BにはAの行動が入ります。
Cは、「悩んでる」「むかつく」「うれしい」「かなしい」等々、の言葉が入ります。
まあ、ホントに聞いてる側としてはどうでもいい。
それに意見を求められてるわけじゃないんです。
悪回答の例を出すと
「ふむふむ。君の言い分はわかった。しかし、相手の意見も聞いてみないとなんとも言えないね」
と言っちゃいけません。
基本相槌でいいです。
だいたい、数パターンでいいです。
1.相槌
そうすると、相手が続けます。
「うん」だけじゃ見破られるかもしれないので、数パターン用意するといいでしょう。
でもパターンが少なくともなんとかなるでしょう。
そいつでもちゃんと会話が続くんで、女って不思議な生き物です。
2.要約
相手の行ったことを要約する。そうすると、相手が相槌をうつ。
今度はこっちのターンになります。
ここで変に頑張る必要はありません。
「なるほど、それで」
と相槌に相槌で返してけっこうです。
3.共感
正しくは共感したふりでいいです。
「えー」「ほんとー?」みたいな感嘆詞を挟むだけでいいし、悪口とか悩みみたいなのには、「○○は悪くないよ」とフォローしとけばいいです。
正論は要りません。
「グダグダ言わずに働けよ。30過ぎて仕事選んでんじゃねーよ。」
と言ってあげるのが相手のため、とか考える必要はありません。
そういうのは友達の役目で、恋人(あるいは候補)の仕事ではありません。
余談ですが、こないだ古い友人に「彼と同棲してるがセックスレスで」という話をされました。
正直どうでもいいし、しなくても死なないよって言いたかったんですが、テンプレ通り適当に答えました。
繰り返しになりますが、相手は物事をわかってないのです。
つまり、
そんな相手に、真面目に応えるというのは、無駄です。
法律の問題は弁護士に、人間関係の問題は友達に、上司に、健康問題は医者に、政治の問題は政治家に任せておきましょう。
とりあえず誘いましょう。
飲みに誘って会話していくとお互い気分がたかまってっというのはアスペには向きません。
アスペじゃなくたって、よっぽど会話が上手い人じゃない限り向きません。
を重ねて
に持っていきましょう。
こっちは運転してて前を見てるのに、必死に身振り手振りで表現します。
自分でも、適当に返事してるとバレるかなって心配になったりしますが、ほんと不思議なんですが、何時間だってそれでやりすごせます。(あまり長くないほうがいいと思いますが)
勝手に喋らせるのが目的の初期のデートは、あんまりロマンティックなムードはいりません。
勝手に喋らせて、会話が盛り下がらないうちに切り上げる。
仲が良くなってからのデートは、ムードがあってあまり喋らないで済む場所にしましょう。
そのあと食事をして勝手に感想を喋らせるというのもアリなんですが、たいていの女は表現力が貧弱で対した言葉が出てきません。
「悪口だったらエンドレスなのに、お前はあの名画をみてそれだけしか感想がないのか!?」
と思っても言っちゃいけません。
長丁場の勝負ですから、ボロを出さないようできるだけ喋らないで済む場所をハシゴしましょう。
出会って3ヶ月以内に告白しないと成功率は落ちるそうなんで、ゆっくり好きになろうなどと考えず、好きになってもらおうなどと考えちゃダメです。
セックスできません。
とりあえず、頑張ってキスまでいきましょう。
欧米人と違って、キスはオーケーだけどセックスはダメみたいな感じじゃなくて、キスまで許したらいずれセックスという風に考えてますから。
逆に、告白もキスにもいかなければ、同時進行で数人アプローチしちゃっていいです。
というか、しろ。
次の勝負です。
何度も言いますけど、理解されたいとか、愛されたいとか、抽象的な目標はダメです。
具体的なゴールを設定して、戦略をたてましょう。
セックスがしたいんでしょう?
なら、それを真剣に考えなきゃ。
ここまで読んで、よし頑張るぞって思った人も、こんな頑張んなきゃ恋愛出来ないなら、もういいやって人も、これだけは覚えておいてください。
精神的に満たされたいとかは捨ててください。
精神的な満足は、フルマラソン走りきるとか、年収1000万を達成するとか、自分自身で充足させてください。
本当の自分なんてどこにもないし、したがって本当の理解者なんてありえまえん。
そんな甘ちゃんはおっぱい吸って寝んねすべきです。
とにかく、まあ人生は前に進むのみです。
僕もまあ、嫌われてても気づけない性格だし、他人になにを言われてもへっちゃらな性格なんですが、アスペならもっと楽だと思います。
以上
コミュ障で元来ヲタコンテンツが好きな人間なのに、無駄に背伸びしてリア充系のグループと体育会系のグループに身を置き、かれこれ10年になる。そんな自分はもう30代半ば。
だけどもう限界だ。少なくとも今まで生きてきた時間と同じか、それ以上の時間をこれからもここで過ごすことを考えたら心底うんざりしてしまった。
なので別のグループを探すことにした。
人の情を全く理解できないのだ。
だから理屈と知識と情報の海で生きてきた。それしかうまくやる方法がなかった。
だけど世の中の多くの場所では、どうやら情を直感的に理解して、適切な対応を余裕でこなせる人=大人とみなされるらしい。社会性を備えた一人前の大人とは、そういうことのようだ。
理屈と知識と情報しか見ない人はマイノリティで、そういう人でも快適に過ごせるコミュニティは少ないと思う。
しかもそういう人は子供の頃いじめに遭うリスクを伴うし、成人しても周りから「あいつはそういう奴なんだ」と区別され、普通のコミュニティでのポジションは低い位置に留め置かれるわけだ。
そしてリア充も体育会系も、普通の人よりさらに情を重んじると来ている。
そう考えると羨ましいのは、18歳くらいで「大人」になってしまうDQNのお兄さん達だ。
すぐに彼女見つけて結婚して子供作って家庭を養う立場になるのはごく自然というか。
その代わり30過ぎた頃には立派なオッサンというかオヤジ化してしまうが、それはそれで貫禄あるから困ってしまう。
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの変人」という育ち方をした自分からしてみたら、これ以上ないくらい青く見える芝生だったり。
とにかく、もう自分は情を重んじる社会で、情が分かったようなフリをして過ごすことに疲れた。
そして疲れる程度に工夫しようとも、ここに身を置く限り、どう頑張っても自分は子供同然なのだ。
子供に社会の重要なポジションを任せる奴なんかいない。せいぜい味噌っかすがいいところだ。
じゃあ死ぬまで子供だったら死ぬまで味噌っかす?そんなんやってられるか。
というわけで、これから「理屈と知識と情報しか見ない、世間一般から見ると子供っぽい人」が構成員の大多数を占めるコミュニティを探すことにした。
これ、「構成員の魔法使い率がやたら高いグループ」と読み替えてもらっても差し支えない。
自分の趣味嗜好に照らし合わせると、キモヲタ方面あるいはネトウヨ方面のグループだろうか。
そもそも自分は「この前の日曜ヒマだったからニコ動で○○系見てたら一日潰れちゃってさドゥフフwwww(秋葉原では「こんにちは最近調子どう?」の意味)」みたいに話しかけられることには全く抵抗感ないし、ガチでコアで濃い人のエンドレス薀蓄に知的()でウケる()相槌を打つことで「友達フラグ」を立てるのだけは得意だったりする(全く自慢にならないが)。
少なくともリア充や体育会系相手に色々気を遣いながら話すよりは全然ストレスを感じない。
10年頑張って結果が出なかったことで諦めがついたというか、諦めるのが遅すぎたくらいだ。
振り返ってみれば、なけなしの自分の強みをもっと活かすべきだった。憧れだけで欲を出した自分がバカだったのだ。
35歳になった。
ついこの間、魔法使いになったと思ったらアラフォーならぬヤラフォーになるとは。
自分の場合、ルックスは悪くないと色んな人から言われるし、仕事は正規雇用の中堅SEで趣味は文武両道、でも社会性コミュ力ともに破滅的に酷いせいで総合点マイナスという、自他ともに認める「実に残念なおっさん」だ。
「黙って立ってりゃマネキンの代わりくらいにはなるのに・・・」とも言い換えられる。
スーツだと30前、私服になると20代半ばに見られる。でも若いというより、精神年齢の幼さが顔に出ているのだと思うと、あまり素直に喜べない。
そして20歳になってから15年、性格ブサメンな部分は微塵も治っていない。
いや少しはマシになったのかも知れないが、彼女が出来て結婚してるわけでもなし、要はその程度だ。
「もうすこしがんばりましょう、てかやる気あんのかテメー」って感じ。
なのでこれからの15年もこの流れは変わらないだろう。
そうなると、生涯独身になる可能性も大いに視野に入れ、今後の生き方を模索すべきなのだろうけど・・・憂鬱だ。
というのも、周囲の独身40代50代ともに、ろくでもないオヤジしかおらず、全く希望が持てないからだ。
例を挙げる。
これでどうやって独身貴族(死語?)の夢を見ろというのか。「男やもめに(ry」ってレベルじゃねーぞ!
このおっさんたち、社会と関わる上で開き直ったり無視してはいけない部分を踏み外し、投げ出しているように思えてならない。
しかも自分は多分、上の人達にかなり近いところにいる。遅かれ早かれこうなる気がしてならない。
ここまで「明日は我が身」を見せつけられるのは恐怖以外の何者でもない。
それに引き換え、周囲の既婚男性は皆凄い。カッコイイ。輝いている人達ばかり。
なんで俺を嫁にしてくれなかったんだと詰め寄りたくなるレベル。
せめて年を取るなら、そっちサイドに行きたかった。
そう考えると、「オヤジ臭い」というのが褒め言葉ではない理由がよく分かる。
生臭くならず年老いていくのは、かように難しいということだろう。
色んな考え方の人がいる以上、話し方を聴き手に対して変える必要がある。
哲学科の奴にいきなり経済の素晴らしさを語ったり、電子工学科のやつにカントが~とかいきなり自分のことばで語りだしたって、何が伝わるだろう。
人間は「ある程度理解が得られるであろう内容/話し方」で話すものだ。
だから、読み手に対して自在に変化を遂げ、否定的に解釈されにくい、抽象的な言葉が生き残りやすい。
人はよくわからないと思ってるものに対しては、お互い意見を対立させようとは思わないものだと僕は思っている。
具体的な言葉を用いると、どうしても現実的な様々な解釈と意見が入り混じる。
具体的な話であれば会話がしやすいか?細かいニュアンスの表現が必要とされるがために、それは逆に難しいのだ。
文字だけで、それまで何のコミュニケーションもとらず前提確認も取れず、細かい話をするのは非常に困難だ。
とはいっても、ネットでは主に言葉でコミュニケーションを取らねばならない。
しかし、どんな言葉を使っても(もちろんこの日記も例外にはなれない。)何かしらの否定はされ得る。
僕にとって一番大事な発言者は、ぼくの話をちゃんと聞いて、反応してくれる友達だ。
その信頼感は、ネットを使ってでも、直接会ってでも、電話でも変わらない。
そんなインターネット(と現実)で、からまれたくないし、全力で逃げたいと思ってる3人の馬鹿を挙げる。
発言者による発言の優先度が、僕にとって一番低いのが彼らと言っても過言ではない。
彼らから真っ先に逃げる為に、一度言葉にして確認することにした。
・個人の日記
しかしここで犯罪告白をする人は、新宿とかのでかい公園で犯罪を何千回も叫ぶ(コピペ、RTされる)ようなことをしてるんだから警察に引っ張られてもしょうがない。
やましいことするなら隠れてしないと捕まるのは当たり前。そこくらい知恵使えと言いたい。
主題違いに突っ込む馬鹿。
十分な議論ができる環境ではない(コメント欄でどれだけの納得が得られようか。)のにも関わらず、1から議論しようとする人。
offでお茶会でも開け、と言いたい。
・ブログ
「間違ってるやつは正さないといけない」「間違ってるやつが正さないのは傲慢だ」「間違ってるやつは攻撃していい」というロジックを君が使うなら、「そう言う君が間違ってるから君を攻撃していい」「そういう君が間違ってるのに直さない、傲慢だ」「そういう君は(略)攻撃していい」と僕が言うことも正しい。
そんなループに見ず知らずの名無しさんとラブラブランデヴーしたくないから、僕は全速力で逃げる。できる限り自由にやりつつ、できる限り君と関わらないような人間になる。
僕はこの人には何も言いたくない。目視し次第とにかく逃げる。
相手の知識を、括として無視し去ってしまう場合に、無知が絶対に強い。」
という一文がある。
文脈はともかく(そんなではいけないのだが、)僕はこれは本当にそうだと思っている。
ぶつかったら負け、の戦いからは、逃げることが負けないことなのだ。
僕はそいつと戦わないから、勝たないが、負けない。戦いたくもない。
いやいや、過小評価できない(付き合えば十分に面倒くさいことになる)から逃げるのだ。
僕にとって、勝つよりも、負けないことの方が重要だ。
僕は、類は友を呼ぶという言葉も信じているから、出来る限り自分自身が3人の馬鹿にならないようにしたいと思う。
僕にできるのは、僕を変えることだけだ。
これが僕の最大限だ。
高確率で死産(奇形あり)。 運が良くなければ20代に至る前に終了。 運が良ければ50歳以上まで生きられるという方向になると思われ。 たぶん、死産まで含めると平均寿命は30歳以下になる予感。 まともな結婚などは普通にできんでしょ。 すごい数の癌患者がでてくるから手術などの順番は回ってきませんな。 現象化が始まると医者の多くは安全圏に逃げるだろうし。 数年先には経済も崩壊してる可能性が高いし。 余程の金持ちでないと手術はできんようになると思われ。 それと、放射能由来の癌は1回切除してもエンドレスでしょ。 極めて短寿命のラドンの線量と比較云々して安全ですとかは意味なしだからね。 自分でよく考えて吟味選択しないと先々終了しますよ。 あのチェルノブイリが嘘でない限り、まんまの状況に至りますからね。
教えてクンと思うから、教えてクン。かまってちゃんだと思うからかまってちゃん
という面もあるのか、その態度が発生を助長しているのだとしたら、教えてクンかまってちゃん認定する人は、実は出てきてほしい?出てきたら嫌がりたいから?
何かを過剰に嫌がるというのは、過剰に嫌がりたくて嫌がっているのではないか、というと 意味のわからないパラドックスが一つできてしまう。
これは、興味深いかも
過剰に嫌がってるからと言って、好きだというわけではないのだろう。過剰に何かを嫌がりたいのだ、しかし過剰に嫌がると、発生を誘発したり、過剰に発生したりするのだ。
過剰に嫌がらない、または嫌がらない態度が望ましい
望ましいのは、わかってるけど、ついやってしまう、やってしまうから、また発生する 発生するから 嫌になる 嫌になるから 嫌だと言ってしまう 嫌がるとますます発生する 延々繰り返し エンドレス神話
モバゲーが宣伝しまくりのスマートフォン対応の「忍者ロワイヤル」が
リリースされたわけですが、早速やってみましたが、ものすごいバグの多さにドン引きです。
・起動が激遅。
・フリーズなどはあたりまえ。
・仲間検索からのレベル表示がひとつ前の人のレベルが表示(この辺テストしてないとかありえません。)
しかしながら、最大のバグ(と思ってる)バトルの6時間縛りに関するものでした。
怪盗ロワイヤルやっていた人にはわかりますが、お宝めぐってのバトルあります。
これを争奪するゲームですが、バトルを1回行えば、レベル上がるか6時間経過
(課金すればレベ上げはすぐ)
この辺でも、課金させようと必死な所は置いといても。
とても酷い。
おにぎり100円。レベ上げしてエラーになったら返金して欲しいですよね。
Appの評価もすさまじく悪いです。
後は怪盗ロワイヤルとすべて同じ。
ニコニコ動画にしてみても、2ちゃんねるにしてみても、ツイッターにしてみても、というかありとあらゆるインターネットの形態として、どうしてコメントを残すことが流行っているのだろう。例えば面白い動画なり書き込みがあったときに、そのレスポンスとして草を生やす行為にいったい何の意味があるのだろう。あるいは短い一言、「泣いた」とか「ご飯食べてる」とかそういうもの。その発言は、本当にする必要があるものなんだろうか。何の意図があってそんな発言をするのだろう。
無論、その一言を誰かに伝えたいというのが根底にはあると思う。そういった伝える誰かを想定した書き込みならまだ理解できる。腑に落ちないのは、そういった誰かを想定していない文章、いや文章ならまだわからないこともないのだけれど、突発的な反応とか予定なんかを発言することだけはどうにも度し難い。何で「私はここで笑いましたよ」「ここが面白いと思いましたよ」なんていう感情を記号で表さんといかんのか。表さないと気が済まないのか。その一言を書きこむ前に、その一言を書きこんでどうしたいのか疑問に思わないのだろうか。
確かに初めこそ真新しさから書き込みをしたくなることもあるとは思う。でも、次第に飽きてくるものでしょうに。いや、もしかしたら飽きている人が大勢いるのかもしれない。そして、そういった何気ない意図を持たない(あるいは今のところ理解出来ない)コメントをしなくなっている人が増えてきてるのかもしれない。その減少傾向よりも新規のコメンターが多いのかもしれない。ツイッターなんてその最たるものなのかもしれない。
はっきり言って、自分が今何をしているのかとか何をどう思ったのかなんてことを呟くことに価値は見いだせない。逆に、よくそれだけの呟きに自分の思いをまとめられるものだと感動する。更に逆説的(使い方間違ってるかもしれない)に考えるに、やはりその呟きというものは突発的な短絡的な発言でしかないのである。突発的ないし短絡的な発言は、その時そのタイミングで本当にしなければならないものなのだろうか。もっと後から考えてみて整理して、そうして発言するに値するか考えてもいいんじゃないのかな。
まあそういった発言をする行為を否定するわけではないけれども。
自分個人としては、ここまで書き込んだこのチラ裏にしてみても削除を検討してしまうので理解がしにくいだけなのだ。だって、どう考えても音声だとか感情に生まれた「呟き」なり「発言」は、それを文にする際に客観的にならざるを得ないものでしょう。今現在私がどのようなことをしようとしているのかが目の前に提示された際、それに何の意味があるのか――違うな。本当はわかってるんだなあ。意味なんてないけどそうしてしまう時の心情というものが。文字にすることは自分には無理だけど、感覚的にわかっている。少し落ち着いて考えて見れば、少なくともわかったような気にはなれる。そして、そのことに疑問を呈する不毛さもわかる。馬鹿馬鹿しいことだよなってわかる。
さて、ここでよっぽど問題にしたほうがいい事柄が持ち上がってきた。けど、一瞬のことだったので忘れてしまった。何につけても自分は忘れっぽいのが良くない。←この一文を書いてしまったことによって、いよいよ本格的に思考の流れとでも言うべきものが全くの別方向を向き始めてしまったので始末に終えない。上に書いてある、よっぽど問題にしたほうがいい事柄ってなんだったんだろう。なんとなく持ち上がってきたけど、また沈みやがった、ちくしょう。こんな築一経過を報告したチラ裏を発言するつもりなのかどうか、それはまた別問題なのでこの際横に置いておく。なんていうか、かくあるべき発言みたいな問題は今は考えないようにしたいし、そもそもそんなものはあり得ないのでどうでもいい(とか言いつつ、理想のあり方みたいなのを考えてみて、結局それにも欠点というか、見方によって性格ががらりとかわることがあるのでどうでもいいなんていうゴミクズじみた結論にしか達しないのだろうなあ)。また忘れた。推敲ってした方がいいのかしらん。仮にもこれは不確定多数の誰かに見てもらうことを想定した、あるいは見られてしまうことが確定的な文章なのに、こんな破茶滅茶な形態でいいのだろうか。良くないと思う自分と、これはこれで味があっていいのではないかしらんなどとふざけたことをぬかしおる自分がいる。
ああ、問題点。何となく当て嵌まる適切な言葉を見つけた気がする。
『不確定』。これこそが、先に記述したよっぽど問題にした方がいい事柄であり、ありとあらゆる物事に対した時に生じる自分の問題点だ。問題点とするとネガティブすぎるかもしれない。厄介な性分としたほうがいい。そのほうがより適切。それともう一つ。ころころ興味が移り変わること。泡沫の種のようなものが次から次へと沸き上がってくるくせに、そのひとつひとつを発芽させることができない愚図であるということ。それから適切という解決策についても。不確定に対する今のところ思いつける唯一の解決策。自分という個人が不確定な波のような人間であるなら、最適を求めるのは酷(というか無理)であるので、より適切なものを探すという方向性でいいのではないのだろうか。
はあ。それにしても結局最後は内省的なことになってしまうなあ。太田光みたいだ。こんなことを書くと氏に迷惑か。いや、迷惑になるほどのものでもあるまいて。
自己分析ついでにもうちょっと自己嫌悪じみたことを続けようかしらん。無計画と計画と呆気無さとハードルとか、そんな諸々のことについて。あー、でもそれっぽいキーワードを並べたら、頭の中でそれっぽい答えが出てしまったからもういいかなあ。面倒だ。でもそれでいいのかしらん。それっぽい答えで満足してしまうことが自己分析なのかしらん。
結局は自分が気持のいいことしかしてないんだよねえ。ナルシズムに酔っているというか、僕ってこんなこと考える奴なんだよって喧伝したいみたいな。また同時にそうあるある自分を馬鹿馬鹿しくも思っていて、いやいや違うんです自分てばそんな奴じゃないんですよははは、みたいにフォローしてみたくもあったり、フォローしている自分を自慢したかったり。堂々巡りなんだな。目立ちたいというか、言葉が出んなー、そうだ誇示、誇示したいっていう欲求が大きいもんだから、それを恥じて。
なんていうか、 誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→Endless……))) みたいなことが往々にして起きていやがる。面倒くさい。こんな奴関わりたくない――みたいな書き込みをしてまたエンドレス。
これは考えているのかどうか。わからん。考えていなんじゃないのか。考えるってどういう事を言うんだちくしょー。思うことと考えることと感じること、いや感じることは違うか、思うことと考えることって具体的にどう違うんだろうなあ。ロジカル。規則に則って順序立てることが考えることならば、自分は考えることができない人間だ。いつだって思ってる。いかなる時でも考えずに思ってる。なんてメルヘン。ロマンチック。もう訳がわからんくなってきた。わからんっていう言葉は便利だよね。思考放棄にはもってこいだ。あれ、思考って言葉にはどっちもついているのね。つまりは考えることと思うこと。どちらもそれほど違いはないのかもしれないわねえ。それほど重要でもないのかもしれないわねえ。重要でもないことにどうしてこんなに時間を使ってしまうのかしらん。みんなから面倒な奴だと思われちゃうじゃない。まあそんなんはどうでもいいのだけど。でも、重要かどうかって、そんなに重要視すべき問題なのかしらん。重要じゃないことを云々唸りながら思い悩んでいたっていいじゃないねえ。そんな姿勢を馬鹿にはできない。しちゃいけないと思うわけで。いやいや、馬鹿は褒め言葉とも言うか。もうね、いいんだよ。もう全部いいよ。どんなことをバッチコイだ。あっていいよ。悪いことなんてねえよ。あ、あって悪いことって意味ですね。ありとあらゆる事象物事ははあり得ていいのです。そのことがらがそのものごとがあることには何に罪も糞もないのです。あることはもう仕方が無いのですからね。しょうがないのです。我々に出来ることといえば、それを受け止めることだけなのです。その存在を否定はできない。疎ましく思うことも、邪魔臭いと思うことも、消えてしまえばいいと思うこととも大いにあるでしょう。危険視したり、抹消してしまいたくなったり、暴力的な情動を抑えきれなくなることも多いかもしれません。でも、そんな生じ得るありとあらゆる反応レスポンスをもひっくるめて、今存在している遍く全てもの物事は存在していていいのです。というか、存在している限り仕方が無いのです。仮に今その存在を消し得たとしても、その存在があった記録は残る。記憶は残り続ける。ならば、その存在は永遠に消滅し得ないのです。あるということはそういう事。あるということは時間を超越するのです。そして、私たちはありとあらゆる在るという事象の中で存在しているのです。だから、その存在を否定することは不可能。在ることは仕方のないことなのです。であるからして、自分としては在ることが混在したカオスティックな状態を享受したいと思うわけなのです。更に言えば身勝手甚だしいことに、自分が心地いいと思う状態が続いて欲しいと願うわけです。しかしながら、自分が心地いいなどと思う状態というものは恒常的にそこに在るのでしょうか。また私が心地いいと思う状態そのものは恒久的に不変であるのでしょうか。そんなわけはないと思います。わからないけれども。ね。結局何が言いたいんだという。暴走したこの書き込みはどう始末を付けたらいいんだろう。増田に落とせば迷惑がかかるかもしれないと危惧してしまう。ならば削除してしまえばいいのだが、それはそれで悲しい。確かにこのような無為な文章を書き綴った記憶は残るかもしれないけれど、その記録が残らない。ハネムーンの写真を友達に見せびらかしたい気分だ。祝女でいつかやってた。あの新婚さんは今の自分の気持ちに似ているのかもしれない。
でもどうしよう。こんなもの、チラ裏にしても性質が悪すぎる。